リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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ネカフェで久しぶりに20世紀少年を読み直してみた。
……「ともだち」を地球教陣営に放り込んでみたくなった。


自由惑星同盟滅亡前後譚

 宇宙暦(銀河連邦成立を一年とする暦。連邦の正統後継国を称する自由惑星同盟でも使用されている)八〇〇年、新帝国暦二年二月二日、自由惑星同盟軍統合作戦本部長ロックウェル大将の名において帝国軍大本営に対して無条件降伏を宣言した事実は、帝国軍の広報機関を通じて速やかに全人類社会に伝えられ、いまだ帝国軍の占領下になかった地域の同盟軍将兵及び同盟市民に深い衝撃をあたえた。

 

 帝国軍の謀略ではないかと疑った者も少なくなかったが、同盟軍の正式な通信経路で降伏が偽りではないということが全軍に伝えられていることが明らかとなると、ほとんどの軍人は抵抗の意欲を失ってそれぞれの身の処し方を考え、なお抵抗の意欲を失わなかったものは独立したエル・ファシルへの合流を目論んだ。各星系の地方政府の文官たちは役立たずの軍への愚痴もそこそこに、進駐してくるであろう帝国軍に対してどのように対応すれば、民間生活を維持できるかと頭を悩ませる。同盟の滅亡を所与の前提として、未来に向けて行動し始めたのである。

 

 しかし首都星ハイネセンにかんしては、いささか状況が異なった。というのも軍部が戒厳令の名の下に、最高評議会ビルや恒星間通信センターなどの政治・交通の要衝を占拠して徹底的な管理支配下におき、しかも矢鱈と軍人たちが高圧的に振る舞ったことで、まるで四年前の救国軍事会議のクーデターのようではないかと民衆の間に戒厳令への不満が吹き荒れたのである。

 

 それが暴動に発展することを恐れたロックウェル大将は「降伏に際しての不測の事態に対処するため、最高評議会の要請を受けての一時的措置である」と首都星の民衆に向けて説明した。だが、それから一時間もせぬうちに過激国粋主義団体“憂国騎士団”が「統合作戦本部の発表は虚偽欺瞞に満ち満ちている。ロックウェルとその飼い犬どもが命惜しさに帝国追従行動に走り、最高評議会を排除してかかる売国的行為に及んだのが真相である。信頼できる情報筋によれば、われらが国家元首ジョアン・レベロ氏はすでにこの恥を恥とも思わぬ卑劣な売国集団に暗殺されているという。国家存亡を占うこの重要な時期にあって、全人類が未来永劫許し得ぬ大罪を犯した者どもをどのように処すべきであろうか。誇りある真の国民であれば、言われるまでもなく自明であろう」という正面から相反する趣旨の本部声明を発表し、全団員と賛同者を動員して約二〇万人を結集させ、統合作戦本部政権への大衆闘争に乗り出した。

 

 これに対して統合作戦本部は「悪意ある捏造・歪曲・中傷の類。彼らこそ、自由惑星同盟の終焉を汚そうとしている」と述べただけで有効な反論ができなかった。実際、憂国騎士団の発表が真実をついていたからであり、ロックウェル大将は同盟領全体に真実が知られて収拾がつけられなくなる事態を恐れ、恒星間通信ができる施設の防御を固め、防衛部隊に死守命令を出した。それは憂国騎士団の発表こそが正しいと認めている行為であると、無言のうちに民衆に知らせるに等しい行為でもあった。

 

 かくして首都星に残っていた軍人たちは、軍を重視して進駐してくる侵略者たちのために国家元首を殺した者どもの命令に指揮系統通りに従って反帝国の声をあげる憂国騎士団の趣旨に賛同して挑戦してくる民間人を弾圧するか、あくまで国家を重視して卑劣な軍から脱走してロックウェルらに鉄槌を食らわせて帝国軍相手に民衆もろとも玉砕する道を開くか、究極の二択をつきつけられた。ここまで事態が逼迫してしまった以上、それ以外の中途半端な選択肢はありえない。現在の統合作戦本部政権を打倒して同盟を指導しようとするであろうのは、同盟領の寸土にいたるまで焦土と化しても最後の一人に至るまで悪逆なる侵略者と果敢に戦い、自由と民主主義の精神は何者にも征服されなかったという不朽の事実を歴史上に刻み込むべし、と、開戦以来主張してきた憂国騎士団とその類似勢力であるに違いないのだ。

