リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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久しぶりのゲオルグのターン。


激動の足音

 ワーレンが地球教征伐と地球統治に関する通信で帝都に報告したのは七月三〇日のことであるが、同時期にハイネセンからもたらされた衝撃的な報告によって、帝国政府では皇帝暗殺未遂の主犯である地球教の教主ないしは幹部を捕らえることに失敗したのは遺憾だが、教団本部の殲滅には成功しているからまあよいだろうと若干軽視された感があったのは否めない。

 

 ハイネセンからの報告と軍上層部会議の結論を鑑み、皇帝ラインハルトが大本営を帝都オーディンからフェザーンへと移すことを臣下に向けて布告したのは八月八日のことである。その布告には注釈としてこの移転は一時的なものではないとされていたことから、同盟の完全征服とその後の帝国統治を見越しての遷都の布石であることは明白であった。その布告はアルデバラン星系総督府に所属しているゲオルグら秘密組織にもすぐに知るところとなった。

 

 バーラトの和約の内容を知った時点でゲオルグは帝国のフェザーンへの遷都を予期し、秘密組織のフェザーンへの浸透をすすめていたこともあって、不満がないではないが現地責任者ベルンハルトの下で最低限の秘密情報網を構築済みである。もともとフェザーン人には占領者である帝国に対して好ましからざる感情を抱いている者達が一定数居たので取り込みやすかったことや、交易の要所であるがために人の流入が激しいので構成員を自然な形で溶け込ませやすかったこともあったから、人員の確保が比較的容易だったこともあり、浸透は順調にすすんでいた。

 

 まったくもってラインハルト政権の行動の速さを不安視し、フェザーンへの浸透を急がせたゲオルグの判断の正しさが証明されたわけであるが、それでも流石に占領から一年弱で帝国首脳がフェザーンに移動するなど完全に想定していなかった。おかげで準備不足も甚だしいと秘密組織は愚痴を言いたい気分であったが、その布告内容を知ってから数分後にゲオルグの手元に届いたある報告書がいささか頭を悩ますものであった。

 

「これは同盟は滅びましたね。下手したら年内にも滅ぶのでは?」

 

 ベリーニがあきれ顔でそう呟いた。その報告書は内国安全保障局次長フリッツ・クラウゼがしたためたもので、局長ラングから聞き出した同盟首都ハイネセンにおける騒乱とその対策会議の詳細が記されていた。

 

 秘密組織はまったく把握していないのだが、実はクラウゼは軍務尚書オーベルシュタイン元帥に警戒されており、部下のフェルナー准将に命じて監視させていたのだが、一年近く特に問題がなかったことに加えてその間に大事件が何度もあったこともあって監視要員が減少し続けた結果として監視があまくなっていたことや、クラウゼ自身の用心深さもあって、その監視の目を欺いてこのような報告を行うことができたのである。

 

 その報告によると、同盟首都ハイネセンに駐在していた帝国高等弁務官ヘルムート・レンネンカンプ上級大将は、同盟軍のヤン・ウェンリー元元帥と戦って二度も手痛い敗北を喫したことからヤンに私怨を抱いており、また公的な懸念としても、若い同盟軍最大の名将がラグナロック戦役で同盟政府が降伏すると軍から退役し、元副官の美女と結婚して平凡な新婚生活を送っているということに疑念を禁じえず、裏で帝国を打倒するための謀略を巡らせているのではないかと警戒し、監視を強めていた。

 

 その懸念はレサヴィク星域において廃棄予定の同盟艦五〇〇隻以上も帝国の専制に反対する義勇兵集団によって強奪されたこと、その謎の武装集団を率いていたのは同盟に亡命していたメルカッツであり、彼の庇護者であったヤンが今回の黒幕なのであるという同盟市民の噂、そしてヤンが過激派を結集して反帝国闘争を企んでいるという旨の同盟の権力者集団による根拠のない密告等々によって肥大化し、ついには首席補佐官フンメルが立案した同盟政府にヤンをバーラトの和約第六条によって制定された反和平活動防止法違反で逮捕するように勧告した。

