リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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陰謀の地下茎

 地球教団内において総書記代理の地位にあるド・ヴィリエ大主教は大きな権力を掌握している。それは単に帝国・同盟を問わず多くの信者を抱える巨大宗教組織の事務部門の頂点であるという表向きの意味のみにとどまらず、人類社会の中心をふたたび地球へと戻すという地球教の裏の目的を達成するための謀略を立案する、有能な参謀という意味においても、である。

 

 むろん、裏の意味における地位はその性質上公然とできぬものではあったが、それも含めると地球教団内においては上から五本の指に入る権力者であると言えよう。しかし昨今、彼の地位は動揺していた。

 

「やはり惑星オーディンの支部は壊滅か」

「残念ながらさようにございます、ド・ヴィリエ大主教猊下。キュンメル男爵は死に、ゴドウィン大主教以下支部員ことごとく殉教したそうにございます」

 

 自分の執務室で上司の倍以上の人生を歩んできた部下の主教がそう報告し、上司は部下に聞こえないていどに軽く呻いた。

 

 皇帝ラインハルトの暗殺計画においてキュンメル男爵を利用する方法を提案したのは、ド・ヴィリエである。しかしその暗殺に失敗し、オーディンの地球教支部と連絡が一切とれなくなってしまった。しかも帝国の情報統制もあってその後の状況がなかなかつかめず、その失態の責任をとれと他の幹部から追及されているのである。

 

 もともとド・ヴィリエは古参の聖職者からは嫌われている。三〇歳前後の総書記代理の地位につき、地球教団最高幹部の一員に名を連ねることができたのは、俗人としての怜悧さを総大主教(グランド・ビショップ)が高く評価し、自らの腹心としているからであって、教理や信仰心を重視する保守派からは不遜な成り上がり者であると認識されていた。そういう意味では本人の性向はまったく違えど、かつてのラインハルトと似通った境遇であるともいえるかもしれない。

 

 ド・ヴィリエは自分の執務机に両手を置き、力なく失望の声を漏らした。

 

「キュンメル男爵か、役に立たん奴めが。なんのために生きてなんのために死んだのやら……」

 

 それは死者に対する罵倒の言葉であったが、彼の胸の内には失望以外の感情がかすかに紛れ込んでおり、それがいわゆる“同情”とよばれるものであることに気づき、ド・ヴィリエはいままで道具にしてきた者にそんな感情を抱いたことがなかったからかすかに驚き、そしてすぐ納得して憮然とした。

 

 人は生まれた時代や場所に関係なく、自分の胸に宿った欲望――しゃれた言い方をするのであれば、夢や希望――の(ほのお)に身を焦がす。中央の権力とは無縁であり、帝国の記録上は完全な辺境である惑星地球に生まれたド・ヴィリエが宿した欲望は権力欲であったが、その地球を統治していたのは裏面はともかく表向きは権力支配を否定し、博愛を謳う宗教組織であった。そこに所属しておのれの欲望を満たすために行動しつつも、この荒廃した世界の外側にある純粋な統治機構がある世界を羨み、そしてそこには決して所属できない世界の住民であることから、羨望はいつしか敵意に変わった。そしてそれはキュンメル男爵も同じであったろう。

 

 男爵の場合、荒廃していたのは自分が所属する世界ではなく自身の肉体であったが、それが原因で魅力を感じる世界の一員になれないという点では同じだ。いや、同じどころかそれ以上である。自分も確かに世界の一員であるはずなのに、ただ肉体が不自由であるというだけで一員として活躍することはできず、自分のすぐ傍で起きてることをただ傍観し続けるしかないのだ。そんなキュンメル男爵が抱え込んでいた輝かしい世界への羨望と憎悪はいかほどのものか。

 

 だからこそ、地球教の誘導と助力があったとしても、羨望と憎悪を支えにした愚かな行為であったとしても、キュンメル男爵がおのれの意思ではじめて起こした皇帝暗殺という大事業が失敗し、何事も成しえぬまま死んでいったことにド・ヴィリエはかすかな同情を覚えたのだ。男爵の無念の末路が、おのれの未来の可能性のひとつであることには違いないであろうから……。

