リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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活動報告にまたキャラ解説書いたので、よかったら見てください。


バーラトの和約

 混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件が終わった後もしばらくは混乱が続いた。大規模なテロ事件だったのでケスラーの意を受けた中央の憲兵たちが乗り込んできて現地の警察及び憲兵隊の捜査を再確認を行ったり、共和主義者の残党狩りが行われたりしたのである。特に五〇〇〇もの共和主義者の潜入を可能にした協力者を探し出すのは、帝国の治安上急務であった。

 

 真っ先に疑いをかけられたのは、事件当時に怪しい動きや命令を出していたセバスティアン・フォン・ツァイサー中将他、憲兵隊上層部である。当のツァイサーは共和主義者に殺害されたというが、口封じの可能性が高いと中央の憲兵は判断した。しかし現地憲兵将校の証言や残されている文書を精査しても、五〇〇〇人もの人間を匿っていたような証拠はなにひとつ見つからず、普段の行動にも怪しいところは一切なかったので、なぜ事件に対する対処がああも雑だったのかという疑問だけが膨れ上がる結果に終わった。

 

 次に生きたまま捕まえることに成功し、なおかつ死を望んでいる節もない数少ない共和主義者の「フェザーンの工作員が手配してくれた」という証言に基づく線で捜査を行った。フェザーンが帝国に占領されているため、帝国領内に残されたフェザーンの工作員が愛国心から反帝国的活動を行ったとしても不思議ではない。テオリアに支店があるいくつかのフェザーン企業を捜査したところ、反帝国的な活動を行っていた記録が見つかった。しかしそれは何千人もの人間を匿うという類のものではなかったし、フェザーン占領に反発した者達が勝手に動いて実施したものであり統一性を欠いていた。しかしそれ以外に怪しい線はなかったので、フェザーン残党の謀略による可能性が高いが怪しい点が多々あるので疑問が残るという中途半端な捜査結果に終わった。

 

 そうした捜査結果が出た頃、総督付下級秘書官に降格されたジルバーバウアー総督に変わって、ヤツェク・グラズノフが総督として着任した。元々はフェザーンの官吏であり、帝都駐在高等弁務官事務所で一等書記官を務めていた。高等弁務官のニコラス・ボルテックがルビンスキーを裏切り、祖国をラインハルトに売り渡した成り行きで、ボルテックに属したフェザーン官吏は大半が自己の安寧のために、帝国の官僚へと受動的な転身を遂げていたのである。とはいえ、グラズノフはボルテックの売国事業に積極的に協力した共犯者であるので、能動的な転身であったが。

 

 グラズノフとしては売国事業が完遂された暁には、帝国軍に警護されて厚顔にもフェザーンに凱旋し、開設される新たなフェザーン政府で相応の地位が与えられることを期待したのだが、ボルテックはグラズノフが金髪の孺子に懐柔され、自分の代わりに代理総督に就けられることを警戒。完全に帝国の風下に立たない為にと理屈をつけて帝都に残したのである。グラズノフは不満を抱いたが、理解できる内容ではあったので、協力による見返りを条件に帝都に中堅官僚として留まったのである。

 

 だがグラズノフとボルテックがフェザーン支配の目的で固く結ばれていたので、フェザーンの完全な併呑を目標としている帝国の中枢にとってグラズノフが中央政府で働いているのは非常に厄介なことであった。速やかに排除したいところではあるが、ラグナロック作戦を成功させる上で大きな役割を果たした功労者でもあるため、そうもいかない。そこで組織を運営する能力が高いことなど理由に、偶然にも空席となったアルデバラン星系の総督に任じたのである。人口一億を超える星系の頂点であり、形式的には間違いなく出世であったから、文句など言えまいというわけであった。そういった事情を見抜けないグラズノフではなかったが、受け入れるしか道はなかった。

 

 それがアルデバラン星系総督府の長となった理由であったが、グラズノフは精力的に政務をこなし、テオリアの再建に尽力した。中央の情報がつかめないならこのテオリアで自分の人気を高め、味方を増やそうという打算があったのもあるが、与えられた仕事はちゃんとやるというフェザーン官僚としてのプライドによるものもあった。

