リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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おお、吾ら自由の民
吾ら永遠に征服されず……
――自由惑星同盟の国歌より引用。


マハトエアグライフング⑦

 ツァイサーの死から時間を少しだけ遡り、ラーセンたちは都市部から数百キロ離れた森林地帯で銀行や宝石店から強奪した戦果を確認していた。途中で移動に利用した数台の救急車を乗り捨て、輸送用の地上車の荷台の中で、である。

 

「ざっと一五〇億、か。ブラウンシュヴァイク公爵家ほどじゃないが、かつての大貴族領の年間予算に匹敵。たいしたものだ」

 

 全体的に少しやせ気味で少し焼けた肌を持つ、すらりとした長身の男の声には感心の色がなく、興味がなさそうだった。事実、その男の緋色の瞳は他人に不快感しか与えない黒い情念を宿しており、まったく別のことを考えているように思え、それがラーセンの反感を買った。

 

「サダト准尉、なにか不満がおありのようですな」

「不満? 不満などないさ。たださぞ楽しんできたのだろうと思うと、少し妬ましいだけさ。他意はない」

「楽しむだと。われらに課された神聖なる義務をなんだと思っておるのだ!」

「神聖なる義務ねぇ。それを弁えているから、作戦に協力しているのだろうが」

 

 たしかに合流地点で輸送用地上車を用意して待っていたのはサダトであるし、惑星テオリアから大金を抱えて脱出する作戦を考えたのもサダトであり、収奪に関わっていないとはいえ、その功績は大きい。しかしその皮肉気な発言は、狂信的な帝政の守護者であるラーセンを怒らせ、口汚く罵ったが、サダトは適当に対応するだけで、火に油を注ぐばかりであった。

 

 狂人と狂人がくだらない議論をしている、と、ハイデリヒは遠巻きに二人の言い争いを聞いている者達の中で思った。エーリューズニル矯正区出身者のラーセンは言うに及ばず、サルバドール・サダトも一般的な感覚から見れば、狂ってるとしか言えない人間である。血に飢えた虐殺者で、ローエングラム体制が確立してからはその悪業が公表されて指名手配中であり、ラナビア警備司令部の逃亡者の中では二番目に高い懸賞金をかけられたことで、“ラナビアの絞刑吏”という綽名と共に有名になった。

 

 いや、サダトに限らず、ラナビア関連の話は吐き気を催すような狂気しか感じられない話しか聞かない。前体制の暗部をさらけ出し、現在の権力体制の正当化するため、帝国政府当局によって多少は誇張されているのだろうと思うが、生き残った大量の証言者がいるからまるっきり嘘ではないだろう。そうしていくらか差し引いて考えてもラナビアの実態は狂っているとしか思えない。社会秩序維持局という帝国の暗部を担当する一員だった自分でさえこれなのだ。一般人はどう思っていることやら。

 

「そもそも俺の忠誠は殿下が認めてくださっている。おまえがとやかく言うことか」

「……ひとつ言わせてもらうが、神聖にして不可侵なる皇帝陛下はただひとり、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下のみだ。たとえ殿下が認めようとも、卿が皇帝陛下への忠節に欠けるようであるならば――」

「だが、悲しむべきことに皇帝陛下はレムシャイド伯のような愚者に惑わされ、叛徒どもの遠い惑星に囚われている。そして非常に遺憾ながら、我らは哀れなほど無力。だからおまえは、殿下を我らの首班として認めたのではないのか。そして陛下に万一のことあれば、殿下が至尊の座に就かれることも。それともなにか? おまえが数千光年離れた惑星におられる皇帝陛下の御意思を忖度できるとでもいうのか。思い上がりもはなはだしい」

「……快楽主義者め」

 

 いつの間にやら話題が帝位の正統論争へと移行し、サダトの理路整然とした言葉にラーセンは頷いたが、あまりにも全然興味がなくて面倒くさいという内心が見え透いていたので、小さく負け惜しみの罵倒したが、サダトはまったく気にした様子がなかった。

