リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

23 / 91
友よ、謳おう、自由の魂を
友よ、示そう、自由の魂を
――自由惑星同盟の国歌より引用。


マハトエアグライフング②

 惑星テオリアの都市部から東に三〇キロメートルほど離れた山間に数千人の人間たちが潜んでいた。彼らは現状に不満を持つものであり、力によって状況の打破を望む者達であった。

 

「ザシャ、街から火の手があがったよ!」

「マジか!!」

 

 部下からの報告で、彼らのまとめ役であるザシャ・バルクは大樹の枝から飛び降りた。先ほどまでそこで横になって休んでいたのである。双眼鏡を受け取り、都市部の摩天楼――テオリアは大帝が存命のころと可能な限り変わらぬ町並みを維持するよう政府が努力してきたので、帝国で武骨だからという理由で忌避される高層ビルが林立している街なのである――の方角を見る。燃え上がる炎が夜空を赤く染めているのを確認すると、ザシャは笑みを浮かべた。

 

「ここにいたるまで半信半疑だったが、あの守銭奴どもも国をなくせばロハで働くようだ」

 

 ザシャの身分は平民であったが、彼の生まれた家はある辺境星域の経済を支配する有数の豪商のひとつであって、貴族階級とも良好で深い関係を築いていた上流階級であったために、帝国の体制への不満など感じたこともない人間だった。父親は息子にも商売の道に歩んでもらおうと思っていたのだが、ザシャには商才というものがまるでなかったようで、どれだけ商売のノウハウを教えてもまったく身につけなかったのである。

 

 ザシャは商売なんかより体を動かすことが好きで、喧嘩やスポーツに熱中した。しかも危険を好む傾向があって、一度、友達の制止を振り切って地上車の無免許運転を敢行し、警察に逮捕されたこともあった。警察への多額の賄賂によって息子の経歴に傷がつくことを回避したものの、この一件で父親はもうこの生意気なやんちゃ坊主にバルク家の事業を引き継がせる気はなくなってしまい、その肉体的頑強さとその精神的資質を存分にいかすことのできるであろう帝国士官学校に入学させた。

 

 その士官学校でザシャはつねに成績上位に食い込む優等生集団の一員となったが問題のある生徒だった。警察に逮捕されてから多少はマシになっていたがやんちゃぶりは健在であり、問題のある生活態度が教官たちを悩ませたが、彼の白兵戦能力と狙撃能力の高さ、そしてさまざまないたずらを実施していた頃の経験と才能を応用した戦略・戦術の評価もずば抜けて高く、生徒に厳しい戦術教官のシュターデンからも平均以上の評価を獲得したほどだった。

 

 ザシャは士官学校を次席で卒業した。多少くせはあったが、士官学校での成績の高さからいろんな部隊から引っ張りだこになった。地方領主の叛乱鎮圧任務や宇宙海賊の掃討による功績、実家による金銭面の支援もあって、ザシャは順調に出世し二〇代なかばで、要職であるフェザーン駐在武官を拝命した。

 

 豊かなフェザーンに勤務できるのは、有能で帝国への忠誠に厚いエリートのみと限られている。当然、ザシャはフェザーンに並々ならぬ期待をしていたのだが、想像以上であった。なにより帝国では法律によって禁じられている娯楽を提供する施設が平然と、しかも大量に存在することが信じられなかった。

 

 銀河帝国の開祖ルドルフは“不健全さ”を忌み嫌い、社会からあらゆる不健全と思われる要素を一掃しようと試みた。悪名高い劣悪遺伝子排除法も、そういう視点で見ればそのひとつにすぎない。だから帝国においてあらゆる不健全な要素は絶滅したか、あるいは地下に潜るか特権の傘の下に入ることでわずかに生き残っているだけである。

 

 ザシャにとってそういった帝国の在り方は疑問を抱く類のものではなかった。なぜならそれが()()だったからで、隠れてこそこそやる必要はあるのかと思うことはあっても、それが直接体制への疑問に直結することはなかった。

 

 だが、こうも公然とそういったものが並んでいるのを見ると、さすがに疑問を抱かざるを得なかった。どうして帝国の自治領に過ぎぬフェザーンが帝国の法をかけらも重んじていないのはいったいなぜなのかと。

 

