リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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旧軍務省奪還

「そうか、旧軍務省でついに戦闘が始まったか」

 

 部下からの報告を聞いて、アドルフ・フォン・ジーベック中佐は暗澹たる表情を浮かべた。惑星全域で通信妨害を行える旧軍務省を抑えることは計画の要であったのでそこを制圧するレーデルには多くの人員を与えていたし、モルト近衛大尉を通じて交渉し、近衛部隊からも兵力派遣する様にさせていた。

 

 しかしジーベックはレーデルの軍事的才能をあまり評価していなかった。たぶん、レーデルもそれを自覚していたから人質を盾とする非情の策を用いて睨みあいに持ち込んだのであろうが、ワーレンが人質を無視して攻撃を開始した以上、あまり旧軍務省を確保し続けられるとも思えなかった。

 

 やはりワーレンを早々に排除できなかったのが痛い。ジークリンデ皇后恩賜病院で療養しているという情報を掴んですぐに脅威と見做して首都防衛司令部の爆発を確認したばかりのオットーに暗殺するように命じたのだが、どういうわけか警察が妨害してきてうまくいかなかったと聞いている。

 

「私ができる限りの兵を率いて救援に行きましょうか」

「いや、無用だ。たかだが数十の人員を投入しただけでは意味がなかろうよ」

 

 ペクニッツ邸から国璽を奪って戻ってきていたラーセンの勇ましい意見をジーベックは首を振って拒否した。今回の計画において旧軍務省の確保は要であったので、レーデルに帝都に潜入した貴族連合残党組織の半分近い兵力を与えていたし、残りのほとんどの兵力もワーレン暗殺の重要性を考え、オットーに預けていた。なので現在手元にある戦える人材は三〇前後しかない。これではどう運用したところで焼け石に水であろう。

 

 相応の兵力を預けたオットーかサダトが戻ってきていれば、彼らに旧軍務省にいるレーデルを救援しに行くように命じることもできるのだが、どちらも戻ってきていない。状況的にオットーは警察の妨害で死んだか捕まったのであろうが、サダトもマールブルク政治犯収容所から戻ってきていないとなると、何らかの問題があって五〇〇年続いてきた銀河帝国の伝統を破壊した愚か者どもを殺すことも失敗しているのだろうか。なんとマズい状況か。

 

 これではサイボーグ(ラーセン)だけが任務を果たして戻ってきても何の意味もない! やはり玉璽の確保など後回しにするべきだったのだろうか。しかしクーデター成功後、数の上には圧倒的に差をつけられているノイラートの近衛派と主導権争いを強いられるであろうことを考えると、貴族連合残党の立場を守るためにもせめて皇帝と玉璽の双方を抑え、正統的権威を確保する必要があったのだ。捕らぬ狸の皮算用ではあるが、ジーベックとしては真剣にならざるをえない。

 

 苦悩するジーベックを見て、不安に駆られたワイツが思わずあることを提案した。

 

「その、この際、臥薪嘗胆で殿下のおられるラナビアに戻るというのはいかがか」

「まだ予断を許さぬ状況であるのに、敗北主義的な言質を弄する臆病者が!」

「ヒェッ!」

 

 それを聞きとがめたラーセンの怒りの叱責に、短い悲鳴をあげてワイツは怯えて縮こまった。

 

「いや待てラーセン。ワイツのいうこともあながち間違いではない。大勢は我らの利にあらざる以上、撤退時のことも不快だが考えておかねばなるまい」

「中佐は仰られるが、旧軍務省でワーレンを始末さえしてしまえば形成は逆転する。われわれにとって不利な情勢というほどでもないと思うが。近衛部隊が援軍を送れば帝都から金髪の孺子に加担する上級大将はいなくなる」

「そうだが、近衛司令部と連絡をとる術がない。だからわれわれとしては近衛部隊が援軍を旧軍務省に派遣してくれることを祈るしかないのだ」

 

