リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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権力者の命は狙われるもの

 ユルゲン・オファー・フォン・ペクニッツは絵に描いたような道楽者の貴族である。第三五代皇帝オトフリート五世の第三皇女の子という、傍流ながらゴールデンバウム王家の血を継ぐ人間であったため、子爵の爵位とほどほどに贅沢できる年金が与えられ、それに胡坐をかいて過ごし、美しい象牙細工のコレクションにのみ人生のすべてを傾け、権力闘争などとは無縁の生活を送ってきた。

 

 だから帝国が貴族連合陣営と皇帝枢軸陣営の真っ二つに分かれて対立するような状態になっても、貴族連合の中心的立場にあったブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム候もペクニッツ子爵を自己の陣営に引き入れようとはしなかった。大多数の平民と比べてはるかに恵まれた立場から出発しているにせよ、両者は熾烈な権力闘争の果てに帝国で一、二を争う権勢を誇るようになったのである。ゆえ、自分の趣味にさえ没頭できるならどうなろうがかまわないという無能な敗北主義者をあえて味方に引き入れる必要性を感じなかったのである。

 

 そのため、ペクニッツは帝国が激動のさなかにあっても、なんの行動も起こさなかった。皇帝枢軸陣営は貴族特権の縮小と貴族から税金を取ることを標榜しているというが、そうなったところで困るようなことはペクニッツにとってなにひとつなかった。貴族特権が縮小されてもペクニッツはもとより特権を積極的に行使する人柄ではなかったし、多額の貴族年金を毎年受け取っているので少々の税金を納めるようになったところで何の問題があろうか、という考えだったのである。

 

 だが、それは間違いだった。帝国を二分した内乱が皇帝枢軸陣営の勝利に終わった直後、その中の過激派とでもいうべき軍部を支持基盤とするローエングラム派が貴族・官僚が支持基盤のリヒテンラーデ派を粛清・追放し、貴族に対して過酷な政策が実施されることとなったからである。いきなり貴族特権はほぼ全廃され、貴族年金も大激減、さらに税金も平民と同等な分を治めなくてはならなくなったのである。当然、貴族たちには反発が起こったがまとめ役となるべき大貴族は内乱で軒並み没落していたのでそれは統一されたものにはならず、帝国政府の激しい弾圧の前に沈黙せざるを得なくなった。

 

 それでもペクニッツは現状を楽観視していた。紛いなりにも自分はゴールデンバウム王家の血が流れている人間だ。帝国政府は体面的な問題もあって、自分が困っていたら助けてくれるであろうという根拠のない自信があって、象牙細工の収集をやめず、ツケでそれらを購入するようになった。そして七万五〇〇〇帝国マルクも未払いのまま放置し続けられて我慢の限界に達した商人から民事訴訟で訴えられた時、ペクニッツが望んでいたような帝国政府の救いの手は当然伸ばされることなく、若い子爵を激しく狼狽させた。

 

 狼狽している内に警察の調査が完了し、「あの子爵は裁判で確実にブタ箱行きだ。申し訳ありませんが、全額取り戻すのは難しいかもしれません」と、申し訳なさそうな顔で商人に話す平民警官の言葉を聞いて、ようやく昔とはなにもかも変わってしまったことを若い子爵は理解した。昔であればそんなことを言ったら即座に社会秩序維持局員がやってきて、発言者をどこかに連れ去ってしまうはずであったから。

 

 自分や妻、生まれたばかりの娘の将来を憂い、絶望的な思いに打ちひしがれていたところへ、軍務省の憲兵たちがやってきた。ペクニッツは怯えながら何用かと問うたが、憲兵たちはなにも答えず、高圧的な態度で家の外へと追い出し、スモークガラスの地上車に家族全員が乗るように命じられた。移動中、ペクニッツは勇気を振り絞って「どこへ行くのか」「目的はなにか」と問うたが、憲兵たちはずっと無言であった。

