リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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あけおめ! ことよろ!
だけど新年一発目から、ちょっと不快な話かもしれない。


ある種の正気、ある種の狂気

 ワーレンたちとの会談を終え、それと並行して実行していたことが成功したとの報告を聞いて、シオン主教は自室でだらしなくソファに寝転がってくつろいでいた。会談による成果はそれなりに満足できるものであったので、張り詰めていた気を抜くことができたのである。むろん、皇帝弑逆をはかった地球教徒にたいして帝国当局がどれほど敵意を燃やしているかについて帝国側から説明されているので完全に安心できたわけではないが、ワーレン以下艦隊司令部の重要人物たちに帝国軍が地球を統治するのがどれほど困難かは理解させた自信はあるので、当面は大丈夫だろう。

 

 民衆の慰撫や他都市との連絡や交渉、なにより帝国軍が地球教本部に代わって地球の支配者となるエスコート役を務めて自分の価値を帝国軍に認めさせ、帝国軍支配体制下における立場を確保してこの街を守る方策。他にも考えなければならない課題は重要なものだけでも山ほどある。だが、それでも今は休みたかった。事前に多少の情報はあったとはいえ、ほとんど徒手空拳で交渉をおこなったのだ。かなり神経を使って疲れている。最低でも一時間、いや三〇分くらいはゆっくりしたい。

 

 しかしそのささやかな望みは叶えられることはなかった。寝っ転がって数分もせぬうちに修道女が入室してきたからである。ノックもせず入室してきたのでシオンはかすかに眉根をよせたものの、その修道女とは気心知れた仲だったし、表情が険しかったので特に何も言わず、報告を待った。

 

「あの、シオンさま。先ほど交渉で通訳をしていた少年が、あなたに会いたいと」

「通訳のかたが?」

 

 シオンは小首をかたげた。てっきり帝国軍の高級将校がまたなにか言ってきたのかと予想していたのだが、たまたま偶然出会ったというフェザーン商人の少年が自分にいったい何の用なのだろう。いや、いまは帝国軍とそれなりの関係を構築することこそ急務であるというのに、ある意味部外者の少年の要望をなぜここまで持って来たのか。

 

「はい、地球教本部でヴェッセルという信徒に助けてもらったことがあり、その人からシオン主教のことも聞いたので、よかったらあって話がしたい、と」

「……。わかりました。彼をここまで連れて来てください」

 

 ヴェッセルの名を聞いてシオンは状況を察し、ため息をついてそう指示した。アジア地域管区の管理は地球教本部が直接行なっており、ダージリンはアジア管区に所属している関係上、シオンは年に数回、都市運営の報告や陳情を行うために本部に赴くことがあり、その時に客人として遇されていたヴェッセルと会ったことがあり、告解をされたことがあった。

 

 聖職者として、彼の苦悩を説くべく真摯に対応したつもりだが、結果だけ言えば彼の苦悩を解き、救うことはできなかった。その原因について、彼女は彼が地球人ではなく、遠い惑星からの客人であるというから、自分たちとは異なる価値観を有しているがゆえの苦悩だったからだと思わざるをえない。それは翻せば、自分がまだまだ聖職者として未熟ということで、もっと精進しなくてはならないのだろう。

 

 だが、ヴェッセルの苦悩は地球教の決して褒められるべきではない所業と関連していることであった。だからヴェッセルの知り合いだとかいう、フェザーン人の少年を放置しておくわけにはいかない。今の帝国軍は悪くはない対応しているからまだ大丈夫だろうが、彼の口からヴェッセルが知っていることを帝国軍に語られると面倒なことになる。

 

 自分が破滅する程度なら、まだいい。だが、最悪の場合、地球そのものが破滅するような展開につながりかねない……。かといって帝国軍の庇護下にあるフェザーン人の少年を殺すわけにもいかないし、感情的にも殺人なんか一人の人間としてやりたくない。どういう意図あってのことかさっぱりわからないが、むこうからこのような要求をしてくるということは、少なくとも、話し合うつもりはあるということだろう……。そこに賭けるしかない。

 

 色々考えながら、またしても神経を使う交渉の延長戦が発生して、うんざりしている気分をすこしでもリラックスさせるべく、地元産の紅茶を淹れはじめた。彼女はこの紅茶の香りと味がとても好んでいたのである。紅茶ができた直前にフェザーン人の少年――と身分を偽っているユリアン・ミンツが修道女に案内されてやってきた。

 

