リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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それぞれの事情

 憲兵隊や内国安全保障局の徹底的な調査によって、皇帝(カイザー)ラインハルトの暗殺はオーディン支部によって実行されたものの、その計画は地球教団の本部によって企画され、オーディンの支部は目的も知らずに本部からの命令を受けてキュンメル男爵を利用した陰謀に信仰心から加担したにすぎないという事実が明らかになった。

 

 七月一〇日、キュンメル事件の黒幕である地球教に対する調査結果をふまえ、地球教への対処を検討する御前会議が召集された。会議の出席者は当然のことながら皇帝であるラインハルト、武官からは軍務尚書オーベルシュタイン元帥、統帥本部総長ロイエンタール元帥、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥の三名と八名の上級大将、そして皇帝高級副官のシュトライトおよびリュッケ。文官からは内閣書記官長マインホフ、内務尚書オスマイヤー、内国安全保障局長ラングの三名である。なお、国務尚書マリーンドルフ伯爵とその娘である皇帝筆頭秘書官ヒルダが出席していないのは、親族のキュンメル男爵が皇帝弑逆未遂を起こしたため、自主謹慎しているため、御前会議の出席者は合計一七名である。

 

 いささか以上に武官の比率が高かったが、これは初期のローエングラム王朝が軍国主義の色彩が強かったことに加え、帝国の勝利という形で宇宙の安定を築きつつあるラインハルトの暗殺を目論んだ地球教に対して武官も文官も怒りを露わにしており、地球教への派兵は既定路線であるという認識をだれに言われるでもなく共有していたからであった。

 

 その御前会議は、出席者の一人であるハイドリッヒ・ラングにとっては不満がのこる結論を出して終了した。ラングは内国安全保障局本部の高級幹部職員を招集し、局内会議を開いた。御前会議の結論を踏まえ、自局の方針について議論せねばならなかったのである。

 

皇帝(カイザー)は地球教に関する調査はもう十分であると仰せになれ、ワーレン上級大将に地球への即時派兵をお命じになられた」

 

 会議早々ラングが告げた言葉に、出席者の多くが無念のうなり声をあげた。彼らは地球教に対する調査が不十分であると結論され、いますこし調査のための時間的猶予が与えられることを望んでいたのである。

 

「弱りましたな。地球への派兵が決まってしまったとは――い、いえ! 派兵そのものは歓迎しているのですが!」

 

 普段まわりから口が軽いと言われている出席者の一人カウフマンがため息交じりに呟きはじめ、全員から不快気な視線をむけられたので、自分の発言が誤解を招きかねないものであると気づき、慌てて弁明した。

 

 そして悪化した会議の空気といたたまれない自分の気持ちを誤魔化す意味もあって、カウフマンは直接ラングに問いかけた。

 

「それで陛下にご再考願うことはできないのでしょうか。派兵が決まったとはいえ、そのための準備の時間があります。その時間を利用して重臣たちを説得し、団体で奏上すればあるいは――」

「無理だ。軍人たちは皆、即時派兵に全面的に賛成している。こちらの味方だったのは内務尚書閣下くらいのものだ。もっとも、消極的に庇ってくれただけであるが……」

「……警察総局長の出席を認めてもらえなかったのは、やはり痛かったですね」

「いや、御前会議の流れから言って、警察総局長が出席を認めてもらえたとしても皇帝(カイザー)の結論は変わることはなかっただろう。せめて軍務尚書閣下がこちらの味方に付いてくれたなら、あるいは、と、思わないではないが……」

 

 御前会議が始まる前に、オーベルシュタインにそれとなく味方になってくれるようお願いし、何の反応も見せずに無視されたので、形成的な不利から自分たちの要望を通すことは難しいのではないかと会議以前からラングは思っていた。それでも一縷の望みをかけて調査の万全を期しての時間的猶予を欲したのだが、やはり受け入れられることはなかった。

 