 

 両者が狂人であることに疑いの余地など微塵もないが、ハイデリヒの見るところ、その狂気の質に微妙な差異がある。ラーセンは人間的でありながら内面がおかしいタイプの狂気であり、サダトは精神面が不安定な異常者といったタイプの狂気である。そのような狂気の所有者が、高い知性と能力の持ち主であるというのは、いったい何の冗談であろうか。

 

 いや、冗談ではなく現実の話だから笑い話にもならないのだが、と、考えているとサダトがニヤリとした笑みを浮かべてこちらに問いかけてきた。

 

「それはそれとして、ハイデリヒ保安中尉。今回の作戦における成果のうち、七割がこちらのものとなるってことでいいんだよな?」

「ああ。それで間違いない」

「ところでおまえたちが、こちらに合流する気はないのか。同じくゴールデンバウム王朝に忠節を尽くす同志ではないか。王家の血を継ぐ殿下の下で団結したほうが、何かと良いかと思うのだが?」

 

 これにはラーセンも興味を持ってこちらを見つめてくるので、ハイデリヒは心中で毒づいた。サダトの唇が弧を描いているところからみて、こちらが困ってるのをみて楽しもうという魂胆だ。本音を言ってもいいのだが、サイボーグの前でゴールデンバウム王朝を見捨てているかのような発言をすれば最悪殺されかねないので、適当に取り繕わなくてはならない。

 

「ご意見はごもっともながら、私らが組織のボスがよくないと判断している以上、私個人が意見を述べるべきではないでしょう」

「では、おまえだけでもこちら側に来ないか」

「残念ながら忠誠を誓った主君に尽くすことこそ、帝国人としての本懐では」

「そこまで言わせるとは、はたしてどのような男がおまえの上にいるのであろうな。いったいだれに忠誠を尽くしているのか。おまえらの組織は秘密が多すぎてな……」

 

 緋色の瞳には嗜虐の色しか映っておらず、あきらかにハイデリヒを困らせることが目的で秘密組織やそのボスのことをネタにしているだけであった。そのことはラーセンの不興をも買った。

 

「やめぬか。ハイデリヒ保安中尉とその組織を信頼するのは殿下の判断だ。不要な詮索をするではない」

「……へいへい」

 

 判断したのは殿下ではなくてその側近だろうにという呟きを口には出さずに飲み込み、サダトはつまらなさそうに会話を切り上げた。あまりやりすぎて本当にラーセンが暴発すれば、さすがに面倒と考えたのである。サダトにとっては暇つぶしの遊びでしかないので本気になるべき理由もない。しかしそれで遊ばれていたハイデリヒからすると内心で一息吐きたい気分であった。

 

 その瞬間、立体TVで放送があった。ジルバーバウアーによる共和主義者鎮圧命令とツァイサー中将の拘束命令である。ラーセンは自分の腕時計で時間を確認し、感心したように言った。

 

「計画にあった時刻より三〇分ほど遅いことを除けばほぼ予定通り。卿らの組織の計画は本当に完璧だな」

 

 その発言に、ハイデリヒは頷くしかなかった。いくら公的機関に秘密組織の人員を浸透させ、その情報分析の下に今回の計画を立てていたとはいえ、ここまで完璧に計画を遂行してのけるゲオルグの計画構想力、人材の分析と任務の割り振りは見事というほかなかった。

 

 秘密組織のマハトエアグライフング計画が完璧な成功をハイデリヒが実感してから一時間とたたず、体制側の優勢が絶対的なものとなった。放送を聞いて各駐屯地でひたすら待機命令をだされていた憲兵たちが一斉に立ち上がり、各所で共和主義を掲げるテロリストたちの屍の山を築きあげたのである。

 

