リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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プロローグ・潜むものたち②

 第八応接間に入ってきた“フェルディナント”の姿を確認した時、「怪しい姿の男」というコルプ警備員の評価が、訪ねてきた男に配慮して選択しての評価であるということをゲオルグは悟った。ボロボロで薄汚れた服装を身に纏っており、栄養不足なのか肌の色が青白い。見ているだけで独特な異臭を感じてしまうほどの、絵に描いたような初老の浮浪者そのものの姿だったからだ。

 

「えーっと、その、よく無事、だったな?」

 

 言葉がとぎれとぎれの上に疑問形なのは、ゲオルグの記憶にある人物の雰囲気とかなり異なっていたたからである。むろん、官憲の追跡を避け、素性を隠しながら行動しなければならないのだから、彼が咎められるべき理由はどこにもない。しかし数か月前までの血色よく健康的な肉体美を誇っていた人物の姿との落差が激しいだけに、ひょっとして別人ではないかという疑いを消せなかったのである。

 

「……念のため確認しますが、リヒテンラーデ警視総監閣下ですね?」

 

 その声音は聞きなれたものであり、想定していた人物本人であるとゲオルグはこの時点でようやく確信した。

 

「いかにも。今はゆえあって偽名を名乗っているが、私はゲオルグ・フォン・リヒテンラーデだとも。それ以外の何かに見えるのかね?」

 

 自分も同じく相手の正体に自信を持てていなかったことを棚にあげて、この発言である。

 

「私は閣下の素の態度を知っているからそれほど違和感を感じませんよ。ですが警察高官としての威厳がほとんど感じられませんぞ。これでは元同僚ですら別人と認識してしまっても不思議はないでしょう」

「当然だろう。威厳を出そうと無理してないんだから。しかし、なんだ。ずいぶんと顔色が悪くなったな」

「ここに辿りつくまで、安心して眠れない夜を過ごしてきたので……」

「今日からは安心してぐっすりと眠れるぞシュヴァルツァー。私がこの会社内の安全であることを、自信をもって保証しよう」

「……ありがとうございます。閣下」

 

 “フェルディナント”ことエドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァーは数ヵ月ぶりに心の底から安心した。ゲオルグがこのような状況において気休めでそんなことを言うような人物ではないと知っており、その人物から保証された安全を信じることに疑う必要はどこにもなかったのだ。

 

「それでどのようなルートでここまでやってきた? おまえの才覚を疑うわけではないが、こんな状況だ。官憲の注目を引くような点がないか、確認しなければならん。だから昨年九月二六日にローエングラム率いる連中が帝都を制圧してから今までの行動を、可能な限り仔細に説明してほしい」

 

 もし官憲の注目を引いていると判断できるような要素があった場合、ついさっきこの会社が安全であるという保証を撤回しなければならなくなるかもしれん。そう締めくくられ、シュヴァルツァーは少し焦ったように説明をはじめた。

 

 シュヴァルツァーは二六日の夜、自宅で寝ていたが、下っ端警官の激しいノック音によって目を覚ました。寝ぼけていたが警官が警視総監から「身を隠せ」と自分に命令していると言われて眠気が吹っ飛び、帝国軍艦隊が次々と降下してきて帝都が大混乱に陥っていることを把握すると、自宅から持ち運びできる高価なものと現金をかき集め、持っている服装の中で一番地味な服に着替えると混乱する群衆の中に紛れ込んだ。

 

 そして向かったのは帝都のある一角にある、風俗や賭博や麻薬の店が立ち並び、いつもいかがわしい熱気に包まれている暗黒街である。こういったものは人類社会を衰弱させる邪悪な要素であるとルドルフに見做され、ゴールデンバウム王朝開闢から現在に至るまで、国法によって重罰にあたる犯罪行為と定められていた。

 