 さすがにラインハルト直々に地球教徒は自らの信じる神の権威しか認めないどころか、その権威を暴力によって他者に強制することをためらわない。帝国のあらたな秩序と共存することができぬというなら、やつらの信仰に殉じさせてやるのが最大の慈悲とまで言われては、新参の臣下の身でそれ以上言葉を重ねることなどできない。まして内国安全保障局の今までの調査記録と合致してるのだから。

 

「ですが、このままでは内国安全保障局(われわれ)の立場が――」

「そんなことはわかっている!!」

 

 机をたたいてラングは一喝した。旧王朝時代、憲兵隊と社会秩序維持局の間には醜悪な対立があった。どちらも広範な範囲に職権を行使できる治安組織であり、それだけに両組織は職権を濫用しての腐敗が凄まじく、両者の間で縄張り意識のようなものを持って、利権の奪い合いに興じているありさまであった。ラインハルトの治世になって社会秩序維持局は廃止され、憲兵隊からは腐敗を追放されたものの、オーベルシュタインの提案によって社会秩序維持局を事実上継承する形で発足した内国安全保障局と憲兵隊の間でふたたび不毛な対立意識が芽生えてきたのである。

 

 とはいえ、かつてのような腐敗ゆえの利権闘争といった面はほとんどないため、帝国全体としてはささやかなほころびであったが、憲兵隊はともかく、内国安全保障局のほうは非常に切実な理由でこの対立を結果的に激化せざるをえなかったのである。

 

「テロリストへの対策として設置された当局が、憲兵隊なんぞに後れをとってしまったのだからな」

 

 つまりはそういうことであった。内国安全保障局は、エルウィン・ヨーゼフ二世が拉致されたことを受け、それを未然に防ぐことを目的として設置されたのである。なのに皇帝暗殺未遂という大事件の黒幕である地球教に対してまったくのノーマークであり、社会秩序維持局時代の記録を含めても、得ている地球教の情報はとても少ないのである。つまるところ、存在意義が疑われているのであった。

 

 加えて、キュンメル事件の処理を憲兵隊に完全に取られる形になってしまったことも、内国安全保障局の面目を潰すものであった。皇帝暗殺未遂の報を受け、帝国の公人たちは総じて激怒し、地球教を激しく憎悪したが、あえていうなら武官より文官の怒りのほうが強いものがあった。自由惑星同盟とフェザーンを屈服させ、武力優勢の時代は終焉し、文官の時代が到来しつつあるというのに、ここで皇帝がテロリズムに倒されたら、帝国はかつてのシリウスのごとくに分裂し、自分たちが手にしたはずの権力は夢想のものとなり、ふたたび混沌と無秩序ゆえに武力がものをいう時代に逆行してしまうではないか! ということである。

 

 そうした文官の怒りと憎悪は、むろん内国安全保障局でも例外ではなかった。特に局長のラングのそれは他者と比べても凄まじいものがあった。彼は自分が生きてこの地位にいるのは、ひとえにラインハルトの寛容とオーベルシュタインが自分の技術を必要としてくれているからであると自覚していたからである。それだけに内国安全保障局の士気はとても高く、一般警察の協力もとりつけて熱烈かつ精力的に事件の真相と地球教に関する記録を調査した。

 

 この調査におけるラングの的確な指揮ぶりは称賛されてしかるべきものであったろう。しかしいかに内国安全保障局の調査が意欲的かつ能率的に行われたといっても、皇帝暗殺の企てがあると通報したヨブ・トリューニヒトのおかげで、素早く行動を開始した憲兵隊がキュンメル男爵邸と地球教オーディン支部にいた地球教徒を捕殺しており、多くの当事者の証言などをもとに作成された調査記録と比べると、どうしても見劣りする報告しかできなかったのである。

 

 この二つの事実をもって、内国安全保障局は開明派を中心に強く糾弾されており、それに反論できない事実が内国安全保障局を苛立たせ、憲兵隊に怒りの矛先を向けることになっていた。現行の帝国法によれば、憲兵隊は軍関連の事件の調査を主任務とし、内国安全保障局は政治的犯罪に対する対処を主任務とするとされている。だから皇帝陛下をお救いし、地球教の支部を襲撃することはよいとしても、そこから先は手に入れた資料や逮捕した地球教徒を内国安全保障局に引き渡して引っ込むのが筋ではないか。増長もはなはだしい!