 だが、体制側がほんの少し出遅れれば苦境を打破することは困難を極めたであったろう。ジルバーバウアーが放送を行った直後から、放送局を占拠せんと共和主義者たちは猛攻をくわえてきたからである。周辺から続々とやってくる警官や憲兵の増援を前にザシャは撤退の判断を下したが、ジルバーバウアーらがほんの一瞬出遅れていれば、先に共和主義者たちが放送局を占拠していたということで、ツァイサーの待機命令を律義に憲兵たちは守り続けていただろうから。

 

 当面の危機を脱したということでジルバーバウアーらは安堵した。唯一、ツァイサー憲兵司令官が死んでいるという情報に不満を抱いたが、ヴィースラー憲兵大尉の報告によると総督の放送のある前に共和主義者どもと遭遇戦が発生し、ツァイサーは名誉の戦死を遂げていたという。共和主義者どもに裏切られたのか、なんらかの意図があって奇妙な行動をしていただけだったのか、それはこの騒動を終わらせてから判断すればよいとひとまず棚上げした。

 

 しかし劣勢に陥ってる側は、そんな悠長に考えてはいられなかった。ジルバーバウアーの放送によって憲兵隊と警察の対立を煽って治安戦力の過半を無力化するフェザーン勢力の工作(を装ったゲオルグたち秘密組織の活動)が打ち破られてしまった。すでに同志の半数が捕らえられるか殺されている。まだ続々と敵が殺到してくるであろうことが予測できるだけに撤退すら絶望的である。

 

 だが――と、ザシャは思った。ここで撤退できたとして、何の意味があるというのだ。そもそも同盟軍の帝国領遠征とラインハルトという独裁者が誕生して急速に下火となった共和主義運動を再燃させるため、フェザーンの口車に乗ってテオリアで賭けに出ようとしたのではないか。ここで撤退し、致命的にまで傷ついた共和主義地下組織を率い、帝国の共和主義革命を成し遂げられる可能性など、はたして存在するのであろうか。

 

「ザシャさん!」

 

 ザシャの脳裏に「玉砕」の文字がちらつき始めたとき、実働部門の幹部の一人であるハラルドが声をあげた。ハラルドは兵役を拒否したことで帝国治安当局から敵として狙われることになり、逃亡中の成り行きで共和主義地下組織に保護され、共和主義者となった人間であったが、爆弾を日用品に偽装する能力が高く、部下の統率もうまかったので、テロ活動においてザシャは彼を腹心としていた。

 

「このままだとジリ貧だ。私たちが囮になるから、あんただけでも生き延びろ」

 

 ハラルドがなにを言ったか瞬時に理解できず――いや、理解したくなかったのか――ザシャは首を傾げ、意味を理解すると心の底から湧き上がってくる怒りを胸に感じながら、あくまで理性的な受け応えをしようとそれを必死に抑えつけた。

 

「なにを戯けたことを。最後の時まで俺は革命家だ。降伏し専制者に膝を屈するなどありえんし、自由を束縛する牢獄の中で一生を終える気も処刑される気もない」

「は? 最後の時だと。あんたはここが私たちの共和主義運動の最後だというのか」

「……屈辱だが認めるよりほかにあるまい。もはや再起の可能性はない。われわれの運動はここで終わる。希望があるとすればホルストとそのシンパどもだが……いまさらそっちに合流したところで厄介者扱いされるがオチだろうさ」

「馬鹿野郎!」

 

 突然のハラルドからの罵倒に、ザシャは驚いて思わず後ずさった。

 

「あんたを馬鹿にするような時が来るなんて思いもしなかった! いいか、私たち共和主義者は帝国から常に弾圧されてきたんだ。人類を堕落せしめ、秩序を破壊し、混沌しか齎さない危険思想。ゆえに正義と秩序の名の下に弾圧されてきた。それは今だって変わらない。ローエングラム公の開明政策? 笑わせる。共和主義者が収容所から釈放されたといっても、本当の共和主義者、真の自由を求める革命家たちを解放しない時点で、やつらの真意は明瞭だ。開明政策とやらは単に人気とりのためなんだってな。その証拠に社会秩序維持局という秘密警察を廃止しておきながら、一年と少ししたら平然と内国安全保障局という名前で秘密警察を復活させやがった」

