リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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ヴァルプルギス作戦編が長引いたせいで、かなり久しぶりの主人公登場です。


二重生活の一幕

 フライングボールというスポーツは、現代の人類社会においてもっとも広く認知されているスポーツであるといえる。〇・一五Gという低重力のドーム内でおこなわれるため、かつての人類社会で人気があった三大球技(ベースボール、フットボール、バスケットボール)とは異なる三次元的な攻防戦が展開される目新しさが国民の心を掴み、また宇宙暦新時代を象徴する国民的スポーツであるとして銀河連邦政府がその普及を力強く推進したので、体制側からバックアップも充実していたからである。

 

 もっとも起源となる遊びは地球統一政府の時代からあったらしいが、ともかくもひとつの競技としてルールなどが体系づけられたのは連邦時代のことであり、プロスポーツとして認められたのも連邦時代である。銀河帝国は連邦のプロフライングボール界の伝統をそのまま引き継いだし、連邦時代を象徴するスポーツであるので銀河連邦の正統継承国家を自称する自由惑星同盟も、プロフライングボール界の育成に注力してきた。

 

 このため、帝国と同盟双方にとって非常に親しみがあり共通性が高いスポーツであるといえる。十数年前に第四代自治領主ワレンコフの発案によってフェザーンで“銀河時代に甦るオリンピック”というスローガンの下、フライングボール全人類統一大会が開催されたことすらあるくらいだ。

 

 そんなわけで当世の人間でフライングボールを知らないということはまずないと言ってよい。仮に知らない者がいるとしたら、それはよほどの田舎者か、あるいは農奴階級の者達であろう。少なくとも、帝国ではそうである。

 

 ゲオルグがプラクシス宙空競技場の観客席に座っているのも、全宇宙フライングボール親善大会決勝戦を観戦するためである。父エリックがフライングボールファンだったので、母が存命であった頃は家族と共によく観戦していたが、ゲオルグ自身はそれほど好きというわけではない。ただ一臣民として身分を偽装している都合上、どうしてもご近所付き合いというものが発生し、所属している地縁団体から決勝戦チケットが送られてきたら断りにくく、特に立て込んでいる事情もなかったので地元住民と一緒になって見物することにしたのである。

 

「ようこそ! プラクシス宙空競技場へ! この歴史ある旧都テオリアにて第三九七回全宇宙フライングボール親善大会決勝戦ダグルス対オーラカの試合が行われることとなり、このヤツェク・グラズノフ、アルデバラン星系総督として嬉しいかぎりであります。その心情を長々と述べたいところではございますが、ご来場の皆様も決勝戦と選手たちの活躍に期待し、私と同じく試合開始はまだかまだかと思っておられるであろうことでしょうし、総督としての挨拶はここまでとさせていただきます。選手諸君、素晴らしい試合を期待している!」

 

 総督の挨拶が終わると、宙空競技場の中心に設置されている巨大な透明のドーム内に、紹介アナウンスと共に続々とフライングボールの選手が登場し、その度に観客席から熱狂が巻き起こった。そのざわめきに紛れて隣の老人が声をかけてきた。

 

「グラズノフの奴、気になることがたくさんあって、ろくに演説文考えてこなかったんでしょうか」

「……シュヴァルツァー。おまえ、総督府の役人で私の上司という設定になってるのだから、そんなにへりくだる必要はないぞ」

「申し訳、いや、すまん」

 

 警察時代より信頼する側近の迂闊な言動を咎める。その様子を他の観客が気にかけた。ゲオルグは明るい笑みを浮かべて噓八百を並べ立てた。

 

