リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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灯台下暗し

 一定の聞き取りと捜査を終えた後、トゥルナイゼンは軍医たちに死体の検死を命じた。ラナビア矯正区の宮殿内で発見された死体の数々の中に、ジーベックをはじめとした貴族連合残党指導層のものがないかと疑ったからであるが、これはうまくいかなかった。死体の損傷が激しすぎ、この場の設備では簡易な検死をしても身元の判断は困難であると主張されたからである。

 

 それならば遺体を艦隊に収容し、医療設備が整っている都市惑星に移動させて検死を行わせるべきだ。そうトゥルナイゼンは判断して十隻の艦艇に遺体を収容させて都市惑星に向かわせた。いっぽう、まだ生存して惑星内に潜伏している可能性を考えて一週間に渡り捜索を続行したが、なんら収穫をえられず、断念した。

 

 よって艦隊もラナビアを発つことに決まったのだが、残っている収容施設をどうするかが問題となった。内戦時に占領した時は、囚人の解放と生活援助を優先したケンプの方針によって軍需物資やその生産手段が接収されただけで施設そのものは放置されていた。ひとつには周辺星域を完全に掌中におさめることに成功していて、放置しても大きな問題になる可能性が低く、内戦が終わってから考えればよいと放置していたのである。

 

 しかし内戦が終わってすぐにキルヒアイス上級大将暗殺に起因するごたごたがあったせいで、そのまま放置してしまい、平時になって少数の定期的な警備部隊が航路を巡回するのみとなった。その隙をついて貴族連合残党の根拠地になってしまった以上、放置は論外である。艦隊で衛星軌道上から爆撃を加え、完璧に破壊するのが手っ取り早いのだが、それも考え物であった。

 

 昨年九月、民政省と文芸省が中心となり、ラナビアをはじめ、いくつかの矯正区はゴールデンバウム王朝時代の過ちを後世に伝える遺跡として保存し、近い将来に一般人でも訪問可能な史跡博物館にしようとする計画を内閣に提案し、それが閣議決定され、皇帝の許諾もえていることをトゥルナイゼンは官報によって知っていたからである。同盟への遠征決定にともなう多忙のために計画の実施が延期中であるとはいえ、主君が保存を承認した施設を破壊するのは躊躇われた。

 

 結局、数十万の留守番部隊を置いていくことにした。留守番部隊の軍人たちは「こんな陰惨な施設で、なんもないところに残らなくてはいけないのか」と不満たらたらであった。文句なら自分にではなく、こんな施設を大事に保存しようなんて考えた官僚どもに言ってもらいたいというのがトゥルナイゼンの偽らざる心情であったが、どうしようもない。せいぜい第四管区司令部に戻り次第、さっさとラナビア矯正区を管理下にいれろと民政省にクレームをいれてやるとしよう。

 

 そのように考え、一月九日明朝にトゥルナイゼンが率いる辺境独立分艦隊は霧の惑星ラナビアを発った。その際、オーディンから出発した記録があったため、ジーベックら貴族連合残党幹部が逃亡の際に用いたと思われう偽装商船“ロシナンテ号”も証拠品のひとつとして、一八人の帝国軍人を乗船させて同行させた。これは当然の判断ではあったが、間違っていた。あえて放置を選択するなり、もっと人員を割くなりしておけば違ったかもしれないが、結果論である。

 

 ロシナンテ号に搭乗していた帝国軍人に兵卒はおらず、士官と下士官が半分ずつという構成であった。全員、任務中であるという意識はあったが、軍艦のような実用的でどこか殺風景なものではなく、ふかふかのベットがある色彩豊かな個室があたえられ、座り心地のよいソファがあってゆったりとくつろげるラウンジまであるものだから、普段と比べてどこか気が抜けていたことは否めず、暇になったらラウンジで和気藹々と雑談してしまうこともしばしばであったという。

 

 出発から二日後、艦橋のスクリーンに動力源である核融合炉に異常が発生していることを示す表示がでた。この偽装商船の指揮を任されていたヘルシュトローム大佐は、ラウンジで休んでいた下士官たちに原因を調べて報告するように命じた。彼らは不安をこぼしながらも、慣れた調子で最下層にある核融合炉室に赴き、原因を探るべく手分けして点検することにした。

