リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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皇后恩賜病院銃撃戦

 近く帝国軍が再び同盟領に大遠征を行う予定であるという情報を旧貴族連合残党勢力に提供したのは秘密組織であるが、作戦発動前に派遣していたハイデリヒ保安中尉を帰還させ、かわりにオットー元少佐を交代要員としていた。

 

 これはハイデリヒの疲労が看過しえないようになってきたためであるとゲオルグはジーベックとオットーに説明したが、その実、秘密組織指導者のゲオルグは連合残党の蜂起を失敗させることによって帝国の影響力を拡大させる方針をとることに決めていたため、ハイデリヒをそのための生贄とするには惜しいので手元に戻し、同盟が完全に滅んだ後の展開を考えるとラインハルトに強烈なまでの殺意を抱くオットーは面倒なので代わりに派遣して在庫処分してしまおうという判断によるものであった。

 

 しかしオットーのほうも自分の立場に対する嗅覚が鋭かったものだから、バーラトの和約が結ばれた頃よりゲオルグが自分のことを邪魔者扱いしているという印象を薄々感じ取っていた。もとよりラインハルトに対する鉄砲弾としてゲオルグが自分を取り込んだことは承知済みだし、急激な情勢変化の末、ローエングラム王朝が全宇宙を統治する未来がなかば確定化してしまった以上、ローエングラム体制への融和へと考えを変えつつあるのだろうと察していた。

 

 だが、それでも連合残党に情報提供をしたわけだから、少なくとも現時点ではラインハルト排除を諦めきってはいないのだろうと考えていた。オットーは職業軍人であったから、作戦に協力する以上は成功を期待してのことであるというのが常識的判断であって、失敗を前提に作戦を展開させるなどという思考は持てなかったのである。ゆえにオットーはゲオルグの悪辣な真意までは見抜けず、貴族連合側に派遣されるのはラインハルトへの復讐を果たす上で良い傾向であるととらえ、むしろその決定を歓迎していた。

 

 そんなオットーに貴族連合残党より与えられた任務は二つである。ひとつは軍士官の姿で首都防衛司令部近辺に潜伏し、自爆テロで司令官のケスラーが死んだか確認し、万一生存しているようであれば一命にかえて暗殺することであった。これはターナーやラフト少将の情報操作によってケスラーは生死不明の重傷であると判断、そのことを携帯電話でワイツに報告して判断を仰ぎ、問題なしとされたので、もうひとつの任務を果たすべく行動を開始した。

 

 帝国軍人に変装した二〇〇人前後の工作員を率いてオットーはジークリンデ皇后恩賜病院に急行した。この病院はゴールデンバウム王朝の中興の祖として名高いマクシミリアン・ヨーゼフ二世の皇后ジークリンデが、民間衛生改善政策のために多大な支援して設立されたという歴史を持つ伝統ある病院である。しかしオットーはそんな歴史に微塵も関心がなかったので、病院前に立っている銃を携帯した皇妃像には目もくれずに病院内に入り込んだ。

 

 いきなりやってきた軍人たちに病院の関係者たちが驚愕したが、オットーは受付で機密を預かる高級職員を呼び出し、紳士的態度で嘘偽りの説明をした。「軍の一部に不穏な動きがあり、自分達は上からの命令でここに入院しているワーレン上級大将を護るために来た。我が部隊の大半は病院を警備し、私以下十数名が病室で警備する」というのが、その内容だった。丁寧な口調であったこともあって高級職員はその説明をすっかり信じ、ワーレンの病室の位置を告げ、兵士らが病院を包囲するのを黙認した。

 

 病院の職員に案内されて廊下を歩いている途中、オットーは胸に湧き上がる憎悪を抑えるのに苦労した。ワーレンにも彼は因縁があった。リップシュタット戦役において、オットーに良くしてくれた恩人のロッドハイム伯爵は、ワーレン提督麾下の艦隊との戦闘によって戦死していたからである。無論、それは戦争の常であるし、ラインハルトのような卑劣な行為で故郷を滅ぼしたわけでもないのだから、普段はそれほど意識しているわけではない。しかしそれでも戦場で恩人を殺した敵をまったく恨まないといえるほどオットーは割り切れる人間ではなかったし、ワーレンを殺せと命じられれば個人的な恨みも一緒に晴らしてやろうと憎悪の炎が胸の中で燃えあがるのはいかんともしがたかった。

 