 

 テオリアの再建は急速に進んだ。それはグラズノフの指導力の賜物であったが、別の要因もあった。秘密裏にテオリアの統治機構をほぼ掌握しているゲオルグが、その掌握をより完璧なものとするとべく、秘密組織のネットワークを活用し、構成員たちに復興事業で目覚ましい活躍をさせ、それを理由にして出世させていたからである。

 

 特に商務局長官が共和主義者によって暗殺されたため、その代理に任命されたハインツ・ブレーメの活躍は特筆すべきで、その立場についてから民間企業との強固な協力関係を構築し、復興事業を超スピードで実施させ、しかも実施されてから大きな問題は発生していないという完璧ぶりである。商務局長官代理の肩書から代理の文字がとれるのも時間の問題であろう。

 

 そんな復興の最中にあるテオリアに、エドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァーが複雑な経路をたどってやってきたのは混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件が終結してから約三か月後、六月二日のことである。シュヴァルツァーはゲオルグの警察時代からの側近で、惑星オデッサに潜伏してズーレンタールという流通会社を運営していたが、テオリアにおける秘密組織の力が強まった今、オデッサにシュヴァルツァーを置いておく価値はないとゲオルグが判断したのであった。

 

 総督府の客間の一室、そこはテオリアの影の総督となったゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが総督のグラズノフに無断で作り上げた自分の執務室であった。そこら中に機密文書のコピー書類が山積みにされている。総督府の情報は、完全に筒抜け状態であった。

 

「久方ぶりだなシュヴァルツァー、どうだこの歴史ある古都の情景は?」

「そこら中に双頭の鷲(ツァイトウィング・イーグル)黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の旗が掲げられていて、驚きました」

 

 双頭の鷲(ツァイトウィング・イーグル)はゴールデンバウム家の家紋で、黒地に銀色でゴールデンバウム家の家紋を描かれている旗は銀河帝国の国旗として扱われている。しかしローエングラム体制に移行してからは街中で大量に国旗が掲げられるのは権威主義的だからと帝国政府が自粛するようになったので、そのような光景は今では珍しくなっていた。

 

 いっぽう、黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)はローエングラム家の家紋であり、真紅地に黄金の獅子を配した旗はローエングラム元帥府の旗である。ラインハルトが帝都に凱旋し、正式に皇帝に即位することになれば、銀河帝国の国旗もこれに変更されるであろう。

 

「こんなことになるとは、ちょっと予想していなかったんだが……な」

 

 この二種類の旗がテオリアに大量に掲げられることになったのは、住民の自発的行動によるものであった。混狂の夜事件で共和主義者たちが盛大に暴れまわったので、少なくない住民が恐怖心から旧体制下で叫ばれていた「共和主義は絶対悪」という昔はどうでもいいからと聞き流していたプロパガンダの内容を思い出し、共和主義を根絶しようと試みたルドルフ大帝はなんと立派な指導者だったんだと、ルドルフ崇拝ブームが住民の間で広まったのである。

 

 そして帝国軍が同盟政府を降伏に追い込んだというニュースを入手すると、「不逞な共和主義者の本拠を潰したラインハルトは第二のルドルフだ!」ということで、ルドルフと並んで崇拝されることになったのである。ゴールデンバウム王朝の伝統とラインハルトの改革方針を把握していれば、その両者は政治的に相容れるものではないとわかるはずなのだが、政治に関する知識が乏しい平民は政治を自分に関係する部分だけしか見ない傾向があり、理由がどうあれ自分たちにとっての脅威を粉砕してくれるのなら良い政治指導者であると思うものなのだ。

 

