リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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マハトエアグライフング⑥

 ツァイサーの指示で総督府の要人たちとその家族は、安全のために“思想的に健全”であると古参憲兵たちによって認定された家庭に退避させていたが、要人たちにとっては心休まらぬ潜伏であった。このテオリアの治安戦力は、テロリストの暴動を赦してしまうほど脆弱であるという事実を証明していたからである。

 

 また、ゲオルグら秘密組織の工作活動によって、共和主義者たちの数が過大に推測されていたこともあり、テオリアが共和主義者たちの掌中に落ちる可能性はそれなりに現実味のあることとして考えられた。そして共和主義者たちの狙いが自分達総督府高官の命であることに疑問をさしはさむ余地はなく、共和主義者たちが都市部を掌握するのと自分たちが命を失うことは、この場合、ほぼ同義である。

 

 ただそれでも高官たちは仮に都市部が共和主義者たちに掌握されても、生き残れる可能性がある道がひとつだけあった。下士官憲兵の家族が危険を承知で自分たちを匿い、共和主義者たちに対して知らん顔を決め込んでくれればよいのである。彼らがそういう道を選んでくれる可能性を少しでも高めるべく、高官一家は匿ってくれる家族から好意を勝ち取るのに熱心にならざるをえなかった。

 

 中には露骨にこの一件が終わった後の優遇を約束したり、過剰に媚を売ったりして、その卑屈さのせいで逆に憲兵一家の侮蔑を買うということもあったのだが、それも高官たちには生命がかかっているが故のことと思うと、いささかあわれではあった。

 

 総督府で人事局長の職にあったヴァイゼッカーは、そのような卑屈な真似をせずに自然体で自分を匿ってくれているリード憲兵軍曹の一家と接していた。人事を司る立場であり、しかも独り身であるという事実から、多くの人は厳格で冷徹で機械的な人間をイメージするかもしれない。しかしヴァイゼッカーは非常に人間味があり、子どものようにころころと表情を変える感情豊かな人間であったので、リード夫妻を驚かせた。

 

「なんというか、人間味がありすぎて人事局長って感じがしません」

 

 ある程度打ち解けてきたときに、思い切ってリード憲兵軍曹は思い切ってそんなことを言ってみた。リード夫人はこの失礼な発言で気のいいお偉い官僚様が機嫌を悪くするのではないか危惧したが、ヴァイゼッカーは特に気にした様子はなかった。

 

「どうしてそう思うんだい?」

「いやだって人事の人って言ったら、上の命令で評価の悪い役人を閑職に飛ばしたり、最悪、クビにしたりする部署じゃないですか。なんかイメージにあわないというかなんというか」

「ちょっとあなた! 失礼でしょう!」

 

 あまりにあけすけな夫の物言いに、妻は声をあげて静止したが、夫はまったく気にしなかった。

 

「大丈夫だって。ヴァイゼッカーさんはいい人だ。こんなこと気にしたりはしないに決まってるさ」

「信用してくれて、どうもありがとう」

 

 ヴァイゼッカーは穏やかに微笑んでそう言った。本当によくできた人だなぁとリード憲兵軍曹は感心するばかりだった。

 

「私の父も人事職だったんだ。私と違って、官僚ではなく会社の人事課長だったけどね」

 

 かすかに言いよどんだが、ヴァイゼッカーは続けた。

 

「父はある日、疲れたと言って突然会社を辞めてしまって、私に何も説明することなく、そのまま帰らぬ人になってしまった。あとで聞いた話だが、父は会社の命令で多くの社員に解雇通知を告げる立場にあったようでね。元社員からは恨まれ、社員からは恐怖されながら侮蔑されていたりして、かなりストレスを抱えていたらしい。父は優しい人だったからとても苦痛だったのだろうと思う」

 

 しみじみと語るヴァイゼッカーに、リード夫妻はなんとも言えない顔をする。彼の父親を可哀想だと思う反面、自分たちが人事職にいる者に管理される側であり、そういう恨み言を言う立場であるだけに全面的な共感することはできなかったのである。

