リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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官庁街制圧

 民政省にブロンナー大佐率いる連隊所属の部隊が、文官たちを捕縛するべくやってきたのは九時四〇分頃であったとされる。彼らはビーム・ライフルをかまえて省内に突入し、突然の不穏なものものしい雰囲気に圧倒されてかたまった職員たちに銃をつきつけ、抵抗すれば殺すと脅して省前の広場に連行していった。職員たちは状況が理解できずに説明を求めたが、軍人たちは硬い表情を崩さずになにも答えなかった。不安を紛らわすために他の職員と意見を交わそうとするものもいたが、それを脱走ないしは抵抗の相談をしているとみなした下士官が怒鳴り声をあげ、場合によっては暴力をふるって中断させたため、不安は募り続けた。

 

 多くの職員は恐怖から沈黙して軍人たちの指示に従ったが、開明派の中でも強硬的なカール・ブラッケ民政尚書を中心とした勇気ある一団は、銃による脅しにも恐れずに不当な扱いに抗議し、末端では話にならないから上官を出せと食ってかかり、軍人たちの指示に従おうとしなかった。ブラッケのグループを取り込んでいる軍人たちはどうしたものかと顔を見合わせた。あまりにも抵抗するようなら多少は殺してもかまわんと命令されてはいたが、尚書を殺すのが“多少”の範疇におさまるとも思えなかったからである。

 

 どうしていいかわからなかった彼らは上官に報告し、その上官もまたどうしていいかわからなかったのでさらにその上官に報告するということを繰り返し、連隊司令部にまで報告があがった。義眼の連隊長は銃床で殴りつけて強引に引きずればいいだろうにと現場の軍人たちにあきれつつも、事態を処理するために民政省に居座っている生意気な開明派官僚どものところへ足を運んだ。

 

 民政省の執務室で軍人相手に口論しているブラッケたちの前に出ると、ブロンナーは機械的な冷淡さで一言告げた。

 

「近衛司令部の命令により、卿らを国家叛逆罪の容疑で拘束する。おとなしくしたがってもらいたい」

 

 その高圧的な態度にブラッケは強烈に反発した。元々ブラッケは権威や権力への反発を隠さない反骨精神旺盛な人物であり、不条理に対しては大きな声をあげる人物であった。新王朝においては新設された民政省の長として厚遇されたものの、旧王朝時代は社会秩序維持局から潜在的危険分子として警戒されていた気質はまったく変わっておらず、皇帝の意思に反対する意見を堂々と主張する硬骨漢であった。

 

「叛逆! 私がいつ国家への叛逆行為を行ったというのだ!? 明確な証拠を出してみるがいい。出せないというのなら、それは国家の威厳に泥を塗るに等しい行為だ。それを踏まえて国家への叛逆を行っているのがどちらなのか少しは考えてみたまえ! それになぜ近衛司令部の命令で首都防衛軍が動いているのか。このことをケスラー上級大将は承知しているのかね!」

 

 その真っ当な主張に対するブロンナーの返答は鉄拳だった。ブラッケの体が一瞬空中に浮くほどすさまじい勢いでブロンナーはブラッケを遠慮なく殴り飛ばしたのである。あまりにも唐突であったので、官僚のみならず軍人たちもおどろいていた。

 

「聞いてなかったのか? 近衛司令部の命令により、卿らを国家叛逆罪の容疑で拘束する。反抗するようなら容赦なく銃殺する」

 

 そういってブロンナーは腰に下げていたブラスターを引き抜き、天井に向けて数回引き金を引いて威嚇した。主観的には充分に理性的に動いているつもりであった。なぜなら叶うのであれば開明派官僚など一人残さず殺してしまってもかまうまいというのが彼の個人的な考えで、最初に警告、警告に背いても一度は殴る程度ですませてやっているのだから充分に有情的措置だろうと思っていたのである。

 

 ブロンナーにとって自由惑星同盟ひいては共和主義思想は根絶すべき絶対悪である。ラインハルトの陣営に属することを決めたのも、無能な軍の旧首脳部よりは同盟軍粉砕の力になってくれるだろうと判断したからであった。門閥貴族の専横とそれに苦しむ民衆という不公正な社会のあり方は、ブロンナーにとってはどうでもいい些事であったのである。そういった価値観に立脚していたので、いわゆる開明派なる連中を評価すべき点など宇宙のどこを探してもなかったのである。

