リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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陰謀家たちの思案

 ロイエンタールにかんする不穏な噂がフェザーンで広まっていることは秘密組織も情報収集活動によって把握していたが、だからといってアルデバラン星系総督府に潜伏している首脳部はそれに対してなにかしらのリアクションをとろうとしなかった。所詮噂にすぎず、なにかが起こるとしても帝国軍内部で完結する可能性が高く、フェザーンに駐屯している軍高官の構成員がいなかったので、手の出しようがないと判断されたためで、注視しつつも傍観の姿勢をとっていた。

 

 二月に入ってからは、噂がたって数ヶ月経過しても帝国内の勢力図に異変の兆しもなかったので、噂はただの噂のままに終わったと見なしていた。なのに、唐突にロイエンタールが内国安全保障局と司法省から弾劾され、それを受けて憲兵隊によって収監されたという報告書があがってきたことにゲオルグは驚愕した。そしてその報告書を詳しく読み込んでいるうちにさらに驚愕し、しばらく口をあけたまま固まり、ついで顔から表情が消えて黙りこんだ。

 

 それはいつも飄々とした彼らしくない姿であったので、報告書を提出したブレーメは背中に氷の棒でもつっこまれたかのように縮こまる。総督府においては商務局長官として辣腕を振るい、秘密組織においても大幹部として扱われるようになって、半年以上経過しており、それにふさわしい自負も抱きつつあるが、それでもその地位はすべてゲオルグあってのもの。彼の意向次第で今日の自分の地位はあっさりと失われるし、秘密組織の情報を守るために自分の生命すら奪われる危険性だってある。自分に原因がないとしても、秘密組織の首領に尋常ではない態度を示されると恐怖から萎縮するのは当然と言えた。それは同じように控えている他の幹部とて同様だ。

 

「……いったいどうなされたのですか。ロイエンタールが弾劾され収監されたというのは確かに驚くべきことではありますが、それほど動揺することですか、ましてやロイエンタールの野心が付け入るべき隙にならないかと、閣下は気にかけておられたはずでは」

 

 緊張感漂う沈黙を振り払ったのは、警察時代よりゲオルグに仕えるシュヴァルツァーであった。

 

「あ、ああ、それはそうなのだが……説明するのも面倒だ。ほれ」

 

 自身の功利的忠誠心の対象が、初老の腹心に報告書を押し付けるように手渡すのを見て、ブレーメは冷が汗が止まらなかった。フェザーンに浸透している秘密組織構成員からの情報をまとめ、自分が報告書を作成したから当然内容を把握している。しかしそれは秘密組織にとって有益な情報しかなかったはずで、だからこそ意気揚々として報告書を提出したのだ。だがこの反応からすると、自分には気づけなかったが、なにかしら致命的な情報があったのでは?

 

 そんなことに気づかず、能天気に報告してしまったのだとしたら、自分の情報分析能力に深刻な疑義をもたれる可能性がある。様子を伺っていたが、シュヴァルツァーも驚愕した表情を浮かべたので、ブレーメは暗澹としてた気持ちになった。

 

「エルフリーデ嬢が、ロイエンタールの愛人ですと……? なにかの間違いではないのか」

 

 後半が自分に向けての問いであったので、ブレーメは首を縦に振って肯定した。その点については現地の情報提供者が念入りに確認済みである。そして彼の主人であるゲオルグの父方の祖父とエルフリーデの母方の祖父が兄弟であり、その続柄が又従兄弟(またいとこ)であることもわかっている。だが、だからといって、いったい何の問題があるのであろうか。

 

 ゲオルグはリヒテンラーデの家名に執着する一方、その一門一族にかんしてはとても冷淡なところがある。一度、新参幹部が流刑地にいる一族の生活を支援する計画案をゲオルグに提示したことがあるのだが、使えるような奴がいないから心底どうでもいいと却下しているところを目撃しているだけに困惑せざるを得なかった。

 

 それが表情に出ていたのか、ゲオルグがそれに気づいて誤解を解きにきた。

 

「気にするな。私たちは一門のパーティでエルフリーデとそれなりに面識があるのでな。それだけに少し信じがたくてな」

「そうなのですか。あまりに動揺なされておられたので、深い関係であったのかと……」

「考えすぎだ」

 

 思わずゲオルグは苦笑した。ひょっとするとブレーメは、エルフリーデが自分の婚約者かなんかだと思ったのだろうか? 

