リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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長くなりすぎたので分割。


プロローグ・潜むものたち①

 帝国宰相府で話題になっていたリヒテンラーデ公の孫は、帝都オーディンから民間の宇宙船で三日ほどの距離にあるグミュント星系の第4惑星オデッサで平然と都市部で暮らしていた。最近帝都オーディンが物騒なので不安になり、この星の会社に就職が決定したのを期に引っ越してきたのだという話をご近所に挨拶してまわり、そのいかにもありえそうな話に近所の人たちもそれを疑うことなく信じていた。

 

 昨年の九月二六日、ゲオルグは内務省を飛び出し、あわただしく帝国軍艦隊が降下してきて混乱しているオーディンの街並みで状況が理解できずに困惑していた名も知らない下っ端警官の巡査長をみつけると、警視総監であることを証明する手帳を見せ、自分を巡査長の自宅に匿うよう命令した。

 

 警視総監という雲上人からの命令に巡査長は仰天し、混乱を断ち切るようにゲオルグを自宅に案内し、自宅にいた妻に事情を説明するとゲオルグにひとつの部屋を用意した。貴族が暮らすにはあまりに質素で埃っぽい部屋であったが、ゲオルグはなにひとつ文句を言わずに礼を言い、巡査長とその妻を恐縮させた。

 

 一〇月に入ると帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデが帝国軍総司令官暗殺未遂を犯し、これは帝国軍総司令官を任命した皇帝陛下の意向に背く行為であり大逆罪にあたると国営放送で報道された。帝国宰相を兼任することになったラインハルト・フォン・ローエングラムの慈悲により女性と九歳以下の男子は辺境への流刑で許すこともあわせて報道されたが、当時二三歳のゲオルグには何の慰めにもならない。

 

 ともかく祖父が死に、他の親戚や同僚もその生命に関してはともかく、政治的には確実に抹殺されたに違いなかった。オーディンにこもっていても状況が好転することはないと悟るに十分すぎた。だが幸いというべきか彼はもし自分たちの一族が権力の座から追われる事態を想定し、その時どう行動するかを以前から考えていたので我が身を嘆くことはあっても途方にくれることはなかった。

 

 ゲオルグは自分の靴を脱いで中から貴金属をひとつとりだした。彼の靴は二重底になっており、中には緊急用の資金として高価な貴金属が満載されていたのである。ゲオルグはそれを巡査長に渡し、ハサミと黒色の染髪料と質素な服装一式を持ってくるように求めた。巡査長は平民では手に取ることすら許されない代物が自分のものとなった衝撃を受け、ゲオルグに感謝して望みのものを市場で購入してきた。

 

 巡査長の自宅でゲオルグは自分の長い金髪を大胆に切り、髪の毛を黒色に染め上げた。そして質素な服装に着替えて鏡を見、かなり雰囲気が変わった自分の姿に思わずいたずらっ子のような笑みを浮かべ、隣にいた巡査長に「とても警視総監閣下にみえないです」と弱々しく呟かれた。それは当然であった。ある時からゲオルグは自分の若さでも問題ないくらい警察の重役としての威厳をだそうと心がけ、仕事場では常に寡黙で鋭い眼光を飛ばす堅物のような演技をしていたからである。

 

 こうして警察総局局長として威厳ある演技をやめてしまったゲオルグは、自分の髪の毛と服装を処分するように告げ、宿泊料と称して貴金属を数個を渡した。信じられなくて目を白黒させている巡査長を尻目に彼の家を後にした。いささか大盤振る舞いすぎたかと思ったが、もし彼らが帝国政府に密告すると自分がこのような変装をしているとバレるので、換金すれば平民が一〇年は遊んで暮らせるようなだけ渡して恩を売っておいた方が良いと考えたのである。

 

