リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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大体の話の流れはできてるのに、いざ書こうとすると、しっくりくる文言がでてこない時ってありません?


残照

 新帝国暦二年はローエングラム王朝が成立して初めて新年を迎えた年であるが、それだけに新年をどのように祝うかが大きな問題となっており、繊細な調整が求められた。後世からすればいささか滑稽に思えることではあるが、当時の為政者たちにとっては意外と無視できない国政の今後を左右する重要な要素であったからだ。

 

 それを理解するためにはまずゴールデンバウム王朝時代の新年祝いを知る必要があるだろう。年明けに備えて各有人星系の統治機構が街中を煌びやかに過剰演出気味に飾り付け、非凡な国家大改革の指導によって人類社会の混沌と腐敗を一掃して強固な社会秩序を築きあげ、人類史上にいまだ嘗てなかった繁栄と平和を人類社会に齎したルドルフ大帝、そしてその偉大な祖国を破壊せんとする反体制分子の脅威をことごとく粉砕して今日まで存続させた偉大なるゴールデンバウム一族の賢明なる領導を讃え、歴代皇帝の巨大肖像画を掲げて民衆が街中を練り歩くのである。

 

 しかしルドルフ大帝やジギスムント一世が統治していたような大昔、あるいはマクシミリアン・ヨーゼフ二世のような名君がいた時代ならいざしらず、フリードリヒ四世の停滞と閉塞の時代にあっては、多くの臣民にとって新年祝いは国家への忠誠心を周囲に誇示する場というより、ただ公然とお祭り騒ぎができる機会として臣民は認識していた。しかもその祭事における最大の関心事というと、参加することによって配給される酒やお菓子はなんだろうかという、およそ支配体制を賞賛することから程遠い次元の事柄であった。

 

 ラインハルトが帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任してローエングラム独裁体制が成立した際、開明派を中心にもはや個人崇拝でしかない政府主導の新年祝い行事廃止が主張されたのだが、意外に根強い民衆の支持があった――昔からの祭事だから廃止するのは抵抗があるし、なによりお祭り騒ぎがしたいというのが実態で、別に今のゴールデンバウム王朝を支持ではない――ため、看板だけはまだゴールデンバウム王朝だった旧帝国暦四八九年と四九〇年の新年祝いは大幅に規模を縮小したものの、概ね今まで通りの形式で新年祝いを行うことが許可された。しかし今度は民衆から「派手さが足りない」と不満が寄せられていた。

 

 こういう経緯を知ると、ローエングラム王朝にとってそれなりに重大な問題であることが理解できただろう。旧王朝からの中堅官僚たちは「ルドルフ大帝の代わりに現皇帝陛下の肖像画を民衆に掲げて讃えさせればよいのではないか」とごく平凡な案を出したが、開明派は強硬に反対し、当のラインハルトも「予の羞恥心を刺激して憤死でもさせたいのか」と憤激して拒絶したので不可能である。

 

 しかしかといって、新王朝が旧王朝の絢爛豪華な虚飾との決別を主張している以上、今まで通りに旧王朝時代の皇帝を賛美するのは論外である。各星系の歴史的人物に感謝を示すという案も出たが、ブルヴィッツの虐殺の一件の記憶が生々しい現在にそれをすれば、旧領主崇拝へと結びつきかねない危険性がある。結局、国務尚書マリーンドルフ伯の判断により、北欧神話の神々に新年を迎えられたことを感謝するという形式で新年祝いを許可。実在人物の肖像画使用禁止などの禁則事項を定めた上で、各星系の総督府に大きな裁量権を与えて臨機応変に対処させることとした。

 

 たまったものではないのが各星系の総督府である。とりわけ、権威への素朴な敬愛が色濃い星系の総督府は、「なぜ皇帝の肖像画が使用不可なのか」という住民感情に配慮しつつも中央の指示を守るという難しい調整を強いられた。特にゲオルグが潜伏しているアルデバラン星系も混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件のせいもあって、ルドルフやラインハルトの評価が高まっていたので「なぜいけないのか」という反発が強く、折り合いをつけるのに総督府全体が総出で働かなくてはならないほどだった。