 そんな疑問を抱きつつもザシャは駐在武官としての職務を真面目にこなしつつ、フェザーン勤務の者に与えられるフェザーンで遊ぶというささやかな特権を行使していた。そしてある日、ある酒場にて、ある同盟人と偶然接触したのである。

 

 弁務官事務所の規則には「政府の許可なく叛徒と接触し、会話を交わした者は極刑に処せられる」と定められている。ダゴンの敗戦以来、帝国は人材が同盟に流出してしまうのを阻止することは重要な国家戦略の方針である。弁務官事務所の各部署が互いを牽制しあうような構造になっているのも、それぞれの部署が他の部署を監視し、重要な情報を持ってフェザーンや同盟に亡命してしまうのを阻止するためということで放置されていた一面もあるのであった。

 

 だから本来であれば、早急に席を立って逃げるべきであったのだが、ザシャは席を立たず、それどころかその役人を酒に誘ったのである。いくら接触が禁止されているとはいえ、フェザーンは中立地帯であり、同盟人とまったく接触しないというのは不可能であり、多少の会話は黙認されている前例があった。だから酒を飲んでる間に話す程度であれば大丈夫だろうと判断したのである。

 

 さすがに帝国側の役人と名乗るのはまずいと思ったので、投資に失敗してフェザーンに亡命した元平民の帝国人であると身元を偽った。するとその同盟人は深く同情した。帝国の支配から逃げだすのは非常に困難な道のりであると知っていたからである。特に生活苦とかなら、なおさらだ。

 

 旧体制時代、帝国では恒星間の移動ですらちゃんとした身分証明書が必要であり、しかもフェザーン方面に向かって長距離移動をしていると官憲に注目されることになるからだ。だから帝国人が亡命しようと思えば、一番堅実な方法は都市惑星に赴き、フェザーンの商人に金を払って宇宙船に乗せてもらうという手である。

 

 しかし世の中、善良な人間ばかりではないのだ。生きるために必死な帝国人の窮乏を利用しようとするフェザーン商人が少なからず存在する。金を受け取っておきながら見捨てて、官憲に亡命しようとしている奴がいると密告して亡命希望者を引きわたして報酬をもらうなんて序の口である。ひどい場合には亡命希望者がフェザーンに向かっていると無邪気に信じているとある貴族領につれていかれるなんてこともある。たいていの場合、その貴族領を治める領主がえげつない性癖の持ち主であることが多く、外聞を憚って領民を拉致ってそれをするのもどうかという点から、帝国から逃げようとした恥知らずをフェザーン商人から買い取って、そのはけ口にするのだ。そしてよほどのことがないかぎり、そのまま人知れず死んでしまうという陰惨な事例が貴族領主が叛乱を起こした時などに帝国政府の手で判明することがあるが、明らかにならずに消えた事例も数多くあるであろうことを思うと、悲惨の一言である。

 

 ちゃんとフェザーンに向かってくれる商人と関係を築くことに成功してもまだ問題がある。帝国ではフェザーンへ行くには帝国当局の正式な許可が必要であり、その許可を得ていない者がいないかとフェザーンとの境界にほど近い帝国領の惑星では、憲兵隊や社会秩序維持局が警戒の目を光らせている。警察もスコア稼ぎのために浮浪者として警察署に連行されることもある。帝国軍の警備隊も賄賂目当てにフェザーン商船を臨検してくることがある。このときに見つかれば、終わりである。帝国とフェザーンとの密約により、フェザーン人が亡命希望者の逃亡を幇助しても帝国側は逮捕できないことになっているが、亡命希望者はそうではない。あくまでも助けようとすればフェザーン人も逮捕してよいことになっているので、亡命希望者は見捨てられるのである。

 

 フェザーンに着いたらもう安心――なんてことはない。フェザーンについても悲劇の可能性はある。フェザーンは事実上の独立国であるが、形式的には帝国の自治領である。よって帝国から亡命者は大金を払ってフェザーンの公民権を買わないと他領からの旅行者として扱われ、なにをするにも制限がつく。そしてフェザーンは同盟と帝国の双方と完全な敵対を避ける中立方針をとっている。なので帝国の機嫌をとるときに、不法長期滞在者一掃の名目で“旅行者”を摘発し、帝国に強制送還するなんてこともやったりした前例があるのであった。

