リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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それぞれの身の振り方

 ケスラーはもう何時間もトリューニヒトの邸宅に足止めされていることに、いい加減しびれをきらしはじめていた。慎重姿勢とはいっても、これほどの時間が経過してもなお事態が好転していないというのであれば、危険を承知で行動をしていくべきではないのか。

 

 ターナーら共和派の者達が口をそろえて主張する安全策も一理ないではないが、これほどの長時間にわたると言語化された退嬰、怠惰の正当化に過ぎないように思われた。ワーレンが民間人を人質に取られたこともあって、旧軍務省を奪還できずにいるという情報をも入ってきていることだし、今は安全より危険を承知で動くべきだ。

 

 そういう決意もあってケスラーは眼光鋭く共和派の者達を睨み付けた。首都の治安を預かる秩序の番人の威圧感に恐怖を覚えて怯む者も多くいたが、彼らのまとめ役は違った。基本的に裏方の仕事をしていたとはいえ、一時は帝国政府に危機感をいだかせたテロリスト集団である共和主義地下組織の最高幹部を務め、教条主義的な活動家であったザシャ・バルクと幾度となく激論を戦わせた強者であるターナーは、ケスラーに害意をもって睨まれたくらいで怯むような(やわ)い根性の持ち主などではなかったのである。

 

 ケスラーは自身も直接行動を起こすべきと積極論を唱え、ターナーは通信妨害が解除するまでは安全を期してここで指揮を執るべきと慎重論で反論する。それが二時間もの間、互いに一歩も譲らずに激論を戦わせ続けているので、憲兵たちも共和派の者達もおのれの胃から幻痛を感じるほどの緊張状態だったという。

 

 だからある共和派の文官が現実逃避の意味もあって、必要以上に視線を釘付けにしていたある機械の画面に大きな反応が出た時、喜びよりも安堵の気持ちが広がったという。

 

「ホルスト、通信妨害が解除された反応がでたぞ!!」

 

 公式の場ではさすがに言葉遣いに気を付けてはいるが、共和主義地下組織で活動家をしていた者同士の間では、いまなお上下関係に遠慮せずタメ口で話す気風が存続していた。

 

「なに、本当か?!」

「間違いありません!」

 

 確信に満ちた返事にターナーは肩の力を抜いた。これで自分が主張していた方法で事態の収拾を図るめどがついたのである。穏やかな表情を浮かべてケスラーに向き直った。

 

「もはや閣下が主張しておられたように危険を承知で打って出る必要はなくなりました。今すぐに帝都全域に向けて報道を行っていただき、首都防衛軍の指揮権を奪回。しかる後に近衛部隊を中心とするクーデター勢力を掃討して頂きたく存じます」

「……わかった。たしかに卿の主張通りに動くより他にあるまいな」

 

 釈然とはしないが、通信妨害が解除されて情勢が変化した現在の時点においては、ターナーの主張が最善の手法であることはあきらかとなったのである。ならば帝都守護の責任を負う者として選択肢はひとつしかなかった。個人的な反発や嫌悪から、自分の意見に固執するような愚を犯してはならないのである。

 

 共和派の者たちとてケスラーを足止めすることにだけ執心していたわけではなく、トリューニヒトの邸宅で帝都全域をカバーできるような放送装置を準備していた。電波ジャックしてのゲリラ放送は共和主義地下組織の十八番である。旧王朝時代、社会秩序維持局の監視網をくぐり抜けるべく、彼らは放送装置を所持することを避け、使い捨て前提で一般家庭にあっても不思議ではない電気家具をバラして強力な電波を出せる放送装置を作り出し、それで共和主義思想や貴族政治の腐敗を民間に向け宣伝する手法を愛用していたのである。

 

 このゲリラ放送は新たな協力者や支持者を獲得するのに大きな意義があった一方、現状維持を望んでいたり、保守的な思想を持っている帝国臣民は“危険放送”と称して忌み嫌っていた。というのも、このゲリラ放送が立体TVやラジオで流れると、決まって一個連隊を超える規模の社会秩序維持局の職員がやってきて、放送を見て危険思想にかぶれた者がいないか徹底的に住民を調べあげ、思想的傾向に問題があると見なされれば簡単に政治犯・思想犯の烙印が押され、収容所に送り込まれてしまうからである。