 

 それどころか呵責なき共和主義思想弾圧こそ彼の望むところであったから、旧王朝時代に数え切れぬ共和主義者を地獄に叩き落とした実績がある社会秩序維持局を廃止したばかりか、矯正区に隔離されて無害化されていた共和主義者の多くを釈放し、言論の自由とかいう名目で民衆を洗脳する権利を与え、一部の者には官職さえ与えてしまったことから、開明派を祖国を共和主義に染める可能性を高める危険分子であるとすらみなしていた。たとえ開明派が意図していなかったのだとしても結果が同じである以上、筋金入りの反共和主義者からしたら赦せることではなかった。

 

 こんな害悪しかもたらさない連中をなぜ皇帝ラインハルトが重用しているのかはブロンナーにとって、いささか理解しかねることであった。共和主義者を容認し、皇帝を声高に批判することをためらわない連中など百害あって一利なしであろうとすら思っていた。ただ帝国軍をあらゆる点において強化し、自由惑星同盟を滅ぼして共和主義思想を歴史上の存在としてしまうためには民衆の支持と多大なる負担が必要だとは理解できたので、共和主義思想を人類社会から完璧に根絶するための条件を整えるべく、戦略的譲歩をとっているだろうと推測していたのである。

 

 なので近衛司令部の命令はブロンナーにとってそれほどおかしい命令ではなかった。もし本当に開明派がクーデターを起こしたのだというのなら同盟を滅ぼすべく出征した遠征軍に悪影響がでかねないから問答無用で速攻に排除すべきであるし、開明派のクーデターがでっちあげの事実無根であっても共和主義なる害悪思想を根絶する大事業が前進することに疑問の余地がなかったからである。くわえていえば、開明派を時を見て粛清するつもりだと信じているブロンナーからすると、近衛司令部の命令がラインハルトの意向の可能性もありうることだとすら大真面目に考えてさえいるのだった。

 

 ゆえにブロンナーの行動にためらいはなく、これ以上なにか言うようなら見せしめとしてブラッケ以下数名をこの場で射殺するつもりだった。この強硬な姿勢は話が通じる余地がないと開明派に思い知らせるには充分で、なんの武器も持たない以上、死にたくないなら不肖不肖であっても文官たちは従うよりほかになかった。

 

 このようにかなり強引な手法で民政省の職員たちを用意していた軍用輸送車の荷台に詰め込んでいき、一時間ほどで民政省内にいた幹部級職員全員を荷台に乗せ終え、マールブルク政治犯収容所への移送を命令した直後、ブロンナーは副官のリルムから好ましくない報告を受けた。

 

「オスマイヤー内務尚書が見つからない?」

「内務省制圧にあたっていた第三〇八大隊の報告によると、オスマイヤー以下十数名の高官の行方がつかめないとのこと。どうやら内国安全保障局が動いていた模様で……」

「内国安全保障局は開明派と反目しあっていたはずだ。開明派の反戦クーデターに加担したとも思えない。身の潔白を訴えれば開明派を一掃した後釈放されるだろうに、なぜそんなことを」

「どうやら内国安全保障局はわれわれ軍の動きしかつかめていなかったらしく、われわれをクーデター派だと判断して行動したようで」

「余計なことを。中途半端な仕事をしやがって」

 

 ブロンナーはそう吐き捨てた。近衛司令部の策謀によって首都防衛軍はクーデター鎮圧のために出動していると思い込んでおり、内国安全保障局は情報不足から余計なことをしてこちらの算段を狂わせているという風にしか受け取れなかったのである。すべての真相を知っていれば、いささか滑稽なことであった。

 

「いかがなさいますか、大佐」

「……報告してハイパー旅団長、いや、帝都防衛第一旅団司令部の指示を仰ごう」

 

 途中で旅団長が首都防衛司令部の会議に出席していたために爆殺されていたことを思いだし、ブロンナーは言葉を直した。副旅団長の、とは言わなかったのは、副旅団長のトレスコウ准将の能力をブロンナーが疑問視していたためであったが、そのことを指摘する者はその場にはいなかった。

 

