リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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三月兎亭の一時

 ランテマリオ星域会戦は帝国軍の勝利に終わったが、完全な勝利とはならなかった。帝国軍七個艦隊が粘り強く抗戦する同盟軍三個艦隊に決定的一撃を加えるという最終局面で、帝国軍の後方に同盟軍の新規兵力が現れたのである。しかもフェザーン方面から。

 

 同盟軍の戦力は予想以上に豊富で、一軍が正面から帝国軍と戦い、べつの一軍が戦場を遠く迂回して帝国軍の退路を遮断して帝国軍を挟撃する。そんな作戦を実行する余裕があったのか。同盟軍が弱体化していることを知ってはいるが、現在の同盟の具体的な兵力がどのていどの存在するか予測は立てていたが、あくまで予測にすぎなかったので帝国軍の諸将はそんな疑念を抱き、鳥肌を立てた。

 

 しかもフェザーン方面に現れたというのが、いかにもまずかった。帝国領を離れ、敵地に深く侵攻すること二八〇〇光年という彼らである。そんな地点でフェザーンへの、帝国への帰路が遮断されたとあっては、勝利と征服の昂揚感によって覆い隠されてはいる兵士たちの望郷の火がつき、敵の領内で孤立するという恐怖に突き動かされて暴発し、軍隊を軍隊としてそのまま維持できなくなってしまう可能性がでてくるからである。

 

 総司令官ローエングラム公ラインハルトの、何の心配もないと具体的な理屈を交えた内容の覇気に満ちた叱咤によって、とりあえず指揮系統の維持には成功したものの、ひとまずは軍を引いて混乱を収拾し、退路の再確保することを優先したため、ランテマリオ星域で約一日間勇戦した同盟軍三個艦隊が全滅することはなんとかまぬがれた。

 

 帝国軍の退路を遮断したのは、ヤン・ウェンリー大将率いる部隊であったのだが、帝国軍の諸将が想像していたような豊かな戦力を擁してなどおらず、指揮下にある一個艦隊を薄く広く展開して大軍に見せかけただけのペテン的詐術による見せかけにすぎなかったので、帝国軍がいったん軍を引いて混乱を収拾している間に帝国軍七個艦隊を迂回して首都に撤退した。一個艦隊で帝国軍七個艦隊を相手どることなどできないし、もたもたしているとイゼルローン方面からロイエンタール軍もやってきて、一個艦隊で敵十個艦隊を相手どらねばならないという絶望的状態に陥りかねないかねないからである。

 

 首都に戻ったヤンは、自国の政治家たちにたいして好ましい感情を抱いておらず、一年前に非公式の査問会とやらにかけられるという嫌がらせを受けたこともあって、イゼルローン要塞を独断で放棄したことに対する非難してくるのではないかといささか危惧していた。しかし予想に反して要塞放棄の件にはまったく触れられず、それどころか同盟軍主力を全滅の危機から救ったとして逆に元帥に昇進させる旨を通達されたのである。しかも今まで冷遇されていたヤンの信頼する部下達も一階級昇進というおまけつきで。

 

 自分たちを目の上のたんこぶのように扱ってきた政治家たちのいままでの反応と明らかに違う対応に、どうも国家存亡の瀬戸際にあって自暴自棄になって人事権を乱用しているらしいという感想を抱いたものである。しかし、これはヤンの偏見であった。同盟政府の性質が著しく変質していたからである。

 

 ヤンを敵視していた同盟の国家元首ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長が今年が始まってから数日後に職務放棄して雲隠れしてしまい、かわって国防委員長のウォルター・アイランズが同盟政府を運営するようになっていた。しかしアイランズとてトリューニヒト派の一人にすぎず、しかも仲間の政治家からもたいした評価をされていない同盟の政治腐敗の象徴のひとつにすぎなかった。

 

 同盟はルドルフが国家元首と首相の兼任によって銀河連邦を滅ぼした前例に学び、最高評議会を構成する評議会議長と各委員会委員長の兼任を法律によって固く禁じている。なのでトリューニヒトは自分の飼い犬であるアイランズを国防委員長に据えたのである。そんな経緯で閣僚になったものだから、国防委員会の部下たちにすら “トリューニヒト委員長、アイランズ委員長代理”と陰口をたたかれ、トリューニヒト派と癒着している軍需企業からリベートを受け取ることしか能がない奴というろくでもない評価をされており、しかも本人もそれを受け入れてる有様であった。

 