 

 今回もその頃の経験をいかして今日の文官たちは放送設備を拵えたのである。トリューニヒトの邸宅には電気家具がたくさんあったので、それをバラして新しい報道装置を製作するなど彼らにとっては時間はかかるが何度もやった手慣れたことであった。またベイを通じて憲兵くずれを中心とした一団に大通りで兵士は首都防衛司令官は健在で放送をしているからTVを見るようにと叫ばせたのである。

 

 首都防衛軍の将兵に動揺が走り、だれもが放送を視聴しようとしたが、ここでひとつの喜劇が発生した。同盟やフェザーンと違って、帝国は大都市であっても街頭に巨大モニターTVを設置されていることは少ない。どういうわけかゴールデンバウム王朝開闢期から貴族階級は巨大な街頭モニターTVは忌避感を持たれてきたからである。初代皇帝ルドルフが美しい街の景観を損ねるから嫌ったからとか、初代社会秩序維持局長官ファルストロングが配線を乗っ取られるだけで不特定多数の大衆に向けて危険思想で洗脳することができると警戒したからとか、いろいろな説があるが、なぜそうなったのかははっきりとしていない。

 

 そういった事情から、TVがある民間人の邸宅に軍人たちが大挙して侵入する結果を招いた。二年前の内戦の頃を思い出す厳戒体制に、不安を感じて家に閉じこもっていた邸宅になかば強引にやってきたのである。まったく事情がわからない民間人はおどろき、恐怖からパニックを起こしたのである。この時、帝都に在住していた作家D・マックスは、その時の光景を著作で次のように記している。

 

「突然、完全武装の兵隊たちが自宅に土足で上がり込んできたので、いったいなにごとかと戦慄した。兵隊たちはいささか興奮しているのが見て取ることができ、そのことから家内はどういう理由かはわからないが自分達の家族を殺しに来たのだと思い込んで、子供たちだけは見逃してほしいと軍人の一人に縋りついて懇願した。

 兵隊たちは顔を見合わせて立ち往生していた。それが緊迫している場ではあまりにも奇妙なふるまいであるように思え、そしてよくよく兵隊たちの表情を観察すると、あろうことか、彼らのほうがどう反応したものか困っているように見えたのである。

 家内もなにかおかしいと気づき、喚くのをやめて困惑の表情を浮かべて場が静まり返ったのを見計らい、どこか刃物のような鋭さを見る者に感じさせる、中尉の階級章をつけた士官が“すまないが、TVを見せてほしい”とお願いしてきた。なにやら騒ぎが起きてからずっとTVは見れなくなっていたので、そのことを私は教えたのだが、その中尉は“見れないということはないはずだ”と決めつけ、さっさとTVへ案内するように命令してきたのだ。

 何を言っても相手に不快感しか与えないだろうし、そんなに役立たずのTVを見たいなら見せてやろうという反発心もわきあがってきたので、私は兵隊たちをリビングに案内し、TVの電源をつけた。すると驚いたことに、ちゃんとTVの画面にどこか誠実さと清潔さを人の形にしたような、高級軍人の映像が映ったのである。

 “ケスラー閣下だ”“本当にご無事であらせられたか”“今までいったいどうしておられたのだ”、そのようなことを兵隊たちが口々に言っていた。それでTVでケスラー上級大将が近衛司令部が勝手に偽命令をだして諸君らを騙し、クーデターを起こしている(この時に初めて、私はこの騒ぎはクーデターによるものであると知った)。帝都の全将兵は近衛司令部の命令はすべて無効のものととらえ、首都防衛司令官である私の指揮下に戻れといった趣旨のことを言っていた。

 するとTVを見ていた中尉は顔を真っ赤にして“近衛の阿呆どもめ、よくも俺たちを謀ってくれたな!”と叫び、兵たちもその怒りに同調し、用は済んだとばかりにさっさと私の家から出ていったのである。私たち夫婦は状況が中途半端にしかわからず、いったいなんなのだと途方に暮れつつも、互いの無事を喜びあった」