 

 こうした憲兵隊への憎悪の裏側には内国安全保障局の未来に対する不安があった。

 

 局長のラングが旧王朝時代から清廉潔癖で優秀な能吏であり、そのこと自体は帝国の絶対者である皇帝ラインハルトにとって評価する点ではあったが、それ以前の問題として秘密警察そのものを好ましく思っておらず、昔から知っているケスラー上級大将の憲兵隊に対する信頼が強いようである。それを考慮すると、自身の身が危険にさらされた時、憲兵隊と比べてあまり貢献できなかった内国安全保障局を不要であると皇帝が断じることはないだろうか、という不安である。

 

 その不安が現実のものとなることは職員たちにとって絶望であった。局長のラングがそうであったように、多くの職員は旧王朝時代、民衆弾圧機関として恐怖の象徴であった社会秩序維持局の元職員であって、それが原因で拘束されていたり、路頭に迷っていた者が少なからず存在する。内国安全保障局が廃止されるというのは、ふたたびそういう状況におちいりかねないということであった。

 

 皇帝の意思を抜くとしても、内国安全保障局は旧王朝の悪弊を受け継いでいると開明派や一部の民衆からよく批判されているのである。帝国内部の勢力図的にも、内国安全保障局の立場は厳しい。局長であるラングが、皇帝に次ぐ有力者集団の一員であるオーベルシュタインの腹心と目されてはいるが、それ以外のほとんどの有力者からはラインハルトと同じ理由で嫌われている。内務省内では内国安全保障局を擁護する勢力がそれなりにあるが、民政と国力増強重視する新王朝の方針から、内務省の民政局と工部局が省に格上げされ、相対的に内務省の影響力が低下しているため、いささか心もとない。しかもトップであるオスマイヤーは憲兵隊と内国安全保障局の対立について中立姿勢をとっているのだ。不安を感じるなというほうが無理であろう。

 

 それらの苦境をはねかえして内国安全保障局を存続させ続けるためには、それを黙らせる成果を出し続ける必要があって、その成果を奪い合う相手である憲兵隊に敵意を向けるのは必然といえた。

 

 局内会議は盛り上がったが、現状打つ手がないため、調査時における身内の批判大会となった。それがひと段落すると今度は憲兵隊へ悪態とこっちに通報してこなかったトリューニヒトをなじることで盛りあがった。きわめて非建設的なことであるが、不満を口に出さずにはいられない精神状態だったのである。

 

「――まとめるとこの一件が決着するまで局内に地球教専門の部局を設置して独自に調査を継続。なんらかの新事実が判明したら内務尚書および軍務尚書に報告し、当局の手柄とすることということでよいかな」

 

 不満が出尽くしてきたあたりを見計らい、副局長のクラウゼが子どものような悪口の言いあいの中でかすかにあった建設的意見を自分の中でまとめあげて提案した。その提案にほとんどが頷いたが、またしてもカウフマンが空気を読まずに意見を述べた。

 

「いっそ、これをきっかけに宗教を専門とする部局を設置したほうがよくないですか」

「いやそれは流石に――」

「待て」

 

 一考に値する意見であったので、クラウゼの言葉をさえぎってラングはしばし考えた。社会秩序維持局時代は帝国の体制を揺るがす要素になりかねないものはなんでもかんでも監視してきた。しかし内国安全保障局になってからは、開明的な新しい体制に配慮し、監視対象を共和主義者・貴族・官僚の三種に絞ってきた。これに加え、あらたに宗教の監視を追加してしまったら、また開明派あたりから改革の流れに逆行すると糾弾されるであろう。

 

