リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

54 / 91
今話はかなり残酷というか、酷い描写があります。ご注意ください。


醜悪なる防衛

 ワーレン上級大将をはじめとする包囲部隊の頭脳たちは、青空の下に置かれた武骨な簡易卓を囲んで旧軍務省をどのようにして攻略するか頭を悩ましていた。いや、旧軍務省の制圧自体は容易である。クーデター派が首都防衛軍を信頼しておらず、肝心要の部分に関しては近衛部隊と貴族連合残党組織の人員を活用しているのは内国安全保障局からの情報と自分を暗殺しに来たのが残党組織の工作員であったこと、いくらかの首都防衛軍部隊を比較的簡単に切り崩せたなどの事実からあきらかであるようにワーレンには思えたし、くわえて首都防衛軍を利用し続ける上でケスラーの死がクーデター派にとってはどうしても必要であることからそちらに人員を大きく割かなくてはならいことから推測するに、旧軍務省にたてこもっているクーデター派が今自分が率いている軍人と治安員の混成部隊の数を上回っているとは考えにくかった。

 

 くわえて旧軍務省に幾度となく出入りした経験があるし、内部の構図は十二分以上に把握している。普通に考えれば旧軍務省程度十数分程度で奪回できるだろう。だが、クーデター派が捕らえている数百名の人質を巻き添えにしてしまうことは確実である。しかもクーデター派は旧軍務省に勤務していた者達だけでは人質役には不十分であると考えたのか、たまたま近くにいたただの民間人も数十人ほど拘束して人質とする卑劣さを発揮していたのだ。これがワーレンたちに激しく苦悩させることになったのである。

 

 極端なことをいってしまえば、人質が旧軍務省で職務を行っていた者達だけであるのなら、“軍務に就く以上、死ぬ可能性もあることも承知していただろう”と人質を無視して制圧しにいくという策もとれたのだ。無論、新王朝は言論の自由を擁護しているので批判は免れないだろうから、容易にとるべき策ではない。しかしそれでも軍務に就く際に死を覚悟する誓約書に署名しているはずなのだから帝国の法的には何ら問題はないのだ。

 

 だが、民間人を人質にとっているとなるとそうした策を正当化するのは非常に問題がある。しかしかといって一人、二人ならまだしも、何百人もの人質を全員、クーデター派の脅威から守りつつ救出する妙案など容易に思いつけるものではなかった。

 

 かといってクーデター派に自ら人質を解放させるのは不可能だ。こちらがクーデター派を満足させるような譲歩などできるわけがないし、内部の離反を狙って人質をとるなど卑劣な行為であるとメガホンで糾弾させてみても、むこうはなんら動揺しているようにみえず、挙句の果てに「至尊の座を汚して伝統を破壊する薄汚い孺子の行為こそ卑劣というべきである」と言い返してくる始末である。そうである以上、可能性は皆無であるように思われた。

 

「ワーレン閣下、もはやこれ以上ためらっている時間はないかと思われます。ここは不本意でも強硬策を採らざるを得ないのでは」

 

 クラウゼはなにかふっきれたような調子で、ワーレンに提言した。その発言に簡易卓を囲んでいた主要人物たちの間に緊張が走った。

 

「なにを言っているのかわかって言っているのだろうな」

 

 そう言い返したのはハウフ少佐である。少佐は病院でのオットーらとの銃撃戦で右肩を撃ち抜かれており、ワーレンから休むように促されたのだが、「閣下は緊急時だからと左腕がないのに軍務に励んでいるというのに、副官が右肩を負傷している程度で休めるわけがないでしょう」と応急処置だけして、上官の補佐にあたっていた。

 

「もちろん、わかっている。だが、もはや最善の結果をどうしても得られそうにない以上、それを前提にしなくてはならんだろう」

「本官も保安少将閣下の意見に同意します」

「ッ!」

 

 警官たちを統率しているジュトレッケンバッハ警部補も同意したのを見て、ハウフ少佐は怒りの感情を瞳の奥に走らせた。それにたいしてクラウゼをはじめとする内務省系の者達は怪訝な表情を浮かべた。

 

「いったいどうしたんですか。そりゃあ、不本意なのはわかりますけど、仕方ないじゃあないですか」

「そんなことはわかっている!」

「?」

 