 

 その後、到着した建物(ペクニッツは政治に興味がなかったので軍務省であることに中々気づかなかった)の中でパウル・フォン・オーベルシュタインとかいう、見る者に恐怖を与えるような義眼の総参謀長と会談した。そして自分の娘、カザリン・ケートヘンを次期皇帝にすることが告げられ、それと引き換えに今抱えている借金をすべて帝国政府が肩代わりすると言った。ペクニッツは現皇帝エルウィン・ヨーゼフは六歳であるというのに自分の娘を次期皇帝にするとはどういうことだ?と疑問に思ったが、相手に不快感を与えたらマズいと本能的に思い、頷くしかなかった。

 

 そしてエルウィン・ヨーゼフ二世が自由惑星同盟に亡命し、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵を中核とする銀河帝国正統政府が樹立された。そこからラインハルト・フォン・ローエングラムの宣戦布告、エルウィン・ヨーゼフ二世の廃位とカザリン・ケートヘンの即位と自身の公爵へ昇格、電撃的なフェザーン占領という一連の流れを見ると、いくら政治に疎すぎるペクニッツでも、自分達一家が壮大な謀略の道具として使われていることを自覚し、いままで彼の楽天的人生では経験したことがない恐怖を味わうこととなった。

 

 そんな不安しかない生活を送っていたペクニッツ公爵の下に、帝国宰相府に出頭する命令書が届いたのは六月二〇日のことである。極度の不安と不審に苛まれつつも家族のためを思って、感情的に動きにくくなっている体を理性と家族愛で動かし、宰相府の門をくぐった。そこで会ったのは、またしてもオーベルシュタインである。先日、軍務尚書に就任した不気味な男は、一枚の紙片をさしだした。女帝の全権代理として娘の退位を承認するという内容の女帝退位宣言書であった。

 

 この宣言書にサインするように促されたとき、一瞬だけ躊躇した。なにか猛烈に嫌な予感をおぼえたのである。だがそれでもペクニッツは署名した。次にさしだされたのは、帝位をラインハルト・フォン・ローエングラムに譲るという宣言書である。その内容を確認したとき、ペクニッツは比喩ではなく固まった。自分たちはいささかローエングラム公にとって都合が悪いことを知ってはいないだろうか。エルウィン・ヨーゼフ二世が亡命する前から、彼らが次期皇帝として自分の娘を指名したということを。その口封じのためにこの署名をした直後、自分達一家が口封じのために処刑されるのでは、と不安に思ったのである。

 

 そのことをオーベルシュタインが洞察していたかどうかは不明だが、三枚目の紙片をさしだすタイミングはまさに絶妙だった。それにはすでにラインハルトの署名がされていて、ペクニッツ家の爵位と財産と安全を保障し、今後、女帝が死去するまで毎年一五〇万帝国マルクの年金を支給する旨が明記されていたからである。ペクニッツは精神的な要因で大量の汗を流しながら二枚の文書に署名した。

 

 こうしてゴールデンバウム王朝を滅ぼすという、オーベルシュタインの悲願のひとつがこのとき完全に達成されたわけであるのだが、すくなくとも表面上はいつもの鉄面皮を維持し、いつも通り黙々と職務を遂行するべく、宰相室へと入り、主君への挨拶もそこそこに用件を切り出した。

 

「ペクニッツ公爵の署名を得ました。ご確認ください」

 

 さしだされた三枚の文書を、まもなく皇帝に即位する若い帝国宰相は、つまらなさそうな目で確認すると唇の端をかすかにゆがめた。

 

「これでルドルフの皇帝即位から四九〇年間続いたゴールデンバウム王朝は名実ともに終わったわけか。存外、あっけないものだな」

「閣下が宰相の地位を得てから、事実上滅んでいるようなものでしたので。実質に形式が追いついただけのことにすぎませぬ」

「たしかにな」

 

