リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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取り逃がし

 ケスラーが近衛司令部を掌握してすぐ帝都の主要交通地点において検問を実施するよう、憲兵総監として全憲兵に命令し、首都防衛官として内務省に要請していた。自分の放送により既にクーデター勢力が瓦解しつつある状況になっている以上、関係者が逃亡をはかる可能性が高かったからである。

 

 この予想は的中しており、貴族連合残党に所属していた構成員が、中心街から離れて身を隠そうと試みたが、中心街外縁部に約一キロメートル間隔で何重にも設置されている検問のすべてを突破することができず、既に何人も各所で拘束されてしまっていた。

 

 一番中心街の外側に位置する検問所のひとつは、内国安全保障局が担当していた。といっても、それまでに何度も検問で確認されていることだし、民間人もうんざりしているだろうから、形式的な確認のみですませていた。

 

 そんな検問所の検問官の一人に任命されていた保安伍長は、絶えることなく続く車列に辟易しながら、確認作業に従事していた。そして次の地上車を止めた時も、手慣れた調子で車窓から車内を覗き込み、美しい化粧が施された運転席と助手席に座っている女装男性の二人組を確認して思わず怯んだ。

 

「こりゃえぐいな。おまえらいったいどこに行くんだ」

 

 嫌悪感と忌避感を隠そうともせず、震え声でそう問いかけた。ローエングラム王朝になって同性愛は合法化されたものの、今まで散々同性愛は社会に害毒を促す犯罪的行為と教えられてきた多くの帝国人から異端視され、拒絶されていたのである。

 

「どこだと思いますか?」

 

 運転席ににっこりと微笑みながら誘うような声でそう聞き返したきたので、保安伍長は胃酸が喉元まで逆流するほどの拒絶感に襲われた。これ以上、こんな輩に関わりたくないと体中の全細胞が訴えていた。

 

「さっさとソドムの底にでも消え失せろ」

 

 自分たちは犯罪者を追っているのであって、精神異常者の相手をするのが目的ではないのだ。そう言い訳して保安伍長はさっさと車を通してしまった。それに部下が疑問を投げた。

 

「なんで身分証すら確認しようとしなかったんですか」

 

 さっきまでは最低でも身分証を受け取り、検問機器を使ってデータベースにアクセスして確認するようにしていたのにと局員は思っての指摘だったのだが、保安伍長は何を言ってるんだこいつという顔をして、あきれたように言った。

 

「いいか、俺たちが探しているのは皇帝ラインハルト陛下に叛逆を企てた卑劣な反動テロリストどもであって、野郎同士で盛り上がるような変態どもじゃないんだぞ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんだ」

 

 それっきりだれもさっき通した地上車について話題にならなかった。だれも思い出したくないことだったので、彼らの頭脳は早々に忘却すべき記憶として分類してしまったのであった。なにより捌かなくてはならない車列はまだ大量に検問所で自分の番を待っているのだから忙しかったのである。

 

 しかし彼らは間違えていた。その通りすぎた地上車の助手席に座っていた女装男性こそ、貴族連合残党組織の幹部の一人にして、アインザッツ憲兵少佐を名乗ってマールブルク政治犯収容所で開明派官僚を大量処刑したサルバドール・サダト元帝国軍准尉だったのである。

 

 サダトはマールブルク政治犯収容所で極めてシンプルな手順の銃殺刑を見物し終えた後、部下になにも告げずに一人でマールブルクを後にしていた。もとより貴族連合残党に未来はないと見限っており、一時の宿屋程度にしか考えておらず、最初からこのクーデターの騒ぎの中で行方をくらますつもりだったのである。

 

「しかし、同性愛者のフリをするだけで随分とガードが甘くなるものだな」

 

 実際、それは意外な事であった。運転席に座っている男と恋人関係を装って見せるだけで、憲兵も警察も吐き気を催したような顔をしてかなりおなざりな確認しかしてこない。中には同性愛者らしいと見なした瞬間、なにも言わずにサッサと行けとばかりに顎をしゃくった憲兵すらいたのである。

 

