リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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黄金樹のはらわた①

 五月末、ゲオルグは一人の供と共に定期宇宙船の乗客となっていた。目的地はガス状惑星ゾーストの人工衛星、クロイツナハ(ドライ)という歓楽地である。百数十年前に時の皇帝の命令によって、民衆の不満をやわらげるために建造されたいくつかの娯楽施設完備の人工惑星のひとつであり、帝都オーディンからもほど近いことから中央の高官が休暇を満喫するために遊びに来ることがよくある場所でもあるので、ゲオルグにとってはかなり危険な場所といえた。

 

 それだけにゲオルグはすこし緊張していた。指名手配犯の分際で特に隠れることなく行動してきた彼であったが、さすがに中央の高官がよく利用する人工惑星に赴くとなると不安を完全に押し殺せるものではなかった。持参していた娯楽小説も読み切ったゲオルグは、気を紛らわせるものを求めて機内に備え付けられているTVの電源を付け、ヘッドホンをつけた。

 

 帝国国営放送では、カール・グスタフ・ケンプ上級大将の軍葬番組が放送されていた。解説によると元々はワルキューレのパイロットであり、戦果の多さとその花崗岩の風格のある容貌から“鋼鉄の撃墜王”の異名を持っていた。佐官時代から提督になることを考えはじめ、大佐に昇進すると戦艦の艦長となって第六次イゼルローン要塞攻防戦での武勲を皮切りに多くの功績を立て、頭角を現す。少将の頃にローエングラム元帥府に登用されて中将に昇進し、一個艦隊を率いる身になり、アムリッツァ星域会戦と門閥貴族連合軍との内戦でも少なからぬ功績を立て、大将に昇進して叛乱勢力との係争宙域であるイゼルローン方面の警備責任者となる。

 

 四八九年に長距離宙域移動ができるように改造されたガイエスブルク要塞と一万六〇〇〇隻の艦艇、二〇〇万の将兵が与えられ、イゼルローン要塞攻略を命じられる。そうして四月に発生した第八次イゼルローン要塞攻防戦は約一か月にわたって繰り広げられ、叛乱軍に善戦したものの力及ばず、ガイエスブルク要塞と約一万五〇〇〇隻の艦艇を失い、約一八〇万の将兵が戦死もしくは行方不明という大敗となり、ケンプもその戦死した中の一人であった。

 

 それでもローエングラム公はケンプを上級大将に特進させ、彼の名誉を守る決断を下した。これまでのケンプの貢献を鑑みてのことであるが、明確な方針を前もって伝えなかった自分にも非があるので、ケンプのみを責めることはできないというのが帝国軍総司令官の見解であるらしい。ゲオルグとしてはここまで大敗の記録をおおやけにするならケンプの無能さを声高に批判すべきではないのかと思った。少なくとも旧体制のままの帝国であったなら、そのように処す。あるいは大敗記録を公表せず、ケンプの勇敢さを讃える方向に持っていっただろう。それを思うと、この後処理の仕方はなんとも中途半端であるように思えるのだった。

 

 帝国軍首脳代表としてウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将、元部下代表としてイザーク・フェルディナント・フォン・トゥルナイゼン中将が弔辞を読み上げた。その両者の名前にゲオルグは覚えがあった。

 

 ミッターマイヤーは三〇代で将官になった優秀な平民階級出身の軍人として一部では有名であったし、クロプシュトック侯爵の叛乱討伐の際に軍規違反を犯したブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯に血縁がある貴族の大尉をその場で銃殺し、軍内の和を乱した咎で収監されていたがラインハルトが弁護で助命された一件でも有名になった。それ以来、ミッターマイヤーは親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールと共にラインハルトの側近であると認識されるようになっていた。とても優秀な軍人であり、出世に武勲や実績より身分や政治的事情が重視されていた旧体制下で、権力者の庇護をうけることなく三〇手前で少将になりおおせていたこと自体が証明している。

 