 

 末端役人なのに膨大な仕事が割り当てられたことにゲオルグは裏事情を知っているグラズノフ総督に文句を言いたい気分になったが、自分の手を借りたいまでに住民感情の処理に悩まされているのかと思うと多少の同情もあって、黙って表向きの仕事をこなしつつ、合間を縫って秘密組織の指揮をとった。とりわけ、将来の帝国首都フェザーンへの工作員浸透は、今後の計画もあって疎かにはできなかった。

 

 結果として、ひそかにルドルフやラインハルトを讃える歌を熱唱する民衆を総督府が黙認することによって、なんとか新年祝いを乗り切って祝賀ムードも冷めてきた一月一〇日。かねてより要望していた書類が調達できたとアルデバラン系地方新聞社“ノイエス・テオリア”の人事部第二課長である秘密組織構成員から報告がきて、ゲオルグはハイデリヒを連れて映画劇場で接触した。

 

 事前に別々で午後二時から『真クーシネンの物語』が上映される会場の最後列で一般席のチケットを購入しているため、普通の客に扮して自然に相手と接触することができた。上映が始まるとゲオルグは前もって決めていた合言葉を使って、隣席の頭部が禿げ上がっていて寂しいスーツ姿の中年が接触相手かどうか確認した。

 

「クラメルは元気ですかな?」

「エリザ・クラメルは容体が急変しました」

「……ノイエス・テオリアの人事部第二課長だな」

「はい、上層部の方。こちらが例の書類一式になります」

 

 新聞社の第二課長は持っていたブリーフケースからカーキ色の分厚い封筒を取り出した。それを受け取ってゲオルグは紐の封を外して中身の資料をなかばまで取り出し、大雑把に確認しながら質問をはじめる。

 

「念のための確認だ。ラルド・エステルグレーンで間違いないな」

「はい。サツ回りの取材を担当している記者のものです」

「サツ回り? こちらが要請していたのは政治担当だが」

「ええ。ですがちょうどいい人材を欠いておりまして……すべて偽造するのも技術的に難しく、そこで今年に政治部に転属という形式をとります。それであれば、さほど問題はないかと」

「なるほどな。だが、本人は納得しているのか」

「金を与えて地球支部で全面的に面倒をみます」

「地球支部?」

 

 意外な発言に、ゲオルグは首を傾げた。

 

「あんな辺境に貴社の支部があるとは知らなかったな」

「皇帝暗殺未遂事件を受けて、地球教関連の情報収集のために昨年暮れに新設されたばかりの支部ですからね」

「しかし軍の取り締まりに対して、地球教本部は自爆という途を選んだと聞いた。陰謀を巡らせていた頭脳部が既にないのだ。取材もなにもあったものではなかろう」

「ええ、ですが、地球教という宗教そのものに興味を持っている読者層が一定数おりましてね。そのレポートの連載記事が意外と好評なのですよ。読者の反応を分析していると、純粋な興味や知識欲というよりかは数百年前の亡霊というものに対するオカルト趣味や怖いもの見たさからきているようですが。売れる以上は情報収集して記事にするのがジャーナリズムというものです」

 

 そう言われてゲオルグは納得する。世間一般の情報感覚を養うために昔から新聞を購読しているが、地球教本部壊滅以来、おおきくそれを扱った報道がないために既に旬を過ぎたのだろうと早合点してしまっていた。しかし細々と地球教関連の記事がまだ続いていることを思うと、興味がある読者がいるのはたしかだろう。

 

 ついでに皇帝暗殺未遂を犯した地球教は、まごうとことなき現体制の敵である。そして旧王朝の検閲制度のために根付いた体制寄りの体質を引きずっている帝国系ジャーナリズムにとって、地球教はどのように報道しようがまったく心配がいらない題材といってよい。よく考えれば、いろいろと都合がいい取材対象であるといえた。

 