 そう決断すると矢継ぎ早に指示を出し、現場部隊の指揮を次席指揮官に委ねると、ブロンナーは副官をともなって宰相府に向かった。官庁街の制圧が首都防衛軍の任であり、第一旅団本隊は国務省の制圧にとりかかっており、宰相府を制圧した後、ここに司令部を設置していた。副旅団長トレスコウは個人的好奇心から宰相の椅子に座ってみたいと思い、宰相執務室に旅団司令部を設置しようとしたが、幕僚たちから「不敬だ」といわれたので仕方なく一番広い会議室に司令部を設置することで妥協していた。

 

 そんなことがあったとは露知らないブロンナーは内務省内で政務を行っているはずの内務尚書オスマイヤーの行方が掴めないことを報告した。トレスコウはかすかに唸った後、軽く咳払いした。

 

「内務尚書が出張していた、というわけではないのだな?」

「われわれが動く数刻前までは省内にいたそうなので、その可能性はないでしょう。内務省を制圧した大隊からの報告を信ずるならば、内国安全保障局に動きがあったと」

「わかった。上にも報告しておこう。卿は民政・内務両省の業務掌握につとめよ」

「……はっ」

 

 それでよいのかとブロンナーは内心不満をいだいた。もしオスマイヤーが開明派・クーデター派と通じていれば、国内組織をまとめあげて組織だった反抗をしてくるかもしれず、そうなってはこの騒動が長期化し、同盟制圧の途にある遠征軍に多大な悪影響を及ぼそう。しかし抗弁はしなかった。省庁の業務掌握も重要な任務であることを理解していたのである。

 

 しかし宰相府から出た直後にやや焦り気味の声がブロンナーを呼び止めた。ブロンナーは声の主を確認して怪訝な顔をした。それは帝都第一旅団司令部の幕僚であるエーベルハルトだったのである。かつて戦場を共にした縁で二人は良好な関係を築いていたが、エーベルハルトは階級が上のブロンナーにいつも礼儀正しく接していたので、余裕がない態度に疑問を感じたのである。

 

「どうしたんだ。なにか緊急事か」

「いえ、個人的な懸念なのですが、開明派がクーデターを起こしたというのは本当なのでしょうか」

「なに?」

 

 ブロンナーの反発に満ちた疑問の声に、エーベルハルトはええと頷いた。

 

「開明派は充分な権勢がありました。なのにこのような自殺的行為にうってでるほど、開明派の思考能力が欠如しているとは思えないのです。あまりに成算がないではありませんか」

「しかし常日頃から増大していく軍事費に批判的であったし、この戦争も放っておけば同盟が自滅するし、弱体化した同盟軍に対してあんな大規模な遠征軍は過剰に過ぎると反対していたではないか。軍部の意向で陛下が即時遠征を決断したことに不満を抱いて、今回の暴挙に至ったのではないか」

「たしかにその可能性もありますが、元からあまり好かれていない開明派が帝都掌握の後、陛下はもとより遠征軍の兵士らを敵地に置き去り見殺しにした汚名を背負い、どのように帝国を支配してゆくつもりだったというのでしょう。このような手法で帝国上層部を掌握したとて、遠征から戻った兵や死んだ兵の遺族が開明派を憎むことは幼子でも推測できること。あまりに先の展望を欠く行動ではありませんか」

「……たしかにそうだが、それを承知の上でも軍の支持が強い陛下を抑えるには軍が本国を留守にした隙をつく他にないと判断したのだと俺は思う。だが、卿は違う認識をしているようだな」

 

 やや敵意ある目で睨まれてエーベルハルトは説得の困難さを悟った。エーベルハルトは近衛司令部命令に不審を感じ、ヴァルプルギス作戦発動命令の通達の一時保留と近衛司令官ヴァイトリング中将に状況を確認することを副旅団長のトレスコウに進言したのである。だが、トレスコウはその進言を無視してシステマチックに指揮下の部隊に命令を通達し、忙しくなるから近衛司令官への確認なんて無駄なことしてる余裕はないと切って捨てられたのである。

 