 革命記念博物館への入場者数も激増しているという情報もあり、ルドルフを尊敬するゲオルグとしては嬉しい反面、嘆息せざるを得ない。現在進行形で旧貴族領の一部が叛乱を起こしており、ブルヴィッツの一件もあって中央政府はそちらの対処に集中している。だから中央政府が事態を把握した頃には終結していたテオリアの騒動の調査に大規模な人員を割くゆとりはないと推測し、事実それは的中した。だがもし過度にルドルフ崇拝が横行していると見なされ、注目されるようになったらたまったものではない。

 

 いまのところ言論・思想の自由を尊重して中央政府は静観しているようだが、中央政府の面々は不愉快な気分にあるだろう。民衆のルドルフ崇拝を自然な形で消滅させていかなくては、ゲオルグが掌握したテオリアの隠然とした権力を失うことにつながりかねなかった。そのためにゲオルグはやや皮肉なことではあったが、ブームの熱を冷やすべく工作をしている。しかし暴れまわる共和主義者たちの恐怖が染みついているのか、あまり効果がなく、ルドルフ崇拝ブームは、若い謀略家の頭痛の種となってしまった。

 

 一過性のブームだろうから時間によって沈静化するのを待つより他にないと思考を打ち切り、ゲオルグは執務机のひきだしからひとつの書類を取り出し、それを出した。シュヴァルツァーの顔写真が貼られた身分証明書。ただし、生年月日と名前が違った。偽造身分である。

 

「また戦死者の記録を書き換えたのですか?」

「いいや、今回はそんなことをしていない。この惑星ではつい最近、一夜にして大量の死者が出たのでな。この惑星の住民データの大規模整理をすることになったから、それに紛れて存在しない住民データを作成させてもらった。言ってみれば、一番最初の私の偽造身分と同じようなタイプのものだな」

 

 ちなみに戦死者のデータを使うよりこっちの方が足がつかないので、ゲオルグが借りていた戦死者の住民記録は、秘密組織の力を使ってスルト星系総督府のデータを抹消し、新たに似たような住民データをアルデバラン星系総督府で生成したので、旧い方は捨てた。戦死者の住民データはいずれスルト星系総督府の不手際ということで、一人の人間の戦死通告が遅れたという形で処理されることであろう。

 

「それでだ。おまえも今日からこっちで働いてもらう」

「それはかまいませんが……ズーレンタールのほうはよいので? 体制側にわれわれが生きて活動していることがバレてしまいますが」

「かまわん。どのみち同盟が敗北した時点であそこはわれらにとってアキレス腱でしかない。銀河帝国正統政府の閣僚の内、自決したレムシャイド伯と戦死したメルカッツ上級大将以外の閣僚は帝国に虜囚となったというではないか。やつらを尋問すれば、私がオデッサのズーレンタールでカッセルとして陰謀の糸を伸ばしていたことがローエングラム公も知るところとなろう。それに今なら同盟が降伏したから引き払ったように見えなくもないから、銀河帝国正統政府が終焉すると同時に諦めたと思ってくれるかもしれん」

 

 まあ、オーベルシュタインやケスラーのような連中がそうとらえてくれるとは微塵も思えないが、とゲオルグは心中で呟く。

 

「しかしズーレンタールの上層部はわれわれのことをある程度知っております。特に社長は――」

「案ずるな、手は打ってある。今頃、警察か憲兵がグリュックスの死体と対面しているだろうよ」

「……殺しては足がついてしまうのでは」

「やったのは秘密組織とすら関係がない第三者だ。どれだけ調べても私があの会社の弱みを握り、会社を支配していた以上の情報は手に入らんよ。決してな」

「お見事です」

 

 本当に怖い人だ、とシュヴァルツァーは思わざるを得ない。

 

「それで、これからはどうなさるつもりで」

「バーラトの和約の記事は読んだか?」

 

 シュヴァルツァーは頷いた。一世紀半に渡る人類社会を二分した戦争は、一月前にあっけなく終結した。五月五日深夜に同盟政府が降伏したのである。そして五月二五日にはバーラトの和約と通称される正式な停戦条約が結ばれた。形式的には対等な停戦条約であるとされたが、それは帝国側の政治的な理由によるものであって、実質的には降伏文書に同盟政府がサインしたものであることは、その条文からして明らかである。

