リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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地下神殿崩落

「なんという忌々しい目だ。自分の価値観が正しいと信じている……いや、自分が信じる価値観は間違ってはいないと言い切れる幸運に恵まれた奴しかできぬ目だ。なんとも腹立たしい」

 

 ユリアンを睨みつけながらヴェッセルは恨み言をこぼしたが、それはユリアンに向けて言っている言葉ではなかった。その不毛さに気づいたように脱力した。それが若さというものではないか。

 

「……まあいい。なぜきみを助けようとしたか、か。そうだな、あえて言うのであれば、きみにかつての自分が重なった。だから思わず助けたくなった」

「あなたと僕が似ていると……?」

「自分の一方的な認識では、な」

 

 ユリアンが少しだけ不快気にそう言ったので、ヴェッセルはそう付け加え、天井を仰ぎみて、ここではないどこか遠い時空へ思いを馳せた。

 

「普通は聖職者に対してするものだから筋違いかもしれんが、きみに告解してかまわんか? 地球教の聖職者に対して何回もやったんだが、近頃はどうにも意味のないものに思えるから……」

 

 ユリアンはなにも言い返さなかったが、ひとつ理解した。ヴェッセルの行動には一貫性がまるでない。そしてその原因は、おそらくは精神的に衰弱しきっているからなのだと。

 

 なにも言い返してこないのを肯定と受け取ったヴェッセルは、滔々と身の上話をはじめた。

 

「私はそれなりに有力だった門閥貴族家の次男坊でね。かなり贅沢な生活を送っていた。実際、幼い頃になにか深刻な不満を抱いていたような記憶がない。そんな温室育ちだったからかなあ、現実感覚ってものも学ばず、懲悪勧善な絵物語の展開を愚直に信じ、犯罪者を取り締まる正義の警察官になってやろうとして、そうなったんだが、警察もきっちり腐敗しまくっていてね」

 

 それでも正論と命令を駆使してヴェッセルは必死に正義を執行しようと努力した。ひどく硬直化していた組織機構を刷新し、自部署の汚職体質を改善させ、検挙率は飛躍的に向上した。しかしそれはあくまで力が及ぶ範囲内でのこと。まわりからは表向きは褒められたが、疎まれて足を引っ張られてきた。それでも、その悔しさをバネにしてヴェッセルは全力で職務に励んだ。

 

 だが、それの熱意が報われることはなかった。それどころか、殺人の現行犯を逮捕した際、被害者が貧民街の平民で加害者が大貴族の御曹司であったがために、ヴェッセルは警察として完璧に正しい態度をとったにもかかわらず、警察からは()()()()()()()()の責任を追求されて閑職にとばされ、両親からは社交界での肩身が狭くなったと罵倒され、勘当されたような扱いを受けた。

 

 自分は何一つ間違ったことをしていないのに! 世の不条理を、正義と法律を踏みにじって恥じない腐敗した俗物どもが権力を握って好き勝手振る舞うことを激しく呪った。そしてなにより、おのれの無力さに絶望した。このような不正行為が公然とまかり通り、守護対象であるはずの帝国臣民を犠牲にし続ける、帝国の上流階級を憎んだ。

 

「そんなときだ。地球教と出会ったのは、聖職者たちは良き相談相手になって、心の支えになってくれた。だから私は閑職でも道を踏み外すことなく、信仰心を支えに真面目に働き続けることができた。それから数年後、私は忠誠を尽くすべき主君と出会ったのだ……」

 

 ヴェッセルがそう言って、ユリアンに向き直った。

 

「よく尊敬した上司としてきみに話していた人物だ。すこしばかり有名な人だから、名前を隠してきたが、その人の名をゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという」

「リヒテンラーデ、ということは」

「ああ、長年帝国を支えてきたクラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵直系の孫にあたるお方だ。公爵がオトフリート三世以来守られてきた慣習を破って、半世紀ぶりに臣下の身でありながら帝国宰相に就任した一件については同盟でもよく報道されていたそうだから、知っているだろう」

 