 もし大帝ルドルフが定めた国法を帝国政府を運営する後継者達が絶対視していたのであれば、帝都に暗黒街が形成されることはなかったろう。だがルドルフ没後も、その手の快楽を求める者があまりにも多すぎるため、ほとんどの皇帝は目立たず隠れてやる限り許容する傾向にあった。

 

 先代皇帝のフリードリヒ四世の時代にいたっては、皇帝自身が皇太子時代に暗黒街の酒場や高級娼館に総額五四万帝国マルクの借金までこさえてしまうほど頻繁に利用していた経験からか、国法に違反している暗黒街の存在に非常に寛大だった。そんな皇帝の時代が三〇年以上も続いたこともあって、暗黒街は順調に発展していき、ゴールデンバウム朝が始まって以来、空前絶後な規模に発展・拡大していた。フリードリヒ四世以外の歴代皇帝であれば、御膝元の帝都にこれほど大規模な暗黒街が存在するなど許容できなかったに違いない。

 

 優秀な兄弟が後継者争いで自滅し、棚ぼたで皇帝になっただけの凡人。誰からもそう認識されたフリードリヒ四世ではあるが、第四代の“灰色の皇帝”並に退屈な治世と後世の歴史家から評されただけあって、グレーゾーンに生きている者達にとっては、とてもありがたい皇帝だったようである。フリードリヒ四世崩御の際に心の底から悲しんだ暗黒街の住人は、けっして少なくなかったというのだから。

 

 シュヴァルツァーはその暗黒街の住人であり、過去に個人的な関係があって、信頼できるストリップ・ダンサーの女の家に匿ってもらった。そして憲兵の関心が暗黒街から薄れるまで女の家から一歩も出ずに息を潜めて過ごした。

 

 一一月末に潜伏していた女の家を出、警察時代に「九割九分九厘の確立でクロ。ただし証拠がつかめない」と上司のヴェッセルが忌々しそうに言っていた非合法な運び屋との接触をはかった。その運び屋の行きつけだった酒場『ビュルガー』に長時間居座り、その人物が来店するのを根気強く待ったのである。

 

 その運び屋は髭面の高級将校で、オーディンにおける軍需物資の運搬を行う現場責任者であった。彼は他の腐敗した同僚が軍需物資を横流して私服を肥やしているのを知っていたが、自分が行う気になれなかった。別にそれを悪いことだと思っていたわけではなく、各所の報告記録を比較すれば軍需物資を横流していることが判明するのが自明だったし、今はよいが有能で勤勉な奴が軍務省監察局の局長にでもなられたら即座に軍法会議かけられ処罰されるだろうと思わずにはいられないほど臆病だったからである。

 

 しかし一方で同僚が軍需物資を横流しをして私服を肥やしているのを羨ましくも思っており、正規の軍の給料だけでは一家が安心して暮らすのは厳しかったので、彼はどうすれば軍務をこなしながら安全な方法で利益をあげることができるのか頭を悩ませた。そしてある日の朝、安全ではないにしても極めてわかりにくい方法で収入を増やす方法を思いついたのである。

 

 その方法とは、各地の軍需物資移送の現場責任者たちと協力関係を組み、法的に危険なもの――麻薬とか犯罪者とか――を運搬し、現地で処理してしまうというものであった。実際に軍需物資に手を出しているわけではなく、軍需物資でないものを違法運搬していたと馬鹿正直に報告するわけもないので、記録上では何の問題も発生しないのであった。

 

 生来の臆病さが良い方向に働いたのか、髭面の将校が築き上げた秘密の違法運搬システムの完成度は高く、特に隠匿性に極めて優れていた。ラインハルトが台頭し、軍内部から腐敗が追放され、軍需物資を横流していた者達が相応の処罰を受けていく中、髭面の将校率いる運び屋たちはその罪悪が見抜かれなかったために処罰を免れたばかりか、清廉・誠実に軍務を遂行していたとして昇進や表彰の対象になってしまったほどであった。しかも彼らは今も変わらず麻薬や犯罪者を運搬して私服を肥やしているというと、どれほど凄いか少しは理解できるかもしれない。