 

一、自由惑星同盟の名称と主権の存続については、銀河帝国の同意によってこれを保障する。

 

二、同盟はガンダルヴァ星系および両回廊の出口周辺に位置するふたつの星系を帝国に割譲する。

 

三、同盟は帝国の軍艦および民間船が同盟領内を自由に航行することを認める。

 

四、同盟は帝国にたいし年間一兆五〇〇〇億帝国マルクの安全保障税を支払うものとする。

 

五、同盟は主権の象徴としての軍備を保有するが、戦艦および宇宙母艦については、保有の権利を放棄する。また、同盟は軍事施設を建設・回収するにあたっては、事前に帝国政府と協議するものとする。

 

六、同盟は国内法を制定し、帝国との友好および協調を阻害することを目的とした活動を禁止するものとする。

 

七、帝国は同盟首都ハイネセンに高等弁務官府を設置し、これを警備する軍隊を駐留せしめる権利を有する。高等弁務官は帝国主権者(皇帝)の代理として同盟政府と折衝・協議し、さらに同盟政府の諸会議を傍聴する資格を与えられる……。

 

 その後も長々と条文が続くが、要約すると同盟は帝国の事実上の属国――控えめに言っても保護国――となるという内容であった。しかも条約締結時に同盟側が署名を行ったのは国家元首であるヨブ・トリューニヒトであるのに、帝国側の署名を行ったのは帝国宰相の全権代理として総参謀長のパウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将である。帝国宰相であるラインハルトが条約が締結されたハイネセンにいるにもかかわらず。これは明らかに同盟を貶しているようなものではないかとゲオルグは判断していた。

 

 実際はラインハルトに調印式に自分が出ないことで同盟を嘲弄しようという意図があったわけではない。同盟政府が降伏した五月五日の深夜、ラインハルトはヤン・ウェンリー率いる同盟軍とバーミリオン星域で正面から激突しており、しかもあと一歩でヤンに負けるという危機的状況だった。にもかかわらず、保身を図ったトリューニヒトが地球教徒と共謀して逆クーデターで同盟政府を掌握。降伏しなければ無差別攻撃を加えるという帝国軍の脅迫に「真に遺憾だが無差別攻撃を避けるには受け入れるしかない」という大義名分を引っ提げて無条件降伏を宣言。ヤンはその宣言に従ったので、敗北したのにラインハルトは勝利を譲られたような不快な感情を抱き、その原因であるトリューニヒトなんかと会いたくなかっただけである。だが、そんな経緯は公表されていなかったので、多くの者がゲオルグと同じように解釈したのも確かであった。

 

「帝国と同盟、双方に平和と繁栄を齎すための条約と銘打っているが、同盟を完全併呑するための下準備としか思えぬぞ」

「併呑せず、このままの関係を永続化させる可能性もあるのでは?」

「それならば、こんな中途半端な内容にするものか。もっと過酷な内容にして同盟を縛りあげる。あるい逆に五~七条に関する部分だけ残して、他の条項は平等な内容にしなくては多くの同盟人の反感を買うことになる。むろん、その場合でも戦勝国という立場を利用して、不平等な解釈をできる余地を条文に仕込む程度の保険は必要であろうが……。ともかく、これでは帝国の掌の上で同盟が暴れる余地だけが残されている中途半端なものだ。そんな和約が永続的なものとなるとは私は思わぬ」

「そうですか。ですが、和約の内容とわれわれの方針にどう関係が?」

「同盟領を将来的に併合して統治することを考えた場合、帝都オーディンを人類社会の中心地とするには旧同盟領と距離が離れすぎているとは思わぬか」

「……つまり、近い将来、遷都すると?」

 

 我が意得たりとゲオルグは微笑んだ。

 

「然り。そして私はその遷都先はフェザーンだと推測する。だからこの総督府の権力も用いて、フェザーンへの秘密組織の浸透をはかる。それがアルデバラン星系への秘密組織の影響力をさらに強化していくことと並んで、当面の方針となる」