 ちなみにトゥルナイゼンの方は貴族のサロンでたまに話題になっていた。生意気な“金髪の孺子”の対抗馬という形でである。トゥルナイゼンは門閥貴族出身者で、ラインハルトとは幼年軍学校の同期であり、ラインハルトに次ぐ成績で卒業した人物であった。その後は士官学校に進んだが勉強に飽きてきて中退し、ラインハルトほどではないが戦場で少なからぬ功績を立て、おそろしい勢いで軍の階級を駆け上がっていたので、その経歴から二人はライバルであると何の根拠もなく多くの貴族が信じ、トゥルナイゼンを持ち上げていたものである。しかしトゥルナイゼンはリップシュタット盟約に参加せず、ラインハルトの下で戦い続けていたことを考えると、ライバルではなく崇拝者であったようだと多くの貴族が気づき、苦虫を噛み潰したことであろう。

 

みなさんに(アハトゥング・マイネ・)お知らせします(ダーメン・ウント・ヘルレン)

 

 まもなく目的地に到着することを告げるアナウンスが、スピーカーから聞こえてきた音声でゲオルグの思考は中断された。スピーカーの音声で隣の座席に座っていた若い青年が目を覚まし、両腕を伸ばした。精悍な顔立ちに理知的で優し気な光を宿したエメラルドの瞳と個性的な容姿をしているが、注意してみなければ白髪と絶対に見間違うと言い切れるほど白い銀髪が、なにより特徴的であった。

 

「居眠りとはいい度胸をしている」

「や。これは失礼」

 

 悪びれもなくそう言うと青年は大あくびした。彼はアルトゥール・ハイデリヒといい、ゲオルグが各地を散策中に発掘した優秀な人材の中でも特に見どころがあったので護衛兼相談相手として二週間ほど前から自分に同行させていたのだが、いささか以上に神経が図太すぎるので、ゲオルグをややうんざりさせていた。

 

「なにかおかしいと思わないのか」

「え。なにがです」

「……私の隣で爆睡してもまずいと感じないと?」

「はい。少なくともこういう状況では、まずくはないかと」

 

 そう言って再び大あくびするハイデリヒ。似たようなやりとりをもう何度繰り返したことだろうと元警視総監は諦感を抱きながら心中で呟いた。彼は部下の面倒を見ることによって人望を獲得してきた人間であり、多少態度に問題があっても大目にみる度量があったのだが、ハイデリヒを同行相手に選んでしまったことを少し後悔し始めていた。

 

 優秀かどうかといえば間違いなく優秀だし、もともとある程度知っていた人物ということもあって、クリス・オットーに続く新しい重要な部下になりうるというのがハイデリヒに対するゲオルグの評価であったのだが、いかんせんスイッチが入っている時と入っていない時でこれほど差があるとは予想外すぎた。仕事以外ではあまり深い関係になりたくないと思うレベルの図太さ、もしくは無神経ぶりである。

 

 ともかく仕事の話をしている時以外、つねにこの態度なのだから、他人の目を欺くにはよい要素ではあるだろう。仮にも大貴族の子弟である自分が、平民の元下級官僚風情にコケにされてるような対応をする奴を供にしているとは、誰も考えまい。ゲオルグはそう前向きに考えることにした。

 

 停止した定期宇宙船からクロイツナハⅢの宇宙港に降りると入所管理所に足を進める。クロイツナハⅢに限らず、こうした娯楽のための人工衛星にはすべて入所管理所が存在した。なぜかというとこうした娯楽用の人工衛星では国法に違反している娯楽施設――ルドルフ大帝が人類を弱める要素として見做した売春宿やカジノ、退廃的な文化に染まっている店――が公然と運営されている。そういう店に勤務する者はなかば犯罪者であると定義され、人工衛星から無断で出ることは許されなかった。なので外から来た者と中に元からいる者とを管理所で区別する必要性が生じるのである。

 

 そんな面倒な手間をかけるくらいなら、国法に背反する娯楽施設を運営しないか、国法を改正すればよいではないか……。そういう意見もないわけではなかったが、同盟との接触初期、帝国人が同盟への亡命する理由に「帝国では許されない娯楽を求めて」というのが少なからず存在したので、そういう場を帝国が公式提供することが同盟への人口流出を留める上で必要だった。でなくば帝国は大量の人材を失い、その巨体を支えきれずに崩壊しかねないおそれがあったのだ。かといって国法を改正するのも容易ではない。帝国は優秀な遺伝子の持ち主たちによる統治を旨としているのだが、()()()()()()()()()()()()()であるはずのルドルフ大帝が定めたもうた国法を間違いとして改正するとなると統治体制の根本を否定したと拡大解釈されかねないからである。この二つの問題の間で時の権力者たちが苦悩した結果、このような中途半端な法秩序で運営される娯楽用人工衛星が少なからず誕生したのである。