 そんな個人的憎悪もあって、三階の離れにあったワーレンの病室に辿りつくとろくにまわりを確認せずにオットーは即座にブラスターを抜いて医療ベットのふくらみを銃撃した。突然の暴挙に案内役の職員が驚きの悲鳴をあげたが、オットーはまったく変化がない布団に違和感を感じ、かすかになった物音を聴覚がとらえると、歴戦の軍人らしくほとんど無意識に案内役の職員を物音が聞こえた方角へ押し出した。その職員は光条に貫かれて即死した。その光景を視認するとオットーは素早く物陰に隠れた。

 

「気づいてやがったか!!」

 

 物陰に隠れながら光の発生源を辿るとそこには左腕がなく患者服を着ているワーレンと他四名の軍人がブラスターをこちらに向けていた。オットーは知らなかったが、その軍人たちの正体は上官の見舞いにきていたワーレンの副官ハウフ少佐とその部下たちである。

 

 見舞いを終えてハウフは帰ろうとした時に病院の窓から兵士たちが慌ただしく動いていることに疑問を抱き、念のため携帯通信機で連絡をとろうとしたが、通信が強力な妨害電波のために繋がらなかったので、なにか異変が起きていることを察知したのである。ハウフはワーレンの病室に戻って状況を報告すると、ワーレンは病院側に事態を知らせるべきだと判断した。しかしそうする前にオットーが大量の部下を引き連れてやってきたので、自分の生命を狙っている可能性を考慮して、医療ベットにあまりの布団を丸めたダミーを突っ込んだ。もしそれに向けて発砲したら間違いなく自分たちの敵であるのは疑いないから反撃しよう、というわけであった。

 

 病室はそれなりに広く遮蔽物となりうるものが少ないので、数の優位を持ってもなかなか接近できなかった。病室の反対側にも出入口と思しき扉があるのが見えたので、一緒に来ている工作員の半分に反対側に回り込むように命じたが、五分ほどで「そんな出入口は見当たらなかった」と戻ってきた。それも当然でその扉の向こうにあるのはバスルームで、出入口などではなかったからである。

 

 しかし病院の設計図を把握しているわけでもないオットーはそれを高級士官の治療室にのみある秘密の脱出路であると勘違いした。病院から抜け出してしまわないように周囲に事前配置した工作員を連れてきて数の圧力でワーレンをおいつめるという決断はできなかった。自ら包囲を解くようなマネをすれば、その隙をついてワーレンが秘密の脱出路を使って病院から逃げ出してしまうのではないかと危惧したのである。よって相手の様子を伺いながらチマチマと銃撃戦を行うしかなく、オットーは苛立ちを感じずにはいられない。

 

 一方のワーレンは苛立ちどころの話ではなかった。現状況がまったくつかめていないのである。一部の者達が自分を暗殺せんとしているのか、それとも大規模なクーデターなのだろうか。いずれにせよ、帝都警備の責任者であるケスラーが後手に回るほど周到な首謀者がいることは疑いない。一瞬、そのケスラーこそが首謀者であるという考えが浮かんだが、彼の誠実な人柄をワーレンは良く知っていたのでそれはありえないことのように思われる。では、いったいだれが首謀者なのか。

 

 それにオットーは自分達の兵の数が少ないことに苛立っていたが、ワーレンからすればそれでも四倍以上の武装した兵士を相手に突破できると思いあがれるほど自惚れ屋ではなかったから、このままではどれだけ抵抗しても殺されるのは時間の問題であることを理解していた。療養中の上級大将の胸の内は疑念と焦燥でいっぱいであった。

 

 ワーレンたちは徐々に追い詰められていったが、兵士の一人が射殺され、ハウフが右肩を負傷したところで、病室での戦闘は中断を余儀なくされた。慌てた様子で一人の工作員がやってきて鼻息荒く乱入してきたからである。自分を呼ぶ声が聞こえ、オットーは銃撃戦を継続しながら叫んだ。

 

「なんだ!? 小さくて聞こえん!」

「は? で、ですが……」

「かまわんから大声で報告しろ!!」

「はっ! 警官どもがこの病院に襲撃してきました。いかがしましょう!?」

「なんだと?! 数は?」

「およそ二〇〇から三〇〇!」

 

 こちらと同数かそれ以上ではないか! オットーは迷った。このまま銃撃戦を継続すれば外の敵がやってくる前にワーレンを殺すことができるだろう。だが、その間に警官隊に包囲されて逃げられなくなってしまうかもしれない。ワーレン暗殺の任務を優先すべきか、任務を放棄してでも自己保身を優先すべきか。