 

 『ビュルガー』の酒場でシュヴァルツァーからオデッサまで自分を運んでくれないかと依頼し、髭面の高級将校はその依頼を引き受けた。オデッサはオーディンからそう遠く離れた惑星ではないのに運搬料金として一〇万帝国マルクという大金をシュヴァルツァーは支払うことになったが。

 

 髭面の将校が築き上げた違法運搬システムは軍需物資の運搬に付属する形で機能するものであるため、惑星オデッサに直行するということはできない。それに軍需物資の運搬ダイヤに従う形になるので移動に時間がかかる。いくつかの軍事基地に立ち寄り、かなり大回りなルートでなければオデッサに辿りつけないのであった。なのでオーディンからオデッサに辿りつくまで一か月もかかってしまったのである。

 

 体がやつれたのは第三者が見ても違和感を抱かないようにという理由で、違法運搬するのがたとえ人間であっても、あまり大きくないコンテナの中に入れられ、コンテナの中で運び屋の合図があるまで息を潜めていなければならないのだ。コンテナの中にあるのは光源の懐中電灯と運搬中に餓死しないために必要な最低限の水と食料のみである。そんな環境で一月近く過ごせばやつれるのも当然であった。

 

「苦労をかけたな……。よく来てくれた」

「ありがたきお言葉」

 

 上司のねぎらいの言葉に、シュヴァルツァーは頭を下げて感謝する。

 

「それにしても、よくご無事で。昨年のローエングラム公の権力掌握の際、リヒテンラーデ一族に対する追跡は特に激しいものであったと噂されていたのでよもやと心配しておりましたが、こんな立派な会社で平然と暮らしておいでとは」

「……まあ、いざという時の備えを怠ったことはなかったからな」

 

 そう前置きするとゲオルグも自分の逃亡方法を説明しはじめた。シュヴァルツァーは自分の上司が命が危うくなった際の計画に対する準備の徹底ぶりを、この時初めて知った。

 

「前もって住民データを公式に偽造しておくって用意周到しすぎはしませんか……?」

「私としてはまだ不満なんだがな。できることならゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという人物も死んだように偽装しておきたかったのだが」

 

 ゲオルグは無念そうに呟いたが、前任の憲兵総監オッペンハイマーが保身に走ったせいで、ほんの数時間前まで憲兵隊以外の公式記録上では死んだことにされていたことを考えると、ちょっとした運命の皮肉である。むろん、この第八応接間にいる二人にはそれを知るよしもないのだが……。

 

「しかしおまえが来てくれてほんとうに助かった。この会社を安心して任せられる者が、ようやく来てくれたのだからな。最悪、ここの社員を一年くらいかけて新たな側近に育て上げなくてはならないかと考えていたから、とてもありがたく感じる」

「……ということは、他の方々はまだ来ていないのですか」 

 

 平民出身であり、五人の側近の中で一番の新参者であることもあり、側近の中でシュヴァルツァーの立場は一番低いものだった。警察の階級的には自分より下であるはずのシュテンネスの方が立場が上だったのである。最下位の側近に留守中を任せるということは、他の側近がまだ合流していないと考えるのはごく当然の推測であった。

 

「……私の情報網によるとドロホフは憲兵に捕まり、ヴェッセルは行方不明。ダンネマンは逃亡中に憲兵に銃殺された。シュテンネスは私を見捨ててフェザーンに亡命してしまった」

「それは……大丈夫なのですか」

 

 五人の側近は、ゲオルグからいざという時にこの会社に身を隠すという情報を聞かされた者達である。そのうちの一人であるドロホフが憲兵隊の手中にあるのだから、シュヴァルツァーとしては危惧するところである。それにドロホフほどではないが、行方不明のヴェッセルとフェザーンに逃げたシュテンネスの存在も不安であった。

