リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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枢機局会議

 ある有人惑星の地表にある平凡な家屋の一室に、黒い僧服を着た者たちが集っていた。彼らは内部においてそれぞれに責任ある地位についている者たちである。彼らは円卓に腰を下ろしており、残っているふたつの空席に座る予定の二人のことを考えていた。一人は彼らの頂点に君臨する聖なる意思の代弁者であり、もう一人は信仰心ではなく実績だけで成り上がってきた不快な人物であった。

 

 故に入室してきたのが、聖職者らしからぬ世俗さを感じさせる不逞な若者だけであることに、他の出席者が大きく失望のため息をつくのをこらえようとする良識を働かせようとはしなかった。まったく歓迎されていないことを自覚しつつもその男――地球教団総書記代理ド・ヴィリエ大主教は気がつかなかったように決定事項を通告した。

 

「総大主教猊下におかれては長き逃避行による疲労が祟り、いまだ体調回復しておらず、申し訳ないが老体ゆえ休養を優先したいと仰せである。よって猊下は議論に参加されない。よって書記局としては、その結論を報告して判断していただくという形式で枢機局会議を開催したい」

 

 これには反発の声が吹き荒れた。それはド・ヴィリエが報告を行うということを言外に告げているようであり、彼の報告の仕方次第で総大主教の認識を誤らせる恐れがあると感じたためである。これにはド・ヴィリエは心外であるとコメントし、総大主教への結論報告は枢機全員で行う予定であると続けて静めた。

 

「了解した。ではだれが枢機局会議の議長役を務めるのだ?」

 

 本部を失い混乱状態にあった地球教組織を再編し立て直した実績や総書記代理という高い地位にいることから考えれば、ド・ヴィリエが議長役を務めるべきなのかもしれないが、他のメンバーはド・ヴィリエより一回りも二回りも年上の者たちばかりであるために納得できないと感情が老聖職者たちから吹き荒れ、室内に漂っていた。ド・ヴィリエは愚かしいと内心侮蔑しつつも表面上は柔かな微笑みを浮かべて提案する。

 

「そうですな。総大主教猊下に提出した枢機局名簿は年齢順であったわけですし、最年長のパヴェン大主教ではいかがでしょう?」

 

 あの人が議長役をするのなら、まあ、よいだろう。出席者たちはそう言って了承したが、どこか釈然としていないようであった。

 

 それもそのはず。パヴェン大主教は今年で七九歳という高齢者で、いつ死んでもおかしくなさそうな猫背というには曲がりすぎの背中と皺だらけの肌が特徴的な老人である。皇帝暗殺未遂によって地下活動に転じる以前は、同盟領内において布教活動を担当する部局の幹部を務めていたが、いってしまえばそれだけの人物であり、地球教の暗部を知ってはいてもそれほど関心がないタイプの聖職者である。

 

 しかもその部局であっても、なにかしら突出した功績をあげたというわけではなく、大主教になれたのも数年前に四〇年間も聖職者として異教の惑星で一切の見返りを求めずに布教活動に取り組んできたことから、この老聖職者に報いてやるべきではないのかという他の聖職者の同情の声によって昇格したきらいがあり、この部屋にいる聖職者の中ではある種浮いた存在だった。

 

 だが、だからこそド・ヴィリエは地球から逃れて教団組織を再編するにあたり、パヴェンを高い地位につけることとしたのだ。それは彼が裏事の知識に疎く温厚さだけが取り柄の人物であるため、調整型議長として扱えば議論の流れをコントロールしやすかろうという思惑によるものであり、他の幹部には人望と年功を考慮してと正当化しやすいからであった。

 

「……特に反対がないようなので、皆様から全会一致で信任されたものと判断し、不肖ながら小生が総大主教猊下の代理として枢機局会議の開催を宣言しよう」

 

 総大主教に比べると重々しい神聖な荘厳さというよりは、蚊が鳴くほど小さく消えてしまいそうな声でパヴェンは宣言し、活発な議論がはじまった。

 

 枢機局とは、有力な聖職者たちによって構成される総大主教の諮問機関であり、聖ジャムシードの時代より教団組織の中核を成してきた。明文化された法律や戒律があるわけではないが、枢機局の決定はほとんどの場合において総大主教が追認して来たことから、実質的な地球教の最高意思決定機関と考えてよく、枢機局の一員たることは地球教中枢の最高幹部であるといってよい。