 

「だから私は、そんなことにならないよう、まわりとの信頼関係を構築しながら人事の仕事をして、父の無念を晴らしてやろうと思っていてね。もちろん、人事なんだからやむにやまれぬ事情で役人を解雇処分したりしなきゃいけないときもあるのだけど、そういうときはちゃんとフォローして、その人に向いている再就職先も一緒に探してあげるような、そういう人事になろうと心掛けている」

「自分達みたいな下っ端にはありがたい話ですが、再就職の世話って……大変じゃないですか?」

「そりゃもちろん大変さ。おかげで、年中オーバーワーク状態で、休んでる時間はほとんどないんだが、私はやりがいを感じているから苦ではないよ」

 

 にっこりと優しく微笑むヴァイゼッカーに、本当に良い人だなとリード憲兵軍曹は改めて思った。軍の人事局にいる機械人間どもが全員ヴァイゼッカーのような人たちなら、人事職から辞令を受け取る度に戦々恐々とせずにすむのに。

 

 それからもしばらく雑談に興じていたが、入り口からノック音が響いた。リード軍曹は憲兵の伝令かなにかかと思ったが、念のためヴァイゼッカーに妻のクローゼットの中に隠れるよう指示して、玄関の扉を開けた。

 

 扉を開けた瞬間、数丁のビーム・ライフルが突きつけられた。訪問者は憲兵ではなく、共和主義者のテロリストの一団であったのである。

 

「こんばんわ。リード家で間違いないな?」

 

 一団のリーダー格のみすぼらしい身なりをした鉤鼻の男が代表して問いかけた。

 

「あ、ああ。そうだ」

「ここに総督府の人事局長がいるはずだ。どこにいる?」

 

 どうしてバレている! リード憲兵軍曹は内心の驚愕を噛み殺し、いつもとかわらぬ口調になるよう意識的につとめつつ、しらをきろうとした。

 

「そんな人はここにはいない」

「いいや。いるはずだ。出した方が身のためだぞ」

「いない者をだせるはずがない」

「……そうか。よくわかった」

 

 鉤鼻の男がそう言った瞬間、ビーム・ライフルから光線が飛び、リード憲兵軍曹の体を幾本もの光線が貫いた。夫の倒れる姿に、リード夫人は悲鳴をあげたが、次の瞬間には彼女も同じように大量の光線に貫かれて夫の後を追うことになった。

 

 二つの血だらけでの死体が横たわる部屋にテロリストたちは押し入り、そこら中めがけてやたらめったに銃を乱射した。どこに人事局長がいるのかわからなかったが、入手した情報によると、この家にいることは間違いないのだ。だから目につくものを片っ端から銃撃していくのである。

 

 一分間ほどの銃を乱射した後、クローゼットから赤色の液体が流れ出てきていることを鉤鼻の男が気づいた。穴だらけのクローゼットを力ずくで開けると、中から壮年の男の死体が転がり落ちてきた。鉤鼻の男は手のひらの上で操作し、浮かび上がった人間の頭部のホログラムと死体の顔を見比べ、ヴァイゼッカー人事局長に間違いないことを確認した。

 

 鉤鼻の男の手振りで全てを察したテロリストの一人が斧を携えて近づいた。装甲擲弾兵が白兵戦に用いている珪素クリスタル製のトマホークと同じものである。そのテロリストはヴァイゼッカーの死体の首の部分にめがけて何度も斧を振り下ろした。古来より、人が間違いなく死んでいると証明するにはその人物の頭部と胴体を切り離すのが一番なのである。ゴールデンバウム王朝でギロチンという処刑スタイルが復活したのは、なにも特権階級に蔓延していた懐古趣味によるものばかりではないのである。

 

「終わったぞ!」

「んじゃ、その首を袋に詰めろ。ザシャさんと合流するぞ」

「りょーかい!」

 

 そんな軽い掛け合いが終わるとテロリストたちは足早にリード宅を後にした。リード家の内部にあった家具はあらかた破壊し尽くされており、その中に血だらけの死体がふたつと首なし死体がひとつ転がっていた。ほんの一〇分前まで、ここには家族団欒の光景があったのだとこの光景から推測できるものは、はたしているのであろうか?