 

「……どういうことだ?」

 

 そのうちの一人が、融合炉を制御する機械のひとつを見て首を傾げた。彼は機械が停止していることを確認し、すぐさま操作モニターを確認して情報を確認しようとしたのだが、そのすぐ横にある外付けスイッチがオフになっていることに気づいたのである。これはどう考えてもおかしいことであった。機械が故障しているのならば話はわかる。しかしこの機械は故障したら機能を自動的に停止はしても電源は落ちず、備え付けのモニターにどういう異常が発生しているか報せるようにできている。なのにスイッチがオフになっているとは?

 

 ということは()()()()()()が原因ということであろうか? しかし発進時からスイッチがオフになっていたのだとしたら、そもそもこの宇宙船は大気圏から離脱できる推力を得られないはずであるし――。そう思考していた下士官は、突然後頭部に強い衝撃を受け、そのまま意識を奪われて倒れた。

 

 頭部からどくどくと血が流れ出ている下士官の姿を確認した男は、念のため、その頭部を叩き割る勢いで鉄パイプを振り下ろした。そして鉄パイプを放り捨てると、制御機械のスイッチをオンにして電源を入れ、モニターを素早く操作して正常な状態に戻して安堵した。経験上、この機械の制御を数時間程度受けなくなったところで核融合炉が暴走したりしないことは承知してはいるものの、やはり不安ではあったのである。

 

「さて、他の者たちは上手くやれたか?」

 

 すると次なる不安が男の胸中で膨らむ。騒ぎを決して周囲の帝国軍艦艇に気取られてはならない。気取られたが最後、自分たちは終わりだ。ゆえにロシナンテ号に乗船している帝国軍将兵は秘密裏に排除しなくてはならぬ。そのためには核融合炉の制御を失う危険性があるためにブラスターを使えないここが最大の正念場である。こればかりは同志の武運を大神オーディンに祈るしかなかった。

 

「中佐、対象の排除を完了しました。八名全員、仕損じたものはだれもいません」

 

 やってきた長い銀髪の青年の報告を聞いて、その男、ジーベックは大神オーディンに内心で感謝しようとして、やめた。まだ艦橋にいるであろう士官を始末しなくてはならない。彼らの排除に失敗してしまえば、乗り込んでいる帝国軍人を各個撃破するために核融合炉が暴走する可能性を承知で制御を狂わせた意味もなくなってしまう。まだ危うい吊り橋の上にいると自戒しているべきで、大神オーディンへの感謝は逃亡に成功してからでよい。

 

 慢心をジーベックが戒めたのは正解だったといえよう。ロシナンテ号の指揮を任されていたヘルシュトローム大佐は核融合炉の異常が解消されたというのに、報告にきていない下士官たちにかすかな疑念を持っていた。原因を特定したらすぐさま報告するように命じていたのに、先に問題が解決されているのだ。いささか気にしすぎかもしれないが、一番年少の少尉に確認にいくように命じたのである。

 

 少尉は大袈裟だと思ったが、上官の命令だからとしかたなく艦橋から核融合炉室へと向かった。だが、心の有り様とは行動する際、如実に表れるものであり、下士官の不真面目さになんか言ってやろうと怒りの文面を考えるのに脳細胞の大半を割き、ほとんど無警戒で移動していた。いっぽう、ジーベックたちは微かに響いてくる足音を敏感に聞き取り、通路のブロックごとにある、いざというときに隔壁をおろして空気の流出を防ぐ部分の出っ張りに身を隠し、息をひそめた。

 

 そして少尉がそのブロックを踏み越えた瞬間、ジーベックたちは一斉にブラスターの狙いを定めて引き金を引いた。哀れ、少尉はなにもわからぬまま背後から降り注ぐ光線に貫かれて絶命した。その光景を見て、ラーセンは安堵した。もしジーベックが向こうの足音に気づいて物陰に隠れるよう指示しなければ、目前で倒れている少尉は大声をあげて艦橋に異常を知られてしまったことであろう。

 

