リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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支配者の論理

 民政省尚書室のオフィスで、第二区警備連隊の高級将校たちが激論を戦わせ、官僚たちによって積み上げられた書類の山と格闘していた。いかに帝都がヴァルプルギス作戦発動による戒厳体制におかれているとはいえ、行政運営を全停止させては経済を筆頭に国家に多大な悪影響を及ぼす。ゆえに問題なしとみなした部署から順次行政を再開させていかなくてはならない。中堅以下の官僚たちはゴールデンバウム王朝時代に数百年に断続的に発生していた粛清の恐怖によって命令墨守の気質によく調教されていたから、銃で脅せば歯車として有効に使うことができた。しかしあくまで歯車に過ぎないので、クーデター勢力(と彼らが思い込んでいる開明派)の計画に利用されている事業を行なっているかどうかの判断は省を制圧した首都防衛軍将校の判断の下でおこなわれていた。

 

 すでに帝都の治安維持に関してはすべて軍が代行しているに等しい状況下であるから、連隊長のブロンナーは国内治安を担当する内務省の処理を後回しにして、人民生活の向上を目的としてローエングラム王朝になって新設された民政省の掌握と業務再開に集中することにした。だが、軍隊組織で育った多くの将校たちは民政関係の知識には非常に疎く、それらの業務が問題ないものであるのか、開明派の暗躍に利するものであるのかの判断に際して官僚たちからの助言を聞いて判断していかなくてはならず、彼らはこれで大丈夫なのかという不安にとらわれていた。

 

 くわえて、民政省の機構の巨大さはブロンナーの想像をはるかに超えていた。民政省はラインハルトの意向によって改革の主導的役割をはたすための部署として設置しただけあって、解放農奴支援局、思想犯社会復帰局、資産継続審査局、人種差別問題担当局、障害者擁護局、民間経済規律局、労働環境向上局、人道的犯罪捜査局、旧特権階級指導局、国家賠償局、その他多くの軍人にとって馴染みのない名前がついた部局が民政省の管理下におかれている。慣れない事柄の仕事にくわえ、膨大な数の部署が存在しているわけなので、民政省の業務の把握及び再開は遅々として進んでいなかった。

 

 これでは時間がかかりすぎるとたまりかねたブロンナーは上官のトレスコウ准将宛に民政関連の知識が豊富な人材を派遣してくれるよう要請したが、一時間経っても返事すらきていなかった。民政省自体が設立されたばかりの組織なので、その業務に詳しい人材など簡単に見つからない。そしてトレスコウはブロンナーの要請がそれほど深刻なものとも思わなかったのでかるく幕僚に心当たりがないか聞いただけで熱心に探そうとせず、他の仕事を優先することにしたのでどうしようもなかった。そしてトレスコウをマニュアル人間と見なすブロンナーはあまり自分の要請が受諾されることを期待していなかった。

 

 なので副官のリルムが旅団司令部から命令書を持参した時、ブロンナーは副旅団長が珍しく仕事をしたのだろうかと驚いた。しかし上から新たな逮捕命令であると説明され、ブロンナーは苛立った。

 

「逃亡した連中を拘束するのはレーマー少佐に一任している。ここには省掌握にかんする命令や報告しか持ってくるなと言っただろうが」

「はい。ですが、どうにも奇妙な逮捕命令でして、一応先に少佐殿に伝えましたが、やはり連隊長に仰ぐべき案件ではないかと少佐殿と小官が判断した次第であります」

「奇妙な命令? 読みあげろ」

 

 上官にそう言われて、副官は命令書の内容を告げた。

 

「開明派の影響下に汚染された憲兵本部は現在の近衛大隊の制圧下にあり。憲兵本部は開明派の爆発テロで死亡した憲兵総監の名を用いた命令書を各所に送っていたことからクーデターに加担したことは確実である。それらの偽命令は当然すべて無効であるので、注意すべし。また辺境で療養中であるワーレン上級大将を装った開明派の手の者が扇動活動をしているとの報告あり。見つけ次第逮捕して近衛司令部に連行、困難であればその場で処理して報告をあげるべし……」

「……それは、いったいどこからの命令なのだ」

「近衛司令部の判が押してありますので、ヴァイトリング中将かと」

 