 しかし、宗教は政治信条に少なからぬ影響を与えるのは疑いない事実であろう。実際、帝国の長い歴史の中には、宗教を旗印とした叛乱が何件もあるのである。そんなことがあっても社会秩序維持局時代は思想犯として処理し、宗教を特別視することはなかった。だが、思えば民主主義とやらも地球時代では、平等と博愛を理想とする宗教が支配的な地域であまりにも信じる理想とかけ離れた現実の聖職者や王侯との格差のギャップに憤った者たちが革命を起こしたのがきっかけという話を聞いた覚えがある。

 

 本当かどうか確かめたことがないのでわからないが、本当だとすると秩序維持の観点から言って、宗教を専門とする部局を設置することは、はかりしれない価値がある。また、普通の刑事犯罪であってもなんらかの宗教信者が関わっているなら、その宗教に関する詳細な情報があればその思考を推測することに役に立とう。……いや、そういう次元の話になると学芸省の管轄になってくるなとラングは内心苦笑した。

 

「……貴重な意見だ。軍務尚書閣下と相談してみるとしよう。だがまずは地球教担当部局として設置する。そして許可がおり次第、その部局の管轄を宗教全般に変更するという形をとる」

 

 相談相手として名前があがるのが直接の上司であるはずのオスマイヤー内務尚書ではなくまったく違う省の主であること、そしてそのことにだれも疑問を抱かず納得しているところに帝国内部の歪みがあらわれていた。

 

 こうして内国安全保障局の今後の方針が決定された。もっとも、これまで彼らが対処すべき“国内の敵”で最大のものは旧王朝下にあって権勢を握っていた元貴族階級が率いる反ローエングラム系組織であると思われていただけに、地球教などというどっからでてきたのかよくわからない代物への対処に、そのマニュアルが流用できるのかいささか疑問であり、新設された地球教担当部局を任された者達は教徒たちが共有する独特な世界観とそれに基づく思考回路を分析するところからはじめることとなったのだが……。

 

 それと同じ頃、惑星オーディンから数百光年離れた惑星ラナビアに潜伏している旧王朝残党にも帝都からの情報源からワーレン艦隊の地球への派兵の情報を入手し、組織を事実上運営しているアドルフ・フォン・ジーベックは頭を悩ませていた。

 

 彼の生家であるジーベック侯爵家はそれなりの権勢を持っている門閥貴族の名家であったのだが、侯爵の愛妾である帝国騎士の女との間に産まれた庶子であり八男であった上、兄たちが全員平均以上の知性と健康な体の所有者であったので、侯爵本家を相続できる可能性は皆無であり、御情けの男爵号すらもらえるか怪しい立場であった。

 

 なのでジーベック家の八男坊は自分の才覚を信じて自立していかなければならなかった。幸いにして軍幼年学校に入れてもらい、優秀な成績で卒業できたので職業軍人として生きていこうと志し、士官学校に進学したが、ここでの成績は可もなく不可もなくといった程度であった。

 

 卒業して少尉に任官してから正規艦隊に所属し、同盟軍との戦闘に幾度となく参加した。パッとした武勲はなかったものの、勤務態度はそれなりに優秀で、実家の威光もあって順調に出世し、少佐の頃にリッテンハイム派閥に所属する貴族将校と意見が対立し、論争で共闘した縁でフレーゲル男爵と仲良くなり、ブラウンシュヴァイク公の腹心であったアンスバッハにその能力を買われたこともあって、ブラウンシュヴァイク公爵家の私設軍に移籍。領内での宇宙海賊討伐や叛乱鎮圧任務に従事するようになった。

 

 四八八年のリップシュタット戦役では、当然のようにブラウンシュヴァイク陣営の一員として貴族連合側で参戦したが、これといって大きな活躍はしていない。だが、状況を大きく動かした作戦の実行者として悪い意味で有名になった。叛乱を起こしたヴェスターラントに対する熱核攻撃の指揮をとったのである。ゴールデンバウム王朝末期の帝国では、叛乱を起こした村や街ごと消すといった鎮圧方法が私的な略奪ができるという理由でよく採用されていたので、ジーベックは経験から少しばかり規模が大きかっただけであると思っているので、散々非難されている今でもあまり罪悪感を感じていない。