 

 ゲオルグは椅子に深くもたれて、視線を天上に向け、自分の考えを語り始めた。

 

「ドロホフは口を決して割るまい。あいつの忠誠心は他の側近とは比べてものにならぬほど次元が違うからな。どのような脅迫をされたところで、私の情報など一切漏らさぬだろうよ。ヴェッセルの情報がつかめないのは人知れず死んだか、おまえと同じように逃亡中かのどちらかだろう。現におまえがここに来るまで、シュヴァルツァーという男の情報も私はつかめなかったのだからな」

「なるほど……。それでフェザーンに亡命したシュテンネス警視正は放置するのですか」

「そんなわけないだろう。シュテンネスが小心者であることは最初から知っていたが、私の認識をはるかに上回る小心者ぶりを発揮した以上、私に関する情報と引き換えに強力な保護者を求める可能性が否定しきれんからな。もし自治領主府なり弁務官事務所なりと接触をはかるようなら、適切に処分するようすでに手の者に命令している」

 

 平然とそう言うゲオルグであったが、それはこのように身を隠す今であってもフェザーンという遠方の惑星に命令に従う配下がいるという事実の証明であり、シュヴァルツァーは驚愕を隠せなかった。

 

「それで閣下は、これからどうなさるおつもりで?」

 

 その問いにすぐには答えず、ゲオルグは立ち上がると部屋の隅から新聞を数紙取り出して、机に置いた。どの新聞の内容も程度の差があれど、総じてラインハルトに好意的であり、発禁処分を食らっていた平等思想が前面にでている新聞でさえ、金髪の若者を現人神かなにかのように賞賛していた。

 

「どうやらローエングラム公は、国家権力による言論統制を緩め、言論の自由を復活させようとしているらしい。私としては、これを最大限利用させてもらおうと考えている」

 

 ゲオルグは多くの貴族が使った“金髪の孺子”という蔑称を使うことを好まなかった。別にラインハルトに好意的だったわけではないし、公人としての節度から蔑称を好まなかったというわけでもない。たんに自分より二歳年下に過ぎないラインハルトを“こぞう”と呼ぶのは、どうにも違和感が大きかったし、なにより今は黒に染めているがゲオルグ本人も地毛が金髪であったので、身体的特徴的に自分にもあてはまってしまう蔑称だったからである。

 

 そのことはシュヴァルツァーも十分に承知していたのでその点について疑問など抱かなかったが、ゲオルグの言論の自由を利用するという方針には大きな疑問を抱いた。

 

「利用ですか? 私には言論統制が緩まったところで何の意味があるのか、その、わかりません」

「……そうか、言論が権力によって統制されていない環境というのが、そもそも想像できんのか。よい。なら自由による腐敗によって崩壊の道をひた走った銀河連邦時代の歴史を交えながら、簡単に説明してやろう」

 

 なぜ自分の方針を理解できないのかしばし悩み、よく考えたら大学卒業者でも貴族でもない平民の成り上がりであるシュヴァルツァーが、言論というものにいかなる力が発生するものなのか、わかるはずもないと察した。帝国学芸省が発行する歴史書において、言論の自由があった銀河連邦時代の歴史は極めてあいまいにしか表記されていないからだ。

 

 人類発祥の地である地球との決別と群雄割拠の時代を経て、全宇宙を支配した最初の政府。しかしながら共和思想という誤った思想によって崩壊の道をひた走っていたところをルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの登場によって、共和思想をはじめとする国家を腐敗させる邪悪な要素を駆逐し、銀河帝国を成立させた。そんなふうにしか平民は知ることができなかった。帝国にとって都合がよろしくない歴史を知ることができるのも、旧体制下においては貴族の特権であったからだ。

 