「ま、待ってください!」

 

 あまりにも途方もない推測にシュヴァルツァーは叫んだ。

 

「フェザーンは占領地です。そこを人類社会の中心地とするのは、無謀なのでは」

「フェザーンが人類社会の中心地とするのが無謀だと? 百年ほど前からフェザーンは人類社会の交易と経済の中心となっているではないか。そこに遷都とし、そこに政治も連結させてしまえば、オリオン腕とサジタリウス腕をつなぐ回廊が大量に見つかりでもしない限り、帝都はあらゆる意味で強力な力を持ち、他を圧することができる。そう考えれば合理的とすら言えぬか」

「……言われてみれば」

 

 しばらく考え込んだ後、そういう可能性もあるのかとシュヴァルツァーは思った。

 

「だが、おまえの意見ももっともだ。フェザーン人は帝国に占領されたことに反感を持っている者も多いと聞くし、自治領主アドリアン・ルビンスキーも地下に潜って反撃の機を探っているという。そんな場所に遷都するなぞ、愚者の戯言に思えるのも道理よ」

 

 シュヴァルツァーの意見も妥当と認めた上で、「しかし――」とゲオルグは続けた。

 

「バーラトの和約で内政に時間を割くゆとりが帝国政府にはできた。私がローエングラム公ならば、五年か一〇年かけてフェザーン人どもの反感を消滅させることに全力を注ぐ。それが成功したらフェザーンに遷都し、畳みかけるように残っている同盟領を完全併呑する。いや、バーラト和約の第六条の成果で同盟が親帝国感情を醸成することに成功しているならば、条約によって分断された人類社会の統一という形をとったほうがよいか。フェザーンに遷都してしまえば、同盟市民の感情に訴えることもできるだろうし……」

「どういうことですか?」

 

 ゲオルグはその質問に答えようとして口を開いたが、適当な言葉が見つからずに何も言わず口を閉ざし、どう説明したものかと悩んだ。

 

「そうだな。おまえはフェザーンをどういう惑星だと思っている?」

「……実力主義の商人たちの国で、交易で栄えた惑星。それと少し前までは戦争に巻き込まれない安全な中立地帯だと思っていました」

 

 質問の意図を理解しかねたが、シュヴァルツァーはフェザーンに対する自分の認識をありのままに答えた。それにゲオルグは大きく頷く。

 

「たしかにそれが一般的な認識だ。だが、同盟市民の一部、特に帝国から亡命者で構成されるコミュニティでは、フェザーンをまったく違う認識で見ているのだ」

「違う認識?」

「――人類の分断を象徴する惑星」

 

 三七三年にフェザーン自治領が成立して以来、四八八年に帝国軍がフェザーンを占領するまでの一一五年間、フェザーン回廊周辺の勢力図は、同盟と帝国が戦争中であるにもかかわらず、完全に固定化されていた。それはつまり、惑星フェザーンを挟んで回廊の出入り口近辺に同盟・帝国双方の境界警備部隊が駐留し、砲火を交えぬ対立を続けているような環境であったということである。

 

 フェザーン本星にしても、同様である。フェザーンには帝国と同盟の高等弁務官府が設置されていたが、どちらも対抗意識をむき出しにして睨みあいをしているような関係で、フェザーンの仲介なしで同盟と帝国間で直接交渉が行われることは皆無ではないにしても、極めてまれなことであった。

 

 そして同盟に亡命した帝国人にとっては同盟の軍隊に所属して故国の人たちとの殺し合いに参加する以外の方法で、自分たちの故郷に一番近づける場所なのだ。同盟での生活に慣れてきた帝国からの亡命者で、資金に余裕ができるとフェザーンに行くという者は過半を超えるほどであるという。彼らはフェザーンから帝国方面の星空を眺め、故国に残してきた家族、そして帰れない故郷に思いを馳せる。そうした背景から、いつしか亡命者社会ではフェザーンを“人類の分断を象徴する惑星”と認識するようになったのである。