「いやあね。うちの係長がどの選手が強いのかわからないから教えてくれって。それで教えてただけさ。といっても、私もあまりよく知らないわけだが!」

「なんということだ。プロフライングボールをよく知らないなんて。あんたたちは人生の半分を……いや、すべてを損しているようなものだぞ。俺が詳しく解説してやろうか」

「いらないよ。まったく知らないってわけじゃないし、基本的なことくらいわかっている。この試合で一番優秀なのはダグルスのフォルゲンだろう」

「うむ。たしかにあいつは生き残った数少ない超級貴族選手だからなぁ……。だが、フォルゲンといえどオーラカの黒い三連星のディフィンスを突破することは難しいはずだぞ」

「ハッ、フォルゲンからすればあんな連中は案山子みたいなものだろ」

「聞き捨てならないね。賭けるか」

「よし、じゃあフォルゲンが先制するのに三マルクだ」

「おいおい、いいのかよ。それじゃあフォルゲン以外が先制したり、オーラカが先に点数入れても賭けは俺の勝ちということになるんだが」

「お? じゃあ、なんだ。倍率でもつけてくれるのか。一〇倍くらい」

「ふざけるな。三〇マルクも奪われたら生活費が賄えなくなる。二倍で我慢しろ」

「わかった。じゃあそれでいこう」

「よっしゃ燃えてきた! おい、麦酒だ麦酒! 気合を入れてフォルゲン以外を応援しなきゃならん!!」

 

 労働者風の男と談笑しながら、売り子に紙コップにビールを注いでもらっている主君の姿に、シュヴァルツァーはなんとも複雑な視線を向けた。もう既にゲオルグが民間に溶け込んでいる光景は見慣れていたが、やっぱりなにか微妙な心境になってしまう。

 

 警察時代、大貴族が観戦するとき、フライングボールの会場の警備を任されたことが何度かあったが、ゲオルグは警備の配置を整え、非常時以外はもっとも見晴らしがいいVIP席にて大貴族達と一緒に砂糖菓子と紅茶でティーブレイクしながら優雅に試合を観戦していたものである。

 

 なのに、今ではほとんど目立たない一般席で、民間人と一緒に騒ぎながら安酒を飲んで観戦しているのである。やっぱりギャップというものが酷すぎる。そうした思いを取り繕いきれずに面にだしてしまう失態をしてしまったことがシュヴァルツァーには何度かあったが、まわりに不審に思われるとゲオルグが即座に「うちの係長は厳格な官僚だから、あまりこういう騒がしいのが好きじゃないんだよ」とさりげなくフォローする徹底ぶりである。

 

 そんなことを思っていたら、再び会場が爆発的な歓声があがった。実況者の解説を聞くと、どうやらフォルゲンがオーラカの防衛網を巧みにすり抜け、先制点を取得したらしい。ゲオルグと賭けをしていた労働者風の男が悔しそうな顔を浮かべながら財布を取り出し、帝国マルク札を六枚ゲオルグに手渡した。

 

「ちくしょう。貴族選手がいなくなったせいで、全体的にフライングボール選手の質が落ちたのが悪いんだ。でなきゃ、フォルゲンがあそこまで自由に動けなかっただろうし」

「そのあたりのことを推測できるようになってから賭けないと損する一方だよ?」

「わかってらあ!」

 

 労働者風の男がヤケクソ気味に酒の入った紙コップをあおって、中身を飲み干した。彼の言っていることは八つ当たりでしかなかったが、全体的に帝国のフライングボール選手の質が落ちたというのは疑いようのない事実であった。貴族が強いのは多少なりともプロフライングボールのファンであるなら常識である。

 

 というのも、純粋に環境の差である。義務教育にあたる基礎学校(グルントシューレ)に入学したときに、無重力体験の講義で各学校に設置されている〇・一五Gを体験し、そこから発展する形で授業でフライングボールをするようになる。そして部活動でフライングボール部を選び、そこから訓練を続けて才能を伸ばし、プロフライングボールの選手を目指すというのが、平民選手の平均的経歴である。

 

 対して貴族の場合、たいていの場合において私的利用できるフライングボールをプレイするための低重力ドームを持っており、物心ついた頃から遊び感覚で〇・一五Gを体験している。そしてそこからプロフライングボール選手になりたいという意志を持てば、専門のコーチをつけて徹底的に特訓。幼年学校に入るような頃には基礎レベルは完璧に出来上がっている状態で専門校のフライングボールチームに入り、プロ選手を目指す形が一般的だ。

 

 早い話が貴族と平民では訓練に使える時間で比較にならないほどの差が存在する。この差は並大抵の才能では容易に覆すことができない。ましてや貴族の方に才能があった場合、圧倒的な訓練時間もあわさって、他の追随を許さない超人的活躍をしたりするのだ。そうした選手を帝国のフライングボールファンは超級貴族選手と通称していた。

 

