リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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ヴァルプルギス作戦発動

 後に“帝都最終事変”や“一二月三日事件”、“青き血の逆流”、“最後の近衛叛乱”などと称されるようになる事件は、非常に複雑な背景を有していたが、その事件全体の元凶的役割を演じたのは、一介の近衛大尉である。もし彼が皇帝ラインハルトのことを憎むことがなければ、そもそもこの事件は発生しなかったのではないかとまで言われている。

 

 その近衛大尉の名はヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトといい、前近衛司令官モルト中将の息子である。親しい人物からはセカンド・ネームでレオと呼ばれている彼は貴族や軍人としての多くの美徳と才能に恵まれており、軍幼年学校でも士官学校でも模範生となるほど優秀な生活態度と成績を残して卒業し、順風満帆な人生を送っていた。

 

 そんな人生に翳りがさしたのは、ほんの数年前のこと。彼の父モルト中将は尊皇家で、幼く勘気が強いエルウィン・ヨーゼフ二世の君主としての適性に不安を感じないではなかったが、エルウィン・ヨーゼフ二世が他の帝位継承権者の中でも一番正統性のある血統の持ち主であるのは疑いなかったし、臣下一同が輔弼して支えていけば、成長するにしたがって先帝フリードリヒ四世のような温容な君主になってくださるだろうと期待できたこともあって、幼帝に忠誠を宣誓した。

 

 そのため、内乱時は皇帝枢軸陣営にモルト家は属したが、リヒテンラーデ派でもラインハルト派でもない無派閥派だった。古風な男であったモルト中将は、前司令長官ミュッケンベルガー退役元帥と同じく古風で武人的な人物であって、武人が政治に過度にかかわるべきではないと考えていたのである。それがゆえに、内乱終結後のリヒテンラーデ派粛清に苦々しい思いを感じたものの黙認し、軍人として誠実なことと優秀な能力が評価されてラインハルトの独裁体制下でも生き残り、近衛司令官に任命された。

 

 近衛司令官といえば皇帝の居城親無憂宮(ノイエ・サンスーシ)警備を行い、さまざまな政治的決定がおこなわれる宮廷、帝国の権力の中枢を守護する要職であるとされていたが、ラインハルトが帝国宰相に就任すると宮廷の役目は儀礼的なものに限られるようになり、政務は宰相府、軍務は帝国軍最高司令部で行われるようになったため、近衛はお飾り皇帝の生活の場を守護する意味しか持たなくなったので、無駄な要員として削減の対象にされるようになっていたため、ラインハルト独裁体制下では閑職扱いされていた。

 

 それでもモルト中将は職務に精励して真面目に働いていたのだが、賊による皇帝誘拐を防げなかった失態で宮廷警備の責任者としてラインハルトから暗に自裁をうながされ、自決してしまったのである。そして息子のレオも父と似て古風な思考の持ち主であったので、父の罪に連座する形で自分も死のうと考えたのだが、同僚に止められた上にラインハルトからモルト中将の死で罪は充分償われたと慰められたこともあり、思いとどまった。だがさすがにそれで吹っ切れるものでもなかったので、レオは皇帝誘拐事件以前に少佐への昇進が内示されていたが、父の失態による負い目から少佐昇進を辞退した。

 

 ……要するにラインハルトは後日の火種を自分でつくったばかりでなく、派手に燃え上がる前に火種が自らの意思で消えようとしていたのを阻止したというわけである。無論意図してのことではなかったし、レオも皇帝誘拐の真相を見抜いていたわけではなかったからラインハルトの慰めを素直に受け入れて死ぬのを思いとどまったに過ぎなかったので、この時点においては火種は火種といえたかは疑問であるが。

 

