リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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今回は革命的情熱に溢れまくっているエル・ファシルのお話


悲劇果てしなく、故に現在に至る

 革命予備軍司令官となった元同盟軍最高の名将はエル・ファシルに来てから、うんざりとする日々を過ごしていた。たしかにエル・ファシル独立政府にとっては当然の戦略なのはわかるが、自分の存在を過度に喧伝するのはやめてもらえないものだろうか。ロムスキー主席は決して悪い人間ではないのだが、とかく理想が先行しがちで現実を万事楽観的にとらえる傾向が強いので苦労させられている。レベロ議長と足して二で割れたら、ちょうどいい民主的指導者になりそうなのだが、と、非現実的な思いを感じずにはいられない。

 

 だが、それでもトリューニヒトやそれ以前のサンフォードなどに比べれば、はるかによい潔癖な民主的指導者である。自分の進言を煩わしいものであると無視するようなことはせず、こちらの言葉を聞く耳をもってくれていることだから、多少の欠点はあっても耐えられないほどではない。ただ、いくらなんでも革命家としての情熱が先行して後先考えてなさすぎなところは不満を持たざるをえない。そのせいでヤンはエル・ファシルに来てからずっと革命予備軍の先住民たちとの関係に頭を悩まされていた。

 

 以前から思っていたことではあるのだが、なぜエル・ファシルに続いて自由惑星同盟から独立しようとする星系が存在しなかったのだろうかということである。むろん、エル・ファシルが今の段階で独立したのは暴挙であると今でも思っているが、一五〇年近く続いていた対帝国戦争は同盟全体に深い傷跡を残し、人々の間に怨恨を植え付けている。救国軍事会議のクーデターが起きた時、それを支持した星系政府も少なくなかったことを思うと、少しだけ違和感を感じたものだ。同盟時代の主戦派星系の雄として、この近辺で名高かったヴァラーハなどは続いてもおかしくないはずだと。

 

 いろいろ込み合った事情があるのだが、一番の原因はやっぱりロムスキーであるとしか言いようがなかった。バーラトの和約六条に従い、帝国との友好を阻害する言動を禁じる反和平活動防止法がレベロ政権下で施行され、それに従い、中央政府はどんなに主戦派の気風が強かった星系であろうとも、反帝国的主張を抑えようとしなかった者を公職追放に処し、悪質な場合は拘禁も辞さないという強硬姿勢に訴えた。こうして最強硬派は政治の世界から追われた。

 

 だが、最強硬派を追放したからといって、主戦派系の勢いが完全に死んでしまうわけではない。代わりに建前を取り繕うことが得意な元主戦派が権力の座に就いた。同盟憲章に抵触するような行為を、建前と方便と民意を駆使して正当化していたような連中である。それだけに冷静に現実を分析する能力も備えており、同盟の軍事力が喪失した以上、帝国打倒など夢のまた夢であると悟っていた。そして為すべきことは“自由惑星同盟に加盟する一星系”として、将来的には“帝国領の一地方”としての枠内で高度な自主権を確保することこそ先決。それを実現したならば、後々の選択肢は和戦いずれであっても豊かなものとなるであろう。

 

 そうした考えの下、主戦派の看板だけを取り下げた帝国の不信感を隠せない政治家たちは様々な方策をとった。ヴァラーハを一例にあげると、帝国支配圏からほど近かったこの有人惑星は、帝国軍侵攻を想定して地域単位で民間防衛組織を構築し、いざという時は星系政府が指揮下で組織的な抵抗運動を展開できる制度が存在した。反和平活動防止法によりこういった組織が非合法化したので、星系政府は民間防衛組織を解体せざるをえなくなったが、それらの武装を破棄せずに民間に払い下げし、民間人が自主的に武装している環境をつくりあげた。

 

 当然ハイネセンのレベロ政権から問題行為として追及されたが、ヴァラーハ星系政府の要人は「当星系では武装することは一種の護身術であると認知されており、ハイネセンの住民が防犯グッズを持つのと似た感覚でだれもが所持している。同盟全体の情勢が不安定な昨今、宇宙海賊をはじめとした犯罪組織の活動の活発化が懸念され、民間に銃火器や装甲車、戦闘ヘリなどを提供することは民心の安定に寄与する有意義な事業であると星系政府は確信しており、また当星系民衆の支持も得ている」と平然として(うそぶ)いた。一方で似たような方策をとっている旧主戦派星系との交流を活発化させ、情報交換を密にしていることから、大規模な民衆の叛乱を起こせる下地を作っていることはあきらかだった。

 

 だが、本当に叛乱を起こしたら敗北することはわかりきっている。民間武装の目的はあくまで同盟中央政府、そしてその裏にいる帝国政府への脅しに過ぎないのだから、民衆の不満を宥めつつ中央政府の意向で聞けるところは聞き、いろいろ反発してくるが武力制裁をするには割があわない程度には従順という微妙なポジションをキープして星系政府がとれる選択肢を増やしていくというのが、ヴァラーハを筆頭とする旧主戦派星系政府の基本的政治戦略だった。そういう旧主戦派の観点からすると、時代の趨勢が読めずに勝算なき即時徹底抗戦を主張し、民衆を扇動する最強硬派は目の上のたん瘤でしかない。かといって、最強硬派を過度に弾圧するようなことはできない。最強硬派が少なからず民衆の心を掴んでいるので、やりすぎると民衆の不満の矛先が帝国ではなく星系政府に向く恐れがあるからだ。