 

 ちなみに現地のフェザーン人は、自分たちの住んでいるところが人類の分断を象徴する惑星という認識を持っている者はほとんどいない。フェザーンは帝国と同盟の双方と外交関係があるので、フェザーン人なら同盟領でも帝国領でも自由に往来できるからである。だからフェザーンが分断された惑星であるなどかけらも思っていない。

 

 帝国人はというと、それ以前の問題である。帝国政府は国内の人材流出を阻止せんとする対策の一環で、フェザーンに旅行する際は帰国するまで高額な一時金を当局に預けることが義務付けられており、一時金を預けられるほど資金に余裕がある貴族や富裕層でなくてはフェザーンに合法的に旅行することはできず、そんな共通認識は生まれようがない。それでも権力闘争などの過程でやむにやまれず同盟に亡命させた一族のことを思い、一部の貴族がフェザーンに訪れて同盟側の星々に思いを馳せているのがごくたまに確認されていたそうだが。

 

「そういったことを前面に押し出して同盟市民の情緒的感情を刺激し、帝国と同盟は手を取り合って人類の統一政体を樹立しようではないかと呼びかければ、同調してくれる同盟市民は少なからず出てくるだろうよ」

 

 その主張にシュヴァルツァーは納得できた。人類が絶滅の危機に瀕した一三日戦争以来、人類社会は単一の中央政府が存在して然るべき、という理想が人類全体の普遍的な支持をされ続けている。現に史上初の人類統一政体である地球統一政府が滅んでから群雄割拠の時代が到来した後も、その理想だけは人類全体に継承され、結果として銀河連邦の誕生につながったほどだ。

 

 銀河帝国が自国を「人類社会における唯一の政体」と頑なに主張し、自由惑星同盟を辺境の叛乱勢力であると考え、国として認めなかったのもこの理想が帝国でも継承されていたからという側面もあるのである。いっぽう、帝国と対峙していた同盟側は帝国を国家として認めてはいたが、「銀河帝国はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦の民主体制を簒奪して成立させた不法国家であるから、連邦の伝統を継承をしている自由惑星同盟だけが合法的な国家である」と定義していた。今回の和約の条項で同盟はその主張を撤回することとなったのだが、当時の人類がどれだけ人類統一政体思想を信奉していたかわかるだろう。

 

(だが、相手は夢物語を実現化させてしまった奴だ。私の推測を遥かに超えてくるやもしれぬ)

 

 ラインハルトの独裁体制下における開明政策と旧弊の一掃については、まだ理解できる範囲だ。ゲオルグとて旧体制時代に帝国の未来を憂い、制度改革の必要性を認識していた者の一人なのだ。もっともゴールデンバウム王朝が君臨し続けることを前提にしていたので、ここまで開明的な改革をするつもりなど微塵もなかったが、それでも警察時代の自分にラインハルトがやっているような改革が可能かを問うたら、間違いなく「可能」と答えることはできた自信がある。

 

 改革開始から一年後に改革を継続しながらフェザーンを占領し、そこから半年で同盟を降伏に追い込むことが可能かと問われたら、たとえアムリッツァの敗戦で同盟軍の戦力の大半を喪失しているという詳細な情報を入手していたとしても、「できるわけがないだろう」と答えたであろう。なぜかというと同盟征服以前に、フェザーン占領というのが無理難題だからである。

 

 昔、社交界で反フェザーン思想の貴族官僚と雑談に興じ、あのいけ好かない守銭奴どもの巣窟を粉砕することが話題になった。そのときにゲオルグはフェザーンを占領することをすこし考えてみた。たいした武力を有していないフェザーンを滅ぼすこと自体は容易い。しかしその後の後始末、占領支配し統治するとなると話は別だ。問題点が多すぎて、フェザーンを帝国が統治するなんて、悪夢でしかない。

 