 だが祖国が存亡の危機に陥り、飼い主のトリューニヒトが職務放棄して逃げ出したとき、アイランズの中でなにかが覚醒した。愛する祖国のために献身すべき時であると決意し、愛国心の命ずるままにすべての能力をあげて対応に取り組んだ。まわりの人間から「どこにそんな行動力があったんだ」と驚愕されるほど精力的に活動し、政府の空中分解を食い止め、政府と軍の強固な協力関係を構築し、国民の安全を確保するために全力を尽くしたのである。

 

 そのように覚醒したアイランズとヤンは会見したのだが、きわめて理知的で誠意ある対応に戸惑いを隠せなかった。アイランズといえばトリューニヒトに媚を売る小物程度の認識しかしてなかったからである。そして自分達は同盟への愛国心を共有しているのだから協力してほしいと願い出てきたのである。愛国心を持ち出すのはヤンがもっとも嫌う論法であったのだが、それを理由に政府と軍の関係をこじれさせるわけにもいかないし、第一やるべきことをちゃんとやっている(やるようになった)アイランズに文句を言うべき理由もないので、愛国心云々のところはすべて形式的な対応ですませた。

 

 ともかくもそのような政府の変化もあって、ヤンは政府に束縛されることなくつかの間の自由を謳歌することができた。帝国軍が本土に侵攻してきているときに羽を伸ばしている暇があるのかという声もあるだろうが、いまは帝国軍を迎撃するための物資を補充しているから、首から下は役立たずと幕僚から揶揄されるヤンがいま仕事をする必要性はさしあたりなかった。

 

 なのでフェザーンから帰ってきた養子のユリアンとともに高級レストラン『三月兎亭(マーチ・ラビット)』に夕食にでかけた。ユリアンも少尉から中尉に昇進していた。ヘンスロー弁務官を救出したことと、帝国軍の駆逐艦を強奪した功績が評価されてのことである。独立商人の宇宙船で惑星フェザーンから脱出したのだが、帝国軍に不審の念を抱かれて臨検を受けたのである。そこでユリアンは一計を案じ、養父のイゼルローン要塞攻略作戦の手法を参考にした詐欺的な作戦で、帝国軍の駆逐艦を奪って堂々と同盟領に逃げてきたのであった。

 

「それでフェザーンの旅でなにか収穫はあったかい?」

 

 公式にはユリアン・ミンツ少尉は国防委員会の人事命令でフェザーン駐在武官として弁務官事務所に所属して仕事をしていたので、べつにフェザーンに旅行しに行ったわけではないのだが、行く前に養父の指揮下から離れることにかんして一悶着あり、そのせいでユリアンとしても仕事で行ってきたという認識を持ちにくかったので、そのことに疑問は抱かなかった。

 

「はい。二人ほど興味深い人物と出会いました。ひとりは直接的にですが、もうひとりは間接的にでして、この人は、いまハイネセンにいるそうです。提督の旧い知りあいだそうです」

「ほう、だれだい」

「ボリス・コーネフってひとです」

「ボリス・コーネフ……?」

 

 三二年間の人生の記憶を手当たり次第に掘り返してみるが、ヤンはまったく思いだせなかった。しかも、そんな名前の知りあいっていたっけなと真顔でつぶやくものだから、ユリアンはひょっとして自分は狡猾なフェザーン人に嘘をつかれただけなのかとすこし心配になった。

 

「幼い頃、フェザーンで数ヶ月ほど提督と一緒に遊びまわってたと聞いたんですけど……」

「……ああ、あのボリスか。やっとわかった」

「提督、老化の第一現象は、固有名詞を思いだせないところからはじめるんですってね」

「老化だって? 私はまだ三一歳だ」

 

 三〇歳の誕生日の時といい、どうして提督はこうも年齢を低く主張したがるのだろうか。ヤンが年齢をひとつごまかしていることにユリアンは気づいていたが、いまだ一八歳の自分には三二歳の養父が持つ年齢をごまかしたい心情がさっぱりわからないので、そのことには触れずにスルーした。

 

「それでなんだってあの悪たれのボリス・キッドとおまえの間に縁ができたんだ」

「悪たれのボリス・キッドってずいぶんな言いようですね」

「実際、ボリスの悪名はすごかったんだぞ。私もずいぶんと迷惑をこうむったものだからな」

「そうなんですか? ……ボリス少年の悪戯の数々は、優秀な参謀役あってこそ、って聞いているんですが」

「話がそれすぎたな。いったいボリスとどういう風に関わったんだ?」

 

 ヤンのごまかしようは、およそさりげなさというものから程遠いものだったので、そういう態度を取ること自体が二人が同じ側に立っていたなによりの証に思えたので、ユリアンは深追いせずにごまかされたふうに話を続けた。