 

 実際のところは指揮官の人格による差があって、すべての兵隊たちがマックス家を訪問した時のように、なかば民間人を高圧的態度をとってTVを視聴しようとしたわけではなかったが、そういう事態が発生し、民間人と軍人の間で多少のトラブルが発生したのは疑いない事実である。

 

 ケスラーの健在を知らせる演説放送は、情勢を一気に体制派へと傾けさせた。クーデター派に対して中途半端な態度をとっていたクラーゼン元帥も、総監オフィスでそれを視聴して、クーデターに成功の目は絶対にないことを悟り、態度を明確化しようとした。

 

「補佐官!」

「はっ」

「帝都にてゴールデンバウム系反動勢力の武装蜂起。地方においても共鳴している勢力いる可能性高し。その対処のために各星系総督に予備役動員を許可する旨、予備軍総監の名で通達するのだ」

「了解しました」

 

 そう命令しおえた後、クラーゼンは内心で少しだけがっかりした。もしもノイラート大佐たちが帝都の掌握に成功し、ゴールデンバウム王朝の復活を高らかに宣言されるような展開になれば、閑職ではない名実ともに軍の高官となるべくクーデター派に加担し、そのための予備役動員を行う覚悟も決めていたのである。

 

 だが、そうなる可能性がまったくなくなった以上、自分の保身のためにも早々にクーデター派には消えてもらわなくてはなるまい。近衛司令部で、解釈次第では自分もクーデター側に加わると受け取れなくもない発言をしたとはいえ、自分の言動をまったく穿って見ずに顔面通りに解釈すれば、単身で近衛司令部の説得に趣き、失敗したというだけである。いくらでも弁明のしようはある。閑職が指定席であったとはいえ、伊達に十数年も帝国元帥をやってはいないのだ。

 

 クラーゼンはゴールデンバウム王朝時代に出世競争に敗北し、幕僚総監という閑職が指定席にされていたが、それでも元帥にまでなれたことにある程度満足していた。仮にも帝国元帥である以上、年額二五〇万帝国マルクの終身年金や大逆罪以外は刑法によって罰せられないなどといった数々の特権を有していたからである。だから、危険を犯してまで無理に栄達をはかろうという気概は十数年前に消え失せていた。

 

 だから元帥になってからは、主体的には決して行動せず受動的に動き保身をはかることを自身の行動規範としてきた。だからこそ、貴族連合などという泥舟に乗らずにすんだし、生意気な金髪の孺子が皇帝として君臨するような世の中になっても、自分は領地も爵位も喪失せずに現役元帥としての立場を守ることに成功しているのだ。無論、開明政策の推進とやらのせいで、帝国元帥や貴族として行使できる特権は大幅に制限されることにはなったものの、名門貴族として恥ずかしくないだけの財力や地位を守れていることだし、貴族連合に協力してきた不平貴族どもは悲惨な末路を辿っていることも考慮すれば、不満はあるが、充分に許容範囲内とするべきであろう。

 

 クラーゼンはケスラーと合流し、帝都の予備役軍人を招集するか否かを協議するなどして、自分が体制側であることを鮮明にする実証作りをせねばなるまいと行動を開始した。こうした老獪さ、要領の良さこそが、お飾りでありながらも元帥としての地位を保ち続けてきた秘訣であるのかもしれなかった。

 

 かくしてクラーゼンが完全に叩き潰すことを決めた近衛司令部内は重苦しい沈黙に包まれていた。司令部内のだれもが、まるで石の彫像にでもなったかのように動かない。彼らが呆然と眺めているモニターには、同志が生命と引き換えの自爆テロで暗殺したはずの首都防衛司令官が、生気ある毅然とした顔色で帝都の全軍に自分の指揮下に戻ることを訴えていた。

 

「……やはり、生き延びていたか」

 