 別にフライングボールに限らず、帝国におけるプロスポーツ選手の身分差問題というのはそういうものであった。ただフライングボールは重力制御装置という非常に高価なものを使える環境がなければプレイすることができないので特に顕著なだけである。これは観客たちに超人的な活躍をする貴族選手を見させ、平民と貴族の隔絶した差を見せつけるという帝国政府の意向によるものもあったそうである。現在帝冠を抱いている偉大な若者とその側近たちはそうした帝国スポーツ界のありようを好ましく思っておらず、最近では訓練場所を無償で提供するなどかなりの改善がはかられているそうだが……。

 

 そうした超級貴族選手を輩出した貴族家もリップシュタット戦役において貴族連合側に与し、そうした超級選手も自領の私設軍の士官として従軍した。そしてラインハルトが率いる軍勢と戦って戦死したり、内戦末期に貴族の世の終わりを嘆いて自ら生命を絶ったりした。そうでなくても四肢を喪って引退を余儀なくされた者が多くいる。おかげで今なお現役である超級貴族選手は、フォルゲンをはじめとして本当に数えるほどしか残っていないのであった。

 

「おい、若造、おまえの言う通りだ。今のフライングボール選手の質はひどく悪化してしまっとる」

「本当に同じ人間かと思えるような攻防を繰り広げられていたのに、今じゃあ昔ほどダイナミックでハラハラする試合運びにならない。いや、今でも充分に楽しめると思いますが」

「はん、昔のがプロなら、今やってるこの試合なんぞアマチュア試合みたいなもんさ」

「ですけど、フェザーンや銀河の向こう側のプロチームも参加するようになれば、内戦前の水準に戻るかもしれませんよ」

「かああ! なに甘っちょろいこと言ってんだこの小役人! いいか、お前が生まれる前にも一度それがあった。フライングボール全人類統一大会ってやつだ。俺はな、溜め込んだ全貯蓄を切り崩してフェザーンへのチケットを買ってこの目で直接観戦したんだ。だが、やっぱ帝国のチームが一番強かった! 優勝したのだって、帝国だった! 所詮叛徒どものプロとやらは偽物の張りぼてでしかなかったってことさ。本物の、実質あるプロフライングボールチームより優れる点などなにひとつとしてない!」

「そうだぞ。今回の大会にも講和条約が結ばれたんだから、向こう側のプロチームが参加しないかという話があったのに、全チームが断ったというじゃないか。現実を見せつけられて、恥をかきたくないんだよ。サジタリウス腕の連中は」

「……ええ、そうかもしれませんね」

 

 同盟やフェザーンのチームが大会参加を断ったのは、同盟首都ハイネセンでの騒動に加え、帝国大本営がフェザーンへと移されるなど、にわかに緊迫してきた情勢を考慮した同盟とフェザーンのスポーツ界の賢明な判断によるものではなかっただろうかとゲオルグは思ったが、筋金入りのファン集団から集中砲火を浴びてまで主張することでもないと思い、胸の中にとどめた。

 

 試合は一進一退だった。一人の選手としてはフォルゲンが圧倒的であったが、あまりにも個人としての能力が突出しすぎているため、ダグルス全体としては連携面にいささか難が生じている。対するオーラカは連携面では盤石で、特に高速パス回しは目で追いかけるのも一苦労だ。

 

 なかなかに白熱している名試合であるといえ、ゲオルグも観戦にのめり込みつつあったが、隣に座っていたシュヴァルツァーが携帯電話をとり、数言なにか話した後、ゲオルグに「エル・ファシルで動きがあったようです」と耳打ちした。そう言われては試合観戦などしている場合ではない。二人は立ち上がった。

 

「どうしたんだい?」

「いやあ、自分と係長にお呼びかかりがきましてね。これから総督府に出仕しなくてはならならなくなりました」

「そりゃ残念だ。せっかく試合が盛り上がってきたというのに」

「公務員ですからね。昔からよく言うでしょう? すまじきものは宮仕え……」

「……昔はそれを聞くたびに腹立ってたんだが、最近は皇帝(カイザー)の意向で工場を定期的に休めるようになったから、たしかになぁ」

 