 だがそれもいつまでもつか。士官をこうして殺してしまったのだから、足音を殺してゆっくりと艦橋に向かい、不意打ちするというのは困難だ。これ以上時間をかけるのはよくない。もはや速攻による奇襲あるのみ。そう判断してジーベックたちは足音も隠さずに全力で艦橋に向かって走り出した。

 

 突然見覚えない者たちが艦橋に飛び込んできて、先ほどから言語化できないなにか不穏な気配を感じ取っていたヘルシュトローム大佐は即座に反応して軍人として最善の行動をとったが、帝国軍士官たちはあまりにも非現実的なことに思考停止状態に陥った。それをジーベックらはその隙を見逃さずブラスターを乱射して敵を薙ぎ倒していく。艦橋に遮蔽物など存在しないため、あっという間に帝国軍人たちを全滅させることに成功した。

 

 しかし早速ラーセンがあることに気づいて顔を青ざめさせた。ヘルシュトローム大佐が死の間際に近接の帝国軍巡洋艦に通信を繋いでいたことに気づいたのである。おそるおそるオペレーター用のヘッドホンを手に取り、耳にあてた。

 

「――願う。繰り返す、“バルカンⅦ”より“ロシナンテ”へ。いったいどうした。応答願う」

 

 困惑したような声が聞こえてきて、銀髪の元社会秩序維持局保安少佐の頭の中が凄まじい勢いで、現在の状況を推測した。おそらく、目の前に転がっている名も知らぬ大佐は通信を繋いだのはよいものの、肝心の報告をする前に銃撃されてしまったに違いない。であるならば、誤魔化しようはある。息を吸い込み、マイクに向かって叫んだ。

 

「“ロシナンテ”より“バルカンⅦ”へ! “ロシナンテ”より“バルカンⅦ”へ! 聞こえていたら応答願いします!」

「“バルカンⅦ”のファルマン少尉であります。今初めて声が聞こえましたが、どうかしましたか」

「今初めて……? やはり通信機の調子もおかしかったのですね」

 

 声は努めて平静を保つことに成功していたものの、自分の心臓の鼓動音が煩いと感じるほどラーセンは内心緊張していた。なにせ、ここで失敗すれば、なにもかもおしまいだ。自分だけではなく、ジーベック中佐やエリザベート殿下も、ひいてはゴールデンバウム王朝再興という崇高な理想までもが確実に。

 

 そんなことは断じて許されない。エーリューズニルにて大罪の贖いという黄金樹の慈悲を受けた者としてあってはならぬ。こちらもやや戸惑っている様子で、しかしそれでも職務を果たさんとするような調子で報告を続けた。

 

「じつは核融合炉に問題が発生した。あくまで一時的なもので、現状は問題を解決して正常に稼働しているが、大佐殿が万一を懸念して僚鑑に報告せよと」

「異常は解決されたのですね?」

「ああ、だが、原因不明の為、いささか不安があるとのことで、次の中継地で念のため点検の必要があるというのが大佐殿の判断でして。つきましては次の中継基地にして修理の要請を」

「……司令の了解を得ました。上位司令部に要請しておきましょう」

「それと通信機の調子も不安定なようですし、以後の連絡は発光信号でとりたいと思いますが、いかがなものでしょうか」

「“バルカンⅦ”了解。以後の連絡は発光信号で行う」

「“ロシナンテ”了解。感謝する。通信終了」

 

 通信を切り、ラーセンは腹の底からため息を吐いた。なんとかやりきれたという安心感からきたものであった。

 

「昔、政治犯狩りしてた頃の経験に助けられた」

 

 社会秩序維持局でラーセンは政治犯狩りを担当する部門に所属していた経験がある。悪逆な政治犯たちのグループの全貌を暴くために彼らと直接接触し、彼らの帝室に対する不敬かつ不穏極まる話にあわせ、彼らの信頼を得て情報を聞き出すなんて仕事も駆け出し時代はよくしていた。

 

「……ヴィルム、卿は急いで航路データを変更しろ。次のワープのタイミングで別地点にワープアウトして艦隊から自然に離脱する。卿の腕なら次元事故を装うことができるはずだ。ヴォルフは外の軍艦が発光信号で連絡してきたら、適当にあわせて誤魔化せ。他は残敵がいないか探索だ。二人一組で行動しろ。私は殿下にこの宇宙船を奪取したことを報告してくる」