 レオが明確な火種と化したのは、貴族意識を捨てていなかったことによる。モルト家はれっきとした貴族家であり、同じ貴族の一員として同胞たちを救うべく、没落した貴族や軍人を支援する“髑髏団(トーテンコップ・ブント)”に多大な資金援助を行うなど密接な関係を持っていた。髑髏団は形式上は元官僚のワイツという男が運営する民間団体ということになっていたが、その活動内容からして潜在的不穏分子として内国安全保障局の監視下におかれていた。

 

 髑髏団という不気味な名称は、古代ゲルマンの神話から引用したものであった。ともにヴァルハラまで。リーダへの忠誠とともにそう誓い合った愛国の戦士たちが掲げていたとされているのが髑髏の紋章(トーテンコップ)だったのである。そして名は体を表すというべきか、ラナビアに潜伏しているジーベックらの旧王朝残党勢力の帝都における工作実行機関というのが髑髏団の裏の顔だった。彼らは監視要員の内国安全保障局員の半分ほどが懐柔工作によって取り込みに成功していたので、監視の目はザル同然だった。

 

 旧王朝残党勢力を率いるジーベックにとって、現役大尉で近衛師団第七中隊の指揮官というレオの役職は非常に魅力的な存在であり、ラーセンを派遣して彼を取り込みをはかった。古臭い武人的なレオに金銭や色による誘惑では逆効果であることを元保安少佐であるラーセンは充分に承知していたので、説得には帝都の一部で噂されていた説を活用した。それは皇帝誘拐はラインハルトによる自作自演で、厭戦争感が蔓延していた帝国民衆の支持を維持したまま同盟に大侵攻をかけるための陰謀であり、モルト中将は利用されたのであるというものである

 

 レオはそのような陰謀説を根も葉もない噂にすぎないと切って捨ててきたのだが、ラーセンの巧みな話術によってかすかに疑念をいだかざるをえなかった。べつにラーセンの言葉を信じるわけではないが、念のため、あちこち探ってみよう、という気になったのである。

 

 武人肌なレオにとって秘密裏の情報収集は苦手ではあったが、貴族として生き残るための教養として最低限の世間話を装っての情報収集技術を身に着けていた。そのスキルを用いて士官学校時代の同期であり現在は憲兵本部に勤務して将来を嘱望されている軍人から衝撃的事実を聞き出したのである。帝国暦四八九年六月なかばに貴族連合に与していた門閥貴族であり、後に銀河帝国正統政府の軍務次官となったランズベルク伯の密入国が確認された。皇帝誘拐事件は七月一〇日に起きたことであるから、おそらく皇帝誘拐はランズベルク伯の指揮の下で行われたのだろうという推測を力説したのである。

 

 だがそれよりレオにとって重要なことは、憲兵総監のケスラーにそのことを報告したという事実である。ケスラーは首都防衛司令官を兼任しており、かつて独立した軍として扱われていた近衛部隊は規模が大幅に縮小されてからは首都防衛軍の下におかれていたのでレオの父モルト中将の上官ということになる。にもかかわらず、ランズベルク伯が密入国しているなどという情報は近衛には一切入っていない。貴族連合に与した経歴のために国から指名手配されている門閥貴族が帝都に潜入するなど、なにごとか企んでのことであるのは明瞭であり、当然、皇帝誘拐もたくらみの可能性のひとつとして充分に推測できるはずであった。

 

 もしそのような怪しい情報を父が入手していれば、念のために人員を増加するなどして宮廷警備の強化をはかったのは間違いないだろう。ケスラーの怠慢は責められてしかるべきと思ってレオはハッと思った。ケスラーは父にランズベルク伯の帝都潜入を伝えなかったのではなく、伝えられなかったのではあるまいか。帝国の全権を掌握している最高権力者たるラインハルトの命令で。

 