 ゲオルグのあずかり知らぬ事だが、この巡査長はこれから数日後に警官を辞職すると妻と一緒にフェザーンに亡命してしまった。金がある者にとってフェザーンは楽園であるという風評を巡査長が信じており、大量の金を得た以上そこに行く以外の選択肢を巡査長の頭脳にはなかったのである。結果論ではあるが、ゲオルグの判断は、短髪黒髪で平民に変装をしているという情報を遮断するには最善手であったといえよう。

 

 お気楽な調子でステップしながら、ゲオルグは宝石商に足を運び、貴金属数点を売り払いたいと申し出た。宝石商は平民がこんな高価な貴金属を所持していることを訝しんだが、得意気に先の内乱で殺した貴族の死体から拝借したと自慢すると宝石商は納得したように換金してくれた。相場より三割ほど低い値段であることにゲオルグは気づいていたが、騒ぎ立てるわけにもいかなかったので黙って現金を受け取った。

 

 そして商店街で旅行鞄、巡航船のダイヤ表、服装を適当に数点、行き先である惑星オデッサの地図と観光ガイドなどを購入し、いかにもこれから旅行しに行くといった格好となった。そして意気揚々とオーディンの宇宙港の民間入り口から入り、受付に惑星オデッサへの便に乗りたいと告げたのである。

 

「身分証明書を提示してください」

 

 銀河帝国では惑星間を移動するのに身分証明書が必須である。これは銀河帝国が貴族領主の自治権を重んじており、そのせいでそれぞれの惑星の貧富差が激しい。なので臣民の自由移動を認めるとそのまま不法移住する者が大量発生しかねず、それが帝国政府や貴族の領地の運営上好ましくないとされたためである。のちにラインハルトの改革によって廃止される制度であるが、この時点においてはまだ存在した制度であった。

 

 ゲオルグは懐から乱暴に身分証明書を取り出して職員に見せた。その身分証明書に書かれた名前は“ゲオルグ・ディレル・カッセル”であり、偽名であった。常ならその証明書が贋作ではないか機械に通して事務的な確認だけで通すのだが、憲兵隊は標的に旧体制の高い地位の者が多いことから、標的が偽名が書かれた“真物(ほんもの)”の身分証明書を所有している可能性を疑い、住民データに存在するか否かを確認する作業を職員に追加させていた。

 

 この壁を乗り越えられずに捕まった者はすでに多数いたのだが、ゲオルグは問題なく通過できた。なぜならその名前はこの宇宙のどこにも存在しない人間の名前であったが、帝国政府の帝国内務省で帝都の住民を記録する機械のデータ上には間違いなく帝都出身の平民として確実に存在する名前であったからである。

 

 数年前に警察が捕まえた口のうまい詐欺師の男を免罪と引き換えに、内務省で帝都の住民記録の管理を行う部局の幹部の男に犯罪を犯させるよう命じた。その詐欺師は言葉巧みに幹部を誘惑し、自身と肉体関係を結ばせた。ルドルフ大帝の時代から銀河帝国において同性愛は大罪である。その大罪の現場写真で幹部を脅し、“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の住民記録を作らせたのである。

 

 こうしてゲオルグは形式の上ではまったく違う人間となり、帝国内でもかなり自由に行動できる環境を整えることに成功していた。勤め先であり、自分が策謀を巡らす場でもある会社への通勤中、ゲオルグはふと事実上帝国に君臨し、支配している金髪少年貴族のことを考えた。

 

 ゲオルグがラインハルトという存在に関心を持ったのは四八五年の末頃だ。それ以前から姉が当時の皇帝フリードリヒ四世の寵姫であるからたいした家柄でもないのに軍で出世している生意気で不遜な“金髪の孺子”がいるという話は貴族が集まるパーティーで何度か耳にはしてはいたが、たいして興味を引く話ではなかったので雑談のひとつとして消化されるだけだった。

 

 ところが祖父から警察を使って彼の性格や思想を調べてくれと頼まれたのである。なぜかと尋ねるとラインハルトが断絶していたローエングラム伯爵家の家名を継ぐかもしれず、そうなった場合に新しい宮廷勢力が誕生することになることを危惧しているのだと答えられた。