 

 結局、圧倒的大多数の軍人たちは心底不満ながらロックウェルの命令に従った。玉砕を覚悟していた過激派軍人であってもここまで状況が混沌としていては軍が一致団結しての抵抗活動を統制するのは難しく、帝国軍の進撃の障害にすらなれないのではないかという危惧。すでにアレクサンドル・ビュコック元帥が残存の艦艇戦力を結集して帝国軍相手に散華していたから、それで最低限の同盟軍の名誉を守れたのではないかと思えたこと。さらに憂国騎士団が時々の政権に癒着して横暴を働いていたことから民衆から嫌われており、彼らが主体となって新政権を構築しても民意を得られないと考えられたことなどが理由として考えられる。なによりロックウェルが保身に走ったせいで徹底抗戦路線はできなくなったということにしてしまえば、軍人としての矜持をあまり傷つけずに命永らえることができるという無意識下における打算もあっただろう。

 

 同月九日、銀河帝国皇帝ラインハルト一世率いる帝国軍はなんの抵抗もなく、首都星ハイネセンを堂々と凱旋した。その際、市民による暗殺未遂が一件あったのみで、なんら抵抗を受けることはなかった。自己の生命すら捨て去る覚悟があった徹底抗戦勢力は、本来敵であるはずの同盟軍によって首都星ハイネセンから一掃されるか、地下に潜ること余儀なくされていたからである。まったく皮肉というしかなく、長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の末に民主共和政体を復活させた建国者たちが死後の世界でこのことを知れば、滅ぶにしても滅び方というものがあるだろうとさぞ嘆くに違いない。

 

 同盟の民衆にとってささやかな救いとなったのは、ロックウェル大将以下一一人の叛乱将校グループは帝国軍が進駐してきた初日に公開銃殺刑に処されたことである。当然、ロックウェルにとっては不本意で理不尽に思えたことであろうが、上司を暗殺した上に民衆を弾圧した卑劣な輩など他に遇する道など帝国軍は知らなかった。さらに同盟軍戦死者遺族及び傷病兵に対して帝国軍のそれに準じる形で遇することをはじめとして、所属に対していっそ無分別ともいうべき寛大さをラインハルトがしめしたため、侵略者への反発や祖国滅亡の悲嘆などが奥底にたゆたってはいたが同盟民衆は釈然としないながらも帝国軍の占領を渋々だが受け入れていった。

 

 二〇日にラインハルトは冬バラ園の勅令を公布した。それは同盟が完全に滅亡したこと確認し、人類社会を統治する政体は、唯一銀河帝国政府のみであるという内容のもので、事実上の勝利宣言であった。こうして宇宙暦五二七年、旧帝国暦二一八年に建国された自由惑星同盟は二七三年間の歴史に名実ともに幕を下ろしたのである。

 

 翌日、ラインハルトは接収して仮の大本営としたホテルに最高幕僚を参集した。それは先の親征の際、同盟征服に驀進する帝国軍の隙をつかれ、またもや奇策でもってヤン艦隊に奪取されたイゼルローン要塞を、自ら出陣して攻略する意志を諸将にしめすためであった。

 

 統帥本部総長ロイエンタール元帥は若い主君の衰えぬ覇気を好ましく感じたが、近衛部隊を中心とする反動クーデターのために帝国政府が混乱している今、皇帝親征を継続することは危険であるとして、イゼルローン要塞攻略は自分たちに任せて皇帝はフェザーンに戻り、国家体制の再整備を行うよう諫言した。ロイエンタールの親友であり、宇宙艦隊司令長官であるミッターマイヤー元帥もそれに和したが、若き偉大な征服者の意志は揺らがなかった。

 

「卿らの武勲を横取りする気はないが、予はヤン・ウェンリーと決着をつけたいのだ。あの男のほうでもそう思っているだろう」

 

 もしヤン・ウェンリーがこの発言を聞いていたら、別にこちらは常勝の英雄相手に決着をつけたいと思っているわけではないとでも言ったかもしれないが、そんなことは帝国の主要陣の関知するところではなかった。

 

「陛下、両元帥の仰るとおりです。どうぞひとまずフェザーンへお帰りください。陛下がいらっしゃればこそ、フェザーンは安定し、全宇宙の中心として礎を固めることができます」

