リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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征旅を依然と進む

 皇帝付次席副官テオドール・フォン・リュッケ少佐は、帝都でのクーデター未遂事件が発生し、開明派官僚の生命が多数奪われたという臨時対策本部からの第一報がフェザーンを経由してブリュンヒルトに届いた時、主君が蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳の烈しく輝かせて怒気を発していた姿を記憶に残している。

 

「予はケスラーを過大評価でもしておったのか!? 憲兵総監と首都防衛司令官を兼任していながら、予の官僚たちを殺戮されるのを防ぐことができなかったとは、いったいなにをやっていたのだ!!」

 

 此度の遠征によって名実ともに帝国は全人類社会を支配下に置くことになろう。そうした意気込みでフェザーンを出立したというのに、興がそがれることはなはだしかった。しかし、一度その怒気を発した後、冷静さをいくらか取り戻して努めて落ち着いた口調で続けた。

 

「いや、ケスラーほどの男が欺かれるほど敵方が狡猾であったというわけか。詳細な報告資料は付属されておらぬのか。被害のほどによっては直接帝都に指示をださねばならん」

 

 ラインハルトは事態の処理法如何によっては前線将兵に与える動揺が大きいと判断し、大枠での方針は少数の直属高級幕僚と話し合って決定してしまうことを即決していた。一応、リュッケもその一員として名を連ねているのであるが、統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタール元帥、皇帝付高級副官アルツール・フォン・シュトライト中将、皇帝主席秘書官ヒルデガルド・フォン・マーンドルフ伯爵令嬢といった壮々たる顔ぶれがあることを思うと、自分の役割はあまり重要ではない細々とした雑務だなと後ろ向きな感情を抱かずにはいられなかった。

 

 しかし詳細な報告資料の中にヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト近衛大尉の名前を発見した時、さすがに驚きの表情を浮かべずにはいられなかった。リュッケは彼の父であるモルト中将が責任を感じて自決したことに深く同情を感じていて、皇帝の命を受けてその事後処理を担当していた。その子息であるレオとも面識があったのである。彼は誠実で純粋な人柄で、また皇帝誘拐を阻止できなかった近衛司令官の息子として責任を感じ、連座で同じように自決しようとしていたほど忠誠心の篤い人物であったと記憶している。そんな青年将校が、クーデターに参加するどころか、主導的役割を果たしていたとはにわかには信じがたいことであった。

 

 報告書によると、父が自殺に追い込まれたのはローエングラム王朝の貴族差別によるものと信じてというのが、クーデターを主導した動機であるらしいが、モルト中将の自殺は自責の念による自発的なものであったことは疑いの余地がなかったことだし、ケスラーが軽い処罰ですまされたことも根拠としてあげていたそうだが、それは別にケスラーに限ったことではなく全体的にそうだったはずである。皇帝誘拐の一件に関する罪を重く見るつもりはないというラインハルト陛下の意向によるものだ。そしてそれはレオも認めていた筈である。どうにも解せなかった。

 

「旧態依然とした慣習を引きずっている貴族どもにとっては邪推したくなっても不思議ではないか。だが言われてみればたしかに、紛いなりにも皇帝を、国家元首を誘拐された失態に対して全体的に刑罰が甘すぎたのではありませんか」

 

 ロイエンタールはなんでもないことのようにそう問いかけているのを見て、ヒルダはかすかに緊張の表情を浮かべてしまった。彼女は皇帝誘拐の真相を把握していたからというのもあるが、ロイエンタールになにか不穏なものを直感的に感じ取っていたからである。幸いにしてその時ヒルダはロイエンタールの死角にいたので気づかれる前に表情を取り繕うことができた。

 

 問いかけられたラインハルトはというと内面において複雑な感情が渦巻いていたのかもしれないが、表面上はなんらそれを見せず、軽く苦笑して臣下の問いに答えたのである。

 

「以前にも言ったが、あのようなささやかな事件で重い処罰を課すのも馬鹿らしく思えたのでな。それに今だから白状するが、正直言って皇帝をどのように扱うべきかと持て余していたので、わかりやすく敵側の存在になってくれたことにありがたくすら思っていたからな。しかし――」

 

 ひとつ、深いため息を吐いた。

 

