リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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FGO第二部二章クリア。
北欧神話の終末戦争ってのは、虹の砲兵と炎の巨人が一目惚れした一人の女を巡って痴話喧嘩する話だったんだな
ルドルフ「絶対違う」


全面楚歌

 憲兵隊によって解放されたヴァイトリングであるが、すぐに自由の身になれたわけではなかった。近衛司令部はすべてヴァイトリング中将の認可を受けて命令をだしていると偽っていたので、参謀長のノイラート大佐ともども、取り調べの対象となったのである。

 

 幸い、ヴァイトリングがずっと拘束されていた証拠や証言は山ほどあったし、一緒に取り調べられたノイラートもずっと気まずい表情を浮かべながら、自分がクーデターに賛同しなかった司令官を拘束し、代行して司令部を統括していたと主張し、間接的にヴァイトリングに責任はないと弁護したこともあって早々に拘束を解かれた。

 

 その後、ヴァイトリングは自分たちを取り調べていた憲兵将校に嘆願し、近衛司令部で情報の整理と帝都騒乱の事態収拾の指揮をとっていたケスラーと面会した。ヴァイトリングは姿勢をただし、勢いよく頭を下げた。

 

「今回の不祥事、すべて近衛司令官でありながら、部下の不穏な動きを掣肘できなんだ私の無能さによって引き起こされたものです。責任はあげて、私と一部の近衛士官らにあり、罰せられるのもそうであるべきであって、事情をまったく知らぬ下士官兵らにはどうか寛大な処置を賜りたく……」

「卿の主張は一理あるかもしれんが、今はそれどころではない。早急に非常事態を終結させ、元の平時体制に戻すことのほうが先決だ。処罰がどうの、という話であればすべて終わった後から考えればいい」

 

 取りつく島もない返答であったが、まったくもって正論であったので、ヴァイトリングは話題を変更する必要を感じた。

 

「まだ抵抗している者達がいるのでしょうか」

「私の放送と、例の近衛司令部命令のおかげで投降してきている者が多くいるが、いまだに抵抗しようとしている者が少数ながらいると報告がある。それに貴族連合の残党はもともと犯罪者であるため、死に物狂いの抵抗を繰り広げているという」

「……なるほど。まだ抵抗している近衛がいるようなのであれば、上官である私が直接出向いて説得いたしましょう。もっとも、私の言葉がまだ届くのかどうか、わかりませんが」

 

 近衛司令官はやや自嘲気味にそう提案した。自分の知らぬところでクーデター計画を立案し、それを自分の許可を得ず実行してしまった者達である。クーデターに成功の目がなくなったからといって、自分の言葉に耳を傾けてくれるかという思いがあったのである。

 

 ケスラーにしても同じ思いだったのであまり意味があるとは思えず、却下した。それより拘束したクーデター派の近衛将校の事情聴取をさせたほうが有意義だろう。無論、近衛将校同士で隠し事をするのではないかという懸念もあるので、監視役の憲兵将校を付けた上で事情聴取をさせるべきだろう。

 

 表情筋を一切動かさずに脳裏でそろばんを引き、それを命じた直後、とある人物が近衛司令部に颯爽と現れ、視界に入ったケスラーに声をかけた。

 

「御無事のようでなによりですな、閣下。いやはや、賊が閣下のお命を狙っているという噂を聞き、すぐにターナー君と連絡を取り終えた直後に、首都防衛司令部が爆破されたと聞きヒヤリとしましたよ」

 

 どこか他人を不愉快にさせる甲高い声の人物は、場違いなほど綺麗で埃ひとつついていないスーツを完璧に着こなしており、胡散臭い微笑みを浮かべていた。

 

 ヴァイトリングは思わず顔をしかめ、無表情を維持しているケスラーに尋ねかけた。

 

「閣下、彼はいったい……?」

「……私の身の安全を確保するのに協力してくれた民間人だ。それで卿はいったい何の用でここに。卿の功に対する褒賞だのといった話であれば、すべて終わってからにしてもらえないだろうか」

 