 

 入所管理所でゲオルグは仮の身分である“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の偽名だけど正式な身分証明書を見せて通過し、ハイデリヒは新体制に危険視されるほど旧体制で高官であったわけでもなかったので、普通に自分の身分証明書をみせて通過した。二人とも遊び人のような服装をしていたので、その他大勢と同じく休暇を利用して遊び来たんだなと彼らの入所を担当した管理官は特に不審を抱かなかったのである。

 

 こうしてクロイツナハⅢに入ったゲオルグたちはホテルにチェックインをすますと、迷うことなくカジノへと直行した。ある人物と落ち合う予定は午後八時頃であったが、現在はまだ正午を少しすぎた程度だったからである。せっかく歓楽地にきたのに、目的だけ果たして帰ると入所管理の役人に妙な勘繰りをされるかも知れないと危惧したから、実際に歓楽街を楽しんでおいた方が不信感を持たれずにすむだろうと早めにきて遊ぶことにしたのだ。カジノで六時間ほどゲームを楽しんだ後、ゲオルグたちの所持金は一割ほど増加していた。

 

 カジノの戦利金で惑星ゾーストを一望できる高級レストラン「ラインゴルト」で優雅に夕食を済ませたゲオルグとハイデリヒは、待ち合わせ場所である重要人物と接触した。いきなり話し始めようとしたその男をハイデリヒが黙らせると、三人でカラオケボックスに入った。個室にわかれていて、あちこちで客が歌を熱唱しているから内部での話を盗聴される心配が少ないというハイデリヒの判断によって密談場所に設定されていたのだ。

 

 安っぽいソファーに腰を下ろしたゲオルグは、残りの二人が立ったままだったのを見て、手で二人に座るよう促した。全員がソファーに座ると対面に座る重要な人物に、嫌味のない笑みを浮かべながら話しかけた。

 

「では改めてご挨拶申し上げよう。オスマイヤー殿」

 

 オスマイヤーは旧体制下において辺境の開拓と治安業務に携わっていた優秀な官僚で、自分の才能が認められないのを嘆いていたのだが、辺境地域での体制構築手腕を評価され、ラインハルトによって新体制では内務尚書へ大抜擢されていた。

 

 国内治安を担当する内務省は旧体制下においては軍務省や国務省に匹敵する巨大な権勢を誇り、“武力を持たぬ敵”を打倒する任務を帯びていたのである。ゲオルグが局長を務めていた警察総局も、内務省に属する部局であった。“武力を持たぬ敵”の一種である犯罪者を取り扱っていたからである。

 

 旧体制下において内務省の腐敗は著しく、“武力を持たぬ敵”を拡大解釈し、無実の人間に不当な罰を与えることや大貴族との取引によって有罪の人間を免罪するようなことは日常茶判事であった。こういった悪弊の一掃し、内務省を再編することがオスマイヤーが内務尚書への抜擢と引き換えにラインハルトに与えられた仕事だったのである。

 

 この困難な仕事を、オスマイヤーは寝る間も惜しんで取り組んだ。激務に次ぐ激務の末、内務尚書就任からわずか半年程度で腐敗を駆逐し、清廉な内務省に再編し直すという結果を出したのである。この功績に対してラインハルトはオスマイヤーに短期間の有給休暇を与え、オスマイヤーはそれを利用して家族と共にこのクロイツナハⅢに旅行しにきた。ここまでが表向きの事情である。

 

「卿らはゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの使者と考えてよいのだろうか」

 

 オスマイヤーはゲオルグの容姿を立体映像で知っていたが、長い金髪の美形で威厳をもって職務にあたっていた警視総監の姿と目の前のいかにも軽薄そうな雰囲気が漂う黒髪のイケメン青年と姿を重ねることはできなかったので、自然そのような問いになった。

 

「その通りです。私はリヒテンラーデ元警視総監閣下の信頼篤き側近でして。どうかディレルとお呼びください。そこの白髪青年は私の信頼する側近のようなものです。まあ、いまは気にしなくてもよいです」