 

 そんな風に悩んでいた旧主戦派の星系群にとってエル・ファシルの独立はまさに天祐だった。旧主戦派の星系政府たちはこぞってエル・ファシルの独立政府と接触し、今後の民主主義世界の展開において意義深い出来事であるとし、物資面での援助を行う一方、同盟政府が権力でおしつけた反和平活動防止法のせいで自由に活動できない者達が同盟領内にいるので引き取ってくれないかとエル・ファシル独立政府に願い出た。要は原理主義的活動がしたいならエル・ファシルでやれという体のいい厄介払いであり、援助物資は手切れ金というわけである。

 

 そんな裏があるとは露知らぬ独立政府主席ロムスキーにとっては、多大な物資を援助してくれた恩義があるし、優秀な政治家・官僚・軍人・技術者を多数取り込めるのはとても魅力的なことだった。なにより犯罪を犯したわけでもないのに、反帝国的思想性を理由として自由を奪われ、政治活動が制限されているなど民主主義の原則に反するではないかという、潔癖な民主主義革命家としての当然の感情から喜んで受け入れてしまった。

 

 おかげでウィンザーやトリューニヒトや救国軍事会議を支持していた経歴がある公職者の比率が極めて高くなっており、ヤンが司令官を務めることになった革命予備軍も例外ではなかった。不幸中の幸いとして、彼らが軍規違反を犯した経歴がないかについてはちゃんと独立政府で確認されており、階級秩序に従う軍人精神を持ち合わせている者が上層部を占めていたので、エル・ファシル革命運動のみで考えれば新参のヤン一党が革命予備軍の中核となることについて何の反発も起こらなかったのだが、革命予備軍の軍人たちは揃いも揃って、「不敗の魔術師」、「救国の大英雄」、「絶世の愛国者」、「同盟軍最高の叡智溢れる智将」、「真の民主主義擁護者」等々、聞いていて恥ずかしくなってくるヤンの虚像ばかり信奉していたものだから、ヤンとしては勘弁してくれというという状況であった。

 

 こんなやつらに対して演説をしなきゃいけないのかと気が何度も滅入ったのだが、アッテンボローやシェーンコップが「じゃあ、ヤン提督の代理として演説しましょうか」とものすごくよい笑みを浮かべながら立候補してきたので、こんな状況でこいつらに任せたらロムスキーひいては独立政府全体との関係が拗れてそのまま自分が政治的指導者に祭り上げられそうだという危機感から“二秒スピーチ”でヤンは妥協することにした。軍事委員を兼任しているロムスキーはトリューニヒト政権下の同盟国防委員会とは比べ物にならないほど話がわかる上司なのだが、軍事上の最高責任者というのはやっぱりなりたくなかった。長期計画が成功していれば、そんな面倒な役職は他人に任せることができたはずなのに、と、未練を感じているわけである。

 

 余談だが、長期計画の詳細について知っていた者はヤン一党の中でも極一部しかいないが、少なくとも五年以上の時間を見込んでの計画であると主要人物たちは理解していた。そしてヤン提督はまだ三〇代なんだから、五年や一〇年たったところで、ヤン・ウェンリーが民主主義再生の旗頭になって当然だろうとほぼ全員に思われていたので、仮に長期計画通りの展開になっても旗頭として担ぎあげられたのは疑いないのだが、迂闊にもヤンは生涯そのことに気づかなかったという。

 

 あまり愉快ではない毎日をエル・ファシルで過ごしていたヤンの下に、純粋に嬉しいことが一二月一一日に起こった。地球への旅に出ていた養子ユリアンの一行が帰還したのである。司令官執務室で少しだけまた大きくなった養子の姿を確認して元帥は懐かしさに目を細め、久方ぶりに嬉しさから笑みを浮かべた。

 

「お帰り」

 

 私的にはヤンの妻であり、公的には革命予備軍司令官付き副官という地位にあるフレデリカ・グリーンヒル・ヤン中尉も、夫にして上官に続いて嬉しさから笑みを浮かべた。

 

「元気そうね、ユリアン」

「はい、……帰ってきました」

 

 ユリアンも声を弾ませてそう言った。二人が結婚すると同時に旅にでてしまったので、ヤン家は新しい時代を迎え、もしかしたら古い自分の居場所がなくなっていないだろうかという微かな不安を旅中に感じていたので、変わらず自分の居場所があるという当たり前のことが確認できたのが嬉しかったのである。

 

 しばらく心地よい沈黙が流れていたが、ユリアンがふと思い出して慌てて言葉を発した。

 

「提督、それで地球教に関することなんですが――」

「ああ、別に気にしなくてもいいよ。帝国から流れて来たニュースで、帝国軍がテロ行為を行った地球教の本部を壊滅させたっていう情報を私も知っているからね。あんなところから生きて帰って来てくれただけでも嬉しいよ」