 

 同盟の元首である最高評議会議長ジョアン・レベロはその勧告に対して弁務官府に何の返答もしなかった。だが、レンネンカンプの意向は即ち皇帝の意向であると考えてしまい、ヤンの命を守ってバーラトの和約違反という帝国軍再侵攻の大義名分を与えるか、ヤンの命を帝国に売り渡して同盟という国家を守るかの二択をつきつけられたものと認識したのである。

 

 実際のところ、これはレンネンカンプの独断によるものであったから、帝国政府に直接問いただせばどうにかなる可能性はあった。だが就任から二か月程度しかたってない高等弁務官と皇帝の意思がそれほど乖離しているとは想定できなかったのである。さらにいえば、レベロ自身も和約成立後にいろんな要請をすべて辞退して年金生活にしゃれこんでるヤンを信じきれなかったこともある。残念ながら、常識的に考えて若い救国の英雄が望んでやまないことが安楽な年金生活であると信じられるようなことではないのである。

 

 とはいえ、国民的人気の高いヤンを勧告通りに逮捕してしまえば、ヤンの元部下や同盟の民衆が激怒し、同盟は内乱状態に突入し、そこを帝国につけいられる危険がある。しかし勧告を無視し続ければバーラトの和約違反と帝国から糾弾され、今度こそ同盟は帝国によって完全併呑されることになるかもしれない危険がある。どちらの選択肢を選ぼうとも同盟滅亡の未来に繋がっているようにしかレベロには思えなかったのだ。

 

 愛国者であるレベロにとってそれは断じて許容できることではない。なんとしても民主国家を守らなければならないと幾人かの識者の意見を聞き、清廉なレベロ個人にとってはまったくもって不本意だが、同盟政府は陰謀を持って事態を処理することにしたのだ。即ち、同盟政府の手でヤンを秘密裏に逮捕して抹殺する。そして表的には同盟の過激分子がヤンを担ぎあげることを計画したが、民主主義者であるヤンはそれを拒否した。その態度に過激派は激怒したヤンを殺し、駆け付けた政府軍は過激派を排除してヤンを国家の殉教者として仕立てあげる。

 

 こうすることによって国民感情を過度に刺激することなくヤンを排除することができ、またヤンはもう死んでしまったのでとお茶を濁して帝国のつけいる隙を与えずにすむ。まったくもって自由惑星同盟を存続させる点だけで考えれば、至極妥当な謀略といえた。

 

 だが、ヤンが逮捕されたことをささいな情勢の変化で察したヤンの旧部下たちが武装蜂起。レベロを人質にとって同盟に対する脅しとして用い、監獄からヤンを救出。さらに余勢をかって、高等弁務官府に襲撃をかけ、レンネンカンプをも人質にとり、これを帝国と同盟に対する脅しとして用いることで自己の安全を確保。不要になったレベロをハイネセンから脱出するための手段の準備と引き換えに釈放し、ヤン一党は悠々とハイネセンから脱出したというわけである。

 

 以上がレンネンカンプの部下であったラッツェル大佐が、旧知であった帝都のナイトハルト・ミュラー上級大将に報告した結果、判明した経緯である。軍上層部は被害者であるヤンには酌量の余地があるとし、レンネンカンプの心の狭さを嘆き、事態の悪化を招いた同盟の密告者を処断すべきであると主張。いっぽう、オーベルシュタインはレンネンカンプを擁護し、皇帝の代理人であるレンネンカンプを拉致し逃亡したヤンの責任をこそ追及すべきと主張している。

 

 いずれにせよ、同盟の治安維持能力に深刻な欠如があることは明らかであるから、いつでも軍を動かせるよう準備しておくにこしたことはない、というのが会議の結論であるとクラウゼの報告書には記されている。こうした事前知識を持って、大本営移転の布告を見れば、遷都の前準備というよりは同盟完全征服のために大本営を移転するという趣の方が強いかもしれない。もっとも、大本営移転が一時的ではないと但し書きしてることに加え、フェザーンで権力を拡大していた工部省の尚書もともなっていることを考慮すると、同盟を併呑すればそのまま遷都を宣言する可能性が高いのだが……。