 

 共和主義系テロリストが次々に総督府高官が潜伏している憲兵一家を襲撃していたが、それらは完全に達成されなかった。潜伏しているはずのいくつかの家屋が無人状態だったからであり、情報が間違っていたか、なんらかの不穏を感じて場所を移動したものと思われた。特に総督であるジルバーバウアーの首をとれなかったことを彼らは地団駄を踏んで悔しがったが、ザシャは時間的余裕を考慮して総督の捜索を断念した。ともかくも標的の約半数の首を入手できたので、とりあえずはそれでよしとしたのである。彼らはこれから残存兵力を集め、放送局を占拠し、銀河に自分たちの戦功を誇らなくてはならなかったのだ。

 

 そこから数百メートル離れた地点では、憲兵司令官ツァイサー中将が顔を真っ赤にして、信じて送り出した憲兵たちを睨みつけていた。総督を警護し、総督府まで連れてくるよう命じたはずなのに、自分が警察支部へ赴くとなぜか警察と銃撃戦を展開していたのだから、ツァイサーが激怒するのも当然であった。共和主義者どもとならまだわかるが、なぜ味方であるはずの警察と敵対しているのだ! 必死の思いで反撃する憲兵たちを宥め、警察の追撃を振り切ったあと、その激情でツァイサーは胸がいっぱいだった。

 

 それでもこの不愉快な状況を理解しないことにはどうにもならんとツァイサーはなんとか激情を押さえ込んで部下から話を聞いた。総督と面会させないので、警察と憲兵の間で言い争いから発展して殺気をぶつけあう睨みあいとなって少ししたあと、突然へルドルフ警視長が倒れ、警官隊がこちらに銃撃してきたという。そして指揮官のリヴォフ憲兵中佐が激痛に喘ぎながら反撃を命令したというのである。

 

 いささか血の気が多かったリヴォフ中佐に任せたのは間違った判断だったかもしれぬとツァイサーは悔やんだが、その状況では誰に任せたところで末端が勝手に反撃するだろう。それにいまさら無意味な仮定であると開き直った。というより、すでに起きてしまったことを悔やむより、これからどう動くべきか考えなくてはならないのである。

 

 まずは警察にどうにかして事情を説明すべきだとツァイサーは判断した。へルドルフが倒れたのが、第三者による策謀によるものであれば、現在の状況から推測するに、それは共和主義者の手による可能性が高い。この惑星内の治安部隊を互いに衝突させるぶん、共和主義者にかかる圧力が減るのだから。その可能性を説き、警察との戦闘状態を収拾せねばならない。とはいえ、元より嫌悪をぶつけ合う対立相手の警察が簡単にこちらの言い分を聞いてくれるとは思えない。まして、今回の場合は人死まで出ているのだ。だが、それでもやらねばなるまい。

 

 そう決意したツァイサーは警察に過度の警戒を招かないよう、単身で警察支部に赴いて警官たちを説得してくると信頼できるまわりの部下たちに告げた。危険だと引き止めるものが多かったが、現状が手詰まり状態である以上、それ以外に活路はないというツァイサーの言葉を誰も否定できず、しばし沈黙に包まれた。異論はないとツァイサーが警察支部へと足を進めようとした、まさにその瞬間、街頭に設置されている巨大モニターTVの外出禁止を繰り返す緊急放送が唐突に途切れた。

 

 さすがに不審に思ってツァイサーは立ち止まり、巨大モニターTVを見る。まわりの憲兵も同じであった。画面に浮かび上がってきたのは、禿げあがった頭部とでかい鼻、そして分厚い眼鏡をかけているのが特徴的な中年男の顔で、アルデバラン総督エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーその人であった。

 