 エーベルハルトは貴族階級出身者であったから、貴族としてはルドルフから続いてきた帝国の伝統を積極的に破壊している開明派をあまり好ましく思っていない。だが、いっぽうでラインハルトが皇帝に即位した際に忠誠を宣誓した身である。ゴールデンバウム王朝を打倒した金髪の若者に対して思うところが多々あるが、忠誠を誓ったのは強制されたわけではなく自分で決めたことであったから、たいした理由もなく忠誠宣誓に背くことはエーベルハルトの貴族的美徳に反することであった。開明派排除がなんらかのクーデター勢力の策謀であり、自分達が知らずしてその尖兵とされるなど、貴族としての矜持が黙っていない。そんな懸念がある以上、確認作業は絶対必要のはずであった。

 

 また一個人としては敬愛した元上官クレメントが貴族に虐げられた憎悪から暴走して虐殺者の汚名を負って死んだことから、あのような悲惨極まる人生を歩む人間を二度と生み出さない世の中にしなくてはならないと強く思っていて、自分の貴族的感覚は大衆には共感されない感傷に過ぎないとしていた。だからなのか貴族将校であるにもかかわらず、過激なブラッケなどはともかくとして他の開明派連中はその程度の不満で皇帝に反旗を翻そうとするほど馬鹿ではないだろうと認識していた。彼らがかつてのクレメントのような境遇の者達の救済に熱心なのは知っている。開明派は嫌いだが、だからといって彼らが排除されてそっちの救済活動まで悪影響がでるのは望ましくないという考えがあった。

 

「はい。私は同盟の起死回生の謀略ではないかと」

 

 黒幕がだれか、というところまでは推測していなかったエーベルハルトは、ブロンナーの共和主義嫌いを知っていたので、彼が好みそうな黒幕をでっちあげた。その効果があったのか、ブロンナーの表情や声音から険しさがやや薄れた。

 

「ほう、なぜそう思う?」

「ひとつには開明派の二大巨頭の一人、財務尚書のオイゲン・リヒターが地方問題の件で地方に出張中だということ。もちろん、穏健的なリヒターと強硬的なブラッケの路線違いで仲たがいして単独で実行した可能性や帝都以外に根拠地があってそこを統括する人材が必要だったという可能性もありますが、帝都を掌握しないことには帝国全体をスムーズに掌握することはできません。本国の掌握に失敗した状態で、陛下が怒れる遠征軍を率いて本国に戻ってくればクーデターは失敗確定。クーデター側はゆえになんとしても帝都を掌握しなければならないはずなのです」

「そうだが、軍の中枢は今フェザーンに移っている。そちらの掌握に乗り出しているという可能性はないか」

「あの軍務尚書を欺いてフェザーンを掌握できるような謀略能力が、リヒター風情にあるとは思えません」

「……たしかに、そうだな」

 

 軍務尚書オーベルシュタインは公正な軍官僚であると同時に冷徹極まる謀略家である。後者の面における活動成果はその性質上公表されないことが多いというのに、あまりにも不名誉な裏ごとでの実績が多すぎたためか、ラインハルトが帝国の実権を握った二年前からすでに噂という形ではあるが、血も涙もない有能な謀略家としての悪名が全人類社会に轟いていた。

 

「そしてもうひとつ。大佐の意見とは異なりますが、この状況でクーデターが起きたこと自体怪しい。コルネリアス二世の大親征の時と同じようなタイミングでのクーデターなど、同盟にとってあまりにも都合が良すぎます。もしこのクーデターも同じ結末になるようであれば、王朝問わず銀河帝国皇帝による親征は失敗に終わる運命であると全宇宙から嘲弄されることになるのではないか。私はそれを危惧するのです」

「卿の懸念はもっともだ。しかし、ならばこそ軍が強引に秩序を再編してしまえばそれで済む話ではないか。なによりも重要なのはこの帝都がクーデター派に抑えられぬことだ。それ以外はどうとでもなる」

「たしかにその通りでしょう。ですが、いったいどちらがクーデター派なのでしょうか」

「……なんだと?」

 

 質問の意図を理解しかね、首を傾げたブロンナーにエーベルハルトは熱弁した。

 

「声を大にしては言えませんが、私は近衛司令部に同盟の工作員がいるのではないかと疑っております」

「何を馬鹿な。近衛司令官のヴァイトリング中将は能力はともかくとして、帝国への忠誠心の面では信頼できる人物だろう」

「ですが、私は気になる点があるのです。首都防衛司令部が爆破されたのでヴァルプルギス作戦を発動するというのはわかるのですが、なぜ下手人が開明派の手の者であるとわかったのかと。その点を私は上官のトレスコウ准将閣下に主張したのですが、無用の懸念と切って捨てられまして。それでも私は無用の懸念であるとは到底思えず、できれば大佐殿に近衛司令部に問題が生じていないか確認してもらいたく。幕僚の私には動かせる士官がいませんので」

