リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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黄金樹のはらわた②

 ゲオルグは言葉巧みに現帝国政権の内幕を聞き出していた。軍部の権力拡大が官僚たちの不満を招いているという事実である。ゲオルグの古巣の内務省警察総局が軍務省憲兵隊の監視下におかれていることを筆頭に、旧門閥貴族の色が濃い部署はすべて軍部の干渉を受けているというのである。特にゲオルグの祖父クラウス・フォン・リヒテンラーデが尚書職を経験したことがある内務省・財務省・宮内省・国務省に対する軍の干渉が不満の原因となっているようだ。

 

 銀河帝国には国務・軍務・財務・内務・司法・学芸・宮内・典礼の八個の省が存在する。軍部そのものである軍務省を除けば、諸侯との折衝や地方総督府の運営などを担当する国務省、予算編成や民衆からの徴税を担当する財務省、国内治安を担当する内務省、皇帝の庶務を担当する宮内省の四つの省は帝国を政治的に運営する上で極めて重要な部署である。この四つの省さえ支配してしまえば、権力に屈することが常態化してる司法省、帝国政府の公式見解と矛盾するようなことは決して発表しない学芸省、ほとんどの決定権が他の省庁に奪われている典礼省は、極論すれば無視してでも帝国全体を問題なく運営できる。

 

 だからそれらの省を古巣の軍部の干渉下に置くのは、ラインハルトが帝国に君臨する上で決して間違っていない判断だ。しかし自分たちの管轄に武官が干渉してくるのは、文官達にとっては面白いはずがなかろう。既にリヒテンラーデ一派の影響を払拭できたと判断された部署への監視は減らされていってはいるようだが、この不満を利用することはできないだろうか。そう頭の中で考え始めていたゲオルグに対し、オスマイヤーは軍からの干渉の一例を出した。

 

「最近になって、秘密警察の再設置を義眼の上級大将が提案するようになった」

「義眼の上級大将といえば、総参謀長のオーベルシュタイン上級大将のことか」

 

 パウル・フォン・オーベルシュタイン。両目が義眼で血色の悪い肌をした不気味な軍人。優秀な軍官僚で裏仕事に長けているというのが、ゲオルグの評価である。大佐の時にイゼルローン要塞駐留艦隊司令部の幕僚を務めていたが、第七次イゼルローン要塞攻防戦において上官のゼークト大将の旗艦に同乗していたが、ゼークトの玉砕命令に従わずに一人脱出用シャトルに乗って逃亡した。本来であれば命令違反と敵前逃亡、ついでに司令部唯一の生き残りでもあったから裁けなくなった上官の代わりに要塞失陥の全責任も取らされて処刑されていたであろうが、ラインハルトの思惑によって軍法会議を免れた。

 

 その後はラインハルトの側近になり、若すぎる覇者の為にさまざまな貢献をしたようだ。四八七年に大挙して帝国領に侵攻してきた同盟軍との戦争や四八八年の門閥貴族連合軍との内乱において、悪辣な謀略を実施したようである。表沙汰にできるようなことではないのでゲオルグも全貌は知らないが、同盟軍を飢餓状態に陥らせるような状況を作り出したり、門閥貴族連合軍の内部分裂を促進するようなことをしていたようである。その貢献によってオーベルシュタインは上級大将の地位とローエングラム元帥府事務局長と宇宙艦隊総参謀長と統帥本部総長代理の三つの重職を兼任することになり、新体制においては巨大な権力を手中に収めている。二年前までイゼルローン要塞駐留艦隊司令部の幕僚の一人にすぎなかった大佐とは思えないほどの出世ぶりである。

 

「噂に伝え聞く彼の人物像と秘密警察という組織の親和性は実に高いが、なぜこのタイミングで秘密警察を再設置する必要があるのだ? 開明政策で人気取りに励んでいる現状での再設置は少しばかり問題があるように思うのだが」

「その通りだが、オーベルシュタイン上級大将は近頃一部の元貴族領でメディア会社がローエングラム公に対する批判を行いだしたことに、なにか謀略めいたものを感じているらしい。裏に門閥貴族残党による組織が暗躍している可能性をあげて、それに対処するために秘密警察の必要性を主張しているのだ」