 

「さっき話した僕がフェザーンを脱出するときにお世話になった独立商人マリネスクさんの上司です」

「マリネスク氏が船長じゃなかったのか」

「正確には船長代理ですね」

「じゃあ、なんでボリスのやつは船にいなかったんだ。あいつの性格からして、自分の船を留守にするなんて考えにくいが」

「それが、自治領主府にヘッドハンティングされて、フェザーンのハイネセン駐在弁務官事務所の書記官になってるそうですよ」

「あの悪たれのボリス・キッドが役人にねぇ……。宮仕えとはまたずいぶんと似合わないことをやっているな。再会したらそれをネタに思いっきり笑ってやろう」

 

 金がなかったがために歴史を学ぶ大学に進学することができず、無料で歴史を学ぼうと同盟軍士官学校戦史研究科に入学し、軍の出世コースから完全にはずれている閑職である戦史編纂室研究員になることを目的としていた問題児が、在学中に戦史研究科が廃止されたためにエリート揃いの戦略研究科に転科し、卒業後は前線で功績を立てすぎてしまって、いまや同盟軍最高の名将に望まずしてなっているという、昔の自分が聞いたら大爆笑しそうな地位についているヤンが他人が柄にあわない職についていることを笑うなど盛大なブーメランにしかならないだろう。このときヤンはうかつにもそのことに気がつかなかった。

 

「その楽しみはボリスと再会したときにとっておくとして、だ。ふたりめはだれだ?」

「フェザーンから脱出するときに一緒になったんです。といっても途中で病死、というより、自殺してしまいましたが」

「何者だい?」

「地球教のデグスビイ主教です。でも、自分はもう聖職者ではなく背教者だと言っていました」

「そんなふうに自分を卑下する理由があるのかな」

「それはわかりません。ですが、デグスビイ主教はなぜかフェザーンの内幕のことをよく知っていて、それを教えてくれました」

 

 そう前置きしてフェザーンの自治領主アドリアン・ルビンスキーとその補佐官であったルパート・ケッセルリンクの因縁と暗闘について語った。ケッセルリンクはルビンスキーがまだ若い官吏の頃に出会って捨てた恋人との間にできた息子であり、父親を打倒してその地位を奪って復讐を果たすことを目的に行動していたという。

 

 そのためにあれこれと策謀を巡らせていたようだが、帝国軍のフェザーン侵攻における混乱をケッセルリンクは好機ととらえ、父親の暗殺をはかったが父親は息子の野望と動向を事前に察知していたので返り討ちにあい、生き残ったルビンスキーは再起のときをはかるために地下に潜伏していったという。

 

「なるほど。舞台裏でそんな殺しあいが展開されていたとはな」

 

 権力者の親と捨てた子どもによる殺しあいとは、ずいぶんとまた悲劇的な結末である。しかしそれにしても、デグスビイはどうしてフェザーンの支配層の内情にそこまで通じていたのだろうか。地球教は同盟の政官界、とくにトリューニヒト派閥とも浅からぬ関係があるようだし、フェザーンでもそうなのだろうか。もしそうだとすると、残る最後の陣営、帝国はどうなのだろう?

 

 地球教なんてただのカルト集団だと思っていたヤンであったが、どうもそれだけではない側面を有しているように思えてならない。二年前、地球教のデモ行進に偶然立ち会ったのだが、「地球を我が手に」と言いながらデモ行進している信徒たちの姿を見て、本気でできると思っているのか、時代錯誤も甚だしいという感想しかわかなかったものだが……。

 

 地球教はこのような教義を唱えて信徒を戦争に協力させていた。曰く、人類の故郷である地球は銀河帝国の支配下にあるので、どれだけ行きたくても地球を参拝することができない。銀河帝国を打倒し、われが母なる星を取り戻そう。その暁には、その聖なる星の地表に全人類の魂をみちびく大聖堂を建てようではないか。バカバカしい誇大妄想にしか思えないのだが、地球教の上層部は本気でそれを実現させようとしているのか。いや、フェザーンとの関係も考慮すると、魂とやらだけではなく、現世に存在する人類社会そのものをもみちびくつもりなのであろうか。

 

「そうです。デグスビイは死ぬ前に言い残しました。すべての事象の水源は地球と地球教にある。過去と現在の裏面を知りたければ地球をさぐれ、と」

「地球にすべてがねぇ……」

 

 ティーカップを撫で回しながら、ヤンはなかの紅茶のゆらめきをみつめていた。

 