 ゲオルグは語る。銀河連邦開闢期から中期にかけて連邦の民主共和政制度は多少の問題はあれど、おおむね正常に機能した。帝国政府は専制政治の絶対的正当化のために、連邦末期の混乱ぶりだけを声高に主張してその事実を執拗に隠そうと努力したが、国家の繁栄と豊かな生活を政府が保証する限りにおいては民主共和政制度は正常に機能するものなのだ。

 

 そして連邦末期、いわゆる中世的停滞によって経済が発展しなくなり、国民の生活をより豊かにしていくのが現実的に不可能となった。当時の政治家たちは、これまでのようにはいかないと民衆に対する説明責任を十分以上に果たした。しかし国民は決してそれを理解しようとしなかった。

 

 自分たちが頑張ればもっと豊かになれる。そして銀河連邦が繁栄する。それは連邦成立以来、言論の自由によって無責任に何度も唱えられ、国民に刷り込まされた常識であり、一種の宗教と化していた。その宗教の忠実な信徒たちは教義通りにいかない現実に怒りを爆発させた。自分たちが頑張ってる以上、生活が豊かになっていかないのも国家が衰退するのも公的権力の腐敗によるものと決めつけ、政府を非難するようになったのである。

 

 そして非難は凄まじい勢いでエスカレートしていき、過激な者達はきわめて主観的な判断で“腐敗”を実力で断罪しはじめた。政治家の方も真面目に働いていても民衆に非難の的にされる現状に呆れてきたのか、民衆が信じている“不況は政治家の腐敗が原因であってほしい”という幻想に引き寄せられるがごとくに現実でも腐敗しはじめた。ある意味、民衆の望むところが実現するという民主共和政の建前が、部分的には間違いなく真実であることを知らしめるよい例である。

 

「即位後の大帝は自らの権力が民衆から与えられたものであるということがお気に召さなかったのか、後年“大神オーディンに選ばれた人類の救世主として皇帝に即位した”と主張するようになり、それが帝国の公式見解となってしまったが、連邦軍退役少将であり、有力政治家に過ぎなかった大帝を“神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝”になれたも、実は民衆多数の言葉の力なのだ。わかるか? 銀河連邦の腐敗と銀河帝国の誕生は統制されない言論の力によるものなのだ。言論は極めれば独善的に暴走するし、暴走すれば政府がいくら正論や権力を振りかざそうが、武力でもって物理的に沈黙させる以外の方法で黙らせる術はない。そして武力で弾圧する場合、かつての大帝のように絶対的な軍事的武力を有していなければ、熱狂した追従者どもが次々に蜂起するのを抑えることはできない」

 

 ゲオルグなりの歴史解釈を交えた言論の力の説明をシュヴァルツァーは理解したが、それでもまだ疑問があった。 

 

「なるほど言論の力は理解できました。しかしそれでもなお疑問です。現在、帝国内で反ローエングラム感情を醸成するのは非常に困難ではありませんか。それにそういう感情のうねりを民衆に植え付けれたとしても、ローエングラム公は閣下の仰るかつての大帝のように圧倒的な軍事的武力を有しておりますが」

「反ローエングラム感情を植え付ける必要などないよ。だって、既にあるものなんだから」

 

 生徒の思い込みを窘める教師のような口調で、ゲオルグはそう言った。ゲオルグとシュヴァルツァーの間には年の離れた親子ほどの年齢差があるので、第三者がこの光景を見ていたら教師役と生徒役が逆だろうと思うだろうが、これが彼らにとっては自然な形であった。

 

「三七四〇家――。先の内乱で“賊軍”に参加した貴族の数だ。十分ではないか」

 

 リップシュタット盟約に参加した貴族の数を言い出され、シュヴァルツァーはわけがわからなかった。たしかに彼らならばローエングラム公に対する反感を既に持っているだろう。なにせそれ以前からラインハルトを不逞な成り上がり者と蔑んでいたのだから。

 