 

「弱りましたね。同盟が消滅してしまえば、もう外に帝国が警戒するほど対外勢力は存在しません。外の脅威がなくなれば、内憂への対処により大きな力がかかることはあきらか。われわれにとっては好ましからざる事態です」

 

 シュヴァルツァーの懸念を、ゲオルグは肯定する。

 

「そうだな。小粒なのも含めれば、急激な改革で割食らったために新王朝に反発的な感情を抱いておる帝国人が少数ながらおるし、占領されたフェザーンや風下におかれている同盟は言わずもがな。そういったものどもに対処しなければならない必要性は帝国政府も理解していよう。旧貴族や残存貴族の叛乱、旧王朝勢力や共和主義過激派の暴動、地球教による皇帝暗殺未遂事件など、軽視してはならぬ事態がそれなりに発生しておるわけであるしな」

 

 地球教による皇帝暗殺未遂事件はともかくとして、前者二つについてはゲオルグ率いる秘密組織もかなり関わっていたのだが、まるで他人事のような口調である。

 

「しかし、ヤン・ウェンリーねぇ……」

 

 あくまで推測であり、裏付けはとれていないとしているが、レンネンカンプの偏見によるヤンへの懸念は、おおむねにおいてあたっているのではないかというのがラングとクラウゼが話しあった結論であるという。またラングによれば、軍上層部もそう推測、ないしは期待している空気があったとのこと。

 

 仮にそれが真実であった場合、ヤンという人物に対して根本から勘違いしていたと思わざるをえない。ゲオルグはヤンのことを指揮官として赫々たる武勲の持ち主であること、バーミリオン会戦でラインハルトをあと一歩で殺せる状況でも政府の停戦命令に従ったこと、なにより名声の持ち主である割にはメディアで彼自身の発言がとりあげられることがほぼないことなどを考慮して、恐ろしい才能の持ち主だが与えられた任務を完璧に達成することしか興味がない、従順で完璧主義的な軍人であると見ていたのである。

 

 実際にヤンの上官だった軍人や同盟の政治家たちがゲオルグの評価を聞けば、あいつのどこが従順で完璧主義的な軍人かと怒りも露わに絶叫すること間違いないのだが、軍人としてはちょっとひどすぎるヤンの勤務態度は同盟軍の体面上よろしくないという理由で公表されるようなことは絶無だったし、表向きにはその武勲と大枠での行動しかゲオルグは知らない。

 

 いや、正確にはある程度は噂という形で知ってはいるのだが、不真面目な怠け者という実像は同盟最高の英雄という有名過ぎる虚像とどうにも合致せず、ヤンに反感を持っている者達がしたネガティブキャンペーンによるものと見做していたのである。実際、ヤンを貶める目的でそんな噂を流した者は多数いるので、その噂の内容が誇張ではあっても概ねにおいて正しいということを除けば、間違っているとは言えなかった。それに、そもそもにおいて、そのような人物が他を圧倒する軍才を有し、それを発揮させ続けることができたなどということ自体、ありえないほど奇跡的な確率なのだ。

 

 そうしたことからゲオルグはレンネンカンプがそうだったように、ヤンの個人的性格について大いなる誤解を孕まずを得ず、誤った情報を前提にしている以上、その思想や行動を理解することは不可能だった。普通に考えれば、ヤンの行動は矛盾だらけなのである。

 

 彼の今までの行動経緯からして独裁者になることに興味がないのは明らかである。だが自分が自由に使える戦力を秘密裏に確保していたことを考えると、自由惑星同盟という国家や民主主義の理念を重視しているということだろうか? しかしそれならバーミリオン会戦でラインハルトを殺しておけばよかったのである。もちろん、そうしたものより自己の生命を重視していたのであれば、主君を喪って怒り狂う帝国軍に殺される可能性を考慮し、命あっての物種と保身のために政府の命令という建前で自己の生命を守護したという推測もできなくはない。だがそうなるとその後、退役しているのが腑に落ちない。