「彼はこうも言いました。人類は地球にたいする恩義と負債を忘れてはならないのだ、と」

 

 苦しみ喘ぎながらもそうはっきりと言い残したデグスビイの姿を思いだし、これこそを彼は全宇宙に告げたかったのではないだろうかとユリアンは思った。西暦がまだ使われていた頃の時代の話など学校の授業では簡単に概略を教えられるだけだから、地球がどのように滅亡していったのかははっきりと知らない。ラグラン・グループ率いるシリウスとの戦争に負けて滅んだ。そのていどのことしか知らないだけに、デグスビイがなにを思ってそのようなことを言うのかわからなかった。

 

 いっぽう、ユリアンの養父は現在進行形のアマチュア歴史家志望なだけあって、デグスビイの言葉をある程度理解し、それを正論だと認めた。だが、ヤンのそれは人類を一人の人間として例えた場合、ゆりかご的な意味を持った惑星としての恩義である。その恩義にたいして人類は地球の地表を焼き尽くすことによって報いたのだから、たしかに負債でいっぱいといえなくもない。だが、人類はもう大きくなりすぎた。大人になった人間がもうゆりかごに戻れないように、人類社会もまた地球に戻れはしないのだ。

 

「そういえば、舞台裏というと僕もその時に妙なことに巻き込まれました」

「妙なこと?」

「はい。フェザーンの裏社会での闘争かと最初は思っていたのですが、どうもいまいち納得できなくて……」

 

 そう言ってユリアンはフェザーン占領の裏側で起きていたことに巻き込まれ、シュテンネスという人物が殺された経緯を事細かに説明した。といっても、ユリアンはシュテンネスを殺した者たちの所属はおろか、名前すらわからなかったので説明するのがとても困難だったが、今際の際にシュテンネスにシュテンネスがリヒテンラーデへの忠誠を叫び、追っ手から裏切り者と罵られたと聞いて、すこし興味を抱いた。

 

「リヒテンラーデ公は自決したはずなのに、変ですよね」

「不思議ではないさ。主君が死んでも臣下が忠誠を誓い続けるなんて、物語だとよくある話じゃないか」

「でもシュテンネスによると彼を殺すように命じたのはリヒテンラーデ閣下だと……」

「なるほど。となると、リヒテンラーデ公の血縁のだれかがローエングラム公の粛清をまぬがれるためにフェザーンに亡命して、そこで裏社会で一勢力を築きあげていたとかかな。せめてシュテンネスって人がどういう人物だったのかわかれば、もう少し推測のしようがあるんだが」

 

 ヤンがうなり始めたので、ユリアンはそのときのことを必死に思い出そうとして、そして信憑性が低いがあることを思いだした。

 

「そういえば、追っ手が帝国の弁務官事務所の役人達かもしれないみたいなんです」

「? どうしてだい」

「ヘンスロー弁務官が言っていたんです」

 

 ある追っ手が「弁務官」と呼び、別の追っ手が「おまえの上司か」と問い、「いやこいつは同盟の」と答えるというやりとりがあったとヘンスローは証言した。だからヘンスローは帝国の弁務官事務所の役人が自分を捕まえにきたと思い込んで卒倒したらしい。もっとも、ヘンスローが落ち着いた後、相手が帝国の人間なら自分たちを捕まえないのはおかしいと判断し、ユリアンやマシュンゴも同意したので、ヘンスローは自分の聞き間違いかなにかと判断していたので、同盟政府にはだれも報告していないが。

 

 しかしヤンはそうは思わなかったようだ。顎に手を添えてすこし思考にふけった挙句、意外な援軍がいるかもしれないなとつぶやき、ユリアンを驚かせた。どういう意味なのか問うと、同盟軍史上最年少の元帥は答えた。

 

「彼らが全員弁務官事務所の役人だった場合、帝国の官界にリヒテンラーデ一族の影響力がまだ残っているというわけさ。それも鞍替えすることなく、ローエングラム公にたいして公然としない敵意を燃やしている集団という意味でね」

「まさか。もしそんな勢力が帝国の官界にあるのなら、あれほどドラスティックな改革が実施できるとは思えませんが」

「そう、それだ。だから私もローエングラム公が帝国の官僚組織も掌握したと思っていたんだ。かりにローエングラム公に反感を持っている文官がいたとしても、とても集団として一致団結してまとまってはいないだろうと。でも、そんな集団が秘密裏に仮に存在した場合、その指導者はローエングラム公の改革に協力させつつ、裏で牙を研ぐという狡猾な判断ができる者だろうな」