 しかし彼らには大きな問題がある。まだ人類が地球上でしか暮らしていなかった時代、二つ超大国による全面核戦争によって人類滅亡の危機に立たされた“一三日戦争”以来、タブーとなっていた有人惑星に対する核兵器による攻撃を実施したという大きな問題が。しかも攻撃対象が敵軍ではなく叛乱を起こした領民に対して行われたものであることもあって、リップシュタット盟約に参加していた貴族というだけで平民は怒りにかられるだろう。

 

「……門閥貴族ども、いえ“賊軍”に参加した罪で、最低でも爵位と財産を没収されているので元貴族というべきでしょうか。しかし彼らがいくらローエングラム公を非難しても、民衆がそれを信じるとは思えませんぞ」

「たしかに。だが貴族は一人で貴族としての体面を保てるわけではない。さぞ口惜しい連中がいるだろうから、そいつらを煽ればいい」 

 

 そこまで言われてシュヴァルツァーはゲオルグが何を意図してそう発言しているかを理解した。たしかに三七四〇家もあるのだ。よしんばそれが全部期待外れであったとしても、それとは別口でラインハルトに対抗して粛清された貴族家もある。どこか都合のいいとこが必ずあるだろう……。

 

「それに二つ目の疑問だが、別に帝国全土に反ローエングラム感情を巻き起こす必要はない。ごく局所的でよいのだ。一惑星規模でもいっこうにかまわんよ。この場合、ローエングラム公が民衆の味方であることを軍の高級将校すら強く望んでいるということ事態が、われわれにとって心強い味方となるからな」

 

 ラインハルトがなぜあれほど部下や民衆から熱狂的に支持されているかというと、内乱においてただ貴族の盟主に過ぎなかったブラウンシュヴァイク公のヴェスターラントにおける蛮行を民衆に見せつけ、それを打倒したラインハルト・フォン・ローエングラムは民衆の守護者であるというイメージを作り出すことに成功しているからだ。

 

 いまのところ自分のイメージをラインハルトは貫き、旧体制における民衆にとっての悪弊を次々に改善していっている。そしてラインハルトの邪魔をしようとするのならば、正面切って敵対するより、そのイメージをぶち壊しにするために手を尽くした方が良い。

 

 自分を非難しているとはいえ、民衆の暴動を武力でもって鎮圧したりすれば、ラインハルトは政治的に厳しい立場におかれる。なにせ旧体制における悪弊の象徴として打倒したブラウンシュヴァイク公との差がわからない所業に手を染めたわけで、そんな矛盾を犯した民衆の守護者をなお、部下や民衆が熱狂的に支持し続けることができるか、実に興味深い命題であろう。

 

「むろん、それだけでローエングラム公を打倒できるとは思えんが、少なくともやつらの陣営を分裂させる要素になることはまず間違いないだろう。そうなれば、ローエングラム公かそれに対抗する勢力に協力し、見返りとして、私が再び権力の座に就くことは不可能ではないだろう」

「は!?」

「……そんなに驚くようなことか。私含めリヒテンラーデ一族はローエングラム公によって処刑宣告された一族だぞ。この状況を覆すにはローエングラム公を失脚させるか、あるいはローエングラム公の口から寛恕の言葉を引き出さねばならんのだぞ?」

 

 そして前者の手段をとる場合、自前の秘密組織の力だけでは勝算がなさすぎる。後者の手段をとろうにも、ローエングラム公に対して取引材料にできそうなものが今のところない。だからまずはそれができるような環境づくりが先決である……そう考えていたのだが、なにか驚かれるようなところがあっただろうかとゲオルグは首を傾げた。

 

「い、いえ。てっきり閣下はローエングラム公を一族の仇と見做していると思っていたのですが、違うので?」

「たしかに一族の仇として恨んでいるし、一泡吹かせてやりたいとも思っているが、それに囚われて選択の余地を減らすようなことはしたくないな」

 