「それよりも秘密組織としては、昨今の帝都事情のほうが気になっているのでは。先の近衛叛乱でブラッケをはじめとする者達に天罰が下り、少なくない元貴族官僚が公職復帰したというではありませんか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 第二課長の発言はおかしなものだが、主観的には正しかった。秘密組織はゲオルグが復権の為に警察時代の情報網を土台にして設立し、そこから秘密裏に拡大させてきた組織であるが、それを構成員全員が知っているわけではない。たんなる社交の場であるように見せかけている場合もあれば、法的にグレーな商取引の情報売買を装うこともある。その中で秘密組織内部である程度重要な役割を担っている者達は、秘密組織の目的は“ローエングラム王朝に疎まれている者達を救う”ことだと思い込んでいた。

 

 といっても、別に帝国政府の国事犯リストに名を連ねているような存在を匿ったりなどしない。リスクが大きすぎるからである。開明的な新王朝は旧王朝下の人道的犯罪を断罪するため、民政省内に人道的犯罪捜査局を設置してその調査を行なっている。法の不遡及を考慮し、容疑者の裁判において有罪無罪の大きな基準となるのが、当時の法律や規則に違反していなかったかどうかだ。だが、旧王朝にあっては法律規則より上位者の意向のほうが優先される傾向が強かったため、多くの者がこの基準に該当してしまうのだった。

 

 ゆえに匿うのはもっと小物、ありふれた存在であり、それでいて新王朝の方針的に問題があって民衆からも嫌悪を持たれるような者たち……いっぽうで、多くの民衆に近しく、秘密組織のことを知らない民衆でも影で匿うのに協力する可能性が高い者たち……具体的には元社会秩序維持局の協力者、矯正区勤務の経験がある元下士官兵、評判の悪い貴族の私設軍に所属していた者。そういった経歴の者たちである。

 

 昔から社会秩序維持局の評判は最悪だった。旧王朝下にあって最大最強の民衆抑圧であったから当然といえば当然である。そしてそうあれた最大の要因は組織の外に大量の協力者、即ちIMを確保し、その事実を以て民衆を疑心暗鬼に追い込んで相互監視状態に置き、隣人の不穏な言動を監視するのは身の安全の守る常識的行動と思わせ、密告への心理的抵抗が少ない社会的空気を構築して維持してきたからだ。

 

 だから民衆は社会秩序維持局を憎みきっているが、同時に社会秩序維持局とまったく関係がないと言い切れる者は少なく、密告の真実が明るみに出て友人知己との関係が崩壊するのを恐れて口を噤んでいる者は多い。ゲオルグが利用したオスマイヤーのように、心ならずとも協力しないことには生きがたい時代であったのだから。

 

 矯正区勤務者や貴族の私設軍に所属していた者たちも似たようなものだ。矯正区に配属されるのは、職業軍人にとっては左遷先であったが、徴兵された兵士たちにとってはそうではなかった。無力だけど反抗的な政治犯に暴力を振るったり射殺したりするだけの簡単な仕事だし、敵と殺し合う前線に出る事に比べれば生命を失う危険もなく遥かに安全で、しかも粗末だが官舎で暮らせて毎日食事にありつけるという快適なものだからだ。

 

 徴兵されて強制的に軍人にされた者たちからすれば、矯正区勤務ならば兵役満了時まで快適な軍人生活が約束されたも同然であったからだ。しかし矯正区それ自体が規則通りに運営されていないものが多すぎるため、やはり危うい立場といわざるをえない。

 

 そして最後の貴族家の私設軍も、その集合体である貴族連合軍が内戦でとんでもないことを多数やらかしたので世間からの評判は最悪だ。特にブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵に連なる貴族家の私設軍に所属していた経歴のある軍人に対する民衆からの反感は凄まじいものがある。だが、旧王朝時代では貴族領に暮らす者たちにとっては、領主の私設軍に所属することは魅力的なことだったのだ。

 

 なぜなら私設軍の任務は主に領内での宇宙海賊討伐や叛乱鎮圧などで、正規軍に徴兵されて前線で戦うよりか戦死の可能性が低い。くわえて、任地が基本的に領内なのだから、故郷から離れることがほとんどなく、長期休暇などなくても比較的簡単に自宅に戻って家族と会うことができる。なにより貴族の私設軍に属することも兵役義務をこなしていると見なされ、正規軍に徴兵が免除されるのだ。

 

