リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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マハトエアグライフング④

「いまでもあの日のことを鮮明に覚えています。危険だから外出禁止と壊れたように繰り返す立体TV。外から聞こえてくる怒鳴り声と悲鳴。そして断続的な爆発音。まだ九歳だった私にも、外では恐ろしいことが起こっているとわかりました。不安と恐怖で震えがとまりませんでした。だから父が外の様子を見てくると言ったとき、父がどこか遠い場所にいなくなってしまうと思い、泣き叫んで止めました。でも父はやわらかに微笑み、私を抱きしめ、ちょっと家の周りを散歩するだけさ。戦場帰りの父さんを信じなさいと優しく耳元で囁き、外の様子を見に行ってしまいました。

……でも、やっぱり、どれだけ待っても父は家に帰ってきませんでした」

――混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件当時、テオリアに住んでいた少女の証言。

 

 

 

 警官隊と過激な共和主義者の群れは市街の各場所で銃撃戦を展開していた。いっぽうはテロリストから街と住民を守るため、もういっぽうは共和主義の灯火が消えていないことを銀河に示すため。どちらも引くことができない激闘であった。

 

畜生(シャイセ)! 押されている! なんとしても押し戻すのだ!」

 

 この防衛線部隊の指揮をとっている警部補がそう言って押されている部下たちを叱咤激励していたが、敵の勢いはすさまじいもので、とても止められるものではなかった。蜂起した共和主義系テロリストたちはここで結果を残さねばあとがないと確信しており、それだけに戦闘意欲が旺盛だった。

 

 また兵力的な差もあった。なにがあっても駐屯地から動くなという憲兵司令官の命令があるので、憲兵たちはいまだ各駐屯地で新しい命令はまだかと苛立ちを感じながら待機している。なのでテロリスト相手に市街戦を演じているのは、警察と命令無視した極少数の憲兵のみであった。

 

「憲兵のやつらは、いったいどこでなにを遊んでいるんだ?! いつも偉ぶってるくせに、いざという時に役に立たないクソどもが!」

 

 物陰に隠れながらテロリストと銃撃の応酬をしているライス巡査が、怒りも露わに叫ぶ。今現在戦っている警官たちは、ツァイサー以下古参憲兵の心理状態や、それに基づく憲兵への待機命令など知らないし、推測のしようもない。なので普段の憲兵と警察の対立意識もあって、そういった罵声が口から零れたのである。

 

「嫌々徴兵されて治安を守ってる連中だからな。街を守ろうって気概がねぇのさ」

 

 上官の巡査長が冷ややかにそう言った。これは一面の事実ではある。憲兵隊は帝国軍の一部門であり、多くの兵卒や一部の下士官は強制的に軍務省によって徴兵された兵士である。いっぽう警察は志願制であるから、嫌々警察官になったというのは、特殊な事情でもない限り、存在しない。ゆえに警察の方が憲兵より街の治安に責任感を持っているのだという自負が警察にはあり、こういった精神的な要素も憲兵隊と警察が対立する要因のひとつであった。

 

 バリケード代わりに乗り捨てられた地上車の影に隠れつつ、じりじりと後退しながらも防衛を続けていると、巡査長の耳がある奇妙な音声をとらえた。そしてそれがなんなのか頭脳が理解した時、それが信じられず、巡査長の口から小さなつぶやきがこぼれた。

 

「正気か?! 連中、戦闘中に歌ってやがる……」

 

 その愕然とした呻きを聞いて、すぐ近くにいたライス巡査は耳を澄ませた。たしかに怒号と悲鳴に紛れて雄々しい歌声が大気を震わせていた。

 

「天上の救世者を求めず、神も皇帝も求めない。

我らは自由を手に入れる。己の力で鉄鎖を断ち切るのだ。

起て! 呪われしものたちよ! 飢えたるものたちよ!