 

 しかしオットーはすぐに結論を出した。たしかに恩人であるロッドハイム伯爵の仇ではあるが、まっとうな戦いの結果である。自分の生命をなげうってでも殺したいというほど憎いというわけでもない。それに自分はあの豪華な厚化粧で本性を覆い隠している独善的な金髪皇帝様を地獄に叩き落してやりたいだけなのだから、その臣下を殺す任務を過剰なリスクを抱えてまで遂行しなくてはならない義理はどこにもないのだ。

 

「撤退! 撤収だ! 外の者達には適当に警官どもを牽制しつつ各自帝都より脱出すよう伝えろ!!」

 

 そう命令されて報告しに来た兵士は駆け足で去っていったが、命令した本人であるオットーらはそう簡単に病室から抜け出せなかった。状況が好転したことを察したワーレンたちが防衛のための攻撃から援軍が来るまで足止めのための攻撃に変えてきたからである。どうせ大した報告ではないだろうと高をくくり、大声で報告しろなどと言ってしまった自分の浅慮をオットーは悔やんだ。

 

「卿らは何者だ? 金髪の孺子一党に対する義憤に燃えた者達であろうが。帝室より賜った数々の恩顧に報いるためにも、命を賭して逆賊ワーレンめを殺せ!」

 

 部下を焚き付けるために心にもないことをオットーは命令したが、いまだゴールデンバウム王朝に対する忠誠心から動いている者達に与えた影響は劇的であった。彼らは己が生命を顧みず、ワーレンを殺すべく突貫していったのである。

 

 その隙にオットーは病室から出た直後、首筋に激痛が走った。ブラスターの条光が首筋を掠めたのである。既にワーレンを救出に来たのであろう警官部隊の一部が、病室前の廊下までやってきていたのだ。ただまだ距離があったので、条光が掠めただけで死なずにすんだのである。

 

 すぐさま廊下の脇に身を隠し、オットーは応戦した。しかし警官の数は三人ほどだが、奥で条光が飛び交っているのが視界に入るところを見ると、近くではまだ銃撃戦が続いているのだろう。

 

「クソッ、死んでたまるか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺はあの偉そうに玉座にふんぞり返っている金髪の孺子を殺さねばらないのだ。あの華麗な虚飾を剥いでやらねばならないのだ。奴の為に見捨てられた故郷のため、奴の為に失ってしまった家族のため、奴に復讐しなくてはならないのだ! そのためにこそ手段を選ばず生き残り、生き恥を晒し続けているんだ! であればこそ、こんな場所で死ぬわけにはいかない!! 死んでいった者達のためにも、思い知らせてやらねばならないのだッ!!

 

 オットーは廊下に設置されていた蓄圧式消火器を手に取って敵側の宙に放り投げ、ブラスターで消火器を的確に撃ち抜いた。圧力保存されていた中の消火剤が一気に無秩序に放出されて、煙幕の役割を果たす。視界を奪った隙にオットーは窓を割って外へと飛びおりようしたが、背後から銃撃を受け、飛び降りるというより落下という表現が正しい落ち方をした。

 

 落下の衝撃で全身から鈍痛を、光条が貫いた右胸からは激痛が走った。しかしそれでもオットーは何事もなかったかのように立ち上がった。常人であれば意識を手放しかねない重傷といえたが、心の底から湧き上がってくる漆黒の情念が、体中の痛覚が訴える激痛を無視させた。事件がひと段落するまでは逃走する自分の追跡は後回しにされるだろうと冷静に計算し、オットーは生き延びるべく帝国軍に扮した工作員部隊が警官部隊等と激突している最中に現場から走り去っていった。

 

「特殊対策部第二戦警中隊所属のヘス巡査長であります。ワーレン上級大将閣下、閣下はご無事でしたか」

「ああ、私は大丈夫だ」

 

 三階廊下を制圧し終えた警官部隊の指揮官の巡査長が自分の安否を問う声に、ワーレンは答え、重傷を負った自身の副官の手当を求めた。巡査長はハウフの受けた銃創を見て眉をひそめた。ここが病院であるからすぐに治療されて死ぬことはないだろうが、この位置を貫かれたのでは後遺症が残るかもしれないと直感で感じたのである。

 