 ジルバーバウアーを警護しながら警察支部から移動した警官たちは、放送局には多くの共和主義者ないしは、それと協力関係にあるツァイサー派の憲兵との激戦を予想していたのだが、拍子抜けすることに放送局には武器を持った人間が一人もおらず、放送員はツァイサーから外出禁止の放送を流すよう要請されただけであったので思いの外、スムーズに放送局を掌握したのであった。彼らはまったく想定していなかったが、ザシャたちの共和主義グループからすれば前もって放送局を確保するほど人員に余裕がなかったし、ツァイサーも主観的には憲兵司令官として最善を尽くしているつもりだったので、放送局なんて眼中になかったのであった。

 

「夜分遅くに失礼する。現在、不逞な共和主義者どもが秩序の破壊を目論み、市外各所にて無辜の臣民を巻き添えにするテロを起こしている。このような暴挙を、皇帝陛下は決してお許しにはならぬし、その代理人たる総督の私も同じである。この惑星の地表から不逞な共和主義者どもを一掃し、夜が明けるまでに秩序を回復することを私はテオリアの民に約束する。総督として命じる。惑星内の全警察・全憲兵は市街で暴れまわるテロリストを一人残らず拘束せよ。それが難しい場合はその場で射殺してよい」

「んな……!」

 

 ツァイサーは口を開けて驚愕した。なんて命令を出すのか。憲兵隊に共和主義が蔓延していることを総督閣下はご存知ではないのか。そんな命令を出しては、憲兵隊内に潜んでいる共和主義者たちが暴れてしまう。そうなれば、憲兵隊への民衆の信頼は地に堕ちてしまうだろう。顔を土気色にして不安がったが、もっと身近な危機がツァイサーの足元に忍び寄りつつあった。

 

「また管区憲兵司令官セバスティアン・フォン・ツァイサー中将に不審の動きあり。警備強化の総督命令を無視したばかりか、ツァイサーの命を受けた憲兵部隊が警察支部を襲撃し、少なからぬ殉職者を出す事態となってしまった。その動きからツァイサー中将が、共和主義に傾倒ないしは共和主義者どもと協力関係にあるという疑惑が浮上した。よって総督権限により、一四日一六時以降のツァイサー憲兵中将の命令をすべて撤回する。惑星内の全憲兵部隊はすぐに都市部に急行し、警察支部の指揮下に入ることを命じる。そしてツァイサー憲兵司令官を政治犯・服務義務違反などの容疑により、拘束するよう全警察・全憲兵に命じる。拘束が難しいようであれば、その場で射殺してもよい。共和主義なる危険思想に汚染されたテロリストどもと同じように処置するべし!」

 

 その放送を聴き終えたツァイサーは信じられずしばし呆然とし、ついで激しく憤った。自分が共和主義に傾倒? 共和主義者と協力関係? 共和主義者と同じように処置すべし? ふざけるな! 自分がどれほど共和主義などという絶対悪を憎み、共和主義者を抹殺してきたか、総督は知らないとでも言うのであろうか?! もし共和主義に転向しなければ殺すと脅されたとしても、迷うことなく殺されることを選ぶほど共和主義を憎んでいるというのに!!

 

 その憤りは当然のものであったが、激しすぎた故に現在がどういう状況にあるのかツァイサーの思考は遅れた。彼が率いているのは共和主義なる危険思想に汚染されている心配がない立派な憲兵である。すなわち、上の命令には忠実で、共和主義を人類社会を破壊する病理、絶対悪と信じて疑わない憲兵たちである。そんな彼らがこの状況でどのような行動をとるのか、うかつにもツァイサーは思考がまわらなかった。

 

 ツァイサーが身を焼き尽くすような怒りを感じながらも、まわりに意識を向けられるまでに理性が回復してくると、まわりの憲兵たちが自分に銃を突きつけていることに気づいた。幾人かは自分に銃を向けている者達に銃を向けて牽制しているが、そちらは圧倒的に少数派である。

 

「……なんのまねだ?」

 

 自分で出した声にまったくといっていいほど感情がこもっていないに、ツァイサーは驚いたが、そもそも自分が抱いている今の感情をなんと表現すればよいのか彼自身わからなかったので、恐ろしく平坦な口調になってしまったのは当然であったのかもしれない。