「それは……。いささか猜疑心が強すぎるのではありませんか」

 

 ゲオルグは平静をたもってそう言ったが、内心は疑念を抱くのが早すぎると冷や汗を流していた。たしかに元貴族領のメディア会社に所属するジャーナリストたちと秘密裏に接触し、彼らの反ローエングラム感情を煽ってそういった報道を行うよう仕向けていたが、こうも早く疑念を抱くか。伊達に裏仕事に関わっているわけではないようだ。

 

「私もそう思う。ローエングラム公も同じように思ったらしい。無力な元貴族が不平を鳴らしているだけだと仰られていたが、義眼の上級大将はそれでもなお必要性を訴えているのだ。指名手配されている大貴族の残党がいる可能性もあるのだと言ってな。……そういえば、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名も何度かあげていたな」

「……迷惑極まるな」

 

 腹立たしそうにそう呟き、ゲオルグはアップルジュースが入ったコップをあおった。ハイデリヒにドリンクバーで大量にジュースを汲んでくるよう命じていたので、ボックスの机の上は飲み干して空になったコップとまだドリンクが入ったコップによって占領されていたのである。

 

 幾人かの候補中の一人であるとはいえ、自分も疑われているとは実によろしくない。もう何十人かメディア会社の重職にいる者と接触しようと考えていたが、オーベルシュタインの光コンピューターの情報処理装置に捕捉されかねないから、しばらくは控えるべきかもしれない。しかし随分と嗅覚の鋭いことだ。

 

 ふとゲオルグはオーベルシュタインという男に関する噂を思い出した。オーベルシュタインが義眼なのは幼いころに事故にあって両目を失ったからとされているが、本当は遺伝的な理由で生まれた時から盲目であったのだが、当時のオーベルシュタイン家当主が権力と財力で誤魔化したのだという噂である。根拠のない誹謗中傷の類であることが多い宮廷での噂のひとつであったから、いままで別段気に留めていなかったのだが、案外本当のことであったのかもしれない。

 

 噂が真実であったと仮定すると、オーベルシュタインが自分のことを疑うのは、むしろ当然だろうとゲオルグは奇妙な納得ができるのだ。当主の決定とはいえ、ルドルフ大帝が定めた生きるに値しない命が、一族の末席に名を連ねて生きていることを許容できない者たちが相当数いたであろうことは想像に難くない。そういった障害を踏み潰して今まで生きてきたのだとすれば、自分の経歴から同類の臭いを嗅ぎとったと考えられるからだ。

 

 名門貴族リヒテンラーデ家当主クラウスの長男エリックの子として生まれたゲオルグであるが、その立場は決して安定したものではなかった。だいたいの原因は父親エリックのせいである。元より見るべき才能がなかったが、祖父の威光で財務官僚になったものの、所属する部署の仕事を五週間にわたって停滞させるという事態を発生させた。息子の無能さにクラウスは愛想を尽かし、形式的な事務仕事しかやっていないと噂される典礼省の中でも必要性が疑われるほどの部署に転属させた。事実上の厄介払いである。

 

 いかに長男であるとはいえ、クラウスはリヒテンラーデ家をエリックのような無能者に託してよいだろうかと長い間苦悩した。やがて面倒な前例ができるが、宮内官僚として経験を積んでいた次男のハロルドを次期当主にしようと決断し、彼にその為の教育を行うようになった。そんな時に誕生したのがゲオルグである。

 

 ルドルフが唱えた父の素質は子にも大きく受け継がれるという遺伝理論が信奉される帝国であったから、無能なエリックの子として生まれたゲオルグに期待するものはほとんどいなかった。しかしこのゲオルグが幼少期から類まれな聡明さを示したのである。おまけにスポンジが水を吸収するようにどんどん知識を身につけていくゲオルグの姿を見て、クラウスはゲオルグも次期当主候補の一人として考えるようになり、しばらく経過を見守るべくハロルドへの次期当主指名するのを延期した。

 