 ノイラートの声には苦い悔恨の色があった。ケスラーの死が確実な情報ではなかったのだから、もっと慎重に首都防衛司令部周辺を近衛部隊に探らせておくべきであった。それなら、ケスラーの行方がわからなくなる前に捕らえることができ、旧軍務省の防衛にもっと大量の近衛部隊を割くことができ、ワーレンによる旧軍務省奪還も阻止することができたのであるまいか。クーデターが失敗したのは、自分の判断ミスによるものではないのかという自責の念を抱いたのである。

 

 あるいはそれ以前の計画段階で、ジーベックが提案していた皇帝の姉であるグリューネワルト大公妃を人質としてしまう方針を承服しておくべきであったのかもしれない。当時の自分は、なんの職責にもつかずにフロイデンの山荘に隠棲している貴婦人を人質とするなど貴族として恥ずべきことのように思えたし、そうした感情だけではなく現実的な問題としても、大公妃を人質とすることに事情を知らぬ将兵が納得してくれるか未知数だし、フロイデン周辺の警備を担当している皇帝直属の精鋭を相手にするのは難しいと判断して断固反対した。だが、大公妃が皇帝の弱みであるのは確かなのだから、羞恥心をこらえ、危険を承知でその方針で行くべきではなかったか。

 

「われわれが嘘偽りを述べていたとあきらかになった以上、もうどうにもなるまい。終わりだな……」

「いや、もう首都防衛軍は従わないでしょうが、まだ近衛部隊はわれわれの掌中にある。一戦交えて勝利し、情勢を転回させることも決して不可能ではないはずだ」

 

 司令部にいた近衛少佐の一人が闘志もあらわにそう叫んだ。それは理性的な計算をしての発言というより、このままおめおめと引き下がれるか、という、感情の発露であるように思われた。

 

「少佐、気持ちはわかるがもうどうにもならんよ。兵力差からいって近衛部隊が首都防衛軍と一戦交えて勝利できる可能性はとても低い。ましてや近衛兵たちも放送を見て真実を知り、とても動揺していて私たちの指示に従ってくれるか怪しいものだ。こんな状態で一戦交えたところで敗北は必至。徒らに犠牲を増やすだけであろう」

 

 この時点で近衛参謀長はクーデターの成功の可能性はもうないと割り切っていた。もともとケスラーの死を前提にしてしか作戦を立てていないのだから、彼が生きて表に出てきた時点でもう失敗は確定したのである。それならば、これ以上、貴族に対する心象が悪くならない形で事態を収拾するために、割り切れずいる部下たちを説得し、これ以上の犠牲をださないことが自分の責任であると考えたのである。

 

「それにな。先の内戦において、一回目のガイエスブルクの戦いで貴族連合軍は帝国軍の半包囲追撃で大打撃を受け、すでに敗色はあきらかとなっていたそうじゃないか。にもかかわらず、盟主のブラウンシュヴァイク公は敗北を認めず、叛乱惑星に熱核攻撃までして足掻き続け、結果として貴族階級に対する世間の悪評を招くだけにおわったじゃないか。世間の偏見を是正すべく行動したわれらがそれと同じ道を歩んでどうするのだ。貴族として、近衛将校として、最後は潔くあろうじゃないか」

 

 いっそ晴れやかとも表現できそうな微笑みとともに優しげな声で主張している上官の姿を見て、少佐はあることを連想した。

 

「大佐は、これからどうなさるのです。自決なされるのですか」

「そうしたい者はそうするがいい。私個人としても、貴族として名誉ある自決をしたいところではあるが。ローエングラム王朝の側からすれば、今回の一件はとんでもない不祥事だ。生きた責任者を軍法会議にかけ、処刑せぬことにはおさまるものでもなかろう。……私はこのクーデターの首謀者の一人だ。われわれの都合で巻き込んでしまっただけの者たちの責任を少しでも軽くしてやるためにも、しばらく生き恥をさらすつもりさ」

 

 近衛司令部内の将校たちは衝撃を受けた。軍法会議にかけられ、処刑されることまで覚悟しているとは。貴族としても高級将校としても、堪え難い屈辱的なことであろうに。それなのに、それを清々しい表情で言ってのけるほど、ノイラート大佐は敗北を受け入れているのだ。ならば、もうこれ以上何を言っても翻意するようなことはありえないだろう。