 

「失敗したのはキュンメル男爵の罪としても、いささか性急にことをはこびすぎたのではありますまいか……」

 

 老いた主教の言葉には上層部批判と解釈されない内容だったので、若すぎる大主教は毒々しい眼光で老いた主教に無言の警告を与えた。ただでさえ自分の地位が危うくなってるのに、直属の部下がそんな迂闊な発言をしたことが知れれば、老人の幹部どもがなにを言い出すかしれたものではない。

 

「帝国軍の侵攻は、目前にせまっている。悔いたところではじまらぬ。皇帝暗殺の件は目前の害をのぞいてからだ」

「まことに……われらの聖地を異教徒の邪悪な手から守らねばなりません」

 

 部下の宗教的で迂遠な言い回しに、ド・ヴィリエは厳格な表情を崩すことなく、内心で狂信者めが、と幾度もこぼした愚痴を呟いた。地球のことを聖地というのはまだしも、“異教徒”だの“邪悪”だのといった主観的なもの言いは、共通認識を築くのを阻害するだけである。地球教にとって邪悪な敵であればこそ、対策を立てるためにも客観的事実のみで語るべきだというのに。

 

 自分が地球教団にて不動の権力と地位を確保した暁には、実務面における宗教的弊害を除くための作業をしなくてはならなくなるだろう。頂点をきわめる前にそう動こうとは全く思えないのは、この狂信者の巣窟において慣習を改めようと動くのは、身の破滅を招くだけなのだとわかりきっているからなのだ。

 

「心配するな。総大主教猊下はすでに手をおうちだ。皇帝の身辺にさえちかづきうるわれらだ。一提督のちかづきえないはずがないではないか」

 

 万事手をうっているという事実に、老いた主教は高位聖職者たちの深慮遠謀ぶりに感嘆した。

 

「……だが、念には念をいれておくべきか。信徒イザークをつれてこい」

「なにゆえですか」

「万一の事態が生じたときのために奴の話を聞いておきたい。元高級警官だから、帝国の軍事知識についても多少は詳しかろうから、参考にしたいのでな」

 

 主教は納得したような表情を浮かべると一礼して執務室を去った。一人になったド・ヴィリエは執務椅子に腰かけ、今後について思案をめぐらした。

 

 総大主教を筆頭に多くの教団幹部は遠征艦隊の司令官を暗殺し、それによって生じる混乱を乗じて艦隊内部に潜り込んでいる信徒たちが扇動して兵士たちの不安を煽れば、地球への武力制裁を一時的に延期させることができると考えている。それによって生み出した時間を利用し、再度の皇帝暗殺を実行する腹積もりなのだ。

 

 しかしそれは甘い考えに過ぎるとド・ヴィリエは思っている。今までの暗躍と違い、今回の皇帝暗殺については、これ以上ない形で地球教が裏にいることが判明しているのだ。明確に自分達の存在が露見してしまっており、その根拠地もわかっているのだ。これまでのように自分達の秘密を追及しようとしてきたものを暗殺し、そうした流れをうやむやにするなんてことはできない。

 

 なにしろ地球教は皇帝暗殺未遂の首謀者である。つまりは帝国の威信をこれ以上なく踏みにじっているわけだから、巨大星間国家の威信にかけても司令官一人が死んだ程度で武力制裁を中断するなどありえず、混乱によって遠征艦隊の動きを一時的にとどめられたとしても、すぐに遠征艦隊の副司令官か参謀長あたりを司令官代理として立てて遠征を再開するだろうし、とても一日以上の時間が稼げるとは思えなかった。

 

 準備段階の時点で口にはださねど計画の実現性を疑っていたド・ヴィリエは、皇帝暗殺が失敗した場合は他の最高幹部とは別の道をとることを考えていた。そして暗殺の失敗と地球教団の裏面が帝国政府に露見するという最悪の結果に終わった以上、むしろこの状況を最大限利用すべきであろう。

 