 ケスラーの態度は無関心を装っていたが、あきらかに相手を拒絶する意志を全身から発しているようにヴァイトリングには思われた。

 

「なんと危険を伝えて自宅を避難地を提供しただけでございますのに、聡明なる首都防衛司令官に褒賞を授与されるほどの貢献であると評価して頂けるとは、このヨブ・トリューニヒトもまだまだ捨てたものではございませんな」

「御託を述べるだけなのであれば、お帰り願いたいのだが……?」

 

 鉄の意志で無表情を装っていたが、ケスラーの眉間に太い青筋が一本走っているのをヴァイトリングは確認することができた。トリューニヒトなる人物が、この気まずさを感じていないように朗らかに微笑み続けられる神経が理解できなかった。

 

「いえいえ、とんでもございません。ある重大情報を入手し、善良な一臣民として、私個人の陛下への忠誠心からこれを然るべき相手に伝えるべきであると考えまして、こうして閣下にご報告に参った次第であります」

「それで、その重大情報というのは?」

「マールブルク政治犯収容所に移送された閣僚の内、開明派と見做された者達が賊によって多数殺害されてしまったとのこと」

 

 さして重要なことでもないような明瞭さと朗らかさでトリューニヒトはそう報告し、ケスラーとヴァイトリングは息をのんだ。

 

「なん……だと……。たしかなことなのか、それは」

「はい、具体的な人数はまだつかめておりませんが、証言によると少なくとも数十名単位で犠牲となったようで、開明派の筆頭であるブラッケ氏は既にヴァルハラの門をくぐっているのは間違いないと」

「ブラッケ氏が……。その証言というのはだれがしたのか」

「閣下の放送を視聴し、錯乱して逃亡したマールブルクの憲兵たちでございます。彼らを閣下の目となり耳となっていた元憲兵たちが数名拘束し、そこからそうした事態が発生したと掴んだのです」

 

 ついに鉄面皮が崩れてケスラーは信じられないという表情を浮かべた。ヴァイトリングは部下たちが暴走し、閣僚までも殺していたと知って、自分は自裁する程度では許されない大罪を犯したのだという暗い感慨を抱いた。

 

「つきましては閣下、その穴を少しでも埋めるべく私を文官として陛下に推薦していただけないかと。ご存じのことと思いますが、私は自由惑星同盟で政治家をしていた経験がございまして、民政に対して一日の長があります。たとえ民政尚書となっても、故ブラッケ氏の遺志を継ぎ、彼に負けぬ働きをするとお約束しますよ」

「――ッ!! ……何度も言っているが、そういう話であれば後にしてくれ。まずはこの事態を収拾することが先決なのだ。それ以外の話をするつもりはない!!」

 

 いけしゃあしゃあと綺麗事を語って自分を売り込んでくるトリューニヒトの厚顔さに、ケスラーは激情に駆られかけたが寸のところでなんとか自制することに成功し、型通りの言葉を述べて追い払った。しかし彼があげた功績が莫大である以上、彼の仕官願を無視して陛下に紹介しないわけにもいかなくなると思うと今から憂鬱である。

 

 もちろん、陛下は名君であらせられるから、仕官を受け入れるとしてもさしたる実権もない名誉職か閑職しか与えぬであろうが、あのような人物を紛いなりにも体制内に取り込む手助けをしてやらなくてはならないとは……。

 

 トリューニヒトを追い払った直後、入れ替わりで帝都防衛第一旅団幕僚のエーベルハルトがやってきた。彼はケスラーに敬礼すると、はきはきとした声で報告をした。

 

「ミュンヘン・ホテルにたてこもっている近衛兵約一個中隊相当は、われわれの説得に耳を貸す様子がなく、交渉役を送り込もうとしても威嚇射撃で追い返す始末。説得して投降させよというのが首都防衛司令官の方針でありますが、トレスコウ副旅団長は説得の余地なしと見做し、武力鎮圧を望んでおります。許可をいただけますでしょうか」

「近衛兵だと? いったいどこの中隊だ」

 