 

 だから虐殺の実行者として指名手配されているのだが、そのようなことをしていなくても、ジーベックは指名手配されることになったであろう。なぜなら彼のブラウンシュヴァイク公への忠誠心とアンスバッハへの敬意は強く、その二人を踏みにじったラインハルトに対して反感しかなく、罪がなくても帝国に対する反抗運動に参加したであろうから。

 

 そのジーベックは頼りになる幹部であり、信用はできても信頼はまったくできず、常に不快感を感じざるをえない男の突き上げをどうにかしなくてはならなかった。

 

「帝都が混乱しているこの期にことを起こすべきではないのか!?」

「レーデル少佐、少し落ち着きたまえ。ワーレン艦隊が帝都から離れたとはいえ、いまだに多くの部隊が帝都に残っている。いまはまだ雌伏の時であり、帝都で実施する作戦をより完璧なものとするべく準備に勤しむべき時なのだ」

 

 ギラギラする光を瞳に宿した男の名はゲルトルート・フォン・レーデルといい、元帝国軍の少佐である。強烈な貴族主義者であり、大尉時代に貴族が優遇され平民が冷遇されていたゴールデンバウム王朝の軍隊で、貴族将校たちから「平民将兵に対する過度の差別意識」が原因で左遷された帝国騎士という、ある意味で伝説的な記録の持ち主であるという噂が貴族のサロンで囁かれていた人物である。今まで接してきたジーベックの個人的見解を述べるなら、いままでの素行からしておそらく事実であろう。

 

 とにかくそうして左遷された先のポストが、ラナビア矯正区――現在彼らが潜伏している惑星――の警備司令だった。矯正区警備は収容されている思想犯の管理と脱走者の銃殺しかやることがなく、武勲の立てようがないので士官や下士官にとっては昇進がほぼ不可能になる任地であったが、レーデルは強い出世欲の持ち主でもあり、彼の頭の中の辞典には「出世を諦める」という字句は存在しなかった。どうすればこんな閑職でも出世できるだろうかと悩み続けた結果、とんでもない結論をだした。ただ思想犯を閉じ込めておくなんてもったいなさすぎるから、出世のために利用すべきだということである。

 

 銀河帝国において、矯正区という施設が誕生したのは市民権がない農奴階級が誕生したのと前後している。というのも矯正区とは、不逞な思想犯に帝室や貴族への奉仕精神を植え付けて安価な労働力として権力者に出荷することを目的としていたからである。長い歴史の中でそういった面は人口減少にともなう慢性的な人材不足とともに顧みられなくなっていき、末期にはほとんどの矯正区で収容者の生活に干渉することはなく、思想犯や反抗的な農奴を不毛の地にただ閉じ込め、緩やかに死へと誘う場所と化してしまっていた。

 

 レーデルの考えはある意味、その矯正区本来の性質を取り戻そうと言えるものであったかもしれない。ただし、かつては帝国政府主導で行われていたが、レーデルの個人的な計画によるものであり、その事業は農奴として出所されるものではなく、矯正区内で労働を強制しようというものであったから、警備司令の職権を超えた行為を行っているため、厳密には規則違反であった。

 

 だが、矯正区に関する諸規則はまったく守られていないのが常態化していたため、だれも咎めなかった。帝政そのものを否定せんとする思想犯の一族がどうなろうとも、帝国の権力者や大貴族たちはだれも気にしなかったのである。例外として戦争で得た同盟人の捕虜を収容している矯正区は外交的な意味で気にかけるものがいたが、戦争初期に同盟人の収容者が帝国の思想犯を扇動して暴動を起こす事態が頻発したことから、同盟人を収容する矯正区と帝国内の思想犯を収容する矯正区をわけるようになっていたので、後者の矯正区は警備司令部が全権を握っているも同然であり、ラナビアはその矯正区だったので何の問題もなかった。

 