 

 ゲオルグはオスマイヤーの勘違いを訂正せず、自分は側近であることに過ぎないと装った。そうした方が安全であると考えていたからである。実際、オスマイヤーは目の前の人物がリヒテンラーデの孫その人であると知れば、おのれの立場を守るために力ずくでゲオルグを拘束しようとしたであろう。

 

「単刀直入に言いますが、われわれはあなたの協力を欲しております」

「ひとつ断言しておくが……」

 

 オスマイヤーは胸を逸らして落ち着いてゆっくりと言葉を紡いで落ち着いているように見せかけたが、ゲオルグから見れば虚勢を張っていると一目で見破れるものであった。

 

「おまえたちが何を企んでいるにせよ、私を陰謀の道具として利用できると思っているのなら、大間違いだ。私は、帝国の秩序を乱すような企てに加担する気はない」

 

 ならそもそも休暇を利用して家族旅行という名目で、ここに来る必要がないだろう。自分のところに送られてきた手紙をそのままラインハルトところへ持っていき、それを見せればよいのだ。仮にそうされていた場合、ゲオルグはかなり危険な状態に追い込まれていたし、もしかしたらゲオルグの暗躍はここで終止符をうたれることになったかもしれない。

 

 しかしそうはなっていない。さらにオスマイヤーにここに来たということは、自分個人の幸せを守りたいということを雄弁に物語っているではないか。つまり全面的な協力は無理でも、消極的な協力をさせる程度は交渉次第でいくらでも引き出せるということだ。

 

「見事なご覚悟ですな、内務尚書閣下。しかしそこまで身に構える必要はありませんぞ。ただあなたが知っておられる新体制の内幕の情勢とわれわれに対する捜査がどのあたりまで進んでいるのか。そのあたりの情報を教えていただくだけでかまいません。あなたご自身になにかをしてもらおうとは、リヒテンラーデ閣下も考えておられぬでしょうし」

「そんなことを、私がすると思っているのか!」

「すくなくとも数年前にはされていたことではないですか。社会秩序維持局に対して」

「……」

 

 オスマイヤーは悔しそうな顔で黙り込んだ。彼にはIMであった過去があるのだった。IMとは、社会秩序維持局の非公式協力者のことで、彼らは自分が知っているあらゆる情報を社会秩序維持局に密告し、当局の民衆監視体制の構築と不穏分子の摘発・弾圧に情報面から貢献していた者達のことである。ある資料によるとラインハルトによって社会秩序維持局が廃止された時、一億人ほどのIMが帝国に存在したと推定されている。

 

 単純な計算だと帝国の総人口が二五〇億なので、帝国人の二五〇分の一が社会秩序維持局に情報を提供するIMということになる。これでも充分に恐ろしい数値ではあるのだが、貴族領に対する情報収集を行っていた国務省秘密情報局と管轄が被るため、貴族領民をIMにするのに社会秩序維持局があまり積極的でなかったことを考慮し、範囲を帝国政府が管理する領域に限定すると一〇〇人に一人がIMという、もっと恐ろしい数値が導き出されるのである。

 

 帝国人がIMになった事情は人それぞれである。政治的信条から自ら局員に頼み込んでそうなった者もいれば、数年の税金免除や職場での出世などの優遇措置を求めてなった者もいるし、局員から脅されてなった者もいる。オスマイヤーがIMになったのは一番最後の例であった。

 

 辺境で内政官として開拓事業と治安業務を統括していた頃、自分の邸宅に社会秩序維持局所属の保安曹長であるという男が現れて「あなたの奥さんが不逞な共和主義者どもと関係を持っている可能性がある」と言われたのだ。旧体制下にあった当時では、共和主義者と疑わしい者達と関係を持っているということ自体が、家族ごと牢獄に放り込まれても文句言えない重罪である。自分たち家族がまとめて政治犯収容所で衰弱死していく未来を幻視し、オスマイヤーは絶望した。

 

 その絶望するオスマイヤーに対し、保安曹長は優しく囁きかけた。「ですがまだ証拠が掴めていないのです。あなたが捜査に協力してくれるなら、あなたたちだけは逮捕しないと約束します。たとえ奥さんが共和主義思想に共感を示し、彼らに協力をしていたとしても……です」と言って悪魔染みた提案を行い、オスマイヤーは承服した。だめなことだとわかってはいるが、このままでは劣悪な環境の政治犯収容所に連行されてしまうのだ。それ以外の選択肢があるだろうか?