「よく来てくれましたね、先にソファに座っていてください。紅茶を淹れてますので」

 

 流暢で丁寧な帝国公用語であったが、この時に彼女と話した中で一番凄みのある声音だったのが出会い頭のこの言葉で、彼女が休憩時間を邪魔されたことにすごく不快感を感じていることを充分に感じることができたとユリアンはのちに回顧録に記している。

 

 実際のところ、彼女が本当にそういう心境であったかどうかはわからないのだが、すくなくともユリアンの分の紅茶も淹れていたので、とりあえず客人として歓迎するつもりであったことは間違いない。机の上におかれたほのかに湯気がたっている二つのコップのひとつをユリアンは手に取り、はっとした。

 

「ずいぶんと香りの強い紅茶ですね」

 

 紅茶狂だったミンツ家の影響で、紅茶にかんする知識が豊富なユリアンをして、そう思うほど強い香りだった。その反応にシオンは柔和に微笑んだ。

 

「ダージリン・ティーというこの街の数少ない特産品です。香りも楽むことができる自慢の一品です」

「たしかに良い香りがしますね」

 

 その評価に、シオンは笑みを深めた。この街の生産物を外の宇宙出身の人が褒めてくれたということが、純粋に嬉しかったのである。その邪気がまったくない反応にユリアンは少々毒気が抜かれた感じがした。

 

「そうでしょう。ですが、香りだけではなく味の方もおいしいですよ。なにせ、かつて有名だったという紅茶のシャンパンを再現すべく、いろいろと茶畑を運営している人たちといろいろ試行錯誤しましたから」

「再現?」

 

 再現という言葉にユリアンは怪訝な顔をした。そこでシオンは説明不足だったと頭を振った。

 

「失礼しました。この街の歴史と少し関わることなのですが、ご説明しましょうか」

 

 一瞬迷ったものの、ユリアンは頷いた。この街の歴史に少し興味が湧いたからである。

 

「この街は、シリウス戦役前まで紅茶の産地として有名だったダージリンという街を再現すべく、二〇〇年ほど前に地球教本部の意向で開拓されはじめた街なのです。その際、かつて有名だった紅茶の再現が大きな目標として掲げられました。地球の大地は過去の悲しい出来事のせいで痩せ細っている土地が多く、ここもその例外ではなかったそうですが、そのために他の惑星から何百兆トンという肥沃な土を購入して、地球の土壌と混ぜ合わせるなんてこともしたそうです。最初は香りがしないとか、飲むことすらできないようなひどい味になったりとか、散々な結果になっていたそうですが、住民たちは諦めることなく、長い年月をかけて試行錯誤をし続けた結果、ここまで素晴らしいものをつくれるようになった。だからダージリンの住民にとってこの紅茶は自慢なのです」

「そうなんですか」

 

 興奮気味にそう語るシオンの姿は、聖職者というには少々落ち着きがないように思えた。

 

「……ですが、わたくしたちのだれも大昔のダージリン・ティーを飲んだことがないのですから、よく考えてみればこれをダージリン・ティーと呼ぶより、街の名前同様ヌーヴォ(新しい)・ダージリン・ティーと呼ぶほうが正しいのかもしれませんね。同じ味と香りなのかまったくわかりませんし、ダージリンという街の名前自体、大昔の超大国で紅茶におそろしいほど執着していた大英帝国がこの地を植民地としてから、現地人を奴隷のように扱って作らせていたものらしいですから、相互理解と純粋な努力の末に誕生した今のダージリン・ティーと同じものとして扱われることに多少の抵抗が……。いえ、あくまでわたくし個人の意見です。大英帝国が滅んで生産が強要されなくなっても、儲かるからとつくられつづけていたわけですから、大昔のダージリン・ティー自体に問題があった、というわけでもありませんから」

「は、はあ」

 

 熱が入りすぎていたことに途中からたんに自分のこだわりに突入していたことに気づき、優雅にくだんの紅茶を飲むべくコップを口に運んで気恥ずかしさを隠したが、手遅れである。

 

 しかし、それはそれとして、振舞われているダージリン・ティーだかヌーヴォ・ダージリン・ティーだかいう紅茶がとてもおいしいものであることはユリアンも認めざるをえない。ヤン提督にも飲ませてあげたいと思うほどであった。

 

 だがユリアンは茶葉をわけてもらえないかと言いたい気持ちをぐっとこらえた。そんなことのためにここにやってきたわけではないし、彼女に聞かねばならないことがあるのだった。