 そうした好条件から貴族の私設軍に志願する者は決して少なくなかった。そして貴族側もそうしたことがわかっていたからほとんどの私設軍は完全志願制だったし、忠誠心や出身を重視して選抜する形式をとっていた。それだけに世間から“自分の意思で悪辣な貴族の私設軍に所属したのだろうが”と解釈されることとなり、やはり嫌厭されるのだった。

 

 第二課長も新王朝から責任を追及されかねない危険な経歴を持っている。二〇年ほど前に徴兵され、地方領主の叛乱鎮圧に参加した。そして当時の帝国は他の貴族への見せしめと体制への反発のガス抜きのために、叛乱鎮圧時における略奪と虐殺を暗黙の裡に認めていた。だから当時兵士だった第二課長も、当然の権利を行使するように現地の住民を虐殺し、婦女子を辱め、財貨を強奪して懐を温めたのだ。

 

 今省みると、人間として赦されないことをしたという思いも第二課長にはある。だが、当時、叛乱鎮圧の際に蛮行を働くのは常識だったのだ。上官に命令されるまでもなく、皆当たり前のようにそれをしていた。軍規違反であろうとも、上位者が黙認するのなら、そちらが優先されるのが昔の帝国軍、いや、銀河帝国全体の常識だった。

 

 ゆえに第二課長が秘密組織に協力しているのは、自分も犯していた罪を背負う者を助けたいという同情心であり、それ以上にもし帝国政府が自分の過去を暴いて逮捕しようとしてきた時に秘密組織に助けてもらうための打算であった。そういう観点からすれば、旧貴族官僚の公職復帰は吉報と言えた。彼らは旧王朝の暗部を追及することには絶対に及び腰であろうから。

 

「たしかに。良き傾向であることは違いない」

 

 ゲオルグは如才ない笑みを浮かべてそう答えたが、内心は異なる。旧貴族官僚の公職復帰はゲオルグの復権工作のためにも有益なものではあった。だが、貴族連合残党と近衛部隊によるクーデター未遂事件は、ゲオルグの予想を超えて大きな損害を帝国政府に与えた。まさか閣僚二人を含む高級官僚を多数殺害するなどとは想定していなかったのだ。特に民政尚書カール・ブラッケが死んだのはありがたいが、同時にちょっと困る。

 

 自分の目的と旧王朝下ではありふれた悪事を働いた者達を匿うことは、多くの面で利害が一致していた。だからこそ、内部向けの看板として掲げたのだが……。開明政策の強力な旗振り役であったブラッケが死んだとなると、その一環である旧王朝下の人道的犯罪追及の取りやめられたりこそしないだろうが、その熱意は大幅に減殺されることは免れ得ないだろう。そうなると危機感が薄れ、あまり法に背く行為をしたがらない秘密組織構成員が増える恐れがあった。

 

 くわえてゲオルグを悩ませるのが、旧貴族官僚の公職復帰が国務尚書と軍務尚書の共同発案によるものという事実であった。いっぽうの提案者、国務尚書にかんしては無視してもいい。彼自身がれっきとした領主貴族であるし、その感性もどちらかというと旧王朝寄りであることは調べがついている。問題はもういっぽう、オーベルシュタイン軍務尚書が旧貴族官僚の公職復帰を認めた意図が奈辺にあるのかが読み切れないのだ。

 

 もちろん、失われた高級官僚の穴埋めという事情があるのだろうが、それだけでオーベルシュタインが旧貴族官僚の公職復帰を擁護するなどありえまい。おそらくは公職復帰と引き換えに国事犯捜索に協力させるつもりなのだろう。自分がラインハルトに忠実であることをアピールするためにも、恥知らずな旧貴族官僚は必死で協力することだろう。だが、まだなにかしらの思惑があるに違いなく、それだけにより多くの判断材料が欲しいのだが、その判断材料を収集する秘密組織に不安要因がでているのだ。本当に頭が痛い事態である。

 

「だが、だからこそ慢心してはならないというのが上層部の総意だ」

 

 だからゲオルグとしては、精々こう言って自分に忠誠心があるわけではない構成員の慢心を戒めることを怠れない。

 