「卿らはいったいだれの指示で動いているのだ? 私は先ほどまで素直に療養していたものだから、状況がさっぱりなのだ。説明してほしい」

「……そういった点につきましては、私より中隊長のジュトレッケンバッハ警部補にお聞きした方がよろしいかと」

 

 受け取り方によってはひどく無責任に聞こえるヘスの返答であったが、「賊を討伐する」という名目で中隊が動いていることしか知らず、現在の情勢というのをほとんど理解していなかった。ただ上官の命令を受けてその通りに行動すればそれでいい。そういう思考なのである。

 

 これはヘス巡査長に限ったことではなかった。帝国警察は諸事情によりあまり改革がすすんでおらず、首都直下の部隊であってさえ、旧王朝時代の末端には絶対服従を求める組織的悪弊がいまだ健在であった。ゆえにヘスとしては、なんでそんなややこしいことを下っ端の自分に聞くんだという不満を感じたほどである。

 

 ヘス巡査長の態度から、あまり詳しいことをこの巡査長は知らないのだろうとワーレンも理解できたので、上官のジュトレッケンバッハ警部補のところに案内するよう命じた。ヘス巡査長はその命令にはかけらの反発も見せず、部下たちに周囲の警戒するよう告げ、自らは案内役をした。

 

 病院前で現場指揮をとっていたジュトレッケンバッハ警部補は救出対象である片腕の上級大将が部下のヘス巡査長に連れられてやってきたという報告を受けるとホッと胸を撫でおろし、ついで心の内で歓喜の雄叫びをあげた。救出対象が帝国軍の宿将であり、クーデター勢力を掃討する重要な存在であったこともあるが、個人的な事情もあった。

 

 別に彼個人がそうありたいと望んでいたわけではないが、元特殊対策部長シュヴァルツァー元警視長に手腕を高く評価されていたためにジュトレッケンバッハはローエングラム独裁体制成立後に台頭した元ハルテンベルク派の警察上層部から“ゲオルグ派”であると認識されてしまい、帝都郊外の戦警部隊長として冷遇され、出世への道はほぼ閉ざされているような状態であったのだ。

 

 ゆえにかような非常時であっても、今回の功績は彼個人の未来を暗く覆う暗雲を吹き飛ばす役割をはたしてくれるに違いない。ましてや自分を冷遇していた連中は首都防衛軍によって拘束されているというではないか。この一件が終われば元ハルテンブルク派の鼻を明かすことができるぞとジュトレッケンバッハが喜ぶのも無理からぬことであろう。すぐさまワーレンと面会した。

 

「御無事で何よりです、ワーレン閣下」

「ああ、それで卿らはいったいだれの下で動いているのだ? それに私がこの病院で療養しているのは機密の筈だが」

「現在、クーデター勢力によって警察総局が制圧されているため、本官の独断で内国安全保障局の指揮下に入っております」

「内国安全保障局か……」

「左様です。そしてワーレン閣下がここで療養していることについては内国安全保障局がオスマイヤー内務尚書閣下より情報を提供されたので、内国安全保障局より救出するよう命令を受けました」

「つまり卿らの代表者はオスマイヤー閣下ということか」

「その解釈で問題ないであります」

 

 ワーレンは地球教本部制圧後の統治に関する問題点に関する議題で、出征前と出征後に直接顔をあわせて地球統治について討議していたので、オスマイヤーが信頼できる人物であるとわかっていたので、ワーレンは万一を思って解かずにいた警戒をやや緩めた。

 

「わかった。それで敵はだれで、現在の情勢はどうなっている? 話を聞く限りクーデターということらしいが、ケスラーのやつは……首都防衛司令官のケスラー上級大将はなにをしているのだ。内国安全保障局が味方についているのであれば、ある程度現状を理解していると思うのだが」

「なにぶん情報が錯綜しておりますので確証があるわけではありませんが、内国安全保障局の調べによると近衛部隊と貴族連合残党勢力による合作クーデターとのことです。ケスラー上級大将については首都防衛司令部が爆破されたとかで生死に関する情報が飛び交っており、生死すらつかめておりません。そのため、近衛司令部は首都防衛司令部の機能不全を理由として特例規則を適用し、首都防衛軍の指揮権を掌握。憲兵本部はまとめ役を欠いて右往左往するばかりというありさまでして、帝都内の軍人の大半が合法的な治安活動命令という近衛司令部の名目を信じてクーデター側に与しているという状況にあると聞いております」

 