 

 その頃はちょうど警察総局局長の座を争うライバルだったハルテンベルク伯が妹のエリザベートに殺された頃だった。エリザベートが兄を殺した理由は彼氏の敵討ちらしい。らしい、というのは彼女の前彼氏であるカール・マチアス・フォン・フォルゲンは叛乱軍との戦いで戦死しており、夫のヘルマン・フォン・リューネブルクも同じである。なぜ兄に原因を求めるのかまったくわからない。

 

 とにかくそんな謎の犯行動機だったので、ゲオルグがエリザベートを洗脳してライバルのハルテンベルク伯を謀殺したのだとあちこちで噂され、口にはできない苛立ち募らせた。本当に自分がやったのならこんな不自然な結末になってるわけがないだろうという自信があったからだ。なので祖父の頼みを聞くことはよい気分転換の方法であると考え、ほんの数ヵ月だけだが、ラインハルトの人となりを調べることにしたのだ。

 

 だが、警察とは犬猿の仲である軍人の捜査である。警察総局の権限では難しいと判断し、社会秩序維持局のラング局長に協力を要請した。社会秩序維持局とは政治犯・思想犯・国事犯の検挙を行い、言論・教育・芸術を監視・弾圧する秘密警察であり、軍や政府で超がつくほどの大物でなければその活動の全貌を知ることができなかった。ゲオルグも中央における組織図は把握していたが、地方支部でどのような運営がされているかは知らなかった。

 

 ラング局長は国務尚書の孫に恩を売る良い機会と思い、胸を叩いて快く承諾した。ラングはラインハルト・フォン・ミューゼル(ローエングラム家を継ぐ前の性)に思想犯の疑いがあるとし、軍務省に資料の供出を要請したのである。すると軍務省は素早く対応し、数日中にラインハルトについて詳細な記録を提供した。

 

 軍務省が社会秩序維持局の要請に素直に従ったことだけで、ゲオルグはラインハルトが軍上層部からあまり好意的に見られていないと推察するには十分だった。普通なら軍は身内のことは身内で対処すると言って外部の介入を嫌うのである。にもかかわらず、表面的な抗議すらせずにあっさりと情報を提供したということは、そっちで処分するなら勝手に処分してくれということであろう。

 

 これなら社会秩序維持局に借りを作らなくても簡単に軍のラインハルトの記録を入手できたかもしれないと思ったが、ラングの協力に対して感謝の姿勢を示すことを忘れなかった。愚痴をこぼして社会秩序維持局との関係をいたずらに悪化させたら面倒なことになるという懸念があったからだ。

 

 そうして得た軍の資料からラインハルトを“自分の才覚に絶対の自信を持ち、上官に嫌われても追従することを嫌い、自らが優位に立つことを好む。そしてタチの悪いことにその資質は極めて高く、彼に心酔している軍人も少なからず存在し、かなりの危険人物である”と分析した。貴族の多くの者が偏見や嫉妬からラインハルトの実力を認めなかったことを考えるとゲオルグの評価眼は正確さにおいてずばぬけていた。

 

 しかしその評価眼は決して万能ではなかった。政府高官とはほぼ無接触で、姉と関係があるシャフハウゼン子爵家とヴェストパーレ男爵家以外の貴族領主とも深い関係にないことから軍事以外における能力と影響力を疑問視し、“リスクはあるが門閥貴族に対する強力な同盟者となりうり、宮廷内を掌握しているならば門閥貴族打倒後に政治工作によってラインハルトの基盤を崩すことも可能であろう”とも分析していたからである。

 

 自分の孫の報告をリヒテンラーデ公がどれほど重視したかは不明だが、フリードリヒ四世が崩御し、その孫である五歳の幼児エルウィン・ヨーゼフ二世を皇帝として推戴することを決意した時、ラインハルトを同盟者に選ぶ判断要素のひとつになったのは疑いない。