 ケスラーの放送やノイラートの近衛司令部命令があってなお、まだ中隊という纏まった形で、体制側に帰順することを拒否し、抵抗を続けている近衛兵たちがいるとは信じがたく、ヴァイトリングは思わず問いかけた。

 

 中将の階級章を見てエーベルハルトは軍人として反射的にその疑問に対する返答をしたが、内心でなぜ今回の一件の黒幕と目されている近衛司令官が拘束されておらず、そんな質問をしているのかと首を傾げた。

 

「近衛第七中隊を中心とした部隊であると思われます!」

「第七中隊だと……ということは、その指揮官はあやつか……。なるほど、たしかにあやつなら……」

「その中隊長は卿にとって親しい人物なのか?」

 

 悲痛な反応を示したヴァイトリングをケスラーは不思議に思ってそう問いかけた。いくらローエングラム王朝の世で規模を縮小されたとはいえ、近衛部隊に存在する中隊長は何十人と存在している。その全員と心を通わせるほど親しくするのはとても非現実的である以上、そんな反応をできるような相手といえば私的にも親しい相手であるはずと推測したのである。

 

「え、ええ、それはかまいませんが……」

 

 ヴァイトリングは言いよどみ、まわりが邪魔だとジェスチャーした。ケスラーはそれに答え、ヴァイトリングと二人きりで近場の個室に入った。もちろん、ヴァイトリングがトチ狂った行動をしても大丈夫なよう、腰のブラスターを何時でも抜けるよう意識した上で、説明を促した。

 

「第七中隊長の名はヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトといいます」

「モルト? モルトというとことは……」

「はい。前近衛司令官モルト中将の嫡子です。時の皇帝、エルウィン・ヨーゼフ二世を誘拐された責を取り、自裁しました」

 

 ヴァイトリングはケスラーから視線を逸らし、医学上の理由で恥ずかしいことを患者に言わなければならない若い医師のような態度になった。

 

「彼はそのことに納得がいっていないようなのです。なんでも、エルウィン・ヨーゼフ二世が誘拐されたのは実はレムシャイド伯の一党の手によるものではなく、当時既に帝国最大の権力者であった現皇帝陛下が、サジタリウス腕に領土的野心を抱き、その大義名分づくりのための自作自演であり、父はそれをもっともらしくみせるために死を強いられたのだと思い込んでいるのです。……憲兵隊が誘拐犯どもの密入国を察知していながら、その情報を近衛司令部に寄越さず、その責任もろくに追求されていないのが、その説を信じる根拠であると。それゆえ、ローエングラムの旗の下には戻るまいと意地になっておるのでしょう」

「……」

 

 ケスラーは何も言い返せなかった。自分もあの誘拐事件はラインハルトやオーベルシュタインが裏で糸を引いていたのではないかと推測しており、おそらくその推測はほぼ事実であるに違いないと思い、それを今おおやけにすればようやく築かれた秩序が壊れてしまうと思い、沈黙を保っているのである。いうなれば、自分も同罪である。だからこそ報復心に燃えている第七中隊長が投降しようとせず、徹底抗戦のかまえをとっているのも頷ける話だった。

 

 憲兵総監の沈黙は、雄弁にレオの信じている陰謀説が真実かどうかを証明しているようにヴァイトリングには思われた。あまりといえばあまりな真実を飲み込むのに苦労し、深く深呼吸をして気を落ち着かせた。

 

「モルト中将とは旧くからの親友でありました。その親友が忠誠を誓った祖国によって嵌られ、死を強要されたなどと思いたくありませんし、親友はどこまでも自らの失態故に自ら身命に決着をつける道を選んだのと私は思い続けることでしょう。ですが、彼に遺書で息子の面倒をみてやってほしいと頼まれた者として、誉れ高き近衛の軍服を身にまといながら帝国軍によって殺されるようなことになれば、亡き親友に申し訳がたちません。どうか、説得の機会をいただきたく」

 