「あ、いえ、その直前に地球教のデータバンクから情報をこれにコピーできましたから、提督のお役に立ててもらえないかと」

「………………そうか」

 

 状況証拠から早合点して、ユリアンの旅の目的も満足に果たされなかったのだろうとヤンは気遣ったのだが、ユリアンがキョトンとした顔でポケットから地球教のコンピュータからデータを移植した光ディスクを取り出したものだから、若干のいたたまれなさを感じた。フレデリカがその反応を見ておかしそうに微笑んでいるものだから、羞恥心がとても刺激された。

 

「うん、ありがとう。時間ができた時に検証するとしよう。しかし壊滅直前まで地球教本部に居ただなんて……。皇帝暗殺なんてとんでもないことしでかすほど地球教が危険な集団だなんて思ってもいなかったものだから、そんな危険な連中の根拠地に旅に行かせたことを私は後悔していたんだが。いったいどうやって手に入れたんだ?」

「その、地球教内部の人に協力してもらえて。イザーク・フォン・ヴェッセルっていう、皇帝ラインハルトが帝国の権力を掌握する前、帝国警察の高官だった貴族の人なんですけど」

「帝国警察の元高官だって? 地球教の手はそんなところまで及んでいたのか……」

 

 地球教と浅からぬつながりが同盟主戦派やフェザーン上層部に存在したので、帝国にもそうした影響力を持っているのではないのかと推測していたが、やはりそうだったのかと感じたのである。しかしユリアンは慌てて首を横に振った。

 

「本人が言うには、警察時代は地球教の裏側のことを知らないただの信者だったらしくて。だからリヒテンラーデ派がローエングラム派との権力闘争で敗れた後、信仰による救いを求めて地球に来て裏面を知って、自分を見失っていたらしく……」

 

 それからしばらく、ユリアンはヴェッセルという人物について知りうる限りのことを話した。法を軽んじる旧帝国に秩序をもたらそうと志し、理不尽に苦しめられ、信仰を支えにして働き続け、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという主君と出会い、リヒテンラーデ派が政治を牛耳って間もなくその座から追い落とされ、自分たちを破滅に追いやった憎い政敵が自分が望んでやまなかった改革を実行していき、絶望した可哀想な人の話を。

 

 それをヤンもフレデリカも黙って聞いていた。フレデリカは徹底的に運がないヴェッセルのことを純粋に同情しているようであったが、ヤンのほうは時折挟まれる旧帝国末期の裏事情やパワーバランスの話に、不謹慎だがアマチュア歴史家として興味も抱かずにはいられなかった。

 

「それでユリアン、あなたはそれでどう思ったの?」

 

 フレデリカの問いに、ユリアンは恥ずかしげに答えた。

 

「保守派貴族の陣営に属していて、皇帝ラインハルトの新体制に属そうとしなかった人たちは傲慢で無能だったのか、あるいは個人的な怨恨のためと思い込んでいたので……。あんなふうに、自分の理想を憎い政敵が実現していくのに絶望している人がいたなんて、思いませんでした」

「ましてや、忠誠を誓った主君は自分の権力を取り戻すために熱心に暗躍しているとあっては宗教に縋りたくもなるか。そして縋った地球教の裏側が悪質な反動の陰謀の糸を銀河中に巡らせているとは、なんともやりきれないことだね」

 

 門閥貴族連合と対立するとき、ラインハルトが手を組んだリヒテンラーデ派も保守主義であったが、それ以上に現実主義的な思想の官僚勢力で、開明的ではないにせよ、帝国の秩序と政治体制を安定化させるという観点から、門閥貴族の専横や統治機構の腐敗を問題視していた。だからリヒテンラーデ派に属してた者が綱紀粛正などの改革を望んでいたとしても、不思議なことではない。

 

 しかしユリアンがヴェッセルから聞いたというゲオルグの思想は、そうした範疇に収まるものではなさそうだった。彼は国家理念が形骸化し、おおくの民衆が未来に希望を持てておらず、しかも貴族階級がそれを気にしてない状態に深刻な懸念を持っていたという。そしてこれを改善するためには、前例に囚われない大胆かつ抜本的な改革が必要であり、恐れ多いことであるのでやりたくはないが、皇帝の理解を得られないようなのであれば、最悪、帝位を簒奪してでも改革を断行せねばならぬとまで決意していたらしい。そんなことを考えている時点で保守主義者ではない。

 

 だが、ゲオルグが抱いていたという改革思想はラインハルトが行った改革とはまったく違う。彼は腐敗の原因は貴族階級の危機感の欠如にあると考えていたらしく、それを改善するために階級の流動性を高めることを重要視していたようだ。貴族の子は貴族、平民の子は平民というのは当然のことだが、それが政争で敗北せぬ限りは永遠不滅のものと胡坐をかいてきたからこんなことになったのだ。優秀な平民が貴族にとって代われる可能性を広げ、自分の地位を奪われるかもしれないという危機感を貴族に持たせる。このような身分の流動性の高い社会体制を作れば、門閥貴族の専横や腐敗に一定の歯止めをかけることができ、なおかつ民衆に活力を与えることができると考えていたらしい。