 

 つまりこれから行われるのは、最高幹部たちによる地球教の今後の大方針を決定するための議論だということになる。一人を除き、枢機局のメンバーには共通の認識があった。このままでは人類は破滅を迎えることになろうという危機感である。全人類に正しい教えと平和への道を教導する根拠地たる、地球教本部が帝国の好戦主義者によって消し飛ばされたこともさることながら、急速に進行する帝国の地球教狩りが彼らの危機感に拍車をかけていた。

 

 地球教なき世界など、地球教徒からすれば全人類にとって絶望の暗黒時代としか思えないのだ。何故、と、疑問に思うのであれば、ここ数世紀の人類の歴史を振り返ってみるがよい。地球教を信じない異教徒たちが、宗教的道徳精神を持ち合わせぬ外道どもが、いったいなにをやってきたか。ただひたすら戦争と虐殺に狂奔し、阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げてきたではないか。そのくせ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、リン・パオ、ユーフス・トパロウル、コルネリアス一世、ブルース・アッシュッビー、ラインハルト・フォン・ローエングラム、ヤン・ウェンリー……その他、数多の人命を蹂躙した大量殺戮者達を英雄だなんだと大衆が肯定し崇拝してしまうほど、人類の道徳は堕落し退廃してしまっている。地球教がなくなれば、人類は狂気的な闘争心を抑える術を失い、幾度となくおぞましい規模の殺戮に興じた挙句、そう遠くない未来に人類は種として滅び去ってしまうことであろう。

 

 地球教の理念を内心侮蔑しているド・ヴィリエからすると、それを防ぐという大義名分に多くの人間を破滅させる陰謀に走るのは論理が破綻しているとしか思えないし、どうしてそれを高位聖職者たちが臆面もなく正当化できるのかは心底疑問である。

 

「去る二月、同盟は帝国によって完全に併呑された。地球教への敵意を持った帝国が人類社会の大半を支配することがいかに由々しき事態であるか、賢明なる各位には説明するまでもないだろう。だが、いっぽうのわれらは教団組織の再建に成功したとはいえ、帝国の弾圧で被った損害を回復しきれていない。控えめにいっても、危機的状況にあるといってよい。これをどう打開するべきか」

「皇帝ラインハルトを暗殺するしかないと私は考える。そして再び民主主義勢力と専制主義勢力を争わせ、共倒れを狙うのだ」

「現在の人類社会のパワーバランスは大きく帝国に傾いている。皇帝ラインハルトが倒れたところで大きな意味があるとも思えない」

「いや、それは早計だ。ローエングラム王朝は勃興したばかりの存在であり、その秩序は皇帝ラインハルトの剛腕によって支えられているに過ぎず、国家組織や制度によって安定しているとは言いがたいところがある」

「つまり皇帝ラインハルトが死ねば、最低でも帝国は内憂でおおきく疲弊すると言いたいのか」

「そうだ。かつてわれらが母なる惑星の上に大量の爆弾を投下し、しきりに無辜を殺傷すること熱狂して、シリウスの新秩序とやらを打ち立てたラグラン・グループとやらも、首魁パルムグレンが天罰で二年後に病死し、後継者の座を巡っての騒乱でフランクールとチャオが死に、勝利者として生き残ったタウンゼントもロケット弾を撃ち込まれて暗殺された。するとどうだ。シリウスの新秩序はあっさりと瓦解したではないか。それと同じことはローエングラム王朝にも言えるだろう」

「同意だ。母なる星に然るべき敬意と信心を抱けぬ無道徳な人間集団というやつは野蛮な猿の群れと同じで、ボスがいなければその座を奪い合って血みどろの抗争を繰り広げるもの。それは歴史が証明しているだろう」

「……一理あるが、もはや手遅れである」

 

 円卓に座る全員の視線が集中する。議論に割って入ってきたのはラヴァル大主教である。初老の聖職者であり、パヴェンほどでないにしても老化による衰えが容姿に目立つが、しかしその瞳から放たれる鋭い知性の輝きにはいささかの翳りもない。教団本部壊滅の折には、フェザーン占領の折に消息不明になったデグスビイ主教に代わって、混乱する現地支部を管理する役目を総大主教から与えられていたので、幸運にも帝国軍の襲撃から免れていた。

 