 さっそくレーデルは司令部内をまとめあげ、収容者を効率的に労働に動員し、成果をあげる方法を模索した。幸い、ラナビアはリッテンハイム侯の領地の近くであったため、リッテンハイム侯爵家と交渉し、私設軍向けに安価な軍需品を供給する計画があるので手を貸してほしいと交渉し、成功した。

 

 こうしてラナビア矯正区にはリッテンハイム侯領に存在する軍需企業が工場を建設し、レーデルたち警備員はあらゆる手を使って収容者たちを労働に従事させた。その労働は過酷で、その対価として与えられるのは三食の食事だけ、しかもその献立はいつも固くなったパンが数枚とわずかな野菜だけという貧しい食事で、体調を崩して働けなくなる者が続出した。

 

 だが、そのことをレーデルたちは改善しようとはしなかった。むしろ働けなくなった者達を見せしめに公開処刑して他の者達を恐怖で縛り、限界まで酷使しようと努力した。この時代でも帝国内に百数十の矯正区が運営されていて、そこに収容されている思想犯の合計は億単位で存在し、替えは大量にあるから使いつぶしても大した問題ではなかったし、もともと人件費をかけないことで生産される軍需品を安く売ることを目的としていたので、労働環境の改善に金をかける気など毛頭なく、収容者をグループ分けして格差をつけて扱い、対立感情を醸成することで反抗を阻止することにした。

 

 リッテンハイム候は大量の軍需品を安く手に入れることができたことを喜び、その見返りとしてレーデルに男爵位の授与と警備司令部の将校を昇進させるよう軍務省に要請し、受理されてレーデルは矯正区警備に左遷された身でありながら男爵位を得て昇進を果たした数少ない将校の一人となった。

 

 そしてリップシュタット戦役においてもレーデルは軍需品を提供することでリッテンハイム陣営を応援していたのだが、キフォイザー星域会戦での大敗とガルミッシュ要塞でのリッテンハイム侯爵の爆死の報を知ると自分の後ろ盾を失ったことを悟り、警備司令部の者達と共に逮捕されて処刑されることをまぬがれるために姿をくらました。

 

 ラインハルト率いる帝国の正規軍がラナビア矯正区に降り立ったときには、警備司令部の軍人は一人も残っておらず、残っていたのは惑星から飛び立つ術を持たない、虐待と飢えで死にかけた収容者たちと死んでしまった死体の山のみであった。帝国軍は彼らを解放して保護し、司令部の書類や工場で使用されていた機械類を接収すると引き上げ、後のこまごまとした事後処理を済ませた後、ラナビア矯正区を完全に閉鎖した。その放棄されて無人となった惑星をジーベックたちは潜伏先として選んだのである。

 

(……恨むぞシュトライト)

 

 ジーベックは内心で恨み言を呟いた。レーデルのような我意が強くて小才に長じているような奴を不逞な金髪の簒奪者を打倒のための重要な同志とせねばならぬことは、個人的感情としては非常に不本意なことであるのだが、彼はとある事情のせいでこんな一癖も二癖もある人材を使わなければならないのである。

 

 その事情というのが、かつての同僚でブラウンシュヴァイク公の忠臣であったはずのアルツール・フォン・シュトライトがラインハルトに膝を屈し、彼の首席副官に任命されて厚遇されたという事実と政治宣伝の影響のおかげでジーベックがひそかに声をかけていたり、味方に取り込もうと目をつけていた者達の多くが「あのシュトライトが赦されたのだから」と我が身可愛さに生意気な金髪の孺子の軍門に下ってしまい、使えそうなのがレーデルのような面倒な人物しか残っていなかった、というものである。

 

「ではいつ行動するのだ!」

「前にも言ったが、帝国が自由惑星同盟などと僭称する叛乱勢力の領域を完全併呑する為に兵をあげたときに、だ」

「それは前にも聞いたが、これ以上下賤な輩に我ら貴族が虐げられている状況を看過し続けねばならんのか。ここでモグラのように巣穴に閉じこもっているなどまるで臆病者の――」