 

「紅茶の話はここまでにしましょう。僕はあなたに聞きたいことがあって、こうして面会をお願いしました。あなたはヴェッセルさんをご存知ですよね」

「ええ、本部で何度か会って話をしました。外の宇宙から来た敬虔な信徒でした」

 

 女主教がやや表情を硬くしたのを、若い少年は見逃さなかった。それでユリアンは彼女が知っていると確信し、怒りを感じずにはいられなかった。彼女はワーレンとの会談の席で、地球教本部の悪業はまったく知らないし、信じられない。そしてもしそれが本当であるというなら嫌悪を隠せないとはっきり宣言していたのである。

 

「あの人は、地球教が巡礼者を麻薬中毒者に仕立て上げて洗脳していることや、歴史を逆行させようと謀略の糸を張り巡らせていることに苦しんでいた。あなたはそれを知っていたのか」

「……知っています。彼がそのことで苦悩していたのも知ってはいます」

「地球教の悪業を知りながら、それを止めようとは思わなかったのか!」

 

 そうユリアンは語気を強くして弾劾した。地球教の行いに対する怒りの他に、ヴェッセルに対する哀れみも混じったものであった。『自由、自主、自立、自尊』。国父アーレ・ハイネセンが唱えたとされており、自由惑星同盟の標語になっている民主主義の原則を思えば、宗教に頼るのはどうかという感情もなくはないが、ヴェッセルはそもそも民主主義者ではないし、その悲惨な境遇を思えば宗教にすがりたくなる気持ちも理解できなくはない。

 

 だから地球教が本当に人の心を救うことを目的としたまっとうな宗教であったなら、ヴェッセルがあそこまで自分を見失うことはなかったのではないかという怒りがあったのだ。しかし、シオンはためらいがちに、予想だにしなかった言葉を返した。

 

「……信徒イザークにも言ったのですけど、なぜ止めなければならないのです?」

「え」

 

 あまりにもあまりな言葉に、ユリアンは思わず間抜けな声をだした。

 

「逆に教えてください。彼はいったいそのことに対してどう苦悩していたのですか。彼が帝国人だから、同じ帝国人が犠牲になることに苦悩しているのかと思ったのですが、彼はそうした行為自体を問題視していたようで……。ですが、それはごく普通、ごく自然なことなのでは? なぜそれ自体が原因で苦悩するのです? 彼が地球人だったというならまだわからなくもないのですけれど……。わたくしにはさっぱりわかりません」

 

 心底わからないといった調子にユリアンは絶句した。シオンにふざけた調子はまったく感じられず、なぜそれが問題なのか本気で知りたがってるとわかるだけに絶句するしかなかった。

 

「地球教の教義は他人を害することを禁じていたはずだ……」

 

 ようやく絞り出した言葉がそんなことであったあたりに、ユリアンの動揺ぶりがあらわれていた。

 

「そうですね。だから地球人がそうした行為を忌むのはわかります。わたくしにしても、本部がやっていることには邪悪に思えますし、嫌悪さえしています。ですが、人民を支配し統治する以上、そうした一面はどうしても出てしまうものではありませんか。だから必要悪としてわたくしたちは黙認するのが常です。ですが、そういったことに苦悩する人がいないわけではないので、そうしたものたちの言葉を聞くことはたまにあります。ですが、彼はそうした行いを公然と支持されている外の宇宙の人。なぜそれを問題視するのかがわからないのです」

「……なんだって?」

 

 ごく当然といった様子でおそろしい偏見を述べるシオンに、ユリアンは激怒した。

 

「外の宇宙の人は、地球教がやっているみたいに民間人を麻薬漬けにして洗脳するような、おぞましいことは絶対にしない!」

「たしかに細部は違うかもしれません。ですが自分たちとは違う集団を食い物にするという本質は同じでしょう」

 

 しかしユリアンの言葉をシオンはそういってさらりと受け流した。

 

「逆に聞きましょう。なぜ一世紀半に渡って戦争に狂奔しているあなたがたがそんなことを気にするのです? それどころか熱烈にそれを推進し、大量殺戮者を英雄として憧憬し賛美するのでしょう? 地球の場合、地球教本部がこういう人物の優れた指揮で何百万もの外の宇宙の人間を破滅させたから崇め奉れなんて言われたら、確実に民衆が激怒して大暴動が起こりますよ」

 