 近衛司令部側が開明派がクーデターを起こしたという建前でもって行動を起こし、貴族連合残党側がその手が届かない場所をどうにかするという役割分担であったこともあるが、士官クラスはともかく下士官兵になってくると近衛部隊を完全に叛乱に同意させているとは言い難く、ノイラートは事が成るまで貴族連合残党との協力関係をおおやけにするつもりはないという意向であり、同士討ちなんてことになったら元も子もないとジーベックもノイラートの意見に賛同していた。

 

 そのため、近衛司令部と直接連絡を取り合うことができず、このクーデターは最初から連携面において大きな問題を孕んでいたといわざるをえない。しかもクーデター後の主導権争いを見越し、どちらも独断でマリーンドルフ伯を取り込もうとしたり、ペクニッツ公爵邸を襲撃して玉璽を強奪したりしている有様なのである。なので近衛司令部がおそらくはケスラーがまだ生きているだろうと想定して動いていることもジーベックたちは知らず、貴族連合残党はケスラーが既に死んでいると思い込んでいた。なので旧軍務省が制圧されたらクーデターの成功が極めて困難になるとは考えても、それですべてが終わるとも思わなかった。

 

 このようにクーデター勢力の内部対立は二年前の内乱期における貴族連合のブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派の対立ほど険悪なものでは決してなかったが、互いに信頼しあっている関係とはとてもではないが言えなかった。もしも本当の意味でジーベックの貴族連合残党とノイラートの近衛部隊が本当の意味で一致団結していたのならば、このクーデターはもう少し違った展開をみせていたことだろう。

 

「ワイツ、髑髏団の資料の処分と引っ越しの準備をやっておけ。万一、旧軍務省が奪回されればワーレンはそのまま帝都中に向けて近衛司令部が叛逆者であると糾弾する放送をするだろう。そうなると首都防衛軍も不信感を持ちだして近衛司令部の命令を疑うようになるだろう。そうなれば成功の可能性は激減する。そうなる前に撤退の準備は整えておかねばならぬ」

 

 一方その頃、旧軍務省においてレルヒェンフェルトも、援軍にやってきたレオが率いる近衛第七中隊が期せずしてワーレンの混合部隊の後背につき、レーデルの部隊と挟撃するような形になったのを確認していた。

 

「中尉、最低限の兵力を残し、我が中隊も攻撃すべきではないでしょうか」

 

 部下の進言にレルヒェンフェルトは同意した。平然と人質を爆弾として利用するレーデルの下劣さには吐き気を催すほど嫌だが、すでにレーデルの部隊はワーレンたちの猛攻を受けてかなり厳しい状況になっているし、不利な味方を故意に見捨てるというのもレルヒェンフェルトの潔癖な貴族精神に反するものであった。

 

「それもそうだな。しかしあの下種野郎の性根を叩きなおすのには時間がかかりそうだから、間に合わなかったとかで死んでいてくれたらありがたいのだけど」

 

 レルヒェンフェルトの率直すぎる願望に、近衛兵たちは苦笑して同意を示した。レーデルのとる作戦は有効的なものであるのかもしれないが、まったく敬意を抱けそうにない外道ぶりなのだ。直接銃殺してやろうまでは言わないが、敵に殺されてくれるのであれば諸手をあげて万々歳であるというのが中隊の総意であった。

 

 一方、挟撃を食らう形になったワーレンであるが、率いているのが一部の首都防衛軍、憲兵隊、警察、内国安全保障局等々、本来所属が異なっている者達の寄り合い所帯に近い混合部隊だったこともあって、うまく統率ができずに苦戦を強いられていた。

 

 加えて言えば内務省系の警察や内国安全保障局といった治安組織は、犯罪捜査や治安維持を目的として存在しているのであって、軍隊のように訓練された武装集団と戦うことを目的とした組織ではないのだから、本格的な戦闘に不慣れな者が多く、負担も凄かった。

 

 それも当然といえば当然である。警察がテロ組織と戦闘を繰り広げることがあっても、警察は常に支配体制のバックアップを受けられるのに対し、テロ組織にそんなものはないのだから、最初から警察が圧倒的に優位な状況にあるといってよいのである。にもかかわらず、警察の処理能力を超えるほどの武装集団となると、もはやそれはテロ組織ではなく強固な地盤を築いている叛乱軍であり、警察ではなく軍隊が対処すべき案件であるのだから。