「……卿の考えはわかった。配慮して行動しよう」

 

 エーベルハルトは進言が受け入れられてホッとした。ブロンナーが自分の考えに同意し、彼が近衛司令部の状況を確認してくれるものと思ったのである。エーベルハルトは敬礼して宰相府へと戻っていった。

 

「どうなさいます、このまま近衛司令部に向かいますか?」

 

 副官のリルムの問いに、ブロンナーは首を横に振った。

 

「あいつの主張は筋が通っているが、いささかこじつけじみて思える。民政・内務両省の業務掌握に専念して様子を見よう」

 

 元部下のエーベルハルトの懸念を聞いて多少の疑心が生じたのはたしかだが、ブロンナーとしては開明派のほうがよほど疑わしく思えたので、近衛司令官のヴァイトリング中将に対する人格面での信頼もあったことあり、ひとまずは様子見に徹することに決めた。リルムもどちらも同じ程度は疑わしく思えたので、上官の決断に意を唱えようとはせずに従った。

 

 第一防衛旅団内でそのような動きがあった頃、ブロンナーの部隊の捜索から逃げおおせた内務尚書オスマイヤーがどこにいたかというと、堂々と車で帝都内を移動して内国安全保障局が用意していた隠れ家に身を潜めていた。途中、ヴァルプルギス作戦の内容に従って軍隊の検問があったが、内国安全保障局が用意した軍属であることを示す偽造ではない嘘の身分証明書のおかげで検問を騙していた。

 

 隠れ家の部屋の一室でオスマイヤーは、対面に座る一人の男を睨みつけていた。男は非常に居心地が悪そうな顔をしてオスマイヤーの視線を受け止めていた。

 

「それでこれはいったいぜんたいどういうことなのかね。聞きたいことがたくさんあるのだが」

 

 オスマイヤーは殺気に近い何かを感じさせる態度であった。内務尚書として執務机で書類を決裁している時に内国安全保障局のカウフマンがやってきて「閣下、クーデターです。逃げますよ」と言われただけで強引に連れ出され、さっきまで検問にバレないようにという理由で座席下の非常に狭いスペースに押し込められて、苦しくてもがいていたら「静かにしてください。死にたいんですか」と座席上から言われてしまい、しずかに小さくなっているより他なかったのである。聞きたいことが山ほどあるのも当然であった。

 

「クーデターです。カウフマンから聞いてはいないのですか」

 

 内国安全保障局次長のフリッツ・クラウゼ保安少将が、疑念交じりにそう問い返した。上から移動命令がでたわけでもないのに局長のハイドリッヒ・ラング保安中将が軍務尚書オーベルシュタイン元帥とのコネを活用して新帝都となるであろうフェザーンで地歩を固めるべく出ていってしまったので、次長のクラウゼが留守を任される形で内国安全保障局を運営していた。

 

「クーデターというのは聞いた。だが、どこのだれが何を目的として起こしたのかは一切聞いていない。内国安全保障局の局員はいったいどういう神経をしているのだね」

「時間がないから最低限の説明だけして連れてこいと言いましたが、まさかそこまでとは……。部下にかわって謝罪させていただきます。あとでカウフマンにきつく言っておきますので」

 

 クラウゼが申し訳なさそうに頭をさげた。

 

「まあそれはよい。軍隊が検問をしていることから考えて、クーデターというのは間違いないようだしな。それで首謀者はだれだね」

「近衛司令部の一部反動分子、そしておそらくは故ブラウンシュヴァイク公の元家臣ジーベック元中佐の二名かと。目的はフリードリヒ四世の孫娘であるエリザベートを帝位に就けてのゴールデンバウム王朝復興であると思われます。連中は何らかの方法で首都防衛司令部会議中に爆発テロをしかけ、首都防衛軍の指揮権を近衛司令部が掌握。現在は厳戒令を出してすべての通信回線封鎖ないしは妨害し、首都防衛司令部を爆破したのは開明派であるとでっちあげて各政府機関の制圧をすすめているようです」