 ユリアンは頷いた。フリードリヒ四世の側近中の側近ともいうべき人物であり、皇帝崩御に際し、軍部に強固な基盤を築いていたラインハルト・フォン・ローエングラムが門閥貴族と対抗するため、官界と宮廷に大きな勢力を築いていた手を組んだ相手として。

 

 そしてリップシュタット戦役で門閥貴族連合を下した後、リヒテンラーデ公爵の一族が辿った末路についても、同盟では大きく報じられた。リヒテンラーデ家は一族郎党処刑されたと。

 

「ゲオルグ閣下は私の能力を高く評価し、第一線級の人材としてよく使ってくださった。あの人は組織改革も熱心で、組織の綱紀粛正に余念がなかった。なにより、たいへんな名家出身の方であるのに、下々の人たちのことをよく見ておられた。学歴のない平民出身者でも優秀であるなら、まわりを説き伏せて警部補や警部の地位に昇進させるほどだった」

 

 そう滔々と語った後、やや言いにくそうに、先ほどと比べてやや声を潜めた。

 

「だがそれでも、閣下は有力門閥貴族家の次期当主候補の一人であったから、派閥争いに否応なしに参加せねばらぬ身の上であり、謀略という決して褒められることではないことにも手を染め、正しくないこともされておられた。それでも昔に比べれば警察の在り方は見違えるほどよくなっているように思えたし、閣下自身も決して本意でやっていることではないと感じられたから、私は彼を信じられた。そして、彼が権力の頂に立つための力となろうと固く誓っていた……」

 

 ヴェッセルの声は途中から擦れてきて、ユリアンが怪訝に思って彼の顔を伺って沈黙した。彼の頬は涙でぬれていたのだ。

 

「だからゲオルグ閣下が公爵から正式に次期当主と認められ、警視総監でありながら内務次官を兼任されるようになり、今まで好き勝手振る舞ってきた不平貴族どもが連合を組んで帝権に牙をむいてリップシュタット戦役が始まった時、私は確信したのだ! この内乱が終わればリヒテンラーデの名の下、帝国の腐敗が一掃され、綱紀ある改革がなされるのだと! なのに、どうだ。あの憎たらしい“金髪の孺子”が、恥知らずにもつい先日まで協力関係にあったリヒテンラーデ家を粛清しやがった!」

 

 怒り狂う元警察官房長だったが、そこでぶつんとなにかが切れたように怒りがやみ、憂鬱に呟くように話し続ける。

 

「……それでもまだ、ローエングラム公が腐敗した門閥貴族どもとさして変わらん存在だったなら、まだ救いはあった。でも、あいつの統治下で行われた政策は、自分が求め続けてきた改革そのもの……いや、それ以上のものだ。なら私は、なんのために頑張ってきたのだ? なんのために閣下は地位を追われねばならなかったのだ? 自分が求め続けてきた政治改革の邪魔をするためか。私は、俺は、閣下の命であいつが思想犯かどうか調べるのに協力したことがあるのだぞ……」

 

 偉大なる何かに深く懺悔するように語るヴェッセルを見て、ユリアンは自分の未熟さから、どうしようもない偏見にとらわれていたことを悟った。自分が生き残るために味方の補給艦に向けて発砲したリッテンハイム候や、自分の領内で叛乱が発生したという理由で熱核攻撃を行ったブラウンシュヴァイク公のイメージが強すぎたため、昔はともかくローエングラム王朝に同調できなかった貴族階級の者達は、程度の差はあっても、基本的にどうしようもない人たちだったのではないかと思い込んでいたのだ。

 

 なまじ旧王朝の門閥貴族残党が、権力ほしさゆえにフェザーンの工作にまんまと嵌り、銀河帝国正統政府などという誇大夢想染みた亡命政府を同盟内に設置して帝国の全面侵攻の大義名分になってしまったばかりか、ヤン艦隊の客員提督(ゲスト・アドミラル)として力を貸してくれていたメルカッツ提督を無断で強引に軍務尚書などという地位につけたことのせいで、そういった偏見は強くなることはあっても、薄められるようなことは今までなかったのである。

 

 そこでユリアンはふと思い出した。リヒテンラーデといえば……!