 そのため、教団本部壊滅前からの枢機局の一員であったわけで、教団内で特に古参から敬意を払われる存在であった。同じく枢機の生き残りであるド・ヴィリエが年少でどこか慇懃無礼な態度をとることから反発が先に来るのに対して、ラヴァルは好々爺めいた好人物であったことから、ド・ヴィリエに対する古参聖職者の反発がそのままラヴァルの人望につながっているようなのであった。

 

「皇帝ラインハルト暗殺を切欠とする勢力均衡戦略への回帰は以前にも枢機局で議論され、方針とされたことがある。昨年七月にキュンメル男爵の協力を得て皇帝暗殺の挙に及んだのもそのためである。しかし暗殺に失敗し、われわれの目的が明るみにでる結果に終わり、帝国内のわれわれの拠点は大打撃をうけた。必然的に帝国内におけるわれわれの影響力も著しく低下しており、これでは皇帝ラインハルトを暗殺しえたとしても、その後の帝国内の動乱をわれわれに都合よく利用するのはとても難しいのではないか。くわえて、当時であればバーラトの和約によって帝国の保護領のような状態に陥っていたとはいえ、民主主義勢力の牙城である自由惑星同盟は依然健在であった。皇帝暗殺を切欠に帝国に大規模な混乱が生ずれば、同盟が独立性を回復し帝国と実力伯仲の関係になる可能性は相応に高いと推測された。むろん、われわれ地球教はそうした同盟の動きを強力に支援し、また帝国においては内乱収拾に少なからず貢献し、双方の勢力に対する影響力を強化して、人類社会全体で地球教の立場を確固たるものとすることも不可能ではないともな」

 

 ラヴァルは一息つき、列席者を見回した。自分の言っていることが理解できているか、疑問を抱いていないか、表情から伺おうとしたようであった。そして全員納得していると判断し、続けた。

 

「しかし現在はどうか。既に自由惑星同盟は滅亡し、代わって民主主義勢力を代表するのはあの小さいエル・ファシルである。くわえて同盟領内の拠点も、帝国軍の地球教弾圧により無視できぬ損害を被っておる。これでは皇帝ラインハルトを暗殺しえたとしても、その後の混乱を利用して地球教の影響力拡大をはかることは困難であるし、エル・ファシルに旧同盟領全域を取り戻させるのも無理があろう。もはや、勢力均衡からの漁夫の利を狙う戦略は非現実的と言わざるをえまい」

 

 現実感覚に富んだ理路整然とした主張は、古くからの計画に固執する枢機たちの精神を打ちのめした。いまだ往時の隠然とした影響力を地球教は相応に行使できうると錯覚していたことに気づかされたからである。

 

「ラヴァル大主教はそうおっしゃられるが、それでも皇帝ラインハルトを暗殺するより他に活路はないと思われる。地球教弾圧という非人道的犯罪を大胆的に推進するローエングラム王朝ある限り、われわれの、ひいては人類には暗黒の世界しか待っていない。たとえ、制御できずとも、ローエングラム王朝を打倒し、安定した情勢を転換せしめ、死中に活をもとめなければ、どうにもならないのが昨今の情勢であろう」

其方(そなた)の意見には此方(こなた)も概ねにおいて同意である。だが、再度の皇帝暗殺を企図するにしても、しかるべき長期計画をたて、相応の環境を整えるといった手順を踏まなくてはならないだろう」

「と、いうと?」

「帝国の弾圧を逃れるため、旧同盟領に在住していた少なくない信徒がエル・ファシルに流入している。この数の力を利用すべきであると考える。具体的には信徒たちによって宗教政党をたちあげさせ、強力な政治運動を展開して議会に無視できぬ勢力を築き、皇帝ラインハルト暗殺はエル・ファシル政府上層部の確固たる意思であるという状況を構築するのだ。その意を受けて、われわれが皇帝暗殺を成功させたとすれば、地球教はエル・ファシルを救った英雄となり、その後の行動がしやすくなる」

「……そのように悠長なことをしている時間的余裕がわれわれに存在するでしょうか。既に帝国はエル・ファシル独立政府打倒のため、大軍を発したというではありませんか。議会の代議員を選出する選挙とやらは数年に一度しかおこなわなかったはずです。現状のまま何年も持ちこたえるのは不可能ではないにしても、かなり過酷であるかと思われるのですが」