「同性愛が公的には認められるようになったとはいえ、五〇〇年に渡って植え付けられた根深い偏見による差別意識がなくなったわけではないのさ。だが、ローエングラム王朝の世になって劣悪遺伝子排除法をはじめ、同性愛を犯罪扱いする法律が廃止されてしまったから警察に通報しても同性愛者を取り締まってくれなくなってしまった。だから妥協して疎外するのが一般人の平均的感情のようだ」

「だからって検問もろくにせず通したりするものなのかね。同性愛者に化けて検問突破するなんて言われた時は、こんな血迷った作戦しかないとか、もうこりゃだめだと思ったものだが」

「理解しかねるが旧王朝の公式理論に則るなら、同性愛は悪質な伝染病らしいのでな……。感染したくないのだろう」

「マジかよ」

 

 帝国人の愚劣さを嘲笑う運転手に、サダトは心の底から同意せざるを得ない。ほとんど矯正区暮らしだったので、帝国の一般社会に疎く、同性愛がそこまで忌避されている概念であるとは知らなかったので新鮮な驚きであった。

 

 ノーマルな人間にとって同性愛というのは理解しがたいものであるから、受け入れがたい異物として腫物扱いされてる程度だろうと思っていたのだが、よりにもよって伝染病扱いとは! なるほど、一朝一夕で解決できない問題であるわけだ。帝国政府のお偉方も無知ゆえの民衆の迷信にさぞ頭を悩ましていることだろうと思うと、愉快であった。

 

「俺の故郷だと同性愛者をはじめLGBTは珍しいもの扱いではあったが、そんな露骨に異端視されるもんじゃなかったから、どうにも理解しがたいことだな。しかしだからといって、生理的嫌悪感より職務精神を優先させるような奴がいたらそれまでだろうに、なんでいない可能性に賭けれたんだ?」

「たしかにいないという確信があったわけではないが、官憲が同性愛者に関わりたがらない大きな理由がもうひとつあって、それも含めて考えれば、なにがなんでも職務精神を優先しようとする者は少ないと判断した」

「その理由ってなんだ? もったいぶらずに言え」

「新王朝が所謂劣悪者差別問題を解決するためにやたらと神経質になってるからだ。職務的理由から治安当局が同性愛者をはじめとする劣悪者を被疑者として拘束したとしても、被疑者が差別だと叫べば民政省の職員がすっ飛んできて、差別からの拘束ではないかと捜査してくるからな」

 

 ローエングラム王朝が成立してから、民政省はゴールデンバウム王朝が劣悪遺伝子排除法をはじめとする様々な“劣悪者淘汰政策”が民衆に残した膨大な差別的偏見や迷信といった社会問題を解決するために、八面六臂の大活躍をしている。それは別に批難されるどころか、むしろ賞賛されてしかるべき行為であろうが、それを理由に自分たちの仕事に介入してくる民政省の行動を、他の組織が好ましく感じるわけがなかった。

 

 そのため、煩わしい民政省の介入を受けたくないという感情から、警察や憲兵は旧被差別階級を拘束してしまうことに臆病になっており、軽犯罪程度であれば見逃す事例が多発していた。こうした傾向が内務省内で問題視され、内務尚書オスマイヤーが一度民政省に公式文書で改善を求めたのだが、民政尚書ブラッケは「これは警察組織、ひいては内務省みずからが意識改革を行えば済む問題であり、民政省に負うべき責任があるとは認められない。開明政策は新王朝の国是なれば、旧態依然とした慣習偏見に固執し、差別感情に共感する内務省の態度こそ問題視されるべきであろう」と聞く耳を持たなかった。

 

 この返答に内務省高官は激しく激怒したというが、社会正義が味方するのは間違いなく民政省であるとわかるだけに、渋々口を閉ざした。だが、だからといってブラッケが言うような偏見を払拭するような意識改革など容易に実行できるわけもなく、改善されることがないまま現在に至っている。今回のクーデターは、筋金入りのゴールデンバウム王朝シンパによるものとされている以上、彼らが敵視してやまなかった同性愛者にでも化ければ「まさか変装でもそんなことはしないだろう」という無意識も手伝って、誤魔化しとおせる可能性は高いと踏んだのである