 フェザーンは銀河で一番栄えている惑星であり、人類の交易と経済の中心である。だが、そうである理由はなにか? 帝国と同盟の間に位置し、両国間の交易を独占している中立地帯だからだ。百年以上にわたって抗戦している帝国の正式な領土となったフェザーンになっても同盟が平和な交易を続けるなんてありえない。よって、フェザーンは人類社会の交易の中心としての価値はその時点でなくなってしまう。そんな惑星を支配する価値などない。

 

 反フェザーンの貴族官僚は反論した。フェザーンには叛徒どもの領域にある星間航路の情報や戦略資源配置の分布図があると言うではないか。それによって叛徒どもに対して情報面で優位に立ち、叛徒どもをことごとく征伐してしまえば、すべては解決するではないか、と。

 

 ゲオルグは冷静に言い返した。帝国軍がなにゆえフェザーン回廊の入口に境界警備部隊を配置しているか考えてもみよ、と。帝国の人材流出を阻止するためだけではなく、万一同盟軍がフェザーンに侵攻したとき、帝国の境界警備部隊もフェザーン圏内に突入し、フェザーンの要人を保護し、機密情報を入手するためである。いくら狡猾なフェザーン人でも、自分たちの商売の根拠を奪われれば、帝国に協力するしかなくなるであろう。そうなればいくら帝国が詳細な情報を入手したとしてもその差は数年で埋まりかねない。そして同盟も境界警備部隊を配置している以上、同じように考えているに違いなかった。

 

 それをなんとかできたとしても叛徒征伐を行っている間、二〇億ものフェザーン人をどうするつもりかと逆に問いかけてやった。フェザーンは大気は酸素と窒素を含むが、人類が入植するまで二酸化炭素を含んでいなかったため、植物が育ちにくい砂漠の惑星である。当然、フェザーンの食糧自給率は非常に低く、両国からの輸入に強く依存しているのが実情である。帝国がフェザーンを占領すれば、当然、帝国に完全に依存することになる。しかも同盟側との取引をすべて強制中断させられて商売に大打撃を受けているフェザーン人たちが、二〇億人分の食糧を買い取り続けるなんて不可能だから帝国が無償で援助するということになろう。そうしなければ二〇億の飢えたフェザーン人は反帝国感情を爆発させて暴動を起こすだろうし、同盟はそれを利用してフェザーン人を取り込んで、フェザーンを帝国の占領から解放しようとする。そんなことになれば、最悪、全宇宙が自由惑星同盟の名の下に統一されるなんてことにも繋がりかねない。

 

 すこし考えただけでこんなにも対処困難な深刻な問題が出てくるのだぞ。ゲオルグの理路整然とした主張に、反フェザーンの貴族官僚は全身に反感を滲ませながらも、反論しなかった。ゲオルグの主張の正しさを認めたわけであるが、帝国が一世紀半かけても同盟を滅ぼせないのはフェザーンのせいであると信じている貴族官僚としては心情的に認められなかった。その心情はゲオルグもある程度は理解できないでもなかったので「もしフェザーンを武力で滅ぼしたいのなら叛徒の側に手を出させるような謀略でも実施するしかありませんな」と言って話を打ち切った。そんな壮大な謀略を実施しようとすれば、そのために人生のほぼすべてを捧げねばならなくなるだろうし、それだけの時間をかけて条件を整えたとしても成功の確率はかなり低いだろう。採算が合わないにもほどがあるから別のことに力を注いだ方が建設的だとまで言ってしまっては、相手の機嫌を致命的に損ねてしまうだろうから。

 

 なのにラインハルトはその無理難題をあっさりと実現させてしまったのである。無論、アムリッツァでの大敗によって同盟軍が質的にも量的にも大幅に弱体化していたことやフェザーンの謀略を逆用したであろうこと、なにより帝国がラインハルト派の独裁体制によって泥沼の派閥闘争から解放されていたことなど、いささか特殊な状況下であったがゆえのことであることはゲオルグも承知している。しかしそれでフェザーンの首脳の知能が低下していたわけでもあるまい。なのにあっさりと帝国軍に占領されたのだから、フェザーンの情報収集力を持ってしてもラグナロック作戦を察知できないほど完璧に秘匿されていたということである。それほどまで秘密裏に準備されていたラグナロック作戦が大成功したということは、フェザーンに悟られないようにフェザーン占領後の諸問題に対する対処の準備も万全に整えていたことにほかならず、それ自体がラインハルトの強力な指導力と政戦両略に長けた化物じみた計画構想力を証明している。