 連隊の幕僚たちは命令の内容に奇妙さを感じたものの、クエスチョンマークが乱舞するばかりで明確な像を結ばない。開明派が憲兵本部を動かしたり、偽ワーレンを用意していたというのが本当かという疑問でしかないのだ。別に第二区警備連隊に限らず、この命令を知った将校は“これはちょっとおかしい”と思ったが、最上位司令部からの命令とあれば、そんなあやふやな疑問で抗命などできる勇気や馬鹿さを持った帝国軍将校は稀である。

 

 無論、近衛司令官を拘束して事実上司令部を運営しているクーデター一派にとってはそこまで織り込み済みのことではあった。いささか問題のある命令であるが、乱発しない限りは疑念を抱いても行動には移すまいという打算である。しかしブロンナーはそうではなかった。思い出されるのは第二防衛旅団司令部幕僚のエーベルハルトから言われた陰謀説である。

 

「どうします。兵に命令を通達しますか」

「……いや、それには及ばん。車を用意しろ」

「はっ」

「というわけで、ちょっとこの不審な命令について近衛司令部の説明を聞いてこようと思う」

「そんな! われわれに仕事を押し付けるおつもりですか!!」

 

 疑念を抱いてはいても連隊長ほどではない幕僚たちに、上官は慣れない仕事から逃げ出す口実にしたいだけではないのかと疑われてしまった。ブロンナーはそういうことを考えて近衛司令部行きを判断したわけではなかったが、民政省のよくわからない業務を掌握する作業にうんざりしきっているのは事実であったので、そう言われると書類の山という難敵に対して敵前逃亡したい感情も膨れあがり、ブロンナーはなおさら近衛司令部に行きたくなった。

 

 もしブロンナーの両目が健全であったなら、どれだけ表情を取り繕っても敵前逃亡の光が瞳に宿っていたかもしれない。しかしブロンナーは戦傷によって失明しており、感情を一切映さない機械的な義眼が眼窩に埋め込まれていたので、幕僚たちはブロンナーにさも心外であると無機質な義眼で睨まれているように感じてしまい、自ら黙り込んだ。

 

 民政省を出て副官が用意していた地上車の後部座席に座ると、運転席にいる副官が兵力を連れて行くべきではないかと問うてきた。副官リルムもエーベルハルトの疑念を聞いていたから近衛司令部に強い不信感を感じていたので、最悪近衛部隊と一戦辞さずと考えていたのだ。しかしブロンナーは副官の意見に同調しなかった。

 

「いらん。もし下手に兵力を連れて行けば、近衛司令部が潔白であっても我が連隊もクーデターに与したとみて攻撃してきかねん」

「では、潔白ではなかった場合、どうなさるのです。護衛としてレーマー少佐の部隊から最低でも一個小隊割いた方がよいかと」

「そんな中途半端な兵力を連れて行ったとして、近衛司令部がクーデターの首脳だった場合、いたずらに敵の疑心を煽るだけだ。そして近衛部隊がこちらの排除を決意すれば兵力差からして分隊程度ではたやすく溶ける。ならいっそ近衛司令部を疑っていないことを装って探りをいれたほうがまだリスクが低い」

「そうでしょうか」

「そうだ。だから連れていくのは副官の卿一人で充分だ」

 

 敵を信じているフリをして乗り切ると断言されて副官は唖然としたが、上官のほうは平然とした様子であった。そしていつも平時と変わらぬ口調で車を出せと言われて、副官は我にかえってハンドルを掴み、ゆっくりと足でアクセルを踏んだ。

 

 一方その頃、旧軍務省の一帯では帝国軍同士の睨みあいが発生していた。そのうちいっぽうを率いるワーレンは旧軍務省を占領している部隊と接敵すれば戦闘辞さずと覚悟を決めていたのだが、可能性のひとつとして想定はしていたが想像以上に困難な事態に直面し、どうしたものかと頭を悩ませているのであった。

 

その光景を軍務省の窓辺から見下ろしている貴族連合残党の幹部ゲルトルート・フォン・レーデル元帝国軍少佐は忌々しそうに鼻を鳴らした。部下からの報告でやってきた治安戦力を含めた混合部隊を率いているのがワーレンであることがわかっている。つまり、オットーが暗殺に失敗したというわけだ。

 

「二〇〇もの兵を与えられて病床の人間一人殺せぬとはなんたる無能か」

 