 

 そのあたりのことはクーデター派も勿論わかっているので、治安組織に狙いを定め集中的に攻撃を加える。ジュトレッケンバッハ警部補率いる戦警部隊はもともと軍隊的色彩が比較的濃い部隊であったこともあり善戦したが、内国安全保障局のフリッツ・クラウゼ保安少将はそうではなかったので脆かった。

 

 近衛部隊のレオは瞬時にそれを洞察し、また考えた。いかに歴戦の勇将であるワーレンに率いられているとはいえ、所詮は烏合の衆である。敵の重要人物を討てば敵の士気を砕き、彼らを烏合の衆に戻すこともできよう。

 

 そうした狙いからレオは一気にクラウゼ部隊を打ち崩そうと試み、自部隊の秩序を乱さぬように巧みに兵力を抽出して、クラウゼ部隊への攻撃要員として投入し、一気に指揮官を打ち取らんと猛攻をかけた。

 

 自分の部隊が次々に崩されていくことに焦ったクラウゼは隣のラフト少将の憲兵部隊に助けを乞おうとしたが、これが悪手だった。そもそも憲兵部隊はレーデルの醜悪な奇策によって大損害を受けていたこともあり、なんとか防戦できているといったところだったのでクラウゼ部隊の穴を埋める余裕などとてもなく、憲兵部隊も巻き添えをくらう形となった。

 

 しかもクラウゼがのこのことこれからどうするべきかと相談しに来たものだから、ラフトはブチ切れたくなったが、現状を打破するのにまったく寄与しないという理性が怒気を抑え、努めて冷静に対処した。敵味方で兵力差があまりないこと、一兵士としては内国安全保障局の者たちもそれなりに使えること、以上二点から相手も指揮統率ができなくなるように乱戦に持ち込んだのである。

 

 そのことを戦況からワーレンも察したようであり、一部の兵を割いて乱戦状態が拡大しないように手を打った。しかしラフトたちの部隊の混乱ぶりを収集できるほど余裕がなかったので、乱戦状態ですごい勢いで犠牲が出ている場のことはひとまず放置するより他になかった。

 

「目の前の敵に対処するだけでいいってのは気楽だ」

 

 まったく状況は改善していないのだが、慣れない実戦指揮をさせられていたクラウゼとしては肩の荷が降りたような感覚である。すでに一〇年以上前のことであるが、クラウゼも多くの平民階級出身者と同じように軍隊に徴兵され、大学卒業から三年ほど係争地に駐留している野戦部隊に所属して同盟軍と激戦を幾度か繰り広げた経験もあるのだ。戦術的思考をしなくていいなら、兵士としてそれなりに活躍できるのである。

 

 しかしそれでもこの場にいる内国安全保障局員の中では一番偉いのはクラウゼであったので、下士官のようにその場その場で命令を出す必要があった。そのため、大物を討ち取って敵の士気を崩してしまうことを狙っていたレオの目に止まった。立ち振る舞いから、敵側の重要人物であるにちがいないと判断し、近場の近衛兵と一緒になって突貫することを決めた。損害度外視で接近する愚策といえなくもなかったが、近衛第七中隊の兵士たちは自分たちの指揮官に心酔していたこともあって、なんら反論もせずに従った。

 

 先頭の兵士が盾で防御しているだけの無謀な突貫をしてきたレオの集団に、クラウゼらは容赦無く光の雨で歓迎した。何人も兵がブラスターの光条で身体を貫かれ、絶命して地に伏したが、その犠牲を対価にしてレオは助走をつけて跳躍して接近し、内国安全保障局員がたむろしている場所に舞い降りたのである。近場にいた四人の局員がすぐにブラスターを向けたが、同士討ちを恐れて躊躇い、その隙にレオは腰の軍用サーベルを引き抜いた勢いを殺さずに二人を横薙ぎに斬り捨て、予想外の攻撃方法に呆けていた反対側にいた二人をブラスターで銃撃した。