「われわれとしては頼もしいことです。ですが、こんな映画劇場で接触するなどいささか不用心と言いますか、問題があるのでは?」

「そんなことはない」

 

 やや忠告染みた発言に、ハイデリヒが反応した。

 

「木は森に隠せという諺があるように、接点がないはずの人間同士がさりげなく接触するには人混みの中が一番なのです。ここは不特定多数の人間が利用する場であり、なおかつ、劇場であるからには声をひそめて会話をするのは当然。下手な密室なんかより、よほど密談をするのに向いている。ましてや近頃の映画ブームも考えると、現状最適であると確信しているのですが」

「なるほど、考え尽くされた上で映画劇場を密談場所に指定したのですな。差し出がましいことを申しました」

 

 軽く頭を下げて謝罪し、それからふと思いついたように第二課長は話題を転じた。

 

「しかしローエングラム王朝が成立して以来の映画ブーム、創作ブームはなんといいますか、どうにも粗雑乱造されているきらいがありますな。文化部の記者たちがどうコメントすればいいのかがわからないと嘆いてましたよ」

 

 改革の中で検閲制度が廃止され、大量の国家機密を解除したことは、帝国の創作家の意欲を大いに刺激したらしく、様々な娯楽分野で今までになかったような作品が多数発表されていた。しかしながら、どうにも目新しければなんでも流行っているようなところがあり、内容がほとんどないような作品であってもなぜか人気が出てしまうという事態に、おおくの評論家が困惑しているのであった。

 

 そうしたことを揶揄しての第二課長に、ゲオルグは軽く笑って論評した。

 

「そうは言うが、最近はかなり落ち着いてきただろう。この映画などは、後々まで観た人間の印象に残ると思うぞ」

「ハハ、なんといってもクーシネンの史実話ですからね。いや、本当はこういう人だったのですね」

 

 感慨深げにそう呟く第二課長に、ハイデリヒも同意する。

 

「そりゃ、その物語が今まで学校の教材になってたくらいですからね。帝室への忠誠と奉仕の精神を子どもたちに教え込むためにも、都合の悪いところは全部秘匿してたんでしょう」

 

 クーシネンという人物への印象は、受け取り手の思想や価値観によって大きく変わるだろう。ゴールデンバウム王朝の記録が語るところによれば「ルドルフ大帝の指導に常に忠実だった熱烈な国家革新運動の闘士にして政治的戦士」であり、自由惑星同盟の記録が語るところによれば「最初期にルドルフを支持して銀河連邦の有識者から憫笑された若い世代の代表的人物」であり、フェザーン自治領の記録が語るところによれば「数奇な運命とプロパガンダのために有名になっただけのありふれた凡人」である。

 

 銀河連邦末期に誕生した彼の人生は、本人がどうしようもならないところでつまずいていた。彼が生まれ育った地域は当時の連邦政府の腐敗と中世的停滞の中で半無秩序状態に陥っていて、彼の家族は非常に貧しい暮らしを強いられていた。にもかかわらず、父親は女癖が悪く毎日遊びほうけ、母親は病弱だったために彼が幼い頃に病没してしまった。

 

 徴兵の令状がとどいた時、一八歳の彼は無感動に兵役に応じた。別に国家に対する義務感からではなく、たんに近頃の連邦軍は兵役逃れに過敏になっていて、兵役に来ない市民のところに部隊を派遣して強引に取り込む(ついでに住居から金目のものを“手数料”と称して略奪する)ということが常識になっていたが故の諦観からであった。

 

 ゆえに連邦軍に何の期待も彼はしていなかった。だが、幸か不幸かクーシネンは“宇宙海賊のメインストリート”と称される危険地帯であるベテルギウス方面の治安部隊に配属され、連邦軍士官だったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの部下となり、偉大な英雄に魅せられていく。混沌と理不尽。それはクーシネンの故郷では常識であり、秩序や規律など非現実的な夢物語の中にだけにしか存在しない概念であるはずだった。だが、ルドルフの部隊にはそれが確固として存在した。それどころかルドルフが語る正義などという空虚なものを兵士たちは本当に信じていて、その瞳は明日への希望で輝いてさえいるように見えるのだった。それは未知のものであり、理解不能なものであった。