 

「ひとつ聞きたいことがある。シュテンネスという名前に聞き覚えはあるか」

「……シュテンネス警視正のことか。なぜきみがその名を知っている?」

「僕はフェザーンに行った際、シュテンネスと呼ばれていた男に会ったことがある。彼はリヒテンラーデへの忠誠を叫びながら、追手から裏切り者と罵倒されて殺された」

「シュテンネスが、か。彼は小心なところがあったからな……」

 

 ヴェッセルにとって、ゲオルグは崇敬に値する主君であったが、それでも明らかな欠点をいくつかあげることができる。そのひとつが信頼した部下に対し、いささか過大な期待をしてしまう点である。実際、シュテンネスを信頼できるとして、ゲオルグがいざという時の対処を教えると言った時、ドロホフと一緒になって閣下が失脚するような事態になっても閣下に忠誠を尽くせる度胸の持ち主かと反対したものである。

 

 結局、ゲオルグは二人の反対を考慮した上でも教えたわけであるが、現実的な結果としてシュテンネスは立場を失ってなおゲオルグについていくということをしなかった。その意味ではドロホフやヴェッセルの懸念は的を射ていたわけであるが、同時に忠誠心から決して不利益になるようなこともしなかったので、ゲオルグがシュテンネスを信頼したのも完全に間違いとは言い切れない。

 

「ということは……。そうなるとあなたの主君はまだ生きているということになるが、彼について行こうという気はないのか」

 

 その口ぶりから、フェザーンで暗躍していた秘密組織の元締めがおそらくはゲオルグなのだろう。そしてヴェッセルの全身から漂う悲惨さに対する同情心から、ユリアンはなにかの希望になるだろうかとそんな問いを投げたが、その答えは自嘲の色が濃い諦観の声であった。

 

「無理だ。たいした理由もなく、絶望からここで腐っていた私を、閣下が赦すとは思えん。あの人は優しいお方だが、信頼した人間が自分の下から消えていくことが赦せない人であったから……」

 

 内務次官を兼任していた頃のゲオルグが心から信頼していた側近はドロホフ、ヴェッセル、ダンネマン、シュテンネス、シュヴァルツァーの五人である。だが、それ以外にもゲオルグの側近と見做されていた人物が過去にはいた。そうした者達は、殉職か権力闘争の渦中で死んだか。――さもなくば、ゲオルグを裏切ったかである。

 

 ゲオルグは家庭の事情で幼少期から叔父のハロルドとの間で陰惨な暗闘を繰り広げてきた経験からか、人間不信気味である。しかしその一方、信頼することができた部下には優しいところをみせることが多くなる。だが、特に信頼していた相手が裏切った時、彼は信じられないような残忍性を発揮することがあった。

 

 実際、ハロルドの側に寝返った側近を排除する方法はいくらでもあったにもかかわらず、ゲオルグはあえてその相手をろくでもない方法で死に追い込む策謀を立てた。その時、ヴェッセルはやりすぎだと一度翻意を願ったのだが、「卿は優しいな」と(ほが)らかに微笑んだだけで、まったく迷うそぶりもみせずにその策謀を実行に移した。

 

 結果として、帝都の暗黒街に身元不明の死体がひとつ転がることになったのだが、その報告に対してゲオルグはそっけなく「そうか」と興味なさげにつぶやいただけだった。さすがに我慢できず、ヴェッセルはゲオルグに詰め寄った。裏切り者を憎む心情は理解できるが、そこまでやる必要がどこにあったというのか。

 

 最初は傲然とゲオルグは反論していたが、徐々にその虚勢は崩れていき、ヴェッセルはゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという人間を構成する重要な一要素と直面した。彼は夜の暗がりに怯える(わらべ)のように脈略のないこと言い出し、最終的にヴェッセルに懇願する様に言ったのである。一人にしないでほしい、頼らせてほしい、と。