 

 もし本当なのだとしたら、ゴールデンバウム王朝末期の腐敗した時代においてゲオルグとヴェッセルの目的には完全に一致していたことだろう。しかしヴェッセルによると貴族としての自負心も相応にあったというし、リヒテンラーデ一族全体に処刑宣告がなされていることを別としても、ゲオルグはラインハルトの改革に好印象を持っていないだろうと推測できる。だからこそ、ユリアンがフェザーンで巻き込まれたように、銀河の陰で謀略を巡らせているのだろう。最近、帝都で騒動があったと聞くが、もしかしたらそれにもかかわっていたりするのかもしれない。

 

 だけどただ公正な社会体制を望んでいたヴェッセルにとっては、ラインハルトの帝国も充分に素晴らしいものであり、それを壊そうとなどは思わない。だが、だからといって、その新帝国建設に協力するのは大恩ある主君の義理からできることではない。まったく、ひどい運命に翻弄されているものだとヤンもヴェッセルという人物に同情を禁じ得なかった。

 

「歴史を語る上で悪の色彩を帯びている勢力があったとしても、彼らは彼らなりの正義を掲げているものだし、よしんば悪であったとして、人間が個人個人の意思を持っていて、政治勢力もその集合体に過ぎない以上、善人が一人もいないなんてことはないだろうしね」

 

 そうでなければ同盟で絶対悪とされてきたルドルフとゴールデンバウム王朝を、その国に生まれたラインハルトが打倒してローエングラム王朝を創始できたはずがない。そのことを思っての発言だったが、彼の妻は別のことを連想した。

 

「そうよ、ユリアン。メルカッツ提督や今帝国軍で活躍しているファーレンハイト提督だって、その前は貴族連合の側に立っていたのよ。……それに私の父だって、道を誤ってクーデターの主犯になってしまったけど、決して悪い人ではなかったわ」

 

 ヤンとユリアンはバツの悪い表情を浮かべた。フレデリカの父、ドワイト・グリーンヒル大将は悪化するばかりの政治の腐敗と帝国領遠征による国防体制の崩壊を憂い、武力でトリューニヒト政権を打倒してこれらの問題に迅速に取り組むべきと主張する過激派の意見に賛同して二年前にクーデターを起こし救国軍事会議を組織し、その議長を務めた。そしてクーデターの失敗を悟ると“自殺”してしまったのだと彼の懐刀だったエベンス大佐に聞いている。

 

 ……フレデリカやユリアンには伝えていないが、グリーンヒル大将の遺体をヤンが確認したところ、額を撃ち抜かれていたので、本当の死因は自殺ではないのだろうと思っている。エベンス大佐の後ろめたさを感じた表情をも考慮すると、おそらくはグリーンヒル大将の降伏の意思に賛同しなかった同志のだれかに射殺されたというのが真相なのだろうと思っている。しかし所詮は証拠もない憶測を、クーデターの主犯になったというだけで十分傷ついていたフレデリカに教えるのは躊躇われたので、黙っている。

 

「人が良いせいで、かえってまわりに流され、歩む道を間違えてしまうこともあるのよ」

 

 腐敗したトリューニヒト政権に不満をいだいていたのは当時のヤン一党も共有できる感情であった。だからグリーンヒル大将がそうした気持ちもわかる。だが、だからといってそのために民主主義政権を打倒して軍事独裁政権を打ち立てていいわけがない。そう思ったからこそ、ヤンは救国軍事会議とも対決したのだが、感情面において完全に否定できるかといえば否であり、それが正義VS悪の戦いなんて創作上の物語ではありはしない、現実の正義VS正義の戦い故のやるせなさだ。

 

「まわりに流され、間違える。なら、あの人もそうだったんでしょうか」

「あの人?」

「地球でもう一人、善悪というものについて、考えさせられる人と出会いまして。ダージリンという都市の長をしていたフランシス・シオンっていう女性の方なんですけど」

 

 地球教本部の陰謀を嫌悪しつつも、地球の平和の維持こそが肝要なのであって、犠牲になるのが平和に暮らしている自分たちではなく、一〇〇年以上も戦争に狂奔し続ける狂人どもであるのならば止める必要がどこにもない。そう語った彼女の主張はユリアンにとっては衝撃的なものだった。彼女はただごく当然のことを言っているだけであるという雰囲気で、まったく悪意がない表情でそう言っていた。

 

 個人としては善良でさえ、あったのかもしれない。自分の考えを否定されても怒るようなことはまったくなかったから。しかし無知ゆえのものというには非常に博識であり、堂々と議論してあの狂った論理に合理的に正当化するシオンを否定できなかった自分の歯がゆさは忘れられない。

 

「外の宇宙は一世紀以上も戦争を続けている狂気の世界、か。うん、まあ、その点については反論できないな」

 