 

「……そういえば、おまえらのところ的にはどうなんだ? やっぱ非生産的とか非自然的とか、そういうことで禁忌扱いだったりするのか」

「別に禁忌扱いされているわけではないが……あまり好ましく見られていないのはたしかだな」

 

 運転手の男は軽く舌打ちした。同性愛者を装えば検問を突破しやすくなると判断したのは彼であったが、こんな下世話な話をしていることが気持ち悪くなってきたので、話題を変えたくなったのである。

 

「それで、おまえが拾ってきたあの男はなんなのだ? あんな奴を拾ってこなければ検問を張られる前に動くこともできたし、それだったらこんな女装をして危険な真似をせずにすんだのだ。いったいなにを考えておるのだ」

「いやなに、おまえらの母なる惑星のために役に立つ人材だと思ってな。拾ってきてやったのよ」

「あの重傷者がか」

 

 信じかねるようにそう呟く運転手に、サダトは温容に頷いて後部座席に置いてある人一人分くらい入りそうな細長い箱を覗き見た。実際、中には一人の人間が横たわっている。まだ生きているかどうかはすこし怪しかったが。

 

 貴族連合残党を見限って帝都の街中を散策しているとき、ワーレン暗殺に失敗して重傷を負い街中を闊歩していたクリス・オットー元少佐と遭遇した。もう既に死んでいるのでないかと思えるほどボロボロな体でありながら、両眼に強烈などす黒い意志の輝きを宿しているのを見て、サダトは使えると判断した。

 

 それでオットーに応急措置を施したりするのにかなり時間を使ってしまい、騒ぎの最中に離脱するつもりが、クーデターがほぼ鎮圧され終わってから、逃げることになってしまったのである。そのことを詰られても、サダトは平然としたものだった。

 

「そうだと言っている。それとも俺の言葉が信じられないか。ククッ、あんたらにクーデターのことを事前に教えたというのに、まったく信じられていないとは、悲しいことだなぁ」

「口先だけの意味のない戯言だな。どうしておまえのようないい加減な奴を書記局は信用しているのか理解できん」

「道具としては優秀だからじゃねぇのか。しかし、そんなこと言って大丈夫なのか。上層部批判はご法度なんだろう?」

「なにを言う。部外者を疑うのは恥ずべきことではない」

「そうかい。まあ、期待に背かぬ働きをするとあんたの神に、いや神じゃないんだっけ? とにかくそれに誓いますよ。俺は他人の幸せをぶっ壊すのがライフワークだから、互いの利害が一致しているわけだしな」

 

 当面の間はな。その言葉を内心でサダトは続けた。元よりラナビアでレーデルに仕えたのも、貴族連合残党組織に所属していたのも、自分の身の安全を確保し、なおかつより多くの人間を不幸に陥れることがかなうと感じていたからである。これから所属しようとしている組織もその前提は変わらない。すべては個人的な娯楽のために、である。

 

「まあ、そんな些末事はどうでもいいとして、早いところあんたらの拠点に行かねぇとな。後ろに積み込まれてるあいつの意志力は尋常なものではないからそう簡単に死にはしないだろうが、早いところちゃんとした治療を受けさせるに越したことはない」

「……本当に意味があることなのだろうか」

「意味は絶対あるって。少なくとも、金髪の孺子にとっては死んでいた方がありがたい存在なのは間違いない」

「そうか、なら生かしておいた方が良いか」

 

 納得したわけではないが、一理ある言葉であった。彼の者は間違いなく我らが怨敵にして、我らが理想を阻まんとする障害なのである。それにもし問題があるようであれば、それは書記局が判断するべきであって、自分は不敬な越権行為を働いているだけなのかもしれぬ。そう運転手は考え、目立たない程度の速さで車を走らせ続けた。

 

 一方その頃、宮殿内に設置された臨時対策本部――今回のクーデターで、帝国政府中枢は閣僚を含めて大量の高官が殺害されるという大打撃を被ったため、混乱する帝国省庁の秩序を再編し、一元的に統括するためにマリーンドルフ伯爵が国務尚書としての権限を行使して設置されたものである。ただし伯爵は調整役に終始し、ほとんどのことは各省高官の協議によって決定されていた――の関心は地上より、宇宙と宇宙港に移りつつあった。