 

 それは武力闘争路線を堅持している共和主義革命家の中では共通認識である。ラインハルト・フォン・ローエングラムという若き権力者の優秀さと施政の妥当さを認めてなお、そこに欠点を見出さずにはいられない。人類社会は専制主義ではなく共和主義的に統治されることが正しいと確信しているからこそ、共和主義に対する不当な圧力に過敏に反応してしまうのだ。

 

 このような過剰反応も共和主義地下組織から人心が離れていった要因のひとつであった。特にローエングラム公の台頭後、共和主義に対する信念に欠ける構成員が離反してからは、それが顕著に表れるようになっていき、組織の指導者はそれも改善しようと必死だったのが、結果を出す前に憲兵隊に逮捕されてしまったのである。

 

「だからこそ必要なんだ。専制者に屈服も敗北もしない、共和主義を掲げる闘志が!」

「……なに?」

「伝説や権威に頼るとなるとこの組織の成り立ちを考えるとアレなのだが、一度は国家を変革することを現実的に夢見れる大組織だった長が、官憲に捕まることも殺されることもなく、帝国にたいして闘争を続けているという伝説が残れば、これから先、共和主義の理念に燃える新たな革命家を誕生させる可能性を少しでもあげる要素にはなるでしょう。指導者が逮捕されているいま、その役目を担えるのは副指導者であるザシャさんだけなんです。だから生きてください。私たちの死を無駄にしないために。お願いです同志……」

 

 縋るようなハラルドの目を否定したくて、ザシャはまわりの同志たちを見渡したが逆効果だった。だれもがハラルドと同じ色を帯びた目で見つめかえしてきたからである。ザシャは感情をこらえきれずに体を震わした。

 

 皆、卑怯だ! どうして一緒に戦わせて、死なせてくれない? 何の成果も残せずに多くの同志を死なせたのに、一人生き恥を晒し続け、生き続けろというのか。だが、皆が望むのであれば指導者はその望みに沿わねばらならない。それが彼らが信じる共和主義というものであった。

 

「わかった。だが俺も帝国治安当局にそれなりに名が売れてる人間だ。単身で官憲の捜索を潜り抜けるのはかなり難しい。そのあたりどう考えているんだ。同志を見捨てて一身上の安泰をはかった愚者と曲解されるおそれがある。そうなってはマイナス効果でしかないぞ」

 

 それでも一人の人間として反対意見は言わねばならない。実際、そんな目にあったら死んでも死に切れぬ。

 

「そんなときは爆弾を抱えて爆発とか、死体が残らないように死んでください」

「さらっと酷いことを言うな?!」

 

 素っ頓狂な声でそう言った後、ザシャは思わず笑いだした。要するに、忘れようがないほど劇的な死にかたをしろということかと理解したのである。ザシャの笑いにつられて他の同志も笑みを浮かべて笑った。蝋燭の火は、消える間際こそ一番よく輝くという。絶望的な状況にあって消えかけていた彼らの革命の志が、死ぬべき意味を見つけて再び激しく燃え上がっていた。

 

「ミハエル!」

「はい」

「護衛として俺についてこい」

 

 ミハエルと呼ばれた青年は一瞬後ろめたさを感じて戸惑ったが、すぐに意を決してザシャに駆け寄った。

 

「さらばだ同志諸君! そして……すまぬ」

 

 それだけ言ってザシャとミハエルは近場の建物の中へ消えていった。それを確認したハラルドは目を瞑って意を決し、自分たちが優勢だったときに警察部隊を撃破するときに巻き添えにした地上車の上に飛び乗って、眼下の同志たちに語りかけた。

 

「共和主義革命の先鋒を担う、同志諸君!」

 

 ハラルドはそこで一息吐き、叫んだ。

 

「専制者の飼い犬どもを撃滅し、また自由の凱歌を高らかに歌おうぞ!」

 