 ユリアンからの説明を受けている最中、シオンのとんでもない価値観に唖然とした表情を隠せずにいたが、情報を整理しているうちにヤンはいつも通りの超然とした、あるいは、ボケッとした顔に戻り、説明が終わるとあきれたようにそう呟いた。

 

「提督はシオン主教のことをどう思います」

「いつだったか、おまえにも言ったと思うんだが、戦っている相手国の民衆なんかどうなってもいい、という考え方だけはしないでくれという話をしたな」

「ええ、ハイネセンで仮にラインハルトを戦場で倒したら同盟は救われるだろうが、帝国がどうなるのだろうという話題をした時に」

「ある意味、彼女の思想はその究極系だよ。むろん、地球が外の宇宙と戦争をしていた事実なんてない。シリウス戦役の頃の認識を現在まで引きずっていたという可能性もあるけど、どちらかというと地球教の教義と思考誘導によるものだと思う。つまり戦争などという愚劣なことをやっている外の宇宙の連中は、平和を愛する自分たちとは違う戦争狂なのだから、放っておいても勝手に殺しあって死ぬような外の宇宙の人間がどうなろうが罪悪感を感じることではないという一種の選民思想だ。こういう思想に囚われているような人間というのは、善良な資質を持つ人間であっても被害にあうのが自分たち以外であった場合、悪意なく無関心に肯定できるようになってしまうものなんだ。これは同盟市民が憲章擁護局という過ちを犯したのとそう変わらない」

 

 ダゴン戦役における同盟軍の勝利。それは帝国に対抗しうる独立勢力が存在することをオリオン腕の人民に知らしめ、腐敗しきっていた帝国に愛想を尽かした者達が、安住の地を求めて帝国からの逃亡を開始した。同盟政府は続々と国境に流入してくる人民を“専制的な圧政の被害者であり同胞”であると定義し、当初は新たなる共和国市民として温かく迎え入れた。

 

 だが、一気に何億という帝国人民が国内に流入したことで問題が発生した。というのも、当時の帝国は歴史上もっとも暗闘が繰り広げられた“暗赤色の六年間”の真っただ中であり、その悪影響が市井にまで及んでおり、生活難から亡命してきたのが多数派であり、共和主義者は少数派であった。しかもルドルフが銀河連邦を簒奪してすでに三世紀近い年月が経過していたこともあって、共和主義者であっても民主主義にたいする理解があるとはいえない者が多かったのである。

 

 よって彼らにとっては当たり前の行動をしているだけであっても、旧来の同盟人にとっては赦しがたい行為であった。彼らをこのまま野放しにしていては、同盟の民主主義的な憲章秩序は崩壊してしまう。内なる脅威から民主主義を護るためになんらかの対策をとらなくてはならない。

 

 そうした考えの下、自由惑星同盟の歴史に暗い影を落とすことになった憲章擁護局が設置された。憲章擁護局の目的は、民主主義の理念を新市民に浸透させ、崩壊せしめんとする反共和主義的活動を取り締まるためであるとされた。この組織自体、同盟憲章が保障している思想の自由を侵害する組織であるという原理派からの批判を受けたものの、しばらくは必要性が認められ、新市民の問題行為の取り締まりと教育を担当した。

 

 だが、コルネリアスの大侵攻によって事情が変わった。おびただしい犠牲の末、侵略軍を撃退したものの、専制主義への恐怖心を同盟市民全体に植え付けた。そうした民衆の恐怖を、憲章擁護局三代目長官エドガー・ウェブはそれを最大限に利用した。いや、ウェブ自身、コルネリアスの大侵攻により子どもを失っており、専制主義への憎悪を胸に滾らせていたのかもしれない。

 

 憲章擁護局の局員は信頼できる人材でなければいけないと新たな採用基準をもうけた。局員の先祖が長征一万光年に参加しており、三親等以内に反共和主義・反国家的思想運動に参加した経歴の持ち主が一人もいないこと。そして同盟憲章と最高評議会議長、憲章擁護局長官に絶対の忠誠を宣誓することを条件とした。帝国系市民を潜在的な反体制分子であるとウェブが決めつけていたからである。そして個人の自由を侵害する国民監視体制を構築し、有力政治家の弱みも調べあげて批判も封殺した。それはまさに同盟版社会秩序維持局であり、その長官であるエドガー・ウェブは影の権力者として死ぬまで自由と民主主義の名の下に警察国家を築いた。

 

 ウェブの死んだ直後、最高評議会の主導による調査の結果、憲章違反行為の捜査資料が山のように発掘され、憲章擁護局は反民主主義的な組織であり、自由惑星同盟の歴史上の汚点であるとして解体された。しかし、この一件で帝国との接触後に流入した者たちより、自分たちのほうが民主主義的な人間だという優越意識を一部の同盟人に植え付けることになった。ユリアンが祖母から虐待されたのも、長征一万光年に参加した先祖を持つ名家であり、ユリアンの母方が帝国からの亡命者であるからという差別意識からきたものであるという。まったく、先祖がどうだろうが大きな問題ではないというのは近代民主主義の根幹のひとつだろうに、なんと滑稽なことだろうか。

 