 

 ラグナロック戦役時の同盟軍の最高職責、統合作戦本部長の地位にあったドーソン元帥を除き、帝国が直接処断した同盟軍人は存在しない。バーラトの和約に同盟軍の縮小について定められていたが、そのあたりの人選については同盟政府の責任で行われることになっていたし、ヤンの圧倒的実績からして自ら望めば同盟軍中枢にのこれたはずなのだ。もちろん、同盟軍は帝国の監視下におかれれることになっていたから、帝国の監視をかわすためにあえて退役したという可能性もなくはないが……。ヤン自身優秀極まる軍人なのだから、軍にとどまって勤勉に通常業務をこなしていたほうがかえって自然で、レンネンカンプから過剰な警戒を抱かれることもなかったのではあるまいか?

 

 まさかそんなことすらわからなかったなどということはあるまいし……。などと真剣な推測をするゲオルグには想像すらできない。まさか同盟軍最高の英雄が望まずして軍人となったのであり、さっさと退役して平凡な一般市民となって歴史家になるという本道に戻るのだという願望を抱き続け、軍人人生に未練がまったくなかったなどということは。ましてや、退役したのはどうせ隠している戦力を表立って使うのは数年後になるだろうから、その間は煩わしい軍務から解放されて新婚生活を送るんだという理由であるなど、ゲオルグには仮に知っていても理解不能な思考であったことであろう。

 

 ゲオルグはヤンのことについて、ひとまず思考を棚上げにした。ヤン一党の兵力はどれだけ過大に見積もっても半個艦隊程度であろう。正直、その程度の小兵力で大規模なことをしでかせるとは思えない。かつてその程度の兵力で難攻不落のイゼルローン要塞を攻略してみせたという前例はあるが、今の帝国にはフェザーン回廊があるのだから、仮に回廊のひとつが潰されたところで戦略的意義は薄い。この際、無視してかまうまい。それよりも重視すべきは、シュヴァルツァーの懸念である。

 

 自分の復権のためには、新帝国に都合の良い展開が続くのは非常に困るのである。可能であれば、帝国が警戒する巨大な対外勢力は存在し続けてほしい。だが、両国の戦力差からいって、帝国が同盟の完全併呑を決断すれば一瞬で同盟など飲まれる。もし同盟が存続する目があるとすれば、帝国の中枢でなにかしら大きな問題が発生した場合のみであろう。しかし今後のことを考えると秘密組織を使ってそこまで冒険的なことはしたくない。であれば、とるべき手はひとつ。

 

「同盟首都における一件と帝国軍上層部会議の詳細、ハイデリヒに送り付けよう」

「貴族連合の残党を利用するわけですか」

 

 シュヴァルツァーの確認に、ゲオルグは頷いた。ハイデリヒのおかげで協力関係にある旧王朝残党がなにか大規模なことを帝都で実行しようと考えているという情報を掴んでいる。どういう内容のものなのか判然としないが、故ブラウンシュヴァイク公の家臣ジーベックが計画の首謀者である以上、相当に派手なものであることだけは間違いあるまい。

 

 ラインハルトが遷都を前提にした布告をしたせいで焦っている可能性が高いが、大本営移転は同盟の完全征服のための準備の色彩が強いことを示す情報を提供してやれば、同盟に帝国軍が侵攻しだした瞬間が、最大にして最後の好機であると彼らは認識するはずだ。

 

 とはいえ、ジーベックの優秀さはゲオルグも知るところ。警察時代、ブラウンシュヴァイク公を支えていた奴と幾度か知略を競ったことがあるのだ。その経験からして、クラウゼの報告を丸々提供してやれば、まったく違う方向に路線変更する可能性もなきにしもあらず。だからどのように情報を提供するかはハイデリヒに一任してしまおう。彼にはその程度の能力があるはずだ。

 