 空気を読まず、いっそお気楽な口調でそう言ってきたカウフマンにハウフ少佐はそう言い返した。それに対してクラウゼは心底不思議そうに首を傾げるばかりだった。

 

 別にハウフ少佐も彼らの言を否定したいわけではない。もはや多少の人質を犠牲にすることを許容せざるを得ないのはわかっている。これ以上手をこまねいていては状況の悪化がより深まり、最悪ローエングラム王朝の土台を揺るがしかねない事態に発展しかねない。

 

 もしそうなれば、中央集権国家として統一され、黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の旗の下に築かれた公正・公平な秩序は大いに揺らぎ、再びオリオン腕に大きな戦乱を呼ぶこととなろう。それを思えば、人質の安全確保は遺憾ながらも最優先目標にすべきではない。

 

 だが、それでもそれは苦悩の果てに下すべき究極の選択であらねばならないはずだった。にもかかわらず、クラウゼら治安屋の言い口はあまりに軽すぎて反感を覚えたのである。あまりに人命を軽視する姿勢が透けて見えすぎており、これではゴールデンバウム王朝の世となにも変わらぬではないか。

 

 それも当然といえば当然で、警察の意識改革は憲兵隊への対立意識と内務尚書オスマイヤーの擁護によって停滞気味であったし、内国安全保障局にいたっては民衆弾圧で悪名高い社会秩序維持局の人員が多数流入していたので、清廉な人材であっても国内の叛逆者を弾圧するにあたっては人道面などまったく考慮していない仕事に従事していた感覚が抜けきっていない者が多数派であるのだから。

 

「そういう言葉は、本当のことであっても言うべきことではないぞ」

「え? あ、はい。申し訳ありません」

 

 しかしながらそうした感覚の持ち主であっても、ローエングラム王朝の世における時代的要求を考えると、公言して良い類のものでもないことくらいは公職にあるだけあって察している者が多く、露骨な発言を弁える程度の保身術くらいは弁えているため、クラウゼは部下のカウフマンの発言を窘めた。極少数派であるカウフマンにはあまりそれがわかっておらず、釈然としない風であったが一応の形式的謝罪を行った。

 

「……強硬策を採るとしても、可能な限り人質を救出しなければなりますまい。その方法について考えるべきだ」

 

 職業柄、警察や内国安全保障局の体質をよく理解しているラフト憲兵少将は、いまだに体中から反感を滲ませているハウフ少佐を無視して議論を進めようとした。そうした意図をクラウゼも察して建設的な意見を述べようとした。

 

「そうですな。旧軍務省で働いていた者達の数から考えると、わかりやすく見せしめにロビーに整列させている十数名が奴らの人質のすべてというわけでもないだろう。旧軍務省内にも何十人か人質を確保しているものと考えられる」

「旧軍務省内の構造について本官をはじめ、警察の者達はあまり詳しくはない。同じ内務省の内国安全保障局の者達についても同様のことと思う。それでラフト閣下に聞きたいのだが、もし卿がクーデター派の指揮官だとしたら、どのあたりに人質を閉じ込めておくのが妥当だと考える?」

「純粋に相手に渡さないことにのみ重点を置くならば旧軍務省の最下層に軟禁するが、クーデター派の場合は状況において人質をわれわれに対して見せしめなければならないわけだから、私なら人質を移動させやすさを考慮して地上部分か地下一階に集めておくのが合理的だと考えるだろう」

 

 旧軍務省に限ったことではないが、帝都オーディンにおいて高層建築物は存在しない。臣民が高い位置から皇帝陛下の居城である新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を見下ろすなど許しがたい不敬であるとゴールデンバウム王朝の法によって定められていたからであり、帝国官庁の大部分は地下にあるのだ。地上部分にあるのは、その施設の長とその補佐役が職務を遂行する部屋や地上部分になくてはならない理由がある部屋のみであるのが一般的である。

 

 そういったことは帝国人にとっては当然のことであり違和感を感じることではないのだが、フェザーン勤務やハイネセン勤務になった帝国軍人が、普通に自治領主府や最高評議会ビルを見下ろせる高さの高層建築物が存在するのを見て、ちょっとしたカルチャーショックを受ける事例がある。昨年ラグナロック作戦に参加した時にフェザーンに降り立ったワーレンもそのことにちょっした衝撃を受けた一人である。だが当然、こんな事態にあってそんな呑気なことを考えてなどいない。