「とはいえ、だ。そのシオン主教ほど無感覚に肯定しているというのは信じがたい。しかも、シオン主教ほどでなくても、地球人の平均的な感情も似たような感覚らしいというのは、ちょっと想像を超えているな」

「憲章擁護局の時代の同盟であっても、新市民差別がまかり通るのが善悪以前に常識と考えていたというふうな話は聞いたこともありませんしね」

 

 二人の反応に、ユリアンは少し顔を綻ばせた。たしかにそういう風に考えれば、地球の感覚が理解不能というほどのものでもないと思えたのだった。きっと地球の人たちも、今回の一件で地球教の暗部を知っていき、間違いであったと気づくことだろう。勿論、一部の人たちは自分の祖母のように、そうした価値観を持ち続けるかもしれないが。

 

「学校でも憲章擁護局時代のことは習いました。銀河連邦の頃がそうであったように、すべての人民は平等であり、帝国領の人民もルドルフとゴールデンバウムの一族によって権利を奪われた被害者であって、そして偶然われわれは国父アーレ・ハイネセンの指導下にあったから自由を回復しただけなのであり、それを特別視するなど間違っている。全銀河の人民は自由惑星同盟の旗の下、民主主義を享受する権利を持っているのだから、亡命者を銀河帝国の侵略軍と同類視して差別した憲章擁護局の卑劣な行為は赦されないものであるって」

「……それはそれで別の問題を孕んでいるな」

 

 しかしそうした学校教育で学んだことを思いだしながらユリアンがそのときの知識を語ると、ヤンは諦観交じりにそう肩を竦めて嘆息した。

 

「どういう意味ですか」

「いいかい。その理屈は憲章擁護局の罪悪を糾弾している一方で、帝国を敵視し差別することは否定していないんだ。それどころか、帝国をこそ憎むべきであると誘導しているようにすら解釈できる」

「そうとれなくもないですが、しかしある意味では当然のことではないでしょうか。どちらも人類社会を自分側の主義によって統一しようと戦争をしていたわけですし、帝国まで弁護するのは躊躇われただけなんじゃないでしょうか。イデオロギーでも根幹の部分から対立しているわけですし」

 

 かたや、神聖にして不可侵なる皇帝をただ一人の主権者として、全宇宙は皇帝の領地であり、その領地に暮らす人民は主体性のない付属物であって、皇帝に仕える臣民であると唱える絶対君主政の銀河帝国。かたや、全宇宙の人民が主権者であり、公正な選挙によって人民より選ばれた代表者たる政治家によって、国家は運営されるべきと唱える民主共和政の自由惑星同盟。

 

 両国の政治的世界観は決定的に相容れない。よって互いに人類社会唯一の正統政権を主張し、相手を国家として認めずに戦い続けてきたのが、ダゴン戦役以来の一世紀半にわたる同盟と帝国の歴史であった。しかしヤンはそこに問題を見出すのである。

 

「そいつは正論かもしれないが、イデオロギーが相反する国同士が戦争以外の形態では交流が成立しないというのは、歴史的に見れば異常なことさ。銀河連邦成立以前の群雄割拠時代なんかは、いくつもの国々が対立と講和を繰り返したわけだしね」

「でもあなた。その頃の国々は、たとえ軍事独裁を敷いていたとしても、建前では民主主義を唱えていたと聞いた覚えがありますわ。そうした共有の価値観が、後に銀河連邦へと発展していったことを考えますと、相反するイデオロギーをぶつけあっていた帝国と同盟の関係をそのまま当てはめられるものでしょうか」

「ああ、そういえば同盟ではそう教育していたんだったな。だけど歴史的に見れば、決してそうではないんだ。少なくとも、地球統一政府以前はそうじゃなかった。相手のイデオロギーを否定しつつも、互いに国交を結び、軍事力以外の方法で相手を打倒しようとする試みは普遍的なものだったんだ。とくに西暦二〇世紀後半の冷戦時代が、それを物語っている」

 

 西暦二〇世紀後半の人類社会とは、西側諸国であるアメリカ合衆国を盟主とする自由主義・資本主義陣営と東側諸国であるソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営の対立し、二つの陣営に分かたれた世界であった。両陣営は核兵器と弾道ミサイルの開発・配備によって、一方が核兵器を使用したら直ちにもう一方も即時に核兵器で報復できるという狂った状況、相互確証破壊といういびつな安全弁を作り上げ、両方の主義主張を押し付け合う代理戦争を世界中で繰り広げて陣取り合戦が行われた、所謂東西冷戦の時代である。

 

 両方の超大国、アメリカ合衆国とソビエト連邦は互いに互いを憎悪し、相手を絶対悪として滅ぼすことを目標としていた。しかし一方で両陣営が緊迫した鍔迫り合いを続けていく中で、超大国同士の指導層の間には複雑怪奇で矛盾した信頼関係が醸成され、互いが直接放火を交えることは絶対にないようにしようという暗黙理の了解が築かれていった。このため、冷戦中に超大国同士の全面戦争に突入するような危機が発生すると、双方は罵り合いながら裏で落とし所を建設的に探り合うという、後世の視点からみればなんとも滑稽なことが繰り広げられるようになった。