 

 それを悟って、幾人かの近衛将校が司令部から退室した。参謀長と違い、軍法会議で見世物にされることを拒絶し、名誉ある自裁をしようと決断したものが去って行ったのである。ノイラートはそれを止めようともせず、残っている通信将校に声をかけた。

 

「無線で近衛司令部命令を通達してくれないか。オープン・チャンネルでいいから」

「いったいなんと命令されるのです?」

「……抵抗する気はないということと、感謝を告げておくべきだと思ってな」

 

 たしかにそれはやっておいたほうがいいだろう。通信将校はその説明に納得して無線の命令装置を取り出し、ノイラートの口述に従って命令文作成し、それを通達した。その内容は以下のようなものであった。

 

「現在、憲兵隊総監兼首都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー上級大将の演説放送の内容は概ねにおいて事実である。われわれ近衛司令部は貴族たちの窮状を憂い、それを救おうとするクーデターに加担していた。諸君らを謀り、一方的にクーデターに利用したことを謝罪するとともに、いままで協力してくれたことに感謝する。もはやこれ以上、われわれに抵抗する気はない。今回のすべての責任はクーデターの首脳部であったわれわれにこそあり、諸君らはただ利用されただけである。なんら主体的に行動していない諸君らに責任は一切ない。ゆえに後ろめたさなど感じることなく、胸を張って正しい軍旗の下に帰還するようにせよ。

 

近衛司令部参謀長 カリウス・フォン・ノイラート大佐」

 

 その命令を通達したことを確認するとノイラートは気が抜けたのか、崩れ落ちるように司令官の執務机の椅子に座りこんだ。視線は中空を漂っていて、意識ここにあらずといった様子であった。それを見て司令部内の全員が、思い思いに体を休めだした。中には床に寝っ転がっていた近衛将校もいたという。

 

 だれも言葉を発せず、まるで真空状態になったのではないかと錯覚するほど静まり返っていた。しかしその沈黙した空気の中で、ふとあることを思いだした将校の一人が、ノイラートに問いかけた。

 

「あの、ヴァイトリング近衛司令官閣下以下、蜂起に反対したので、軟禁している近衛将校たちを解放しておきますか」

 

 ノイラートは呆気にとられたように二、三度瞬きした。そして、なにか迷っているような表情を浮かべたのである。

 

「……いや、それには及ぶまい。いまこの段階で解放して、彼らもクーデターに参加していたと勘違いされるようなことがあっては、たまったものではなかろうし。ましてヴァイトリング中将はレオ――モルト大尉と親しい関係であったから、そういう下種の勘繰りをしてくる奴も絶対いよう。彼らに謂れなき難癖をつけられないためにも、解放はすぐここにもやってくるであろうケスラー上級大将の憲兵隊に任せよう」

 

 そういう懸念がまったくないというわけではなかったが、ヴァイトリング中将にどんな顔をして会えばいいのかわからなかったので、このまま会わずにわかれようというノイラートの臆病心がそれを言わせた一面が間違いなくあった。

 

 それでもそう時を置かずに面会することになりそうな気がしないでもないが、少なくとも今では中将も感情の整理がつかぬだろうし、自分にしたってそうであるのだから、この場においては忘れたように放置が最善である。近衛参謀長はそう自分を説得して正当化した。

 

 だが、それは本当に無意味なものでしかなかった。自分の指揮下に入るようにという内容の近衛司令部命令から、既に近衛司令部は降伏しているも同じと判断したケスラーが十数分で数百程度の憲兵を引き連れやってきて近衛司令部の将校たちを拘束。そしてすぐに解放されたヴァイトリング中将と顔をあわせることになり、罪悪感と徒労感でノイラートは肩をがっくりと落とすことになるのだった。

 

 このようにして近衛司令部はあっさりと抵抗を諦めたのだが、貴族連合残党のジーベックは投降など考えておらず、不屈の意思をもって再度の機会を掴むべく首都星からの脱出を考えていた。

 

「な、なぜぇ……」

 

 そんなジーベックは、理不尽に抗議するように贅肉のついた中年が、自分を銃撃した銀髪の青年の胸倉をつかみながら力尽きて倒れるのを冷ややかに観察していた。

 