 

「それで確認するが、エルフリーデがフェザーンのロイエンタール私邸に匿われていたというのは間違いないのだな」

「はっ、現地責任者のベルンハルトによるとエルフリーデ・フォン・コールラウシュと名乗る貴婦人を内国安全保障局が捕らえていることは間違いないようです」

「……偽物の可能性は」

「偽物の可能性ですか?」

 

 予想外の質問であったが、フェザーン方面より送られてきた少なくない情報を瞬時に脳裏から引きずり出して精査し、その結果を告げる。

 

「あくまで当人がそう名乗っているのみで、身分を証明するものを持ち合わせているわけではないのですから、たしかに偽物の可能性は否定しきれませんが……。わざわざリヒテンラーデの一門に連なる一族の娘の名を語る必要があるとは思えません。となると、やはり本人である可能性が濃厚かと」

「なるほど……。だが、だからこそ偽物である可能性? いや貴族名簿をひっくり返せば本物かどうかはたやすくわかるし、ロイエンタールを陥れるならもう少し……。となると問題は――」

 

 ほとんど聞こえないような声でブツブツと不気味に呟き続ける一回りほど年下の青年に、ブレーメは自分の回答が正解だったのかどうか不安になりながら黙り込む。シュヴァルツァーも顎に手をやってなにかしら考え込んでおり、他の幹部たちも疑問を口にしにくい。一分ほどたって、流石に限界だとハイデリヒは口を開いた。

 

「いったい二人はなにがそんなに気になっているんですか」

「……私の知る限り、エルフリーデは絵に描いたような深窓の貴族令嬢だった。なのにフェザーンにまで逃げ、いや、ロイエンタールの愛人になったのはオーディンであったというから、逃げたのはそちらか。いずれにせよ、温室育ちで純粋培養の貴族令嬢風情が、だれにも見咎められることなく単独で流刑地より世間の荒波を超えて帝国首都中枢部にまでたどり着き、帝国軍最高幹部の一人の愛人におさまる? 随分とおとぎ話じみたことだとは思わぬか」

「では、自力で流刑地から脱出したのではなく、何者かの助けがあってのこととお考えなので?」

「そう考えねば辻褄があわぬ」

 

 ゴールデンバウム王朝の始祖ルドルフは“人類社会の活力は健全な人間によって齎される”という信念を抱いており、劣悪遺伝子排除法を制定して“劣悪な遺伝子を持つ不健全な人間”を大量殺戮する一方、“優良な遺伝子の所有者”である貴族階級に“健全な人間”を増やして人類社会の活力を底上げを計るべしと国をあげて奨励した。その結果、貴族階級の身重の女性の割合が高くなり、母体の安全のために職務を停止することが続出した。それが常態化するにつれ、常に働ける男性とは違って女性は責任ある地位につくべきではないという価値観が帝国社会に徐々に広まっていった。

 

 特にその原因である貴族社会における男尊女卑の気風は強く、女性は家庭的存在であって社会的存在ではないという価値観が深く根付き、女性にはなによりも良き妻であり良き母であることが求められる。くわえて名門貴族であるならば、権威を演出するために日常的な些細なことでも人を使うのは常識的であるばかりでなく、神聖なる義務であるとさえ一般的に認識されていたのだ。名門貴族としての自覚と矜持がある女性ならば、そんな知識や技術を身につけようとはしない。

 

 もっとも、貴族的な意味での『家庭』の範囲は帝国の一般大衆や民主社会の住人の家庭と比較するととんでもなく広大なので、社会的地位がある男性と関係を結んで国政に隠然たる影響力を行使するような女傑もいたし、そうでなくても比較的女性にも門戸が開かれている芸術分野で確固たる地位を築こうとする自立心旺盛な女芸術家もいないわけではなかったが……それは絶対的少数派であり、ゲルオグの知る限りにおいてエルフリーデは多数派の淑女であって、貴族社会における希少種では断じてない。

 

「ではいったいだれが……。ロイエンタールがリヒテンラーデ一族の処分を担当したと聞きますから、実は流刑地に送らずそのまま私邸にかくまっていたということでしょうか」

「それはない」

 

 ハイデリヒの推論を、ブレーメが勢いよく否定した。

 