 皇帝フリードリヒ四世の崩御後、その帝位を継承したのは皇孫のエルウィン・ヨーゼフ二世であるが、それは帝国宰相であったリヒテンラーデ侯クラウスが都合の良い操り人形として、有力貴族を出し抜く政治的工作の結果としてであって、エルウィン・ヨーゼフ自身に際立った才能があるわけではなく、リヒテンラーデ侯とラインハルトの操り人形としてであった。ゆえに「銀河帝国の伝統ある秩序の回復」を主張する貴族連合を打倒し、奇襲でリヒテンラーデ派を壊滅に追い込み、ラインハルトが皇帝をあやつる糸のすべてを掌握した時点で、ゴールデンバウム王朝は実質的には滅んでいたのである。それから今日まで形式的にゴールデンバウム王朝が存続したのは、政治的な都合によるものでしかなかった。

 

「しかし私が皇帝になるのに二日も待たねばならんのか。エルウィン・ヨーゼフを廃位したときは、その日のうちにカザリン・ケートヘンを女帝にすることができたというのに」

「あれは今上の皇帝が国を捨て同盟に亡命という前例なき事態でしたのでこちらの都合で処理することができました。ですが譲位となるとゴールデンバウム王朝にも前例がございます。無論、ルドルフの血族に限ってのことではありましたが、前例がある以上、無闇にそれを無視することは後々面倒なことになるやもしれません」

 

 ラインハルトは面倒なことだという顔をしながらも頷いた。政治は過程や制度ではなく、結果だ。そう信じるラインハルトであるが、かといって破ることに大したメリットがないのに形式を無視するというのは考えものであった。

 

 じつのところ、ローエングラム派にもゴールデンバウム王朝のことを否定的に評価することはともかく、全否定の対象とすることに拒否感をおぼえる者が多数存在するのである。ラインハルトに忠誠を誓っている者のすべてが旧王朝で冷遇され不満を抱いていたとは限らず、おのれの立身栄達への近道としてローエングラム派に属した者たちがおり、彼らは旧王朝にそれほど否定的ではないからである。ゆえにリヒテンラーデ派を粛清した直後にエルウィン・ヨーゼフ二世を玉座から引きずりおろし、自らがそれにとって代わるということをラインハルトはしなかったのだ。ローエングラム派の足並みが乱れることになりかなねないから。

 

 ゆえに形式的にはローエングラム王朝は、ゴールデンバウム王朝から皇帝位を譲られることによって始まった合法的な王朝という形でスタートさせなくてはならない。ラインハルトにとってはやや不快なことではあるが、状況次第では帝位継承権者であるブラウンシュヴァイク公の娘エリザベートやリッテンハイム候の娘サビーネと形式的に結婚することも策として考え、そうする覚悟もあったことを思えば、許容できる範囲の不快である。

 

「ゴールデンバウム王朝はこれにて倒れましたが、それで安心するのは早計かと。なお王朝復興を試みる輩が出てくるでしょう。注意しておくにこしたことはないかと思われますが」

 

 軍務尚書の見解に、若い覇者は驚いたように目を丸め、ついで好奇の感情が浮かぶ笑みを浮かべた。

 

「ほう、いまだにゴールデンバウム王朝再興の芽があるとでも卿は言うのか?」

 

 帝国宰相になってから聖域なき改革によって帝国からルドルフの不要な遺産を一掃し、貴族支配を復活させるために暗躍していたレムシャイド伯率いる一党は滅ぼした。いまなお、ランズベルク伯が皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を匿って逃亡を続けているが、武力どころか組織も資金もない状態の者達がラインハルトの障害になるとは思えない。

 

 他にもカザリン・ケートヘンを傀儡として玉座につけたことに反発し、残存貴族領や旧貴族領の一部が叛乱を起こしていたが、これは難しい問題であった。叛乱惑星は正統政府を打倒すれば自然消滅するとラインハルトは当初考えていたのだが、ゲオルグの謀略とそれによって整えられた状況を個人的な復讐のために利用したクレメント少佐の暴走によって発生したブルヴィッツの虐殺の影響のために、正統政府が打倒された後も意固地になって降伏せずに叛乱を続行したのである。