 この場にいないオットーへの侮蔑の言葉が口からこぼれた。前任のハイデリヒもそうだが、このような状況にあっても秘密主義に固執し、われわれと共同戦線を構築することを拒絶するほど時勢を読めない組織など信頼できないのだ。たとえ殿下の補佐役であるジーベックが問題ないと言っても、役に立たない平民しか寄越さぬ協力組織など不要であろう。

 

 やはりゴールデンバウム王朝復興という崇高な使命を成し遂げるためには、ルドルフ大帝によって選ばれた優秀な者達の遺伝子を継承する、自分達貴族階級が下々の者たちを指導して達成するべきなのだ。秘密組織の実態がどうなっているのかは知らないが、他組織への代表者に下賤な平民を送り込んでいる時点で程度が知れよう。

 

「それでこの状況をどう打開するおつもりなのです」

 

 すこしばかり険がある声で問われて、レーデルは視線を室内に戻した。声の主はどこか健康が悪そうな雰囲気を醸し出す細身の青年軍人で、レルヒェンフェルト近衛中尉である。レルヒェンフェルト家は貴族社会主流の末席にかろうじて名を連ねている程度の家柄ではあったが、ルドルフ大帝の御代より続いてきた歴史ある武門の家柄であって、一族のほぼ全員が軍人である。そして彼は輝かしい武勲に彩られた一族の歴史を誇りとしていた。

 

 そうした家柄の出身者であったためか、レルヒェンフェルトはたいした武勲がないばかりか、ろくでもない悪名だけが貴族社会で噂されていたレーデルのことを好ましく思っていなかった。ましてや、旧軍務省の占拠状態を確かなものとするために策を実施したレーデルが、噂に違わぬ卑劣な手法をとりながら何食わぬ顔をしているので、彼に対する嫌悪を隠す必要をレルヒェンフェルトは認められなかった。

 

「打開する必要などないさ。われわれの役目はこの旧軍務省を固守し、通信を妨害しつづけることが目的だ。外の連中を追い払うのは周りに任せておけばいい」

「……では、同志らが帝都の全権を掌握するまで、このようなことを続けると卿は言うのか」

「しかり。中佐の分析によると――俺もわけがわからんが――貴族に課せられていた責務というものを小馬鹿にし、愚かしい理想に夢想する金髪の孺子一党に対しては“人間の盾”という策が有効的らしいからな」

 

 ワーレンが手をこまねいているのは、レーデルたちが旧軍務省を制圧すると省内にいた職員や周辺にいた民間人を拘束して数百人の人質にとって牽制しているからであった。そのために、ワーレンたちは歯噛みしながら対応に苦慮しているというわけである。

 

 貴族連合残党は結成時から、いつか打倒すべき対象としてラインハルトの構築している新秩序を研究してきた。その結果、常勝の英雄である主君に対する実戦派軍人の絶対的忠誠、自由と生命とを保障する急進的改革に対する大衆人気のふたつがローエングラム体制を支える強力な二つの柱であり、専制というよりは軍事独裁の彩色が極めて強い秩序であると結論づけた。

 

 そしてこのふたつの柱は本質的に反発しあう要素が多く、両立させるのは容易なことではない。そこにこそ、つけ入るべき隙があると貴族連合残党における事実上の指導者ジーベック中佐は判断した。そして民衆の自由と生命とを、ローエングラム体制が保障することになっている以上、“人間の盾”は時間稼ぎをする際に非常に有効な術策であるとした。

 

 だがそうしたジーベックの解説はレーデルにとっては理解に苦しむものであった。というのも、叛乱分子が人質をとっていても、あまり頓着せず殲滅するのは帝国軍における治安戦の伝統であり常識であったからである。皇祖ルドルフの唱えた理論によれば、どの程度の人質がとられていようが、そのためだけに現場の帝国軍将兵を危険に晒し、彼らが守らんとする国家の威厳と名誉を傷つけるような理不尽がまかり通ってたまるか、というのである。

 

 治安を維持する上で人質をとられて躊躇するような惰弱さを発揮すれば、叛乱分子に“民間人を人質とすれば身を守る盾となり要求を通らせる矛になるのだ”という間違った幻想を抱かせ、仮に現在の人質を救出できたとしても、将来的により多くの人間を危険にさらすことになりかねない。ゆえに惰弱な銀河連邦ならいざしらず、剛健なる銀河帝国の世においては、軍は一切動揺せずに断固たる姿勢をとって、人質などとっても無意味であることを全宇宙に知らしめるためにも容赦なく叛乱分子を粉砕すべきである。そのほうが未来における犠牲者に減らすことに繋がるというのが、その理由であった。