 生まれ育った故郷に攻撃が加えられることについて別に思うところはない。あえてあげるなら本部を失って動揺する各惑星の地球教の支部や秘密基地への影響に不安がある程度。ならば自分の地位が危うくなってきたことであるし、身の安全を図る意味でも迫ってくる艦隊の動向に関する情報は完全に握りつぶし、頭の固い老人たちには帝国軍によって死という別次元の世界へと旅立ってもらうとしよう。

 

 もちろんそうなれば地球から脱出した後、おのれの野望の為に本部を失い壊滅状態にある地球教を立て直し、他の聖職者たちと主導権争いをする必要が出てくるが、その点においてド・ヴィリエはたいして心配していない。自分の才覚なら、半年もあれば充分に組織として再編することができるだろう……。

 

 本部を失った後の地球教再編計画を脳内で練り上げているところで執務室の入口に一人の男がやってきていることを知らせるブザーがなり、ド・ヴィリエはモニターで来訪者の姿を確認するとボタンを押した。

 

 入ってきた男の姿は、ひどく不健康そうだった。肉体的には健康なのかもしれないが、彼個人のバイオリズムが低調すぎ、いわゆる活力というものが欠けているようであり、どこか非人間的であった。

 

「大主教猊下。異教徒たちがこの地に襲来してくるので、私と相談したいことがあるとのことですが」

「そうだ。ワーレンという提督が艦隊を率いて、この聖地を焼き尽くさんとしておるのだ」

「……ワーレン。帝国の優秀な将官でしたな」

 

 その帝国軍人のことをヴェッセルは少し知っていた。まだ警官として働いていた頃、彼の軍人がローエングラム元帥府に所属したときに上官だったゲオルグが話題にだしたからである。もっとも話題にした理由がワーレンの才能や人格への批評ではなく、単に雑談に類するものであった。というのも彼の名前に関する話題であったからである。

 

 ゲオルグは言ったものである。息子にこんなファースト・ネームをつけるとは、よほど名付け親が常識に欠ける人物であったのだろう、と。アウグスト・ザムエル・ワーレンというのが、ワーレン提督のフルネームなのだが、銀河帝国において“アウグスト”というのは縁起が悪い忌名なのである。

 

 というのも帝国人がアウグストという名前を聞いて真っ先に思いつくのはゴールデンバウム王朝第一四代皇帝アウグスト二世であり、“流血帝”の異名を持つ史上最悪の暴君なのである。皇帝になる前から大酒と荒淫と美食を友とする人生を満喫していたので通風を患っており、その痛みを忘れるために麻薬のアヘンを常用しているというとんでもない皇太子だったのである。しかも肉体のほとんど脂肪なので自分の足で歩けず、車椅子ロボットがなければ移動できないというふざけた人物で、開祖ルドルフ大帝が肉体的頑強さを統治者の条件としてあげていたことを思えば、伝統を継承し次代に伝えていく皇太子の地位にありながら、伝統をないがしろにしている愚か者だった。

 

 当然、そうした皇太子アウグストの有様に多くの者はこんなやつに帝位を与えていいのか、という意見は少なからずあり、父帝リヒャルト三世もアウグストを廃太子して他の三人の子のだれかを後継者として任命すべきではないかと何度か考えたのだが、長子が家督を継ぐのは当然という帝国社会の伝統と皇帝はお飾りであったほうがいいと考える大貴族の思惑もあり、なんら手をうたないまま崩御してしまった。

 

 こうしてアウグスト二世として皇帝に即位した彼が最初にとりかかった事業は、後宮に暮らしていた父リヒャルト三世の寵姫数百名を惨殺することであった。「母后イレーネから夫を奪った」というのが、その理由であったが、母后イレーネはなにひとつ関与していなかったし、かつて皇帝の寵愛を奪い合い憎みあった相手であるとはいえ「人間だった」としか言いようがない壊れ方をしている死体をアウグスト二世に見せられて気を失っている。

 