「リヒテンラーデ一族の命運にかんしては秘密組織ですでに調査済みだ。投資本部資料保管室に勤務している元IMからの情報によると、エルフリーデ嬢は辺境に流刑になったことを示す資料があったそうだ。そして昨年二月に消息不明になったという、それなりの確度がある情報も入手できている」

「つまり、エルフリーデ嬢を秘密裏に帝国首都に送り込んだ勢力がいるということになるわけだ。……遠征軍を動揺させることを目的とした貴族連合残党の仕込みでしょうか」

「ヴァルプルギス作戦を利用して首都星オーディンを掌握したのち、統帥本部総長がリヒテンラーデ一族の娘を愛人にしていることを公表し、遠征軍を動揺させることを目的としたものである、と、言いたいのかシュヴァルツァー? ……一理なくはないとは思うが、それなら事前にこちらと情報を共有しなかったのかが解せぬ。貴族連合残党のクーデターが成功していた場合、速やかに帝国全土の掌握に乗り出さなくてはならぬわけだし、そうなると必然、われわれを完全に味方につけたいと思うはずだ。にもかかわらず、我が一門に連なる娘を道具にした挙句、事後連絡ですませてしまおうと普通考えるだろうか。いらぬ対立の火種になることがあきらかではないか」

「では、閣下は何処の勢力が裏にあるとお考えで?」

「さて。いくつか想像はできるが、これといった確証はない。弾劾そのものは十中八九ラングを中心とする官僚勢力が主体的役割を果たしているのだろうが……」

 

 内国安全保障局次長クラウゼより、部局内にて強力な反ロイエンタール感情が醸成されつつあるという報告がなされている。もともとラングは腐敗が蔓延していた旧王朝の社会秩序維持局にあって、職務に忠実で部下への思いやりがある人柄から一部の局員の間で根強い人気があったし、オーベルシュタインによって内国安全保障局長に任命されてからは、元社会秩序維持局員の経歴のためにろくな仕事にありつけなかった者達を『専門家』として招いて高い地位につけたため、幹部からは恩人扱いされており、局内での人望はかなりある。そんな立派な人間を罵倒したやつを許さぬ、と、局内が反ロイエンタールでほぼ一致しており、内務省を中心に他の部局の官僚達も取り込んで、無視するには少々大きい勢力を成しつつある。

 

 そのため、彼らが流刑地よりエルフリーデを連れ出して、身分を隠させてロイエンタールに接触させ、それをもって陥れる陰謀という見方ができるし、それなりに蓋然性もある。だがそうだとはゲオルグには思えなかった。まだ帝国省庁の大半は帝都オーディンにあって、フェザーンにあるわけではない。一から百までラングを中心とする一派の陰謀であるとするならば、帝都にとどまっている者達がこの一件について知らぬというのはとても違和感を覚える部分だ。そこを含めて考えると、ラングと現地の内国安全保障局の独断によるものであって、流刑に処されていたエルフリーデを利用してロイエンタールを失脚させようと画策したものは別に存在するのではないか。

 

 ではそれはなにかとなると……候補が多すぎて絞りきれない。せいぜい、ラングが反ロイエンタール感情を同じくする者達の大半がオーディンに残っている状態で弾劾を選んでしまうほど魅惑的な条件が揃っていたというのなら、惑星フェザーンの地下に潜伏して自分と同じように謀略を巡らせているのであろう黒狐が何らかの形でかかわっているのではないかと疑う程度だ。

 

「――いささか脇道に逸れすぎておるか。情報不足である以上、エルフリーデの逃亡経緯にこれ以上の仮定を重ねて考察しても、妄想とさして変わらなくなるから一旦脇におこう。肝心なのはロイエンタールが弾劾され収監されたのは疑いようのない真実であるということであり、これによって生じる可能性を検討し、秘密組織がどう対応すべきか考えることの方が重要か」

 

 ようやく想定していた方向に話題が来て、ブレーメは一安心した。報告するに際して今後の帝国軍の動向や秘密組織のとるべき方策については、ある程度思案できている。だからこそ、有益な情報だと嬉々として報告書を提出したのだ。

 

「バーラトの和約の精神に背く策動を行い、それが失敗するとヤン元帥の一党に責任を押し付けた同盟政府の始終一貫しない姿勢をとり続けたことを弾劾し、このような政体を存続を認めるは正義に背くことであるから滅ぼす。これが今回の皇帝親征における帝国の大義名分であります。そこから考えますと、今回の目的は一応は達せられたものと判断して良いものでしょう。そこで軍最高幹部の一人の深刻な不祥事が発覚したとなりますと、ひとまずは統治と防衛のための兵力を残して大部分は本国へと帰還し、体勢を立て直すものかと考えられます」