 

「貴様、モルト大尉だな?」

 

 自分を守っていた部下たちが、一瞬で地に伏したのにクラウゼは鼻白みながらそう問いかけた。まだ地面で痛みにもがいているから死んだわけではないのだろうが、戦闘不能に追い込まれたのは疑いない。そしてそれをやった人物は髑髏団に対する捜査資料で何度か見た顔であったので、特に何を狙ったわけでもない行動だったので答えを期待したわけではなかった。しかし意外なことに相手は反応を返してきたのである。

 

「たしかに私は近衛第七中隊のヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト大尉だ。それで、そういう卿は何者だ? こちらが名乗ったのだ。そちらが名乗らぬのは非礼であろう」

 

 貴族同士の名誉ある決闘劇じゃあるまいに、と、クラウゼは思ったが、

 

「内国安全保障局次長のフリッツ・クラウゼ保安少将だ」

 

 つい、気圧されて無意識にそう名乗り返してしまう、妙な威圧感を伴っていた。

 

「これはしたり。内国安全保障局のお偉方など、安全圏で他人の粗探ししかできぬ臆病な輩とばかり思うていたが、こうして戦場に立てる度胸のあるやつもおるのだな。おまけに次長か。うむ、他の者どもより討ち取り甲斐があるというものよ」

 

 たしかにラング局長には無理だろうなと内心で呟きつつ、どうやったら生き残れるだろうかと懸命に頭脳を回転させた。先ほどの身のこなしから推測するに、白兵戦能力はレオのほうが上だ。討ち取り甲斐なんて感じず、さっさと他の奴を狙いに行ってくれたらいいのに。

 

 接近戦はどう考えても不利だ。そう考えたクラウゼは、ちらりとあたりを一瞥して状況を掴むと、姿勢をかがめて走り出し、まだ味方がいる方向へと向かって走り出した。

 

「逃げるかッ!」

 

 若き近衛将校は一瞬あっけにとられたが、すぐに状況を理解してそう叫び、ブラスターを構えて引き金を引いた。そのままでは銃撃をくらったであろうが、クラウゼは走りながら既に死んだ者が持ち込んでいたのであろう、複合鏡面処理がほどこされている小型の盾を後ろに向かって蹴り飛ばしたのが幸運にもブラスターの光条を遮って明後日の方向に反射させた。

 

「貸せ!」

 

 クラウゼは近場にいた憲兵からビーム・ライフルをひったくり、そのまま流れるように伏射の態勢をとった。それを見て取ったレオは、すぐさまバリケードがわりに広場中に停車されている軍用車の影に隠れて相手が油断をするのを伺ったが、これがいけなかった。クラウゼの危険を感じ取って、まわりの兵たちが集まってきて、とてもレオ一人では対処できる数ではなくなってしまったのである

 

 しかしそれでも陣形や数の上ではクーデター派が圧倒的に優位であったので、このまま状況が推移していけば、多大な犠牲を出すことになろうとも旧軍務省を防衛できることは疑いなかった。しばらくして味方の数が揃った時に、再度突撃を敢行すればクラウゼの首をあげることもできるだろう。しかし、そうはならなかった。

 

 突如、大規模な兵力が広場に乱入してきたからである。それはマテウス・ブロンナー大佐が率いる第二区警備連隊であった。近衛参謀長と会談し、その時の態度から近衛司令部が嘘をついていると確信したブロンナーは近衛司令部の命令を無視して制圧していた民政省と内務省を放棄し、旧軍務省の通信妨害を排除すべく、麾下連隊を率いてやってきたのである。

 

「大佐、既に戦闘が起こっているようですがどちらを敵とみなすべきでしょうか」

「……わからんが、近衛部隊の仰々しい軍服を着ている奴はすべて敵として対応しろ。それ以外も敵はいるかもしれんが……そのあたりは現場指揮官の判断に任せる」

 