 聖ジャムシードのどんな理由があれども殺人を肯定し賛美する事なかれ、という教えにも明確に反してますしねと肩を竦めるシオン。これは地球人たちにとって言葉にするまでもない常識である。ゆえに地球人たちは公然と戦争の英雄なる殺人犯を称賛している外の宇宙の人たちが、とても理解できない存在である。

 

 国のため、あるいは自分の属する集団のため、殺人を犯すというところまでは理解できる。しかし人殺しは人殺しであり、嫌悪して然るべき行為であって、当然のはずだ。そうでなければ人間ではない。しかるに嫌悪感を抱かぬどころか、大量殺戮者を称賛するとはどういうわけだ。およそまともな精神の持ち主にできることではなかろう。

 

 しかして地球人たちは外の宇宙の住人たちを理性と良識に欠けた戦争狂である合理的に断じ、そんな人間にあるまじき連中がどうなろうが知ったことではないという結論を出す。外の宇宙がどうなろうとも、地球の繁栄こそが大事である。だから地球教本部が外の宇宙で大規模な謀略を繰り広げていることを知っても、多くの地球人は見て見ぬフリをするのだ。地球教本部が地球の繁栄を多少は支えているのは事実だから、彼らがやるべきだというならやらせとけばいい。別にそれで自分たちの生活が悪くなるわけでも、迷惑をかけられるわけでもないのだから。

 

 そういう意味では今回の帝国軍艦隊が地球に襲来し、地球教本部を土砂の中に沈めたことは、そういった地球人たちの“自分たちは関係ない”という固定観念に風穴を開けたといえる。地球教本部の悪業が白日の下にさらされ、何も知らない地球人たちは最初は帝国軍当局を疑っていたが数年の時をかけて徐々に当局を信じて地球教本部の悪業を心から批判するようになり、事実を知って知らぬフリをしていた地球人たちは地球教本部の謀略能力の低下を心の底から罵倒しながら、表向きは地球教本部の悪業を罵倒することになるわけである。

 

 あまりの価値観の断絶にユリアンはどう反論すればいいのかわからなかった。もし戦争賛美者や軍国主義者であるならば、こそこそして陰謀を巡らすより、正々堂々とした戦争の方がはるかに正義に恥じない行為であり、戦場で散ったならばそれは名誉の死である。陰謀で名誉の欠片もなく人を殺すのと一緒にするなと自信満々に主張するかもしれないが、そうではないユリアンにはそんな論法は使えないし、使ってはいけないと信じているのだった。

 

「……たしかに、一世紀半も戦争をしてきた外の宇宙の人たちはおかしいのかもしれない。だけど、帝国や同盟は戦争をしているという事実そのものを隠したりはしない。それに帝国ではどうかしらないけれど、同盟ではいつも戦争をやめようと主張している人たちがたくさんいた! でもあなたたちは地球教本部がなにをやっているのか知ろうともしないし、知っていても声をあげない! それでもあなたたちは自分たちのほうは人殺しを嫌悪しているからというだけで、地球教本部の悪業を見て見ぬフリをしているという自分たちのほうが道徳的だというんですか!」

 

 拙いながらも筋の通った主張であり、ユリアンが弁論方面にも才能があることを示していたかもしれないが、シオン主教はその主張を聞いて、ひどく戸惑っていた。それは理論の矛盾が指摘されたからというより、指摘があまりにもおかしくて唖然としていると言った感じの戸惑いで、ユリアンを不安がらせた。

 

「ごめんなさい。地球教の公報や伝聞でしか同盟のことを知らないから、わたくしの認識が間違っているのかもしれないから自信をもっては言えないのだけど、あなたが言っている戦争をやめようと主張している人たちというのは、いわゆる反戦派と呼ばれる人たちのことよね?」

「え、ええ」

「それで彼らの主張は基本として、若者を戦場に送り出して死なせるような社会は間違っているから、帝国との講和や戦争犯罪撲滅を主張し、過激なものでは徴兵制の完全廃止はおろか軍隊の段階的消滅という主張すらある。そういうものよね?」

「……はい」

 

 反戦派に対する認識が概ね間違っていないとわかっていくにつれ、ユリアンはどんどん不安になっていった。いったい、彼女は自分の主張をどうとらえたというのだろう?