 

 ゆえにラインハルトは叛乱のすべてを力で抑えつけるという手法をとるのは、政治的に好ましくないと判断した。個人的な心情としては理不尽な旧体制派など一掃してやりたいのだが、彼らが降伏しない理由のひとつがこちらの失態にある以上、不寛容な態度をとり続けては数日後に成立するローエングラム王朝が、将来的にゴールデンバウム王朝のように虐殺を是とする体制に変容する際、その前例として利用されかねない。

 

 しかし叛乱惑星が総じてゴールデンバウム王朝の旗を掲げている以上、一方的に妥協しても同じことになってしまうので、自分の非を認めつつも叛乱側が自発的にローエングラム王朝の統治を認めさせるという結果を出さなくてはならないのであった。

 

 そこでラインハルトは、オーベルシュタインの案を採用した。叛乱を起こしていたアイゼンベルク伯爵家に密使を派遣し、交渉によって解決をはかろうとしたのである。交渉相手にアイゼンベルク伯爵家を選んだのは、蜂起後、帝国軍の包囲下にあっても、武力衝突を極力避けており、向こう側も交渉によって幕を引こうとしていることが伺えたからである。

 

 領地や爵位の安堵は認めないが、自治区という形に編成し直し、今の貴族領主をその自治領主に任命すること。そしてアイゼンベルク伯爵家に対する八年間の免税。この二つを引き換えに、いきなり武力蜂起したことを自己批判し、それ以外はなにも間違ったことはしていないという主張の下、言論によってローエングラム王朝と対決する方針を示すという提案を行った。

 

 当代のアイゼンベルク伯爵は先祖代々治めてきた領地に愛着とその領主であることに誇りがあって、叛乱を起こしたのも忠誠心や義憤からというより、自領の統治者として君臨し続けるためには、ゴールデンバウム王朝のような封建的体制であったほうがいいという観点によるものだったので、名より実を取ろうとその提案を受け入れた。自治領なのだから、どのような制度を敷くかは自分の采配次第であり、看板が変わるだけで実質貴族領だった頃と変わらない統治ができるからであった。また、ラインハルト側の狙いも読めていたので足元を見て条件を吊り上げ、免税期間を三五年間に変更させるという抜け目なさも発揮した。

 

 さらにアイゼンベルク伯爵は新王朝への心証を多少なりともよくしようと考えたらしく、他の叛乱惑星に共に言論で戦おうと呼びかけ、われらの交渉で帝国政府から反乱側全員に一臣民としての権利を認め、今反乱をやめれば罪には問わぬと確約させていると演説。つい先日まで「我らの誇りが認められないなら玉砕するまで戦う」と主張していたにも関わらず、その変節ぶりにライヘンバッハをはじめとする貴族領主は激怒したが、ゴールデンバウム王朝に対する愛着から暴走した旧貴族領の大半が降伏を選択した。現実的に言って勝ち目がないことを悟っていたからである。

 

 だが、叛乱を起こした貴族領はそうはいかない。彼らはゴールデンバウム王朝への忠誠心も多少はあったが、領主として旧時代と変わらぬ特権を守るために叛乱を決断したのである。ゆえに降伏なんて論外であるから反発し、ラインハルトも貴族を叩き潰すのは望むところである。アイゼンベルク伯爵家に対して慈悲を施し、まわりにも合理的に呼びかけている以上、容赦する必要なし。なお叛乱を継続した諸惑星にはラグナロック作戦で失態を犯し、辺境に左遷されたトゥルナイゼンをはじめとする提督たちが汚名返上のために暴れまわり、既にほぼ鎮圧されている。

 