 ひどく無責任な命令といえなくもなかったが、貴族連合残党の存在など知りもしないブロンナーは、このクーデターはエーベルハルトが言っていた同盟の教唆を受けた者達による犯行であると考え、近衛司令部の虚実さえ暴けばすべての問題は解決すると思い込んでいたので、とりあえず近衛兵を排除すれば大枠の問題は解決するであろうと判断したのである。

 

 いくらワーレンが率いる部隊を自分たちが包囲しているとはいえ、新手の三〇〇〇の敵兵にさらに包囲されているのでは、ワーレンを打ち取れたとしても、旧軍務省を守り切ることは叶うまい。そして旧軍務省を確保しておかねば通信妨害を解かれ、首都防衛司令官の生存を首都防衛軍が知れば彼らは正規の命令系統に従うことを選択するだろう。そして近衛部隊にしても、兵下士官まで取り込んでいるわけではないから彼らの内からも離反者がでるだろう。

 

 旧軍務省を確保しておかなければクーデター成功の確率は激減するのだから、ノイラートが援軍を派遣してくれることを期待して防戦に徹するべきか。はたまた旧軍務省を放棄し、かすかな可能性にすべてをかけるべく自部隊の戦力保全を優先すべきか。部隊をまとめつつ、レオは苦悩した。

 

 その悩みは旧軍務省を防衛していた筈のレルヒェンフェルトが十数名の部下のみを引き連れてきて事情を話したことにより、取りうる選択肢はひとつしかなくなったのである。

 

「いったいどうしてここに。卿は旧軍務省を確保していた筈では」

「……敵の援軍が来てからしばらくして、もう守り切れる可能性はないから逃げると、レーデルの糞野郎が言い残して我先に逃げ出したのです。我が中隊だけで敵に抗しえることはできませんし、無駄死にするのも御免ですので私たちもここからの脱出を」

「なんて恥知らずな奴だ!!」

 

 レーデルとレルヒェンフェルトは旧軍務省の確保し、通信妨害を継続させる重要な役割を任されているのである。であるから、己が命に犠牲にしてでも旧軍務省の防衛を優先せねばならならないと念押しされているはずであった。にもかかわらず、相方の了承も得ずに勝手に独断で戦場離脱とは何事であるか! 

 

 つまり現在、旧軍務省を守るクーデター派の戦力が空になっていることを意味しており、これ以上ここで戦闘を繰り広げることに意味はないということではないかとレオは悟った。実際、すでにジュトレッケンバッハ警部補の戦警部隊が旧軍務省内に突入し、残敵掃討と人質の安全確保に邁進していて、旧軍務省陥落は時間の問題となっていた。

 

 レーデルの卑劣さを痛烈に罵りながら、レオも撤退を決断した。こんなふざけた状況で無駄死にしてたまるかと強く感じたのである。レルヒェンフェルトと一緒になって包囲網の一角を突き崩して現場から離脱した。

 

 こうしてクーデター派の指揮官にあたる人物たちは次々と離脱していったので、旧軍務省前における戦闘の大勢は決した。ほとんど一方的な戦闘になったことをだれもが実感し始めた頃、ワーレンの居場所を特定したブロンナーが情報交換を行うべく駆け足でその場に向かった。

 

 ワーレンが義手すらつけずに戦闘指揮をとっていたとは知らなかったので対面時にブロンナーは面食らったが、すぐに敬礼して、官姓名を述べた。

 

「第二区警備連隊長マテウス・ブロンナー大佐であります。クーデター派を打倒するため、閣下をお助けしたくまいりました」

「ふむ、それで卿は何故こちら側につこうと考えたのだ? 近衛司令部の命令通り、私が偽物であるかも知れぬし、そうでなくても私が開明派とともにクーデターを起こしたという可能性もあっただろうに」

「それも考えましたが、近衛司令部命令には不審な点が多々あり、またある第一旅団幕僚の助言もあって、自ら直接近衛司令部に赴いて小官と面識があるヴァイトリング近衛司令官と面会を求めたのですが叶わず、代わりに面会した近衛参謀長の発言に矛盾点があったこともあり、近衛司令部が何らかの勢力によって乗っ取られていると推察した次第であります」