圧政者が奪いしものを取り戻し、すべてを享有するのだ。

皆が共に立ち上がれば、勝利は我らのもの!」

 

 多くの帝国人が知らない歌であり、フェザーン人や同盟人でも歴史によほどの興味がないと知っていないだろうが、それははるか昔、人類がまだ小さなひとつの惑星のみを生存圏としていた時代に誕生し、地上のあらゆる場所で熱唱された革命歌である。偉大な誰かに率いられるのではなく、自らの力で自由を手に入れるのだという趣旨の歌詞が、現在テオリアを襲撃している共和主義地下組織の構成員たちのロマンチシズムを大いに刺激し、いつしか士気向上のためによく口ずさむ歌となっていた。

 

 ライス巡査はその歌詞の意味をほとんど理解できなかったが、虐げられた者達が結集して圧政者を打倒を目指す意味の歌なのだと解釈した。しかしそれならそれで理解に苦しむことである。虐げられた者達とはとどのつまり、貧しい下級貴族家として一般的な平民以下の暮らししかできなかったと伝え聞くローエングラム公とその旗を仰いでいる、大貴族の支配下で虐げられていた自分たちのことに他ならない。なのになぜ、そんな歌を歌う連中が自分たちと敵対するのか。

 

 しかしその疑問を考える時間は、ライス巡査に与えられなかった。少しづつしか前進できていない状況にしびれをきらした数人のテロリストがハンド・キャノンを持ち出してきて、警察の防衛線の一部を文字通り吹き飛ばしたからである。爆風で態勢をくずしてうつむけに倒れたライス巡査の胴体を、遠方からの光線が貫いた。

 

「おおし! なんとか突破したぞ! 俺たちが総督府に一番乗りするんだ!」

 

 ライス巡査の死体を踏みつけながら、指揮官の青年は叫んだが、まわりの反応は冷静だった。

 

「いや、でもジャンさん。ほかの部隊の突破を支援するために、警官隊に後方から殴りかかったほうがいいんじゃないですか」

「うーん。たしかにそうだが、俺たちにとって時間は敵だろ? ならさっさと総督府に乗り込んだほうが……」

「本当にジャンはせっかちなんだから! 総督府の防備はもっと硬いはずよ。みんなと協力したほうが確実だわ」

「あー、うん。イルゼの言う通りだ。すまん」

「本当にジャンさんは嫁さんに弱いですねぇ」

「うっせぇ! あとで絶対にしばくぞホルガー!!」

「そうよホルガー、私たちまだ結婚してないのよ」

「……いや、それはちょっとずれてないかイルゼよ」

 

 この部隊の指揮官はジャンと呼ばれている青年なのだが、何も知らない一般人がこの光景を見たら、とてもそうとは思えないほど部下から舐めた口をきかれていると判断し、なさけない指揮官であると評価するであろう。しかしこんな珍妙なことになっているのはジャン個人の資質の問題ではなく、むしろ組織の気風によるものであった。

 

 きっかけは彼らの地下組織が拡大していく過程において、構成員間の不公平意識が強まってきたことにある。銀河帝国は身分社会であり、それぞれの身分や境遇で受けられる教育が異なっている。高等教育を受けていない者が、受けた者より優秀であることは稀であるため、必然的に幹部クラスは元貴族や上流階級の平民が多数派となり、それによって生じた不満は身分差別に発展しかねない。その状態で革命に成功しても帝政時代となにも変わらないことになるのではないか、上層部はそれを危惧し始めた。

 

 そのときの指導者であり、現在は憲兵隊に逮捕されて政治犯収容所にいる男は、ものすごい突飛な解決法を編み出した。すなわち「敬語を禁止し、タメ口を推奨する」である。たがいに遠慮しない口調で話し合うことによって、構成員の身分意識の軽減を狙ったのである。また彼らが目指す民主共和政体には指揮系統的な意味での上下関係はあっても、身分による上下はないということを示す点でも好都合というのが指導者の見解だった。幹部たちはそんなことでどうにかなる問題なのかと疑問に思ったが、とりあえず試してみようという指導者の言葉を否定する理由もなかったので、その案は消極的にだが幹部会で可決された。

 

