リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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ラナビア矯正区

「人はどこまで道徳的に堕落することができるだろうか。そう問いかけられても、以前の私なら性根が腐ってなければ尊厳によって堕落に対抗することができると答えた。だが、それは間違いだった。その問いに対し、今の私は胸を張って自信満々にこう答えるのみだ。どんな人間であろうがどこまでも道徳的に堕落できる。底などないのだ。どこまでも、際限などなく、人間の尊厳など嗤って蹂躙できるようになる! 喩え、それが自分の尊厳を再起不能になるまで汚すとしても! 極限状態においては、そんな些末事は問題にすらならないものなのだ!!」

――矯正区に収容されたある哲学者の著作より

 

 

 

 統帥本部の命を受けてラナビアにやってきた帝国軍辺境独立分艦隊は、星系外縁部にワープ・アウトした時点でジーベックの推測通り、彼らが乗っていた偽装商船をレーダーで捕捉していた。偵察のために先行させていた高速艦に何度呼びかけてもなんら返答がなかったので、深入りした偵察部隊を逆にとらえるほどの戦力を貴族連合残党が有していると司令部の将校らは判断していた。

 

 そのため、二〇〇〇隻の内、貴族連合残党がラナビア内から脱出できないよう、一五〇〇隻の艦艇を軌道上に等間隔に配置し、残りの五〇〇隻で惑星上に降下した。偶然にも、この部隊を率いる司令官はラナビアのことをある程度知っており、霧中の中でも冷静に降下の指揮をとることができ、それを成功させた。

 

 貴族連合残党の残存兵力は多くても一万程度であろうと帝国軍は推測していたが、帝都でクーデターを起こした極悪犯を万が一にも逃がしてはならぬという決意から、純粋な陸戦兵力だけでも二五万もの兵員をかき集めていた。司令部はこれを一〇の部隊に分けて運用することにした。

 

「第一部隊は兵舎を、第二、第三部隊は囚人塔を、第四~第六部隊は工場区域を、第七部隊は宮殿を制圧せよ。第八部隊は地下施設に異常がないか確認。第九・第十部隊は矯正区施設の周囲に歩哨線を張れ。いつどこで貴族連合残党の攻撃があるかわからぬから、警戒を怠るなよ」

 

 一〇の部隊の指揮官が敬礼で応えて去っていくのを見つめながら、灰色の髪をした司令官は不愉快そうに顔を歪めた。

 

「畜生」

 

 愚痴らずにはいられなかった。この霧の惑星にやってきたのは初めてではない。先のリップシュタット戦役において、ラナビア矯正区を制圧したのは自分であり、この惑星上でどれほどおぞましいことが行われていたのかをよく知っていた。だから、新年早々、こんな忌まわしい惑星にまた来てしまったのかと思うとやってられない気分になるのである。

 

 その司令官であるイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンは、有能で若い将星が集う初期のローエングラム王朝の世であってもひときわ若く、二三歳という年齢で帝国軍の大将の地位を得ている。名門貴族出身故、旧王朝の世にあっても他と比べれば出世がしやすかったという事情があったのはたしかだが、他の門閥貴族将校と異なり、彼は地位相応の実績の持ち主であった。

 

 現皇帝とは幼年学校の同期生であり、首席のラインハルトに次ぐ優等生集団の一人であった。とはいえ、彼との間に必ずしも友好的関係があったということを証明するものではない。むしろ、下級貴族のラインハルトや平民のキルヒアイスが自分より高い成績を叩き出すという事実に名門貴族の矜持が刺激され、一方的な対抗意欲を燃やして嫌悪をいだいていた。もっとも、他の生徒と異なり、暴力や権威ではなく正々堂々と成績で自分が学年首席になってやると努力を重ねていただけなので、とうのラインハルトからは良くも悪くもあまり意識されていなかったのだが。

 

 結局、ラインハルトが幼年学校の五年間学年首席を独占し続け、四八二年に彼とともに卒業したトゥルナイゼンは内心で、一度も勝てなかったと苦い思いを噛み殺しながら士官学校へと進学した。そこでトゥルナイゼンは俊英として高く評価された。しかしトゥルナイゼンとしては釈然としなかった。ラインハルトやキルヒアイスがすぐに職業軍人にならず士官学校に進学してきていたならば、自分一人が俊英と称されることもあるまいという劣等感を抱き続けた。