 

「地下一階であろうとも地下部分に人質を置いているというのも考えにくいな」

「なぜでしょうか。地下であれば窓などありませんので、人質の逃走を防ぐ上で良いかと思われますが」

「そうだが、それは相手を部外者であると想定すればの話だ。われわれが旧軍務省の構造を熟知していることをクーデター派も承知していることだろう。つまりわれわれが速やかに地下に通じる階段を抑えてしまえば、地上部と地下部が寸断されてしまうことくらい理解しているはずだ。やつらが決死の覚悟で背水の陣を敷いているというならともかく、逃走も視野にいれているなら地上部に必要なものを集めておきたいはずだ」

「これまでの行動からクーデター派が人質を可能なかぎり武器として利用しようとしていることは疑いありません。連中が旧軍務省を首都防衛軍でなく近衛と貴族連合残党を用いて制圧したことに加え、ワーレン上級大将のご指摘も含めて推測しますと……」

 

 クラウゼは一度言葉を切って、周りを見渡し、おそらく自分と同じ結論に達していることを悟った。

 

「地上部の放送関係の部屋かその近く、でしょうな」

 

 全員が頷き、それを前提に作戦を練っていった。実際、ワーレンたちの推測通り、クーデター派旧軍務省の放送部施設の一室に二百人前後の人質を閉じ込めていた。突入と同時に速やかに放送部施設を奪回すれば、最低限の犠牲で人質を確保することも可能であると判断したのも当然であろう。

 

 しかしワーレンたちは誰一人知らなかった。旧軍務省のクーデター派の指揮官が、かつてラナビア矯正区で暴虐の限りを尽くした貴族将校であることを。もしそうであると知っていたならば、彼の凶悪性を考慮して今少し慎重な方策を考えたかもしれない。

 

 外の包囲部隊の様子がにわかに騒がしくなってきたことから、周囲を警戒していたレルヒェンフェルト近衛中尉はついに人質を無視して突撃してくるであろうことを看破し、危機感をもってそのことをゲルトルート・フォン・レーデル少佐に報告した。だが、レーデルは冷たく冷笑すると発言した。

 

「いまさら遅すぎるわ。既に処置は済んでいる。盾だけではなく矛としても利用してやろう」

 

 その言葉に非常に不穏なものをレルヒェンフェルトは覚えた。

 

「いったいなにをなさるつもりですか」

「いやなに。外の馬鹿どもの増上慢を木っ端微塵に粉砕してやろうかと思ってな」

 

 それからレーデルはなにをしようとしているのか説明をはじめると、聞いていくうちにレルヒェンフェルトは胸の内に怒りと羞恥の感情が沸き起こり、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「正気なのかッ!?」

 

 中尉が少佐にする発言としては不適当なことこの上なかった。

 

「高潔さの欠片もない卑劣にして醜悪な手法だ。帝国貴族の矜持をどこに置き忘れたか。いや、もとより卿は矯正区で思想犯を酷使してリッテンハイム候に媚を売り、爵位を得ただけの成り上がり者であったな。卿にとっては貴族の矜持も名誉も持ち合わせていないのも当然か」

「綺麗事をほざくな。名誉だと? 貴族にとって権力を握っていないことほど屈辱的で矜持を傷つけられることはない。卑劣、醜悪、おおいにけっこう。権力を掌中に収められない不名誉に比べれば、なにほどのことがあろうか。第一、死ぬのは帝室の恩顧を忘れて金髪の孺子に(おもね)った賤民どもだ。そんなやつらがいくら死んだところでいったい何を思い煩う必要があるというのだ」

 

 辛辣な罵倒に対し、レーデルは呆れた口調で言い返し、レルヒェンフェルトを絶句させた。たしかにゴールデンバウム王朝の貴族が平民の生命を軽視するのは珍しくないことであるが、いくらなんでもこれは限度が超えているように思われたのである。

 

 そうしたレーデルの思想は、彼の出身に起因しているところが大きい。彼の生家であるレーデル家は今でこそ一山いくらの帝国騎士家に過ぎないが、ほんの数十年前に帝位継承に関わるごたごたで地位を失うまでは爵付きの名門貴族家として相応の権勢を誇っていたのである。そして先代の当主は爵位を失っても大貴族家として誇りを持ち続け、息子のゲルトルートにそれを叩き込んだ。