 

 そのとき、ヴェッセルはゲオルグという人間を根本から勘違いしていたことに気づいた。彼はゲオルグのことを有能で強い指導力を持った貴族であると考えていた。しかしそれはそのように演じてみせているだけで、本質ではないのだ。幼少期からだれもかもが疑わしい環境で育ったゆえにだれかを信じることに飢えていて、それだけに大きく信頼できるようになった相手が、自分の影響下から離れていってしまうことはとても耐えられないことであり、赦すことができないことなのだ。

 

 それを自覚したとき、ヴェッセルはゲオルグが自分よりずっと年下の人間であるということをはじめてすんなりと受け入れることができた。そして人生の先輩として、この哀れな子を支えてやらねばならないのだと思うようになり、なおいっそう彼に対して深い忠誠心を抱くようになったものだが、いまや自分がそうした存在になり果てたのだなと自嘲した。

 

「それに、閣下に赦され、うまいことローエングラム公を倒して帝国の中枢に返り咲くことができたとしても、今のローエングラム公ほどうまく国家統治ができるとはとても思えん……」

 

 これこそが腐敗した門閥貴族どもとさして変わらん存在だったなら、まだ救いはあったという言葉の本意であった。もしラインハルトが無能であれば、ヴェッセルは迷うことなくゲオルグの下に馳せ参じ、不遜な若者相手に戦えばよかったのだから。

 

 だが、現実に起きていることなのかと時折疑わしく思えるような速さで政治改革・腐敗一掃・綱紀粛正を強力に推し進めているラインハルトに、ゲオルグが匹敵ないしは勝るような存在であるとは、どうにも思えないのであった。ラインハルトに匹敵するような人材など、何千年に渡る人類の歴史を紐解いても、開祖ルドルフ大帝くらいではあるまいかとヴェッセルは思うのだ。

 

 ゆえにヴェッセルにとって、ラインハルトの麾下に下ることは忠誠を誓った大恩ある主君を裏切ることであり、大恩ある主君に忠誠を誓うことは、ラインハルトが実現した自分が夢見てきた社会を否定することなのである。どちらも選ぶことなどできず、その間で苦しみ続け、ヴェッセルはいつかのように信仰に救いを求めた。

 

「救いを求めて地球教の聖地に身を寄せてみれば、どうだ。巡礼者をサイオキシン麻薬中毒者に仕立てあげ、なにやらよからぬ陰謀の糸を銀河に伸ばしているというおぞましい一面を見せつけられた。まったく、俺が信じてきたものとは、いったいなんだったのやら。だが、もう、どうでもいい。今まで必死で地球教は善良な宗教であると自分を誤魔化し続けてきたが、いい加減、疲れた。自分は“弾劾者”ミュンツァーみたいな正義の人になる? はっ! 俺の人生はただの道化だろうがよ……。なにひとつ、建設的なことができていないじゃないか……」

 

 だれよりも自分を傷つける言葉をヴェッセルは吐き続け、ユリアンは痛ましさを感じずにはいられなかった。無論、嘘を吐いているように見えないからと言って彼が間違った認識をしているだけだという可能性もない訳ではないだろうが、話を聞いている限り、彼のことをとても悪人とは思えないのだった。

 

「どうした? はやく撃て。ここにいるのは、地球教の悪業に加担した罪人なのだぞ。なにをためらう必要がある」

 

 ヴェッセルは死に場所を欲しているのだ、と、ユリアンは察した。しかし、しばし逡巡したのち、ユリアンはブラスターを下ろした。自分の中にある彼を殺したく無いという感情に加え、彼の頭脳に打算的な思考が走ったためであった。

 

「必要性がない。僕が得することがひとつもありませんから」

「いやあ、どうかな。ここで殺しておかねば、地球教にきみのことを密告するかもしれんぞ」

「あなたを殺したところで同じだ。この地下施設のあちこちに監視カメラがあった。あなたと一緒にこの部屋に入ったのも、モニタールームで見られているだろう。そして僕がひとりだけ部屋を出たとこを見られたら、すぐに不審がられる」