 学友の証言だけで推測に推測をかさねてのことであったから物的証拠はなにもなかったが、レオにとっては皇帝誘拐事件の真相がそうだったと信じるには充分すぎた。そして取るに足らない辺境星域(一度宇宙海賊討伐に参加したことを除けばずっと帝都勤務だったこともあり、同盟は辺境の叛乱勢力という帝国当局の文句をレオは七割方信じていた)が欲しいためだけに、立派な軍人であった父を死に追いやったのだとラインハルトを憎悪したのである。しかもその推測は間違っていなかったから、その憎悪は感情面でも理屈の上でも至極まっとうなものであった。

 

 ラインハルト憎しの感情でレオはゴールデンバウム王朝復興を目的とした反体制過激派のエージェントとなった。そして実質的に組織を運営しているジーベックの命令にしたがって、近衛士官として帝都で手に入る生の情報を提供する傍ら、近衛における同志の確保が命じられた。

 

 レオは真っ先に指揮下の近衛第七中隊に属する士官四名、下士官一一名を味方につけた。うち、士官二名は特権を有していた元貴族であったから否やはなかった。残りの者達は平民であったが、父親から「貴族は自分の力になってくれる者は全力で擁護すべきである」という教えを受けていたレオは、資金難で苦しい思いをしている兵士に資金援助してあげたり、身分ゆえに苦しい思いをすることが多い平民の部下の後ろ盾になってやったりしていたので、部下の信望があつかった。モルト家は実力ある名家であったので、モルト家がバックにいるとなると、あまり理不尽なことを他の貴族もしなくなるのである。そのような恩恵を受けていた部下たちはレオに恩義を感じていたし、レオをそのように育てたモルト中将に対してもそうだったので、恩義をかえすために協力しようという気になったのであった。

 

 次にレオは上官である近衛司令官のヴァイトリング中将を味方につけようと考えた。ヴァイトリング家とモルト家は非常に親しい関係で、家族ぐるみの付き合いがあった。また父モルト中将の親友でもあったから、説得の余地もあるだろうと思ったのである。だが、レオが憲兵本部勤務の同期から聞いた話を交えてラインハルトへの不満を口にしたところ「滅多なことを言うものではない。そんなことは忘れてしまえ」とあまり良い反応をもらえなかったので、具体的な話をする前に取り込むのを断念した。

 

 代わりにレオが取り込んだのは、近衛参謀長のノイラート大佐である。ノイラートとは軍幼年学校時代からの付き合いで、三期上のノイラートは後輩のレオをとても可愛がっていたのである。そしてノイラートは父を謀略の犠牲にされて憤る可愛い後輩の不満に共感をしめす態度をとり、そこから続いた旧王朝残党勢力と協力してのラインハルト体制の打倒に協力することも確約した。

 

 しかしノイラートとしては、別にレオほどラインハルトがモルト中将を謀略の犠牲になったこと自体は別にそれほど問題視してはいなかった。たしかにモルト中将は尊敬に値する上官ではあったが、貴族社会において謀略でだれかが死ぬなど日常茶飯事であり、怒りを覚えるが我慢しうる類のものであったのである。だが、それでもレオの親の敵討ちに協力する決断を下したのは、この計画の絵図を描いているのが旧王朝残党勢力であるということと昨今の帝国の貴族にとってこのましくない情勢にあった。

 

 貴族にとってこのましくない情勢、というのは、なにも貴族特権が廃止されて平民たちと平等な扱いをされていることではなかった。もちろんそれに対する不満がないわけではなかったが、もとよりノイラートはブラウンシュヴァイク公爵を盟主とする貴族連合が敗滅したことで、貴族の時代の終わりを受け入れており、自己の生命と最低限のささやかな立場を守るべく時代の流れに順応することを自ら決めていたからである。だがノイラートは、昨今、その前提条件が揺らぎつつあるようにおもえるのだった。

 

 きっかけはブルヴィッツの虐殺である。その虐殺において主導的役割をはたしたクレメント少佐の経歴が軍当局によって公開されてから、民衆の反応が同情心に富んだものになっていることにくわえ、旧被差別階級によって結成された報復的な過激派組織が台頭してきた。むろん、憲兵隊や内国安全保障の手によって他のテロ組織同様摘発対象にされているが、ノイラートのみるところ、彼らにたいする当局の対処が甘いのではないかと思えるのである。