 当然のことながら納得いかないのがハロルドである。自分は次期当主として鍛えられていたのに指名を延期とはどういうことか。自分は帝国有数の名門貴族家の次期当主になれたはずなのだ。なのに今になって無能な兄の子が次期当主になる可能性がでてきて、自分が風下に立たされるかもしれないのである。そんなこと許せるはずがなかった。

 

 かくしてゲオルグは一〇歳にもなっていない年頃から、叔父に殺意を抱かれることになった。父のエリックは巻き添えで殺されたらたまったものじゃないと見て見ぬふりを決め込み、祖父クラウスは次期当主には謀略の才能も必要だろうと考え、表沙汰になったり他の大貴族が介入してこない限りは傍観を決め込んだ。だからゲオルグは自らの器量と才覚だけで味方を集め、おのれの命を狙う叔父の一派に対抗しなくてはならなかったのである。

 

 このリヒテンラーデ家次期当主の座を巡る暗い暗闘は十年近く続いた。その過程でゲオルグは自分を愛してくれた母を失い、若すぎる自分に忠誠を誓ってくれた部下も少なからず失った。ゲオルグ自身も刺客に何度も命を狙われ、一度は食事に毒を盛られていることを見抜けずに生死の狭間をさ迷ったことさえあった。ゲオルグのどこか異様な精神性は、このような環境によって育まれたものであった。

 

 この陰惨な対立は四八六年九月に決着を見た。宮内尚書にまで出世していたハロルドが車での移動中にエンジントラブルによる爆発で事故死したのである。しかしゲオルグとハロルドの対立関係を知っていれば、これは暗闘の結果であると容易に予想できるだろう。実際、手に入れたばかりの警視総監としての権限を利用したゲオルグによる謀殺が真相であった。

 

 そのような苦労を経て、ゲオルグはエルウィン・ヨーゼフ二世の即位と同時に内務次官となり、クラウスによって正式にリヒテンラーデ家次期当主として指名されてようやく確固とした立場を築きあげたのだが、それからわずか一年後にラインハルト派によってリヒテンラーデ派が粛清され、今度は帝国という国家そのものに命を狙われる立場に置かれていることを考えると、ある意味とても悲惨な人生を歩んでいると評する者もいるのかもしれなかった。

 

「……しかし秘密警察の再設置か。そうなると元社会秩序維持局の局員を再登用することになるのかな。保安中尉、もしかしたら再就職できるかもしれんぞ」

「さあ、どうでしょうね。秘密警察を再設置するとしても社会秩序維持局の悪名まで継承させる気がオーベルシュタインにはないでしょう。再登用される元社会秩序維持局局員は下級幹部と末端のみで、ほとんどが新人ということになるのではないでしょうか。そうなったら支部長副官をしていた自分がまた秘密警察に所属できるとは思えません」

「うむ。もっともな理屈だ。だがそれにはひとつ問題があるぞ。そんな下級幹部と新人だらけの秘密警察を設置したところで、社会秩序維持局ほどの捜査能力を期待できるはずもない。そんな中途半端なものにするくらいなら、いらないとオーベルシュタインなら言うのではないかな」

 

 そう言って、ゲオルグは視線をオスマイヤーに戻した。

 

「いかにオーベルシュタインの提言であるとはいえ、国内治安に関わる仕事ではあるから、社会秩序維持局がそうであったように、あなたの内務省の下に新しい秘密警察が再設置されると思うのだが、内務尚書閣下はそのあたりの構想についてはなにか御存知か」

 

 わざわざ内務省の下に設置されるだろうと前置きしたあたりが、ゲオルグの狡猾さである。今までの話からオスマイヤーの性格をある程度理解し、そしてオーベルシュタインにたいして好ましからざる感情を抱いていることを察し、内務省の人事に軍人が口挟んできている不快な状況を改めて強調したのである。

 

 効果は覿面であった。内務尚書としてのプライドを刺激されたオスマイヤーは、オーベルシュタインに対する不快感も手伝って、目の前のいる人物にそれを漏らすのがよくないことを承知しているのに話してしまったのである。

 