 

「なんのまねだと? それはこちらのセリフだ! どういうことなんだ!? あんたが共和主義者って!!」

 

 ツァイサーに銃を突きつけている憲兵将校の一人が代表して叫んだ。いつも政治犯・思想犯摘発の第一線にあって、手慣れた調子で政治犯に効率的な拷問を行って自白を引き出し、数え切れぬ地下組織を壊滅させる辣腕をふるっていた、自分とほぼ同い年のヴィースラー憲兵大尉であるとツァイサーの記憶が告げていた。

 

「先ほどの放送でそのようなことを言われていたが、総督閣下はなにか誤解しておられる。私が共和主義者なわけないではないか。もう何十年もやつらを相手に帝国の秩序を守ってきたのだぞ。そのことは卿らも皆、知っていよう」

 

 特に臆した様子を見せずにツァイサーは銃を突きつける憲兵たちにそう言った。ツァイサーが憲兵中将の地位にある理由は貴族階級出身だからという事情もあったが、それでも憲兵としての優秀な仕事ぶりが軍務省に評価されてのことであるというのはここにいる憲兵たちは全員知っている。

 

 しかしそのことを承知の上で彼らはツァイサーを疑っているのである。先ほどまで共和主義者の脅威に思い、ツァイサーの命令に従っていた。しかし冷静に今現在の自分たちの状況を振り返ってみるとやったことと言えば総督命令の無視と警察との銃撃戦のみであり、共和主義者どもに利することしかしていない。つまり、ツァイサーが共和主義者どもと結託していたと言われたら、それなりに辻褄があってしまうのである。

 

 ヴィースラー大尉は震える声で、しかし強固な意志をこもらせた声で問いかけた。

 

「共和主義者じゃないとしてもだ中将閣下。あんたは爵付きの貴族さまだ。ローエングラム公の改革によって領地返上の憂き目にあったらしいじゃないですか。つまり、現状に不満を感じていてもおかしくない立場ということではないか」

「馬鹿なことを。私は領地運営に興味がなかったから、領地を失ったことに文句などひとつもない。それに仮にそのことでローエングラム公をお恨みもうしあげていたとしても、貴族を否定する共和主義者どもと手を組んでは本末転倒であろうが」

「わかるものか! 共和主義を標榜して自由惑星同盟を僭称して銀河帝国に仇なす万古の逆賊どもが、門閥貴族残党勢力の銀河帝国正統政府と手を組むようなわけのわからぬご時世だ! ローエングラム公憎しのあまり、それに倣ったのではないのか!?」

「あのような愚か者どもと私を同類扱いするか!」

 

 ツァイサーは怒りもあらわに叫んだが、いまいち説得力に欠けているのは否めない。正統政府の首相を務めているヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵とて、ほんの数年前までは優秀な国務省の官僚として、フェザーン駐在高等弁務官として、たしかな実績と名声を持っていた人物ではないか。ツァイサーもレムシャイド伯と同じように、おかしくなっていないなどとどうして信じられる?

 

 後世のある歴史家に曰く「ラインハルト・フォン・ローエングラムの時代とは、腐敗し停滞していた人類社会をひとりの天才が豪腕によって前進させた玉座の革命家の時代」である。いささかラインハルトを持ち上げすぎであるが、この評は正しい。彼の時代に実施された改革の多くが人類社会を良い方向に推し進め、国家の繁栄と人民の幸福を追求するものであったことは疑いない。だが、それは同時に「これまではそうだった」という経験則が信頼できない時代であったということでもあるのだ。

 

 ゴールデンバウム体制は少数の特権階級が大多数の平民や農奴から搾取することによって成り立つ不公正な社会体制であったから、ローエングラム体制が開明的な方針を打ち出し、急進的な改革を立て続けに実施しても、大多数の平民は自分たち未来の可能性が飛躍的に広がったことに歓喜したし、実力主義も標榜していたので、貴族階級でも優秀で柔軟な思考を持ち、なおかつゴールデンバウム王朝の権威を気にしないものであれば高い地位を手にいれることも不可能ではなかった。現時点においてはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフや、開明派のオイゲン・リヒターやカール・ブラッケが代表例としてあげることができる。