 

 もちろんそんなことはないのだが、特権を取り上げられたことに憤って行動している旧特権階級の過激派組織とくらべると、報復的な感情で動いている旧被差別階級による過激派組織は民衆の同情を買っているということが大きい。ゴールデンバウム王朝下で苦しんできた者たちが治安当局の捜査活動に非協力的になる例が多々あるので、結果として旧被差別階級のテロリスト摘発捜査が難航しやすいという実際的な問題であって意図的なものではなかったが、ノイラートはこれを民衆人気の獲得に熱心な皇帝ラインハルトの政治的な意向によるものではないかと疑っていたのである。

 

 もしその傾向が長じていけば、いずれローエングラム王朝は民衆の声に迎合し、旧ゴールデンバウム王朝時代における特権階級の大粛清を実施しだすのではないか。そうなってくると貴族的特権をほぼ捨ててまで守ったささやかな地位さえ剥奪されることになるだろうし、自分の生命さえ大丈夫かわかったものではなかった。ノイラート家はエーリッヒ・フォン・リンダーホーフ侯爵が“流血帝”アウグスト二世を撃つべく挙兵した際、当時平民の大佐だったノイラート家の先祖が辺境警備部隊をまとめて侯爵の下に馳せ参じ、暴君を撃ち滅ぼして侯爵がエーリッヒ二世として即位した時に皇帝から褒美として爵位と領地を賜ったことからはじまる伝統的な貴族家である。そしてローエングラム王朝の成立にまったく貢献していない以上、政府がそういう方向に舵をきれば、真っ先に粛清されかねなかった。

 

 だからノイラートが旧王朝残党勢力に与したのは、いささか被害妄想じみていても主観的には自己防衛が理由であった。要するに徐々にきつく真綿で首が絞められて窒息死に至るくらいなら、一か八かの賭けにでてみるかということである。そして同じような被害妄想じみた思いを抱いている貴族士官が近衛部隊に相当数所属していたので、ノイラートは憲兵などに悟られぬ慎重さを発揮しながら活動し、近衛部隊の三割の士官を秘密裏に説得して味方につけることに成功した。かくして、近衛部隊が蜂起する下準備がなされたのである。

 

 ラインハルトが大本営をフェザーンに移し終えた頃からラナビアに潜伏していたジーベックをはじめとする幹部らも続々と帝国当局の警備の目をかいくぐって帝都に潜入し、一〇月なかば頃からは髑髏団の施設でノイラートやレオを筆頭に味方についた近衛士官たちと幾度と会談を持ちクーデターの詳細な打ち合わせを行い、ヴァルプルギス作戦を利用する案でクーデターを実行することが決定され、その準備が急速にすすめられた。

 

 しかしヴァルプルギス作戦を利用するにあたり、解決せねばならない問題が二点あった。ひとつはヴァルプルギス作戦の発動権をゆうしているのが首都防衛司令官であり、その権限を奪うには首都防衛司令部を機能不全に陥らせなくてはならないこと。そして首都防衛司令部を沈黙せしめたとしても、発動権を有することになる近衛司令官のヴァイトリング中将の取り込みには失敗しているということであった。そして問題のうち前者はジーベックの、後者はノイラートの責任の下解決する段取りとなり、クーデター決行日はジーベックの要望で一二月三日に定められた。

 

 そしてクーデター決行日の九時二〇分頃、レオは近衛第七中隊を新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)南苑に数多ある四阿(あずまや)のひとつに召集した。何も知らない部下の兵士たちにたいして、レオはこの時初めてクーデター計画について説明したのである。しかしそれは、多少偽りが混じったものであった。

 