 

「ではなぜ反戦派をひきあいに出して、わたくしたちを非難するのですか。反戦派こそはわたくしたち地球人に一番近い精神を持っているのだと思っていたのですが」

 

 予想外の言葉にユリアンは頭がハンマーで殴られたような衝撃をうけた。なぜと言い返す前に、シオンは理由を語り始めていく。

 

「極々一部の方々を除き、ほとんどの反戦派の方々が忌み嫌うものは戦争そのものではなく、戦争で死んでいく、あるいは死ぬことになるもしれない同盟人の犠牲でしょう。でなければ帝国軍に大敗して多くの犠牲を出した同盟軍の提督のことを道義的に恥じるべきとか、同盟軍の犠牲少なく帝国軍の大軍を打ち破った提督のことを人命の大切さを良く理解しているとか、そんな的外れな表現を平然とできるわけがないでしょう」

 

 戦争という概念を極論してしまえば、公然と人殺しが推奨されるばかりか大量殺戮を実施すれば英雄とすら呼ばれる異常な時間と場所のことである。その前提に立てば、味方の犠牲少なく敵を抹殺した英雄を道徳的に賞賛するというのは欺瞞に満ち溢れている。大量殺人を実行した英雄様とやらがなぜ道徳的に良い行いをしているといえるのかさっぱりわからない。英雄様をも殺人者と糾弾してこそ、真に道徳的なのだ。

 

 いやそれどころか、本当に大敗した敗将が圧勝した名将より道徳的に劣弱なのかどうかすら怪しいものだ。もしその二人を分けた差が、敵軍を一方的に虐殺することを気にしたか気にしなかったのかの差であるというなら、かえって敗将のほうが道徳的に優れていたとさえ言えるのではあるまいか。むろん、それならそれで敗将には一軍の長として無責任なことこの上ないという別の問題が発生するわけであるが。

 

 もし同盟軍の徴兵制が廃止され、戦争に行きたいやつだけが志願して戦場に行くようなことになったら、同盟本土が戦争に巻き込まれない限り、反戦派の多くは活動に意味を見出せなくなるだろう。もしくは、ありえない仮定に過ぎないが、仮に同盟軍首脳部が全員、常勝不敗の名将で味方の犠牲者を一兵もださず、帝国軍に毎回毎回大勝するようなことなった日には、反戦派の九割以上がそのまま主戦派に鞍替えする珍事すら発生するのではないだろうか。

 

「いったい、わたくしたち地球教徒となにが違うというのでしょう。わたくしたちだって、本部の行いを黙認していたのは自分たちの生活にプラスもマイナスもまったくなかったからであって、もし強制的に謀略のための人材として徴集されることなれば、先ほども言いましたように民衆の大暴動が発生するでしょう。すくなくともわたくしは激怒しますし、まちがいなく激怒するだろう知人の名前をかるく一〇〇人はあげることができます。なのに、どうして反戦派をひきあいにわたくしたちが道徳的に劣っていると批判できるのですか」

「……」

 

 今度こそ、反論できない。すくなくない反戦派の活動家たちが、養父ヤンを高く評価し、持ち上げていたことを知っているから。理性的にそのことがわかってしまったユリアンは暗澹たる気分になってふと思った。ヴェッセルがああまで自分を見失ったのは、地球教の暗部を知ってしまったことの他に、地球人たちの狂っている、いや、ある意味では純粋すぎる合理的価値観と衝突し、己の正義感をまったく信じられなくなってしまったからではあるまいか。

 

「その疑問に、僕では答えることができません。ただ、あなたがた地球教徒の主張は間違っています」

 

 だが、それでも彼女の主張を認めるわけにはいかない。子どもっぽいと罵倒されようとも、ただ嫌悪していればそれで良いという主張には断固として間違っていると言わなければならない。地球教のあの行いが、暗黙理のうちに認められるような社会は、絶対に間違っているのだ。

 

「そうかもしれません。わたくしたちも母なる地球が己が子に与えたものすべてを完全に理解しているわけではありません。ですからわたくしには自分が正しいとは、とても言い切れないのですよ。恥ずかしながら」

 

 穏やかな口調で自分の主張がなかば肯定されたことに、ユリアンは唖然とした。反発されることを覚悟で言ったのに、それもひとつの意見として理性的には彼女は受け入れる度量をしめしてみせたのである。

 

「ですが、どこが間違っているのか自分で考えてもわからないことには、他人から指摘してもらわなければ改めようもないのです。いつかそれを説明できるようになった時、また地球にいらしてください。一人の聖職者として、信徒イザークの苦悩をとく助けとなるどころか、より深い苦悩を背負わせる結果になってしまったことをわたくしは悔やんでいるのです。ですから、いつかそれを教えていただきたい」