 そういうことにしておいてやるから説得に行かせろという意味であった。あの一件については思うところがあるケスラーとしては武力鎮圧という策でモルト中将の子を殺してしまうのは気がすすまない。だが、首都防衛司令官としての職務からいえば交渉する姿勢すらみせずに威嚇射撃すらしている中隊をいつまでも放置していくわけにもいかなかったので、二時間という制限時間付きで説得に行くこと認めた。

 

 二人が部屋から出てきて、部下の不始末をつけたいというヴァイトリングの意思を尊重して彼に説得を任せてみるとケスラーから言われて、近衛部隊内部の事情がまったくつかめていないエーベルハルトは驚いて訝しげな目をしたが、首都防衛司令官としてその旨を書いた命令書まで近衛司令官に携えてさせているとなると、反問が赦されそうな雰囲気でもなかったので了承した。

 

 旅団司令部についても、近衛司令官はクーデターの首謀者の一人だったのでは? と疑惑の目で見られたが、首都防衛司令官直筆の命令書を携え、幕僚のエーベルハルトが直接ケスラーがそれをヴァイトリングに渡しているのを見ていたと証言している以上、上位司令部からの命令には絶対服従の精神を持つトレスコウ准将としては説得に行かせるのを認めるしかなかった。

 

 命を受け、ブロンナー大佐がメガホンで交渉役を行かせる旨をミュンヘン・ホテルに向けて叫んだ後、ヴァイトリングが堂々たる態度でホテルに歩み寄っていった。叛乱を起こしたとはいえ、自分たちの司令官に向けて発砲するのは気が引けたようで、近衛兵たちから威嚇射撃を一切受けることはなかった。

 

 机や椅子を積み上げて作ったバリケードを超え、ホテルの玄関口でヴァイトリングの姿を認めたレオは一瞬だけ弱々しい表情を浮かべたが、すぐに我を取り戻したように表情を引き締め、レルヒェンフェルトとともに一歩前に出て、姿勢を正して敬礼した。

 

「お久しぶりです、中将閣下」

「久しぶりも何もあるか馬鹿者。もはや大勢は決しておる。卿らに勝利の目は皆無だ。みっともなくあがいて何になるか」

「なぜ勝利はないと決めつけるのです。近衛司令部が落ちたとはいえ、まだ我が中隊は健在ですし、敗北したわけではない」

 

 レオがあくまで抵抗すると語ると、ヴァイトリングは眼光を炯々とさせ、怒鳴りつけた。

 

「現実から目を逸らすでない! 敗北したわけではない? なるほど、そうかもしれぬな。だが、それは本当にまだ敗北しておらんというだけのことだ! 援軍はおろか補給の見込みもない一個中隊が籠城したところで首都防衛軍に勝てるはずもなし。レオ、おまえ一人の未練のために、これ以上、無謀な抵抗を貫徹して無関係な兵らを巻き込むでないッ!」

 

 しかしこれに反応したのはレオではなく、レオの部下である近衛第七中隊の隊員たちであった。ヴァイトリングのいうとおり、当初こそ真実を知らずに巻き込まれた彼らであるが、ケスラーの放送があった直後、兵たちから、よくも皇帝陛下の御為であるなどと偽ってくれたなと怒りを向けられることを覚悟の上で、レオは真実を部下たちに告げて詫びを入れていたのである。

 

 だが、それに対する反応は反発ではなく嘆きであった。どうして皇帝陛下の御為であると偽らなければ、自分たちがついてこないなどと思ったのか。彼らはゴールデンバウム王朝の頃、自分たちの中隊長がいかに部下の生活向上のためにさまざまな便宜をはかってくれていたことに深い恩義を覚えていたのである。平民が苦しい時代、貴族であった中隊長は自分たちを助けてくれたではないか。ならば今、貴族が苦しい時代であるというのであれば、自分たちは我らが中隊長のお力になることを躊躇うはずがないではないか。

 

 これほどまで自分は部下に慕われていたのかとレオは感涙し、この素晴らしい仲間たちと一緒に最後まで戦い抜こうという決意を新たにしたのである。そして神様みたいな中隊長のためとあれば、北欧神話にあるチュートンの戦士たちのようにヴァルハラまでお伴したいというのが第七中隊の兵士たちの総意でもあったのである。