「オーベルシュタイン上級大将は旧社会秩序維持局の指導層にいた者の中で私行上の問題がなく、能力もあって、新体制に忠誠を誓った者に指導権を託し、秘密警察を再建させようと考えているらしい。私はとんでもないことだと思うのだが、大半の軍幹部や開明派官僚も秘密警察の再建には否定的なのだ。それにローエングラム公もその必要性を認めていないのだから、それ以前の問題だな。なのにあの男は今の秩序に荒波を立てようとしているのだ」

「秘密警察に限らず、武人は官僚が力を持つのを好まないものだからな。しかしなぜ開明派官僚は否定的なのだ」

「開明政策の後退につながるからだ。部下の民政局局長のカール・ブラッケなどは強硬に反対している。それどころか軍務省によって軟禁されている社会秩序維持局の幹部連中を、纏めて処刑してしまえとな」

「ずいぶんと過激な主張だな」

 

 ゲオルグは苦笑した。カール・ブラッケはオイゲン・リヒターと並んで開明派と呼ばれた官僚グループの主導者と目されていた人物だ。ただリヒターと違って頑固な教条主義者であったので、リヒテンラーデ派官僚グループと協力することはほとんどなかったから、ゲオルグはブラッケのことをあまり詳しくは知らない。

 

「しかしローエングラム公は社会秩序維持局の幹部連中をどうするつもりなのだ?」

「詳しくは知らないが、民衆弾圧を目的としていたとはいえ、公的な機関であったのだから、職務に忠実に励んでいただけの者達を処断するのをローエングラム公は望んでおらぬようなのだ。だから職務に関係ない範囲で民衆を虐げた者のみが処断を受けることになるのではないかと思っている。私もそれに賛成だ」

「……なるほど」

 

 意味深に頷き思考に入ったゲオルグに、オスマイヤーはちょっと喋りすぎたかと口をつぐみ、机の上に大量にあるジュースが入ったコップのひとつを手に取って喉を潤して緊張をほぐした。

 

「秘密警察の再設置の可能性についてはよくわかった。ところでこれは個人的な疑問なのだが、あなたはどう思っているのだ?」

「?」

 

 オスマイヤーはあまりにも大雑把な質問に首を傾げた。

 

「失礼だが、なにに対してだ?」

「しれたこと。現体制が推し進めている開明政策のことだ」

「……良いことだと思っているが」

 

 いったいなにを意図しての問いなのか、オスマイヤーは理解できず、少し考えた末に正直に答えた。今の施政は旧体制と比較するまでもなく素晴らしいものだ。官憲の高圧的な姿勢は改められ、民衆の生活水準は飛躍的に上昇している。それに個人的なことになるが、たいして身分が高くない自分の能力が正しく評価され、辺境の政務官から内務尚書に大抜擢されるようなことも旧体制ではありえなかったろう。

 

 そう思えばこその答えだったのだが、ゲオルグはこれみよがしに息を吐きだした。それは無知な愚か者を馬鹿にするようなしぐさであり、オスマイヤーは不快感にかられたが、それも一瞬のことだった。

 

「自らの首を絞めるようなことが良いことですと? どうやら私は閣下を見誤っていたようですな。あなたはおのれが破滅してでも民を慈しむほど犠牲精神に溢れておられるとは」

「どういう意味だ!」

 

 オスマイヤーは拳を机にたたきつけて叫んだ。それは自分のプライドが傷つけられたゆえの怒りによるものであったが、だがその怒りの中に不安や恐怖という不純物が紛れ込んでいることをゲオルグは見抜き、微笑んで見せた。

 

「言葉通りの意味ですよ。ローエングラム公がこの帝国の伝統を変えようとしていることは御存知でしょう。それも穏健に階段を一段ずつ上がるという形ではなく、数段飛ばしで劇的に行おうとしていることも……ね」

「おまえはローエングラム公が改革に失敗するとでも言いたいのか!」

「いえいえ、そういう意味ではありません。現宰相閣下は改革を成功に導けるだけの剛腕を有しておいでだ」

 

 あっさりと肯定されて、オスマイヤーはやや拍子抜けした。ローエングラム公の改革が成功するというなら、いったいどこに問題があるというのか。ゲオルグはことさらゆっくりとジュースを飲み、オスマイヤーが自分でも説明できない不安を募らせていくのを観察した。