 

 人道的には最悪の非情な理論であるが、連邦末期に生を受け、秩序を乱す凶賊匪賊が跋扈する世界を生き、それらと戦い続けてきたルドルフにとっては明解極まる人類社会の真理であり、彼が創始したゴールデンバウム王朝の世においては全肯定されてきた理論であった。だから歴代の銀河帝国の世においては人質の民間人を巻き添えで殺してしまっても、その遺族に対して「運が悪かったですね」という趣旨の通知が当局から届くだけで済まされてしまうのが常であった。

 

 そしてその理論の信奉者であるレーデルにとって民間人を人質にするというのは愚策にしか思えない。たとえば高位の王侯貴族や重要な顕職に就いている者を人質とするのなら、まだ話はわかる。そういった国家の上層部に位置する者達であれば、多少の損害を被ってでも人質を救出しよう。だが、国家にとってたいして重要でもない数百人程度の人質で攻撃を躊躇するなどありえようか。少なくとも自分が逆の立場であるなら容赦なく人質ごと殲滅するのだがとワーレンが部下を引き連れてやってくるまで半信半疑だったのである。

 

 だが、意外にもただの人質がちゃんと役に立ったので、レーデルとしては新鮮な驚きと金髪の孺子一党への軽蔑を覚えたものである。このような愚策に翻弄されるとはなんという精神的惰弱ぶりであろうか。金髪の孺子も現実というものを知らぬ。ジーベック中佐が「あいつらは貴族特権廃止とか、農奴解放とかいろいろ綺麗事をほざいているが、要約すれば銀河帝国の臣民すべてを今までの貴族のように庇護するという意味だ」というのは正しかった。なんという土台無理なことに挑戦しようとしているのだろうか。それをやったために、犯罪が繰り返された銀河連邦の混乱であるということを連中は学校の授業で教わらなかったのだろうか。歴史から学ばない下賤な奴らはこれだから哀れである。

 

「だからこのような人質をとるような卑劣なことを続けるというのか」

「卑劣か。まあ、たしかに卑劣なことだが効果的だし、他になにか有効な対案がないなら俺としてはこの策を貫徹するのみだ」

「……罪なき無辜の民を人質にとるのは業腹だが、しかたがないか」

 

 対案があるわけでもなかったので、不満をあらわにしながらもレルヒェンフェルトは諦めた。それに人質になっている無辜の民のことを思っての発言ではなく、“人間の盾”という卑劣な方策自体が貴族として好ましくないことであるから不愉快なのでやめたいだけであって、人道面や道徳面での配慮からでた発言ではなかったので、それが尊重されないとあれば軍人としての合理的意識に従うことを選んだのである。

 

 だが、レルヒェンフェルトの貴族意識からでた発言が、近衛中尉とは異なる場所にあるレーデルの貴族意識を刺激したらしい。レーデルはやや苛立ちを滲ませて口を開いた。

 

()()()()()()()とは耳を疑う発言だな、中尉」

「は? なにがです」

「言葉通りの意味だ。人質になっている連中に罪がないとは笑わせる」

 

 腹立たしそうにレーデルは自己の信じる理論を披瀝した。

 

「帝国の国家体制を揺るがすような所業は大罪であり、ここで働いていた以上、人質になっている連中は金髪の孺子の手先となった叛逆者にして思想犯どもだ。処刑されても文句は言えぬし、宮廷の意向により御恩情を賜ったとしても、市民権を剥奪され堕落した思想と道徳の再教育のために矯正区送りは絶対に免れ得ぬ。であればどのように扱ったところで問題はなかろう」

「無辜の民衆はろくに考えず己が欲望に忠実なもの、ラインハルト・フォン・ローエングラムの華麗さに目をくらむのもある程度は容赦してやるべきだ。平民が無知であればこそ、選ばれた貴族が無辜の民を導くのではないのか」

 

 レルヒェンフェルトの言葉はゴールデンバウム王朝下における貴族の一般的認識であった。ゴールデンバウム王朝の公式史観では、銀河連邦末期の混乱は優生学思想にもとづく人類が種として弱体化していたことに加え、共和主義思想に汚染された政治家の政治的無知無能さに原因があったとしている。それは偉大なるルドルフが“統治者となるべき優秀な遺伝子の所有者を特定し、集中的な教育・訓練を幼少期から施すことで国家を背負っている責任感を持つ有能な統治者を育成する”という大義名分を掲げて貴族階級を創設したことに由来していた。