 

「……中隊の意見はわかった。近衛中尉、卿もモルト大尉と同じなのか」

 

 兵卒たちも戦意にあふれている事実は予想していなかったので、第七中隊のことはひとまず置くことにして、外様であるレルヒェンフェルト近衛中尉の意向も確認しようと問いかけた。

 

「小官個人としては降伏した方がいいとは思いますが、仲間がまだやると言ってるのに彼らを見捨て、自分たちだけ降伏するつもりはありません」

 

 第七中隊ほど積極的ではないものの、レルヒェンフェルトにもまだ戦うつもりであるようだった。結局、レオを説得しないことにはどうにもならないのだろうということをヴァイトリングは理解し、言葉を尽くして降伏を促したがレオは頑なだった。

 

 勝算がないことくらいレオとて承知はしている。だが、クーデターまで起こしたにもかかわらず自ら降伏するのでは、あまりにも釈然としないというものだ。蜂起の際、私怨のみが動機ではないとは言ったが、私怨がないわけではないのだ。にもかかわらず、父を死に追いやった金髪の孺子の軍門に戻るなど承服できることではなかった。それくらいならいっそ、最後まで徹底抗戦し、もって金髪の孺子の権勢に打撃を与えて散った方が胸がすくだろう。クーデターが成功ならぬ時はたとえ一人だけになったとしてもそうすると最初から決めていた。だから折れるつもりは一切ない。唯一想定していなかったことといえば、事前に思っていた以上に自分の部下は誇らしい馬鹿どもばかりで、こんな自分の破滅的行動についてきてくれる意志をしめしてくれたことくらいである。

 

 そこまで覚悟を決めきっているレオは、いかに父の親友であったヴァイトリング中将の説得といえども、受けいれる気などさらさらなかったので、ただ時間だけが延々と過ぎていった。そのまま一時間を経過した頃、再度の来客があった。まだレオが抵抗を続けているという情報を何処からか入手したノイラート大佐が自分を拘束している憲兵隊に頼み込み、“責任を持って事態を収拾するため”という名目で銃火器を没収されたまま説得要員としてミュンヘン・ホテルに赴くことを許可されたのである。裏切った近衛司令官がいるのを見て大佐はやや鼻白んだが、すぐに調子を取り戻して士官学校時代の良き後輩に語りかけた。

 

「もういい加減にせんかレオ。これ以上抵抗を続けて何になるか。ただ末端の兵たちが死ぬだけだ。たとえ首都防衛軍の将兵を数千程度道連れにしたところで、金髪の孺子にとっては煩わしいと思うだけで、さほど痛痒を覚えるようなことでもない。われわれの蜂起が失敗した時点で、おまえの復讐も達成されることはないんだ。この際、潔く降伏するか、それができぬというなら自決すべきだろう」

 

 この論法には、ただ父に汚名を負わせ死なせたラインハルトに対する報復感情からくるレオの決意を揺らがせるものがあったが、それでも降伏も自決も彼にとっては受け入れがたい感情が強過ぎ、首を横に振って拒絶した。その様子を見て、ノイラートは覚悟を決めたように腰のサーベルを抜いた。これにはまわりも騒然となった。

 

「大佐、なにを!?」

「司令官閣下は黙っていていただきたい! レオ、今回のクーデターの旗頭は間違いなく自分だ。少なくとも、近衛将校たちにとってはな。クーデターが失敗に終わった以上、自分にはこれ以上事態を拡大させぬよう努力する責任がある。おまえも読んだだろうが、正しい軍旗の下に戻れという近衛師団命令を出したのもそのためだ。なのにそれでもおまえが降伏も自決もせずに意地を貫くというのなら、俺がおまえを殺してやる」

 

 サーベルをレオの首先に突きつけ、殺意をもって睨みつけた。周囲の近衛兵たちは自分たちの中隊長を守るべく、ビーム・ライフルをかまえたが、

 

「やめろ撃つなッ!」

 