 

 ご存知の通り、この冷戦は資本主義・自由主義を掲げた西側諸国の勝利に終わった。一九八〇年代後半に東側諸国で政治の硬直化と長引く経済停滞を社会主義のイデオロギー故に解決できない政府への不満が累積し、それが民衆による資本主義革命運動という形で現れ、それに屈する形で次々と脱社会主義を宣言するようになってしまった。社会主義の盟主であったソビエト連邦は抜本的な改革によって社会主義体制の存続をはかったが、改革に反発する保守派の反動と民衆の資本主義への憧れを抑えきれず、一九九一年にいくつかの共和国に分裂して崩壊してしまったのである。

 

「私はあまり詳しくはありません。でも米ソの冷戦が“一三日戦争”の二大戦犯国を産み落とす遠因になったという風に聞いた覚えがあります。なのにそのほうがよいのでしょうか」

「それも否定できないことではある。かなり語弊があるが、冷戦時代は安定していたといえる。私に言わせれば二極化していただけなんじゃないのかと思うのだが、究極的な破滅は回避され続けてきたわけだからね。冷戦が終わり、大戦争の可能性は遥か彼方に遠のいたというのに、多くの人々がそれを再現せんとしたのさ。それが悲惨な結果に終わったものだから、今度は強力な統一政府が必要だという思想が常識となった……」

 

 類稀なる記憶力に恵まれた妻の指摘に、夫は苦笑しながらそう答えた。

 

 ソビエト連邦が崩壊したことに、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国は快哉を叫んだ。東西の陣営が直接砲火を交える全面戦争の到来は、地球すべてを焦土にしてしまい、人類の滅亡を招来すると信じられていた当時の人々にとって、ソビエト連邦崩壊は世界の終わりを招く大戦争の可能性が未来永劫にわたって消え失せたと錯覚したのである。とりわけ、西側諸国の盟主だったアメリカの民衆は、我らが祖国は世界唯一の超大国として君臨したのだと有頂天であった。

 

 しかし冷戦終結によって世界は平和の時代を謳歌するようになったのかというと決してそうではなく、それは超大国というたがが外れた、新たな動乱の時代の幕開けに過ぎなかった。冷戦時代に敵対陣営への備えを大義名分に両陣営内部において正当化されてきた雑多な民族や宗教を抑圧する正当性が喪失し、世界各地で民族・宗教紛争が頻発し、強者の奢りに対する弱者のテロリズムが横行するようになったのである。

 

 これに対して人類社会唯一の超大国となっていたアメリカは二〇〇一年に本土で大規模な同時多発テロが発生したことを切っ掛けに対テロ戦争を宣言し、世界中で反抗的な勢力の弾圧に狂奔したが、そうした行為自体が新たなテロリズムを生み出す温床となるために根絶することなど不可能であり、国力をすり減らし続けていくばかりの現状にしびれを切らして、とても世界すべての面倒など見ていられないと匙を投げて各地への干渉戦争を取りやめ、孤立主義を掲げて本国に閉じこもるようになってしまったのだ。

 

 それはある意味では冷戦が始まるより昔の群雄割拠の時代への回帰というべきであったが、超大国の庇護がなくなった国々、超大国の恩恵がなくなった国々で、「冷戦時代が懐かしや」という声があがるようになったのである。それは次から次へと新たな敵対勢力が現れ、底なし沼に沈み続けているような思いに囚われた一種の現実逃避論法であった。思い返せば東西冷戦時代の人類社会の政治観は単純明快だった。すべての勢力はどちらかの側に付くことを余儀なくされ、自分側の陣営の超大国を旗頭として仰ぎ見、敵側の陣営を超大国を絶対悪と憎めばよかった。なのに今はどうか。なにが敵で、なにが味方なのかすらハッキリとしない。こんなの、救いがないにもほどがある、と。

 

 そうした声は数年の時を経て、世界唯一の超大国アメリカへの反発と混ざり合いひとつの思想として体系づけられ、その思想に共感したヨーロッパ・アジアの六〇余の諸国が連合し、ソビエト連邦に変わってアメリカ合衆国と世界を二分する超大国、北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)(NC)が二〇二一年に成立する。NCはソビエト連邦のようにもう一方の超大国とは根本より異なるイデオロギーを掲げたりはしなかったが、徹底した反米主義を国家の柱として産声をあげたのである。

 

 この現象にアメリカ合衆国は手をこまねいていたわけではない。反米主義を柱とした国家連合構想が諸国の間で唱えられているという情報を察知してからあらゆる手段を尽くしてその実現を妨害しており、それでも誕生を阻止することが叶わないとなると、同じようにNC構想に強い警戒心を持っていた社会主義の生き残りである中華人民共和国と二〇一九年に広範な分野での同盟関係を結び、翌々年のNC誕生に対抗する形で中華人民共和国とアメリカ合衆国と国境を接する弱小国や南米諸国を吸収して三大陸(ユナイデット・ステーツ)合州国(・オブ・ユーラブリカ)(USE)の誕生を高らかに宣言したのである。事実かどうかは不明だが、あえて領土の比率が低いユーラシア大陸を国名として採用したのは、ユーラシア大陸の大半を占有しているNCへの反感によるものであったという。