 

 それにレルヒェンフェルト自身が爵位はあっても下級貴族といっていい武門の家柄出身者であったこともあってか、ラインハルトのカリスマに若干魅せられており、ローエングラム体制が推し進める開明改革のために友人知己が酷い生活苦に陥らなければ、ノイラートの誘いに乗ってクーデターに参加することもなかったろうと思っている。貴族である自分でこれなのだから平民なら猶のことだろう。ゆえに今回に限ってはラインハルト側に与した平民に対しても寛大な姿勢をとるべきであろう。

 

「卿の見解どおりであるにしても、連中が咎人(とがびと)であることに違いはない。ならそれを盾として活用し、己が罪業を贖わせる機会を与えてやるのに、いったいなんのためらいが必要か」

 

 リッテンハイム侯爵の私設軍向けの軍需品を生産するためにラナビア矯正区で思想犯に過酷すぎる強制労働を強い、その功績をもって男爵位と領地を手に入れた“死の惑星領主(トッド・プラニィツベゼッツァ)”らしく、レーデルは犯罪者の生命を危険に晒すことを問題とすら考えていなかった。

 

 ゴールデンバウム王朝の身分秩序を信奉するレーデルからすると、現状を平然と受け入れている帝都民衆にも大きく問題がある。簒奪者であることを差し引くとしても、支配される立場の平民が熱狂的に皇帝を支持しているなど大罪にもほどがある。民意にとらわれないことが最大の長所である専制政治においては、専制君主が民衆に熱狂的に支持されるというのは嫌が応にもその最大の長所を殺すことにつながる。なぜなら民衆の期待に沿わぬ行動を起こすと民衆が身勝手にも裏切られたと暴動を起こすからだ。

 

 はるか古代の専制君主が大胆な国政改革を実施した際、民衆が改革を批判した場合は当然として、改革を支持することを表明した民衆すらも弾圧したという逸話がしめすように、方向性がどのようなものであろうとも専制国家においては下賎な平民風情が政治にかかわろうとすべきではない。それは選ばれた貴族階級の仕事である。平民どもは皇帝や貴族に敬意を示して特権階級に奉仕する義務を果たした上で、政治にかかわらず慎ましく平穏な生活を過ごしておればよかったのに、それを彼らは拒否したのだ。

 

 だからゴールデンバウム王朝復興のために貴族が行動するにさいして、民間人を巻き添えで死なせてしまって何の問題があろうかと本気で思っていた。仮にそれで死んだとて、五〇〇年前、ルドルフ大帝をはじめとする責任階級にろくに行使しなかった政治的権利を預け、五〇〇年間貴族が宮廷で演じてきた宮廷闘争とは無縁に平穏を謳歌するという特権を子々孫々にいたるまで享受してきたくせに、いまさら「自分たちは貴族に支配されてた」「無能な貴族をゆるすな!」と主張しだした自業自得でしかない。平民どもは思いあがった行為に対する代償を支払うべきだ――レーデルはそう確信している。

 

 自由惑星同盟のような民主主義的価値観、あるいはフェザーンのような商売主義的価値観で育った者達からしたら論外な理屈であるだろう。しかし良きことにせよ悪しきことにせよ、先祖の行動によって定着した地位身分が子孫に継承されるのが至極当然である専制主義的価値観だと容易には否定できないほど筋が通った理屈でもあった。

 

「これ以上、卿の信じる論理に反論しようという気はないが……効果的であるにしても、われら貴族が下賎な平民を盾にして籠城を決め込むというのは、滑稽すぎて後世の笑いものになるのではないか」

 

 納得がいかないとそうぼやくレルヒェンフェルトに、レーデルは内心で深く同意した。金髪の孺子一党が、秩序を維持する役目を担う統治者としての責務に忠実であったのなら、このような滑稽なことにならなかった。無論、それは叛逆側にとっては秩序より人命を優先する馬鹿げた方針を嘲弄すべきであったが、そのためにこういった政治的事件の場では何の価値もないはずの平民に盾としての価値が発生しているというのは、なにか冗談の類のようにレーデルは思えてならなかった。


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