「血統だけの皇帝を絶対視する貴族どもにとっては、たしかに処罰が軽すぎるように思えたのも当然といえば当然やもしれぬな。だが、決起の段に及んでなお予の名を借りねばどうにもならぬ体たらくで、本気で予を倒せると思っていたというなら巫山戯(ふざけ)た話だ。キュンメル男爵のような病人でさえ、予を暗殺せんとするときに予の名を用いるような愚行はしなかったぞ」

 

 モルト中将を死に追いやったという負い目があるラインハルトは、彼の息子が自分にたいして復讐してくるのは当然の権利の行使であると思う。それを否定してはラインハルトは過去の自分を否定することになろう。後ろめたさから中将の自決の事後処理をリュッケに任せた時に遺族の名誉を守るよう特に言いつけ、遺族である近衛将校が責任を感じて自決しかねない精神状態になっていると聞けば直接説得したりもしたが、これははなはだしい偽善ではあるまいかと後味の悪さを感じていた。

 

 だが、復讐してくるのなら、真っすぐに自分に挑んでくるべきなのではないかと思うのであった。もちろん、かつての自分のように、今の権力体制そのものを憎悪する途を選び、力をつけるために敵の懐で雌伏の時を過ごさなくてはならないこともあるだろう。だが、いざ行動を起こす時でさえ、憎き敵の名を利用しなくてならないような状態でどうしてローエングラム王朝を、このラインハルトを倒すことが叶うというのだ? そんな自棄染みたことをするくらいなら、直接自分の暗殺を計画するべきだろうに。

 

 そんな理屈一辺倒の思考をラインハルトはしていたが、相手が相手であるだけに心の奥底で罪悪感が疼くのはどうしようもなかった。そうした感情がクーデターに加担した近衛将校たちの情報を見続けることから逃避したくなったのか、あるいは純粋に敵意を向けることができる相手であるからか、ラインハルトの関心は貴族連合残党に関する情報へと向いた。

 

 とりわけ、貴族連合残党幹部であるアドルフ・フォン・ジーベック元中佐とテオドール・ラーセン元保安少佐の名に注目した。彼らはラインハルトが帝位に就く数日前に、オーベルシュタインより自分を暗殺する動機と能力がある要注意人物のリストに名を連ねており、かつ、ラインハルトが特に興味をおぼえていた三人の内の二人の名であった。

 

「“真面目な人柄で、戦術家、謀略家として非凡な才能があるが、やや近視眼的なところがあり、自分が実施している作戦に集中しすぎて大局を誤る傾向がある。だれかに手綱を引かれているならよいが、自分から主体的に行動すると問題を起こすタイプの人物”というのがジーベックに対するフェルナーの評価らしいが、シュトライト、卿から見てもそういう人物であったか」

 

 臨時対策本部の報告はフェザーンを経由しており、先にその報告を見たオーベルシュタインが配慮でフェルナーによるジーベックの評価も報告をブリュンヒルトに送る時に一緒に付随させていたので、それを見たロイエンタールがシュトライトに問いかけた。かつてシュトライト、フェルナー、ジーベックはともにブラウンシュヴァイク公に仕えていた同僚であったから、それなりに人柄についても詳しいと考えての問いであった。

 

 いっぽう、問いを投げられたシュトライトとしては元同僚のジーベックがこのような暗躍をしていたとは驚くべきことであった。ラインハルトによってふたたび軍人として登用されたとき、元主君であるブラウンシュヴァイク公の一家がどのように処されたのか質問したのだが、ジーベックが公爵の遺言に従ってアマーリエ夫人と娘のエリザベートをともなって行方を眩ませていると聞いていたので、てっきり二人の安全を守るために地下社会で奮闘でもしているのだろうと思い込んでいたので、このような大それた暗躍をしていたとは寝耳に水だったのである。

 

「概ねその通りで、たしかに優秀ですが戦略的視点に疎い人物でした。おそらくヴェスターラントへの核攻撃の指揮をとったのも、ブラウンシュヴァイク公直々の命令だからというのもあるでしょうが、それが叛徒を撃滅するという点にしか目がいかず、それが大局的にどういう結果を生じるのか想像もしていなかったからだと思われます。付け加えるならば、主君であるブラウンシュヴァイク公への忠誠心もかなり強いものがあり、公爵のためとあれば労を惜しまぬ男でした」