 共和主義者たちは各々の武器を掲げ、歓声を爆発させた。頭では敗北するとわかりきっていても、心では常に勝利を目指して戦うものである。愚劣な精神主義の極致であると言えなくもないが、多くの精神主義者と違って彼らは自覚した上でやっているのである。

 

「総員突撃! 敵包囲網の一角を突破するぞ!」

 

 この時、ハラルドが率いた三〇〇名余りの突撃隊は治安戦力の包囲網に穴を穿つべく雄々しく突進し、一人残らず玉砕したが、死兵と化した溢れんばかりの闘志は実態をともなったものであり、彼らはこの局地戦で一〇倍以上の規模の治安部隊に対峙し、死者一〇四九名、重傷者五八七名という驚異的な戦果を残した。単純計算で一人あたり五人強の敵を撃破したということで、警官や憲兵を震えあがらせた。

 

 他の共和主義者たちもハラルドたち同様、決死の覚悟で暴れまわり、その鎮圧のために治安側は常に倍近い犠牲者を出しつつも、午前五時二五分の時点で表立って暴れていた共和主義者の掃討を完了した。ジルバーバウアーの放送から二時間強が経過していたが、それでジルバーバウアーたちが安心することはなかった。

 

 共和主義地下組織に関するデータ、特に幹部級以上の者のデータは情報機関や治安当局によってかなり正確なものを掴んでおり、捕虜にしたものたちの証言によって、共和主義地下組織に残存していた幹部が全員、今回のテロに参加していたことがかなり早期に判明していた。そして死んだ人間の顔を確認していくと全幹部の死体が確認できた。事実上組織を運営していた副指導者のザシャ・バルクを除いて。

 

 ザシャ・バルクの死体が確認できないことに治安部隊が気づいたのは、五時四〇分頃であったという。今回の騒乱において治安部隊が見苦しいまでの醜態を演じた上、テロリストの首魁だけ取り逃がしたとあっては帝国の権威に傷がつきすぎる。特に憲兵隊は、管区司令官が不審な行動をしていた負い目があったこともあり、首魁の捜索に強烈な熱意を持って取り組んだ。

 

 ザシャとミハエルはある集合マンションの空室に忍び込んでいたが、治安部隊が捜索に熱心な様子を見て自分が隠れきれないし、逃げきれないことをさとった。そこでザシャは別れのときに同志たちと誓ったことを果たすべく、逃亡ではないもうひとつの方法をとることを決断し、それにミハエルも同意した。そして早急にそのための準備を始めた。

 

 そして準備が整える最中に、憲兵の一個小隊がそのマンションに乗り込んできたので、ミハエルが時間稼ぎのためにも囮となって捜索を妨害するために応戦。二分ほどの戦闘の末、ミハエルは右脚を光線で貫かれ、三階から外に転がり落ちて気絶しているところを憲兵隊によって確保されて一分もせぬうちに、マンションの一部が消し飛ぶほどの大爆発が発生した。ゼッフル粒子発生装置を使い、ザシャは自分の体を爆発四散させて自殺したのである。この爆発を最後に混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)は明けた。午前六時一六分のことであった。

 

 その後の憲兵隊の尋問でミハエルはザシャの爆発自殺までの経緯を虚偽を含めて詳細に語り、「あの大爆発によって発生した火災に紛れ、ザシャは逃げおおせたのだ。ザシャは死んでいない。共和主義革命の炎は消え去っていないのだ」と証言した後、隙をみて自分の舌を噛み切り、自らの血で溺死してザシャの跡を追った。当初ジルバーバウアーらはその証言を信じたが、数日後の科学的調査によって爆発したマンションの残留物からザシャ・バルクが死亡した可能性が高いことが判明したので、ザシャの生死に関連するミハエルの証言を信じる者はごく少数しかいなくなった。

 