 

 そして四八七年の末、エルウィン・ヨーゼフ二世の即位式に内務省の重鎮の一人として出席した時、文官代表の帝国宰相である祖父と並んで皇帝に忠誠を誓う武官代表の宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥という若すぎる美貌の英雄を、ゲオルグは初めてじかに見て深い感慨を覚えたのだった。

 

 その感慨というのが、姉と同じく綺麗な顔で陛下を誑かして出世したという噂が立つのも理解できるほどの秀麗さであったという外見上の特徴に対するものであり、“皇帝より皇帝らしい”と評されるほどの威厳があった前任の司令長官ミュッケンベルガー元帥とは違い、容姿の華やかさという点で皇帝らしいなという感想を抱いただけであったのだが……

 

「まさか本当に“皇帝らしい”存在になってしまうとは……」

 

 思わずそんなつぶやきが小さく漏れた。内乱終結後の政争で祖父と共にどんどんラインハルトから権力を奪っていく予定であったのに、現実はどうだ? ラインハルトはまだ帝冠を被ってないことと玉座に座っていないことを除けば、まったくもって“皇帝らしい”。対して対等の同盟者であった自分たちの一族は内乱の余韻もおさまらぬうちに奇襲を仕掛けられ、大逆罪が適用されてしまった。

 

 まだラインハルトがリヒテンラーデ派粛清による政治的混乱を早期に収拾できなければ、早期に自分の権力と地位を回復する算段がゲオルグにはあった。

 

 ラインハルトに反感を持つ官僚たちを糾合し、対抗すればよいのである。ラインハルトが軍の武力を背景に官僚を無理やり従わせにかかれば、その事実を過大に誇張して民衆を扇動し、組織化して対抗すればよい。軍が民衆を弾圧すればラインハルトを自分たちの希望として心酔していた平民軍人の中に裏切られたという思いを抱く者がでてくるであろうから、それと協力して対抗すればよい。

 

 もしラインハルトが官僚たちとの妥協をはかるなら、リヒテンラーデ公の大逆が事実無根であったことを公表すること、帝国宰相の地位をリヒテンラーデ公の孫である自分に譲り渡すことを、あらゆる手を使って認めさせる。そうすればラインハルトに対し、帝国宰相の職責にあったものを誤断によって処刑したという大きな政治的弱点を背負わせることができた。

 

 しかし混乱は早々に収拾され、一〇月なかばから凄まじい勢いで改革政策が実施されはじめた。実施されている改革政策の内容と傾向から開明派とよばれていた官僚グループがラインハルトに与していることをゲオルグは見抜き、おのれの迂闊さを呪った。これで早期に権力の座に返り咲くことは不可能であることが判明したからである。

 

 いったいいつの間にやつらが手を結んだのだ!? いや、いつであるかは容易に推測できる。手を組んだ時期はほぼ間違いなくエルウィン・ヨーゼフ二世即位から貴族連合軍討伐にラインハルトが出征するまで間だ。もしそれ以前ならば祖父が警戒せぬはずがないし、出征後に手を組んだとしたら手回しが早すぎる。あの金髪は最初から自分たちを一挙に葬り去る算段だったに違いない。内乱が完全に終息してエルウィン・ヨーゼフ二世の天下が確立されるまでは行動に移すまいと考えた祖父や自分が甘すぎたのだ。

 

 もしそのことが事前に推測できていれば、帝都の往来を我が物顔で監視するうっとおしい憲兵どもには構わずに開明派の官僚を捜査し、ラインハルトと手を組んでいる証拠を掴んだものを。いや、推測できなかったとしても憲兵が警察に歯向かうようなマネをしなければ、開明派の官僚の動きに違和感を感じたかもしれない。すべては憲兵のせいだ。

 