 

 やがてその二人が戦場にて武勲をあげて出世街道を爆走していると士官学校で噂されるようになった。幼年学校から士官学校に進んだ同窓達は「金髪の孺子はたいした出世ぶりだ。姉に対する皇帝陛下の御寵愛のためだろう」と貴族主義的な偏見で断じて実力によるものと頑なに認めなかった。同窓たちほどラインハルトの実力を過小評価していないトゥルナイゼンにはそれだけのためとは思えなかった。自分も負けてたまるかと士官学校を中退して前線勤務を望んだ。

 

 ラインハルトには及ばないにせよ、トゥルナイゼンは傑出した軍事的才幹の持ち主であった。実戦指揮官としても作戦参謀としても帝国軍の勝利に大いに貢献している。若さに見合わない質と量の双方で充実している武勲、名門貴族という出自、そしてラインハルトのように上司から嫌われるほど生意気な性格でもなかったこともあり、並みの名門貴族出の士官学校首席でも不可能と思える出世スピードで軍の位階を駆けあがり、帝国歴四八七年に二〇歳で准将にまで成り上がっていた。五〇〇年に渡る帝国軍の歴史をひっくり返しても、成人時に将官の末席に名を連ねることができた先例はほとんどが皇族であることを考えると、十分に破格の出世というべきである。

 

 一方、ラインハルトはというと、その年のアスターテ会戦で帝国元帥へと昇進し、宇宙艦隊副司令長官という要職に就いていたので、覆しようがない才能の差のようなものを、この頃になるとトゥルナイゼンも受け入れ始めていた。それはトゥルナイゼンも参戦したアムリッツァ会戦でラインハルトが同盟軍の大軍に対し圧倒的な勝利をおさめたことで決定的なものとなった。あれほどまでに華麗な圧勝、自分にはどうしたってできるとは思えない。

 

 ラインハルトの天才性を素直に受け入れることができたトゥルナイゼンは、愚かしくもブラウンシュヴァイク公について帝国貴族としての義務を云々言っていた当主の父親を説得(アムリッツァ会戦における功績で少将に昇進し、家族の中で一番社会的地位が高くなっていたので、父親は息子の決断に何も反論できない力関係になってしまっていた)し、皇帝枢軸陣営に与した。

 

 そうして故カール・グスタフ・ケンプ提督麾下の将星の一人として、リップシュタット戦役で多大な武勲をあげ、それが評価されて中将に昇進し、ラインハルト直属艦隊の司令官の一人に抜擢され、先のラグナロック作戦に参加して戦後に大将へと昇進した。帝国軍の歴史上、ラインハルトを除けば史上最年少の大将に。

 

「ケンプ提督、か」

 

 准将・少将だった頃の上官のことをトゥルナイゼンは悔悟の感情と共に思い返した。いや、ケンプだけではない。戦死したアイヘンドルフ、パトリッケンといったケンプ艦隊時代の僚友たちにも申し訳ない感情を抱く。当時、トゥルナイゼンは彼らを嫌っていたわけではない。むしろ、彼らの勇気と能力に敬意をもっていた。しかし幼年学校時代からずっとラインハルトを意識してきたトゥルナイゼンとしては、ケンプ艦隊の僚友たちの堅実性や常道性は、創造性も柔軟性もない、ひどく退屈で平凡なつまらない戦い方であるように映った。

 

 だから自分がラインハルト直属艦隊に移動した後、ケンプ艦隊がイゼルローン攻略に失敗して壊滅的打撃を受け、彼らもまた戦死したと聞いて悲しみはしたが、心のどこかで特異性がない連中だったから当然だという感慨もあった。それどころか、イゼルローン攻略が決まる直前にケンプ艦隊から移動して助かったことから、自分がなにか人智を越えたなにかの加護を受けているのだと驕る始末だった。主君ほどではないにせよ、自分もまた偉大な軍事専門家として歴史に名を刻む存在なのだと勇み立った。