 

 そんな過酷な関門が数多あることを、その同盟人は知っていたからこそ、その境遇に同情を禁じ得なかったのである。同盟人は親身になってザシャの話し相手をしてくれた。それはザシャにとっても願ったりかなったりであった。ザシャは自由惑星同盟という国家に、純粋な興味を抱き始めていたのである。帝国における著作物において、自由惑星同盟を僭称する叛徒の扱いといえば都合のいい悪役である。まれにブルース・アッシュビーなどの名将が魅力的な人物として描かれることもあるが、悪役扱いなことに変わりはない。

 

 銀河帝国において、共和主義は銀河連邦末期の混沌を招いた根本的な原因である思想として負の面ばかり強調されるから、そんな思想の持ち主がまっとうな人間だと困るというわけだ。だから帝国の支配から逃れることを考えるような帝国人でも同盟の実情を知らないので、直接同盟に亡命しようとする者は比較的少ない。もし多くの者が同盟の帝国と比べてあきらかにマシなことを知っているなら、徴兵された兵士が脱走して同盟に亡命するという事態が頻発したことであろう。たいていの亡命者はフェザーンにしばらく滞在し、同盟が恐ろしい国ではないと知って、初めて同盟への亡命を申請するのである。

 

 もちろん、フェザーン勤務になる前にそのあたりのこと――上官曰く、高度に政治的な事情――を解説されており、共和主義者が全員悪どい人間ではないということをある程度は理解していた。していたが、フェザーンの同盟を描いた映画とかを見るに、どうもフェザーンと同じような街並みをしている同盟の方が帝国より豊かそうである、とザシャは思い始めたのであった。帝国では復古主義が台頭していて、武骨で近代的な高層建築とかは忌避される傾向があった。

 

 共和主義というのが理解できないとザシャは言うと、その同盟人が読書本にしていた『自由惑星同盟の歴史』という本をもらった。所持してるだけで思想犯・叛逆者として社会秩序維持局に拘束されても文句言えない書物である。それを読んで同盟の負の歴史もしっかりと触れられていることに、ザシャは凄まじい衝撃を受けた。帝国ならば自国の負の歴史など大衆に向けて公表されることなど絶無だからである。

 

 ここにきてザシャは帝国の体制に深刻な疑問を抱いた。危険だと思いながらも知りたいという欲求に抗うことができず、規則で禁じられている同盟出版の本を同僚に隠れて買って読み、共和主義の正しい知識をどん欲に吸収し、帝国では他国では認められているさまざまなことが禁止され、人民の権利がほぼないという事実に、専制的要素を排されなければならないと思い始めたのだ。

 

 フェザーン勤務から本国勤務に転任するとザシャは軍の機密記録を収拾することに精を出し、これ以上やったら憲兵隊から疑わしいものとして疑いの目で見られ始めた直後に帝国軍から脱走し。四八二年に共和主義を掲げて帝国内で活動している反体制地下組織に接触した。提供した機密情報や本人が帝国軍士官学校で軍事教育を受け、実務経験が豊富だったこともあって、ザシャは組織の共和主義者たちから歓迎され、実働(テロ活動を担当する)部門の一員となった。

 

 ザシャが立案した作戦によって幾多の作戦を成功させ、組織を成長させ、帝国の治安当局と民衆に対する存在感を大きくすることに貢献し、四八五年に実働部門の最高責任者となり、組織全体の副指導者として組織内部における彼個人の存在感も大きく拡大していた。帝国全体に影響を与える勢力としてはまだまだ小さかったが、やがてそこまで成長するであろう将来性を見込めるほど、ザシャは未来に希望を抱いていた。

 

 だが四八七年に状況は一変した。イゼルローン要塞攻略の余勢をかって実施された同盟軍による帝国領遠征である。反体制組織はその噂を掴んだとき、専制体制を打倒する好機ととらえ、同盟軍を援護すべく後方撹乱を行うことを決定した。だが、ラインハルト率いる六個艦隊は同盟軍を迎撃せずに引き摺り込むという戦法を取ったため時期が来るまで暇を持て余しており、後方で蠢動していたザシャたちのテロ活動はすぐに鎮圧され、多くの仲間を失う大打撃を被ることとなった。

 