「此度の大義名分にはローエングラム王朝の旗の下に宇宙の統一を成すというのもあったはずだ。極小の勢力とはいえエル・ファシルの存在を無視して親征を中断するものかな」

「閣下の通り、先日の冬バラ園の勅令の内容から推測するに皇帝ラインハルトにとってはこの余勢をかってエル・ファシル独立政府をも滅ぼし、名実ともに宇宙の統一を成し遂げるつもりがあったことはたしかでしょう。しかしながら、先のオーディンにおけるクーデターの影響で本国の統治機構がいささかの混乱をきたしていることですし、皇帝親征を継続するのは無謀とまでは言いませんが限りなくそれに近いレベルで困難なものとなるとこと疑いありません。いかに圧倒的なまでの戦力優位を誇っているとはいえ、現在の帝国にとって長期戦は最も忌避するもの。それが理解できないヤン一党でもないでしょう。ロイエンタールの叛逆疑惑のために帝国軍が拘束されているだけ、ヤン一党は長期戦に引きずり込むための作戦と準備ができる時間を与えてしまうわけですから、リスクがあまりにも大きすぎるように思われます」

「道理だ。では、秘密組織はどう行動するべきと思うか」

「エル・ファシルまで征服されてしまうことを前提に立てていた例の計画の実施を早めるべきです。くわえて、小なりとはいえ公然とした反帝国的な独立勢力の存在は活用すべきかと。可能であれば独立政府上層部とのコネクションを開拓し、帝国が対話を求めるのであればその仲介役として、帝国が征服を望むのであれば情報提供者として振る舞い、その貢献を持って閣下が帝国の権力体制に復帰する足がかりとすることができるかと」

「……なるほど。立ち振る舞い次第では不可能ではないやもな」

 

 指先で顎をつまんで五秒ほど考えた後、ゲオルグはそう小さく呟いた。とても小さな声ではあったが、自分ならブレーメのいう険しい陰謀悪路を走破こともできないということはないだろうという、自負からきた呟きであった。

 

「では、もし遠征がこのまま継続し、かつエル・ファシルをも征服してしまった場合はどう動くべきと考える?」

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()とゲオルグはかなり深刻に疑っていた。それはラインハルトの能力を高く評価していたためというより、実力によって皇帝位についた男が成し遂げてきた数多の業績に対する迷信的恐怖からくるものであったかもしれない。特に軍事的功績にかけては、軍事の専門家が揃って仰天するようなことを達成し続けてきたのだから。

 

「後方に様々な不安を抱えている現状にあって、遠征継続を強行しても得られるものは少なく、リスクばかりが目につきます。その程度のことはラインハルトも承知していることでしょう。その可能性を検討する意義はあるのでしょうか」

「もっともだが、不安を禁じえぬでな。私は皇帝ラインハルトの軍事的才覚はコルネリアス征服帝を超越し、ルドルフ大帝に伍するものととらえている。それほどの男が多少の政治的不安を抱え、時間的余裕が限られているとはいえ、まだ十分に戦略的優位がある。そういう状況にあって、おのれの軍才に絶対の自信を持つ絶対者が敵を眼前にして撤退という途を選ぶのかどうか」

 

 ラインハルトとルドルフ。どちらがより軍人として優秀であったかというのは、後世の軍事研究家たちにとっても回答困難な命題である。というのも、ルドルフは連邦軍少将で退役して政界進出したため、辺境警備艦隊司令官で軍のキャリアがストップしていてラインハルトのように大軍を指揮したことがない。皇帝に即位すると同時に軍部から大元帥に推戴されて帝国全軍の頂点に君臨こそしたものの、その権能で成した業績の大半は軍組織の改革や軍事行政に関する事柄であって、前線指揮をとっていたわけではない。

 

 ゆえにラインハルトの方が軍人として優秀であると単純に結論できれば良いのだが、そうしてしまうにはルドルフの連邦軍時代の戦功がとんでもない。連邦時代のゴールデンバウム家は代々優秀な軍人を排出してきた家柄ではあったが、かといって軍閥のような影響力がある名家であったわけではなく、身内から将官がでればお祭り騒ぎになるような素朴な一族だった。ゆえに、嫌われつつも皇帝の外戚として一応の配慮を上層部から受けていたラインハルトと異なり、ルドルフは露骨極まる冷遇を受けていた。