 

 珍しくラーセンの行為に高い評価を下し、そのことに胸の中で釈然としない感情が沸き起こったジーベックは、感情を押し殺して事務的に命令をくだした。それにややうんざりとした空気が部下たちから発せられたが、それに文句はない。彼らがなにを不満に思っているかはわかっていたし、自分とてそうなのだから、無事に帝国軍艦隊から離脱すれば酒でも振る舞ってやらねばなるまい。

 

 ジーベックは何気ない通路の途中で、ある暗号を唱えた。その声を備え付けられているマイクが拾い、声紋反応チェックをされると、眼前の壁が床に沈んでいき、秘密の部屋へと続く通路が開けた。その光景を見て、改めてジーベックはフェザーン商人の商売精神に感心するのであった。

 

 もともとこのロシナンテ号は、ボーメルという名のフェザーンの独立商人が保有していた特殊な貨物船である。帝国とフェザーンの間で交易業を営んでいたボーメルにとって、最大の利益を齎す輸送品といえば、帝国からの亡命希望者である。それも貴族とか豪商とかの富裕層にいた者達をターゲットにし、亡命の意志が体制側にもれればただではすまない彼らの足元を見て莫大な亡命費を払わせ、大きな利益を得ていたらしい。

 

 それが事実かどうかは、この設備の充実ぶりからよく察せられる。知らなければただの壁としか思えない扉に加え、それを物理的な方法で破壊する以外の方法で中に入るには声紋認証をするしかなく、しかも外部からは赤外線をはじめとする検知器の反応を誤魔化せるように様々な対策が施されていて、秘密の部屋があると簡単にはわからない。これだけの設備を整えるには、大雑把に見積もっても数百万マルクはかかるであろう。それで大きな黒字がだせているというのだから。

 

 しかし帝国軍のフェザーン占領、そして同盟と帝国の間でバーラトの和約が結ばれたことにより、フェザーンの亡命仲介業は大きな打撃を受けた。そうした業界全体の事情に加え、ロシナンテ号の保有者であるボーメルは、この船で銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世(自分の左手に噛みついたクソガキ)を帝国の検問を掻い潜ってフェザーンまで運んだ過去があったので、そのために帝国から敵視されはしないだろうかという不安からロシナンテ号を適正価格で第三者に売り渡してしまいたかった。実際のところ、その誘拐劇にはラインハルトが一枚かんでいて、下手に騒ぎ立てると帝国にとっても面倒になるためにわかっても逮捕したりしないのでいらぬ心配だったのだが、そんな裏事情など知らないボーメルとしては証拠品を抱えたままなど不安すぎた。

 

 ちょうどその時期に、貴族連合残党を組織し、ゲオルグが率いる秘密組織と共同して行ったテオリアでの作戦で莫大な活動資金を得て、安全に宇宙を航行できる亡命船を求めてフェザーンにやってきていたジーベックが、皇帝誘拐の為に一役買っていた宇宙船という確かな情報を裏社会に住処を移していた元フェザーン自治領主府の役人から入手してボーメルの下に赴いて大金を積んだ。こうして両者の利害が一致した結果ロシナンテ号は秘密裏に貴族連合残党が保有し、現在に至っているのである。

 

「ジーベックか?」

「はっ、ここに」

 

 主君の声を聞き、ジーベックはその場で膝をついて頭を下げた。

 

「そなたがこの部屋に戻ってきたということは、逃亡に成功したと考えてよいのかしら」

「まだ途上ではありますが、秘密裏に当船を奪取することができましたので、一息つける段階ではあるかと」

「! で、では、ようやくまともな食事にありつけるのか。そして妾はようやく部屋を持てるのか!?」

 

 あからさままでに声音を変えたエリザベートに、ジーベックは思わず苦笑した。彼女がそう思うのも無理からぬことで、帝国軍艦隊がラナビアにやってきた日から今日まで、帝国軍の捜索に捕まらないように主君エリザベート含めて二〇人がこの秘密部屋に隠れて寝食を共にしていたのである。特権階級のお姫様であるエリザベートからすればありえないような環境であり、覚悟していたとはいえかなりストレスの感じる環境ではあった。