 他ならぬ中隊長自らそう叫んだので、引き金をひくことはなく、異様な緊張感が場を支配した。

 

「……先輩になら、しかたないですな。斬りたいなら斬ってください」

「なんだと?」

「今回の一件には私が先輩を巻き込んだようなものですから、あなたならいいです」

「……」

 

 斬られるなら甘んじて受けようと穏やかに語る後輩に、ノイラートは気合を挫かれたのかサーベルを下ろした。その後、なにも言わずにレオを睨みつけていたが、周囲の者たちには、もう本当にこれ以上抵抗するのはやめろと懇願する色が瞳に宿っているように感じ取れたという。レオは一切の迷いない瞳で見返していた。

 

 この両者の睨み合いは、唐突に館内に鳴り響いた荘重な旋律によって中断させられた。原因はレルヒェンフェルトである。どうなったとしても、第七中隊と運命を共にしようと考えていたレルヒェンフェルトであったが、司令官やら参謀長やら、一介の中尉に過ぎない身としては雲上人である上官たちが説得しにきたものだから、決心がぐらついてきたのでレオの近くから離れたのである。

 

 それでも内心に漂っていたなんとも形容し難い心情を払拭するべく、なにか戦意が高揚する軍歌でもないかと放送室で音楽ディスクを物色していた。しかしストックされていた軍歌はあまりレルヒェンフェルトの感性にマッチするものではなかったので、この際、軍歌でもなくてもいいからなにかないかと探していたら、銀河帝国国歌を見つけたのである。

 

 ローエングラム王朝の世になってから国歌斉唱は控えられる傾向があった。皇帝ラインハルト以下、帝国首脳陣はもっと実質的な意味での国家改革や制度整備に忙しく、国歌の扱いに対してなんら指示をだしたことはない。だが「旧態依然とした慣習を廃して新帝国(ノイエ・ライヒ)になったのだから、それにふさわしい新しい国歌(ノイエ・ナツィオナルヒュムネ)を制定すべきではないか」という意見をだれも否定しなかったので、下の官僚たちが勝手に忖度(そんたく)して国家斉唱を行わないように配慮する事例が多発していたからである。

 

 なのでレルヒェンフェルトは丁度いいと思い、最近聞かなくなっていた銀河帝国国歌を厳かに一人で拝聴しようとしたのであるが、ディスクを再生する際に誤って館内放送のスイッチを押してしまっていたので、放送室のみならず館内全域にその厳粛なる旋律が流れ出したのである。

 

「遍く星辰(ほしぼし)よ、我らを祝福したまえ

我らは輝ける未来を告げる者、安寧の時代を告げる鐘を鳴らす者」

 

 あまり歴史的事情に詳しくなかった同盟やフェザーンの一部市民が首を傾げていたことであるが、銀河帝国国歌には皇帝や優良な血統を崇拝するような文句は存在しない。なぜかというと、もともとは連邦末期にルドルフが率いた国家革新同盟の党歌であり、皇帝や貴族階級が存在しなかった頃に作られた歌だからというのもあるが、同盟の歴史家たちは民衆の支持を得るために、彼らが欲してやまなかった安定と繁栄といった普遍的内容を中心に歌詞を設定したのであると指摘する。

 

 実際にそういう意図があって作られた歌詞なのかはゴールデンバウム王朝の機密資料が公開された今でもわからない。真相は歴史の闇の中である。しかし当時の国家革新同盟の党員たち、後の貴族たちがこの党歌を愛唱していたのは疑いなく、またルドルフ本人もこの歌を好んでいた。帝国議会を永久解散した直後、ルドルフが勅命によって国家革新同盟党歌を銀河帝国国歌として格上げしたということからも、それはうかがえる。

 

「たとえ祖国が今、虚実により支配されていようとも(かし)の如き忠誠は揺るがず

すべての背徳と口舌の徒を駆逐し、銀河に秩序を齎さん

人類の繁栄のため、恐れず進もう同胞たちよ」

 