「ほう、卿がそこまで言うとは、ジーベックとやらはよほどの忠誠心を有していたのだな。あのような暗君に忠節を尽くし続ける家臣がアンスバッハ以外にもいたとは意外だな」

「今でこそひどい評価がされていますが、ブラウンシュヴァイク公は暗君というわけではありませんでした。むろん、だからといって名君だったと思っているわけではありませんが……。私個人の見解を述べるのであれば、欠点が多々ある主君ではありましたが、それはわれわれ家臣で補える程度に過ぎないものに思っていました。少なくとも、公爵と対立していたリッテンハイム候よりは良き主君であったと私は今でも思っております」

 

 もちろん、自領土に核攻撃を命じてしまうほど逆境に弱い人物であると見抜けなかった私の評価ですので、私の人の見る目がなかっただけかもございませんが……。自信なさげにそう続けて元主君への低評価に反論するシュトライトに、ラインハルトとロイエンタールにとってはすこし意外で驚きを感じた。シュトライトは先の内戦直前、ブラウンシュヴァイク公が首都星を脱出する際、忘れられて放置されるというぞんざいな扱いを受けたのだから、元主君に強い不満を感じていることだろうと思っていたのである。

 

 少しばかり気まずい空気になったのを察し、ヒルダが二人の疑問を言語化して問いかけることとした。

 

「シュトライト中将がどうしてそう思うのか、教えていていただけますか」

「貴族社会の派閥争いや公爵家の権威に関わる事柄には神経質でしたが、それ以外のこととなると臣下に丸投げにすることを躊躇わず、そして多少の失敗は鷹揚に赦すような御方だったのです。酷い癇癪を起している時は別ですが、そうでなければ自分の意見に固執せず、われわれ家臣の説得に耳を傾けてくださいました。ゴールデンバウム王朝開闢以来、貴族階級には国家臣民を領導する使命があるとされてきたためか、たとえ専門外のことであっても重要だと思えば口出ししてくる有力貴族が多かったことを思えば、大変珍しいことであったと思います。そのあたりのことをリッテンハイム候の一派から“惰弱”とか“無責任”とか言われて罵倒されておりましたが、公爵は好きに言わせておけと一向に意に介するところをみせませんでした」

 

 そして対立していたリッテンハイム候のほうは対照的に自分の能力に絶対の自信を持っていて、どんなことであろうとも家臣には自分の構想通りに行動することを要求し、それに反する者には厳罰をくわえるタイプであった。内政や権力闘争に関する部分において侯爵はけっこう優秀だったので、(ゴールデンバウム王朝時代の感覚では)特に大きな問題を起こさずに派閥を率いることができたという。もっとも、慣れないことでも仕切ろうとして大失敗したというエピソ―ドも数多あり、リップシュタット戦役ではこの欠点がモロに出て、軍事的才能は壊滅的であるにもかかわらず指揮をとって惨敗したわけなのだが。

 

 シュトライトが本人から直接聞いた話だが、フェルナーは両陣営の職務環境を調べ上げて比較した上で、ブラウンシュヴァイク公のほうが自由度が高そうだという理由でブラウンシュヴァイク公爵家に仕える道を選んだという。そして公爵は部下の忠誠心を軽視していたが、部下の結果はそれなりに重視していたので、毎度大きな結果を出しているフェルナーを高く評価し、平民であることや若すぎる年齢といった点にあまり抵抗を感じずに家臣として厚遇した。こういった長点のことも考慮すると、それほど問題のある主君でもなかった、と、シュトライトは考えるのである。

 

 そうしたシュトライトの元主君の評価を聞いて、ラインハルトとロイエンタールは貴族の大半があまりにも酷すぎたから相対的にマシに思えたというだけのことではないのかという感慨を抱いたが、旧王朝時代の無能な貴族どもが標準的存在なわけだから、そういうふうに評価するのも道理ではあるのかという奇妙な納得もあった。

 

「フェルナーのようなふてぶてしい奴がどうしてブラウンシュヴァイク公の家臣をやっていて、しかも直接公爵に進言できるような立場になれたのか少し疑問に思っていたが、そういうわけか。では、ジーベックはフェルナーと違って取り立てられた事に恩義を感じて強い忠誠心を抱いていたということだろうか」

「それもあるでしょうが、上官のアンスバッハをよく慕っておりましたし、公爵の係累であるフレーゲル男爵やシャイド男爵とも親しくしていたことから考えますに、彼は一族一門自体に愛着を感じて帰属意識を持ち、それがブラウンシュヴァイク家当主への忠誠心として現れていたのではないかと」

「なるほど。あらゆる意味においてジーベックにとって予は憎い仇であるというわけだな」

 