 

 加えて、帝国軍が一週間もラナビアにとどまって捜索を続けるとは思いもしなかったので、三日分の水と食糧しか秘密部屋に運び込んでおらず、まともに食事をとることができなかった。かなり無茶に無茶を重ねて食事を切り詰めており、もうすこしトゥルナイゼンがラナビア捜索を延長していたら、餓死するか投降するかという究極の選択を選ばねばならないところであり、それだけに宇宙船が動き出したとき、全員が歓声を叫びたくなるのを必死に堪えなければならなかったほどである。

 

「まだ確認はしておりませんが、始末した軍人たち用の糧食が倉庫にあるでしょう。それをいただくとしましょう。武骨な軍人のための食事ですので、殿下の御口にあうかはわかりませぬが……」

「よい。我慢できぬことではないし、なにより空腹すぎて味の良し悪しなど気にしていられないわ」

 

 両眼に食欲の炎を燃やしている年若い娘の姿に、ちょっと厳しすぎたであろうかとジーベックは己の配慮不足を悔んだ。だが、それはひとまずおいて、主君に確認しなければならないことが彼にはあった。

 

「失礼ながら、ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「うん? なにかしら。質問を赦すわ」

「ラナビア帰還時の問答を覚えていられますでしょうか」

「……妾の覚悟が揺らいでいないか、というあれか。それに対していらぬ節介をやくなと申し付けたはずよ。よもや、もう忘れたなどとは言わないでしょうね」

 

 エリザベートは全身から不快感と敵意を発した。何度危険性が高まっていると忠告されたところで復讐をやめる気はまったくないが、こう何度も確認されては苛立ちが募ってしかたがない。父の死を知り、自ら毒を呷った母の骸の前での誓いを自ら破るなどありえないとなぜわからないのか?

 

「いえ、そうではないのです。今後の方針について、少々話しあっておきたく」

「……今後の方針? そうねぇ、そなたたちの失態で多くの構成員を失った以上、しばらくは潜伏して力を蓄えるより他にないのではないの。違って?」

「おっしゃる通りにございます。しかし潜伏地を何処にするか。それを考えなくてはなりません」

「そなたがそう言うということは既に候補があるのね。旧ブラウンシュヴァイク領のどこかかしら。それとも、あの自称皇帝が捨てようとしている帝都オーディン? そなたの存念を聞かせてもらいましょう」

「…………フェザーンにございます」

 

 思いもよらない候補地に、エリザベートは目を見開き、顔を青ざめさせて震えはじめた。

 

「なにを言いだすの!! あの憎き自称皇帝が本拠地にしようとしていることをそなたは知らぬのかッ! わ、妾は嫌じゃぞ! そんなところに行けばリッテンハイム家のような最期を迎えかねない! 絶対に嫌じゃッ!」

 

 リップシュタット戦役時、リッテンハイム侯爵邸はラインハルト軍によって襲撃され、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵の妻クリスティーネとその娘サビーネは、拷問染みた責め苦を受けて無残に殺され辱められたという。そんな残虐な連中の中枢に攻め込むならともかく、潜伏するなど正気の沙汰ではないとエリザベートは強烈に拒否した。

 

 実際のところは、アルテナ星域会戦で生き残ったリッテンハイム軍の一部が、撤退の際に味方を攻撃したリッテンハイム侯爵の非道に怒り、惑星リッテンハイムに急行して侯爵の身内にその責任をとらせようと暴れまわったというのが真相である。だが、内戦中にそのことを知ったブラウンシュヴァイク公をはじめとする貴族連合の有力者たちが、このまま発表しては貴族連合の威信にかかわるため、戦意高揚のプロパガンダを兼ねてラインハルト軍のせいにして公表した。そのためそれを信じてリッテンハイム妻子が虐殺されたのはラインハルトの意向によるものと少なくない者達が考えており、皮肉なことにブラウンシュヴァイク公の娘エリザベートも父と有力貴族らの吐いた嘘を信じている一人であった。

 