「帝国軍の侵攻を退けられるかどうかは一度ラインハルトとの艦隊決戦で戦術的勝利をもぎったというヤン・ウェンリーの才覚に期待する他あるまい。宗教政党の設置については多少時系列が前後しても良い。要はエル・ファシル政府上層部に暗殺を決意させさえすればよいのだ。第一党の自由独立党はそういった手法を好まぬらしいが、第二党の救国戦線は過激な手段を辞さぬという情報もある。後者を勢いづかせればそういった決意をさせることも不可能ではないと考える」

 

 質問に素早く的確に答えるラヴァルは、細部まで考えつくしているのだなという印象を出席者に与えた。ラヴァルの語る新方針を枢機局の結論としてよいのではないかと少なくない者たちが思いはじめたところで、いままで議論を静観していた人物が声をあげた。ド・ヴィリエである。

 

「ラヴァル大主教のご意見はよく理解できました。ですが、その方法ではひとつ大きな問題があるように思われます」

「……どこがだ」

 

 ラヴァルの声に危険なものが混ざる。彼は昔からド・ヴィリエを敵視していた。彼は地球教の正義も理念も信じておらず、その存在は地球教を内部から崩壊させる劇薬なのではないか。それを証明するものはないが、ラヴァルはそのように第六感で感じ取っていた。教団本部壊滅と総大主教の体調不良のために、教団組織再建に一番貢献したド・ヴィリエの権限が組織の弱体化と反比例するように強化されており、その危惧は以前より増大していた。

 

「われら地球教徒の目的は母なる地球を中心として、祭政一致体制で人類を永遠なる平和へと教導することにあります。その最終目的から考えると、潔癖な民主主義革命家の多く存在するエル・ファシルを拠り所にして地球教再建をはかるのは危険であると考えます」

「危険だと? どのような危険か具体的に説明してもらいたい」

「民主主義という思想自体の問題であります。人民主権を標榜し、人民こそが社会の主導者であるとする。そのため、おぞましい民主主義の水で育った者は支配や管理されることを根源的に忌避することが多く、帝国に比べて同盟の信者獲得が思わしくなかったのも、まさにそのためなのです。さらにわれらが母なる地球の偉大なる歴史を振り返りますと、フランス革命、ロシア革命、その他民主主義を標榜した革命のために、無神論などという愚かしい思想が伝播し、各地で多くの宗教を排撃し、思い上がった愚劣な戦争主義者たちが世を指導して、夥しい流血を招くという事態を生じせしめました。こういった()()()()()を考えると、祭政一致という究極にして至高の最終目的を危うくするものであると考えます」

「なるほど。では、其方はどうするべきだと考えるのだ? そこまで言うからにはなにかしら腹案があるのであろう」

「民主主義体制擁護の象徴である、エル・ファシル革命予備軍司令官ヤン・ウェンリー元帥を暗殺するのです」

「馬鹿な!」

 

 驚愕と怒りのあまり、ラヴァルは椅子を蹴り立ち上がって二〇歳以上年下であるにもかかわらず自身と同格の聖職者を睨みつけた。

 

「気はたしかか! エル・ファシルは小なりとはいえ、現状唯一地球教を弾圧する帝国の影響力が及ばぬ領域であるのだぞ! その中心人物を暗殺するなぞ、たとえわれら地球教の手によるものだと隠しおおせたとしても、宇宙統一に邁進する帝国に利するのみ。帝国が宇宙を統一してしまえば、地球教は完全な人類社会の悪であるというレッテルを貼られ、破滅する未来しか残らなくなるだろう! それでどうやって、地球教が人類を正しい未来へ導くことができるというのだッ!!」

「ルビンスキーの提案を土台にやっていくしかないと考えます」

「なにッ!?」

 

 目の色を変えて声を荒げるラヴァルの気迫に、ド・ヴィリエはなんら感慨をいだいていないのか、自信たっぷりにゆっくりと説明を続ける。

 