 そしてラインハルトが一時期憲兵隊に出向していた記録があったことを思い出し、自分が立場を回復した暁には、絶対に憲兵どもを皆殺しにしてやると心中で誓い、憲兵隊への憎悪を募らせた。実際にそれだけの権力を得た時にその誓いを実行に移すかはゲオルグ自身にもわからなかったが、とにかく彼は幾度となく仕事の邪魔をしてくれた憲兵という存在が大嫌いなのであった。

 

 いささか以上に思考がズレ始めたことゲオルグが自覚した時、ちょうど勤め先の流通会社についた。昨年の一一月初頭に新設された警備部門の責任者。それが今の彼の肩書であった。

 

「おはようございます!」

 

 会社の入り口に立っていた警備員二名がゲオルグに敬礼する。彼らは社会秩序維持局の元末端局員であり、同局がラインハルトの改革によって廃止されて職を失っていた時にこの会社の求人広告を見て応募し、就職したのであった。

 

 ゲオルグは二人の敬礼に応えて答礼すると、二人は少しだけ感激したようであった。この会社においてゲオルグは内乱と改革で没落したある貴族の私設軍に所属していた元高級軍人であり、警備のスペシャリストというふうに認識されている。二人は元とはいえ高級軍人が自分たちのような末端の敬礼に対応してくれたのが嬉しかったのである。

 

 会社のロビーに入るとゲオルグは受付に直行し、魅力的な笑顔を浮かべた。受付嬢はかるく赤面した。

 

「おはよう。社長はいるかい?」

「すでに出勤しております。最上階の社長室においでのはずです」

「そうか。ありがとう」

 

 そう言って礼を述べて階段の方に黒髪の若者は足を進める。この会社にはエレベーターもあったが、ゲオルグは階段の方が運動になると言ってエレベーターを使用することがなく、それがなんとも元軍人らしいというのが社内での評判であった。

 

 階段を乗り切り、ゲオルグは社長室の扉をノックし、「失礼します」と入室した。社長室には縮こまって震えている小男の社長が椅子に座り、そのボディーガードである屈強な男が、社長の斜め後ろに立って控えていた。男の瞳は暗闇に沈んでいるかのように真っ暗であったが、奥底に揺るぎない光が灯っていることを感じさ、奇妙な印象を他者の注目を引いた。

 

「おはようございます。閣下」

「ああ。おはようオットー少佐。問題はなかったかね?」

「はっ。何の問題もございません」

「結構」

 

 社長付き警備員クリス・オットーは帝国軍元少佐である。優秀な軍人であり、部下からの人望も十分以上にあったこの男が、会社の一警備員に成り下がったのは彼自身のせいではなく、複雑な事情と数奇な運命によるものであった。

 

 オットーはその数奇な運命ゆえにラインハルトを強く憎んでおり、ゲオルグはその憎しみを知って絶対に裏切らないと確信し、自分がリヒテンラーデ一族の者であると教えるほど元少佐を信頼していた。もっともあくまで忠誠心だけのことであって、能力面となると軍事関係以外あまり信頼していなかったが。

 

「さてグリュックス社長。仕事の話をしたいのですが」

「仕事? 冗談をよせ。我が社の弱みに付け込んで私に命令をするだけだろう」

「これは心外。私はこの会社に少なからぬ貢献をしていると思うのですが」

「自分たちの隠れ蓑として我が社を利用しているだけではないか!」

「たしかにそれは事実です。ですが警備部門を設立して調子に乗った百名以上の愚か者どもから会社の資産を守ったこと、改革政策の傾向を先読みして高値がつくものをリストアップして会社に利益を齎したことも事実でしょう」

 

 グリュックスは言葉に詰まった。ゲオルグの言い分が間違っていないと知っているからであった。

 

 ラインハルトの改革によって民衆の生活水準が劇的に向上していたが、それに比例するように犯罪率も爆発的に急上昇していた。自分たちの権利が急激かつ飛躍的に拡大されて“自分たちはあらゆる権力から自由になった”と思い込んだ愚か者たちが少なからず現れ、軽犯罪を凄まじい勢い繰り返し、罪を犯すことにためらいがなくなってくると強姦や殺人といった所業に手を染めた。