 そして万事うまくいってジーベックたちがたくらみを実行し、成功するしないは別として帝都を大混乱におとしいれてくれれば、かつてコルネリアス一世が大親征で同盟首都ハイネセンを目前にして宮廷クーデターのために退却せざるをえなかったように、ラインハルトも退却せざるを得ない状況に追い込まれるだろう。

 

 かなり希望的観測だが、現状、これしか打つ手はない。連中の武運を期待するとしよう。別に同盟が完全征服されても、秘密組織の活動がさらにやりにくくなるだけで、活動できなくなるわけでもあるまいし。

 

「それ以上、同盟の延命に役立つようなことを私がしてやらねならぬ義理もない。それに、私としては、帝国上層部における対立構造を掴めたことの方が重要だ」

「というと?」

「ロイエンタールとオーベルシュタインの間にある対立の話だ」

「ああ、ラングのことね」

 

 ベリーニの声が硬かったのは当然理由がある。内国安全保障局長ハイドリッヒ・ラングは、旧王朝下においては社会秩序維持局長であり、極めて優秀な秘密警察官僚として帝国で活動するスパイにとっては恐怖の対象であった人物なのだ。ベリーニ自身、何度か社会秩序維持局によって危ないところまで追い込まれた苦い経験があった。

 

 そのラングが軍務尚書オーベルシュタイン元帥の後ろ盾を得て、統帥作戦本部長ロイエンタール元帥を追い落とそうと躍起になっているのだという。一応、ロイエンタールの野心と不敵さを危険視する公人としての態度を装ってこそいるが、したたかにプライドを傷つけられた屈辱を晴らそうとする個人的な怒りが見え隠れしているとクラウゼは報告書に記している。

 

 いったいどういう考えがあったのかオーベルシュタインは上級大将以上の者しか出席を許されなかったハイネセンの一件についての対処を議論する軍上層部会議に内務官僚のラングをオブザーバーとして独断で出席させた。そして諸将を相手取ってレンネンカンプを擁護するオーベルシュタインを援護しようと、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥のレンネンカンプ批判の言葉尻をとらえて以下のような発言をしたのである。

 

「レンネンカンプ上級大将を任用なさったのは、畏れ多くも皇帝陛下であらせられます。司令長官閣下、レンネンカンプ閣下を批判なさることは、神聖不可侵なる皇帝陛下の声望に傷をつけることになりますぞ。そのあたりをどうかご考慮いただきたいものですな」

 

 このような論法は清廉で自らの能力に頼るところが大きいラインハルト麾下の諸将が激しく嫌うものであった。特に長年の親友を敬愛する主君の名を用いて攻撃してきた卑劣漢に対してロイエンタールの怒りは凄まじいもので、罵倒の奔流がラングに襲いかかった。

 

「だまれ! 下種! きさまは司令長官の正論を封じるに、みずからの見識ではなく、皇帝陛下の御名をもってしようというのか。虎の威を借りるやせ狐めが! そもそも貴様は、内務省の一局長にすぎぬ身でありながら、なんのゆえをもって、上級大将以上の者しか出席を許されぬこの会議にでかい面をならべているのだ。あまつさえ、元帥同士の討論に割り込むとは、増長もきわまる。いますぐでていけ! それとも自分の足ででていくのは嫌か!!」

 

 報告書のその部分を読み、俺だって保安上級大将だ! とラングは顔を赤くして言い返したくなったのではなかろうか。そして内国安全保障局が設置された際に、階級制度も改められたせいで保安中将になってしまっていることに思い至って、青い顔をしたのではあるまいか。しかし、実になんとまあ、ラングらしい論法だ。そしてロイエンタールの虎の威を借りる()()狐という比喩もなかなかに巧みだ。よく本質をとらえている。ゲオルグは優雅にそう評価した。

 

 ラングは非常に優秀な秘密警察官であったが、より強い者の陰に隠れたがるところがあった。特に上位者に対してなにかしらの意見表明をする際は、それよりさらに強い者の権威を利用するのである。それは平民の立場が弱かった旧王朝の体制に順応していたがために、おのれの身を守る処世術なのであろう。そして旧王朝下の秘密警察長官としての実績がありながら新王朝においては新参者という弱い立場であるとラングは自覚していたであろうから、その処世術は現在でも有効に機能すると思っていたのだろう。