 突然国歌が流れたので近衛兵たちは驚いたが、一人、また一人、と、次々に旋律にあわせて国歌を唱和しはじめた。よく国歌が流れる式典の警備に参加していた近衛兵たちにとって、この歌はなにか気を引き締めるものがあるように思われていたのである。

 

 ミュンヘン・ホテル全体で国歌が斉唱されていることに、包囲している帝都防衛第一旅団の若い兵士たちは困惑したが、その困惑が醒めぬうちに続けてとても不思議なことが起こったのである。なぜか味方の一部の兵士や士官も国歌を歌いはじめたのである。

 

真実と平和の神(フォルセティ)よ、我らを祝福したまえ

我らは良き時代を築く者、闇夜を照らす黄金の夜明けを目指す者」

 

 既にケスラーの放送やノイラートの近衛司令部命令(降伏宣言)によって、これがゴールデンバウム王朝復活を目的としたクーデターだと知っていた。そんな者達が追い詰められて銀河帝国国歌を斉唱しているという事実は、かつてゴールデンバウム王朝の軍旗が翻っているのを誇らかに仰いでいた老兵や一部士官がセンチメンタリズムな感情を刺激され、一緒になって歌いはじめたのである。

 

 旅団司令部内で状況を把握したトレスコウ准将は、これでは自分達もクーデターに加担したと勘違いされないかという保身の観点から歌うのやめさせようとしたが、敵味方全員が国歌を斉唱している事実に言い知れぬ感動を覚え、感涙に咽び泣いていた幕僚のエーベルハルトにぶん殴られて阻止された。

 

「たとえ祖国が今、分断の苦しみに喘いでいようとも(かし)の如き忠誠は揺るがず

すべての街頭に我らの旗が翻り、混迷に終止符が打たれん

人類の統一のため、恐れず進もう同胞たちよ」

 

 するとだれも止める者がいないのだから、若い兵士たちも士官たちが歌っているのだから、自分達もやっておいた方がいいのかなと思いはじめ、次々と一緒になって歌いはじめたのである。包囲部隊が自分たちと同じ歌を歌っていることに近衛兵たちは大いにおどろいたという。

 

「宇宙の真理によって結束し、かつてない繁栄と平和を齎す国家革新の道へ

身も心もすべて捧げ、祖国を永遠永久に守護し、溢れるほどの栄光で輝かせ続けよう

我らはたしかな未来をこの手に掴みとるのだ!」

 

 国歌が歌い終わると、包囲部隊からまるで雪崩のような激しさで降伏を呼びかける声が発生した。メガホンから聞こえるそれは、ほとんど涙声であった。中には近衛兵たちの銃口の前に身を晒し、懇願にも似た調子で投降を呼びかけた士官すらいたという。

 

 この時、第一旅団の士官たちが涙を流した理由について、事件後の取り調べがある。この現象を現出させるのに一役買った第一旅団幕僚のエーベルハルトは「彼らは過去の自分たちではないかと思うと居ても立っても居られなかった」と語り、メガホンで降伏を呼びかけた一人である第二区警備連隊長のブロンナーは「言葉にしがたい感情によるものだった。それに引き換え、頭にずっとあった言葉は単純だった。もうわかったから、もういいだろうという。それだけだった」と語っている。

 

 いままであった威圧的な降伏勧告ではなく、情感たっぷりな降伏勧告に近衛兵たちは大いに動揺した。今までずっと頑なだったレオにしても、である。

 

「ここまで同情してくれているというのに……」

 

 沈痛な呟きであった。一緒に国歌を歌い、泣くほど同情してくれるなら、何人かこちらと運命を共にしようとしてくれる者がいてもいいのではないか。なのにそんな者は一人もおらず、ただただ降伏を促すのみである。そこまでか。そこまで、金髪の孺子が築いた新帝国が良いというのか。没落した貴族達を苦しませ、自らの父に理不尽な死を強いた金髪の孺子を皇帝として仰ぎたいというのか。

 

 複雑な感情のうねりを処理できずに震えている後輩に、ノイラートは優しく声をかけた。

 