 

 むろん、帝国政府もそんな事態を放置していたわけではない。警察や憲兵隊の見回りが強化され、犯罪者の摘発に八面六臂の大活躍をしていた。おかげで平時であるにもかかわらず、憲兵が街中を巡回しているのが常態化しつつあり、名前は言わないが、ある逃亡中の元警察高官にとっては嫌いな憲兵がよく視界に入ってしまってストレスを溜め込む暮らしを余儀なくされる被害を被っていた。

 

 しかし治安活動の充実をもってしても前体制と比べて民間人による犯罪率が上昇したことは疑いない事実であり、経営に余裕のある会社は次々に自分たちの利益や資産を守るべく警備部門を新設した。それは帝国全体の会社に蔓延した空気のようなものであったかもしれない。警備を担える能力がある人材が多数職を求めていたのも、その空気を助長するのに一役買っただろう。元社会秩序維持局員と元貴族私設軍軍人の多くが職を失っていたからだ。

 

 なのでゲオルグがグリュックスを脅して新設させた警部部門も、他の会社でも新設されたそれと周囲から判断され、たいして注目を集めていなかった。せいぜい憲兵隊が警部部門を担う人材のほとんどが、言うなればラインハルトによって職を失った者たちの溜まり場と化していることから、全体に漫然とした警戒を抱いてるくらいである。

 

 そして会社の利益に貢献しているのも事実だ。祖父クラウス・フォン・リヒテンラーデは、開明派官僚の二大巨頭の一人オイゲン・リヒターとたまに協力し合う関係だったため、リヒターがどういった政策思想の持ち主であるかゲオルグは間接的に知っており、どういう段階でどのような政策が実施されるのか推測が容易で、その政策によってどういった商品が必要とされるようになり不要となるか、それを推測するのも簡単な事だった。

 

 保守的思考のリヒテンラーデ公と改革的思考のリヒターが協力しあうというのを奇妙に思うかもしれないが、ある意味においては必然だった。リヒテンラーデ公は帝国存続と自己の権力を守る為であり、リヒターは民衆の権利向上の為であって、両者の目的は違ったが改革を必要としている点で利害が一致した。それに加えて、これ以上貴族や軍に権限を奪われてたまるものか、という純粋な官僚なら誰もが抱く感情を共有してたのも、彼らに対して共同戦線を組む理由になり得たのであった。

 

「私は可能な限り、誠実なつきあいをしたいと思っているのですよ」

「誠実だと。これがかね」

 

 喘ぐような声でそう問いかけてくる小男に、ゲオルグは無邪気な天使や悪魔を連想させる笑みを浮かべて笑った。まったく“グリュク(幸運)”という意味を持つ名前を持っており、その名の通り幸運に恵まれていながら、それを自覚していないとは!

 

 第三者から見ればグリュックスが本当に幸運に恵まれているか否かは議論の余地があったが、すくなくともゲオルグの主観的には間違いなく幸運に恵まれているようにしか見えなかった。もし彼が幸運に恵まれていないのであれば、目の前の社長は数年前に処刑されていなければおかしいからだ。

 

「もしこれが誠実ではないというのであれば、私はどうすればよかったのでしょうか? あのまま軍の連中に身柄を拘束され、この会社が行った恐るべき犯罪行為の全貌を当局に洗いざらい告げていればよかったのですかね? そして私と社長、そしてあの院長先生と一緒に断頭台の露と消えることが望みだったと?」

 

 そう言って両手で首を絞めるジェスチャーをするゲオルグに対し、軍に拘束されなにも語らぬまま処刑されれれば一番ありがたかったのだとグリュックスは思ったが、そんなことを口に出す勇気は持ち合わせていなかった。仮にも誠実さに関する話をしているため、余計に。