 ブラウンシュヴァイク家一門というコミュニティに強い愛着をいだいていたというなら、そのすべての破壊者であるラインハルトは憎むべき対象以外の何物にもならないであろう。しかしそれは他の貴族連合に所属していた大貴族達も同じであるはずで、別に重視すべき事柄ではないが、彼のような能力の持ち主がそのような感情をいだいたまま自由の身にあるというのは大きな問題であった。

 

「報告書によると今回のクーデター計画の大部分はこのジーベックの手によるものらしい。近衛参謀長が責任逃れのために嘘をついている可能性もなくはないが、フェルナーとシュトライトの人物評を聞く限り概ね事実であろう。いくら近衛参謀長を取り込み、首都防衛司令部内に自爆も辞さぬ覚悟を持つ協力者を確保できていたとはいえ、このような絡め手でもって帝都防衛軍を逆用するなど凡人の考え及ぶところではない」

 

 皇帝として自分の名を利用してこのような不祥事を起こされた怒りがあり、個人としてその行為に不快感を覚えていたが、戦術家としてのラインハルトはジーベックの手腕を素直に感心していた。帝都オーディンの警備体制の構築にはラインハルトも関わっており、首都防衛司令部内に裏切り者がでることも想定していたのである。それなのに、こんな攻略法があったのかと驚きさえ感じているのだった。

 

 もちろん、帝都を掌握したところで、自分が率いる遠征軍が健在である以上、本国に戻ってきたらそれまでだ。それに対する対抗策がおなざりにすぎて戦略的観点が欠けているにもほどがあるという戦略家としての酷評もあるのだが、純粋な戦術としてはなかなかの完成度という他ない。旧王朝の価値観に染まりきっていなければ部下に欲しいくらいである。

 

 そしてアンスバッハ、シュトライト、フェルナーの他にもこんな優秀な人材を家臣として抱えておきながら、ろくに活用できずに内戦で惨敗したブラウンシュヴァイク公に対するラインハルトの侮蔑がより深まった。もし内戦直後に自分がブラウンシュヴァイク公と入れ替わって貴族連合盟主の立場につかされたとしても、これほど人材に恵まれていたならああも無様に惨敗することは決してあるまい。敵手に自分とキルヒアイスがいるわけだから、最終的には負けたに違いないとは思うが、それでももっとまともに戦うことができたはずである。

 

「ひとまずは、予が帝都に戻るまでは臨時対策本部を正当な統治機関であると追認する詔勅を出しておくとして、遠征を終えて帰還したらオーディンの警備体制の見直しをせねばなるまいな」

「お待ちください陛下。今回の事件で新帝国の中枢が負った傷はおおきく、この遠征にも少なからぬ影響が出るかと存じます。ここは遠征を中止して本国に戻り、支配体制を立て直すことをこそ優先なさるべきでしょう」

 

 ヒルダが焦ったようにそう提言する。すでに帝国の首都機能はフェザーンへと移りつつあるが、それでもオーディンはまだ帝国首都なのだ。そこでこのような大事件が起きたことが知れ渡れば、将兵たちがとても動揺することが容易に想定できる。閣僚までもが犠牲になっていることでもあるし、ここは撤退するのもやむなしとみるべきではないか。

 

伯爵令嬢(フロイライン)のいうことも理解できるが、この状況で遠征を中断したとしても相応の問題が発生することになる。ならば、ここは遠征を継続すべきと予は考える」

 

 自由惑星同盟政府が高等弁務官レンネンカンプの独走に唯々諾々と従い、ヤン・ウェンリー元帥の謀殺をはかり、それが失敗すると全責任をレンネンカンプに押し付けて知らん顔をしようとした無能と不実は、あきらかに今年初頭に結ばれたバーラトの和約の精神に違反している。これを実力を持って正すこと事が今回の遠征の目的なのである。

 

 宣戦布告の際、皇帝ラインハルトは自由惑星同盟政府の非を痛烈に批判した。「一時の利益のためには国家の功労者も売る。直後にはひるがえって、予の代理者をも売る。共和政体の矜持と存在意義はどこへいったか。もはや現時点においての不正義は、このような政体の存続を認めることにある」と。ここまで言って出兵しておきながら、遠征軍に大した損害も出ぬうちに引き下がるのでは皇帝の威信にかかわってくる。

 