「……」

 

 ヴェッセルはなにも言い返さなかったが、表情だけでも充分にユリアンの言葉が正しいことを証明するかのように歪みきっていた。

 

「あなたが見抜いたように僕は同盟人、ユリアン・ミンツという同盟軍人だ。それで宇宙を暗躍している地球教の秘密が知りたい。だから殺すことよりあなたを利用したいと思っている。協力してくれないだろうか」

 

 くわしく身の上を説明すると面倒なことになりかねないし、もしかしたら敬愛しているヤン提督に迷惑がかかるかもしれないと遠慮した結果、ユリアンは同盟軍人であると説明した。突拍子もない提案にヴェッセルは戸惑ったが、すぐにそれを、すくなくとも表面上は沈静化させ、憮然顔で反問した。

 

「……利用するだと? 地球教本部の醜悪さに関して唾棄すべき点が多々あるから協力すること自体は別にかまわんが、どう利用するというのだ? さっきも言ったが、私は外様の身で、地球教の秘密を預かる身ではない。警備の一部を担当してはいるが、いつも警備配置に決定に際して、大主教の承認が必要な立場だ。はっきり言って、役のたちようがないと思うが」

「少なくとも、僕よりは地球教の深部に詳しいだろう。道案内役を頼みたい。資料室のような場所に心当たりはないだろうか」

「……ある、な。だが、警備がそうとうに厳しいぞ。いったいどうやってかいくぐる気だ?」

 

 そう、そこが問題である。どのように警備を撹乱させるべきかユリアンが無言で考え始めて数分後、ある後世の歴史家の表現を借りれば「これがフィクションの類であれば、御都合主義的に過ぎると批判の対象にされるレベルの幸運」に恵まれたのである。すなわち、具体的な方法を考えはじめて、すぐにユリアンのあずかり知らぬところで、勝手に警備が撹乱状態に陥ったのである。

 

 はじまりは爆発音が響いたことであった。その音を聞いて、部屋の中にいた二人は驚愕して顔を見合わせた。次いで外が騒がしくなってきて、ヴェッセルが様子を見てくるのでじっとしていろと告げ、部屋から出て、一〇分前後するとげんなりした顔で、ユリアンに告げた。

 

「あー、なんだ。どういうわけか帝国軍がこの地球本部に攻撃してきたそうだ。さっきの爆発音は、メイン・ゲート以外の出入口が帝国の軍艦のミサイルで潰された音らしい」

「どうしてですか?!」

 

 まさかの帝国軍の介入にユリアンは驚きの声をあげたが、すぐに巡礼者をサイオキシンで洗脳していたことが帝国当局にバレでもしたのだろうと推測したが、ヴェッセルの返答はそれとは微妙に異なった。

 

「わからん。だが、ド・ヴィリエ大主教猊下からどういうわけか帝国軍が来襲してくる可能性については聞かされていたから、なにか謀略面で帝国の逆鱗を踏むようなことをしたのかもしれんな。……ところで、現在、地球教の警備体制は間違いなく混乱の極みにあると思うのだが、行くか?」

 

 ユリアンは頷いた。帝国軍が地球教を混乱させているのを利用することに、ためらいなどなかった。別に敵国の目的など知ったことでは無いと言うわけではないが、そもそも今のユリアンはただの民間人に過ぎず、帝国軍に敵対も協力もしてやらねばならない義理はなかったし、そのために地球にやってきた目的に手が届きそうな好機を逃す必要はまったくないのである。

 

 その意思を確認するヴェッセルは少し待てと呟き、机の抽斗(ひきだし)から予備のブラスターを取り出して、懐から取り出したエネルギー・カプセルを手慣れた調子で装填した。また箪笥(タンス)から地球教司祭の僧服と首飾りを取り出し、ユリアンに変装するように指示した。

 