 

 いかな人物であればこのような絵空事を現実にできるのか。クーシネンはルドルフという存在に空恐ろしさを感じると同時に、いったいなぜこのようなことができるのかが疑問でならなかった。ルドルフが正義漢であることはわかる。しかしそれならなぜ孤立しないのか。クーシネンの故郷にあっては正義漢は他者から疎まれ排撃され野垂れ死ぬ愚か者と同義語であった。なのにいったいなぜ、ルドルフは自己の正義を他者にも信じせることができるのか。それが、知りたかった。ルドルフのほうも哀れな境遇で育ったクーシネンを立派な人間に育ててあげようと教師になったつもりで軍事に限らず、政治や経済の知識、人類の歴史や北欧神話といった物語、はては私的な事柄に及ぶまでさまざまなことを教えてあげた。

 

 ルドルフの対応は、意図せずしてクーシネンのずっと孤独だった心を奪っていた。親からの愛を受けられなかった彼は、ルドルフをいつしか本当の父のように慕い、熱烈に崇拝するようになった。そして兵役満了後もルドルフの官舎に住み込んで従僕のように仕えるようになり、やがてルドルフが自分だけの教師ではなく、全人類の教師になれば、すべての人間が自分のように正義の何たるかを知り、希望を胸に銀河の果てまで前進し続けることができるのにとまで思い悩むようにすらなった。

 

 ゆえにルドルフが政界に進出して国家革新同盟を設立すると、真っ先に入党して私兵の一員となって国家革新同盟に所属する政治家を他党の私兵から身を呈して守り、逆にルドルフを批判する政治集会を襲撃して多くの政敵を病院送りにした。ルドルフが国家元首と首相を兼任して独裁体制を構築すると、党内に新設された規律調査部の末席部員となって国家政策の遂行を妨害する腐敗官僚を多数粛清した。ルドルフが皇帝に即位して劣悪遺伝排除法を発布すると、内務省内に新設された社会秩序維持局の局員となって遺伝病患者の抹殺や共和主義者の弾圧に貢献した。そして帝国歴一一年にテロにあって殉職。四九歳の生涯を終えた。

 

 クーシネンは古くからのルドルフの信奉者であったにもかかわらず、あまり高い地位につけていなかった。殉職時の社会秩序維持局における最終階級は保安中佐、貴族の位階でいえば最下級の帝国騎士(ライヒス・リッター)にすぎなかった。育ての親であるルドルフの贔屓目で見ても、危険を顧みない向こう見ずな勇気と忠誠心はともかく、能力や才能、指導者としての才覚となると凡庸すぎるように映ったからだとされる。しかしだからこそ、クーシネンの人生は国威発揚に利用された。ルドルフ大帝の恩義に報いるべく、弱者なりに大帝の役に立とうとその人生のすべてを捧げた。非力である臣民全てが見習うべき模範的人物である、というわけだ。

 

 しかしローエングラム王朝によって機密指定が解除されたクーシネンにかんする資料は、それまでのクーシネン像と大きく異なる点があったのだ。ルドルフを崇拝していた向こう見ずな勇気の持ち主というのは変わらない。だが、ルドルフが独裁体制を構築してからは今までゴールデンバウム王朝が語ってきたように「一切の迷いなく大帝のために忠勤していた」わけではなかったし、そもそも死因が異なった。

 

 クーシネンはルドルフが独裁体制を構築すれば、遠からず平和と安定がやってくると愚直なまでに信じていたのである。だが、それを実現させてもルドルフに反対する反体制分子や劣悪分子が消え去る気配がいっこうになかった。延々と弾圧を続けていく中で彼の精神は徐々に疲弊していき、やがてすべてに疲れて拳銃自殺をしたのである。だが、ルドルフはクーシネンが自殺したことを認めようとはせず、何者かに暗殺されたに違いないのだと主張し、帝国の公式見解もそのようにさせたというのが真相であったのだ。

 

「彼の言う通りだ。死者というのは変幻自在。すべては生者の都合次第よ」

 

 ゲオルグは自嘲気味にそう言って締めくくった。


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