 父の寵姫を抹殺してから、アウグスト二世は人間を文字通りバラバラにしてしまうことに無上の快楽を覚えたようで統治手法にもそれを応用した。自分の方針に反対する者達を自分の直感だけを理由として“叛逆者”の罪を着せ、片端から残虐な方法で殺していったのである。皇帝即位から一週間で閣僚が全滅したといえばその異常さが察せられよう。その一週間の間にアウグスト二世の弟三名をも惨殺処刑されたので、母后イレーネは自分が腹を痛めて産んだ長男によって次男以降の子どもたちを惨殺されたことで、勇気を振り絞ってもはや恐怖でしかない息子の皇帝に直訴したのだが、やはり叛逆者の烙印を押されて死を宣告された。だが、イレーネは他の“叛逆者”と異なり、惨殺されることはなく自決を強要されるという形がとられたのは、もしかすると流血帝に残っていた最後の人間性の発露であったのかもしれない。

 

 主観的判断による選別で無能者や不快人物を全員ヴァルハラに旅立たせたことによって、宮廷を掌握したアウグスト二世は母を失った反動もあってか、その残虐性を国家規模で発揮するようになった。いかに神聖不可侵の皇帝であるといえども、ここまで無茶苦茶なことをすると大貴族から掣肘されて力ずくで止められるものなのだが、最悪なことに不満分子を団結させないための才能をアウグスト二世はそれなりに有しており、凄まじいまでの行動の速さと敵を判別する直感と幸運にも恵まれていたことによって彼はこんな無茶苦茶な統治手法で六年も皇帝の地位を守護してみせたのだ。

 

 彼は人民を殺戮するにあたって身分の貴賤など微塵も気にすることはなかったので、後世の歴史家から「ある意味においてゴールデンバウム王朝で最も公平な政治を敷いた皇帝」と皮肉られているが、そんな風に皮肉らなくては直視できないほど彼の時代は悲惨であった。

 

 なにせルドルフ大帝のように独善的であるにせよ使命感ゆえにというのですらなく、彼の個人的な快楽のためだけに二〇〇〇万から六〇〇万の人命が失われたというのだから。犠牲者の最大推測と最小推測に大きな差があるのは、アウグスト二世の時代の統治機構が度重なる官僚の処刑で半麻痺状態にあったことに加え、あまりに犠牲者の数を正確に公表したら、帝国大衆の憎悪はアウグスト二世個人にとどまらず、ゴールデンバウム王朝そのものに向けられかねないと危惧したアウグスト二世の従弟のエーリッヒ・フォン・リンダーホーフ侯爵が、謀反を起こして残虐な暴君の軍勢を破って皇帝に即位した後、臣下達にアウグスト二世の所業の証拠をある程度処分するよう通達したから、正確な数字が把握できないからである。

 

 とはいえ、アウグスト二世の所業だけであればその名が忌名にならない可能性はまだあった。“二世”とあるように、彼の暴君はアウグストという名前で銀河帝国の帝位に就いた二人目の皇帝なのである。“一世”が国家に果たした貢献()()を思えば、二世が暴君であったジギスムントのように忌名にならない可能性はあったのだが……後世の歴史家の言葉を借りると「私人として酷すぎるがゆえに忌避を買った」のであったのだ。

 

 アウグスト一世はゴールデンバウム王朝第九代皇帝で、先々代皇帝である祖父のジギスムント二世が酷すぎる浪費と権利の売り付けで傾いた国政を立て直すために全力を尽くして過労死した先代皇帝であり父であるオトフリート二世の政策を継承し、教条主義に陥ることもなく柔軟な対応で国家の完全再生を成し遂げた。その非の打ち所がない統治は賞賛されるものであり、保守的であったので派手さには欠けるが賢明な名君であったといってもよい。

 

 だが、私人として彼が巻き起こす数々のトラブルに巻き込まれている者達はとてもそんなふうに賞賛できなかった。というのもアウグスト一世が長髪美女を偏愛していたのである。その拘りはかなり異常なもので、後宮の寵姫たちが髪を切ったり美女じゃなくなったりしたら、すぐに寵愛するのをやめて後宮から放り出すものだから、宮内省は寵姫の頭髪管理やら長髪美女の捜索に忙殺された。

 