 

 具体的には少数をもって多数にあたることを上層部より強制され、部隊に損害を被っても定期的な補充しか受けることを許されなかった。ルドルフが無茶だと多大な兵力を融通するよう要請しても、そんなものは無視された。損傷の激しい艦艇や廃棄寸前の老朽艦艇など用いなければならないような劣悪な環境であった。にもかかわらず、ルドルフは数的には勝る宇宙海賊相手に勝利し続けた。一度は上層部が()()()()作戦行動の詳細情報を外部に流出させてしまったために二〇倍近い宇宙海賊に包囲されたことすらあるが、それでもなお激戦の末勝利した。相手が統率訓練された正規軍ではなく玉石混合の無法者どもであるとはいえ、凡俗には覆しようのない兵力差の敵が相手だろうが神懸った軍事的手腕を駆使して勝利してきたのがルドルフという男なのだ。だからこそ、連邦末期に多くの民衆や兵士の心を奪うことができたのだ。

 

 そんな華麗な勝利の数々があったにもかかわらず、ルドルフはそれが不本意であったようなのである。晩年に執筆された回顧録によると「かなり無茶をして忠勇な兵を少なからず損なったという自覚があったし、本来であれば圧倒的な戦力的優越を築いてから戦端を開くべきなのだという思いもあり、くわえて大英雄たる自分が率いたから勝てただけで、他の指揮官ならたとえ優秀な人材であっても無為に多数の屍を宇宙に散らす結果に終わっていただろう。それくらい最悪な環境であり、いかに現政府が共和主義の猛毒に侵され無責任体質が蔓延っているかを証明していた」と記述している。実際、皇帝になったルドルフは「大軍を率い敵を打ち破ることこそ帝国軍の本道である」と軍部に執拗なまでに繰り返して指導しており、当時のことが一種のトラウマと化していたようでさえあり、やろうと思えばできるというだけで、ラインハルトをしばしば苦しめた自身の軍事冒険家としての一面からくる誘惑とは無縁だったらしいのである。

 

 ともかくそういう面で単純に比較しがたく、戦史研究家たちは各々「艦隊司令官としてはラインハルト、軍官僚としてはルドルフ」「正規戦ならラインハルト、不正規戦ならルドルフ」「五分と五分の条件でならラインハルトが勝利するだろう」「数倍の敵相手に連戦連勝している時点で一指揮官としてはルドルフの圧勝」「ルドルフが前線で大兵力を統率できるとは思えず、ラインハルトのほうが大軍の司令官としての才覚がある」などと評しているが、両者ともに戦史に冠絶する軍才の持ち主という点で一致している。

 

 ……もっとも、そのルドルフの純粋極まる戦略家としての才能が最大限に発揮されたのが、軍務省憲兵隊や内務省社会秩序維持局を駆使した反体制勢力の一斉的な大弾圧であり、それに対する民衆の反発から発生した叛乱の呵責なき鎮圧であるという歴史的事実が、ルドルフに対する評価を難しいものとし、ラインハルトと比べて軍事的才覚を直視しがたいものにさせる心理的作用を後世の研究家に与えていることは否めないが。

 

「少し考えすぎな気がしますが、かといって無視しがたい懸念ではありますね」

 

 毒にも薬にもならないが必要な発言に続けて、ハイデリヒは提案した。

 

「ではひとまず、精鋭をエル・ファシルに潜り込ませるよう命令だけ出しておくというのはいかがでしょう。帝国軍が遠征を継続するかどうか、そう遠くないうちに発表されるでしょうし、独立政府に接触をはかるかどうかはその時に判断しても遅くはないかと」

 

 ハイデリヒの折衷案をゲオルグは了承した。このような任務を任せられるのはベリーニと一緒に秘密組織に加わった元フェザーン工作員だけであり、この頃になると彼らへの嫌疑もある程度晴れていたため、身軽に扱える駒として秘密組織で重宝されていた。

 

 それから約三週間後の三月一九日にロイエンタールの新領土総督内定と親征継続が帝国大本営報道部から発表され、ゲオルグの予感が正しかったことが証明された。これをうけて秘密組織指導部では元フェザーン工作員の潜入命令を撤回させるか否かが議論されたが、より正確な情報を確保するため、親征が終わるまで念のために現地での情報収集を新たに命じることになった。しかし、それでも例の計画を早める必要性をゲオルグは感じていた。