 

 なのにロイエンタールのこの罵倒である。たしかに卑屈で建設性に欠ける発言であるが、下種とまで罵倒されねばならぬ発言でもあるまいに。だがそれはそれとして、ラングがロイエンタールを憎悪したのは当然として、それを飼い主のオーベルシュタインが抑えないというのは妙である。

 

 ラングは飼い犬としてきわめてすぐれた能力を持っており、自分より強い存在の機嫌を損ねないように配慮して動く謙虚さないしは器用さをもちあわせている。だからこそ自分が内務省で影響力を拡大していくに際し、彼を同盟者に選んだのだ。つまり今の飼い主であるオーベルシュタインがその方針を咎めれば、ラングは自分の立場の悪さを自覚し、おのれの感情を沈めるほうに努力を傾けるようになるはずだ。すくなくとも、社会秩序維持局時代のラングは間違いなくそういう人物であった。

 

 なのにそうなっていないということは、オーベルシュタインはロイエンタールを隙あれば抹殺しようと目論んでいるということになるのであろうか。だとすれば、そこに秘密組織が付け入る隙があるのではないだろうか。幸い、オーベルシュタインの性格や思想はそれなりに研究してきたし、いまいっぽうのロイエンタールとは数度の面識がある。ある程度の為人はつかめているから、やってやれぬことはないだろう。

 

 オーベルシュタインがロイエンタールを排除したい理由については、なんとなくわかる。あの金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の元帥は、礼儀正しい危険人物なのだ。機会主義者、という表現が正しいのかどうかわからないが、あの男がどのような状況にあっても、だれかのために献身し続けることができる人間だとはゲオルグはどうにも思えない。あの男は自分より上の存在がいることを認めることはできても、それと対等以上の存在になれるのであれば躊躇うような人間であるとは思えない。もっともなにか根拠があっての疑惑ではなく、いうなれば貴族社会を生き抜いてきた人間特有の直感に過ぎぬのだが、経験上それがまるっきりハズれたことはほとんどなかった。

 

「ロイエンタールですか。ダンネマンのことを思い出すな」

 

 シュヴァルツァーのため息を吐くような発言に、ゲオルグは苦笑で返した。話が理解できず、ベリーニとブレーメが困惑しているのに気づき、ゲオルグは説明をはじめた。

 

「いやなに。私の側近だったフランツ・フォン・ダンネマン警視長は、かのロイエンタール元帥閣下とちょっとした因縁があってな。……そのときは、まだ中尉だったが」

 

 フランツには妹がいて、彼女は絶世というほどではなかったけど充分な美貌の持ち主で有名だった。そのダンネマン令嬢は結婚適齢期に三人の将来有望な士官から求婚されていた。父親は娘の意思を尊重するつもりで、フランツは求婚者全員が良い人物に思えたから口出しせず、結果的にダンネマン令嬢の完全な自由意思で結婚相手を選べることになった。しかし三人の求婚者は全員良い人であるけども一長一短であるように彼女には思え、一生をともに歩むつもりで相手を決めることがなかなかできなかった。

 

 そんなダンネマン令嬢の前に現れたのが、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)のロイエンタール中尉である。彼のミステリアスな魅力と深い知性にダンネマン令嬢はたちまち夢中になり、彼と結婚するつもりで一夜を共にしたのだが、ロイエンタールのほうはそんな気は一切なかったので、その一夜限りであっさりと捨てられてしまったのである。

 

 このことにかんして父親はなんて馬鹿なことやったんだと達観気味であったが、休暇で自宅に戻った際にそのことを知ったフランツは激怒した。純粋に妹の純情を弄んだことに対する怒りもあったが、始祖ルドルフ大帝が遺伝子理論を唱えていた影響もあって、結婚前に傷物になった女性への社会的ダメージはけっこう大きいのである。特に優秀な遺伝子を持っているとされている貴族階級の場合は。だから結婚する気がないなら手を出すなよとフランツは怒り狂ったわけである。