「……卿の推察通りだ。内国安全保障局の報告によれば、近衛司令部の一部反動分子と貴族連合の残党組織が協力してことを起こしているらしい。とはいえ、通信妨害を解除して首都防衛軍の将兵に正しい側がどちらかを教えてやれば、もはやクーデターの鎮圧は容易だろう」

 

 そうしたワーレンの発言に、ブロンナーは全面的に同意せず、懸念をいだいた。

 

「そのとおりでしょうが、しかし、首都防衛司令官のケスラー上級大将の生死が不明である以上、ワーレン閣下が呼びかけても応じない者達もいるのではないでしょうか。近衛司令部が閣下の偽物がでていると吹聴してまわっていることでもありますし、小官としては懸念を感じざるを得ません」

 

 これにワーレンはぽかんとした顔をしたので、ブロンナーは自分がなにか変なことを言っただろうかと首を傾げた。そして近場にいた副官ハウフ少佐以下数名かが苦笑しだしたので、癪にさわったブロンナーが敵意を持ってハウフを睨みつけ、あわててワーレンがとりなした。

 

「おまえたちやめんか! 大佐も落ち着くんだ。われわれの間では既に当然のことになっていたから、すこし滑稽に思ってしまっただけなのだ。ケスラーは生きている。通信妨害を止めれば、すぐに正式な命令権でオーディン中の全将兵に正式な命令を下すことができるのだ」

 

 フロイデンの一角を警備している親衛隊だけは別になるがな、と、注釈をつけたワーレンの言葉に、今度はブロンナーが唖然となったが、クーデター派が情勢を挽回させるような方法は既に潰されているのだと悟った。

 

 その頃、必死で帝都の路地裏を走っている一団があった。レルヒェンフェルトの代わりに前線に出たために人質を利用できなくなり、ブロンナーが援軍に来たために圧倒的な兵力差ができたので早々に逃げ出したレーデルとその側近たちである。

 

 彼らは近衛兵用のものではなく普通の帝国軍の軍服を着ていたので、重傷を負って喋れなくなっていた見知らぬ軍人をかかえ、さも味方であるかのように包囲網に近づき、「彼を治療するため」と称して攻撃性をまったくみせずに堂々と包囲網を突破し、緊急設置されていた治療所に連れて行ってそのまま戦場を離脱したのである。

 

 そして最低限の小型拳銃を除き、すべての武器を放棄し、軍服も脱ぎ捨てて、騒ぎに混乱して逃げ惑っている一般人を装ってこそこそと逃亡を続けているのであった。

 

「このままでは絶対に済まさん。平民風情でありながら選ばれた者の一人であるこの俺に歯向かった金髪の子分のワーレンに、貴族の風上にもおけぬ臆病者のレルヒェンフェルトめ! 俺を陥れてくれた報い、必ずや受けさせてやるぞッ!!」

 

 旧軍務省からかなりの距離をとり、追手の姿が見あたらない安心感もあって、見当違いの呪詛をこぼした。別にワーレンもレルヒェンフェルトも彼を陥れようとなどしておらず、むしろ逆であるはずであったが、レーデルの主観的には正統な怒りであるらしかった。

 

 それはかつての門閥貴族の特権意識そのものであった。だが、彼はそんな地位の出ではなかった。かつてはそうだったのだが、彼がこの世に生を受けた時にはすでにレーデル家は、貴族とは名ばかり帝国騎士家に過ぎなくなっていた。生活の水準もラインハルトやファーレンハイトの幼少期と大して変わらなかっただろうし、貴族特権などないに等しかったのに。

 

 いや、だからこそ、彼はそうなったのかもしれなかった。両親から “名門貴族として恥じぬ教育”を受けながら、現実とのギャップが酷過ぎたのである。だからこそ、そのギャップを埋めようと常に必死でありそれ以外のことに頓着せず、無軌道なことをしでかすことに躊躇がないのもそのためなのかもしれなかった。

 

「がぁっ!」

「しょ、少佐?!」

 