 ゴールデンバウム王朝の再興の芽など皆無。自分が支配者として突然堕落でもしない限りは、実現不可能な夢物語に過ぎぬとラインハルトが断ずるのも当然な状況と言えた。

 

「たしかにそんな夢物語が実現するとは申しません。しかし大局を見て動かないような者であっても無能ではあるとは限らず、そういった者達の行動は新王朝にとって脅威になりえます。二年前のアンスバッハ准将による暗殺未遂で、小官はそれを学びました」

 

 ラインハルトは蒼氷色(アイスブルー)の瞳を、さながら絶対零度の冷たさを連想させるほど冷たくして目の前の軍務尚書を睨みつけた。オーベルシュタインが言っているのは、リップシュタット戦役の戦勝式における捕虜の高級士官の引見時、ブラウンシュヴァイク公の腹心であるアンスバッハが、持参したおのれの主君の死体にハンド・キャノンを仕込み、それを用いて主君の仇をとろうとラインハルトに砲口を向けたのである。

 

 あのとき、ラインハルトは助かった。親友であり、いちばんの腹心であったジークフリード・キルヒアイスがアンスバッハにおどりかかり、ハンド・キャノンの砲口をそらしてくれたからだ。だが、それでもアンスバッハは主君の仇をとることを諦めず、指輪に擬したレーザー銃でキルヒアイスに致命傷を与え、ほどなくして死亡してしまったのである。

 

 これは本来であれば回避し得た悲劇であった。他の提督が非武装になる式典の時でもラインハルトはキルヒアイスに武器を所持する権利を特別に与えていたからである。しかしラインハルトの権力体制をより完璧なものにしようとナンバー・ツー不要論を唱えるオーベルシュタインは、キルヒアイスがラインハルトに与えている大きすぎる影響力を問題視し、キルヒアイスを特別視することをやめるよう主張していたのである。

 

 いつもならばそれを考慮に値せぬと退けてきたのだが、リップシュタット戦役中、ブラウンシュヴァイク公爵の命令で実施されたヴェスターラントの虐殺を、ラインハルトは事前に察知しつつ政治的な理由で見逃したことをめぐってキルヒアイスとの関係に大きな亀裂を生じさせていた。それを好機とみたオーベルシュタインが再度キルヒアイスを特別視するのをやめるよう提案。ラインハルトは個人的感情もあってその提案を承認してしまったのである。

 

 その結果としてアンスバッハの暗殺未遂はキルヒアイスのブラスターから放たれる光線ではなく、彼の命によって防がれることになってしまったのだ。ラインハルトは個人的な感情で認めてしまった自分の責任であるとし、この件でだれかにあたるということはしなかった。だが、さすがに提案者が平然とそのことに触れてきたら、大量に文句を言ってやりたい気持ちに襲われるのである。しかし、他人が言いにくいことを平然と言うからこそ、オーベルシュタインを自分の側近として重用しているのだからこれで正しいのだ。そうラインハルトは思って自制したが、それでも完全にとどめることはできなかったのである。

 

「……なるほど。私を殺すことによって新王朝そのものを滅ぼそうとするかもしれぬと言いたいのだな」

「御意」

「卿がわざわざそんなことを口にすると言うことは、そうした能力を持つ者に心当たりがあるのだな。まさかへぼ詩人とは言うまいな」

 

 皮肉げな口調であった。へぼ詩人とは銀河帝国正統政府の軍務省次官を務め、現在エルウィン・ヨーゼフと共に逃亡していると見られているランズベルク伯アルフレットのことである。ランズベルク伯は芸術方面においては学芸省主催の芸術コンクールで何度か入賞したりするなどそれなりの才覚があったのだが、ラインハルトのほうに芸術的感性が欠けていたため、いつも貴族相手に上手くない詩を歌ってる凡人としか認識していなかった。

 

「閣下の命を狙う動機があり、それを成し遂げうる能力や基盤の持ち主のリストがこちらになります」

 