「これは叛逆にあらず。皇帝(カイザー)ラインハルト陛下の忠臣として、われらが忠誠を誓った絶対尊厳を冒涜し、国権を壟断せんともくろむ君側の奸を討つのである。君側の奸とはすなわち、ささいな失点をあげつらい、大局的に決して損なってはならぬ陛下の権威を攻撃する発言を繰り返す軍務尚書オーベルシュタイン元帥の一派とカール・ブラッケを筆頭とした官僚勢力である。これを打倒し、ローエングラム王朝の世を絶対のものとするべく、われらは起つのだ」

 

 やはりクーデターを実施するにあたって、ラインハルトの圧倒的なまでの民衆人気を彼らは無視することができないのであった。なので“皇帝ラインハルト陛下の御為に君側の奸を討つ”という理屈がクーデターに加担することになった軍人たちに説明された。クーデターの首謀者らとしては、ラインハルトの威光を都合よく利用してやる算段だったのである。

 

 多くの軍人たちは意外にもこの理屈をあっさりと信じ込んだ。軍人、特に中堅以下の軍人の間にはローエングラム王朝を成立させたのは帝国軍の力であるという自負があったので、軍務尚書オーベルシュタインはともかくとして、旧王朝打倒にさほど貢献していない開明派官僚どもがでかい口を叩いていることにたいする不満が存在したのである。いわんや皇帝批判をためらわない民政尚書のブラッケなぞには殺意に近い感情を有しているものが多かったのである。

 

 そうした背景もあって近衛第七中隊は指揮官への信頼もあって、近衛司令部を制圧するという重大な役割をになうこととなった。ノイラート参謀長のはからいで、近衛部隊の主要人物は全員司令部に集められていたので、近衛司令部を制圧すれば近衛部隊を掌握したも同然なのだ。司令官のヴァイトリング中将は、司令部を制圧せんと武装した近衛兵たちに銃をつきつけられても、動揺したところをみせなかった。

 

 しかし中隊の指揮をとっている人物が、自分の部下であり親友の忘れ形見である人物の姿を視界にとらえると、さすがに無反応というわけにはいかなかった。おろかしい愚行を止められなかったことを心中で亡き友に詫びながら、ヴァイトリング中将は口を開いた。

 

「モルト大尉。私怨によって帝国と陛下に弓引くつもりか。よしんば卿の推測が事実であったとしても、すでに大勢は決しておるのだ。やっても無益なことにしかならぬから忘れてしまえ、と、そういったはずだが」

「お言葉ですが司令官閣下。私はなにも私怨のみで行動を起こしたわけではありません」

「その通りです閣下」

 

 ノイラートが平然とした様子でレオの横に並んだ。

 

「……大佐、なんのまねだね?」

「本気で問うておいでですか閣下。帝国をおおいつつある不吉な影を思えば、われらは団結して起つべきではありませんか」

「……まるで内戦時の賊軍どものような言い草だな。卿はあやつらを変わりゆく時代に対応できなかった愚か者どもと嘲弄してはおらなんだったか」

「はい、そのとおりです。ですが、それはあくまで安全が保障された上でのこと。平民どもが復讐心から貴族狙いの襲撃が横行し、民間ではそれを称賛する言論や報道が繰り返されているような現状を思えば、金髪の孺子の空手形を信じることはとてもできません。われらは未来のために最善と信じた道を歩むと決めたのみです」

 

 ラインハルトのことをかつて多用されていた“金髪の孺子”という蔑称で表現した。もはやノイラートが旗幟鮮明にレオに同調しているのは確実である。その事実はこの反逆計画にノイラートが初期段階から関わっていたという事実を、ヴァイトリングが察するには充分であった。

 

 ノイラートは勢いよくふりかえり、銃を突きつけられて黙り込んでいる近衛士官たちをじろりと眺め、深く深呼吸すると、彼らに向かって大声で呼びかけた。

 