 

「私が問題としているのは劇的な改革であるということなのですよ」

 

 いつ頃、どのような形で行うかまではわからないが、そう遠くないうちにローエングラム公ラインハルトは皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世から志尊の冠を奪い、ローエングラム王朝が誕生させるだろう。ローエングラム王朝は支配の正当化のためにも、民衆を虐げることが常態化していたゴールデンバウム王朝とは違うことを帝国二五〇億の人民に知らしめる必要に迫られる。

 

 皇帝ラインハルトは万難を排し、それを成し遂げるだろう。だがラインハルトがいかに並外れた剛腕の持ち主であるとはいえ、劇的にそれを成し遂げると世代間の価値観の乖離という現象が発生するのは避けられない。ゴールデンバウム王朝の恐怖と弾圧によって民衆を支配した世界を、ローエングラム王朝の自由で権利に溢れている世界で育った新世代は知識として知ることはできても、肌で理解することは決して不可能だ。あまりに現実味というものに欠け、その時代の生活を想像することすらできないかもしれない。

 

 そうした若者たちは大人たちの正義感や勇気の欠如に怒り、その責任を追及しだすのはごく自然ななりゆきとはいえないだろうか? なにせゴールデンバウム王朝においては「悪いことだがどうしようもない」と、みんなが見て見ぬふりをして諦めていたことであっても、開明的で公正なローエングラム王朝では「どうしようもなくても悪いことはするな」と若者に教えるであろうから。

 

 段階的に改革を実施していくのであれば、こうはならないだろう。徐々に良くなっていくのであれば、下の世代にも親の世代がどのようなものであったかまだ想像できるだろう。しかし劇的な改革である以上、程度の差はあれど世代間の価値観の乖離は、必ずや劇的な形で発生するのである。

 

「私は少しばかり歴史を学びました。その知識から言わせてもらいます。はるか昔のことですが、恐怖政治によって民衆を支配した帝国が滅び、残された民衆が自らの手で新しい国家を築き、帝国時代は邪悪だったと新政府が叫び続けること約二〇年。新国家の空気の中で育った純粋な若者どもが帝国時代の過去を糾弾し、なぜ邪悪な帝国に協力したのだと当時の国民の責任を追及しだした例があるのだ。帝国の恐怖政治がどれほど恐ろしいものであったのか、抗えないものであったのか理解せずにな。その時の若者たちが掲げたスローガンが、たしか“三〇歳以上は信用するな”だったかな。その若者たちの純粋な正義の情熱たるや凄まじいもので、特にその個人が犯罪行為を行ったわけではないが、帝国で民衆の虐殺を実施した部署の末端に所属していたからという理由で、その人物も犯罪組織に所属した罪があると批判対象にし、そのはてに処刑してしまったとか」

 

 なんのこともないようにゲオルグは語り続けた。オスマイヤーの顔からはすっかり血の気が失せていた。

 

「あなたはかつて社会秩序維持局のIMだった。にもかかわらず、開明政策が続々と実施され、帝国が劇的に変容していくのを良しとしている。これは人並み外れた勇気と犠牲精神がなければ不可能なことです。だから見誤っていたと言ったのですよ」

「……………当然だろう」

 

 だれがどう見ても本心から言っていないとまるわかりな態度で、オスマイヤーは言った。彼は開明政策が国をよくすると思い込んでいたのだが、成功した場合に訪れるかもしれない自分の苦境を想像できてしまったのである。もし若い世代が一丸となって旧体制の悪事を調べだした時、自分の過去が暴かれないことなどありえようか?