 今回の騒乱において、共和主義地下組織の構成員のうち、三四一六名が死亡、四九二名が逮捕(逮捕後、三〇二名が絶食などの方法で死を選んだ)、一〇〇名前後が逃亡もしくは生死不明。治安部隊のうち、警官の死者が二万五三三一名、憲兵の死者は一万〇二〇六名、負傷者は軽傷者も含めると五万前後。また旧体制残党が宝石店強奪の際に店員の反撃を受けて二名と騒ぎに乗じて悪事を働いた小悪党が九名が死亡している。そして民間人の犠牲者は、共和主義勢力がある程度は民間人を巻き込まぬように配慮していたこともあって、これほどの規模の騒乱であったにも関わらず、約三〇〇〇名前後の犠牲者で済んだ。

 

 この騒乱について、ラインハルト・フォン・ローエングラムの時代の帝国研究を専門としている歴史家のJ・J・ピサドールは以下のように分析している。

 

 三月一五日未明から明け方にかけて、テオリアで発生した混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)は規模で言えば一惑星内の騒乱に過ぎず、また、この時代における民主主義陣営最大の用兵家と専制主義陣営最大の用兵家、ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムが正面から激突していたラグナロック戦役の裏側で発生していた事件なこともあって、当時の一般人にとってはさほど関心を持つことはなく、この事件に真摯に対応したのは治安当局と強盗の被害にあった銀行や宝石店にどの程度の保障を行うべきか頭を悩ませていた一部の財務官僚程度であったろう。

 

 だが、長い時間の流れの中でこのテオリアにおける騒乱は、ゴールデンバウム体制と急激な改革がもたらした光と闇が非常にわかりやすく現れた事件として徐々に注目されはじめたのだ。そしてそれぞれの人間の行動を分析していくと、そのすれ違いや的外れぶりが、歴史の観察者としての立場では面白く感じるという点も、この事件の物語に人気がでてきた理由のひとつといえよう。

 

 この事件をそうさせた第一の要素として、旧時代の感覚から抜け出せないツァイサー中将を筆頭とした憲兵隊上層部である。ゴールデンバウム体制において誠実に職務に尽くし、共和主義を含む思想犯を弾圧してきた彼らは、言論や思想の自由を受け入れられなかった。しかも共和主義を雑談のネタにすることと共和主義者であることには大きな差があることすら、われわれの時代の感覚からすれば信じ難いことに理解していなかったのである。しかも憲兵たちが共和主義の話題をしているから、おそらく共和主義者という前提のもと行動した結果、総督や警察支部長から共和主義者と結託しているのではないかと疑われるのは、もはや喜劇じみている。だがその喜劇が喜劇で終わらず、ツァイサーは自分が信じた憲兵たちによって処刑されてしまうというところに、ゴールデンバウム体制の罪悪とそれに染まりきっていたために抜け出せない常識人の無念を見いだすことができる。ちなみにツァイサーの死は当初、憲兵隊の名誉のためにヴィースラー大尉によって共和主義者と戦って死亡と虚偽報告され、その死の本当の経緯が判明するのに数年の時間を必要とした。

 

 第二の要素はザシャ・バルクが率いた共和主義過激派のテロリストたちである。その成立過程は、ある没落貴族が復讐のために設置した地下組織を徐々に共和主義者たちが乗っ取り、自らの革命組織としたという一風変わった歴史を持っており、その組織史を研究している者たちもいるがここでは割愛し、要点のみを述べる。第三代指導者ペーター・ゲッベルスの指導の下、ゴールデンバウム体制を打倒しうる組織へと成長しつつあったが、四八七年の同盟軍の帝国領遠征の失敗によって組織は大きな打撃を受けた。さらに畳み掛けるように翌四八八年末に旧弊を一掃し、公正・公平・実力主義を標榜するローエングラム公の独裁体制が成立し、自由で平等な新時代を築くという組織の目的に魅力が失われたことで離反者が多数発生し、次の四八九年の初頭には密告を受けた憲兵隊の襲撃によって指導者のペーター・ゲッベルスを失ったことにより、過激派以外のすべての構成員の離脱を招くという完全に末期的な状態にあった。三月一五日の暴動でほとんどがその理念に従い死んでいったが、支配されることを拒絶し、自由を求めて戦い続ける不屈の精神は、一部の人間に彼らが民間人を巻き込むテロリストであることを忘れさせ、賞賛してしまうほど美しいものを感じ取ることができる。そしてまた、体制を打倒する立場を奪われた者たちの末路というふうに受け取ることも可能であり、そうした悲劇の英雄的側面から、彼らを主役とした作品が発表され、マイナーだが確かな人気を獲得している。