 その上、「ベットに長髪美女一〇〇〇人の髪の毛を敷き詰めて寝たい」などという要望をだすのである。これについて当時の宮内尚書の日記に「陛下はなにをお考えか。そんなものを作るとなると、後宮の住人となりうる長髪美女がこの国から一〇〇〇人も失われることになるのだが……」と困惑まじりの記録が残されているが、宮内省はしっかりと仕事を果たして皇帝の要望を実現させ、アウグスト一世はそのベッドに転げまわり、陶酔していたというのである。

 

 この皇帝の異常な性癖は、後宮における女の争いにも大きな影響を及ぼした。もともとゴールデンバウム王朝の後宮において女たちが皇帝の寵愛を争うのは伝統的なことではあるが、アウグスト一世の後宮の場合、長髪ではなくなれば寵愛がなくなることがわかりきっているので、だれもが他の女の髪を消し去ろうと暴力的な手段をとるのである。その傾向は寵姫同士の対立で相手の髪の毛に火をつけて焼死させたという事件すら発生するほどであり、後宮に働く侍女たちが巻き込まれるのではないかと恐怖させたほどである。

 

 女同士の争いのせいで長髪を失った寵姫はすべてを諦めて後宮を辞すしかなかった。というのも最初期に他の女の策略で髪が短くなってしまった寵姫が長髪のかつらをつけることで誤魔化そうとしたのだが、それを看破したアウグスト一世は激怒し、宮殿の窓から真冬のプールに叩き落して凍死させたという事件があったからである。かくのごとく皇帝は長髪を偏愛していた。

 

 その偏愛の究極として現れた事件はなんといっても、皇帝が胃痛で倒れた一件であろう。別に長髪に関係がないと何の知識もない者であれば言うであろうが、事件の詳細を知ればそんなことは二度と言えまい。お気に入りの寵姫が病死したとき、アウグスト一世は大変悲しみ、泣きながら寵姫の長髪を食べたのである。髪の毛は胃液で溶けるようなものではないので大変危険な行為であり、異常性癖の皇帝は早々に報いを受けた。髪の毛が運悪く胃壁に刺さり、激痛に苦しんだのである。幸い、皇帝の悲鳴で顔を蒼白にした侍医たちが即座に迅速な治療を行ったので、大事にはならなかったが。

 

 ただそういった変態的一面を国政の場に持ち出すことは決してなかったので、公人としての完璧な為政者としての姿と私人としてのとどまるところを知らない変態ぶりでまわりに多大な迷惑をかける姿を持つ二面性からアウグスト一世は“国政の名君、後宮の凡君”と評されている。もっとも、かなりベクトルがおかしい暴走をしている彼の所業を“凡君”と評してよいのかはいささか議論の余地があるかもしれないが、とにかくそういう異名が定着しているのは間違いなかった。

 

 これがアウグストの名を持った二人の銀河帝国皇帝の振る舞いである。帝国社会で忌名扱いされるというのも頷けるものであろう。いったいだれが人類史上最悪の暴君や度を越した変態有能君主と同じ名前をつけたがるというのか。仮にいるとすれば、よほどその子どもに対して――より正確にはその子どもが誕生する経緯に対して――含むところが大であったということで、複雑な家庭環境で育ったのだろうとゲオルグはワーレンの境遇を勝手に推測していた。

 

 余談ではあるが、ゲオルグが推測したような複雑な家庭環境で育ったという歴史的事実は確認されていない。後世になっても、なぜアウグストと命名されたのか経緯について本人が公表することがなかったから真相は不明のままである。もちろんアウグストという不吉な名前によってワーレンが苦労したというエピソードはいくつかあるようであるが……。

 

「そうだ。その帝国軍の襲撃を回避するための試みが今行われている。しかし何事もこちらの思惑通りに進むとは限らぬゆえ、総大主教猊下らをお救いするため、地球からの脱出計画と帝国軍の襲撃を遅延させる作戦を練っておく必要がある。そこで警察高官としてのおまえの知恵と能力を借りたい」

 

 そのような事態が生じた場合、ド・ヴィリエは総大主教を始めとする教団幹部を見殺しにするつもりで、本当は自分と自分の子飼いを安全に脱出させるためのものである、ということはまったく口にはださなかった。

 

「以前の話ではあくまで地球の辺境施設に総大主教猊下をお匿いするという話だったはずですが」

 