 

 そう言って悲しげに微笑むシオン主教の言葉に嘘偽りはないように思えた。彼女自身は悪い人ではないのだろう。そうであるからこそ、間違った価値観を否定できないことに自分は悔しさを感じるし、ヴェッセルは絶望したのだろう。地球教の暗部を嫌悪しながらも黙認する彼女らの思考をくずせないおのれの無力さを感じずにはいられないのだ。

 

 それは去り際にシオン主教が自慢の紅茶を気に入ってくれてありがとうと言って、ダージリン・ティーの茶葉をくれたこともあってより強くなった。彼女が地球教の最終目的はともかくとして、サイオキシン麻薬で巡礼者を洗脳していたことや銀河に謀略の糸を伸ばしていた悪業を知っていたことをワーレンに言うべきかどうか悩んでいたが、黙っておこう。それは彼女だけが、ということでもないようだし、理性的な話しあいで言い負かされたからといって相手に対してそんなことをしたら、なんとなく卑怯だと思えたのである。

 

 いっぽう、神殿に残ったシオンは今一度思考を巡らせた。公的権力が戦争を表立って行い民衆がそれに熱狂するより、水面下で謀略を巡らせて民衆はそれを黙認しているほうが、より悪質であるとどうして彼らは断ずるのであろうか。そしてどうしてそちらの側を信じるものが多いのであろうか。地球には一〇〇〇万の人間しかおらず、四〇〇億の人間がそれを間違っているというのだから、やはり地球が間違っているというのだろうか。

 

 いや、正しいか間違っているかどうかが、統計上の数字で判断されていいはずがない。仮に二たす二は五だと主張する人間が圧倒的多数であったとしても、二たす二は四が正しいのだ。多数派であることや少数派であることにいったい何の意味があるというのだろう。むろん、ことは数学の話ではないから、これほど単純なことでは決してない。しかしシオンとしては争いが肯定され英雄が賛美される世界より、建前の上であるにしても争いが否定され英雄は殺人者として罵倒される世界の方が正しいと思える。そしてそれを否定する言葉は何度か聞いたことがあるが、そうした主張には疑問が多すぎて心から納得できたことはいまだかつてない。

 

 そうである以上、自分は正しいはずである。少なくとも間違ってはいないはずだ。ああ、母なる地球は人の子をなんと複雑につくったのであろう。しかし、そのことに感謝こそすれ、恨むことはない。それがゆえに世界には謎が満ち溢れており、教理を極めんとする探求は彼女の心を捉えてやまない。ああ、世界はなんと複雑怪奇なことか! そしてその世界に人の子として生まれた幸運になんと感謝すべきか!

 

 もし絶対なる悪が人間にあるとすれば、それは考えることを放棄することに他ならない。そう信じるがゆえに彼女は聖職者たるを望んだのであり、暇を見つければ民衆に教義や歴史の話をするのだ。彼らもまた人間であり、複雑な思考をすることは人間にのみ許された喜びであるはずなのだから……。




シオンさんは良いか悪いかで言ったら間違いなく一人の人間としては良い人です。
ただ信じてる価値観がおかしいことと、なまじ優秀な頭脳の持ち主であり、知識欲旺盛なせいでその価値観を補強しまくっているので、その価値観は間違っていると言われてもどこが間違っているんだと純粋に気になって尋ね、そしてその疑問をとくほど説得力のある批判を聞くことがありませんでした。

ちなみに彼女の価値観を要約すると「政治とか戦争とか謀略とか知るか! 自分たちに関係ない場所で勝手にやらしとけ! 自分は地元の安全と民衆の悩み相談くらいしか興味はないんだ!」となります。
この作品の地球教の場合、謀略で得た金をそのまま工作費にぶち込んでるので、基本的に地球は自給自足(&たまに謀略で得た端金がプラス)でまわしてたので、どんだけ地球教本部が謀略やってても地球の暮らしは基本的に牛歩の歩みでしかよくならないし、地球人たちは地元の暮らしさえ安泰なら本部がなにやってようがどうでもいいと本気で思ってます。
一部の戦争狂死すべしな過激な人や支配する愉悦を味わいてぇな人は、地元から推薦されるか報告を聞いた本部からスカウトがくるので、自然と住み分けができてしまうといいますか……。

あ、これで地球の話はひとまず区切りです。いやあ、長かった。しかし新帝国歴一年はまだまだあるよw

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