 くわえて将兵たちも不満を募らせるに違いなかった。今回の遠征は、バーラトの和約締結によってゲーム・セットとなり、もはや活躍の機会はしばらくあるまいと無気力になっていた将兵たちにとって、降ってわいたボーナス・ゲームであり、武勲をたててやると勇んでいた者たちが数多いる。なのに後方の都合によりそれが撤回されたとあっては彼らの不満がどのような形で噴出することになるか。

 

 今回の遠征に際して遷都に先行して軍中枢をフェザーンへと移動させてしまっていたので、長期的にはともかく、一年未満に収まる中・短期的な軍事行動であれば、それほど支障がでることはない。くわえて、度重なる敗戦に傷跡とバーラトの和約第五条の規定で軍備が制限されていたことが尾を引いている同盟軍は、帝国軍が鎧袖一触にできるほど弱体化しているという事実が、皮肉にもなんでろくに戦闘もせずに引き揚げるんだという将兵の不満を確固たるものとするであろう。

 

 そうした懸念はヒルダもわかっている。わかった上で撤退したほうが良いと主張しているのだ。可能性は低いとは思うが、もしも同盟軍相手に手痛い損害を受けるようなことになれば、新王朝にとって取り返しのつかない事態を招く恐れがある。それを思えば、ここは万全を期して政府上層部の穴を埋めるべく行動するべきではないのだろうか。

 

 一方でロイエンタールはラインハルトの覇気に溢れた意見に共感していた。今回のクーデターで中央政府の統治能力が喪失するほどの被害がでていたとしても、地方自治体には被害があまり及んでいないわけであるし、そこから人材を抽出すればいくらでも取り返しは利くように思われるのだった。それに軍事力至上主義というわけではないが、本当にどうしようもない状態に陥ったとしたら、その時こそ軍を引き返させればいい。それなら将兵も不満をいだきこそすれ、納得する者が多数派となろう。

 

 だが、それはそれとして皇帝を支える重臣として、ロイエンタールは確認しておかなければならぬことがあった。

 

「陛下の意向が遠征継続であるというなら否やありませんが、いくつか確認したいことがございます」

「ほう、どのようなことだ。述べてみるがよい」

「はっ。まずは今回帝都で起きたクーデター未遂事件について、遠征軍内においてどのように説明をくわえるべきかということです。もし同盟軍がこのことを知っていれば、我が軍の動揺を誘うような広報を行うやもしれせん。最低でも、高級将校には伝えておくべきと愚考いたしますが」

「そのような策をとっても、帝都におけるクーデター未遂など隠しおおせるとも思えぬ。いずれ末端の兵士まで漏れ伝わろう。それなら多少の動揺を招こうとも最初から教えておいたほうが始末がよい。後で予自ら全軍に向けて公表するとしよう」

 

 情報秘匿して隠しおおせるようならそれでよいが、帝都におけるクーデター未遂事件、しかも多くの高官が犠牲になるような事件など、とても隠しおおせるようなものとも思えない。それくらいなら最初からすべて教え、疑心暗鬼を生ずる可能性を減らすほうが良いであろう。

 

 ラインハルト自ら公表するのは、皇帝である自分が「今回の遠征において大きな影響があることではない。全軍将兵は任務に集中せよ」と映像越しだが声をかけてやることで、ある程度は将兵たちを安心させる効果が見込めるという計算からきたものである。

 

 ロイエンタール、シュトライトもそうした考えを理解した上で賛意を示した。ヒルダも不本意だが遠征継続という前提に立つのであれば、それが一番であろうという考えであった。

 

「もう一点、臣が気になりますのは、帝都における今回の事態を防げなかった罪を陛下はだれに取らせるべきであると考えているのか。そしてまた、それを罪をいつ問うべきだと考えておられるのかということです」

 

 この場合、責任問題をどう処理するのかというのは非常に難しい問題である。クーデターに加担していた近衛士官たちを処罰するのは当然であるが、多数の官僚が殺されている以上、その事態を防げなかった治安の責任を相応の地位にある人物に取らせる必要があるだろう。候補に上がるのは国内治安に責任を持つ内務省高官や内部でのクーデター計画に気づかなかった軍の高官である。

 

 だが、報告を見る限り、内務省は酌量の余地があるように思えるのだった。内務省の者たちは初動で拘束されてしまったが、内務尚書オスマイヤーを中心に内国安全保障局や警察の残党が結集し、事態の収拾に少なからず貢献している。気に入らないが、内国安全保障局の連中もおおいに活躍したらしい。となると麾下にある近衛部隊の監督を怠った首都防衛司令部に治安責任をとらせるべきであろうか。しかしこれも問題がある。