 この珍妙な解決法は、過程において様々な問題が噴出したものの、最終的にはなぜか大成功した。地下組織の構成員たちはすべての人間は平等であるという認識を共有し、立場の上下に関係なくタメ口を使うようになったのである。この成功に上層部は大満足し、さらにこれを加速させるため、貴族家出身者は家名で元の身分がわかってしまうので「ファースト・ネームで呼び合うこと」やタメ口に卿なんて二人称はどう考えてもおかしいので「仲間内の丁寧な二人称は同志」ということも規則として設けられた。こうして同盟人の目から見ても異様に見える、そんな独特な組織文化を構築したのである。

 

「いくぞ同志諸君!」

「この流れからかっこつけるのは、かなり無理があると思う」

「私もそう思うわ」

「おまえらひでぇよ!」

 

 余談だが、こうした共和主義の理念を上層部が独自解釈したゆえに誕生した地下組織の文化は、やっぱり共和主義者って帝国政府の言う通り野蛮な連中なのだなという保守層の帝国人の認識をより強くさせるという副作用があったりしたのだが、もともと彼らは帝政を絶対視する保守層の支持や協力なんて期待していなかったので、大した問題にはならなかったようである。

 

 このように自由を欲する者達が派手に暴れて官憲の注目を集めているいっぽう、それに隠れて目立たずに動いている者達がいた。前者と後者の目的はある意味では似通っていた。ローエングラム体制を容認できないということと、歴史の流れを逆流させようと目論んでいるという点において彼らの目的は共通していたからである。しかし前者は時計の針を五〇〇年前まで戻そうとしているのに対し、後者はほんの数年前に戻そうとしている点において致命的に異なった。

 

 テオ・ラーセンたちの旧体制の残党は救急車に乗って堂々と移動していた。これは病院に潜り込んでいた秘密組織の構成員が騒ぎに乗じて盗み出したものである。その盗人たちは、ラーセンたちと落ち合った後、救急車を譲り渡し、両手両足を手錠で拘束されて道端に転がされている。表向きは救急車に乗って移動していたところをラーセンたちに襲われ、救急車を奪われたということになっているのであった。

 

 彼らの襲撃目標は、共和主義者たちのような総督府の高官ではない。そこを襲撃する理由も政治的なものではなかった。彼らのような旧体制の残党をまとめあげて組織化した当初から運営者の頭を悩ませていた問題を解決するためであった。すなわち襲撃目標は銀行・宝石店など金目のものがある場所であり、襲撃理由は組織を運営する上で致命的な問題であった資金不足の解決であった。

 

 テオリアは一億の人口を誇る大都市惑星である。当然、銀行の金庫に眠っている現金の額は膨大なものだろうし、上流階級向けの宝石店にも一級品が揃っているだろう。犯罪だという点を気にしないのであれば、こういった場所を襲撃し、金品を強奪することは、なるほど効率的な資金調達方法と言えるだろう。

 

 真夜中なので締め切ってあるテオリアの中央銀行に数台の救急車で乗りつけたラーセンたちは、扉を斧で粉砕してこじ開け、土足で銀行のロビーを踏み込んだ。早朝から職務があるために銀行で寝泊まりしていた者達は、外から聞こえてくる爆発音や悲鳴ですでに目を覚ましていて、やってきた襲撃者たちに怯えて身を隠したが、襲撃者たちが銀行内を捜索してほとんどの人間はロビーに集められた。

 

「やむを得ぬことであったとはいえ、突然銀行を襲撃をしたことについて詫びよう。われわれは銀河帝国とゴールデンバウム王朝の将来を憂う愛国者である。諸君らに対し、可能な限り、紳士的に対応したいと思っている」

 

 ロビーに集められた三十余名の職員たちの不安をやわらげるような口調でいけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけたラーセンの右手には、ブラスターがしっかりと握られていた。

 

「諸君らも知ってのことと思うが、近頃、ラインハルト・フォン・ローエングラムとかいう君側の奸がいまだ幼少の身であらせられる皇帝陛下を惑わし、国政を壟断し、悪政を敷いている。われらはこれを除くために行動している者達なのだ。万難を排してこれを成し遂げるつもりだが、しかし活動資金が足らぬのだ。よって諸君らから帝国への忠誠として、資金援助をしてもらいたい」