 

 そのため、レーデルは何の関係もない人間を自分の目的のために巻き込むことに躊躇いがない。ルドルフ大帝に曰く、弱肉強食、適者生存、優勝劣敗は宇宙の摂理であり、人類社会もまたその摂理によって支配される。したがって、特権階級である貴族というのは、人類の強者であり、あらゆる環境への適応者であり、叡智に優れたる者なのだ。

 

 そしてそうした存在であらんとレーデルはしているのである。ゴールデンバウム王朝末期の大貴族は、想像力の欠如や平民への軽視からしばしば惨い所業を成してきたが、それは己の所業の邪悪さに無自覚であるがゆえという一面があった。しかしレーデルにはそんなことはなく、自覚した上でどれほど醜悪で残虐な行為を行っても、目的が手段を正当化すると信じてやまないのである。手段を選ばなかったからこそ、自分の能力が上に評価され、男爵位を賜ってレーデル家はふたたび貴族としての立場を確保できたのだ。そのことが彼の信念を強固なものとしていた。

 

 レーデルの立案による悍ましい作戦は、すぐさま実行に移された。突如、クーデター派が三〇人ほどの人質を解放し、旧軍務省の表玄関から走って出てきたのである。突入部隊の指揮をワーレンから任されていたラフトは、どういう事態が発生したのかわからなかったが、ひとまずは逃げ出してきた人質を確保しようと命じてから違和感に気づいた。

 

(……濡れている?)

 

 全力でこちらに走ってくる人質たちは、奇妙なことに着ている服が完全に変色するほどずぶ濡れであった。それも一人二人ではなく、全員がそうなのである。まるで大雨が降っている時に傘もささずに出歩いたかのようにびしょ濡れだ。さすがに不審に感じ、なにかの罠かと人質たちの顔を伺ったが、彼らの一様に恐怖の表情を浮かべており、少なくともこちらが騙そうとしているようには感じられない……。

 

 そこまでラフトが思考を進めた時、一人の人質の全身が突然燃え上がった

 

「は……?」

 

 あまりにもわけのわからない光景にラフトだけではなく、帝国軍兵士たちが茫然自失した。火だるまになっている人質が、全身から伝わってくる高音から逃れようとのたうち回っているうちに、他の人質に触れ、その人間も瞬時に火だるまと化した。まだ燃え移っていない者は自分がああなる前に帝国軍に助けてもらおうと、最寄りの兵士にすがりついた。

 

「た、助けてください! このままだと死ぬ! 死んでしまう!!」

「落ち着け! なぜいきなりあの者たちは燃えだしたのだ? 説明を――」

 

 しかし兵士は言葉を遮らざるを得なかった。旧軍務省の方向から青白い条光が煌めいたかと思うと、すがりついていた人質が瞬時爆発してに燃えあがり、兵士もその巻き添えくらって火だるまと化してしまったからである。

 

「な、なんだ!? いったいどうなっているというんだ!!?」

 

 ラフト少将は自分の心の底から湧き上がってくる恐怖を抑えるように、大声で叫んだ。彼は純粋な憲兵ではなく、ケスラーの憲兵隊改革による人事刷新で実戦指揮官から憲兵隊に移籍した経歴の持ち主で、幾度となく白兵戦を経験して死線をくぐり抜けてきた猛者であったが、今感じているものは戦場に立った時に感じる恐怖とは質がことなり過ぎた。なにか悍ましいことが起きていると軍人ではなく、ただの人間としての直感が告げていた。

 

 旧軍務省正面口付近に配置されていた武装憲兵部隊は恐慌状態に陥った。彼らはケスラーによる憲兵隊改革に伴って憲兵に移籍した者たちであり、かつて幾度も死線を超えてきた猛者たちであったが、突如として人質が炎上し、火だるまとなって暴れまわって燃えた水沫を撒き散らし、それでさらに犠牲が増えるような異常な状況にあっては、兵士たちの動揺を抑えることができなかったのである。

 

「なにをやっているのだ、ラフト少将は」

 