 

 だがいくら不公正な社会体制ではあったとはいえ、ゴールデンバウム体制は搾取する側と搾取される側とに完璧に二分できるような体制ではなかったのだ。その中間層とでもいうべき平民たちがいたのである。軍隊や官僚組織で相応の地位を築き、あるいは有力貴族に奉仕することによって、一般臣民以上の生活を保障されていた階層の者達が。ある意味において、その階層の者たちは貴族階級と並んでゴールデンバウム体制を五〇〇年間に渡って支えてきた要素である、と言えなくもないのである。そしてツァイサーが信頼した憲兵たちはその階層出身の者達が多数をしめる。

 

 ローエングラム体制はゴールデンバウム体制時代に明文化されていた法律に背反していない限り、彼らに対しても寛大な姿勢をとった。ひとつにはローエングラム元帥府に所属していた将星のほとんどがその階層出身であったからだが、ある意味貴族以上に、彼らは簡単には変われない存在であった。彼らは出身によらず、実力でその地位を獲得したのだ。それだけに経験によって築いたはっきりとした価値観を有しているし、払ってきた努力によって育んだ矜持や信念もそなえている。そしてなにより、そのために長年に渡り自らの血と涙を流し、敵の血と涙を流させてきた者達なのだから。ツァイサーら古参憲兵たちにしても同様である。

 

 その彼らからすると、今の時代は本当にわけのわからない時代でしかない。なにせ世の中の善悪正邪の定義が凄まじい勢いで書き換えられているようなものだからである。もしや悪人がそこら中に溢れる世の中でも帝国政府が築こうとしているのではないかと勘ぐり、燃え盛る正義感の命ずるところ、上層部を諌めるために反抗――大多数の平民からすれば暴挙でしかないが――する動きもあったのだが、やった者は降格処分されたし、法を逸脱してやらかした者は物理的に首を飛ばされたりしたので、早々に沈静化した。めぐるましく変わっていく帝国の現状に不満はあったが、彼らはゴールデンバウム体制で権力者の道具たる立場にあったから上の命令に従うは当然のことであったし、強者に従うはルドルフ大帝の御代より続く帝国の伝統であって反抗など論外という風潮もあったからである。だからツァイサーたちは合法的に認められる範囲内で、自分たちの価値観を貫く方向に舵をきっていたのである。

 

「……とにかくも、私を拘束するよう総督命令が出ている以上、卿らはそれに従うべきであろう。正直、言いたいことが山ほどあるが、言い争っていられる状況でもあるまいし、な」

 

 殺伐とした空気の中、ツァイサーは疲れ切った態度でそう言った。事実、これ以上事態を拗らせたら、共和主義者たちが勝利の凱歌を歌うという醜悪な結末しか待っていない。それだけはなんとしても避けねばならぬ。たとえ軍法会議にかけられたとしても、自分は恥じるべきことはなにひとつしていなのだから、堂々と自論を主張し、裁判官を説得して無罪判決を勝ち取ればいい。そう考えた。

 

 ツァイサーが両手を差し出し、自分に手錠をかけるよう促したので、他の憲兵たちはツァイサーを疑い銃を向けていた者も、逆にツァイサーを信じて彼を庇っていた者達も、互いに警戒をとかずにゆっくりと銃をおろした。そして憲兵将校の一人が手錠を取り出し、ツァイサーを拘束した。

 

 そしてジルバーバウアー総督がいるであろう惑星放送局に向かって憲兵たちが移動している最中、憲兵一等兵が上官に命じられてある報告をするために走ってきた。その憲兵兵長の表情がみごとに青ざめていたので、だれもが凶報であることを察したが、全速力で走ってきたことに加え、緊張していることもあって、憲兵兵長の言葉は非常に聞き取りずらいものであったので、皆を苛立たせた。

 