 そしてジーベックも当事者の一人であり、当然それが嘘であると知っている立場だったから、いささか滑稽であると感じたのだが、それを言及したりしない。言ったところで父を慕うエリザベートは信じないだろうし、関係悪化を招くだけと理解しているからである。

 

「なればこそです。灯台下暗しという言葉が指し示すように、金髪の孺子の足元にこそ隠れる隙があるように思われます。かつて貴族連合と取引があり、フェザーンの自治権喪失で多大な損害を受けていて、なおかつ私が弱みを握っているフェザーンの商会がいくつかありますので、彼らを利用してフェザーンにて潜伏することは不可能ではありますまい」

「……ブラウンシュヴァイク家と取引していた商会を警戒しないほど、あの簒奪者の一党は無能なのかしら」

「警戒していないということはないとは思いますが、現実的な問題として母数が多すぎて困難でしょう。加えて申しあげるならば、フェザーンに遷都する以上は、フェザーンの商会に特定して大規模な捜索をおこなうといった差別的措置をとりにくくしているということでありますし、なんとかなると思われます」

「……そう」

 

 なんとかなるという言葉にそこはかとない不安を感じたものの、なんだかんだで父をよく補佐していたジーベックのことを信任しているエリザベートはそれ以上詳しく聞き出そうとはしなかった。

 

「それともうひとつ、もっと根本的なことを聞いておきたいわ」

「と、おっしゃいますと?」

「知れたことよ。潜伏先をフェザーンに移すというのはいいわ。でも、フェザーンでどうやってまたゴールデンバウム王朝再興の同志を募るつもりかしら。先にフェザーンに亡命していた貴族達を取り込むというのも考えられなくはないけれど、彼らに監視がついていないとは思えないわ。フェザーン人たちも貴族を守ろうとは思わないでしょうし」

 

 意外に鋭い指摘に、ジーベックは目を瞬かせた。別に主君に敬意を払っていないわけではないが、ブラウンシュヴァイク公の娘であるとはいえ、いまだ二〇歳にもならぬ小娘の能力などあってなきに等しいものと常識的に考えていたのである。

 

「なるほど。たしかにそうかもしれませぬ。ラーセンなどであれば気にかかる点になってくるかもしれません。ゴールデンバウム王朝再興の同志をフェザーンで秘密裏に集めるのは困難どころの話ではなく、無謀というべきでありましょう。しかし――」

 

 ここでひとまず息をきり、あたりに人の気配がないことを確認して、続けた。

 

()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………それもそうね。では、妾も振る舞いを変えた方がよいかしら」

「そのままでけっこうにございます。でなくばラーセンが殿下に銃口を向けかねませんし。それにいささか不遜で不敬ながら、そのようなものに商品価値を感じるようなフェザーンの商人もおりますのでな」

「なるほどね。ということは、()()()()()()も考慮していて?」

「それは……。ことと次第によってはありうるかもしれませんが、そればかりは殿下の御意向次第かと」

「かまわないわ。それで仇が討てるというのなら、妾は喜んでそうしようではないか」

 

 そう言って強気に微笑む前主君の娘を見て、ジーベックは頼もしさを覚える反面、ヴァルハラで自分はブラウンシュヴァイク公にどんな目にあわされるか、わかったものじゃないなと自分の死後を思って微かに苦笑せざるをえなかった。

 

 数時間後、帝国軍艦隊はワープアウトした直後にロシナンテ号が落伍していることが判明。ただち元の地点へと戻って探索したが発見できず、ロシナンテ号がワープした次元の痕跡も異常な数値を叩きだしていたこと、そしてロシナンテ号から核融合炉に変調をきたしていたので点検したいという要請が存在したから、核融合炉の一時的異変がワープ装置になんらかの影響を与え、次元事故を起こしたものと推定された。

 

 第四軍管区司令官トゥルナイゼン大将としても、状況証拠的にそれが一番可能性が高いと感じ、“確証なきものであるが”と但し書きした上で一番高い可能性として接収したロシナンテ号が次元事故によって消滅したと中央に報告して調査を打ち切ってしまった。

 

 こうしてまんまと貴族連合残党の上層部は帝国軍の追跡から逃げおおせたのである。


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