 

 だが……。その驕りは過ちだった。第一次ラグナロック作戦中にバーミリオン星域において発生したヤン艦隊との決戦で、自身の能力への過信から功に焦って先走り、結果として前線を混乱させ、敵に付け入る隙をあたえてしまった。自分を含め五人いた分艦隊司令官の内、自分はなんとか部隊を維持させたものの、アルトリンゲンとブラウヒッチは部隊を壊滅させ、グリューネマンは重傷を負い、カルナップにいたっては戦死してしまった。いや、ナイトハルト・ミュラーの艦隊が戦場に来るのが遅ければ、自分の失敗のためにラインハルトすら戦死させてしまっていたかもしれない。

 

 本国に帰還した後、大将に昇進したものの、第四軍管区司令官に任命されて軍中枢から追い出されてしまった。いまだに軍管区制が軍務省の書類上にしか存在しない有名無実のものであり、実態は辺境星区の警備部隊の統括者でしかなく、事実上の左遷であった。役職的に帝国軍全体の軍制改革が断行されれば、自動的に自分が正規艦隊の司令官になることが内定しているようなものだから、閑職といってよいのかは微妙なところだが、自己過信に陥らずにもっとケンプ提督らがもっていた堅実さを学んでいれば、軍中枢からはじき出されず、今現在の再度の同盟征服作戦にも参加できていたのではないかと、かつての自己の傲慢さを省みずにはいられなかった。

 

 もっとケンプ提督の堅実さを学んでおくべきであったのだ。同僚で在ったアイヘンドルフとパトリッケンが自分の戦術家として冒険的な姿勢を咎める指摘に対しても、自分は実績に驕り高ぶり、ろくに聞き入れなかったのは間違いだった。もっと謙虚に、他者との協調を軽視するようなところがなければ、バーミリオン会戦はまごうことなき帝国の勝利と後世から一致して評価されたのかもしれない。いまさら悔やんでもどうにもないことなのであるが、自身の軽挙を悔やまずにはいられない。

 

「閣下、第七部隊より報告です。対象を発見、降伏を促すも拒絶され、銃撃戦に突入しているとのこと」

「そいつらが偽装商船でここに降りた連中か……? 数はどの程度だ」

「およそ一五〇~二〇〇と推定されます。しかし、地形を巧妙に利用していて生け捕りは難しいというのが現場の判断です」

「その程度の数で熱烈に抵抗してくるだと? いったいなにを考えているのだ」

「わかりません。ただ、どうも連中、矯正区(ここ)の元コラボラらしいです」

「……なるほど囚人看守か。なら、降伏なぞ決してせぬか」

 

 それだけでトゥルナイゼンは察した。コラボラというのは、収容者でありながら矯正区警備部隊の任務に協力する者達の総称である。矯正区警備部隊は囚人のコロニーにあれこれと干渉することなどないが、収容者たちが一致団結して反旗を翻してくる可能性を防ぐために収容者の中に一定の協力者をつくって監視するのである。コラボラとなれば軍属扱いになって収容者に比べて良い待遇を受けられ、貢献次第では危険思想を克服したとして釈放されることがあるし、極稀にだが適正を認められて軍や社会秩序維持局に居場所を用意してくれるケースだってある。

 

 ラナビア矯正区もかつてはそうだったのだが、ゲルトルート・フォン・レーデルが矯正区警備司令となってラナビアを強制労働施設へと変容させ、労働者を監視させる人員が必要となり、コラボラを大幅に増やして彼らを監視役とした。仮に労働者たちに殺されたとしても、所詮どちらも思想犯なのだから、兵士が死んだ場合と違って“思想犯同士の内紛”と中央に報告するだけで済むという打算もあった。そしてサルバドール・サダトがコラボラ管理の責任者に抜擢されてからは、恐怖によって規律化され、何万という収容者を酷使し、叛逆者とその一味を抹殺する実行部隊を担い、数年間で何十万という人間を見せしめとして残酷に処刑した。このような経緯からコラボラたちは他の収容者からは囚人看守と恐れられた。