 

 だからラインハルトの行動に対する自分の推測を完全に信頼を置けず、ゲオルグが不安を抱くのも無理からぬことであったろう。しかしバーラトの和約の内容からして帝国が同盟の政治に干渉し続けるだろうし、同盟が帝国に反抗姿勢をとれば軍事的な制裁を加えることも必然であるように思われた。だから遷都しなかったとしても、フェザーンを帝国が重視するのは必然である。だから自分の方針が最善かどうかはわからないが、間違っていないとは自信を持って言えた。唯一懸念すべき点があるとすれば、なにかにつけて劇的なスピードで行動し、しかも大枠において成功させているローエングラム体制の気風から、急いでフェザーンへの浸透を実施したほうがよいということくらいだが……。

 

「シュヴァルツァー」

「はっ」

「ドロホフとダンネマンは憲兵に殺され、シュテンネスは私を見捨てて逃げた故粛清した。ヴェッセルはどこにいるのかはおろか、生死すら判然とせぬ」

 

 そしてやや気まず気に目を逸らし、ゲオルグは恥ずかしそうに言った。

 

「警視総監だった頃の私の側近で残っているのはおまえだけだ。信じさせてもらっても、かまわぬな?」

「なにをいまさら。閣下には恩義があります。死ぬまでお供させてもらいます」

 

 シュヴァルツァーの心強い断言に、ゲオルグはやや自嘲しながら皮肉気に微笑んだ。

 

「私のような危険な若造にそこまで言い切るなんて、物好きよな。頼りにしているぞ御爺様」

「御爺様って、私はまだ五〇代ですぞ閣下!」

「では、おじさまか?」

「これまで通り、呼び捨てでいいです! 呼び捨てで!」

「……冗談にそこまで反応せずともよかろうに」

 

 かなり本気でそう言っていることを察したゲオルグは、憮然とそう呟いた。




原作で川沿い以外はほとんど砂漠とかかれているフェザーンに二〇億人も人口がいるってハイネセン以上に消費型の惑星になってるだろうとしか思えないし、それがフェザーンの身を守る自覚的な国家方針のひとつであるとしか作者には思えなかった。

要するに、こういうことだ

フェザーン「軍事力がないから簡単に占領されてしまうような場所にあるのだが、一次産業が脆弱すぎるので食糧その他は輸入で賄ってる。つまり占領したらフェザーン二〇億の民に食糧と仕事を与えないと、かれらが不満を持ってパルチザン化するぞ! 建国初期から独立不羈の精神を持つように国民に仕向けてきたから、それができてもパルチザン化する奴はいるだろうがなあ!!」
同盟「自国民を脅しに使うとか汚い!」
帝国「同盟と手を組めばフェザーンは勝手に自滅するけど、論外だしなあ」

地球教団「もしどっちかがフェザーン侵攻したらしたで、敵国の詳細な情報を売ることで人類統一した側の勢力に浸透できるから、われわれとしてはフェザーン占領をやってくれてもかまわんのだがな。それで犠牲になるのは地球教の信者でもないし」
マレンコフ「フェザーンに暮らす人間の命をなんだと思ってるんだ。地球の干渉から独立してやる!」
ルビンスキー「と、まあ、そんな感じで地球への翻意を抱いた先代領主マレンコフは消されたのだ」

ラープ「なんでこんな歪な構造の国家にしたかって? 地球教団の指示さ。惑星内をあまり開拓せずに、帝国と同盟を経済と外交と謀略諸々で翻弄し、食糧を安定的に入手する状態を作れという。簡単に言うけどそれを実際にやる側の身にもなってほしい」

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