 労働者風の男に軽く別れを告げ、ゲオルグとシュヴァルツァーはプラクシス宙空競技場の観客席を出た。そして駐車場に止めてあった地上車に乗り込む。当然、シュヴァルツァーが運転手を務め、ゲオルグは後部座席に座ってくつろぎながら、思案をめぐらせていた。

 

 総督府につくと玄関口にハイデリヒ元保安中尉が出迎え、脇に抱えていた報告資料をゲオルグに手渡した。ゲオルグは資料を読みつつ、ハイデリヒとシュヴァルツァーを後ろにつけ、今では公的にも自分専用に与えられた私室に入った。資料を完全に読み終えるとハイデリヒに問いただした。

 

「逃亡中だったヤン一党がエル・ファシル独立革命政府に合流したというのは間違いないのか」

「はい。独立政府主席フランチェスク・ロムスキーが先ほど全宇宙に向けて公開演説を行い、その旨を述べました。ヤン元帥も少しだけですが言葉を述べていましたし、疑いないかと」

「ふむ……」

 

 ハイデリヒの資料によると、ヤン・ウェンリーが例のレサヴィク星域で同盟軍の廃棄艦を強奪した義勇兵集団の黒幕であり、それと合流してエル・ファシルに姿を現した。革命政府主席ロムスキーは以前からヤンの参加を求めていたこともあって盛大に歓迎した。

 

 そしてヤン一党はエル・ファシルの革命予備軍に所属することとなった。軍事面の人事も一部公表されている。司令官ヤン・ウェンリー元帥、参謀長ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将、後方勤務部長アレックス・キャゼルヌ中将、擲弾兵総監ワルター・フォン・シェーンコップ中将。一見、要職の人物名だけ公表したという形に見えないこともないが、単に知名度があるから公表しただけではとゲオルグには思えた。

 

 どのような経緯であるのか判然としないが、とりあえず独立政府の公開演説の映像を見て見ることにした。それに加え、もらった時はあまり重要視はしていなかったが、ボルテックと連絡をとりあってグラズノフが入手した独立政府主要人物リストがあったはずだから、それを持ってくるように命じた。

 

 ロムスキーの演説は同盟再侵攻のとき、ラインハルトが和約破棄と宣戦布告を告げる演説で述べられた事前情報説明を概ね踏襲していた。帝国の駐在弁務官レンネンカンプと同盟のレベロ政権の合作陰謀によって、民主主義守護の為に最善の行動をしていたヤンの抹殺をはかった。この件について帝国も同盟も非難に値するだけのことをしており、このような不法を決して許さないという民衆の怒りが、エル・ファシルに自由惑星同盟からの独立革命という道を選ばせたのである。

 

「ヤン元帥がこの惑星に来られたことは、いうなれば、われわれエル・ファシルこそが民主共和政治の本道を行く、真に民主主義的な革命政権であると認めらたということであります。つまり、レベロ政権がわれわれの独立革命運動は独善的であり、民主政治を脅かす行為であるという非難は、まったくの事実無根のものであったという証であると言えましょう。かつて、このエル・ファシルからヤン提督の民主国家の英雄としての伝説が始まりました。そして今度は。このエル・ファシルから民主革命の英雄としてのヤン提督の新たな伝説が始まるのです。それでは、ご本人から挨拶してもらいたいと思います」

 

 そう言って、いかにも頼りなさそうな青年が――実績から考えると絶対そんなことはないのだが――ぎこちない笑みを浮かべて登壇した。マイクに向かって演説を始めた。

 

「ヤン・ウェンリーです。どうかよろしく」

 

 かつて自由惑星同盟軍最大の英雄であり、これからエル・ファシル独立革命最大の英雄となるであろう人物の演説は、これだけで終わった。あまりの短さにロムスキーが慌てたように再び登壇し、解説を付けくわえて場を取り繕おうとした。

 

「ヤン提督は長い逃避行のせいでお疲れであり、それでも私が民衆に声をかけてやってほしいと特に頼んだのである。彼が今回の民主革命への参加を並々ならぬ決意で決められたことであると私は確信している。なにより、民主国家の軍人にとって重要なのは言葉より自制と行動と実績なのですから。これより、彼の起こす奇跡に期待しようではありませんか」

 