「なぜって、苦心して調達した資金を散々横領しておきながら本気で言っているかこいつは?」

「本気で自覚がないのでしょう。自己の安寧と利益のみに恋々としている臆病な敗北主義者ですから」

 

 ラーセンがワイツの頭を踏みつけながら同意した。ゴールデンバウム王朝への洗脳的盲従精神旺盛なラーセンにとって、奉仕精神というものがまるでない俗物のワイツは処分対象以外の何物にも見えておらず、ジーベックから許可が出ないから殺さなかっただけだったので、抹殺できて清々しい気分だった。

 

 ワイツを処分した理由は単純明快で不要になったからである。帝都掌握に失敗した以上、帝都における工作組織のダミーである髑髏団自体存続できなくなるのは明白であり、その長であるワイツも新王朝から追われる身になる。一緒に帝都から脱出したところで組織の和を乱しながら資金横領に励むことは目に見えているし、置いていったら置いていったで身の安全をはかるためになにもかも憲兵隊に自白して組織の害になるである心配があった。だからそういう心配がない確実な手段をとったというわけである。

 

「構成員の多くを失い、残ったのは三〇名余りに過ぎないか……。こんなザマではラナビアで良き結果を期待しておられる殿下になんと申し開きすればよいのか……」

「それを悩む以前にどのようにして宇宙港まで行かれるつもりです。街道のあちこちに金髪の孺子の狗どもが徘徊していて、奴らの目をあざむくのは困難では」

 

 宇宙港まで行けば脱出は可能であると確信しているようであった。ジーベックも同じであるらしく、彼らの宇宙船の偽装能力への絶対の自信は、彼らの中では共通認識であるらしかった。

 

「失敗した時のことも事前に考えている。この邸に隠し通路があってな、帝都中に迷路のように張り巡らされている地下水路に繋がっている。そこから宇宙港まで行けるルートは既に調査済みだ。いくらか下水道を泳ぐことになるが、この際、仕方がない」

 

 ラーセンが目つきが剣呑なものに変わった。別にそれは断じて下水道で水泳に興じなければならない不快さからくるものではなかった。

 

「最初から逃走を計画していたと……? それは敗北主義的ではないか」

「用意周到と言ってほしい。万一の事態にあっても、黄金樹のために奉仕し続けるために生き残る算段はやっておくべきだろう」

「それもそうですね。しかし、下水道ですか。汚水が肌に染みついて悪臭を放つようと思うのですが、それへの対処法も考えてあるのですか」

 

 即座に物騒な雰囲気は霧散し、真面目な表情を浮かべて現実的な懸念を述べてくる。もし一身上の安泰をはかっての言い訳だと受け取られれば、目の前の元保安少佐はワイツに対してやったようなことを自分にもしてくることになるだろうとジーベックは確信していた。

 

 こんな怪物じみた精神の持ち主の相手をするのは非常に疲れる。しかし、その精神的な疲労感に耐えて彼を近くに置いておかなくてはならない必要性は今回の作戦の失敗で大幅に下がったことであるし、今後は多少マシになるだろうと思うと気が楽になるものだとジーベックは内心でごちた。

 

「ああ、そのあたりのこともちゃんと考えてある。心配する必要は何もないさ」

 

 ジーベックは内心の不満をかけらも感じさせない爽やかな笑みを浮かべ、そう自信満々に言い切った。

 

「とにかく急がなくてはならんな。あの宇宙船のことを知っているのは幹部だけだし、そう簡単に口を割るとも思えない奴ばかりだからしばらくは大丈夫だろうが、何十時間と熾烈な拷問を受け続ければ口を割ってしまう奴もいるかもしれん。それでなくても、われわれの潜伏地がラナビアであることは多くの者が知っているんだ。もし討伐隊がわれわれより先につくようなことになったら……」

「殿下が危ないか……。たしかに急がなくてはいけませんな」

 

 ラーセンは深く頷いて同意をしめした。その双眸は、偉大な血族の娘を守らなくてはならないという熱意で煌いていた。


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