 

 その頃、惑星フェザーンで同じようにロイエンタールの新領土総督内定の情報を得て、思考をめぐらしている陰謀家がいた。中心街から五〇〇キロほど離れたオカナガン山地の館に潜んでいるこの男は、帝国の公権力から追われている国事犯とは思えないほど物質的に恵まれた生活を送っていた。野心家である彼は自治領主になった直後から、万一を想定して秘密裏に設備が整った隠れ家をあちこちに建設していたのだ。そのような狡猾で用心深い一面で、男はゲオルグとよく似ているともいえた。

 

「皇帝ラインハルトとロイエンタールの亀裂は修復したみたいね。それも旧同盟領全体の総督に任じるなんて! あなたの工作は逆効果もいいところだったんじゃない?」

「たしかに修復したかにみえるな。だが、そのために皇帝がロイエンタールにあたえた地位と戦力は過大にすぎる。すくなくとも軍務尚書のオーベルシュタインなどはそう思うだろう。ドミニク、帝国中枢の亀裂は隠れただけで消えてはいない」

 

 対面のソファに腰を下ろす自分の情婦の揶揄を、アドリアン・ルビンスキーは悠然と受け止めてみせた。ロイエンタール弾劾に至るプロセスはいくつかの勢力の思惑の合作によるものであり、そのロードマップを敷いた脚本家がルビンスキーであった。フェザーンのあちこちに潜伏させているシンパより得た、内国安全保障局の焦燥とその長官のロイエンタールへの敵意、自由惑星同盟の使者であるオーデッツ、ロイエンタール邸にいるリヒテンラーデ一族の娘の情報を組み合わせ、オーデッツにロイエンタールの叛意を主張させ、それにラングが飛びつくよう、周囲の人間を操って促したのだ。

 

 そのためラングを中心とする官僚勢力以外の存在としてルビンスキーを疑ったゲオルグの推察は的を射ていたといえるのだが、一点だけ間違えていた。エルフリーデはなんらかの勢力の思惑によって、流刑地から抜け出してロイエンタールの愛人となったわけではなかった。ルビンスキーもあまりにもできすぎていたので、なんらかの紐がエルフリーデについていないかと疑って調査したが、結果としてエルフリーデ自らの意思と、いくつかの幸運と奇縁によるものに過ぎないと結論していた。これにルビンスキーは大叔父の才能でも遺伝したのかと感慨を漏らしたが、もしそれをゲオルグが知ったら憮然とすること請け合いである。

 

「金髪の孺子は今でも前進と上昇のみが自分の人生の構成要素だと思い込んでいるようだが、現状帝国は権勢拡大のいっぽうで内部の空洞化が進行しつつある。今回の一件はもとより、先の帝都動乱でもそれはあきらかだ。にもかかわらず外征を続けようとするのだから、金髪の孺子はそれに気づいていないか、気づいていても軽視している。深刻なほどにな。そのぶん、われわれとしては付け込みやすくてありがたいがね」

 

 現実的な問題として旧同盟領を完全に飲みこめるほど帝国の官僚組織は巨大ではない。それでもなお飲み込んで十全に統治しようとするならば帝国は同盟の政府組織をも飲み込んだり、在野の人材を登用する必要に迫られる。そのどちらであっても、ルビンスキーにとってはありがたいことであった。彼の脳内には利用できる同盟官僚の長大なリストがあるし、一般人を装って体制内部に取り込ませられる工作員のリストもある。質はともかく、数の面で謀略の駒に不自由はしていない。

 

 そしてその旧同盟領を統治する新領土総督にロイエンタールが就任するというのは歓迎すべきことではあった。ロイエンタールと同格の苛烈極まる正論家のオーベルシュタインや清廉潔癖なミッターマイヤーが総督に任命されていた場合を想定するとかなりつけこむ隙がありそうだ。経験上、野心がないくせに理性的といったタイプは謀略にはめにくい。その点、ロイエンタールは万人が認める野心家であり、旧同盟領全体に隠然とした影響力を行使してラインハルトの方に何かしら問題があるような空気をつくってしまえば、大枠でコントロールすることも不可能ではないと思われるのだった。

 