 

 ラナビア矯正区のコラボラの大多数は自分たちがいかに卑劣なことをしていたかについて自覚的であり、それだけに旧王朝下であっても明確な公式規定もなく、警備司令部の意向と恣意から矯正区で暴力的に暴れていた彼らは被害者たちからどれほど憎まれているかわかっていたし、自分を守る法の盾も存在しないと弁えていた。よって、降伏すれば裁判にかけれられて処刑されることは確定的であるという絶望感から、どれだけ降伏勧告をしても逃亡と抵抗を諦めようとしない。これが治安上問題になっていたため、一度内務省は際立って悪質なものをのぞき、コラボラに対する恩赦を検討したらしいが、民政省を中心とする開明派と被害者たちの反発により立ち消えになったとトゥルナイゼンは知り合いから聞かされたことがあった。

 

「……となると、全員を生きたまま捕らえるのは難しいか。しかしある程度は生かしたまま捕らえるよう努力しろ。貴族連合残党の幹部どもの居場所を聞き出さならんからな」

 

 軍中央より受けた命令は、貴族連合残党の本拠地であるラナビアの制圧。もし組織内の重要な地位を占めている人物がいれば拘束の上、帝都へ護送。いなかったならば貴族連合残党に関する情報を可能な限り収集することである。それならば、末端の構成員であっても情報源としての価値があり、可能な限り生きたまま捕らえなくてはならなかった。

 

 今度は工場区域を調べていた第六部隊から二隻の宇宙船を発見したとの報告を受けた。その内、一隻は偵察のために先行させた高速巡洋艦であり、乗組員が中に拘束され閉じ込められていたとのことである。生存者がいるなら詳しく話を聞こうと、トゥルナイゼンは現場を確認することにした。

 

 停泊している二隻のところまでトゥルナイゼンらは移動し、その艦船を調べた。一隻は報告通り、トゥルナイゼンが先行させた偵察の高速巡洋鑑である。もういっぽうの商船はよくはわからなかったが、艦の外装と艦名プレートに“ロシナンテ号”と記されていることを確認し、途中で乗り換えた可能性もあるが、クーデター騒ぎの一件から一週間以内に出港した商船で同じ艦船は存在するか、帝都オーディンに確認するように要請した。

 

 続いて偵察にでていた高速巡洋鑑の艦長レムラー大佐と面会した。彼はかつて中佐だった頃、イゼルローン要塞司令官シュトックハウゼン中将の下で指令室警備主任をしており、旧帝国暦四八七年の第七次イゼルローン要塞攻防戦の敗北によってヤン・ウェンリー少将率いる同盟軍の捕虜となった。翌四八八年に行われた大規模な捕虜交換によって帰国した。だが、希望に満ちて帰国の途についたわけではなかった。

 

 勝利しからずば壮絶なる勇士達の死があるのみ。それがルドルフ大帝以来の帝国軍の理念であって、当然として軍規に不名誉な降伏など規定されていない。同盟との戦争の長期化に従い、慢性的な人的資源不足に悩まされるようになった軍上層部が降伏を事実上黙認するようになって久しいが、それでも軍規は政治的事情によって圧力を加えられながらもある程度は尊重され、帝国軍は捕虜の存在を公的に認めることはない。したがって、帰還した捕虜が敵中にあった期間は、表向きに長期にわたる無給休暇として扱われ、たいていの場合、帰還捕虜は何事もなかったかのように軍務への復帰を強制される。

 

 しかしローエングラム元帥の意向によってルドルフ大帝以来の理念が改められ、その時の捕虜交換で帰国した者達には一階級特進と一時金、そして軍務に復帰するか民間に戻るかの選択肢が与えられたのである。予想外の帰還捕虜への厚遇にレムラー中佐、いや大佐は感激し、ローエングラム元帥に忠誠を誓って軍務に復帰する途を選んだ。

 