 かすかに糾弾するような口調になったヴェッセルに、狡知で怜悧な大主教は平然として返答した。

 

「その通りだが、状況が変わった。一個艦隊もの大勢力がこちらにやってくるのだ。聖地におとどめしていたのでは、帝国軍の人海戦術の捜索から総大主教猊下を匿い続けることは難しい。だから一時的に聖地をお離れになってもらう必要があるのだ」

「……総大主教猊下がご承知なさるでしょうか」

「私が説得する。総大主教猊下にあらせられてはご不快に思われるだろうが、私が誠意を尽くして必要性を訴えれば必ず最後にはやむをえずと認めてくださるさ」

 

 当然、ド・ヴィリエに総大主教に対する誠意などかけらもなく、それどころかそんな計画があること自体が総大主教の耳に届かぬよう、おのれの立場を守るためだけに教団内部における情報統制を秘密裏に行うつもりであった。

 

 いっぽう、信仰に全てを捧げ、かつて理想に燃えた無謀な警官や警察最高幹部の一人としての一面をほとんど感じられない、抜け殻のような状態になってるヴェッセルにはこれ以上何かを言い募ろうという活力がなく、唯々諾々とド・ヴィリエの脱出計画の細部をつめるために知識を提供していく。

 

 二人の密談が纏まるとヴェッセルは執務室から出て、ひとしきり呪詛の言葉を唱えると、我に返って足早に懺悔室へと向かった。そして何百何千と狂ったように聖句を唱え続ける。すべてを忘れるために。地球教とは自分の心を救済してくれた、素晴らしい恩人なのである。疑うなど許されないことだし、あるはずがないものを見たと錯覚し、教団を疑ってしまうなどなんという大罪であろうか。

 

 ヴェッセルは地球教を信じようとし、現実逃避を続けてきた結果、主観的に見て地球教の都合が悪い部分をすべて認識せず忘れてしまおうと意識的に努力するまでになっていた。それはもはや自己洗脳というべきものであり、これには他の聖職者たちも地球の出身ではないにしては、聖地の洗礼を受けたわけでもないのに驚くほど強固な信仰心であると一定の評価が与えられていた。

 

 懺悔をし終えたヴェッセルは自室に戻ろうと通路を歩いてるところで巡礼服を着た信徒と対面し、怪訝な顔をした。この先に一般の巡礼者が行けるような場所はないはずであるが……。

 

「そこのきみ」

「……なんでしょうか」

「こんなところでなにをしている? この先は一般信徒立ち入り禁止区域だぞ」

「それが、その、道に迷ってしまって」

 

 振り向いた顔を見て、ヴェッセルは少し驚いた。亜麻色の髪の持つ若い青年で、童顔だったからまだ少年と形容することもできる容姿の持ち主であり、こちらを警戒しているように感じられたからである。

 

「ご両親と一緒にきたのか」

「え」

「……? ご両親は地球教徒ではないのか」

 

 予想外の言葉にどう返答したものかと青年がバツの悪そうな顔をしたので、ヴェッセルは訝し気に目を細めた。

 

 いままでの経験から言って、家族ぐるみで地球教を信仰していて、家の決まりに反発している青少年が、それを行動で表現するために地球教の軽い禁忌を破ろうとして一般信徒立ち入り禁止区域に侵入しようとすることがままある。ヴェッセルは彼もそうではないかと推測したのだが、どうやら違うらしい。

 

「……珍しいな。きみぐらいの年頃の子で、この聖地まで巡礼しにくるほど敬虔な子は先祖の代から地球教徒ってことがほとんどなのだが。ご両親はきみがこの聖地に来ていることを知っているのか?」

 

 探りを入れられているのだろうか。そう亜麻髪の少年――ユリアン・ミンツは強く警戒した。彼は同盟の英雄であるヤン・ウェンリー退役元帥の養子であり、彼自身も同盟軍の退役中尉である。彼が地球へ訪れた理由は地球教を深く信仰していたためではなく、人類社会に対して暗然とした影響を持つ地球教の秘密を探るためであった。

 