 

 これに反発した若い職員が感情的に反発した。

 

「ローエングラム公が悪政を敷いているというが、昔と比べて遥かに公正な善政を敷いている。なにをもって悪政を敷いていると言い切れるのか」

 

 挑発的な反論だったので、他の職員たちは旧体制残党の怒りを買ってしまうのではないかと思い、惨劇の未来を予想して不安を抱いたが、その予想を完全に裏切り、ラーセンは穏やかな声のまま平然と反論をしてきた。

 

「どこからどう見ても悪政だろう。むしろ、どこが昔と比べて善政であるのか逆に聞きたいのだが」

 

 若い職員は戸惑った。そんな言葉がかえってくるとはまったく想像していなかったのである。

 

「……え、えーと。公正な法律が制定されて、俺たち平民を弾圧してた秘密警察とかがなくなったじゃないか」

「公正な法律? 帝国を支える貴族階級を根絶させるなど、国家を崩壊へと導く愚策にしか思えないが。それに秘密警察というのは、社会秩序維持局のことか? あれは秩序を破壊しようと企んでいる危険分子の排除が仕事だ。後ろ暗いことをしていない者を逮捕したりすることはないぞ」

 

 ラーセンは心底不思議そうに首を傾げる。その素っ頓狂な態度が若い職員の怒りを掻き立てた。

 

「ふ、ふざけるな! 帝国を支える貴族階級? ただ俺たち平民を虐げてただけじゃないか! 社会秩序維持局だってそうだ。俺の父親はな、ちょっと貴族の悪口言っただけで拷問にかけられたんだぞ!」

「なにを言っている? 貴族が平民を虐げるわけがないだろう。選ばれた優秀な遺伝子を持つ貴族の支配下にある平民は皆、幸せに暮らしていた。その恩を忘れて貴族を罵倒したというなら、貴様の父は殺されて当然ではないか。なのにその程度ですませてくれたのだから、むしろ貴様は貴族の慈悲深さに感謝してしかるべきだろうに」

「な、なに……?」

 

 あまりに無茶苦茶な主張に、若い職員は本気で言っているのかと言い返しかけたが、灰銀髪の男は至極当然のことを言っているという態度だったので、信じられなかった。それでも若い職員は、震える声で、ラインハルトの独裁体制が民衆に支持される大きなきっかけになった、大貴族の暴虐の象徴的な事件を口に出した。

 

「ヴェ、ヴェスターラント二〇〇万の住民を虐殺したブラウンシュヴァイク公の所業を知ったうえで、そんなことが言えるのか……?」

「ヴェスターラントの住民は暴動を起こし、あろうことか領主のシャイド男爵を弑逆したのだろう? つまりは秩序の破壊を目論む危険分子どもだ。それも、やらかした所業からして数ある危険分子の中でも最悪の類、とびぬけて悪性が強く感染力も強いタイプの癌細胞のような連中ではないか。健全な他組織に影響を及ぼす前に排除せねばならぬ。だから早急に手を打ったブラウンシュヴァイク公の行動は人類社会を病理から救う上で賞賛されてしかるべき英断ではないか。そんなブラウンシュヴァイク公の一族すらも粛清したからこそ、私はいまの体制が悪政を敷いていると断言できるのだ。貴様、少々、金髪の孺子を讃えるプロパガンダに洗脳されすぎではないのか」

「……あ、……ああ」

 

 若い職員は何度か口を開いてなにか言いかけたが、結局、それ以上言い返せなかった。相手の主張に反論できないからではなく、あまりの価値観の違いに恐怖を覚えたためであった。狂信的にそのようなことを主張するのなら、まだ理解できた。あるいはひたすら高圧的でこちらの言葉など聞かずに一方的に主張してくるのであれば、まだ理解できた。しかしラーセンは違う。

 

 ラーセンの態度も高圧的なものも狂信的なところも感じ取れず、それどころか理知的な姿勢をとって、こちらの言葉にも耳を傾けている。傾けているのに、価値観が違いすぎて自分が言ってることを理解しないのだ。彼は当たり前のように異常な主張を正しいと信じていて、それを理解できない自分の方を洗脳されているのではないかと本気で心配してくるのである。