 

「なにを恥じる必要があるのかわかりませんね。あなたは経営難に苦しむこの会社を救いたかった。社員たちを路頭に迷わせるようなことをさせたくなかった。それだけではありませんか。そのためにあなたは努力を惜しまなかったからこそ、なにも失わずに今があるのではないか。たとえそのために二〇〇人近い数の人間を地獄に陥れたとしても、いったい何の問題があるというのです? あなたは二〇〇人の人間を未来を奪う代わりに、その数万倍の社員とその家族の生活を救ってみせたのだ。切り捨てた者に対する同情からくる罪悪感など偽善に過ぎない。だからあなたは守りぬいたものがあることを誇るべきだろうに」

 

 若すぎる元警視総監は罪を犯した咎人を慰め諭すような聖職者のような口調で囁いた。諭す方向が普通の聖職者と真逆であり、咎人に犯してしまった罪を肯定させようとするろくでもない性質のものであったが。

 

 そしてそれはグリュックスの複雑な心情の一面そのものだった。そういう理屈で自己の罪悪を免罪し、正当化しようとする感情があるのだった。しかし一方で、その理屈を信じようにも信じきれない中途半端な良心も、たしかに存在するのであった。その良心が自分に都合のいい理屈を受け入れまいと、そう語りかける者への反感を生じさせた。

 

「……かもしれんが、そうして救ったものも、きみの登場によって失われるかもしれぬ」

「ああ。あるほど。その点があなたの心配なのですね」

 

 得心がいったと何度も何度も頷いてみせるゲオルグに、グリュックスはうすら寒いものを感じた。

 

「無用の心配です。われわれはあらゆる意味において、運命共同体なのですから」

 

 そう、真顔で宣言した。今まで次々に表情を変えて掴みどころがなかっただけに、不可視の衝撃がグリュックスを襲った。なにか自分はとんでもないものを相手にしているような感覚に陥ったのである。この異様な雰囲気から逃れたい心境になり、なにかこの雰囲気を打ち消すなにかが欲しくなり、せわしなく視線を泳がせる。

 

「それで仕事の話なのですが――」

 

そう口に出した途端、部屋にノック音が響いた。完全に雰囲気に飲まれていたグリュックスは助かったというふうにため息をつき、ゲオルグの様子を伺ったが彼は平然としており、別段気に留めてはいないようだった。彼はいつものように明るい声で「誰です?」と社長室の扉の向こう側にいる人物に問いかけた。

 

「警備員のコルプです。警備主任はおられますか。フェルディナントと名乗る怪しい身なりの男が来て、ディレルがいるはずだと言っているのですが、お会いになりますか」

「……了解した。社長、急用ができました。仕事の話はまた次回に」

 

一瞬だけ鋭い目をしたが、すぐに瞳を柔らかくするとそう言って社長室の外へと出ると、ゲオルグはコルプに尋ねた。

 

「フェルディナントは、なんて言っていた?」

「は?」

「すまない。言葉足らずだったね。私のことをセカンド・ネームで呼ぶのは元同僚の人間だけだから、自分と警備チームを組んでいた時のナンバーを一緒に告げてはいないかと思ったんだよ」

「はあ……」

 

先方はフェルディナントと名前を名乗っているのに、どうして警備チーム時代のナンバーを気にするのだろうか。そうコルプは疑問に思ったが、上司の問いに素直に答えた。

 

「たしか2505って言ってました」

「ありがと。じゃあ、フェルディナントを第八応接間に案内してくれ。旧友同士で話し合いたいのでね」

 

敬礼して去っていくコルプの後ろ姿を確認すると、ゲオルグは第八応接間に向かってゆっくりと歩き始めた。“フェルディナント”という偽名でここまでやってきた忠誠心でも能力でも信頼できる警察時代の側近にどのような仕事を任せるか、考えながら。




オリ主はトリューニヒトとは違ったベクトルで生存能力が高いです。

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