 

 実際には隠れて慎ましくやってるとまわりは知らんふりをしてやるべきだという、だれも公然と口にしない貴族的マナーがあるわけだが、ダンネマン令嬢は純粋すぎる娘であったこともあって人目をはばからずにそのことを嘆き、大事になりすぎてそういうわけにもいかなくなっていた。ゆえにフランツは妹に手を出した不埒者に目にものをみせてくれてやろうとしたのだが、すでにロイエンタールは彼の行動に怒りを覚えた求婚者三名と私的決闘に及んだことに対する謹慎期間も終え、遠い戦場にいたのでどうすることもできず、フランツは歯噛みするしかなかった。

 

 そしてその数年後、ゲオルグの側近になって出世街道を順調に歩んでいたフランツは、妹を傷物にした不埒な漁色家とばったりレストランで出会ったのである。彼が妹にした仕打ちを忘れていなかったことに加え、佐官の階級章をつけていることを確認したフランツは、この下種野郎はなんで順風満帆に出世してやがるんだという新たな怒りの炎を燃やし、すぐさま部下に命じてロイエンタールの跡をつけさせて居場所をつきとめると、適当な理由をこじつけてロイエンタールを逮捕して監獄にぶち込んでしまったのである。

 

 警察と年中対立している憲兵隊の苦情をフランツがすべて揉み消しに走っていたことから、かなり迂遠な方法でロイエンタールの部下が事情を知らせてきたことでゲオルグは数日後にようやく事態を把握し、こんなアホらしいことで派閥を危機に陥らせてたまるかとすぐさまフランツを叱責し、ロイエンタールを釈放させた。そして憲兵隊にこれ以上介入されたくなかったので当事者間で話をつけ、事件は解決したという既成事実をつくってしまおうとゲオルグが直接ロイエンタールの下に赴き、謝罪した。これがゲオルグが初めてロイエンタールと会った切っ掛けである。

 

「まあ、そんなことがあったわけでな。ダンネマンはロイエンタールが出世する度にぐちぐちと煩くてな。ローエングラム元帥府に所属して上級大将になった時は、栄光ある帝国軍上級大将が漁色に熱心な色情狂なんて世も末だと卒倒しかけおったほどだ」

「今は元帥に昇進して統帥本部長を務めているとヴァルハラで知ったら、どんな反応をするのでしょうかねぇ」

「……憤死するのではないか? いや、もうすでに死んでおるから、魂がヴァルハラより高次元の世界へと旅立つのではないか?」

 

 なんとも不謹慎な主君の推測に、シュヴァルツァーはあいまいな表情を浮かべてなにも言わなかった。そしてゲオルグはというとダンネマン家は今どうなっているのだろうかと考えた。ダンネマン警視長の死体を確認したのは父親だという情報だから、すくなくともリヒテンラーデ家のように一族郎党撫で斬りなどということにはなっていないようだが。

 

「同盟の混乱、帝国中枢の対立、そしてフェザーンへの遷都。バーラトの和約で数年は平和が続くと見ていたけど見事にはずれたものね」

「ああ、その通りだな。まったくもって、あのお若い皇帝と臣下どもは立ち止まるということを知らぬ」

 

 ベリーニの諦観が混じった言葉に、ゲオルグは頷く。本人らが望んでやっているかどうかは知らぬが、なにかにつけて急進的で、迅速に状況を変化させていく。まったくもって、自分らのように状況を利用しなくてはどうにもならない弱者としてはたまったものではない。

 

「しかしこうなると、ぜひとも我らが総督閣下にご協力願いたいものだな。情報源として有益であるし、場合によっては代理総督閣下と共同戦線を張る際に利用できるかもしれぬし」

 

 ゲオルグがちらりとブレーメに視線を向けると、上昇志向旺盛な青年はその発言の意図を察して口元にニヤリとした笑みを浮かべた。たしかにこのような状況下であれば、彼は取り込んでおきたいカードである……。




そろそろまた派手なことが発生しそうです

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