 

 目の前の人間は本当に自分と同じ人間なのか。子供向けの娯楽作品にでてくるような醜悪なエイリアンが人に化けているのであると言われたら、無条件で信じることができそうな異常さだ。若い職員は言葉の無力さを感じ、閉口してしまったのだ。なにかおぞましいものを踏みつけてしまったような気分であった。

 

 黙り込んだ若い職員を見て、ラーセンは彼が納得したのだと思い込み、他の職員たちにも視線をやって、全員が青い顔をしているので、やっぱり銀行なんて場所で仕事をしていると顔が血色が悪くなるのかと、かなりズレたことを心中で呟いた。じつは職員だけではなく、ハイデリヒや他の多くの部下たちもドン引きして顔を青くしていたのだが、ラーセンはそれに気づかなかった。もっとも、気づいたとしても、自分が原因とは露ほども考えなかったであろうが。

 

「さて、われらが祖国をどれだけ憂いてるのか、理解してくれたと思う。それで銀行の金庫をあけてもらえないのだろうか」

 

 職員の中で一番年上であろう初老の男性に、ラーセンは語りかけた。

 

「断る! お前のような異常者――」

 

 それ以上の言葉は続かなかった。喋っている途中でラーセンがその初老の男性を射殺したからである。周りから悲鳴をあげ、幾人かは発して逃げようとしたが、他の者達に取り押さえられてロビーへと引きずり戻された。ラーセンは次の対象を定め、同じ質問をした。

 

「金庫をあけてもらえないのだろうか」

「ま、待ってくれ、殺さな――」

「うるさい。帝国人なら、“はい(ヤー)”か“いいえ(ナイン)”で答えろ」

 

 ラーセンはそう吐き捨てて同じように射殺した。他の職員たちは震えあがった。はいかいいえで答えろというが、いいえと答えたらどうなるか、最初に問いかけた人物がどうなったかが雄弁に物語っている。つまり、はいと言って協力しないと死という結末しか待っていない。

 

「金庫をあけてもらえないのだろうか」

 

 三人目に問いかけられた赤毛の職員は激しく苦悩した。命惜しさに協力すべきか、職務精神を優先させて殺されるべきか。個人的な心情としては後者を選びたいが、自分のあとにまた同じ問いを投げられるであろう職員がまだまだいる。自分が死んだあと、多くの同僚が殺され、恐怖心故に彼らの要求を受け入れたら、自分は無駄死にである。それだけは絶対に避けたい。

 

「……早く答えてくれないか。こっちも時間があるんだ」

「ヤ、はい(ヤー)!」

 

 無口で黙り込んでいる赤毛の職員だけに関わって時間を無駄にしたくなかったラーセンがブラスターを持った右手を動かしはじめたので、赤毛の職員は反射的にそう叫んでしまった。ラーセンは満面の笑みを浮かべながら赤毛の職員を抱擁した。

 

「そうか。金庫をあけてくれるか。きみこそ、帝国臣民の鑑だ」

 

 背中をたたかれ、耳元でそんなことを言われながら、赤毛の職員はどうしたらいいと必死で頭を回転させていた。金庫を開けて強盗の手伝いをするなんて屈辱だ。それにここの金庫の金がまるごと強奪されたら、大金失った穴を埋めるべく銀行は経営を継続させるために人件費の削減をするだろう。となれば、それに協力した自分は真っ先に解雇されかねない。それならいっそ殺された方がよかったのではと思い始めた時、赤毛の職員の頭脳にある天啓が舞い降りた。

 

「さあ、金庫へと案内してくれないか」

「その前に、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

「……なんだね」

 

 ラーセンの声から温かみが消え、赤毛の職員を睨みつける。まさか、帝国人でありながら、虚言を弄したというのかと視線が語っていた。

 