 

 そう発言して両元帥の援護射撃したのは、皇帝筆頭秘書官ヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフである。反動クーデターによって損害を被り不安定化していることもさることながら、フェザーンも帝国領に正式に編入してから一年近くしか経過しておらず、いまだ帝国に自治権を奪われたことに否定的なフェザーン人が少なくないことや前自治領主アドリアン・ルビンスキーなどの不穏分子が地下に潜伏しているなど、問題要素がある。

 

 もちろん、フェザーンを新たな帝国首都とする構想のために常に重視してきたし、軍中枢をフェザーンへ移してからは工部尚書兼帝国首都建設本部長官ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒを中心とする開発統治体制を敷き、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインが治安面を受け持っているが、皇帝の帝国領長期不在に付け込んで地下に潜伏している者たちが蠢動し、新帝国を揺らがす危険性は否定しきれない。

 

 もちろんラインハルトもそのことはわかっている。だが、それでもこの機に自分の手でヤンを倒し、全人類社会を征服してしまいたい誘惑にかられていた。くわえて、それを正当化しうる要素もいくらか見つけてしまっていたのである。

 

「慎重も度が過ぎれば優柔不断のそしりをまぬがれぬ。イゼルローンを失って予がそのまま帰路につけば、反帝国勢力は予がヤン・ウェンリーに不戦敗したと思い、彼を偶像視してその周囲に結集するだろう」

「陛下、お考えください。ヤン・ウェンリーが戦術レベルで万全を期すのであれば、イゼルローン要塞にこもって堅守するしかありません。それは回廊の両端をわが帝国軍の支配にゆだねることとなり、戦略レベルにおいてなんらの効果をもたらさぬこととなります」

「迂遠なことを言う。ヤン・ウェンリーはすでにエル・ファシルを占拠し、回廊の出口をおさえているではないか」

「さようでございます。ですけど、この場合、戦略レベルの条件をみたすことは、戦術レベルにおいて過度のささえ要求することとなります。ヤン・ウェンリーの戦力はもともとイゼルローン要塞のみを防衛するにも不足しがちなのです。その過小の戦力でもって、エル・ファシルまでも軍事的に確保し安定させるのは、困難の極といわねばなりません」

「なるほど軍事的には道理だ。だが、われわれとヤン・ウェンリーでは政治的な前提条件が異なる」

 

 ラインハルトは低く笑った。

 

「そもそもにおいて、エル・ファシルを軍事的に確保しておく必要は薄いと向こうは判断しておるかもしれぬ」

「なぜでしょうか」

「われわれが旧同盟領の恒久的支配を目的としているからだ。そうである以上、民間人を巻き込んだり、非戦闘員を狙って殺傷するがごとき行為は可能なかぎり避けねばならぬ。予の矜持が許さぬのもあるが、それが帝国に対する憎悪と敵対意識を育て、後々の統治に大きな支障をきたす禍根になることは明らかだからな。そして、エル・ファシル独立政府の指導者らはトリューニヒトのような下衆と違い、生命より矜持を選ぶような人物であるという情報部の分析がでている。となると、艦隊の砲口をつきつけたとしても折れはすまい。むしろ、そうした行為を卑劣と旧同盟民衆から捉えられ、強い反発を生むであろう」

「ですが、ヤン・ウェンリーがそういった民衆を盾にするがごとき戦法を是とするでしょうか。くわえて、いくらわれわれが被占領民に寛大であらなくてはならないとしても、政治的指導層に寛大である必要はありませんわ。処刑することはないにしても、無用な策動をせぬよう拘禁するのは妥当でしょう。それは民主主義的に理想の軍人であることにこだわっているヤン・ウェンリーにとって許容範囲内におさまるのでしょうか」

 

 ヒルダの疑念に、ラインハルトは愉快げに微笑んだ。

 

「たしかに。だが、エル・ファシル周辺の有人惑星は、ファイアザードの一件で明らかなように、ここ数十年にわたって主戦場となっていた区域であるだけに民間レベルで反帝国意識が強い。下手にそのような行為をすればエル・ファシルの民衆全体と敵対しなくてはならなくなるやもしれぬ。民衆を殺戮し恐怖による統治を是とするルドルフのような男ならいざしらず、予はそのような愚行をする気は無い」

 