 

 こうしてIMとなったオスマイヤーは、保安曹長が望む情報を提供し続けた。職場の同僚や親しい友人、愛する家族をスパイすることに強い罪悪感を覚えたが、家族を守るためだとして罪悪感を押し殺した。そんな生活を続けること約一年。保安曹長からもう情報を提供しなくていいとだけ告げられ、家族が逮捕されることなく、オスマイヤーのIM活動は終了した。社会秩序維持局にとってよほど有用な情報源でない限り、IMは一年か二年で役目が終わるのが通例だったのだが、それを知らないオスマイヤーとしては、薄気味悪い幕引きであった。

 

 オスマイヤーは社会秩序維持局に関する忌まわしい記憶に蓋をし、官僚としての仕事に精励して気を紛らわせようとした。その甲斐あってか、ラインハルト派がリヒテンラーデ派を粛清し、空席なった内務尚書という地位をラインハルトから与えられたのである。オスマイヤーは当然喜んだが、同時に逃れられない恐怖を抱えることとなってしまった。

 

 切っ掛けはラインハルトが社会秩序維持局を廃止したことである。これによって敗者を批判することに定評がある帝国の各メディアは、社会秩序維持局の非道を声高に訴えだしたのである。しかも一部のメディアはどこからかIMリストの一部を入手し、それを公開してしまったのだ。親しい友人や家族が、悪名高い社会秩序維持局のスパイであったと知り、各所で信頼関係が崩壊する事態が続発した。

 

 その光景を見て元IMであるオスマイヤーは、明日は我が身という言葉が何度も心中を去来していたところに、消印がついてない自分宛ての手紙が届き、それを読んでオスマイヤーは愕然とした。内容は社会秩序維持局に対するあなたの協力を知っているということ。秘密裏に話し合いたいことがあるからいつ会えるのかある住所に手紙を送るようにという指示。そして最後に逃亡中のゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名前が書かれていた。

 

「どうやってそのことを知った」

「私が知っていた」

 

 答えたのは、ハイデリヒだった。

 

「支部長の副官をしていた頃に、IMとしてのあなたの報告をまとめた資料を拝見した」

「副官?」

「彼は社会秩序維持局に所属していた元保安中尉なのですよ」

 

 ゲオルグの答えに、苦い表情を浮かべながらオスマイヤーは低く唸った。ということは、この男はかつて自分がいた辺境の支部に所属していたということだろうか。そんな小物なら特に重い罰を受けることもないだろうに、なんだって反体制派の陣営に参加しているんだ。そう思ってハイデリヒを憎んだが、これはゲオルグとハイデリヒによる嘘であった。

 

 たしかにハイデリヒはある支部長の副官をしていた保安中尉であったが、その支部はオスマイヤーがいた辺境ではなく、帝都オーディンに近い惑星にあった支部に所属していた。なので当然、オスマイヤーの報告書類などハイデリヒは見たこともない。

 

 ではなぜオスマイヤーがIMであったことをゲオルグが知っているのかというと、理由がふたつあった。

 

 ひとつはゲオルグが実施していたある方針によるものである。警視総監になったゲオルグは警察総局と社会秩序維持局の連携を強化し、将来的には両局を合併して新部署を設立するという構想を内務省会議で提案した。扱う犯罪者は違えど同じ警察組織として合併した方が、より効率的な国内治安維持システムを構築できると考えていたからということもあったが、両局とも職分が重複する関係で軍務省の憲兵隊とは険悪な仲なので、憲兵隊に強い嫌悪感を持つゲオルグが、同盟相手として社会秩序維持局を選んだという側面は否定できぬであろう。

 