 てっきり一族の仇討ちを目的に、このような秘密組織を築き上げているのだと思い込んでいたシュヴァルツァーはやや呆然とした。だが、もし仇討ちを目的としていないというなら、別の疑問が湧き出してくる。

 

「もしローエングラム公の体制自体にそれほど不満を持っていないなら、そのような作戦を実施する必要があるので? せっかく公式記録上別人になっているわけですから、普通に最初からやり直した方が確実でしょう。閣下の力量なら十分に今の体制でも出世できるでしょうに」

「そうかもしれんが、それでもリヒテンラーデ一族に死刑の判決がでている現実は変わらん。つまりローエングラム公の天下が続く限り、私が尚書まで出世したとしても、素性が白日の下に晒されれば即座に断頭台送りだ。そんな可能性に怯えながら生きていかねばならんのだぞ? それに個人的に公式の場で“リヒテンラーデ”と名乗れないというのは、嫌だ」

「で、では、フェザーンや叛乱軍の領域――いえ、自由惑星同盟とかいう向こう側の銀河にある世界にて再起をはかるというのは」

「たしかにそれなら素性がバレるのを恐れる必要はないし、リヒテンラーデの家名を隠すことなく名乗れるな。だが、その場合、せっかく築き上げたこの秘密組織を捨てるようなものではないか。もったいない」

「もったいない?」

「そう。もったいない」

 

 子どもの駄々のような言葉に、シュヴァルツァーはぽかんと口をあけた。

 

「……それに現実的な問題もある。あの狡猾なフェザーンの自治領主府は、私のフェザーンへの忠誠心を試すとかなんとか理屈をつけてろくでもない謀略の道具に使いそうな危惧がぬぐえん。自由惑星同盟なら帝国と同じくらい広大だから、謀略の道具とされないよう目立たない地方政界から少しずつ勢力を築いていくという手が使えるだろうが……、私は同盟が支配する宇宙空間に対してあまりに無知すぎるし、同盟の民主共和政を好ましく思えたことがほとんどないから、私の手法が同盟で通じるか非常に疑問だ」

 

 側近の反応をどう思ったのか、少しだけ顔をしかめてゲオルグは現実的な問題点をあげた。それはシュヴァルツァーにも理解できる理屈であったが、どっちの方が目の前の人物にとって重要なのだろうかという別の疑問を抱いたが、口には出さなかった。

 

 気まずい沈黙が室内を包んだ。一分ほど経過した後、ゲオルグが軽く咳払いした。

 

「他になにか疑問はあるか?」

「この会社で閣下の正体を知っている者は何人いるのですか」

「私のことを完璧に知ってるのは社長とその監視を任せてるクリス・オットーだけだ。幹部クラスと使えそうな警部部門の幾人かは私が元警察高官で、私が会社の弱みを握っていることを知ってはいても、素性までは知らん」

「聞いたことがない名前ですが、オットーとは何者です?」

「ああ。なかなか奇妙な経歴を持ってる軍の元少佐でな。ローエングラム公がまだミューゼル少将だった時から、彼の指揮下の艦隊に所属する軍艦で艦艇士官をしていたそうだ。オットーから得たラインハルト艦隊の気風は、とても良い情報となったよ」

「……それって危険ではありませんか」

 

 ラインハルト艦隊に所属していた軍人。それに上司の素性が知られているのは常識的に考えてかなりまずいであろう。そうシュヴァルツァーは思ったのだが、とうの上司は「無用の心配だ」と信頼できる側近の懸念を笑い飛ばす。

 

「そうだ。面白いからオットー元少佐を信頼できる理由を明かす前に、彼の客観的な経歴を語っておこうか。四七五年に士官学校を卒業してから約十年間、出身身分や士官学校の席次のせいで出世ができず不遇をかこっていた。四八五年なかば頃にラインハルト指揮下の艦隊に配属され、その能力を適正に評価され、四八七年の辺境を占領した叛乱軍撃退作戦終了時で少佐にまで出世している。同年一一月に正規軍を脱走。ある貴族の私設軍に所属し、内乱には門閥貴族側の賊軍として参加。内乱終結後も軍に戻らず、この会社に新設された警備部門に志願。どうだ、奇妙な経歴だろ?」