 

 それは宇宙に逃げ出されたら、追跡が困難になる可能性が高いという事情もあったが、もうひとつ理由があった。内国安全保障局のカウフマンが、捕縛していた貴族連合残党組織幹部ゲルトルート・フォン・レーデルから重要情報を聞き出していたからである。カウフマンは同僚たちから秘密警察官としての適性をとかく疑問視されていたが、尋問相手に情報を吐かせる手腕に関しては決して無能ではなかったのである。

 

「フェザーンの商船を利用して、貴族連合残党の幹部たちが首都星からの脱出をはかっていると?」

「はい。貴族連合残党組織の大幹部ジーベックは、あるフェザーンの独立商人たちと手を組み、彼らの交易に便乗する形で隠れて惑星移動をしているとレーデルが証言しております」

「……クラウゼ保安少将を疑うわけではないが、いささか信じかねるな。利益のために貴族連合残党組織を一部のフェザーン商人が支援していたというならわからんでもないが、この期に及んでなお運び屋をするなど奴らと運命をともにしようとしているようなものではないか。理に聡いフェザーン商人の中でも抜け目ないとされる独立商人たちがそんな割に合わない仕事をするだろうか。レーデルが嘘の証言をしているだけの可能性があるのではないかね」

 

 疑わしそうに腕を組みながらオスマイヤーは疑問を投げた。他の者たちも疑わしそうな表情を浮かべていた。

 

「その可能性が絶対にない、とは申せませんが、ほぼ間違いなく嘘ではなかろうと私は考えております」

「その根拠はなんだね」

「レーデルの証言によりますと、そのフェザーンの独立商人たちは亡命仲介を生業としていたそうです。ですが、ご存知の通りローエングラム王朝が成立したと同時に、同盟との対立関係も表面上は修復され、犯罪者でもなければ国境を越えることは以前と比べ物にならないほど容易になり、秘密裏に行う必要がなくなってしまいました。そのため、新たな顧客として貴族連合残党組織と提携することを選択したということです」

 

 オスマイヤーをはじめ、幾人かが顔を青くした。ゴールデンバウム王朝時代、国外への人材流出は、ある意味では同盟との戦争以上に、国家存続の上で懸念事項とされてきた。帝国政府が初めて亡命者を秘密裏に国外に輸送することを生業にしているフェザーン人たちがおり、自治領主府自らがかかわっていることを知った時、帝国政府首脳部は衝撃を受け、ひとまず帝国内のフェザーンの商人数千人を誘拐容疑で大量に拘束させ、帝国軍にフェザーン制圧を検討させるという強硬な姿勢をとり、対フェザーン関係が一触即発の状態までいったくらいだ。

 

 フェザーンと深い関係を有していた大貴族、フェザーンを制圧して同盟との第二戦線を設けて維持できるか非常に不安だという軍部、国庫が厳しい状況で例年の比ではない大規模軍事行動は控えてほしいという財務省などの反対。そしてそれを見透かしたフェザーン自治領主府が、帝国政府への貢納の大幅な増額、自治領内の不法滞在者を定期的に帝国に送還する事業を実施することなど帝国に大きく利がある条件を出し、その代わりに亡命仲介事業はお目こぼしいただくという内容の密約案を提示。帝国政府内で激論が戦わされ、結果的に密約案を受諾することを選択し、拘束していたフェザーン人を解放してひとまずの危機はさった。

 

 だが所詮密約は密約であり、帝国政府が公式にフェザーンの亡命仲介業を公認したわけではなかったから、それ相応の対処策を取ることも忘れなかった。社会秩序維持局に亡命者を摘発することを専門とする特殊犯罪・叛逆対策部門を立ち上げたことをはじめ、帝国政府は亡命者狩りに相当な力をいれてきた。加えて公的には「一部のフェザーン人は亡命仲介は善意の商売であると主張しているが、実態はというと帝国臣民を拉致・誘拐しているだけの悪質な犯罪にすぎない。この犯罪にかかわったフェザーン人の再入国禁止処分は当然として、極刑を課すこともある」と仲介業者を脅し、フェザーンとの関係が悪化することも恐れず、見せしめとして何度かは実際に処刑した。