 しかも同盟軍が占領した辺境星域の住民に叛乱を起こされたときにそれを武力鎮圧し、戦役終了後帝国政府がそれを声高に非難したために、ザシャたちが社会秩序維持局の監視の目を欺きながら、苦労して啓蒙した共和主義思想への幻滅が民衆の間で広がった。四八八年末にラインハルトが帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任し、独裁体制を構築するとさらなる苦境に陥った。急進的共和主義者とテロの実行者を除く思想犯や政治犯を釈放し、公正かつ公平な統治方針を打ち出したからである。

 

 ザシャたちにとって痛恨ごとであったが、地下組織の構成員や支持者の大多数は共和主義を信奉していなかったのだ。圧政に抵抗するためだけでなんら思想を持たずに参加していた者たちが支配的だったのだ。構成員の脱走が相次ぎ、協力してくれた支持者たち――構成員を匿い、武器を運び、連絡役となり、情報提供者となってくれていた――も次々に離反した。資金提供をしてくれていたスポンサーも言いにくそうに弁解しながら資金提供をやめるようになった。

 

 おまけに離反者の中に組織の隠れ家を密告した卑劣な裏切り者がいたようで、各地に築いた地下基地が憲兵隊に襲撃され、組織の指導者以下多数の構成員が逮捕され、組織は壊滅の危機に瀕した。副指導者のザシャは、あらん限りの憎悪を込めて金髪の孺子を心中で罵ったものである。ローエングラム公がいままでと比べて遥かにマシな統治者であることは認めよう。だが、彼の子孫はどうなのだ。ゴールデンバウム王朝の歴史の中でローエングラム公のように公正な統治を行なった皇帝はわずかだがいる。だが、帝冠を被る皇帝が変われば、簡単に公正ではない統治に戻ってしまったではないか。いかに善政を敷こうとも専制体制の存続をはかるならば極悪人に違いない。銀河の向こう側にある共和国みたいな、元首が変わったところで国情が大変化することなどない安定した統治体制こそ、正義であるはずだった。

 

 だが、多くの者はザシャほど強烈な信念を持っていなかったようで、反体制活動をやめてローエングラム体制に順応していった。結局、ザシャの手元に残されたのは、四八七年初頭に比べて数百分の一以下にまで減った構成員と支持者だけであったが、それだけに共和主義の信念が固すぎる過激派ばかりで、命をかけて帝国に共和体制を敷く覚悟をだれもが持っていたのだった。

 

 しかし日に日に追い詰められていくのに希望がまったく見えない現状にさすがのザシャも未来を絶望視しはじめていたが、四九〇年に転機が訪れた。フェザーンの工作員を名乗る女、シルビア・ベリーニが接触してきたのである。ベリーニは祖国を占領した帝国軍を撤退に追い込むべく、帝国内の大規模な都市惑星で騒乱を起こしたいのだという。至極もっともな言い分であるが、ザシャはその言葉を簡単には信じなかった。

 

 フェザーン駐在武官として、幾度となく自治政府の外交官や工作員と接触した経験もあって、ザシャはフェザーン人の厚顔無恥さや虚言癖をきわめて高く評価していたからである。だからこそ、ザシャは自分たちの窮状を悟られぬように高圧的な態度をとり、いくつかの要求を行った。まずその騒乱を起こす惑星へ自分たちを秘密裏に移動させること、また騒乱を起こすときにフェザーンも実行面において一番槍を務めることなどである。ベリーニはそれを快諾し、彼女たちの采配により、二ヶ月かけて徐々に自分たちをテオリアへと秘密裏に移動した。

 

 それでもなお、ザシャはベリーニたちを信用できず、ひたすら準備が整うまで待つようにばかりのたまうのでしびれを切らして単独で騒動を起こそうかと考え始めていたのだが……現在、テオリアの都市部が炎上している。つまり、フェザーン人どもも本気というわけだと、ようやくザシャは確信した。

 

「同志諸君、待ち望んだ時が来た!」

 

 ザシャは自分についてくる共和主義過激派数千人に向き直り、語りかけた。 

 

「ローエングラム公が台頭し、民の暮らしは劇的に改善されつつある。なのになにゆえ、われらはいまだに共和主義の旗を掲げ、革命に己が命を捧げようとしているのか。今一度、思い起こそうではないか。迷いなど抱くことなく己が信念を貫きとおすため、現状を再確認しようではないか」