「俺も間違ってたよレオ。貴族連合残党と組めば、ゴールデンバウム王朝を復活させ、苦しんでいる貴族達を救うことも決して不可能ではないと思っていたが、どうも甘すぎる考えだったらしい。世の人々にとって、ゴールデンバウム王朝はとっくに過去の遺物になっていたようだ。……懐かしみこそすれ、そこに戻ろうとはしないのだろう」

 

 貴族の地位を誇りにしていた者にとっては、認めるのが非常に困難な現実であった。貴族達が支え続けてきた黄金樹は倒れてしまっているということはまだしも、人々は倒れている黄金樹を見物して物思いに耽ることはあっても、立て直そうという気にはならないのだという現実は。

 

 その言葉は、ここまで追い詰められてなおレオの戦意を支えていた()()()に大きな一撃を加えた。それでもなお消えはしなかったが、断腸の思いでそれを無視した。

 

「……先輩、私のファースト・ネームの由来を知っていますか?」

 

 ノイラートは意味がわからず怪訝な顔をしたが、由来を知っていたヴァイトリングが答えた。

 

「ヴェルンヘーアには大昔には“守護者たる軍人”という意味があったと亡き親友から聞いたことがある。だからこそ、祖国の守護者になってほしいという願いを込めて息子にそう名付けたのだとな」

「……それが恥ずかしいので、ヴェルンヘーアと呼ばれるのは苦手なんですよ」

「んじゃ何か。親しい奴にセカンド・ネームで呼ぶようにさせてたのって、たんにおまえが恥ずかしいからかよ」

「ええ、そうです」

 

 恥ずかしそうに頷いて肯定するレオに、ノイラートは呆れたような顔を浮かべた後、堪えきれずに笑いだした。なるほど、たいして親しくなければ家名で呼ぶし、親愛の証としてセカンド・ネームで呼んでほしいと頼むようにしていれば、恥ずかしいファースト・ネームでレオを呼ぶ奴はほとんどいなくなる。計算されつくした見事な作戦だと賞賛すべきであろう。

 

 先輩がそういって揶揄ってくるのを微笑みながら聞いている内に心は定まった。今まで恥ずかしくてたまらなかったファースト・ネームであるが、もう恥ずかしがるのはやめよう。“ヴェルンヘーア”の名に恥じないよう、自身の迷いを断ち切り、すべてに決着をつけるべきなのだ。

 

 レオは近衛第七中隊を整列させ、自分の我儘にここまで付きあってくれたことに感謝の言葉を述べ、武装解除した上で諸君らは包囲部隊に降伏するように命じた。最後まで抗戦する覚悟を決めていた近衛兵たちにとって降伏命令を聞いて戦わないのかと脱力感を感じたが、しばらくするとそれ以上の安堵感を齎した。生命すら惜しくないほど彼らは中隊長に心酔していたが、それでも戦えば死しか待っていないことはわかっていた。だから命を捨てる覚悟もしていたのである。それが無用のものとなり、家に帰って家族に会える可能性がでてきたというのは純粋に嬉しかったのである。

 

 中隊の将兵たちが武装解除をしていて騒がしくなった部屋の中で、レオはノイラートに問いかけた。

 

「先輩、ヴァルハラならまだ黄金樹は輝いているかな」

 

 意味の分からない質問だったのでノイラートはどう答えたものかと悩んだが、近場にいたヴァイトリングはその質問の意図するところを察して血相を変えた。

 

「待て、早まるなッ!」

「良き時代を思い出しましょう」

 

 父も自分も、国家に忠節を尽くしていれば相応の名誉が与えられていた懐かしき黄金樹の時代に……。ヴァイトリングの怒鳴り声を意に介さず、レオは腰のブラスターを引き抜き、そのまま右の頭蓋に銃口を接触させ、引き金を引いた。ブラスターは床に落ち、カツーンと反響する音をたて、身体もブラスターを追うように床にドサリと倒れ込んだ。当然、その身体は二度と動き出すことはなかった。




ある意味、今話のタイトルがネタバレだった。
銀河帝国国歌の歌詞を含めての諸設定は、原作にはまったくない設定なので、あしからず。

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