 

 むろん、オスマイヤーは望んで社会秩序維持局に協力したわけではない。だがそのような時代が訪れた時、自分にはどうしようもなかったということを若い世代は理解してくれるだろうか。ゲオルグが語り続ける具体的で悲惨なエピソードをBGMに、オスマイヤーは不安を募らせた。

 

「今日は実に有意義な会談でしたな」

 

 話が一段落すると、ゲオルグはそう言ってソファーから立ち上がり、帰り支度を始めた。

 

「私がIMであったことを秘密にしておいてくれるのだろうな」

「ええ。大神オーディンと我が主君ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名に誓いましょう。もっとも、われわれがあなたの過去をおおやけにするとあなたも私たちの情報を話すでしょうから、誓わなくてもリスクが大きすぎてできないでしょうが」

「なに?」

「最初にも言いましたが、私はリヒテンラーデ閣下の信厚き身なのですよ」

 

 そう言ってゲオルグは魅力的な笑みを浮かべて手を差し出した。

 

「閣下とは今後も友好的でありたいのですが、立場が立場なので表立ってそうあれぬことが残念でしかたありません」

「……ふん」

 

 差し出された手をしばらく見つめていたオスマイヤーだったが、不機嫌そうに鼻息を吹いた後、渋々握り返した。今までの会話からして、ディレルという青年はかなり大きな判断もゲオルグから許されている(本人だから当然である)であろうことが予想できたので、無視して相手の機嫌を損ねるわけにはいかず、かといって喜んで握り返すのも自分が彼らに好意的であると認識されかねない。なので不機嫌さを出しながら握手をすることで自分の立ち位置を示して見せたのである。

 

 ゲオルグは個室を出ると受付で代金を支払った。そして別れ際にオスマイヤーに「一緒にきている家族には酒の飲みすぎで気分が悪いと言っておいた方がよいですな」と助言し、タクシーを拾ってハイデリヒと一緒にホテルに戻った。

 

「あれでよかったのですか」

 

 ゲオルグが借りている部屋の中で、ハイデリヒは問う。いろいろな理由があって、二人は別々に部屋を借りていたのである。その理由のひとつが、私事の時のハイデリヒと同じ部屋で泊まるのは勘弁、というゲオルグの個人的なものであることは語るまでもない。

 

「なにがだ」

「内務尚書のあの狼狽ぶりだと、もう少し圧力を加えるだけで政府中枢の情報入手手段にすることだってできたでしょう。なのになぜあっさりと引き下がったのですか」

 

 内務尚書という駒を手に入れれば、それは強力な武器となりうるではないか。それはラインハルトに対して対立と和解のどちらを選ぶことになったとしても、おおいに有用であろう。なのになぜもっとはっきりと取り込もうとしなかったのか。そんなハイデリヒの考えをゲオルグは完璧に理解しているし、それを考えないではなかったのだから。

 

 しかしこの場合、内務尚書という武器が()()()()ことに問題があると思い、その考えを破棄したのである。内務尚書となることを目指していたゲオルグは、内務尚書の一挙一動に多くの者が関心を持っているということを弁えていた。だからこそ頻繁に接触するような関係になるのは考えものだったのだ。途中で何人も挟んでの文通という形をとるとしても、それが継続的に続けば不信に思う者が絶対にいる。オスマイヤーを取り込んだ結果、帝国政府に自分の所在が知られるようなことになったら本末転倒もいいところだ。

 

 ラインハルト率いる軍人一派は、統治上重要である各省が反逆してくる可能性を考えていないような、お気楽な連中ではないのだ。ラインハルト派が各省を監視していることから明らかである。オーベルシュタインという、優れた嗅覚を持っている猟犬も相手にはいることだし、少なくとも今の段階では慎重を期してオスマイヤーと頻繁に接触するのは避けるべきである。これがゲオルグの出した結論であった。

 

「ではオスマイヤーと接触したのは、現時点での帝国政府中枢の情勢を知るためだけであったと?」

「そのためだけではない」

 

 ゲオルグがオスマイヤーに語った世代間の価値観の乖離の話は、まったくの嘘というわけではないが、いささか過剰な装飾をつけたものである。それでオスマイヤーに不安を抱かせることも目的のひとつであった。そうすることでオスマイヤーは改革に消極的になるだろう。これで新体制の改革姿勢が豹変するようなことはならないだろうが、内務尚書の非協力的態度によって改革がスローダウンすることにはなるだろう。

 

 それで不満を抱いたラインハルトの命令によって、オスマイヤーが内務尚書から解任されたり降格するようなことになれば、ゲオルグにとってはじつに理想的な展開となる。

 