 

 たしか随分と奇妙な経歴だ。ラインハルトの下で出世していながら、なぜ内乱の時に門閥貴族側で参加しているのか。門閥貴族の領地の出身者で、家族が人質にでもとられたのだろうかとシュヴァルツァーは予想した。

 

「なにか予想したみたいだが、たぶん外れていると思うぞ。なぜオットーがそのような経歴を歩むことになったかというとだな――」

 

 具体的なストーリーを交えた解説に、シュヴァルツァーは最初は警戒心も露わに聞いていたが、四八七年の話題に入ったあたりでオットーの境遇に同情しはじめ、内乱時の話はあまりにも救いがなさ過ぎて思わず手で目を覆ってしまった。

 

「なんといいますか、悲劇的ですな」

「たしかにな。運命の女神に派手に嫌われるようなことでもしたのかと問いただしたくなるくらい、ついてない。だが、それだけにオットーのローエングラム公への憎悪は疑いない。これからおまえと協力することもあるだろうから、そのあたりの事情には触れないでやってくれ」

「了解しました」

 

 シュヴァルツァーは深く頷いた。言われなくても地雷が埋まっているとわかり切っている場所に足を踏み出すような愚挙を犯すつもりはない。

 

「さて疑問にはだいたい答えたな。これからの予定を話しておくとしよう。おまえは私の元同僚という形で警備部門の幹部として入社してもらう。既にフェルディナントと社員に対して名乗っているから、書類上はフェルディナント・シュヴァルツァーとしよう。そして会社を支配する術を覚えてもらう。おまえなら二週間から三週間もあれば十分に身に着けるだろう。それが完璧になったと判断でき次第、この会社をおまえに任せ、私は出張という形で会社を留守にし、いくつか目をつけている相手と接触し、世論操作工作を行う」

「閣下自ら赴かれるのですか。危険ではないでしょうか」

「危険だが、ちゃんとした身分証明書を持ってる私の方が、おまえより捕まる可能性は低いだろう」

 

 公式記録上、もはや完全に別人と化している人物の言葉だけあって、説得力が凄まじかった。

 

「そうだ。それで思い出したんだが、この社内からあまり出るなよ?」

「……? なぜです」

「ここの警察支部は、辺境に飛ばすにはちょっと身分が高くて、面倒事が発生しそうだった警察官僚の左遷先にしてたから、おまえの顔を覚えているやつが絶対にいるからだ」

 

 これもゲオルグによる仕込みのひとつである。まさか敵対していた警察高官を左遷させた支部の管轄下に潜伏しているわけがあるまいという追っ手側の心理を裏を掻くために、グミュント星系警察支部を左遷先のひとつとしていた。なのでゲオルグと局長の椅子を争ったハルテンベルク伯に忠誠を誓っていた者達も多数ここに飛ばされている。

 

「この会社に生活スペースを用意させるから、今日からここで暮らせ。あー、それと……」

 

 流石に面と向かって言いにくいことであったので、思わず言葉をとぎらせた。シュヴァルツァーの怪訝な視線を感じながら、ゲオルグは視線をさ迷わせたあと、決心して一気に言い切った。

 

「一階にシャワー室があるから、シャワーを浴びてこい。臭すぎる」

 

 上司の心無い言葉に、シュヴァルツァーは憮然とした顔をした。




とりあえず、これでプロローグは終了です。

最初の話の前書きにも書きましたが、プロット未完成で見切り発車してしまったので、次の更新だいぶ遅くなると思います。

一応、活動報告の方に意見書いてくれると嬉しいです。

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