 二人は部屋を出ると、慌ただしく信徒たちが動き回っている廊下を同じように走り始め、資料室へと向かいはじめた。すれちがった小火器やナイフで武装した地球教徒たちは「邪悪な異教徒の襲撃だ!」「地球の神聖を汚すものを殺せ!」とヒステリックに叫び続けており、あのような武器で帝国軍と戦うつもりなのだろうかとユリアンは内心引いていたが、ヴェッセルのほうは我関せずと平然としたものであった。

 

資料室付近には、この状況になっても警備を続けている武装教徒が五、六人ほどいて、さすがにここは強引に突破するしかないかとユリアンは僧服の下にあるブラスターに手を伸ばしたが、ヴェッセルはそれを手で制すると、威厳たっぷりに主教であることを示す首飾りをしている聖職者に話しかけた。

 

「想像以上に帝国軍の攻勢が激しい。きみたちも防備にまわれ」

 

 傲慢な命令口調に反感を抱いた、その主教は敵意も露わにヴェッセルを睨みつけた。

 

「残念ながらその要請には応えられん。総大主教猊下直々にこの資料庫を死守するよう仰せつかっているのでな。貴様こそ、さっさと邪悪なる異教の帝国軍を撃退すべく地上に向かったらどうだ。それともよそ者同士、殺し合うのは気が引けるか?」

「私が外様であることは認める。しかし帝国軍はS-二九ブロックまで進出してきているのだ。ド・ヴィリエ大主教猊下はここにまでやってくるのも時間の問題と考えられ、私に神聖なる地球の記録を異教徒どもに奪われることなきよう、私にすべての記録を処分するよう命じた。きみは大主教猊下の意向に逆らうのか」

「落ち目の俗物大主教の命令など無視しろ! われわれは総大主教猊下の命令を優先する!」

「ふむ、そうか。では、万一、この資料室が帝国軍の手にわたり、その記録が利用された場合、地獄で責任をとってくれるのだろうな?」

「そ、それは」

 

 いかにも上位者として正統な権利を行使しているだけだといった態度で話し続けるヴェッセルに、主教の敵意は徐々に萎えていき、冷静な思考がまわりはじめた。S-二九ブロックにまで帝国軍が侵入してきている? たとえ間に数百数千の信徒がおり、肉壁となって時間を稼いだとしても、ここにやってくるまで数刻とかからぬだろう。ならば、ド・ヴィリエ大主教の命令もそれほど間違っているとはいえない……。

 

 数分後、俗物大主教と余所者への反感より現在進行している事態にたいして恐怖を感じはじめ、主教は折れた。彼はヴェッセルがでまかせで言った命令を信じ、警備の兵を伴って防戦に向かう決意をしたのである。おかげでユリアンとヴェッセルは無人となった資料室に公然と入ることができたのだった。

 

「すごいですね」

 

 ユリアンが呆れているのか感心しているのか判断に困る微妙な声でそう述べると、

 

「なに、上に立って、下に命令する立場だったからな」

 

 くわえて、彼は脱出計画についてある程度聞いていたので、総大主教もド・ヴィリエ大主教もすでにこの本部からは脱出しているだろうから、いくら名前を借りた命令を出したところで嘘がバレるはずもあるまいという推測もあったので、自信満々に言えたことも相手を折れた理由のひとつになるであろうか。

 

 資料室には驚くべき事に同盟の最新型にやや劣る程度の近代的な大規模コンピュータが設置されていて、地球教の内部記録が保存されているようであった。幸いなことに、光ディスクに対応している挿入口があったのでそこに持参していた空の光ディスクを挿入した。モニターに浮かび上がっている文字は慣れない帝国語表記だったので少々大変だったが、なんとかコンピュータを操作して光ディスクへのデータのコピーを開始した。

 

 コピーの開始から完了まで一〇分程度の時間しかたっていなかったが、こういう非常事態においてただ待っているだけの時間の流れというものは、非常にゆっくり感じられてしまうものである。ユリアンは冷静にモニターを見守っていたが、主観的な心情としては、一時間近くかかったようにすら感じられたので、ようやく終わったというのが偽らざる感情であった。

 