 だが、レムラーは第七次イゼルローン要塞攻防戦において同盟軍の偽装部隊に対して杜撰なチェックしかせず、彼らを指令室へと入れてしまったことから軍人としての能力を疑われ、辺境星区の部隊へと飛ばされてしまった。トゥルナイゼンもそうした大佐の経歴を承知していたが、普段の勤勉な勤務態度から相手があのヤン・ウェンリーだったことによる不運の産物だったのだろうと思い、彼に偵察を任せたのだが……。

 

「つまり、まったく人気がなかったので巡洋艦を着陸させてより偵察を敢行しようとしたところ、霧に紛れて接近してきた敵に気づかず、奇襲にあって捕虜となり、数日間拘束されていたと」

「はっ、そのとおりです。弁明のしようもありません」

「……」

 

 自分の失態を隠そうとせず、屈辱を押し殺した震える声音で正確に報告するレムラー。それ自体は任務失敗の責任を取る態度として間違っていないのだろうが、彼の能力を評価して偵察の任につかせたトゥルナイゼンとしては失望を禁じ得ない。してやられたのが敵が優秀だったからではなく、レムラーが無能にも地の理もないのに敵地へ深入りするという判断をしたためであるというのだから。

 

「まあいい。それで、敵に拘束された後、この中のだれかに見覚えはあるか」

 

 トゥルナイゼンは手のひらの内に収まる小さな機械を操作し、四種類の人間の立体画像を出力した。帝国軍の記録に残っていたアドルフ・フォン・ジーベック中佐とテオ・ラーセン保安中尉、サルバドール・サダト准尉のものと、貴族連合残党の旗頭と見られているブラウンシュヴァイク公の遺児エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクの三名のものである。

 

「他の三人には会ってません。ですが、二、三時間ほど前にこの中佐から尋問を受けました」

 

 レムラーの答えにトゥルナイゼンは顔色を変えた。重要人物の一人がこの惑星上にいることが確定したといってもいいのだ。トゥルナイゼンは不始末をやらかした部下を凝視して、矢継ぎ早に質問をしはじめた。

 

「どんなことを聞かれ、卿はそれに対してなんと答えた。できるだけに仔細に、かつ正確にな」

 

 レムラーは素直に報告した。最初になんの目的があってこの惑星にきたのかと問われ、定期巡回であると偽った。しかし二年前からここを隠れ家にしていると嘲られ、本当の目的はなんだと繰り返し問われたが、黙秘した。しかしそれでもジーベックはなぜか自分たちの任務が偵察であると断定し、本隊の兵力はどの程度だと聞かれ、すぐさま分艦隊程度かと問われ、あまりにも正確だったので思わず動揺してしまい、やはりそうかとジーベックに確信を与えてしまった。

 

 続いて、分艦隊を動員したということは、ここに自分がいるとわかっているから帝国軍は追手を出したのかと質問されたが、レムラーはあなたが国事犯である以上その可能性は否定できないと空惚けた。すると自分一人にえらく豪勢なことでとジーベックは嘯き、分艦隊の司令官はだれかと問い続けられたが、頑として答えずにいると諦めたのか尋問を取りやめてレムラーを牢に戻した。

 

「以上です。全体的な印象としては知らないことを聞き出すというよりは、わかっていることの裏付けをとろうとしているように感じました」

「……尋問された時間はどの程度だった」

「体感ですが、およそ三〇分ほど」

「ふむ……」

 

 社会秩序維持局が幹部のレーデルを拷問して聞き出した情報を信じるのであれば、貴族連合残党を実質的に指導しているのはジーベックであるらしい。ということは他の三名もこの惑星上にいるのかもしれない。特に貴族連合残党が忠誠を誓う対象であるエリザベートが行動を共にしている可能性は極めて高い。

 

 この場合、ジーベックが実は内心でエリザベートに一ミクロンほどの忠誠心も抱いていないのだと仮定しても問題はない。いくら貴族連合残党を統括し指導する能力と器量がジーベックにあるとしても、ゴールデンバウム王朝の復興を目的としている以上、エリザベートを見捨てることはできないのだ。いかに帝国最大の門閥貴族だったブラウンシュヴァイク公爵の家臣であったとはいえ、ジーベック個人の旧帝国時代の立場はブラウンシュヴァイク家の私設軍に所属していた一介の帝国軍中佐に過ぎず、爵位となると最下級の帝国騎士(ライヒス・リッター)でしかなく、知名度もない。