 

 その言葉に多くの者が戸惑った。彼らとしては、これから襲撃を行うという号令を待ち望んでいたからである。そんなわかりきっていることをこの段階で再確認する必要がどこにあるというのか。

 

「諸君らが反体制活動をするようになった瞬間から、共和主義者であったとは俺は思わない。俺自身、すこしばかり共和主義の思想を齧ってこそいたが、最初から共和主義のために命を賭す革命家になろうという気概があったわけではなかった。ただフェザーン勤務である不満を覚えたのがきっかけだ。たとえば同盟やフェザーンでは為政者の悪口を言うのは、何の問題ないことである。なのになぜ帝国では犯罪とされているのか。同盟やフェザーンでは個人が斬新な視点の作品をつくり、民衆の娯楽となっている。なのになぜ帝国では体制に批判的な視点な作品は存在しないのか。同盟やフェザーンでは風俗店が公然と運営されている。なのになぜ帝国では隠れて運営されているのか。まあ、そういう素朴な類の不満を社会にぶつけたかっただけで、体制そのものを転換させようとか、そういうごたいそうな志を持っていたわけじゃあない」

 

 それは全員が共感できることだった。いまでこそ全員が筋金入りの過激な共和主義者だが、そういう生活上の不満がきっかけだった。なかにはまったく身に覚えがないのに共和主義者扱いされて政治犯収容所に入れられて、恨みから地下組織に参加したものもいる。

 

「だがある日、いつものように同志たちと将来の展望を語り合っているときに、唐突に思い出したのだ。昔の俺が未来を思い描いたとしても、せいぜいが自分は二〇年後、結婚して子どもができてたりするのかなと夢想する程度で、そのとき自分が暮らしている国がどうなっていてほしいかなど考えもしなかったということを。国のことなんて臣民の俺が考えるようなことではなく、高貴な方々が考えることだから自分には関係ないと無意識に思い込んでいたということを。そのことを自覚したときに感じた、身を焼くような激しい怒りを今も鮮明に思い出すことができる。そして間違いなくその瞬間、俺は本当の意味で共和主義者となったのだ」

 

 ザシャは目を細めて群衆から視線を逸らし、その感慨深い過去のときを脳裏に浮かべる。他の者達も同じだった。自分が共和主義者だと心の底から実感したときのことを、人生が続く限り永遠に忘れることもなく色褪せることもないと確信できる原点に思いを馳せる。それはだれにも侵されることのない心の内面に存在する神聖な領域の中心に輝いている記憶なのだ。

 

「――俺が地下組織に入った当初に抱いていた不満はローエングラム公の改革でほとんど解消された。言論の自由や思想の自由が保障され、皇帝以外の為政者を批難しても逮捕されることはなくなったし、体制に迎合しない作品も多数発表されるようになった。風俗店も法律を守っているなら公然と運営しても問題ないようになった。理屈で考えれば完璧と言ってもいい。だが、それでもなお、俺の心は邪悪な専制体制を打倒せよと叫び続ける。いったいなぜだ?」

 

 白々しいにもほどがある問いだと全員が思った。なぜ心がそう叫び続けるのかだと? ()()()()()()()()! 苛立ちに似た感情を抱きつつもその答えを口にしはしない。もし本当に自覚なく問うているというのならば、彼らは自分たちの指導者たる資格なしとして目の前の男を殺しにかかっただろう。

 

 そして当然、ザシャは自分の心を分析できないような愚か者ではなかった。同志たちの心情を察して覇気に満ちた微笑みを浮かべながら、傲然と宣言した。

 

()()()()()()()()()()()()()! 冷たく寒くて厳しい環境の牧場が、温暖で暮らしやすい牧場に変わっただけ! われわれが強者という牧場主の家畜であるという立ち位置に変わりがないからだ! 力ある者がすべてを支配し君臨するという強者の論理が、いまでも存続しているからだ! 今はよい、今はよいかもしれん! だが、強者が気まぐれを起こせば容易く自分の生命が刈り取られる場所がわれらの居場所とされるのだ! そんな場所を受け入れることができるのは、人間ではないと心が叫んでいるのだ! そうだろう!?」

 