 

 こうしてNCとUSEという人類社会を二分する超大国が成立し、かつてのソビエト連邦とアメリカ合衆国による冷戦の頃と同じ環境が再現されたように思われた。だが、この二つ超大国はかつての二つの超大国と決定的に異なる部分が存在した。ソビエトやアメリカは他国に自分の主義主張を押し付け、自らの陣営に与することを強要し、従わぬとあれば武力介入して傀儡政権を打ち立てるということをしばしばしたが、直接他国を自国領に組み込むということをあまりしなかった。一方、NCとUSEは他国を併合することに熱狂し、祖国消滅を良しとはしない弱小国はNCとUSEの対立の間隙をつき、両国の間に張りつめられた一本の細い糸の上でバランスをとるしか独立を守り抜く術がなかったのである。

 

 こうした二つの新超大国の節操のなさ、あるいは寛容のなさが、相互確証破壊という安全弁が機能せずに人類滅亡の危機を招来するボタンを押させたのであろうと後世の歴史家が主張しているように、NCとUSEの新冷戦体制は長続きすることはなかった。どのような経緯があったのか調べようがないので現在でもよくわからないのだが、二〇二九年に両国は全面戦争に突入し、一三日間にわたる熱核兵器の際限ない応酬によって人類の大部分を死滅させるという人類史上最大の愚行を犯したのである。

 

 わずかに生き残った人類は何千という群小勢力に分かたれて、偏見や独善的な正義を互いに振りかざし、核の冬の中で殺しあうという混沌の時代が訪れた。九〇年間も続いたあまりにも凄惨すぎる混迷の時代に対するトラウマから、単一の権力体制による統一政体が人類存続のために必要だという思想が広く支持されるようになり、二一二九年に地球統一政府が誕生した。そしてその統一政体思想は地球統一政府が崩壊しても生き続けて銀河連邦を誕生させたように、人類社会にはひとつの中央政府が存在するのが望ましいというのは、一三日戦争以来人類普遍の常識となっていったのである。

 

「だが、私はこう思うんだ。その人類統一政体思想のために排外性を強め、初接触からバーラトの和約に至るまで、一度も公式な停戦条約が結ばれることがなかった大きな原因になってしまっていたのではないか」

「……人類社会にはひとつの国家しか存在してはならない。並び立つ対等な政権を認めることは赦されないこと。それは人類を滅亡寸前にまで追いやった一三日戦争の再来を招く愚行でしかない。そうした統一政体思想こそが戦乱をやめられなかった原因だとお思いなの?」

「それがすべてとは言わないが、そうした意識のせいで講和の芽を少なからず潰してきたのは間違いないと思う。人類社会の統一による平和。なるほど、ロマンチックな平和の在り方であるが、実際のところ、その理想のためにダゴン戦役以来同盟と帝国はおびただしい犠牲者を積み重ねることをやめられなかったのではないか。私に言わせれば、一三日戦争の悲劇を根拠として、人類社会に国家がひとつしか存在してはならないと決めつけるのは論理が飛躍しすぎだと思うんだがね」

 

 人類社会が単一の国家によって統合されなくてはならないという観念論は直視しがたい人類滅亡の危機を招いた恐怖から来たものであり、当時でさえ「戦争がなくなれば内乱がおきるだけさ」と一部から皮肉られた逃避的思考の産物でしかなかったはずで、そうであらねばならない必要性は本来どこにもないのだ。唯一絶対の価値観しか認められない世界より、さまざまな価値観が乱立し対立している世界のほうがマシであるとヤンは思う。どのような色で人類社会を染めあげようとも、使える色が一色しかないのでは無彩も同然。無秩序な多彩は純一の無彩に勝る。

 

 全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め、それと引き換えに内政自主権を確保し、民主共和政体を存続させ、将来の復活のための準備をするというのが、現実性のある目標であるとヤンは考えているが、たとえ一星系しか支配していなくても、形式の上ではローエングラム王朝と対等な独立国という建前をつくれたら、なおよいと思う。必須条件ではないし、それが達成されたとしても実質はそれほど変わらないだろうが、二つの独立国家が平和的に共存してゆくという事実は、地球統一政府成立以来、人類を縛り続けてきた統一政体思想に風穴を空ける先槍となるだろうから……。




銀英伝の世界は現実の歴史の地続きであるという設定であるのだが、20世紀後半ないしは21世紀から絶対違う路線に進んでる(書かれたのが1980年代だからしかたないのだが)。というわけで、本作では21世紀アメリカが対テロ戦争で史実以上にハッスルし、終わりが見えないので「俺の国だけ平和ならOK!」と反動で極端な孤立主義に走った結果、世界各地で反米感情の嵐が吹き荒れたという設定です(今後の展開にあまり意味はないと思うが)

あとヴァラーハとか同盟主戦派星系の詳細に関しては、『レガリア』っていう短編でやったことあるので、興味あったら読んでくださいな。

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