 ユリアンは帝国軍によるフェザーン占領作戦時、同盟弁務官事務所の駐在武官として勤務しており、惑星フェザーンから脱出する際、幾重にも積み重なった偶然の結果、地球教が派遣した自治領主への監視役であり、背教の罪を犯して自罰的な衰弱死を望んでいる節があったデグスビイ主教と同じ宇宙船に乗ることになった。

 

 デグスビイ主教の言葉から地球教の裏面の一部を聞かされたユリアンは、義父であるヤンが以前に地球教に対してなんらかの警戒感を口にしていたことを思い出し、地球教の裏面に関心を持った。そして同盟の敗北とバーラトの和約に伴う同盟軍の軍縮で公的な身分がなくなって身軽になり、また、ヤン夫妻の新婚生活を邪魔しても悪いだろうと思ったこともあって、ヤンの旧友のフェザーン商人の助けを借りて地球教本部へと潜入し、色々と探っているのだった。

 

「両親はいません。母さんは物心つく前に亡くなって、父もずっと前に戦争で……」

 

 初めてなので道に迷ったという建前であれば、一般信徒立ち入り禁止区域であるさらに地下部分、奥の院への入口付近の情報を探ってもさほど怪しまれずにすむだろうと考えていたのだが、自分の年齢のせいで疑惑を持たれるとは考えていなかった。だから自分の本当の家族関係を話して時間を稼ぎつつ、どうやって誤魔化そうかと頭脳を素早く回転させる。

 

 だが、その思考は無意味であった。なんとなれば、家族関係の話を聞いた時点でヴェッセルが早合点の勘違いをして、痛ましい目をしながら同情に溢れた声でこう言い放った。

 

「孤児院の子か。知らぬこととはいえ、喋りにくいことを聞いてすまなかった」

 

 地球教は教義にある慈悲の精神に則り、いくつかの孤児院を運営している。べつに地球教に限らず、宗教というものが基本的に他者に対する慈悲を謳うものである以上、その現実化の一手段として多くの宗教組織にみられる一面であると言える。

 

 それ以外にも孤児院を運営することは宗教組織にとっては現実的なメリットもある。時間も金もかかるが、幼いころから神を崇めるのがごく自然な生活を送らせれば、宗教への強い信仰心というものを自然な形で身につけさせることができ、長い目でみれば信徒の数を増やし、取り込むことにも繋がるというメリットである。

 

 また地球教団限定のメリットも存在する。地球の復権を目指し、人類社会全体に陰謀を張り巡らせる地球教の暗部の視点から見た場合、地球の栄光を復活させるという目的を達成するためには、命令墨守の捨て駒だけではいくらあっても不足なのだ。現地レベルにおける管理能力や指揮能力、そしてなにより治安当局に目をつけられないある種の器用さを有した中堅の人材が地球教が危険視されることなく暗躍し続けるために必要不可欠である。そういった中堅の人材の補充方法のひとつが、孤児院の子の中でも信仰心が強くて能力のある者をヘッドハンティングするという方法なのである。

 

 そういう背景を思えば、両親がいないという発言でヴェッセルがユリアンのことを中堅候補の孤児院出身者であると誤解したのも無理からぬことであったろう。しかしユリアンはそういった背景を知らないのでなぜそんなふうに誤解されたのかまったくわからず、表情にださないよう努力しなくてはならなかった。

 

「え、あ、はい。そうです」

「やはりそうか……。そういえば、道に迷ったんだったね」

「ええ、まるで迷路みたいな構造なので自分がどこにいるのかわからなくなってしまって」

「わかるわかる。私も最初ここに来たときはそうだった。宿泊する部屋の番号は何番だ? 迷子にならないよう案内してあげよう」

「ありがとうございます」

「……気にするな。私たちは母なる地球から生まれた兄弟ではないか」

 

 ヴェッセルはユリアンの感謝の言葉に一瞬だけ驚いた後、柔和な笑みを浮かべて地球教の信者らしいことを言ってのけた。




今回、ほとんど原作と同じ流れだけど独自解釈多いです。
……しかしワーレンって本当になんでアウグストなんて嫌すぎる名前付けられたんだろう?

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