「――聞き捨てならんな。卿は今なんと言った? この計画はわれわれが立案し、殿下の承認を得たものだ。つまり、われらが忠誠を誓った殿下を臆病者と卿は誹謗するというのか。臣下としての身分を弁えろッ!」 

 

 ジーベックの叱責に、レーデルはたじろいだ。

 

「す、すまぬ、言葉を間違えた。だ、だが、その方針を殿下が認められてからそれなりの時間がたち、地球教という不確定要素もでてきた。にわかに状況が動き出した今、今後何年も潜伏を続けなくてはならぬのは耐え難いことで、殿下が心変わりしていないかと……」

「すべてを知った上で殿下は耐え難きを耐えておられる。なのに臣下の身でありながらそれについていけぬとでも言うつもりか」

「……」

 

 レーデルは黙り込んだが、全身から納得していてないと露骨な反感の意志を示し、ジーベックは彼に希望を提示する必要性を感じた。

 

「だが、もしかすると今後何年も潜伏し続けるまでもなく、そういった状況になるかもしれぬな」

「なに? そのような兆候があるのか」

「ないこともない。我らが同志の近衛士官からの報告によると、メルカッツのやつが同盟領で生きているやも知れぬという噂があるらしい。もし事実だとすれば状況からして同盟が帝国の大罪人を庇っていることは明らかで、いっきに情勢が動くかもしれんな」

「……メルカッツが、か」

 

 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ。職人気質の老練な帝国軍人で、リップシュタット戦役においては貴族連合軍の最高司令官を務めた。敗戦後、同盟に亡命してヤン艦隊の客員提督として遇され、フェザーンと同盟の援助で銀河帝国正統政府が発足するとその軍務尚書を務め、帝国軍が同盟領に大挙して侵攻してきたときには、わずかな正統政府軍を率いてヤン艦隊とともにバーミリオン会戦でラインハルトと戦い、戦死したというのが現在の公式記録である。

 

 ジーベックはメルカッツを憎んでいた。もともとブラウンシュヴァイク公が連合軍の最高司令官となるはずだったがリッテンハイム候との対立による妥協の産物で最高司令官になったからというのもあるが、貴族連合軍が無残に敗北した原因のひとつに、メルカッツの無能さがあると考えていたからである。いや、軍人として純軍事的には文句なしに優秀なのだろうが、あまりにも前提条件を把握する能力に欠けていたか、根本的なことがわかっていなかったとしかジーベックには思えなかった。

 

 軍隊を有機的に連携させて運用するためには、統一された司令部、統一された戦略構想、統一された管理と補給のシステムが必要不可欠であろう。貴族連合が成立してから、諸侯の私設軍を統合し、統一された指揮系統を築こうと試みたのだが、貴族の対立構造を完全に抹消することがかなわない以上、形式的にはともかく、実質的な意味で統一された軍隊を構築することなど不可能であった。

 

 実際、数年前のクロプシュトック侯爵の叛乱の際、ブラウンシュヴァイク公が自派の貴族の私設軍をまとめあげて編成した連合軍を叛乱鎮圧に動員したとき、味方を撃つという愚行まではいかなくても、「隣の部隊は今政争で争ってるから突出させろ」とか「あの家とは百年に渡る因縁がある! 援軍要請を無視しろ!」などといった阿保らしいことを連合軍の貴族達が行い、自軍の被害を拡大させてしまったものである。

 

 その反省を活かし、ブラウンシュヴァイク公は今度は最初から軍を分裂させる戦略を立案した。大貴族を中心として派閥ごとに十の部隊に分け、本拠地であるガイエスブルク要塞とオーディンから本拠地の要塞に至る九つの軍事拠点に部隊を配置する。ラインハルト軍が九つの軍事拠点を攻略している間に少なからぬ人命を失い、疲弊したところをガイエスブルクから一挙に出撃してラインハルト軍を粉砕する、というものである。そして当然、ガイエスブルク要塞に駐屯するのはブラウンシュヴァイク公とその一派の貴族が率いる部隊である。

 