「終わりました」

「よし、じゃあ、地上に戻るぞ」

「ちょっと待ってください。データが帝国軍の手に渡らないよう、消去しておきます」

「あくまで建前のつもりだったんだが……まあ、同盟軍人のきみも俺もローエングラムめに協力してやる義理もないし、かまわんが」

 

 やはり、この人は皇帝ラインハルトに対して、非常に複雑な感情を抱いているらしいとユリアンは再確認して、コンピュータの初期化を開始させるとヴェッセルに向き直り、今後の計画を述べた。やはり、最初のフェザーン人であるという偽装身分をそのまま利用して帝国軍に保護されるのが一番だと言った。自分と一緒にきた仲間たちもそれが一番生存の目が高いことはわかっているだろう。

 

 そして宇宙船に乗り合わせた乗員一人としてヴェッセルも帝国軍に受け入れさせてしまおうという、地球教の客として遇されていた相手を地球教を征伐しにきた帝国軍に保護させるかなりずうずうしい提案をして、ヴェッセルを驚かせた。最初は断っていたが、地球教について詳しい内実を知っているに違いなかったし、光ディスクだけではわからないこともヴェッセルならわかるような内容のものもあるかもしれず、地球教の暗部を白日の下に晒すことにつながるだろうと告げると、しぶしぶ同意した。

 

 司祭である首飾りと僧服を脱ぎ捨て、地上を目指して走っている最中、巨大な爆発音が響き渡り、ついで地下神殿が崩れはじめた。このままでは生き埋めになると状況で両者は理解し、足をはやめたが途中で崩れ落ちた瓦礫で通路のほとんどが埋まっている場所があった。ロッククライミングの要領でなんとかユリアンは天井付近のかすかな隙間を抜けることができたが、その直後、再度崩落がはじまってしまい、ヴェッセルとは分断されてしまうことになった。

 

「俺のことは気にするな! さっさといけ!」

 

 ヴェッセルの叫び声が瓦礫の向こう側から聞こえた。どのみち、この状況で瓦礫を掘り返してヴェッセルを助ける余裕はなかったので、ユリアンは罪悪感を感じつつも、彼を見捨てて走り続け、メイン・ゲートを出て地上へと生還した。

 

 崩落しかけている地球教本部から出てきたユリアンを、入口を固めていた帝国軍兵士達は警戒した。彼らは地球教の狂信者たちによる死をまったくおそれていないばかりか、自ら死ぬこと前提で毒ガスを撒き散らしたり、地下神殿の一区画を閉鎖して水没させるなどという、なんとも凄まじい戦法を駆使してきたこともあって多大な出血を強いられており、ユリアンも狂信者の一員として疑わざるをえなかったのである。

 

 しかし狂信に身を任せて自暴自棄に突撃してくるでもなく、自分に銃が向けられていることに気づいて素直に両手をあげたのが正解だった。もし、下手に抵抗の気配をみせていたら地球教徒と勘違いされて射殺されていたかもしれなかった。理性的な態度ですくなくとも狂信者ではないと判断した士官がユリアンの顔をみて、地球教本部の内部構造に関する情報を提供し、道案内をしてくれたフェザーン商人の一団が探していた仲間の情報と外見的特徴と一致することに気づき、名前を尋ねたらその人物と同じ名前が帰ってきたので、通信兵を呼び寄せて、受話器に向かって報告した。

 

「リンザー中佐でありますか? こちら、第九小隊長ベルトマン少尉であります。保護したフェザーン商人の生き残りを発見した。本人に目立った外傷はありません」

 

 予想通りポプラン中佐たちは帝国軍に協力して自分を探してくれていたらしい。昨日の夜から地球教の薬物洗脳の事実を知ってから気が休まることがなかったが、異常な状況から抜け出せたことを実感し、ユリアンはようやく安心することができた。ある意味では、戦場で命をかけて戦うより精神が削られる思いがしていたのである。




原作と違って昨日の夜にポプランと会ったきり仲間とは一度も会えなかったから、ユリアンの心細さはすごかったに違いない。

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