「卿ら、刻下の祖国を直視してみよ。民衆におもねることしか能のない惰弱な官僚どもの一派、開明派なる連中の暴走はとどまるところを知らぬ。自由化などと称して無制限に民の権利を向上させ、流言飛語が飛び交うばかりかテロが頻発する事態を招いた。それ以外にも考えうる限りのあらゆる方法でもって秩序と権威を際限なく破壊し続けている。よりにもよって、それが民衆のためなどという美辞麗句をならびたてて、である! このことから奴らの最終的にして究極的な目的は明白だ。民衆を際限なくあまやかせて増長させ、ルドルフ大帝が断固たる決意によってとりおこなわれた非常の措置によって、帝国の開闢と共に根絶せしめた銀河連邦時代の混沌と退廃とを、今一度この世に再現させようとしているのだ。その時代の政治屋どもがそうしたように、混沌の中でやつらが甘い汁を啜るために……! 故に、われわれは有志らと共に決起する。だが決して謀反ではない。すべては祖国のために、ゴールデンバウム王朝の権威を譲り受けたラインハルト陛下の御為に、われらは命を懸ける覚悟である。そして願わくば、帝国の中枢を守護し続けてきた栄誉ある近衛の総意も同じである、と、私は信じている」

 

 内容はレオが部下がしたものとだいたい同じ内容であったが、その呼びかけを聞いた近衛士官たちは一人、また一人と賛意を示し、ついには雪崩うって協力する声をあげた。そのうち、半数くらいはもともと取り込みに成功していたサクラであったが、その場の空気で事前に何も知らなかった者達も少なくなかった。それはノイラートが語った嘘の動機にそれなりにリアリティがあったからである。

 

 貴族将校らにとっては貴族が没落してから実施されてきた開明政策は不満しかないものであったし、平民将校らにとっても旧帝国時代の学芸省が発行していた公式教科書で学んだ知識から、ルドルフの思想に感化されていた者達が多数存在し、民衆の権利向上に比例して政府の権力が弱体化するのはよろしくないことではないのかという漫然な不安があった。くわえて近衛部隊にしか通じぬ理屈がある。

 

 というのも帝国開闢以来の歴史と伝統を持つ近衛部隊を、開明派は「不要」とか「無駄」とか言って廃止させようと強力に運動しており、そのせいで近衛部隊の規模や権限は大縮小し、割り当てられていた予算が大きく減らされたことに近衛士官らは不満を溜め込んでいたのである。実際のところ、近衛部隊が旧時代とくらべて冷遇されるようになったのは皇帝ラインハルト及び軍首脳部が近衛部隊に儀仗兵としては価値があるかもしれないとは認識したものの、警備兵として役に立つとは思えなかったので、警備関連の業務を大幅に憲兵隊と新設の親衛隊に引き継がせたのが直接的な原因なのだが、そんなことを知らない近衛士官たちとしては「どうせなら完全に廃止しろ」などと常日頃から主張する開明派が主犯のようにみえたのである。よって開明派への怒りが、彼らの目を曇らせたのも、近衛部隊が決起につながったといえなくもないだろう。

 

 むろん、クーデター側に参加しなかった近衛士官らも十数名存在した。うち三名は積極的に声をあげて反対し、力ずくでもこの暴挙を止めようと試みたが、レオが指揮する完全武装の第七中隊の兵士らに羽交い絞めにされて物理的に黙り込まされた。

 

 近衛士官の大半がクーデター側にまわって、声をそろえて自身の、“近衛司令官の勇気ある決断”を求めてくるようになった状況の悪さを痛感して初老の近衛司令官は無力さとを感じてがっくりと肩をおとしてしまったが、それでもヴァイトリングは駄目元で最後の説得をこころみた。

 

「卿らの気持ちは痛いほどわかる。だがこれは叛逆だ。帝国の平穏を破る行為なのだぞ。いまやめるなら上層部にはなんとか言い繕ってやるから、やめたまえ。これは命令だぞ」

 