 むぅ、とワーレンは思わず呻いた。これは想像以上に厳しい状況にあるといってよい。特に首都防衛司令部が壊滅状態に陥り、首都防衛軍がクーデター側に掌握されているのが最悪だ。これに対抗できるような地上兵力は憲兵隊しかいないが、話を聞く限り、その憲兵がまとめ役を欠いたことで右往左往しているのではまとまった兵力として活用できるか怪しいものであった。

 

 ワーレンはどのように行動すべきかとっさに判断がつかなかったが、とりあえず指導部と合流して情報共有をはかるべきではないかというジュトレッケンバッハの助言を聞き入れ、警護兼案内役の警官隊をつけられてオスマイヤーたちが潜伏している隠れ家へと向かった。

 

「ワーレン提督、君は無事だったか」

 

 隠れ家でオスマイヤーは明るい表情でワーレンを迎え入れ、現在の情勢を説明した。隠れ家に他に十人前後の内務官僚の他は、ほとんど内国安全保障局の職員であって、かすかに警官や軍人が混ざっていた。どうやら内国安全保障局は軍部の制圧から逃れることに成功したらしい。

 

 なぜ内国安全保障局は無事だったのか詳しい経緯をワーレンが聞き出すと、謎の密告があったために内国安全保障局が反動クーデターの可能性を察知して警戒を強めていたので、クーデター初動の段階で組織保全と重要人物の確保に動いた結果であるそうだ。とはいえ、時間があまりなかったので、救出できたのは内務省の高官十名程度に過ぎず、その手際の悪さに文句のひとつでも言ってやりたい気分に襲われたが……。

 

「初動の段階で気づけすらしなかったら私は賊どもの手にかかっていたのだ。内国安全保障局の対応に感謝する」

「あ、ありがとうございます」

 

 内国安全保障局次長クラウゼ保安少将は慇懃に礼をした。オスマイヤーみたいに不満のひとつでもぶつけられることを覚悟していたので、その自制心に感心したのである。

 

「それでは対抗策について話あっていくとしましょう」

 

 カウフマンがそう言って部屋の中心部にある机に案内した。机の上には帝都の地図があり、内国安全保障局の局員たちが収集した情報から分析した部隊の位置が示されており、ピンによって張り付けられているメモ用紙に詳細な部隊情報――その舞台に情報提供者が何人いるかなど――が記されていた。

 

「ケスラーがいないとなると、帝都内はクーデター派の天下になっているはずだ。いったい、どのようにして対抗していくつもりか」

「そのことだが、君の権威でどうにかならないだろうか」

 

 ワーレンはオスマイヤーが言っていることを咄嗟に理解できずに眉を潜めた。それを察して、捕捉する形でクラウゼが説明をした。

 

「皇帝陛下の信任厚い歴戦の宿将、上級大将としての権威です。我が局員たちが収集した情報によると、ほとんどの将兵は近衛司令部の戒厳令がこの体制を守護するものであり、ひいては皇帝(カイザー)ラインハルト陛下の御為であると信じて行動しております。そこに陛下がまだミューゼルの性を名乗っていた頃からの付き合いである閣下が説得にあたれば、寝返るとまではいかないかもしれませぬが、近衛司令部の命令に不信感を抱く者達が多数出てくるでしょう。とりわけ、爆破テロで司令部を失った混乱故に近衛司令部の命令に服している首都防衛軍の将兵を説得できる余地は充分にあると考えます」

「なるほど。クーデター派も陛下の御威光を利用している以上、奴ら自身のみでは将兵の共感を得られるだけの正統性を構築しえないことを示唆している。つまりそこに付け入る隙があると卿は言いたいのだな?」

「はい。そしてそれで取り込めた部隊を用いて近衛司令部を制圧し、首都防衛軍を本道に立ち返らせることができれば、だいたいの問題は解決するかと」

「いや、それはやめたほうがよいな」

「なぜでしょうか?」

 

 ワーレンはすこし歩きながら地図を眺めながら考えを整理すると、口を開いた。

 

「近衛司令部がクーデターの指導部と化しているというのなら、近衛部隊全体が敵だ。そうでなくても心からクーデターに与している者達が圧倒的多数派を占めている間違いない。そうでなくては近衛将校から情報が洩れ、嘘偽りの大義で誤魔化しとおすことなど到底かなわない。となると近衛を制圧できるだけの部隊を説得するにはけっこうな手間だ。それに憲兵隊の目すら欺いてこれほどのことをクーデター派が、私が各部隊を説得していくのに気づかず、黙って見過ごすような無能者どもばかりとも考えにくい。そうなると一挙にクーデター派の思惑を根底から覆すような策をとるべきだ」