 当時の内務尚書はブラウンシュヴァイク一門に連なるフレーゲル家の人間だったので、両局の合併は自分ら門閥貴族に対して危険な存在となりうると考え、強硬に反対した。しかし社会秩序維持局の局長ハイドリッヒ・ラングはゲオルグの構想を歓迎し、内務尚書の妨害を押しのけて両局の有機的連携が行われるようになった。そうして簡単に閲覧できるようになった膨大なIMリストをゲオルグが流し見していた時に、オスマイヤーの名前を見つけたのである。

 

 ゲオルグは若くして高級官僚になっただけあって尋常ではない記憶力を有していたが、本来であれば一度見たリストの名前が載ってただけの人物のことを気にとめることはなかっただろう。しかしながら気にとまってしまったのである。それにはもうひとつの理由が密接にかかわっていた。

 

 ゲオルグは帝国の将来を危惧していた。警官として現場で指揮をとることも多々あったため、ゲオルグは民衆の現状への不満の深刻さをよく理解していたのである。それだけに改革の必要性を強く感じていたのだ。そして若さゆえか、彼が構想していた改革は祖父が必要性を感じていたものよりも遥かに過激なものであった。

 

 リヒテンラーデ公は政府の統制をほとんど受けていない大貴族の排除をすることで、帝国政府の権力を強化することで政治体制を安定させ、民衆に対しては思想犯の恩赦や税率の引き下げなどで不満を解消させ、基本的にはフリードリヒ四世の治世とさほど変わらぬ体制を継続していくつもりであった。しかしゲオルグはその程度では問題の先送りにしかならないと考え、もっと抜本的な改革を実施せねばなるまいと感じていた。その改革構想はルドルフが銀河連邦の終身執政官だった頃の政策を参考にして構築したものであって、今現在ラインハルトや開明派が実施している改革とは性質が大きく異なったが。

 

 その改革は祖父が自然死してリヒテンラーデ家の当主となった後、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の支持を受けて実施する予定であった。何度説得しても皇帝が自分の改革案を支持してくれない可能性も考慮にはいれており、その場合は帝位を簒奪してでも改革を実施するつもりだったというのだから、ゲオルグが帝国の未来をどれほど憂慮していたか理解できよう。

 

 そして改革を実施した時、その象徴として宣伝的な意味も込めて大出世させるべき候補の中に、オスマイヤーがいたのである。警視総監時代、支部からの報告でオスマイヤーの有能ぶりをゲオルグは間接的に知っていたのであった。その弱みをゲオルグは握ったのである。まさにこれによってゲオルグは改革時にオスマイヤーを内務省の重役にまで一気に出世させる決心をした。オスマイヤーがどんな性格かは知らないが、弱みを握っている相手の方が制御しやすいと判断したのである。

 

 そんなわけでラインハルトがオスマイヤーを内務尚書に抜擢したと知って、ゲオルグがオスマイヤーを利用することを考えたのはある意味当然の帰結であった。オスマイヤーの恐怖を煽って利用しやすくすために、ゲオルグの頭脳に記憶されているオーディン在住の元IMの名前をリストに書き起こし、途中で何人も人を挟んであちこちのメディア会社に匿名でプレゼントすることまでしたのだ。そしてその甲斐はあったようである。

 

「……本当に政権内部の情報を教えるだけでよいのだな」

 

 数分に渡る長考の末、オスマイヤーはそう確認してきた。

 

「それとリヒテンラーデ閣下に対する追跡がどのていどまで進んでいるのか、教えてほしいですね」

「……逃亡中の元警視総監一派に対する追跡は憲兵隊の管轄になっているから、詳しくは知らぬ。だが、どうも手がかりらしい手がかりさえ掴めていないようだ」

「ほう。それが本当なのであれば私たちにとってはありがたいことこの上ないのだが、手がかりらしい手がかりがつかめていないとは解せませんな。リヒテンラーデ閣下に合流できた側近はほとんどいないのだが、その行方もわからないのですか」

「さっきも言ったが詳しいことはわからん。私が知っていることと言えば、シュテンネスという男がフェザーンに亡命したこと。それとダンネマンは憲兵との争いで銃殺され、ドロホフは獄中で死んだと聞いている。残りのシュヴァルツァーとヴェッセルの行方については憲兵隊はなにか掴んでいるのかも知れないが、私は知らん」

 

 その時、ハイデリヒはゲオルグの瞳の光が鋭くなったのに気づいた。

 