「そ、そんな大規模なものだというのか?! いや、待て、首都防衛司令部会議中に爆発テロだと? 司令官のケスラー上級大将はなにをやっておるのだ?!」

「なにぶん情報が錯綜しており、所在はおろか生死すらつかめておりません。憲兵本部も動揺しており、末端がバラバラに動き回っているようでして。ワンマン運営が祟りましたな。いや、だからこそ旧王朝系勢力はケスラー上級大将を狙ったというべきでしょう」

 

 旧王朝時代、社会秩序維持局に匹敵するほど腐敗をきわめた民衆弾圧機関として悪名高かった憲兵隊を、ウルリッヒ・ケスラーは憲兵総監の任についてから短期間のうちに組織改革を成功させ、憲兵に治安維持能力を叩き込んだことからわかるように、非凡な指揮官であり組織者であることは万人の認めるところである。

 

 だが、あえて欠点を述べるとすれば、ケスラーはあまりにも優秀すぎたのである。そのため憲兵将校の多くが憲兵総監への尊敬と同時に強い依存心をいだいてしまっており、自分の責任の下で大きな決断をすることに躊躇いがうまれるようになっていた。旧時代からの生え抜きであり、同じ感覚で職務にあたっている守旧派の憲兵将校はそうでもなかったが、こちらはお仲間である組織改革に反発してケスラーの弱みを握ろうとした跳ね上がり者がケスラーに逆に弱みを握られて憲兵隊から追放されたり閑職に飛ばされたりしていたので、恐怖心から大きな決断をするのを躊躇うようになっていたので、結果は同じだった。

 

 こうした憲兵隊の傾向をケスラーはむろん憂慮していたが、こういった人材の問題は長い時間がどうしても必要だった。下手に憲兵隊高級幹部に自分の意思が介在せぬ形での広範な裁量権を与えてしまえば、ふたたび憲兵隊が国家の腐敗の温床になるという逆コースを歩む危険性があり、人材が育つまではやむなき仕儀であるとしていたのである。

 

「……しかし内国安全保障局はずいぶんと素早く動けたものだな」

「数日前に帝都でクーデターが起きると内国安全保障局に匿名の密告があり、念のために監視体制を強化していたために近衛司令部が反動分子に掌握され、偽命令を発している情報をつかむことができたのです。軍の動きが早すぎたので内務省内の要職者数名しか救出できませんでしたが……」

 

 クラウゼの説明に嘘はなかったが、オスマイヤーには語らなかったことがある。旧王朝残党系勢力によるクーデターの可能性を事前につかんでいて、それを利用して自己の立場を強化せよという秘密組織からの命令がくだっており、その任務を遂行するべく内国安全保障局に匿名の密告をいれたのがクラウゼ自身であることである。

 

 つまり最初からある程度目星がついていて、クーデターの動きを探ったのであるから、怪しい集団に目をつけることは内国安全保障局にとっては容易いことであったが、そのことを知らないオスマイヤーとしては文句のひとつも言ってやりたい気持ちである。

 

「監視体制を強化してもなお、クーデターを事前に阻止することができなかったのか。首謀者を推定できるところまで進んでいたのならば、どうにかなったろうに」

「そう言われては我が局の不手際を恥じるのみでございます。ですが閣下、われわれには物証も信頼に値する証言者もなく、匿名の密告や疑わしい行動をしているだけではおいそれと行動する権限がありません。ゴールデンバウム王朝の社会秩序維持局であれば、それだけで容疑者を予防拘禁してクーデターを阻止することもできたかもしれませんが、その点は向こうも理解していたようで怪しまれるのはともかく、物証の類を残さないことに細心の注意を払っていたようで……」

「ではなにか?! われわれが進めてきた改革のために、クーデターを阻止できなかったと言いたいのか!」

「極論を申し上げれば、そのとおりで。もちろん、内国安全保障局が新時代の環境に順応しきれなかったことについて次長として責任を痛感せずにはいられませんが」

 

 クラウゼはぬけぬけとそう言ってのけた。かつて容疑者の権利を微塵も考慮しなかった社会秩序維持局であればクーデターを阻止できたのは間違いなかったという確信故であったが、クラウゼとしては内国安全保障局の独力で大規模クーデターを阻止し、その功績をもって内国安全保障局に熱心な圧力をかけてくる憲兵隊や開明派への対抗材料としたかったのである。