 だが、メルカッツはその戦略に反対し、連合軍の全部隊をガイエスブルクに集中させるべきと主張した。ラインハルト軍をガイエスブルクまでひきずりこみ、遠征で疲弊しているところに決戦をしかけるというのは、用兵学的には正しいだろう。だが、貴族の力関係というものを少しは考慮できないものか。いや、そのあとのシュターデンの案はさらに論外な代物だから、あれでも考慮したつもりだったのかもしれないが。

 

 やはりというべきか、メルカッツが艦隊を率いてシャンタウ星域の奪回のためにガイエスブルクを発った時、懸念していた問題は表面化した。もとより帝位継承をめぐって犬猿の仲だったブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派がなにかにつけ、対立するようになったのだ。もとよりこんな統一性のかけらもない軍隊を軍隊として機能させることに無理があるとわかっているブラウンシュヴァイク公はアンスバッハやジーベックに命じて、リッテンハイム侯が自派の部隊を率いてガイエスブルクから流血をともなわずに出ていけるよう、いろいろと工作したものである。

 

 なのにだ。メルカッツは最高司令官である自分の了解を得ずに実施したことに不快感を示し、そのあてつけであるかのようにシャンタウ星域における戦勝の宴への出席を拒否した。ブラウンシュヴァイク公が大手をあげてメルカッツを歓迎していることによって、血の気の多い若手貴族がメルカッツの指揮に従うよう促そうという配慮によるものであったのに、出席を拒否されては逆に公爵の面子を潰したと若手貴族がメルカッツに反感を募らせる結果に終わった。

 

 やがてブラウンシュヴァイク公自身もなにかにつけ不快感を示すメルカッツを疎むようになり、このままでは勝てる戦も勝てなくなると考え、軍の指揮権を事実上強奪しようと目論んだが……その時点でもういろいろと手遅れになっていたのだろう。メルカッツは役に立たぬということを名実ともにまわりに見せつけるべく、その意見を無視する行動をとっているところをラインハルト軍につかれ、連合軍は壊滅状態に陥ったからである。

 

 宇宙艦隊司令長官を務めたミュッケンベルガー退役元帥あたりなら、貴族間の事情を考慮しつつ有効的な軍事作戦を展開してラインハルト軍に勝てぬまでも、いい勝負ができたに違いないとジーベックは思うのだが、貴族連合が成立する前にブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候がそれとなくミュッケンベルガーに誘いをかけたところ、

 

「ほう、御二方は限界を感じて軍から引退した辺境伯爵家の老人をまた戦場に立たせようと考えておられるのか。むろん、陛下に危機あるというのであれば老骨に鞭打って戦働きをしてかまわんが、私が生涯の忠誠を誓ったフリードリヒ四世陛下はこの世にもうおられぬ。ゆえに私は平穏な引退生活を手に入れるためだけにリヒテンラーデやローエングラムの側についても、別にかまわんのだがな」

 

 と言い返されたので諦めるしかなかった。あんまり言い募ればミュッケンベルガーは本当に枢軸側に与するだろう。ミュッケンベルガーは立派な武人として多くの帝国軍人から畏敬されており、彼が枢軸側について味方するように呼びかければ、少なからぬ者達が枢軸に寝返るだろうし、そうなった場合、最悪兵力差がひっくり返りかねなかったからである。

 

 とはいえ、過ぎた話を思い出しても仕方がないと思い、ジーベックは現実に意識を戻した。

 

「ともかく、今は動くべき時ではない。機が訪れるまで待つのだ」

「ああ、わかった」

 

 レーデルがしぶしぶであるにしても納得した様子を見せて退室したので、ジーベックはホッとため息を吐いた。だが、自分がレーデルを落ち着かせるために言ったこの根拠がまったくない推測が現実のものとなるとは、このときはまったく予想していなかった。




Q.原作にこんな虐殺者どもの勢力は影も形もなかったぞ!
A.ラーセンが銀行から大金強奪した影響。要はゲオルグの作戦によるバタフライエフェクト。

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