 ラインハルトの言うファイアザードの一件とは、帝国軍が占領した惑星ファイアザードで一〇日に起こった反帝国暴動のことである。諸説あるが、切欠は非番だった帝国軍士官達が皇帝ラインハルトが同盟首都ハイネセンを凱旋したことを祝して酒盛りしていたことだった。ほどよく酔いがまわってきた彼らは声を揃えて“滅共の咆哮”という軍歌を高らかに歌い出した。旧帝国歴四二年の皇帝ルドルフ一世の死を契機として発生した共和主義者の大反乱が起こった時期に作詞作曲された帝国軍歌で、同盟におけるイメージは戦争映画やドラマで大虐殺を行った帝国軍人たちが歌っているという最悪なものである。

 

 そんな軍歌を誇らかに大声で唱和する侵略軍の一団に、周囲の同盟人たちが不快感と反発をいだくのは当然のことといえただろう。そして勇気ある、もしくは無謀な同盟人の一人が顔を真っ赤にして「ここで忌々しい虐殺の歌を歌うな!」と憤激した。同盟人にとっては常識的で、しかもささやかな要求であったが、要求された側にとっては違った。任務の遂行と関係ないところで被占領民の反感を募らせるような行為は厳に慎むべき――そう帝国全軍に訓示されており、帝国軍士官たちも常ならばマズい事をしたと思い、素直に謝罪して穏便に事をおさめることを選んだかも知れない。だが彼らは酒にしたたかに酔っていた。そしてそれ以上に祖国の偉大な勝利に酔いしれ高揚していた。

 

 その気分を敗戦国の邪悪な共和主義者風情が水をさしたのである! かつてゴールデンバウム王朝において、共和主義者というのは無条件に殺すべき不逞の輩で、悪魔でも鼻白むほどの悪辣さと非情さでもって社会を混乱に陥れ、卑劣なテロリズムで指導者階級を良民ごと殺戮して恥じない連中であると臣民に教育していて、彼らもその偏見に多少とらわれていた。無論、士官として今の時代まで生き残れているので、開明的な現体制の気風にあわせてそうした感情を内心にとどめられる理性も持ち合わせていたが、万能感にも似た気分の高揚から理性より感情を優先してしまい、些細なことで難癖をつけてきた共和主義者への怒りと敵意しか湧いてこず、批判してきた同盟人を罵倒しかえした。

 

 そのために破局は当然の帰結だった。あまりにも傲岸な帝国軍士官グループの態度に、遠巻きに見ていた同盟人たちも怒り、非難の声をあげはじめた。下賎な敗戦国民が図に乗るな!と帝国軍士官の一人が批判者に暴力を振るうと、民間人の一人が懐からブラスターを取り出してその士官を銃撃。仲間の血を見た帝国軍士官たちは、身の程をわきまえない共和主義者どもを徹底的に膺懲(ようちょう)してやろうといきりたって銃を抜き、多くの民間人が銃殺されたのである。

 

 銃撃戦が起きた段階で酒場から逃げ出した一団が、大声で他の者たちにそのことを触れて回った。多くの者たちは不安に思い、おとなたちはかつての帝国軍がこの惑星を占領した時の惨劇を連想した。占領者として帝国軍人たちが暴れまわり、怯えて暮らした時代の情景をありありと思い出した。今回の場合、帝国軍は紳士的な態度をとっていたので、虎の尾を踏むべからずと多くのファイアザード市民は考えていたが、帝国軍士官が死ぬような事件が起こってなお、それが維持されるとは考えられなかった。必ずや報復的な行為がなされるはずに違いない。そう考えた彼らは次々に武器を手にして自発的に蜂起した。

 

 もとより同盟領の中でも帝国への不信と嫌悪が強い方の土地柄である。そこに一度切欠となる火矢が放たれると、燎原の炎のごとく拡大し燃え上がったのである。最初は数十人程度の規模にすぎなかった暴徒の数が、見かけた帝国軍人を血祭りにあげていくうちに膨れ上がっていき、わずか三時間程度で約一五万にまで拡大した。彼らは口々に「エル・ファシルに続け!」「ヤン・ウェンリー元帥とともに帝国軍を追い出せ!」と連呼し、自由惑星同盟の国歌を口ずさんで行進した。これを受けて帝国軍の現地駐屯司令部が武力による民衆蜂起鎮圧を検討したのは職務上当然のことであったが、ファイアザード星系政府の面々が仲介に立ち、民衆暴動の沈静化に乗り出したため、民衆から憎悪されることを避けるために星系政府に協力して事態をおさめた。