 しかしその異様な状況は、少し離れた場所から眺めているワーレンたちの目には、クーデターは火を用いた攻撃をしてきて武装憲兵隊の統率が乱れているようにしかみえず、ワーレンは歯噛みしながら拳を簡易机に叩きつけた。たしかに火計を用いていてくるとは想定していなかったが、だからといって動揺しすぎである。もっと冷静に対処しないかと検討違いの怒りをたぎらせた。

 

 だがその勘違いはすぐに訂正された。部隊全体の統率を保つことには失敗したが、ラフトが素早く直属の小部隊をまとめあげて状況を分析し、その結果を報告すべく伝令を走らせたからである。伝令は異様な興奮を抑えて可能な限り冷静に報告しようと努めて平静な声を出そうとしたが、震え声にしか聞こえなかった。だが、報告自体は明瞭であり、ワーレンたちを驚かせた。

 

「……クーデター派がポリマーリンゲル液を人質の全身に塗りつけて解放し、ビーム・ライフルで狙撃して火だるまにして攻撃してきているだと?」

 

 何かの間違いであってくれとワーレンが繰り返し確認したが、伝令は深々と頷いて間違いではないと答えた。簡易机を囲むほぼ全員が信じられずに唖然とした表情を浮かべた。

 

「失礼、ポリマーリンゲル液とは、なんです?」

 

 そもそもポリマーリンゲル液のことを知らなかった警察高官が問いかけると、いつもとなにも変わらない飄々とした調子でカウフマンが解説した。ポリマーリンゲル液は軍事利用されている引火性が極めて強い特殊な液体である。どれくらい引火性が高いかというとブラスターの光条によって発生する一瞬の超高温に反応して燃えあがるほどである。しかも燃料としての効率が抜群に良い。

 

 そのくせ、どういうわけか発火性と揮発性が皆無であるため、爆発する可能性もほぼない。おまけに煙がたちにくい性質も有しているため、ポリマーリンゲル液を燃料とした火なら、敵中で火をつけても比較的敵軍に発見される可能性が低いという理由で野戦部隊に簡易発火装置の燃料として供給される引火性液体なのである。

 

 ただあまりにも高性能であるがゆえの危険性もあり、あまりにも燃料としてのスペックが高すぎるため、燃えあがるための酸素が尽きるか水で洗い流すかしなければまず消えることがない。そのため、一度ポリマーリンゲル液が体に付着して燃えあがろうものなら、地獄を見ることになる。しかも液体としての性質は燃えている時も健在なので、暴れればポリマーリンゲル液が燃えている状態で水沫として飛んでくるのだ。

 

 ……そうした危険性が、地上戦においては火計の際に用いられる時には利点になりうるので、そのあたりはゼッフル粒子同様に使用者の注意力に完全に任せる形式になっているだが。

 

「それでクーデター派はそれを人質の体中に染み込ませているわけで、要は人間爆弾として利用しているって意味だな」

「……もういい。カウフマン。ちょっと黙っていろ」

 

 たまりかねたようにクラウゼがカウフマンを黙らせた。彼もかつては社会秩序維持局の職員として陰惨な事業に従事した身の上だったが、それでも人間を物理的に爆弾として利用するという非人道の極みのような発想をするような輩と比べれば、はるかに健全な精神を持っていると思っており、嫌悪感を禁じ得なかった。

 

「ワーレン閣下、この情報を旧軍務省の裏手を包囲しているジュトレッケンバッハ警部補にも伝えましょう。すでにラフト憲兵少将が伝令を出して伝えているかもしれませんが、万全を期してこちらからも一報いれておいたほうがよいかと」

 

 ワーレンは即答しなかった。自分がやろうと考えていることが、胸のうちに沸き起こる感情に起因する衝動的なものなのか、理性的な思考の産物であるのか判断するのにいっぱいで返答する余裕がなかった。だが、それも数秒で終わり、ワーレンは決断した。

 

「……わかった。伝令を出せ。それと全部隊に通達しろ。もはや人質にかまうことなく、旧軍務省制圧を最優先にせよと」

「閣下?! それでは人質を無視なさるので……」

「無視するわけではない。だが、このまま手をこまねいていたら、人質はやつらの道具として消耗され全滅してしまう。ならば、旧軍務省に居座る外道どもの排除に専念した方が、まだしも何人か救える可能性がある」