 賛同の声が巻き起こった。「そうだ!」とこの場にいるすべての共和主義者たちが熱狂的に連呼する。これを否定することができるものは、全員新体制に迎合し、地下組織から去っていってしまったから、だれも違和感を感じるものはいない。

 

「われら帝国の民は、だれもが絶対的な強者に自分たちの運命を握られ続けてきた! もうたくさんだ! われわれは、もう二度と自分の運命を他人に委ねたりなどしない! たとえそれがどれだけの苦難を伴うことなのだとしても、自分の歩く道は、他ならぬ自分が決める! もうわれらは眠れる蒙昧な臣民ではないから! おのれの足だけで、立って歩くと! 他のだれでもない自分の魂にそう誓った、ひとりの“人間”なのだから!!」

 

 ザシャの宣言にだれもが顔を紅潮させた。「そうだ人間だ!」「人間なんだ!」という同意の声が吹き上がる。そしてだれかが両手を掲げ、ある言葉を叫んだ。

 

「眠れる臣民(たみ)は惨めなるかな! 人間(ひと)として目覚めよッ!」

 

 それは憲兵隊に逮捕されてこの場にいない指導者が考案した、彼らのスローガンである。彼らの理念を端的に示したフレーズであり、共和主義の理念を知らない者でも感覚的に理解することが可能で、特に若者の心に訴えかけることができるという優れたスローガンだった。かつてザシャが帝国の体制転換を現実的に考えることができたほど組織が成長したのは、指導者がこういった宣伝的才能があり、仲間を増やす手法に長けていたからというのが大きな理由のひとつであった。

 

 感情の興奮がピークに達した九割近くがそのスローガンを連呼するいっぽう、ザシャを筆頭に残りの者達はそのスローガンを考案した指導者がこの場にいないことを悲しんで沈黙した。なぜここに彼がいないのか。そう心の中でつぶやくが、嘆いても指導者が監獄の中から脱出してきて戻ってこれるわけでもない。周りの熱狂もある程度落ち着いてくるとザシャは自分にそう言い聞かせ、指導者の代理としての責務を果たそうと顔を引き締め、声を張り上げた。

 

「同志諸君! 全銀河の共和主義者にとって、いまは絶望的な危機にある! 銀河の向こう側にある共和主義の根拠地は、黄金の専制者によって征服されんとしている! 国内の同志たちも専制者の恵みの雨のせいで民衆の支持が得られない苦しい状況だ。だがそれでもなお、われらは屈しはしない! この惑星には、遠い昔にルドルフによって蹂躙されるまで、オリオン腕すべてを照らす共和主義の灯火が輝いていた。われらの手で、失われた光を取りもどし、銀河中の共和主義者に示そうではないか! 立ち上がるべきときは、今であると!!」

 

 場の空気が引き締まり、緊張感がはりつめる。そう、この国が銀河帝国ではなく、銀河連邦とよばれていた時代に当然のようにあったもの。くだらないことなのかもしれないが、人間として尊いことであったと彼らが固く信じるもの。それを取り戻すことこそが、彼らの悲願である。この共和主義の聖地にて自分たちが立ち上がれば、必ずや帝国中の共和主義者たちも専制体制を打倒すべく、立ち上がってくれるに違いない。

 

「目標は、エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアー総督以下ぁ! アルデバラン系総督府の主要官僚二八名の抹殺トォ! 放送局を占拠してその事実を帝国中に公表しぃ! 共和主義は不滅であることを世にしらしむること! 行動開始ィイ!!」

 

 ザシャ・バルクの怒声と共に、数千の共和主義者たちが武器を掲げ、見えざる熱気の嵐となりて、西に向かって我先にとだれもが駆け出した。麓に用意してある数十台の輸送型地上車に分乗し、テオリアの都市部を一時的に制圧し、専制主義への高らかな反逆を奏でるべく。




注意:なんかカッコいいこと言ってますが、帝国人一般視点だと民間人巻き込むテロリストです。
予定より話が進まない。プロットだとザシャさんは、こんなに喋る予定じゃなかったのに。

あと帝国の亡命者の話については冷戦中の社会主義国から資本主義国に逃亡した記録とかを参考にしました。
……ここの部分ね。これでも一度酷すぎると思って、悲惨さを抑えた描写に書き直したんだよ?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。