 

 しかしファイアザード星系政府も決して帝国に好意的であろうとしたわけではない。むしろ彼らの感情は民衆側に寄っていた。ただ単に、星系政府の独立性を維持して民衆の安寧を守るために蜂起を選択するのは、現在の帝国軍の圧倒的優位を思うと最終手段にするべきであって、今はヴァラーハ等の旧主戦派星系と足並みを揃えて雌伏しておくべきと冷静に判断しただけにすぎない。このように民衆と帝国の間でバランスを取って立場を強化する狡猾で強かな政治家が複数いる。これは帝国にとって大いに憂慮すべきことであった。

 

「このままの状況を捨ておくのは危険だ。やつらの心の拠り所がエル・ファシル、いや、究極的にはヤン・ウェンリーが起こしてきた奇跡であり、またもやイゼルローン要塞を陥落させた事実であり、予を打倒しうる可能性を秘めているからだというのであれば、それが所詮は儚いものであると予がヤン・ウェンリーを倒し、イゼルローン要塞を再奪取して思い知らせてやらねばならぬ。それで連中の大半も諦めがつき、イゼルローン回廊からこちら側よりの宙域一帯を早期に安定化させることができよう」

「陛下の仰ることもごもっともながら、本国政府に不穏がある今、短期決戦を狙うのは不安がおおくはございませぬか」

 

 皇帝首席副官アルツール・フォン・シュトライトの懸念を、ラインハルトは鼻で笑った。

 

「帝国の存続だけを考えれば卿が正しいやもしれぬな。だが、先も言ったように予がこのまま帰路につけば、旧同盟領内の反帝国勢力は予が恐れて逃げ出したとみなすに相違ない。そしてそれは現地の民衆がより強固に反帝国意識を持ち、指導層と一蓮托生の関係になることを決意させかねん。早期にやつらの心の拠り所をへし折らねば、最悪の場合、イゼルローン方面は民衆の支持を得た反帝国のゲリラが跳梁跋扈することとなり、帝国の統治を行き渡らせるには多くの民間人を巻き込んで流血を招くこととなる。そうなってもゴールデンバウム王朝の皇帝どもならば気にせずに強行したであろうが、予はそのようなことを望まぬ」

 

 結局、この日の会議では結論が出なかった。今の本国の不安を考えて皇帝をフェザーンに戻すか、将来に禍根を残さぬために皇帝親征を継続するか。最高幕僚たちは容易に判断できなかったのである。もちろん、万全を期すのであればここで一旦親征を中断するのが正解なのであろうが、皇帝の指摘と親征継続への熱意を思うと、ここで中断したらしたで別の問題が生じうる懸念を最高幕僚たちはせざるをえなかったためでもある。

 

 最高幕僚だけでは結論が出なかったので、ラインハルトは大本営の全将官を集めて連日会議を開き、帝国軍将官たちの心を親征継続へと傾けていったのだが、唐突にイゼルローン方面への出兵の延期を告げた。二六日の深夜にフェザーンから内国安全保障局長ラングと司法尚書ブルックドルフの名でロイエンタールの叛意を告発する報告書が皇帝の手元に届けられ、ひとまずその審問を優先することになったためである。この現象を引き起こすために必死で活躍した自由惑星同盟国防委員会委員オーデッツの、自分の弁舌で帝国軍を止めるという目的がこの時達成されたわけであるが、肝心の守るべき祖国がすでに滅んでいたのは残念なことであったろう。

 

 ロイエンタールが流刑に処された一族の娘を匿っていた問題に対してどのような処罰をあたえるべきか翌朝から審問が開始された。が、弁明の場でロイエンタールから告発内容は事実であり、軽率さを恥じるが、それを叛意の証拠ととられては不本意であると堂々と言われてしまい、ラインハルトは内心どうしたものかと戸惑った。

 