 ラインハルトを中心とする旧来からの帝国領とロイエンタールが管理する新領土が、戦火を交えるかどうかは別として対立してもらえれば、その間隙を利用してルビンスキーは自身の立場を強化し得る。安定より動乱の方が暗躍しやすいのは自明の理だ。

 

「帝都動乱ね……。そういえば、旧王朝の残党があれほどたいそれたことができる実行力も組織力もあるとは思えないって言ってたけど、なにか詳細はつかめたの?」

「確証はないが、エルフリーデ・フォン・コールラウシュの親戚が深く関わっているだろうな」

「親戚?」

「元内務省次官ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデだ」

 

 その名前は把握していたが、意外に思ったのでドミニクは目を見開いた。ラインハルトが帝国の全権を掌握する直前に地下に潜り活動していると推測されるという人物ではあるが、あまり表立ったことはしていないために軽視していたからだ。いっぽう、いった本人は平然としてウイスキーグラスを口元にはこび、ゆっくりと喉を潤わせて続けた。

 

「帝国軍占領以来、このフェザーンの裏社会にはいくつもの新興勢力が勃興しているが、近頃その中のある勢力が他勢力を次々と飲み込んで急速に巨大化している。それ自体は別に不可思議な現象ではないが、連中の動きはあまりに早く、それを実現させている資金力の潤沢さがあまりにも不可解。そこで優秀なエージェントを数名潜り込ませて内部より調べさせたところ、連中は表向きは平和的な反帝国フェザーン・コミュニティであると標榜しているが、実は帝国に深く根をはっている巨大な秘密組織が実態であること。その中枢には旧王朝の内務官僚がかなり所属しているらしいことがつかめてきた。そして現在帝国に追われる国事犯リストの中で、なおかつこれほどの組織を運営しうる才覚を持つ者として、一番の候補にあがったのがゲオルグだ」

「なるほどね。でも、そんなにあっさりあなたの手の者に潜入を許して、それほどの情報をつかませるなんて、情報管理はどうなっているのかしら。あまりにも無謀ではない?」

「それがこの組織のいやらしいところだ」

 

 ルビンスキーは不敵に微笑んだ。

 

「この組織は反ローエングラム王朝の気風が強いが、いってしまえばそれだけだ。明確な犯罪組織ではなく、大部分は帝国の法的にグレーの領域で活動しているだけなのだ。おまけに民衆生活に密着しているから、証拠もなしに弾圧してしまえば民衆の反発を招く。独裁国家らしからぬ開明的姿勢を是とするローエングラム王朝にとって、怪しくても手が出しにくい立場を意識的に確保し続けているのだ」

 

 手の者からは帝国の潜入捜査員と思わしき人物と幾度か組織内で接触しているという報告も受けており、実際帝国側もどのように対処すれば良いか迷っているのだろう。帝国への不満が組織内で渦巻いているのははっきりしているが、言論・思想の自由を認めている以上、明確な敵対行動をとってくれないことには官憲は動けない。

 

「……なるほどね。それでそのゲオルグはどう動くと考えているの?」

「おそらく、このフェザーンに自ら乗り込んでくるだろう。組織中枢の動きがそれを示唆している」

 

 ドミニクは形の良い眉を歪めた。

 

「フェザーン内に秘密組織の構成員が多数いるとしても、あなたの説明通りならゲオルグの味方とは言い切れないわ。直接未来の帝都であるここに乗り込んでくるなんてリスクが大きすぎるんじゃないの? それともそれを理解していないのかしら?」

「おそらくそれを承知の上でもやってくるさ。このまま動乱が収束の傾向に走り続けるとするなら、今が勝負時であると考えてな」

 

 心底愉快そうにルビンスキーはウイスキーグラスに残っている液体を一気に流し込み、妖しい雰囲気を醸し出しながら続けた。

 

「万一、リスクを理解せずに来るというのなら一方的に俺の道具として利用させてもらうが……。いずれにせよ、対面する時が楽しみだな」




FGOの二部三章クリアしました。始皇帝の思想が自分が考えるルドルフ像にけっこう近い気がする。
ルドルフの理想は「全人民が同じスローガンを掲げて一糸乱れずに行進し、優秀な指導者の管理の下に自らの意思で全人民が勤勉に働く」っぽいので、民衆にまったく知恵がなく、ただ安寧を享受するのみというのは忌避するかもしれないけど。

……「もしもルドルフが不老不死だったら」っていう二次でもねぇかなあ

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