 

 それに爆弾のように使われて死んでいくことに比べれば、戦闘の巻き添えになって死んだという方がまだ救いというものがあるだろう。そこまでは副官には言わなかったが、地球へ赴いた時の地球教徒達の巻き添え自殺じみた抵抗と比べても、クーデター派の他者に死を押し付けるような作戦はそれよりはるかに醜悪なようにワーレンには思えたのだ。

 

「ハウフ少佐、一個小隊預けるから、大量の水を持ってこい。一人でも多く救わねばならないからな」

 

 ワーレンが全面攻勢を決意した時、レーデルは有頂天になっていた。ポリマーリンゲル液を用いた人質爆弾作戦による攻撃で、ラフト少将の憲兵部隊の混乱は想像をはるかに超えていたためである。ここで出撃して憲兵部隊に打撃を与えればそうとうな時間を稼ぐことができるだろう。そう考え、レーデルのほうも打って出てきたのである。

 

 ただ不満なのが近衛部隊の精神的惰弱ぶりである。レルヒェンフェルトがいうには人質爆弾作戦を目撃した近衛兵も少なからぬ不快に思っており、ひどい者は嘔吐すらするほどであり、こんな高潔さのかけらもない戦い方を近衛部隊は参加したくはないのだという。完全に旧軍務省をからにするわけにもいかないから認めたが、なんと線の細いことだろう。所詮温室育ちの名ばかり貴族ということであろうか。

 

 火だるまになった人間が転げ回って陰惨な悲鳴をあげているのに注意しながら、元ラナビア矯正区警備隊に所属していた元帝国軍人を中心とする貴族連合残党工作員部隊が、憲兵部隊に襲いかかった。憲兵部隊はすでに混乱の極みにあったので、組織的な抵抗ができずに短時間で多大な被害を発生させた。

 

 だが、覚悟を決めたワーレン率いる本隊も人質の安全を顧みずに攻撃を開始し始めるとクーデター派の優勢は崩れたが、それでもレーデルの巧みな指揮により部隊崩壊を防いだ。矯正区警備隊のモラルの劣悪ぶりは疑いないが、ラナビアにおいて自分たちに数十倍する囚人たちに強制労働を強いるために、レーデルが鉄の規律を敷いていたので、部隊としての能力は決して劣悪ではなかったのである。だが、時間の経過に伴い、ある程度憲兵部隊が人間爆弾による恐怖から冷めてくると戦闘継続も厳しくなってきた。

 

「ちっ、さすがに限度があるか。まあ、他にも人質の利用法はあるし、一旦旧軍務省に戻るべきか」

 

 ラナビア矯正区において囚人たちを恐怖で縛るために、反抗者や逃亡者は見せしめに公開処刑にしていた。最初の頃は絞首と銃殺のみであったが、ラナビアで囚人処刑の全権を任されていたサルバドール・サダト准尉が「より効果的な恐怖を演出するため」という名目でさまざまな処刑方法を考案して実施するようになったのである。ポリマーリンゲル液をぶっかけて発火させるという発想も、元はサダトが囚人を焼死刑にしようとして実施したものである。拘束しないと周辺を巻き込む恐れがあるとサダトはあまり評価していなかったが、戦闘における利用法では使えるとレーデルが今回応用したのだ。そして他にも応用できるような処刑方法をレーデルはまだいくつか覚えていた。

 

 もし旧軍務省にこもって籠城を続けることになれば、レーデルの手によって人間らしからぬ扱いと死が人質に強制されることは疑いなかったが、幸いにしてそうはならなかった。ちょうど救援にやってきたヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト近衛大尉率いる一個中隊がワーレンたちに背後から殴りかかったからである。それである程度互角になったので、レーデルはこの好機を逃さずに多少無理をしてでも不安要素であるワーレンをここで殺してしまおうと決意したのである。




ラナビア矯正区でよくあった光景
レーデル「やっぱり効果的に強制労働させるためには抵抗者は殺戮しまくるべきか」
サダト「可能な限り残虐に殺しましょう」
警備員「またサダトさんがまたアイデアが浮かんだって。酒持って見物しに行こうぜ」
警備員「こんななにもない惑星だと処刑は数少ない娯楽だからな……」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。