 正直なところ、ここまで率直な事を言ってきた時点で叛意がないことは明らかだとラインハルトには思われた。長い付き合い故、完全に理解しているわけではないにしても、ロイエンタールが単純ならざる性格の所有者であることも承知している。だからもしロイエンタールが本気で反旗を翻すのであれば、こんな馬鹿正直に事実を認めることもあるまい、という奇妙な信頼をしていた。だから叛意についてこれ以上問答するつもりはない。だが、さすがに自分が直々に決定した相手を私邸にかくまっていて無罪放免というわけにはいかない。そんなことをしてしまえば、皇帝としての権威にかかわる。となると、どのような処分を下すかが問題となる。ロイエンタールは得難い人材なので悩ましいことであった。

 

 問題行為をした名将にたいし皇帝がどのような決断を下すであろうかと不気味な静寂が帝国軍全体に流れていた三月一日の午後一〇時。後の世にいうところの“ハイネセンの大火"が発生する。夜が明けて暁の光がハイネセンポリスを照らすまで続いたこの大火災の損害は、焼失面積が一八〇〇万平方メートル以上に及び多くの歴史的建造物が灰燼に帰した。このため、勝ち誇った帝国軍が旧弊を一掃しようとして放火したのだとハイネセン市民の間では噂された。旧同盟軍残党によるテロ行為をという噂もあったが、こちらはあまり支持をえなかった。大火の混乱に乗じての反帝国暴動がたいして起こらなかったからであるが、それは現場指揮に当たったミッターマイヤーを中心とする帝国軍諸将の沈着な指揮ぶりと、統帥本部総長としてロイエンタールが綿密に配慮して策定していた緊急事態処理の教本(マニュアル)があったため、帝国軍将兵が効率的に行動して動揺しなかったためである。

 

 とはいえ、それらはすべて混乱につけこんでの突発的暴動にすぎなかったと知って、ハイネセンの首都治安を任されていた憲兵副総監ブレンターノ大将は困惑した。もし大火がいずこかの反帝国勢力による計画的犯行であったのだとすれば、組織的蜂起があってしかるべきなのにそれがなかったからである。そして数時間後に火災原因を特定した憲兵隊からの報告を受けて、途方に暮れざるを得なかった。なんでも旧同盟軍から鉱山開発用に民間に払い下げられたゼッフル粒子発生装置によって下空間に可燃性の危険粒子が充満してそこに引火したというのが原因であり、おそらくは同盟政府崩壊の混乱の中でスイッチをオンのまま工事にあたっていた者たちが逃亡してしまったためであると推測されたからだ。

 

 とどのつまり失火であったのだが、帝国軍にとってはタイミングが最悪であった。被災規模もあって、第三者視点ではなにかしらの意図があってのことに違いないようにしか見えない状況であり、失火という真実を発表してもハイネセン市民は信じないだろうし、帝国軍が侵略者として破壊を行なった行為を隠蔽しているととられる可能性すら濃厚である。さらには帝国軍にあってさえ、旧同盟勢力による放火と信じている者が多いのだ。そうなると人心の安定のためには、放火犯を特定して吊るし上げるしかないのだ。存在しないにもかかわらず、万人が「やつらならやってもおかしくない」と納得がいく放火犯を。

 

 だれを犯人として捏造し検挙するか、憲兵隊は熟考した。今後の支配統治を考えると、帝国軍の過激分子を犯人とするのは難しい。となれば、旧同盟勢力の組織を犯人としてしまうのが帝国にとってはおさまりがよいのだが、弾圧することによってその組織が反帝国の象徴として祭り上げられてしまう可能性を下げる必要があった。やがていくつかの犯人候補の中から憂国騎士団残党を放火犯に仕立てあげることが決定された。トリューニヒト政権下にあって猖獗(しょうけつ)をほしいままにしていたために同盟民衆に嫌われていて、なおかつ直近で降伏に納得せず蜂起した前科がある。さらに調査の過程で皇帝暗殺未遂を起こした地球教団と資金や人員の面で深い関係があったことが判明したため、放火犯に仕立てあげる事を別としても純粋に帝国にとっては検挙すべき対象であるとみなされたのだ。

 

 憂国騎士団員およびその関係者、約二万四六〇〇名が検挙対象とされたが、これが簡単にはいかなかった。トリューニヒト政権崩壊後、利益ゆえに好戦的態度をとっていた輩が姿を消し、残っていたのは筋金入りの反帝国思想者や狂信的愛国者ばかりだったので、帝国軍の強制検挙に武力でもって反抗した。そのため、五二〇〇名が帝国軍によって抵抗中に殺害され、一〇〇〇名近くが隙を見て脱出し、検挙できた二万足らずの団員も重軽傷者ばかりという散々な有様だった。しかし結果として、その勇猛さが逆に「本当に憂国騎士団の仕業だったのでは」と少なくないハイネセン市民に半信半疑ながら思わせることに成功したのだから、人心の安定という当初の目的を考えると大成功というべきであるのかもしれなかった。