 

 旧王朝時代、近衛部隊は宮廷警備を担う名誉ある部隊であるとして軍務省からの独立性が高かった部隊であった。ローエングラム独裁体制に移行してから、宮廷警備の重要性が激減したから部隊の縮小が行われた上、軍の指揮系統を統一する目的で形式的に首都防衛司令部の下に近衛司令部が組み込まれることになった。だが、宮廷警備を首都警備の範疇にいれてよいのかという問題があり、開明派の近衛消滅論が支配的になれば本当に消滅させてしまってもかまうまいと軍高官全員が近衛を軽視していたこともあり、首都防衛司令部と近衛司令部がどういう関係であるべきかについて公式に定義されておらず、独立性の高さはあまり改善されていなかった。

 

 なぜ独立性の高さが放置されていたのかというと、部隊の縮小に伴い実質的意義を喪失しつつあった近衛部隊になにができるのかと思われていたこともあるし、独裁体制構築後の近衛司令官であるモルトとヴァイトリングの両名ともに能力と忠誠心を軍務省人事局から特に評価されてその任についていており、それをラインハルトが直接会って確認するということをしていたので、いずれ改善する必要があるが、当面はそれで問題はないだろうと考えられていたからである。実際、ブルヴィッツの虐殺による貴族差別の激化とレオの積極的活動がなければ、ヴァイトリングは部下たちの不満を抑えれる程度の器があったはずなのである。

 

 そのため、これは首都防衛司令部の責任というよりは、軍の制度的な問題だったといえなくもない。そのため軍務尚書オーベルシュタインは責任を感じているのか、必要とあれば元帥号を返上し、適切な後任がいるのであれば軍務尚書を退くことも覚悟していると報告書に付け加えていた。今の時点でオーベルシュタインが軍務尚書を辞した場合、その後任になるのは自分かメックリンガーであろう。以前であればケスラーという可能性もあったが、渦中の人物であり責任追及されかねない立場なのでその芽はなくなっている。それはロイエンタールの不穏な心情を刺激するものがあったが、それ以上に若い主君がどのような決断を下すのかについて興味と期待があった。

 

「自爆テロを防げず、首都防衛司令部が無力化されてしまったことが事態の悪化を招いたことは明白であるから、首都防衛司令部の者たちに責任を取らせる。オーベルシュタインの言い分ももっともだが、それを言ってしまえば予を含めて責任を負うべき者が数が多すぎる。ただでさえ多くの官僚を失っておるのに、多数の軍高官を処断して体制の空洞化を招くわけにはいかぬから辞任するには及ばぬ。軍務省局長級以上全員に棒給を返上させるあたりでよかろう」

「ケスラーを退役させるのですか?」

 

 シュトライトの憂いに満ちた問いを、ラインハルトは否定した。

 

「いや、そのつもりはない。……予は今回の一件についてあくまで惑星規模の不祥事として処理したいと考えている。国規模の不祥事であるとしてしまうと責任をとらなくてはならない者の数が増えすぎ、統治体制に大量の穴が空くことになってしまうからな。首都防衛司令官から解任するのはやむを得ぬが、今後ともケスラーには憲兵隊を率いてもらうつもりだ」

「陛下のお考えは理解できますが、惑星規模の不祥事であるとして処理するとしても、少なからぬ者たちが地位を追われることになり、後任人事が決定するまで統治体制が揺らぐのは避けられませんわ。やはりここは遠征を中断し、本国に戻るべきではないかと。遠征を続けるとしても、陛下は帝都に戻るべきだと考えます」

「わかっている。だからすぐにそうするつもりもない」

「と、おっしゃいますと?」

 

 ラインハルトはちょっとしたいたずらに引っかかった子どものように、唇の端を不快げに歪めた。正直なところ、これは詭弁ではないのかと自分でも思うところがあったからであるが、現状、もっとも損害が少なく、かつ民衆が納得がいくであろう責任問題の処理方法がこれしかないように思えるのが、いささかおもしろくなかったのである。

 

「ロイエンタールがいつ罪を問うべきかと気にしていただろう。予は遠征を終え、帝都に帰還した時、この事態を防げなかった罪を問う。それまで処罰の執行はしばし猶予する。また、帰還するまでに注目に値する貢献を成した者に対しては罪と相殺することも考慮するとしよう」

 


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