 突如左脚の付け根あたりから激痛が走り、レーデルは短い悲鳴をあげて派手に転んだ。まわりの側近たちはそれが狙撃であることを察してあたりを警戒し、背後に一人の男が佇んでいるのを認め、誰何の声をあげた。するとその男はなんともいえない微笑みをたたえて答えた。

 

「誰って……内国安全保障局のカウフマンとでもいえばいいのか」

「クソッ、追手か……、殺せ! 殺してしまえッ!」

 

 カウフマンの名乗りを聞いて、レーデルは脚の痛みをこらえながらそう命令し、側近たちはそれに従ってブラスターを向けたが、カウフマンが優しくたしなめるように言った。

 

「次長にはそこで倒れてる奴を捕まえるようにしか言われてないんだ。他はどうでもいいから、君たちはさっさと逃げたらどうだい? ろくに走れない傷を負っているやつなんて、荷物にしかならないだろう」

 

 そう言われて側近の男たちは戸惑った。たしかにその通りであるように思えたのである。引き金を引かない側近たちに不安を募らせ、レーデルはうずくまったまま側近の怯懦を叱咤したが、これが悪手だった。それで側近の一人の心の天秤が完全に傾いて走り去り、他の者たちも雪崩現象のように次々と逃げ出したのである。

 

 レーデルは目の前で起こったことが信じられなかった。ラナビア矯正区時代、彼らには甘い蜜をたくさん吸わせてきたので信頼していたのだ。にもかかわらず、自分を見捨てるとはなんと恩知らずな者たちであろうか! 堪え難い怒りに身を焼かれつつ、それでもなお活路を見出そうと諦めずに頭脳を回転させた。これまで何度も窮地に陥ったことがあったが、そのつど鋭い思考力を働かせて生き残ってきた自負が諦めること拒絶していた。

 

「内国安全保障局の人間だと言ったな。ということは、社会秩序維持局でも職員だったんだろ?」

「まあ、そうですね」

 

 まるで雑談の問いかけにうんと答えるような気楽さでカウフマンは肯定した。

 

「ならこんなことが無意味だってわかるだろう? どうして俺だけを狙って捕まえにきたのか、その理由は知らない。だが、想像はつく。大方、金髪の孺子の方針で、俺がラナビアでやっていたことが問題になったんだろう。だが、社会秩序維持局の人間だったなら、わかるだろう。それがとてもナンセンスなことだって。思想犯というやつは危険思想という病毒を撒き散らして秩序を崩壊させる邪悪な存在だ。思想犯を一般社会から隔離して矯正し、その思想根絶をはかるのは正義ではないか。にもかかわらず、金髪の孺子の一党は賢明な人間なら気にしないであろう、幾多の矯正区警備司令部が犯していた規則違反を問題視している。まったくもってナンセンスだ。いや、規則違反というのは建前で、共和主義者どもみたいな人権とやらのためなのかもしれんが、どちらにせよナンセンスなのは変わらん。思想犯なんて早々に改悛しないのであれば、その害悪を撒き散らさぬうちにしかるべき処置をするべきだろうに。そして俺はそれだけだとちょっともったいないと思い、家畜として思想犯どもの労働力を活用し、軍需品の生産という建設的事業に参加して過労死するという、本来なら無意味な死を迎えるだけのクズどもの身に余る栄誉を与えただけに過ぎん。社会秩序維持局の職員だったなら、この理屈が理解できるだろう?」

 

 長々としたレーデルの弁明に、カウフマンは深く感心したように何度も頷いた。

 

「なるほどなるほど。そのとおりなのかもしれませんね。ところで、少佐――」

 

 レーデルの目の前に座り込み、ブラスターを彼の脳天に突きつけた。

 

「そもそもの前提として、筋金入りの社会秩序維持局員が()()の事情なんてものを気にするとでも? そんなに遠慮しなくても内国安全保障局でたっぷり歓迎してあげますよ」

 

 そういってカウフマンはにっこりと優しく微笑みかけた。それで完全に活路がないと悟り、レーデルは心の底から恐怖と絶望にとって絶叫し、股間部に生暖かい水気を感じながら失神した。




ようやく帝都編に終わりが見えてきた……

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