 さしだされた紙片にはそうした人物の名前の列があり、名前の横には簡単な経歴が記されていた。十数名程度の名前が書かれていたが、ラインハルトが興味を引いたのはそのうちの三名であった。そしてその三名の中には当然というべきか、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名前があった。

 

 帝国軍の同盟領侵攻と同時に銀河帝国正統政府の主要閣僚のほとんどが逃亡して組織は形骸化していたが、そこで作成されていた書類の類はほとんど破棄されずに残っていたので、同盟の首都星ハイネセンを一時的に占領した帝国軍の手によってすべて押収された。その中にゲオルグが帝国領内に相応の規模の秘密組織を築き、正統政府のためにゲリラ作戦を展開していることが記されていたのである。

 

 捕らえた正統政府の閣僚の証言、正統政府成立に深く関与したフェザーン自治領主府の記録とも合致していることから、その情報はほぼ間違いのない真実である。つまり、カザリン・ケートヘンの即位とほぼ同時に帝国内で発生した小規模の叛乱のいくつかはゲオルグの工作によるものである可能性が高い。憲兵隊は事実を把握した直後に調査を開始し、フェザーンの機密記録からゲオルグがオデッサのある流通会社 “ズーレンタール”に潜伏していたことを掴んだ。

 

 だが、ゲオルグが身を隠すほうが早かった。帝国軍がフェザーンを占領してから間もなくわずかな人員を残して行方をくらましており、そのわずかな人員も同盟政府が降伏した前後に姿をくらましていた。しかも、口封じのためにズーレンタール社のグリュックス社長以下、事情を知りすぎていた会社の最高幹部一四名中六名を暗殺している徹底ぶりである。

 

 憲兵隊はその暗殺事件も調査し、四名の暗殺犯を逮捕することに成功したが、そこまでだった。彼らはゴールデンバウム体制時代、貴族が邪魔な人間を排除したいときに雇うフリーランスの暗殺者として活動していたが、ラインハルトが独裁者となり綱紀を粛正され、官憲がまともに仕事をするようになった結果、権力者が大金を払って暗殺者を雇うということが少なくなり路頭に迷っていたところ、名も知らぬ男から多額の報酬をチラつかせながら暗殺の依頼をされ、請け負ったにすぎなかったからである。

 

 ゲオルグたちの秘密組織は暗殺者にちゃんと報酬を払ったが、自分たちの素性に関しては徹底的に秘匿した。暗殺犯たちも元々貴族間抗争に関わる暗殺を専門にしていただけに「なぜ相手を暗殺する必要があるのか」と問うて地雷を踏んでしまうような危険を侵すような精神など持ち合わせていなかったので、そこで憲兵隊の捜査の糸が途切れてしまっていたのである。

 

 しかしながら、ラインハルトはゲオルグがいまなお自分に挑むつもりがあるのか疑問を抱いていた。というのもフェザーン側の機密資料を見る機会があったのだが、どうもフェザーン側がなかば脅す形でゲオルグを協力させていたように受け取られるのである。もっとも、このまま潜伏して犯罪行為が繰り返されては帝国の権威が傷つくので放っておいてよいものではないが、他の二名に比べるとラインハルトの関心はやや低かった。

 

「テオ・ラーセン。反体制活動中でテオリアで大量の金品を強奪し、相応の資金を有している。エーリューズニル矯正区の生き残り、か」

 

 口調には微かな苦みがあった。ラインハルトは帝国宰相となったとき、 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大部分を閉鎖し、それにともなって宮殿に務めていた多くの侍従や女官も年老いた者を除いてすべて解雇した。若い人間なら体力も適応力もあるだろうし、労働力としての需要があるだろう。しかし宮廷内で何十年もすごした老人たちがいまさら外の世界で暮らしてはいけまい――そうした考えによるものであり、文官たちにも同じような処置を行うように指示している。ルドルフの生み出したものを激しく憎悪する非情な野心家のラインハルトにもこのような優しい一面がある。もっとも、口には出さないので、ほとんどの者は先入観にとらわれ、その真意を理解していなかったが。