「ドロホフが死んだ? たしかか、それは」

「あ、ああ。なんとか元警視総監の行方の情報を聞き出そうと、オッペンハイマー伯がひどい拷問を行ったせいだと憲兵総監のケスラー大将から聞かされた」

「そう……。なのか……」

 

 ゲオルグは俯いて衝撃をうけた顔を隠した。ドロホフは一番の腹心であった。彼の協力がなかったら内務省に入省してからわずか四年で警視総監にまで成り上がることは不可能であったろう。だからそのドロホフが死んでいるというということに少なからぬ衝撃を受けた。心のどこかでドロホフに対する根拠のない信頼から、牢獄に閉じ込められていても、死ぬことはないだろうと楽観的に考えていた自分に軽く自己嫌悪した。

 

 そしてドロホフの忠誠心に感謝した。ドロホフにはいざという時のためにゲオルグが用意していた計画のほとんどを教えてある。なのに自分に対する調査が進んでいないということは、ドロホフはなにひとつ喋らずに拷問を耐えて死んだのだ。権力を取り戻した暁には、その献身に対して報いねばなるまい。たとえ自己満足に過ぎぬものであるとしても、だ。

 

「憲兵のクズどもめが……」

 

 思わずそんな小さなつぶやきがゲオルグの口からこぼれた。もとより憲兵隊に対する強すぎる嫌悪感を持っていたゲオルグだが、この一件によってさらに憲兵嫌いが悪化したのは間違いないであろう。感情の奔流を必死に押し殺しているゲオルグを怪訝に見るオスマイヤーだったが、この状況が続けばゲオルグの正体がバレるのではないかと危惧したハイデリヒが強引に口を挟んだ。

 

「ケスラー? 憲兵隊にそんな幹部がいるなんて聞いたことがないが、どんなやつだ」

 

 ハイデリヒの疑問に答えるべく、オスマイヤーは視線を俯くゲオルグからハイデリヒの顔に移した。

 

「純粋な憲兵ではなくて、元々は艦隊司令官だったそうなのだが、その人柄と法務士官であった頃の実績を信頼されて、ローエングラム公が憲兵総監に任じたのだ」

「……前任のオッペンハイマーはどうなった。かなり遠縁だがリッテンハイムの係累だから粛清でもされたのか」

「粛清はされなかったのだが、一月初頭にローエングラム公に対してご機嫌取りの賄賂を贈ろうとしたのだ。それが公の勘気に触れて贈賄罪の現行犯で牢獄送りとなった」

「ローエングラム公は極端すぎるな。旧体制下にあって賄賂はよくあることだったのだから、叱責程度ですませてやればよいものを」

 

 ハイデリヒは肩を竦めながらそう評した。旧体制下において賄賂とは官僚にとって、物事をうまく運ぶための潤滑油のようなものであったのだ。ラインハルトはそうした悪弊を取り除こうとしてそうしたのであろうが、それでは高級官僚としてのノウハウを持っている連中を一掃することになりはしないのかと思った。それは誤解であり、そのあたりのことはラインハルトも弁えている。賄賂を贈ろうとしたことより、遠回しに拒絶したのにそれに気づかないオッペンハイマーの浅ましさが高官に相応しくないという感情の方が、ラインハルトの中では大きかったのだから。

 

「極端。極端か。大帝の真の後継者たらんと欲するなら、それは最低条件であろうな」

「ディレル様、大丈夫ですか」

「ああ、心配かけたな、保安中尉。一番の側近が執拗に痛めつけられて殺されたとリヒテンラーデ閣下にどう報告したものかと頭を悩ませてしまってな」

 

 ゲオルグはそう言って自分の挙動を取り繕った。大ボスの側近が無残に殺されているなどという報告をせねばならない部下というゲオルグの表向きの立場を、オスマイヤーは信じていたので特に疑いはしなかった。

 

「さてオスマイヤー殿。今度は政権の内幕に関する情報を教えてもらえるかな」

 

 ドロホフを失った衝撃は、すでにゲオルグから消え失せていた。

 




社会秩序維持局ってどんな感じだろうなと妄想してたら、シュタージ化してしまいました。
いやシュタージの場合、国民の10人に1人が秘密警察関係者という恐ろしい数字があるから、シュタージよりマシなのかも。

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