 努めて落ち着いたようにロムスキーはそうヤンの事情を説明するが、雰囲気がぶち壊されたことはどうしようもなく、なにかすっきりしない感じで公開演説放送は終了していた。

 

「……前にも思ったが、ヤン・ウェンリーという男がさっぱりわからぬな」

 

 以前、同盟内に現れた義勇兵集団のニュースを聞いた時、その義勇兵集団とやらの黒幕は同盟政府か同盟軍の中枢であろうと推測していたのである。にもかかわらず、実際の黒幕はヤン・ウェンリーであり、しかも同盟政府と同盟軍に抹殺されかかったということは、その情報を上層部とまったくと言っていいほど共有していなかったらしい。正直に言って、あまりにも間尺に合ってないように思える。想定外もいいところだ。

 

 まったく政府や軍の後押しなしに非正規の軍事力を存続させ続けるなど補給や練度維持の観点だけで考えただけで無謀極まるように思える。加えてそうした課題を乗り切れたとしても、政府や軍とのパイプがろくにないのだから、バーラトの和約を破棄ないしは改定したときに、軍の中核となることも難しくなるし、よしんばなれたとしても、不協和音が凄いことになりそうだ。

 

 となると、同盟政府打倒を目的としての軍事力隠遁であったという可能性くらいしか考えられない。同盟政府の親帝国方針に民衆が不満を募らせるのを待ち、民衆多数がバーラトの和約破棄を叫んで蜂起した時に義勇兵集団を民衆の武力として登場させ、新同盟の正規軍中核となる。だが、これはリップシュタット戦役と同時期に起きた同盟でのクーデターによって成立した救国軍事会議政権と同じように内戦状態に陥る可能性だって十二分にあることを思うとあまりにもリスクが大きいように思える。

 

 では、元々は同盟と帝国の間に第三勢力を構築する計画であったと考えるべきか。エル・ファシル独立政府主要人物リストによると、政府主席ロムスキーはエル・ファシル脱出作戦において協力した過去があるらしい。エル・ファシルの独立宣言は、大局的に見て同盟を更なる混沌に陥れた暴挙であるというのが帝国政府側の分析がクラウゼのルートから届けられている。しかし最初からロムスキーとヤンが協力関係にあったとするならば、共犯者が同盟政府に排除されそうになったので焦り、予定を前倒しにして独立宣言を出したということになるとすればある程度の筋は通る。だが、同盟と帝国の間に第三勢力を生み出したところでいったい何の意味があるというのか。

 

 思いつくようなことと言えば、バーラトの和約はあくまで銀河帝国と自由惑星同盟の間で結ばれた条約であり、国内の分離独立を禁じる条項が存在しないことを盾に、おおっぴらに再軍備を行うということくらいだが、あまりにも屁理屈染みている。第一、それならエル・ファシルみたいに帝国領にほど近い星系ではなく、反対方向に根拠地を築くべきだし、仮にそうしたのであってもバーラトの和約第三条で帝国軍は同盟領を自由に往来することが認められているのだから、同盟領を通ってきた帝国軍に鎮圧されるだけであろう。あまりにも意味がない。

 

 では、いったいなにを目的としていたのか。ゲオルグの想像が及ぶところではなかった。義勇兵集団の頭領に旧帝国の宿将であるメルカッツを任じていたことから、おそらく自由惑星同盟としてのメンツをあまり気にしていない目的であったのだろうとは思うが……。 

 

「わからないことをいくら考えても仕方がない。過去のことよりこれからの展開について考えるべきか」

 

 小規模とはいえ、ひとつの勢力の軍事組織の頂点に台頭してきたヤン・ウェンリーという人物がどういう性格なのか、どのような行動方針を持っているのか、まったくといっていいほどわからないのはかなりの不安要素だが、今ある情報では答えが出ない以上棚上げするしかない。ヤンに対するゲオルグの確定的評価といえば、軍事的天才で演説嫌いということくらいだ。というより、あんな演説放送をするくらいなら、適当なスポークスマンでも雇って代弁させる形をとったほうがマシだったのではないだろうか。

 