 

 これではあまりに知名度と求心力に欠けており、ジーベック自身が貴族連合残党を代表しても組織の構成員たちからの支持を得られるか甚だ怪しいものとなる。よしんば組織をまとめあげて勢力を拡大させていったとしても、ゴールデンバウム王朝時代が忘れられない貴族とその追従者たちからすれば、元帝国騎士風情が王朝再興の旗手を掲げていることに好意的になりえようはずがない。そうした面倒な権威と血縁にまつわる諸問題を解決してジーベックが組織の主導権を握り続けるためには、黄金樹の血を引くエリザベートを名目上の最高指導者として高く仰ぎ、彼女の付属物としての立場を守らなくてならないと考えられる。

 

 そこから推理するに、ジーベックが既に貴族連合残党の根拠地がラナビアにあると帝国に漏れている可能性が高いことを承知の上でここにいる理由はエリザベートがこのラナビアにいたからというのが一番しっくりくる。自分たち本隊の存在を確認するための尋問をしたということは、おそらくはこの星系に入ってすぐにレーダーに反応し、惑星ラナビアへ降下していった偽装商戦にジーベックがいたのだろう。時間的にやや遅い気がするが、通常航路で目立たずに移動していたならばそれほど不自然というほどでもない。少なくとも、トゥルナイゼンにはそう思えた。

 

 貴族連合残党の活動にここで終止符を打つことも不可能ではない! トゥルナイゼンはそう確信し、全部隊に対して捜索を徹底せよと重ねて指示をだした。万に一つにも取り残しがあってはならぬという意識から出た命令であった。しかし囚人看守の一団の鎮圧にあたっていた第七部隊から急報が入り、トゥルナイゼンは顔色を変えて即座に宮殿へと向かった。

 

 すでに第七部隊が抵抗を続けていた囚人看守たちを排除し、宮殿は完全に帝国軍が制圧していた。廊下は戦闘の痕跡があちこちに残っており、抵抗していた大量の囚人看守といくつか帝国軍人の死体が転がっている。戦闘があったのだから当然のことだ。ゆえにトゥルナイゼンは物言わぬ死体には目もくれず、拘束に成功した囚人看守たちを集めている問題の部屋へ扉を開けて入った。

 

 予想通りの妙に肌にべとつく、むせ返るような部屋の空気に、不快感が刺激された。この空気がなんであるかトゥルナイゼンは知っている。初めて前線に出てからまだ一〇年もたっていない短い軍人人生であるが、そのぶん苛烈で濃密な戦場生活を送っており、武勲を求めて戦場を問わなかったので、艦隊戦だけでなく地上戦も幾度となく功績をあげ、トゥルナイゼンは若くして将官にまで出世したのだ。銃撃と砲撃の嵐に晒され、人間が大量の血を撒き散らして死ぬ。その際に発生した血煙と人間の焼けた臭いが大気と混じり合った不快でおぞましい空気。むせ返るほど大量の鉄臭い死臭。それを幾度となく嗅いだことがある。

 

 だが、目の前の光景は、それとは趣が異なる。人間の死体など、戦場では見慣れたものである。だが、それでもこれに比べればまだ人間としての尊厳を保てた死体ばかりだ。ここにある死体は激しく損傷している、いや、しすぎている。おそらく対象が死してなお、執拗なまでに攻撃を加えられたのであろう。この部屋にある死体のすべてがそうであり、もはや人間の死体というより()()()()()()()()()()()()と形容するほうが正確であろう。それほどまでに尊厳を蹂躙され、バラバラになっていた。

 

 一緒に来た兵士たちが思わず口に手をあてたり、かすかに悲鳴をあげたりしているが、それを咎める気にはなれなかった。それどころか、トゥルナイゼンは逆によくその程度で耐えれたものだと内心で感心していた。内戦時にこの惑星を制圧しに来たとき、戦場では見かけない皮と骨だけで肉がほとんどない大量の死体を見て、胃液を逆流させたものが多くいたのだ。それを思えば、動揺をその程度で押し殺せるのはたいしたものというべきだ。