 ヴィースラー大尉がその一等兵を落ち着かせ、落ち着いて報告するように言い聞かせた。そして一等兵の息も絶え絶えで、か細い声を聞き取り、その意味を理解するとヴィースラー大尉の表情は一変し、その一秒後には腰のブラスターを引き抜いて、ツァイサーを銃撃していた。

 

「大尉! 貴様、何のつもりだ?!」

 

 腹部を撃ち抜かれたツァイサー中将の体を支えつつ、ツァイサーを信じていた憲兵の一人である少佐がヴィースラー大尉の行動の意図を問うた。

 

「われわれが総督府高官を匿わせた一家はすべて襲われた」

「……なに?」

「しかも共和主義者どもはほぼ同時に襲撃をかけたとのこと。つまり共和主義者どもは事前にそれを知っていたとしか考えられません」

「……内通者がいたと?」

「その通り。そしてその内通者はおそらく……」

 

 どこに匿わせたか、指示を出していたのはツァイサーである。そしてその全容を知っているのはツァイサーが特に信頼できると認めた数人のみである。つまり、その中に内通者がいるかもしれないが、命令した者がその情報を共和主義者にリークしていたというほうが、先ほどの放送の件もあって合理的ではないのか。多くの憲兵はそう思った。憲兵少佐もそうだったようで、ツァイサーの体を支えるのをやめて距離をとった。

 

 いっぽう、完全に見捨てられた形となったツァイサーは地面に転がり、腹部の激痛に苦しめられていたが、あまり問題がなかった。いったいなぜ、自分が共和主義者などと罵倒され、手錠をかけられ、挙句、このような目にあう屈辱を負わされているのか。その理不尽と不条理に対する怒りで頭がどうにかなりそうで、肉体から感じられる痛みなどほぼ感じていなかったからである。

 

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。憤怒と憎悪と屈辱と侮蔑の感情によって支配された偏見に満ちた思考によって導き出された結論をツァイサーは強く信じた。そもそも共和主義とかいう人類に最悪しかもたらさぬ危険思想を広めることを赦したのはだれか。危険思想を根絶するために必要不可欠な措置を禁じたのはいったいだれか。すべては専制国家の重責にありながら、専制政治体制を揺るがそうとする愚か者に責任がある!

 

「金髪の……こぞうめぇ……!」

 

 血の泡を吐きながら零れた恨み言は、若い華麗な独裁者に対する蔑称で平凡なものであったが、発言者にそう言わせた激情は決して平凡なものではなかった。彼は良き軍人であり、良き憲兵であった。遵法精神に富み、帝政と秩序とを守ることに人生の価値を見出す秩序の番人であった。だからどれだけ不満があろうとも、秩序を優先し、権力者に対する不満を口に出したことなどこれまで一度としてなかった。その彼が不満を口に出したのだから、どれだけの不満と怒りを溜め込んでいたのか、察せられるというものであろう。

 

 だが、それはまわりの憲兵たちには伝わらず、別の解釈で受け取った。旧体制の感覚から抜け出せていない彼らにとって、現在の権力者批判は赦されざることである。まして帝国宰相兼帝国軍最高司令官に対する批判なぞ言語道断であった。そんな犯罪行為ができるのは、叛逆者か思想犯に違いなかった。

 

 もはや生かしておく理由を見つけることは不可能だ。そういう古参憲兵の空気を敏感に感じ取ったヴィースラー大尉は六回ブラスターの引金を引き、憲兵中将の頭部と胴体に数本の小さな穴を貫通させた。そして何度か銃でつついて死んでいることを確認し、他の憲兵たちと顔を見合わせると足早にその場を去った。自分が悪い訳ではない筈だが、なぜか気まずさを感じずにはいられなかったのである。

 

 こうして旧体制時代、規則を遵守し、上からも下からも高く評価されていたツァイサー中将は死んだ。彼が愛した憲兵隊に、彼が絶対悪として憎んだ共和主義者であると誤解され、処刑されたのである。理不尽な新時代とそれを齎した独裁者に暗黒色の激情を抱きながら……。


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