「ハイデリヒ、ヤン一党とエル・ファシル独立政府の合流が今後の情勢にどのような影響をあたえると思う?」

「独立政府が正式にヤン一党を迎え入れ、帝国側が糾弾していた同盟政府の非を全肯定する声明を出した以上、同盟政府とヤン一党が遺恨より専制勢力からの民主主義の防衛を優先して共同戦線を組むという可能性は完全になくなりました。そうである以上、帝国軍の遠征継続方針は揺るがぬものとなったかと」

 

 ラインハルトが宣戦布告と同時に全宇宙に同盟首都の混乱の真相を公表してしまった時点で既に微かな可能性となっていたことではあるが、それでもすべては帝国のレンネンカンプの暴走が原因であり同盟政府は被害者であると発表し、ヤン一党が割り切ってしまうようなことがあれば、共同戦線が組めてしまう可能性はあったのである。

 

 しかしエル・ファシル独立政府が、帝国の侵攻に対してだけではなく同盟政府をも声高に批判してしまったので、手を組める余地がほとんどなくなってしまった。これは帝国軍にとっては共和主義勢力の分裂を見逃さずに各個撃破する好機であり、後方の本国における不祥事からくる不安の微粒子を、ある程度は吹き払う材料足りえるだろう。

 

「帝国官界に多大な被害がでたから、遠征を中断しての撤退もありうるかと思っていたのだが、遠征を継続する方針を貫くとは、な」

 

 かなり残念そうにため息を吐く金髪の主君に、初老の側近は疑問を覚えた。

 

「貴族連合残党が起こしたクーデターの過程で大量の開明派官僚を事前のわれわれの予想を超える規模で殺害してくれたおかげで、構成員を中央政府に潜り込ませやすくなった今の状況下においては、皇帝ラインハルトが遠征を継続するのはわれわれにとって好ましいことだと思うのですが違うのですか。いえ、長期的視点で考えれば以前申しあげたように、外の脅威がなくなれば内憂への対処により大きな力がかかることはあきらかなので、遠征の中断によって自由惑星同盟が存続してくれた方が良いのかもしれませんが……」

「いや、皇帝ラインハルトが本国に戻ってこないほうが中央政府への浸透を強める上ではありがたいというおまえの認識は間違っていない。皇帝がいる状況下で大規模にするとちょっと面倒なことになりそうだからな。だが、撤退してくれていたら皇帝ラインハルトの最大の支持基盤である軍部を切り崩すこともできたのではないかと思うと、少し未練がな」

「仮に撤退したとしても軍部の皇帝支持が揺らぐとも思えないのですが。いったい、なぜでしょうか」

「高級軍人どもが自分より年下である皇帝に忠誠を捧げているのは、常に彼が最終的には勝利してきたからであり、兵の犠牲を無駄にせぬ結果を残してきたからだ。少なくとも、帝国元帥に昇進して以来、皇帝ラインハルトが軍事行動を起こして戦略目標を達成できなかったことはいまだかつてない。そうした実績が、常勝の英雄として崇敬の念を抱かせておるのだ。そのような人物が自由惑星同盟を武力によって完全併合すると公言して間もないというのに、撤退を決めたりしたら帝国軍将兵たちはどう感じるであろうな」

「……常勝の英雄ではないと幻滅してしまう可能性がある、と、いうことでございますか」

「その通り。ましてや共和主義者どもが往時に比べはるかに弱体化している上に分裂騒動まで起こす醜態をさらしているとあっては、コルネリアス一世の頃の帝国軍と同じように軍人たちはなんで撤退したのかと不満を募らせよう」

 

 自由惑星同盟を完全に併合せんとし、自ら大軍を率いて同盟軍相手に連戦連勝し、同盟首都ハイネセンの目前まで迫ったコルネリアス一世は、本国で宮廷クーデターが起きたために遠征の続行を断念し、撤退することを決断した。しかし突然の撤退命令だったこともあり帝国軍の撤退はかなり無秩序なものであり、敗走を重ねながらも不屈の闘志で虎視眈々と反撃の機会を伺い続けてきた同盟軍の激しい追撃を受けて手痛い損害を受け、遠征で得た占領地のほとんどを手放さざるをえなくなった。

 