 だが、すでに覚悟を決めきっている彼らはそれを承知でことを起こしているのであるから、今更すぎる言葉であった。ヴァイトリング中将の折れない姿勢を見て、レオは辛そうな表情を浮かべた。彼としては父の親友である彼も味方になって欲しかったのである。ことを起こした上で協力を頼めばあるいは、と思っていたのだが、どうもそれは叶わない妄想にすぎなかったことを悟ったのである。

 

「その命令には従えません。私どももこの期に及んで協力しろなどとは言いますまい。ただ抵抗しないでほしい。あなたを殺したくはない」

「レオ……いや、何を言ってももう届くまいか。好きにするがいい」

 

 今にも消えそうな小さな声で近衛司令官は親友の子にそうかえした。その声がかすかにクーデターが成功するよう祈っているようにレオが感じとれたのは、はたして妄想の産物であっただろうか。ただたしかなことはこの事件が終わった後、ジャーナリストたちにいくら問われてもヴァイトリング中将は親友の子の話題を生涯にわたって拒絶するようになったということだけである。

 

「ロシュマン伍長、司令官閣下らを軟禁しておけ。決して粗相がないようにな」

 

 レオの命令を受け、ロシュマンの分隊がヴァイトリング中将以下十九名の協力を拒否した近衛士官たちを司令部内の一室に軟禁した。そしてノイラートがおおまかなクーデター計画を近衛士官たちに説明し、近衛司令部内で協力拒否した者達が指揮していた部隊をだれに代行させるべきかの議論をしている最中、首都防衛軍所属のある兵士が駆け込んできた。首都防衛司令部が何者かによって爆破され、首都防衛司令官のケスラー上級大将以下、多数の死傷者・重傷者が発生したとのことである。

 

 ノイラートはケスラーが死んだのかどうか報告を持ってきた兵士に確認したのだが、その兵士は半パニック状態で「わかりません! とにかく病院に運び込まれて指揮がとれるような状態ではありません!」と述べ、首都防衛司令部に代わって軍の指揮をとってほしいと告げた。

 

 すぐに対策を協議すると言ってその兵士を追い返すと、司令部内の近衛士官らはだれが意図するでもなく全員が目をあわせた。今ならまだ、引き返せると全員の目が語っていた。ここで協力してくれているジーベックの一派の排除を命令すれば、司令官を拘束して指揮権を奪った罪で軍法会議はまぬがれないにせよ、命の危険は回避できると。

 

 だが、それ以上に全員の瞳に決意の炎があり、無言で一斉に頷いたのを見て、ノイラートは行動を開始した。事前にとりよせていた作戦計画書を取り出し、近衛司令官ヴァイトリング中将の字をまねて署名し、その下に自分の名前を署名をし、司令官と参謀長の印を押して承認して近くにいた近衛士官の一人に手渡した。ついで、司令官室の電話の受話器をとった。首都防衛軍事務部に繋がるまで、自分の心臓がうるさくてしかたなかった。

 

「近衛参謀長のノイラート大佐だ。多忙の司令官のヴァイトリング中将を代行して通達する。首都防衛司令部が何者かによって爆破され、ケスラー上級大将以下多くの者が行動不能の状態にあり、規則に則り近衛司令部が代行で命令を下す。首都防衛司令部爆破は同盟への侵攻に反対の論陣を張っていた開明派を中心とする一部官僚勢力の策謀であり、彼らは現帝国が軍国主義であるとして政府転覆を目論んでいる。ヴァルプルギス作戦を発動せよ」

 

 努めて平静な口調でノイラートはそう言い切り、受話器を置いた。この瞬間、帝都オーディンを舞台とした銀河帝国史上最後の大騒乱の幕があがったのである。




たぶん、今回の騒動には原作キャラが少なからず巻き込まれる予定。

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