 

 しかしそれでもなお、生命の危険を恐れることなく、帝国の官憲の目を巧妙に掻い潜り、亡命者を秘密裏に輸送し続けてきたのがフェザーンの亡命仲介業者たちなのである。そうした者たちの偽装を破るのは非常に難しいことであった。

 

「付け加えて私見を述べますが、もしレーデルの証言通りの背景を持つフェザーンの独立商人たちが運び屋を担っているのが事実である場合、数ある犯罪組織の中から絶対にわれわれと相容れない反動勢力と手を組んでいることから考えますと、彼らは故郷と仕事を帝国に奪われたと考え、強い反帝国感情を有しているものと推測されます。よって多少の利をちらつかせたところで、独立商人たちが匿っている貴族連合残党組織の幹部をこちらに引き渡す可能性は非常に低いと考えなくてはなりません」

 

 うんざりとしたうめき声が何重にも重なって響いた。本心から犯罪者に与している秘密の人物輸送の達人など、考えるだに悪夢である。

 

「……帝都のフェザーン人の経歴をすべて洗うことは可能か?」

 

 疎んじていたジュトレッケンバッハ警部補によって解放された元ハルテンベルク派の警視総監のつぶやきは思わず言葉がこぼれてしまったような口調であったが、オスマイヤーが首を振って否定した。

 

「不可能だ。フェザーンが成立してから、このオーディンは帝国有数の市場として目をつけられてきた惑星で、フェザーン人街が郊外に築かれているほどで、この惑星上に最低でも数百万単位のフェザーン人がいることだろう。純粋な独立商人に限定するとしても、数十万は確実だ。彼らのことを一人残らず洗いざらし調べ上げるには憲兵隊と内務省が一致団結して共同捜査をしたとしても、全て調べ終えるまでに長い時間がかかるだろう」

 

 亡命仲介業者は他の商人と区別がつかぬよう、表向きはよくいる交易商人を装っていることが多い。それらすべての船舶を調べ上げ、かつ持ち主の経歴に偽の情報がないと確認していくという作業は、時間がかかる。捜査対象が数十万、数百万という数になるなら、年単位の時間がかかりかねない。それはあまりに非現実的な捜査方法だった。

 

「私も内務尚書の意見に同意だ。フェザーン商人のみを深く掘り下げて捜査対象にするのでは、フェザーン人全体の反感を買う恐れがある」

「彼らの側からすれば、フェザーン人というだけで過度に疑われているように受け取られるでしょうからな。……大本営のみならず、首都機能をフェザーンへ移すことが陛下の御意向である以上、それははなはだまずいことになりましょう」

 

 マリーンドルフ伯爵の発言にエルスハイマー民政次官も同調した。明確な物証があるならそれを公表してしまえば、公然とフェザーン人限定で捜査を行う決断もできたろう。しかし、フェザーン商人を運び屋にしているというのは、あくまでレーデルの証言によるものでしかなく、証言の蓋然性が高いとはいえ確実なものとはとても言い切れない。偽証でなかったとしても、捜査を断行して失敗しても同じことである。その場合、フェザーン人の不公平感のみが残る結果をもたらしかねない。

 

 八月八日の布告で、皇帝ラインハルトがフェザーンに遷都する意思を公式にも明らかにしている以上、その流れに阻害するがごとき行動は臣下として慎まなくてはならない。過度に融和的である必要はないが、不特定多数のフェザーン人に対し強硬的措置をとるのは躊躇われることであった。だが、それでもなお、やるべきではないかという意見もあり、議論は活発化する。

 

「国務尚書閣下と民政次官閣下の主張もわかりますが、事が事です。貴族連合残党というテロリストどもに帝都を奪われかけるという醜態を晒したことで、新王朝の威信は大いに傷ついている。この上、此度の一件の首謀者どもを取り逃がしでもしたら、どうやって陛下と帝国の威信を保つことができましょうか。ここは断固とした態度をとって、武力によって政権を簒奪せんと目論み行動する輩は、たとえそれが何者であっても新王朝は容赦しないのだという姿勢を明らかにしてこそ、威信を回復する道なのではないでしょうか」