「リップシュタット戦役に勝利してラインハルトが帝国の全権を掌握して急進的な改革を断行して、国力が飛躍的に強化されたことから従来の戦略を堅持することが困難なものになったとき、三〇〇〇年ほど前の地球に存在したローマ帝国とキリスト教の関係が良い参考になるのではないかと総大主教猊下に助言したそうです。 ローマ帝国はキリスト教を邪悪な存在として弾圧し続けていました。しかし、歴代の皇帝はしばしば暴君となり、その治世における絶望と反発から民衆はキリスト教の信者となる者が続出し、これにはローマ帝国も無視できずキリスト教を取り込みにかかり公認化され、それから数十年のうちに国教に制定され、以後のキリスト教は今日はローマ帝国が滅んだ後も大きな影響力を行使しえたとか。これはゴールデンバウム王朝下において信者獲得が容易であった事例と大きく共通していることではないかと。ローエングラム王朝もまたそうなるよう仕向けることこそ、われらが採るべき道ではないかと愚考する次第です」

「ほとんどルビンスキーの受け売りではないか。その主張をしていた黒狐とて、われらの制御下からはずれて独自行動をとっている。そのようなやつの意見を採用するなど、リスクが高すぎるとは思わんのか」

「ルビンスキーの怪しい行動については私も同意です。しかしながら、方策自体はまっとうだ。それにリスクがどうとかおっしゃられるが、古来からわれらの暗躍を支えてきた秘密性が失われつつある以上、リスクよりリターン重視で行動しなくてはジリ貧に陥ることは必定です。失礼ながら、その辺の理解がラヴァル大主教には欠けておられるのでは?」

「若造ごときが図にのるなよッ!」

 

 怒りのあまり顔を真っ赤にしてラヴァルは咆吼し、ド・ヴィリエも負けじと礼儀上は完璧ながら相手を小馬鹿にしていることが透けて見える態度で言い返し、もはや議論というより批判合戦になってきたので、議長代理のパヴェンが制止した。

 

「双方ともやめるのじゃ。ラヴァル大主教、怒りのままに罵倒するなど高位聖職者にあるまじき行いじゃ。ド・ヴィリエ大主教も年長者に対していささか敬意に欠けた言動が多々見受けられるゆえ注意せよ。小生らは皆、母なる惑星の子、兄弟なのじゃ。互いに愛と尊敬をもって接するべきであるし、仮にも枢機の地位にあるならば理性的に議論すべきじゃろうて」

 

 この制止には効果があったようで、二人とも互いに己の非を謝罪しあい、和解の握手を交わした。あくまで表向きは……仕方なく……一時的に……という、言語化されない前置きを円卓の全員が両者のぎこちなさから感じ取り、パヴェンもだめだこりゃと半分呆れて深いため息をついた。

 

 しかしそれで頭にのぼった血はいくらか冷めたようで、それぞれの主張の長所と短所をあきらかにしていき、どちらがより現実的な方策であるかという建設的な討議がはじまった。議論の中でさまざまな質問を投げつつ、枢機局の面々はどちらの案を支持するべきかと頭を悩ませる。もし人望と陰謀の才能が比例するという法則でもあるのであれば、なんら迷うことなくラヴァルを支持したであろうが、現実はそう単純明快な世界ではなく、いけ好かないド・ヴィリエの主張も十分な説得力を有している。ましてやことは地球教の存続にかかわる重要な問題であり、個人的な好悪の感情に縛られることなく慎重な判断が必要であるように思われた。

 

 数時間にわたって真剣な議論が続けられたが、それでもなおどちらの方針でいくか決定することができず、そろそろ体力的な限界を感じてきたパヴェンが「枢機各位が懸命に議を尽くしておるが、このふたつの方針のどちらかしかないという点では全会一致できるはずじゃ。ならばこれを枢機局の結論として報告し、総大主教猊下の御聖断を仰ぐべきじゃなかろうか」と提案し、ラヴァルは渋ったが、ド・ヴィリエが即座に賛成し、他の枢機も次々に賛成したので、形勢が悪いとみてラヴァルも賛成した。

 

 総大主教が体を休めている部屋へと彼らが移動し、天蓋つき寝台に横たわる総大主教にパヴェンが代表して絹の覆い越しに枢機局会議の結論を報告した。するとさらに両案の詳細情報をもとめられ、最初にラヴァルが、ついでド・ヴィリエが、それぞれ自案を解説した。総大主教はしばらく悩むように沈黙したのち、「ド・ヴィリエの方針を良しとする」と聖断をくだした。ラヴァルはショックを受けた様子ではあったが、聖職者として総大主教の聖慮に背くことなどできない以上、承服するしかなかった。

 