 この結果に遠征に参加した高級将官は激しい不満をいだかざるをえなかった。あと一歩、あと一歩で、不遜な叛徒どもに再起不能の大打撃をあたえ、銀河帝国が名実ともに人類社会すべてを支配することができたのだ。いくら本国首都でクーデターが起こされたとはいえ、撤退の決断は早計すぎた。おかげで遠征で得たものは占領中のわずかな略奪品くらいしかない。本国のクーデター勢力が意外に小規模で簡単に鎮圧できてしまったこともあり、叛徒に致命的打撃を与えた後に撤退した方がよかったのではないかという皇帝の“誤断”への怒りを募らせたのである。

 

 コルネリアス一世もそうした軍部の感情を理解しており、その反発を慰撫するのにかなりの神経を使っていた。というよりかは、“元帥濫発帝”などと通称されるほど元帥号を無節操に与えてきたせいで、中堅将校であっても元帥としてかなり広範な権限を行使できる者が多く、あまりに彼らを無視すれば元帥権限を悪用して叛乱を起こしかねない恐れがあったから、神経質にならざるを得なかったというほうがより正確であるかもしれない。

 

「コルネリアス一世の大親征とはいささか細部が異なるが、皇帝ラインハルトが遠征を中止しても似たような事態が発生しよう。閣僚すら犠牲になったのだから、軍上層部の大半は撤退にも理解を示すだろうが、ことに中堅以下となると自軍の精強さを過信している輩が多いという情報もあるから、つけいれる隙は十二分にできたはずだ」

「なるほど。となると、遠征を中断してもかなりのリスクを負うことになるわけですか……」

 

 自分より遥かに高い視座からの深い分析にシュヴァルツァーは内心圧倒されるような思いだった。

 

「とはいえ、だ。万一、共和主義者相手に手痛い損害を被ろうものならば、今この段階で撤退するよりもはるかに軍部は皇帝ラインハルトに不満を持つことになり、われわれがつけこむ隙も大きくなる。そのあたりのことがわからないほど愚かであるはずがないから、それを承知の上で遠征継続の決断をしたのだろう。そしてそれは皇帝自身が常勝の英雄としての強い自負心を持っている証明であるともいえるわけだから、おそらく同盟政府もエル・ファシルの独立政府も叩き潰すまで戻ってこようとはせぬであろう。つまりこれからも皇帝が何か月も本国を留守にすること疑いない。この空白期を利用して貴族官僚復権の政治的潮流でも帝国官界にできるよう工作し、私の復権への道筋を整えたいところだ」

 

 正直なところ、貴族連合残党がここまで派手に事を起こせるなどとは事前には思っておらず、中央政府に潜り込んでいるクラウゼたち秘密組織の構成員の出世の糧になってくれればいいな、というくらいにしか考えていなかったのだが、とんでもない過小評価であった。まさかここまで高級官僚の椅子を開けてくれるとは思っておらなんだ。幸運の神が微笑んだこの好機を逃すべき理由はない。まったくもって本当に貴族連合残党のヴァルプルギス作戦がもたらした状況は、ゲオルグにとって嬉しいことだらけであった。

 

 ただ唯一嬉しくない要素もあった。貴族連合残党に派遣していたクリス・オットー少佐の生死が不明であることだ。少佐は秘密組織の内実をある程度把握しており、敵対的組織に情報を提供すれば致命的な事態を招きかねない。帝国の官憲に捕まったとかならば心配することはほとんどない。あの憎悪に染まっている少佐はたとえ酷い拷問を受け自白剤を投与されたとしても、ラインハルトにとって有益な情報を吐こうとはしないだろう。だが、クラウゼの報告によるとオットーを捕まえたという情報は聞いていないという。どこかで人知れず死んでいるとかならよいのだが、そうでないならオットーが引き続き反ラインハルト勢力に与し、秘密組織の情報を教えることがラインハルトに復讐するのに有益であると判断して秘密組織の情報を提供するという最悪の可能性が現実味を帯びる。死活問題なので見つけ次第殺すように秘密組織全体に命令してあるが、一抹の不安は拭い去れない。

 

 前途は多難で、不安も尽きることはないが、それでもたしかな前進をゲオルグは感じていた。ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデとして公の場に登場できる日は確実に近づいている。なればこそ、慢心せずに警戒をもってことにあたらなくてはならない。まだ自分は公的には処刑されねばならないはずの人間に過ぎぬのだから。




書き終えて思いましたが、今回の話は前半と後半の落差が……

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