 

 トゥルナイゼンは込み上げてくる不快感を努めて無視し、捕虜になった中で比較的話が通じるとみなされた者たち三名へ尋問を始めた。いつ暴れだすかわかったものではないので、捕虜の背後にはライフルの銃口がつきつけられている。それでも彼らは死の恐怖に怯えておらず、それどろかすべてをバカにしているような笑みを浮かべているのが不可解だった。

 

「この死体の山はいったいどうしたことだ。説明しろ」

「どうしたもこうしたもない。裏切り者を粛清しただけさ」

「裏切り者だと……?」

「そうさ。帝都を掌握したら呼び寄せるとかなんとか自信満々言っておきながら、派手に失敗しておめおめと逃げてきた敗残どもだ」

「おまけに勝ち目がないから降伏しようなんて腑抜けたことを抜かしやがるんだもんな」

「いつもゴールデンバウム王朝への忠誠が云々と偉そうなくせに、なんて根性なしなんだか。准尉は華々しく死んだらしいってのに」

 

 口々に上層部への愚痴を語る。彼らからすれば、ゴールデンバウム王朝には続いてもらわなければ困るのだった。ローエングラム王朝の世にあっても、れっきとした矯正区警備司令部の一員であるのなら、矯正区の外にも縁故があるから、まわりの協力を得て過去の経歴を隠蔽してなに食わぬ顔で社会復帰したり、それがダメでも逃亡生活を送るという選択肢も存在するだろう。

 

 しかしレーデル少佐の計画に組み込まれ、同じ政治犯を虐待して何千何万と残酷に処刑し、それに数十倍する数の人間を過労死に追い込んだ彼ら囚人看守たちからすれば、そうはいかない。先祖の思想傾向のために生まれながらに政治犯の烙印を押されて矯正区の外の世界を知らない者が囚人看守の大半を占めるし、そうでなくても矯正区暮らしが長すぎて外との繋がりが断ち切られてしまっており、頼れる相手もいない。そこにローエングラム王朝の開明政策の推進という非常に困難な要素が追加される。

 

 ローエングラム王朝は当時の法律でも問題があるのならば、すでに裁判所で判決がでているような案件であっても、公正さに欠けていた恐れがあるとして再審を許可している。そしてレーデル少佐の矯正区運営は純粋な軍規のみで判断するならば、誰の目にも明らかなほど違法なのである。そのような状況において、復讐に突き動かされる元被害者と使命感に燃える内務省人道的犯罪捜査局の追跡を振り切り、まったく無知な普通の帝国領で逃亡生活をまっとうしえるはずがなかった。

 

 そのため、彼らの生存のためにはゴールデンバウム王朝が必要だった。より正確にいえば、自分たちが監視役として活躍できる環境が必要だった。そしてそれをローエングラム王朝は絶対に用意してくれないし、むしろ一人たりとて逃すまいと追跡の手を伸ばしてくるのだから、それに対抗的な組織に身を置かなければ生きていけないのである。

 

「……なるほど。それでなんでこれほどまで傷つけたのだ?」

 

 その質問に三人の囚人看守は困惑して顔を見合わせた。その質問の答えは簡単である。だが、なんでそんな質問をしてくるのかが理解に苦しむことであったのだ。

 

「なんでって……。裏切り者や反逆者を血祭りにあげるのは当然のことだろう? でなきゃ軍人連中に同情をしているのかと俺たちが処刑されることになるじゃねぇか」

 

 馬鹿にしているのかと呆れたように一人がそう言い、残りの二人もまったくもって同意だというふうに頷くのを見て、トゥルナイゼンはだからここは苦手だと内心で嘆息した。

 





シュトックハウゼン「儂はどうなったかって? 同盟の捕虜収容所であのイゼルローン要塞を無血陥落させた愚将だとまわりから嘲笑されまくって自信喪失し、本国に戻ったあとにすぐ退役して田舎に引っ込んだよ。それでも例外はいけないと大将に昇進させて年金もくれるんだから、ローエングラムの軍は律儀だな」

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