 

 第三の要素として、やや第一の要素と被るが、エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーの頑迷なまでの無能さを発揮し、責任をとることを極端に厭う姿勢である。万事において前例主義で命令がなければ動かず、責任回避に終始するのは悪しき官僚主義の典型と言えなくもないが、ジルバーバウアーの場合、ゴールデンバウム体制における身分秩序の裏返しであるだけに一般的な同情の対象となりえた。その同情はどんな無茶な命令でも一定の成果をあげる非常に有能な官僚であった事実によって支えられている。事実、この騒動における対処の拙さが中央から追及され、総督付下級秘書官に降格されるが、そこから再び有能さを発揮して副総督にまで出世し、三年間無難に務め、定年退職しているのである。これほどまでの極端さが現れたのは平民が自分の責任において事業を推し進めるのが、どれだけ危険であったかということを示唆しているのだ。ローエングラム体制下において野心的な技術官僚が多く抜擢されたのは、一般官僚のほとんどが優秀であっても極度に受け身の体勢で創造的な仕事を任せられないから、という一面もあったのである。

 

 第四の要素は警察と憲兵隊の険悪な対立意識である。もとよりこの両組織の仲は良好とは言えないが、この時期における険悪さは上層部の陣容によるところが大きい。憲兵隊のトップである憲兵総監はラインハルト・フォン・ローエングラムの側近の一人であるウルリッヒ・ケスラーであった。いっぽう、警察のトップである警視総監はゲオルグ派との抗争に敗れて中央から追放されていた元ハルデンベルグ派の貴族警官であった。しかもその派閥の盟主であり妹に殺害された故エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク伯爵の義弟であり、第六次イゼルローン要塞攻防戦で戦死した故ヘルマン・フォン・リューネブルクとラインハルトの険悪な対立が過去があり、そのせいで旧ハルテンベルク派を用いているのはラインハルトの本意ではないという噂が組織内で広まっていて、そういったことから憲兵隊は警察に対する優越意識を持ち、警察の職権が縮小されて憲兵隊が浸食していることに問題視せず、その憲兵隊の傲慢さを警察が侮蔑するという構図になっていたのである。騒動の際に両組織間で銃撃戦が発生したのは、直接的には誤解によるものであったが、いきなり銃撃戦に突入したのは上層部の勢力図と関係によるところが少なからず影響しているのは明らかであり、権力者の影響の大きさというものを考えさせるのである。

 

 そして第五の要素は旧体制の残党である。四八八年にローエングラム・リヒテンラーデ枢軸に対抗すべく、当時帝国で一、二を争う権勢家、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵が手を組んで誕生した貴族連合の残党を中核として成立したこの要素に主眼を置いた場合、これは序章の終焉ととらえることができ、彼らを分析する上で欠かすことができない事件であるといえる。彼らは総じてゴールデンバウム体制下における暗部の象徴であり、それゆえにラインハルトの手による新時代を否定した。彼らにとって自己存在意義とゴールデンバウム王朝は不可分のものであり、その血生臭く哀れな人生に興味を持つ研究家は決して少なくなかったのである。

 

 これら五つの要素は、各個に独立したものでありながら、それぞれが相互に作用しあい、誤解と誤断を招き、混沌と狂乱の夜を演出した。この事件が混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)と通称されたゆえんがそこにあった。しかしその定説は、新帝国歴三〇年に一般公開された帝国の機密文書によって、大きく覆されることとなったのである。この事件は混沌と狂乱の産物ではなく、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデと彼が率いた秘密組織の緻密な計算によって演出された計画的なものであったというのである。