「で、では提督は寡兵であれど現有戦力で近衛司令部を直撃すべしというのかね!? たしかに近衛司令部で騒動が起きれば、騒ぎを聞きつけて多くの部隊がやってくるだろうし、それでクーデター派の虚偽を破砕することができるかもしれないが……」

「リスクの高さを懸念してオスマイヤー閣下は言いよどまれるのでしょうが、それは無用の心配です。私が言いたいのは将兵への説得を一挙にできないかということ。そのために重要な施設を確保したいということです。そこに配置されているクーデター派の兵力がここに記されている兵数だというのであれば、近衛司令部を直撃するよりかはごく小兵力ですむ――」

「失礼します!!」

「――どうした?」

 

 いきなり入室してきた兵士に話を遮られたワーレンは一瞬だけ不快な表情を浮かべたが、面と向かいあっていたオスマイヤー、クラウゼの二人以外には気づかせないうちに表情を取り繕って穏やかな声で問いかけた。

 

「ラフト少将がジークリンデ皇后恩賜病院にやってきました。ワーレン閣下にお会いしたいとのことですが、いかがしましょう」

「ラフトがか!?」

 

 思いがけぬ人物の名にワーレンは表情に喜色を滲ませ、オスマイヤーとクラウゼは降ってわいた朗報に顔を見合わせた。その反応を怪訝に感じたカウフマンが不思議そうに首を傾げて自らの上司に小声で問うた。

 

「すいません閣下。ラフト少将とは?」

「おまえ、なんで覚えてないんだよ……」

 

 ジト目で睨みつけてくるクラウゼからあきれた口調でそう言われて、カウフマンがなにかを必死で思い出そうとする仕草をした。しかし数秒して心当たりがありませんとのたまったので、クラウゼは心の底からため息をついた。

 

 他の幹部たちの間でも話題になっていることなのだが、なぜカウフマンは内国安全保障局幹部としての地位を得ているのか疑問だ。命令されたことを手早く処理する手腕はたしかにあるのだが、いろいろと抜けている彼の性格はあまりにも秘密警察官に向いていないように思われるのである。ラング局長が高く評価して抜擢した人物なのだから無能ではないはずであるが……。

 

「キュンメル事件のときに地球教のオーディン支部を制圧した武装憲兵部隊の指揮官だ。本当に覚えてないのか」

「あ、そういえばそういう人物がいましたね。たしか資料で名前を拝見した記憶があるような、ないような」

 

 内国安全保障局の一幹部の適性について、ナンバー・ツーである次長は深刻な疑義を抱かざるをえなかった。秘密警察官二名が妙なことでもめている間に、オスマイヤーが報告に来た兵士にラフトをここに連れてくるように命じた。オスマイヤーの記憶が正しければ、ラフトは今日の首都防衛司令部の会議に出席していたはずであり、ケスラーの安否を確認することができると期待したからである。

 

 その期待は正しく、隠れ家にやってきたラフトはケスラーが生存しており、現在は財務官僚のターナーを中心とする一派と民間人有志――ターナーは元共和主義活動家であるので内国安全保障局の面々が少なからぬ不快感をしめしたが、民間人有志の代表格がヨブ・トリューニヒトであるということについては程度の差はあれど全員が露骨な嫌悪感をしめした――によって匿われていること。そしてターナーの意向でケスラーの身の安全を重視して隠密裏の首都防衛軍の切り崩し工作を行なっていることを説明した。

 

「首都防衛司令官のケスラー閣下が生存しており、なおかつ万一のことを考えて共和派の連中がケスラー閣下の行動を束縛しての安全策に固執しているとなると、ワーレン閣下の仰るとおりの方策をとったほうがよいでしょうな」

 

 クラウゼが覚悟を決めた様子で問いかけ、ワーレンは重々しく頷いた。

 

「ああ、惑星全域に強力な妨害電波をとばせるような施設など、旧軍務省報道部の施設しかありえない。ここさえ奪還してしまえば、ケスラーの演説を帝都中の立体TVで放送できる。それで首都防衛軍は自分たちがクーデター派の偽命令に踊らされていることを自ら悟るだろう。そうなれば、このクーデターは終わりだ」


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