 

 そんなラインハルトの優しい――独裁者としては甘い一面から洗脳教育施設として噂に聞いていたエーリューズニル矯正区の出身者に対して複雑な感情を抱いていたが、独裁者となった帝国の全権を掌握し、エーリューズニル矯正区の実態を知って顔から血の気が失せて蒼白になった。彼らは間違いなくゴールデンバウム王朝の犠牲者である。しかし過酷な扱いを受けて育った彼らには狂信的な帝室への忠誠心を持ち合わせていて、犠牲者であると同時に民衆弾圧に強力に加担した加害者でもあるのだ。ラインハルトが望む帝国を創造するためには旧弊である彼らを野放しにしていくことはできなかった。

 

 結果ラインハルトはエーリューズニル矯正区出身者の内、比較的罪の軽い四〇九名に終身刑、罪の重い一二七名に死刑を宣告した。それでも自分の決断で死ぬことになる者たちの最後を見届けようとラインハルトはその一二七名の処刑に立ち会った。ある者は皇帝への忠誠を叫んで処刑の撤回を叫び、ある者はラインハルトを簒奪者とみなして非難したが、これは覚悟していた。しかし、ある者たちが「エルウィン・ヨーゼフ陛下が我らの死を望んでいる」と語って処刑台に喜んで登り、陶酔の表情を浮かべて死んでいくのは想像すらしていなかった。ラインハルトは思わず吐き気を覚えた。処刑の実施を任されていたたケスラーを始めとする憲兵、法的手続きのために同席した司法省の役人たちも同様であった。あまりに異様な光景であり、ゴールデンバウム体制のもっとも邪悪な一面の象徴をその目で目撃したのだから。

 

(キルヒアイスならどうしただろう……)

 

 エーリューズニル矯正区の一件に関して自分の決断に完全な自信を持てていないラインハルトは、そのようなことを思う。キルヒアイスなら自分が彼らを処刑することを認めただろうか? しかし実際問題として彼らを処罰しないことには、彼らによって虐げられた被害者たちがラインハルトを支持することはありえない。だから苦悩しつつも最後には処刑に賛同したのではないか、と思うのだが、あまりにも特殊な事例なのでキルヒアイスが最終的にそう決断するに違いないのだ、と断言はできないのであった。

 

 ともあれ、憲兵の手から逃れたラーセンは決してラインハルトを許さないだろう。心の底まで植えつけられているゴールデンバウム王家への忠誠心もあるだろうし、なにより彼の“家族”をラインハルトは抹殺しているのだ。たとえなにがあろうとこの命を奪い、帝室への忠誠を示し、家族の仇をうてるのであれば、現代と後世からどれほどの非難を受けようとも一向に意に介さないであろうから。

 

「わかった。特にゲオルグ・フォン・リヒテンラーデとテオ・ラーセン、そしてこの人物の三人には注意しておく必要があるだろう。だが私としては、ここに書かれている者たちより、同盟の過激派どもが祖国の存続のために私の暗殺を企む可能性のほうが高いと思うが」

「御意。同盟にそのような動きがないか、探っておくこととしましょう」

 

 このように、同盟が起死回生のために、あるいは旧帝国残党が復讐のために、ラインハルトを暗殺しようと企む可能性は帝国上層部が危惧するところではあったが、ラインハルトが護衛を嫌い、身軽さを好む傾向は崩御するときまで変わることはなかった。芸術提督メックリンガーが語るところによると、ラインハルトは自己の運命を達観、もしくは諦観しているのである。それゆえというべきか、遠くない未来にラインハルトは暗殺の危機に襲われるわけだが、その主犯は意外なことに同盟の過激派でもオーベルシュタインのリストに載っていた者たちでもなかった。




最近忙しい上に、若干スランプ気味。気分転換になんか別の短編書くかも。

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