「クラウゼ保安少将、言いたいことはわかるが、強硬策をとるには、あまりに被疑者が多すぎるから拙いのだ。もっと情報を聞き出すことはできなかったのか。たとえば、運び屋になっているフェザーン人の名前とかだ」

「一応はあります内務尚書閣下。しかしかなり信憑性に疑問符が付きますことを先に断らせてもらいたい。船長は“ラムゼイ”と名乗っていた、ふくよかな男であると。乗っていた商船はどのようなものだったのかについてはよくある武装商船だったとか、オレンジ色の改造船であったと言っております。さらなる尋問によって情報の確度を高めることもできましょうが……これ以上尋問を続けるとレーデルの生命が危うくなるとのことでして……」

「生命が危うくなるだと。まさか拷問にかけたのか。レーデルは貴重な情報源だ。もう少し慎重に取り扱うべきだろう。場合によっては公開処刑にせねばならなくなる可能性もあるのだからな」

「それはそうですが、下賎な平民風情と話す舌など持ち合わせていないと強硬でしたので。多少揉んでやらないことにはなにひとつ情報を引き出せなかったはずです。それに憲兵総監閣下、まるでわれわれを批判しているかのように聞こえますが、私個人の見解としましては、キュンメル事件時に憲兵隊が地球教徒の屍の山を築いて得た情報より、質と量の双方で上回っている情報を聞き出すことができたと考えているのですが」

「なんだと……」

「内国安全保障局次長の個人的見解はともかくとして、しばらくはレーデルに尋問ができないとなると、しばらくはこの情報を基に捜査を進めるしかないか。ホシが宇宙に逃亡してしまわないよう、宇宙港を閉鎖させ続けることができればいいのだが」

「無茶を言わないでもらいたい。警視総監のいうように宇宙港の閉鎖を長期間にわたって継続してしまえば、星間交易が停滞してしまう。このオーディンは帝国内における星間交通の要所であるのだから、経済的損失がとんでもないことになってしまう。そのような方策は財務省として絶対に反対だ」

「貴族財産の接収と開明改革に伴う段階的な自由経済の実施による税収の増加で、国庫にはかなり余裕があったと記憶しているが」

「たしかに余裕はある。だが、公共事業の大規模推進に加え、度重なる出征によって莫大な出費が繰り返されているのだ。これではいくら余裕があっても安心できぬというもの。経済面から見れば、宇宙港の閉鎖は一刻も早く解除してもらいたいくらいだ。長引けば長引くほど経済的損失が増大するばかりか、被害を受けた商人たちへの補償でさらに出費が嵩むことになる」

「たしかに。宇宙港を閉鎖している部隊から早急に業務を再開してほしいという嘆願が山のようにきているという報告もきている。あまり長引けば彼らが暴徒となってわれわれに牙を剥く恐れもでてこよう。財務次官閣下のおっしゃられるとおり、宇宙港の閉鎖を継続というのは非現実的と言わざるを得ない」

「……たしかに閉鎖を長期的に継続するのは現実的ではないやもしれぬ。では、どの程度までであれば許容範囲内であると財務省は考えるか」

「正確な日数は断言できませんが、一週間前後が限度ですね。それ以上続けられれば帝国の経済全体への悪影響が甚大なものとなる」

「あまりに短すぎる。その程度であれば出航する船を徹底的に調べ上げることを前提として、閉鎖を解除した方がよいのではないか。その方が、国家経済に与える影響も少なくて済むだろうし、ローラー作戦で首都星内に隠れていないか探ることもできると思うのだが」

 

 不安が残るが、それが一番現実的な方策であると列席者は考え、出航時に念入りに船内と乗組員を調べ上げることを条件として宇宙港の業務を再開させ、一方で帝都内においてローラー作戦で容疑者を探ることとした。

 

 これにより多くの貴族連合残党組織に所属していた者達の身柄を拘束することに成功したものの、肝心の幹部たちは捕らえることができなかったのであった。

 

 


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