 

 このような事態があったため、ロイエンタールへの処分通達は一九日までずれ込んだ。緊急事態処理教本の策定とその浸透によって、先日の大火の混乱を最小限にとどめた功績があらたにできたことから、おそらく軽めの処分ですむだろうと大本営に集まった軍の最高幹部は予想していた。しかし、皇帝の発表によって、一瞬その予想が裏切られた思いがした。

 

「ロイエンタール元帥、卿の統帥本部総長の任を解く」

 

 帝国軍三長官からの解任。それは諸将にとってあまりにも重すぎる罰であるように思われたが、続けて発せられたラインハルトの宣言で、ふたたびそれは裏返された。

 

「かわって卿に命じる。わが帝国の新領土(ノイエ・ラント)の総督として惑星ハイネセンに駐在し、旧同盟領の政治及び軍事のことごとくを掌管せよ。新領土総督は皇帝たる予にたいして責任を負うものとし、統帥本部にかんしては予みずからこれを統轄する。以上の人事は、イゼルローン要塞に拠るヤン・ウェンリー一党を屈服させたのちに発効する」

 

 ロイエンタールはうやうやしく頭を垂れて隠れた秀麗な顔には血がのぼっていた。これは処分などではない。事実上の昇格だ。軍務尚書オーベルシュタインと形式的に並ぶ地位になったのである。いや、皇帝の代理人として宇宙の半分を統治し、数百万の実働兵力を指揮下に置いて自分の権限だけでそれを動かすことが叶うのだから、実質的には帝国のナンバー・ツーになることが内定したといっても過言ではない。愚かしい真似をした自分を信じ、このような立場をくれた若い主君に、恐縮するばかりだった。




+滅共の咆哮
帝国歴四二年に初代皇帝ルドルフが没し、歴史的に見て強力な独裁者の死は体制内部に動揺を齎すのが常であり帝国も例外ではないと分析した共和主義勢力が、連邦復活を求めて帝国各地で決起し、それに呼応した民衆もあわせて五億人にものぼる大規模な反乱へと発展した。
しかしながら結果として彼らの分析は誤っており、ルドルフが生前に自分の死後の後継体制の準備をしっかりと整えており、帝国は寸毫も動揺することなく、反乱勢力の粉砕に熱中して圧勝した。この時期に作られた帝国軍歌がこれである。
「ルドルフが遺した帝国の秩序を共和主義の叛乱から守る」といった趣旨の内容の歌であり、そのため自由惑星同盟との戦争がはじまってから再び帝国軍将兵の間で人気が出て、盛んに歌われるようになった。
ローエングラム独裁体制が確立すると、あまりにも敵意を煽るような歌であると問題視され、歌われることが禁止されたが、それでも一部の将兵がこっそりと愛唱していたという目撃談は数多く、ファイアザードの暴動も火種はその歌の是非を巡って帝国軍と同盟市民が言い争っていたのが様々な要因によってエスカレートしていったという説が有力である。
以下、歌詞全文。

全人類が敬愛する超新星の英雄は、未だかつてなかった光輝ある栄光の新時代を切り開いた
その神々しき偉大な輝きをもって、未来永劫続く鉄壁の秩序を築き固める空前絶後の偉業を成した
反動旧弊の共和主義の畜生どもが私利私欲の欲望を満たさんと、轟々たる濁流如くに狂奔する!
残忍な奴らは再び無明の暗黒時代を復活させようと画策し、われらが家族を凌辱せんと熱狂す!
兵士らは使命感を胸に双頭鷲の旗の下に結集し、黄金樹の秩序を守るために出征して咆哮せん!
滅共! 滅共! 滅共! 反動の共和主義者を一匹残らず地獄に叩き落とすまで滅共と咆哮す!!
かくして兵士らは故郷に凱旋し、勝利の栄光を噛み締め、すべての民に誇らしく宣言するのだ!
共和主義には破滅の運命のみがあり! 大帝の遺せし帝国の秩序は何ぴとにも侵す事叶わぬと!!

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