 

 すでに混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件という名称が定着していたのでそれが廃れることはなかったが、秘密組織の計画名からとってマハトエアグライフング(乗っ取り)事件とも称されるようになった。状況を見事なまでに操りつつ、彼らは陰に隠れて行動した。その結果、共和主義者たちのテロ行為によって空いた統治機構の穴を埋める際に、浸透していた秘密組織の構成員もその対象となったため、テオリアにおける秘密組織の影響力は飛躍的に強化され、後にゲオルグの秘密組織が銀河に謀略の糸を張り巡らすにあたってじつに有益なことであった。そういったこともあって、このテオリアの騒動もこの時代を象徴するひとつの事件として認識されるようになったのである。

 

 このことが明らかになると、私欲ゆえに市民を巻き込む騒動を誘発した秘密組織の構成員は批難の対象となったが、それに対してハインツ・ブレーメが晩年のインタビューでこのように語っている。

 

「私はゴールデンバウム王朝の支配下で育った。身分の上下が決まりきっていて、人の命が恐ろしく軽かった時代に多感な少年・青年時代を過ごしたのだ。全員が全員そうだったというわけではないが、貴族に生意気な口を少ししただけで政治犯として逮捕されるような時代だった。現に、私は同僚の一人が貴族によって理不尽に処刑されるのをこの目で見たことがある。平民が政治に口出ししたり、野心を抱くことは罪だった。貴族や体制の道具としてのみ、それが赦された。少なくとも、私のような凡人にとっては。

 だが私が三八歳のとき、ラインハルト・フォン・ローエングラムが帝国軍総司令官兼帝国宰相として、帝国の独裁者となった。そのときの私は別段、それを歓喜をもって迎えたわけではなかったが、彼の名の下に実施されていく改革の嵐で身分秩序と常識が崩壊していくのを肌で感じ、私の中でなにかが変わった。今まで体制によって抑圧されてきた野心や自負が、今度は体制によって肯定されたように思えた。私は成り上がれるところまで成り上がってやりたくなった。かのエルネスト・メックリンガーが自著で語ったように“野心の時代”が到来したのだ。

 ゲオルグ殿が私に接触してきたのは、ちょうど私が自分のささやかな野心に従い行動しようと決意して間もない頃だった。彼は言った。自分に協力すれば私の立身栄達を支援してくれると。無論、その協力で少なからぬ人命が犠牲にする手伝いであることを理解していたが、それにあまり罪悪感を感じなかった。繰り返すようだが人の命が恐ろしく軽い時代に育った。平民はもとより、貴族でさえ、政争に敗れて一族郎党処刑されるなんてことは珍しいことではなかったから、人命を重んじる意識なんて育ちようがなかった。あの頃の私にとって重んじるべき人命は、自分と自分と親しい者たちだけだった。それ以外にまで気を使っていては、まっとうな人生など歩めない世界だったから。

 それでも自覚した上で自主的に他人の破滅に協力するのは初めてだったので、微かな罪悪感を感じはしたが、私はラインハルト・フォン・ローエングラムとて何千万もの人間の犠牲の上に今の栄光を築いたのだから、自分だってやってもいいじゃないか――今ではそれは正当化の理由にならないと思わないでもないが――と自分を完全に正当化できたのである。

 どちらにせよ、今の時代の若者たちにはわからぬことだ。そしてそれがわからず、私を非難してくる若者が多いことを苦々しく思うが、それ自体が人の自由が抑圧されない素晴らしい時代になった証明だとも思い、喜びを感じる。二度とあのような時代、黄金樹の停滞の時代とそれを完全に破壊した動乱の時代とが再来しないことを、一人の人間として、私は強く願う」




最後の歴史家の記述、くどいかなぁと思ったんだけど、これ以上簡潔にできなかった。
文才が欲しい……

とにかくこれでマハトエアグライフングは終了です。
5話くらいで終わらせるつもりだったんだがなあ……。

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