「オスマイヤーは内務省の再編でその並外れた有能ぶりを既に周囲に示しているのだからな。そんな男が改革に消極的になったというだけで処罰の対象となれば、ローエングラム公が手を組んでいる開明派の、政敵の権利でも守ろうとする愚かな信念を持っているあの連中も、公に疑念を抱いて非協力的になるだろうし、なにより内務官僚が不安を覚えるだろうよ」

「……そういえば、閣下とそれなりに関わりがあった者でも、現体制でも何人かが官僚としての地位を保っていましたな」

 

 現時点ではラインハルトの公正さを信じて職務に忠実たることで地位を保とうとしている彼らであるが、その公正さに疑問符がつけば地位を保つ別の手段を求め始めるのは自明の理。そうなればゲオルグはその者達と通じ、官界に間接的な影響力を手にすることができる。それによって官僚とラインハルトの対立を激化させ、その混乱の中で復権の足掛かりを掴もうとしているとハイデリヒは洞察し、ゲオルグは満足気に頷いた。

 

 しかしそこまで理想的になる可能性は低い。せいぜい内務尚書とラインハルトとの関係に微妙な不和が生まれる程度だろうが、それが長期化すればそれも政治的な混乱を産み落とす一要素にはなるだろう。ずいぶんと気長なことであるとゲオルグも思うが、数年で復権を達成できると思えるほど現状を楽観していなかったので、やっておいて損はないと考えていたのだ。

 

「それにな。帝国政府の動向を掴むための方法は他にあるのだ。まだ不完全だが」

 

 ゲオルグは秘密組織の再建と平行して、構成員を公的組織に多数潜り込ませる作戦を実施していた。中央省庁の下部組織や、地方の総督府・病院・裁判所・軍隊・警察などにである。新体制は旧体制との違いを示すため、実力主義を標榜し、多少経歴が怪しくても能力があるなら気にしない風潮があることを察したからである。

 

 もちろんそれなりの責任が伴う立場になれば、詳しく経歴を精査される危険性があるので、潜り込ませた構成員の組織内での地位は低いので、帝国政府中枢がなにを考えているのか、その全体像をつかむことなど不可能である。だが、彼らが掴んだ情報を集めて精査すれば、帝国政府中枢がどのような思惑を抱いているのか推測を立てることが可能になるのだ。まだ潜り込ませている数が少ないので、集まる情報も少なく、推測するのは困難なのだが、地道に数を増やすことによって問題は改善されるはずであった。

 

 だがゲオルグはある不安を抱いた。待て。旧貴族領の地方メディアが反ラインハルトの扇動をしていることに、オーベルシュタインが疑念を抱いている、という事実を軽視してもよいものであろうか? まだ中枢の多くの者がその疑念を共有していないとはいえ、長い時間をかけて彼らを説き伏せ、政府全体による綿密な調査の末に自分のところまでたどり着くかもしれぬ。そんなへまをした覚えはないが、オーベルシュタインの嗅覚の鋭さが、自分の注意深さを凌駕していない保証はどこにもないのだ。

 

 考えすぎだと思わないではないが、それでもゲオルグはもし自分の事を特定された時の対策の必要性を感じた。オーベルシュタインだけではなく、体制側のだれかにゲオルグ・フォン・リヒテンラーデであると知られただけで、自分の人生はあっけなく終焉を迎えるのである。それを思えば警戒しすぎであるということもあるまい。そう思ってゲオルグはメモ用紙に走り書きし、ハイデリヒに手渡した。

 

「きみにはこの住所にいる、この人物と会ってほしいのだ」

「……だれです?」

「私の知り合いだ。この人物と協力し、きみにある任務を果たしてほしいのだ」

 

 翌日、ハイデリヒは任務遂行のためにクロイツナハⅢを後にし、ゲオルグはもう一日だけ歓楽地を満喫して二日後に惑星オデッサへの定期便にのり、仮の自宅へと帰った。




ゲオルグが見つかれば死ぬ立場なのに、平然としてられるのは昔の経験のせいです。
誰かに命を狙われる環境というのが当たり前すぎて、その辺の感覚麻痺してるんです。

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