 いっぽう、ド・ヴィリエは総大主教の聖断を受けて他の枢機といくつかの実務的課題について討議し、それが終わると自分の執務室に戻り秘密の隠し戸からワインボトルとグラスを取り出して戒律で禁じられた飲酒を楽しみながら、枢機局会議などという演劇を演じなくてはならない自身の境遇を自嘲した。教団本部が壊滅してから、ここまで組織を再建したのは自分の力量によるものがほとんどであり、現在の実質的指導者は自分である、という自負が彼にはあった。それは傲慢によるものではなく、九割方事実であった。

 

 寝台に横たわっている総大主教は自身の術中にあるし、枢機局にいたってはもはやお飾りにすぎない。枢機局会議でなにかしらの議題を決議して命令を発することができたとしても、枢機局命令を教団組織の各部局に通達する役割を書記局が独占的に担うように教団組織を再編したのだ。ゆえに命令解釈権は総書記代理である自分にあり、命令の曲解も拡大解釈も有名無実化も思うがままだ。だから実質的な指導者は自分であるとド・ヴィリエが思うのも当然である。

 

 では、なぜこんな回りくどいことをしているかというと……。遺憾ながら自分には人望が欠けている、と、ド・ヴィリエは自己分析できたからである。総大主教の寵愛を受けてその腹心として若くして出世したことに対する古参聖職者の反感と嫉妬からくるものであろう。それは腹立たしいことであるが、だからといって粛清してしまっては教団組織の全体の勢力がさらに衰えることになる。そんなことになっては、銀河を舞台に陰謀を巡らすことなどおぼつかない。だから人望がある老害どもをお飾りの枢機局に放り込み、地球教徒の求心力を高めなければならなかった。

 

 そうである以上、ド・ヴィリエは枢機局の面々に自分たちがお飾りであることを気づかせないことに細心の注意を払っている。自分のことはよく使える陰謀家であり、出世とかの野心は薄いと思わせて警戒を解かせ、不快だが便利な道具にすぎないように思わせなくてはならないのだ。そのために大小様々な配慮をして自分が最高幹部の末席であるように表面上見せかけている。それこそ枢機局名簿の序列を年齢順にして自分の名前を一番下にするなどという子供騙しみたいなことまでやるほど気を使っている。だが、その馬鹿馬鹿しい茶番を長々と続けているとド・ヴィリエ本人がやってられない気持ちになるのだった。

 

 ましてやラヴァル以外、自分が大きな権勢を誇っていることに危機感を抱いている節がまったくないとあっては! そのラヴァルにしても書記局の権限が巨大すぎることを警戒しているだけであって、総大主教の異変にはまったく気づいている様子がない。やつも切れ者のはずであるが、信仰心ゆえに神聖不可侵を盲信して総大主教に疑問を抱けなくなっているとしか思えない。まったく狂信者っていうやつはこれだから!

 

 同じ地球の子たる兄弟たちの愚劣さを内心で散々罵倒すると、多少は気が晴れ、ド・ヴィリエは執務机においてある固定電話の受話器をとり、連絡先の電話番号をプッシュした。

 

「もしもし、ホイッチア精神病院ですか。そちらでお世話になっているアンデルセン・ショタコヴィッチの関係者ですが、主治医のオードリー先生はいらっしゃいますでしょうか。患者の経過を伺いたいのです」

 

 すぐにそちらにおつなぎしますと返事をして、コールセンターのオペレーターは目の前のあるパソコンにアンデルセン・ショタコヴィッチと検索してカルテを取り出し、その主治医がシャーロック・J・オードリーになっていることを確認した。ついでオードリーが今どこにいる予定になっているか予定録をデータの海から検索して呼び出し、この時間は自室で休んでいることになってたので、そこに電話回線をつないだ。

 

 就寝していたところを固定電話のけたたましい呼び出し音で起こされ、オードリーは不機嫌そうに受話器をとった。

 

「はい、オードリーです。どちら様ですか」

「書記局だ。形式は整った。予定通りの手筈で対象を確保せよ」

 

 有無を言わせぬ迫力を感じさせる声に、オードリーの眠気は吹っ飛び、使命感に打ち震える声で返答した。

 

「了解しました。お任せ下さい。猊下」

 




ぶっとんだ価値観からくる純粋な善意と正義で行動する本作の地球教。
唯一例外であるド・ヴィリエみたいにまっとうな価値観を持ちながら悪意でやらかすのとどちらがましであろうか。

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