 

 しかし実際には具体的な証拠を掴む前にクーデターが起こされてしまった。そしてこのままクーデターが成功するようなことがあれば、内国安全保障局は本当に存立の危機に立たされる。それはクラウゼにとっても、秘密組織にとっても、それは致命的な傷になるだろう。だからこれ以上規模が拡大する前になんとしてもクーデターを鎮圧しなくてはならない。そして可能であればクーデター事前阻止に失敗した汚名を挽回してあまりあるだけの活躍をしたいところであった。

 

「われわれがいままでに掴んだ情報から判断するに、混乱に乗じてこそこそと蠢動している者達がいるとはいえ、結局のところクーデターの主力は首都防衛軍であります。つまり首都防衛軍をわれわれが掌握するか、その指揮権を握っている近衛司令部を制圧するか、どちらかを成し遂げれば事態を収拾することが可能であると私は判断します。ゆえに正規の指揮権を持っているケスラー上級大将の身柄を確保できれば一番なのですが……」

「そのケスラー上級大将が生死不明か。国務尚書閣下は? クーデターが旧王朝の勢力だというなら、彼らからも一定の好感を持たれているマリーンドルフ伯ならば……」

「残念ながら、既にクーデター派の手中に落ちたらしいとの情報が」

「なんだと……。となると……」

 

 オスマイヤーは頭を悩ませた。現在、帝国本土内にいて近衛司令部の上に立って命令を下せる人物は、首都防衛司令官兼憲兵総監のケスラー上級大将と、統帥本部次長メックリンガー上級大将の二名のみである。前者は生死不明の状態にあり、後者は軍管区再編のために出張中で帝都を留守にしている。そしてそれ以外に近衛司令部に命令を下すことができる皇帝ラインハルトを含めた将星らは、少なくともフェザーンから同盟の方向にかけての宙域にいるのだから長期的にはともかく、通信が寸断されている現時点においては頼れる対象にはならなかった。

 

 となると危険を承知で人員を集め、クーデターの頭脳部である近衛司令部の制圧を試みるべきだろうか。クラウゼが万一のことを考えて用意していた武器が使えるとはいえ、あまりに大人数を集めれば気取られてしまうであろうし、警備兵も相応にいるだろう近衛司令部に戦闘を本職にしていない少人数で強襲するのはあまりに勝算が薄い。

 

 どうしたものかと考え続けていると、ひとつの天啓がオスマイヤーに舞い降りた。そうだ。一人だけ頼れるかもしれない存在がいる!

 

「療養中のワーレン上級大将に御出馬願おう!」

「なんですと!? ワーレン上級大将がこの帝都内におられるのですか!」

 

 オスマイヤーの発言に、クラウゼはおどろいた。たしかに歴戦の勇将たるワーレンならば、首都防衛軍の兵士たちを説き伏せ、近衛司令部を直撃することができるかもしれない。しかし、ワーレンは地球教本部制圧の際に重傷を負い、辺境で療養中であるとクラウゼは聞いていたので、帝都にいるとは思っていなかった。

 

 それに対してオスマイヤーは端的に説明した。辺境で療養中であると公表されていたのは、それはもしかしたら一部の地球教徒がワーレンの生命を狙うかもしれないと懸念して帝都のどこで療養しているのかを憲兵隊の機密にしたためであった。しかし国内治安の責任者であるオスマイヤーには念のために伝えていたのである。

 

 そしてワーレンの療養施設がジークリンデ皇后恩賜病院であることを聞いた直後、クラウゼの顔は一瞬青ざめ、ついで興奮したように叫んだ。

 

「マズい! 急がなくては!!」

「……なぜだね?」

「わかりませんか!? もしその機密情報をクーデター派が掴んでいたとしたら、自分達の障害になりうると見なして刺客をさしむけているはず! そうなっては手遅れです!!」

 

 クラウゼの大声での訴えを聞いて、オスマイヤーの顔もきれいに青ざめた。




ゲオルグはクーデターを起こすには良いタイミングだぞと旧王朝残党勢力に助言しときながら、身内にはそれを利用して実績たてて影響力拡大しろと指示してたようです。

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