「資金援助ですが、いったいどの程度の資金を援助すればよろしいのでしょうか」

「……とりあえず、ここの銀行にある現金を全部持っていくつもりだが」

「まことに申し訳ありませんが、そうしてしまったら、あなたがたの悲願に大きな影響がでてしまいます」

「なんだと?」

 

 驚愕に見開いた目で、ラーセンは赤毛の職員を見た。

 

「ここは帝国有数の大銀行です。当然、貴族の方々も多く利用されています。もしすべての現金を持ち出されてしまうと当銀行は倒産し、当銀行を利用しておられる貴族の方々も大きな損失を被ることになってしまいます。なので、私は帝国の臣民として、また誇りある銀行員として、全額を資金援助することはどうしても認めることはどうしてもできないのです。どうかご了承ください……」

 

 ラーセンは小刻みに震えた。怒りのためではなく、感動ゆえであった。自らの盲を指摘してくれたことに深く感謝したい気分であった。金髪の孺子が独裁体制を敷いてから、ろくでもないプロパガンダに洗脳されてしまい、まともな帝国人がいなくなってしまったと思ってばかりいたが、黄金樹を仰ぐ立派でまともな帝国人がここにいたのだ!

 

 自らの感動に突き動かされるまま、頷こうとする直前、ラーセンの体は固まった。ついで能面のような顔になって冷たい目であたりを睨み付けた。あまりの急変に赤毛の職員は自分の演技がばれたかと不安になったが、必死の努力で表情筋を理性の支配下におき、ラーセンの反応を待った。

 

「八〇億」

「は?」

「八〇億帝国マルク。最低でもそれだけ持っていく」

 

 厳しい金額であったが、有無を言わせぬ口調に、赤毛の職員はこれ以上言ったら自分は殺されると直感的にわかり、おとなしくラーセンたちを金庫へと案内した。他の職員たちをハイデリヒは監視しつつ、同じ理由でロビーに残されていたラーセンの部下の一人に話しかけた。

 

「おまえらの上司。おっかねぇな」

「ええ、とても優秀なんですけどね。能力はともかく人間としては尊敬できませんよ」

 

 そりゃそうだろうとハイデリヒは内心でおおいに同意した。完全にいかれていることを素面で言えるラーセンが部下から慕われていたりするなんてありえないだろう。いや、ラーセンに限らず、エーリューズニル矯正区出身者は多かれ少なかれそういうものだが、いままで会ってきたサイボーグの中でも、ラーセンは特にひどい。

 

 エーリューズニル矯正区出身者の主な就職先に社会秩序維持局が含まれていたので、元社会秩序維持局保安中尉のハイデリヒはそういう境遇の者と知って何度か会っている。そのハイデリヒをして、ラーセンは群を抜いておかしいという思いを抱かざるを得ない存在だったのである。

 

 やがて金庫から運び出した札束を救急車の荷台(治療のために必要な機材などは、乗組員と一緒に捨ててきたため、完全に空っぽである)に詰め込み、ラーセンたちは再び暗闇の街中に消えていく。彼らがテオリアの都市部から消え去るまでに、あと数件の宝石店が彼らの手によって襲撃され、そこにいる者達が邪魔であれば殺し、大量の金銀財宝を奪っていくのである。そのことを思うと、彼らが救急車に乗って移動しているのはたちの悪い冗談のようであったが、それは全貌を知っているがゆえに言えることにすぎなかった。

 

 混沌と狂乱の夜は、まだまだ終わらない。




革命といえばやっぱり革命歌だろと思い、インターナショナル歌わせてみました。
いろんな翻訳を参考に、私個人が適当に解釈したものなので、元と違ってるかもしれませんが、そのあたりは長い歴史の中で変質したとでも思って見逃してください。
ちなみにほかの候補もいくつかあったのですが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は流血表現が激しいので除外し、ナチス党歌「旗を高く掲げよ」も妙な誤解招きそうなのでやめました。
なんでナチスの歌が入ってるかというと、あれ事前知識なかったら無茶苦茶自由を求めてる歌に聞こえるんですよね。特に2番。

あと念のため明言しときますが、ラーセンは生物学的な意味では間違いなく人間です。
エイリアンでもなければサイボーグでもないです。人間です。

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