「で、でもリヒテンラーデ一族はほとんど処刑され、リヒテンラーデ派の官僚も粛清されたってニュースでやってましたけど」

「リヒテンラーデ一族の処刑はともかく、官界のリヒテンラーデ派を完全に粛清なんてしたら、帝国の政治がうまくまわらなくなってないとおかしいと思うよ」

 

 情報統制によって帝国の内幕が深いヴェールで覆われて隠せていた旧体制時代の帝国といえども、帝国政府の公式発表や亡命者が伝えてくる情報、そして同盟のスパイたちの活動によりある程度の情勢は同盟からもわかるものであった。かつて帝国はブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の門閥貴族勢力同士の争いが激しかったこともあって、中央政府にのみに限定すれば、皇帝の意を受けて動いていた保守的で前例主義的なリヒテンラーデ派が最大派閥であったという。

 

 しかもエルウィン・ヨーゼフ二世の即位によって、門閥貴族系の官僚は中央政府から締め出され、残ったのはリヒテンラーデ派と開明派のようなごく少数の、リヒテンラーデ派と比べるのも馬鹿らしいほど圧倒的な数の差がある小派閥がいくつかあるのみとなった。これでリヒテンラーデ派まで完全に粛清してしまっては官僚の不足で帝国政府が機能不全に陥ってしまう。

 

 なのでおそらくローエングラム公はリヒテンラーデ派の上層部のみを処刑ないしは幽閉・更迭し、中堅や末端は懐柔策をとったのだろう。それを前提に考えれば、いまだリヒテンラーデ一族にたいして表に出せぬ忠誠心を抱いている官僚集団がいたとてしても、不思議ではない。すると、シュテンネスはなんらかの理由でその官僚集団から逃げ出した元官僚というところだろうか。なぜその情報と引き換えに帝国政府に保護を求めなかったのか、フェザーンにいたことなどについては、少し解せないが。

 

「コルネリアス一世の大親征のときのように、そいつらが宮廷クーデターでも起こしてくれたら、楽ができてありがたいんだが」

 

 ヤンのそのつぶやきは半分あたりで半分はずれていた。ゲオルグはいくつかの騒動を起こして自分の不安定な地盤を固めようと企んでいたが、それは長期的にはともかく、短期的に帝国そのものを揺るがすことにはかならずしも直結するものではなかったし、むしろ同盟軍が奮戦してローエングラム公を戦死させてくれれば、自分の復権の可能性があがると同盟軍の働きにすこし期待しているくらいであった。

 

「フェザーンといい、地球教といい、リヒテンラーデの残党といい、どこもかしこも陰謀を巡らせているというわけか」

 

 正統的な歴史学の探求者になりそこねて軍人となったヤンとしては、少々不快な気分にならざるをえない。一部の少数者が陰謀や策謀だけで歴史の流れを決めているのだなどという“陰謀史観”など排したいと思う。しかしながら、現実的な世界において、それが正しいと信じ陰謀にふけってる人間があきらかに存在しているようであり、暗い気持ちになるのであった。

 

 しかしこれはあきらかにヤンの偏見ないしは過大評価というものであろう。フェザーンのルビンスキーにしろ、地球教の総大主教にしろ、秘密組織のゲオルグにしろ、べつに陰謀があらゆる場所に届く魔法といわんばかりの万能さを発揮している“陰謀史観”の信奉者ではない。彼らにとっては陰謀はリスクをともなうひとつの現実的な手段であるにすぎないし、どれだけ卓越した才能があったとしても不可能を可能にすることなんてできないとわきまえていた。すくなくともこの時点においては。

 

 フェザーンと帝国官界の裏事情については、このさい無視してもいいだろう。もしかしたらローエングラム公の遠征を妨害する一要素になるかもしれないから、わざわざこちらからその可能性を下げにいく必要はまったくない。だが、同盟の政界にも浸透している地球教を放置しておくわけにはいくまい。そうヤンは結論づけ、脳裏でその任務にうってつけの人物の姿が浮かんだ。

 

「よし、バグダッシュに調査させよう。あの男は戦闘よりこの種のことが得意なはずだからな」

「バグダッシュ中佐ですか……」

 

 ユリアンの声には控えめに翻意を促す要素があった。バグダッシュはヤンの幕僚のひとりなのだが、幕僚になった経緯からユリアンは彼のことを嫌っていた。というのもバグダッシュはもともと二年前にクーデター側の工作員としてヤンの暗殺を企んで接近してきた人物だからである。その企みは看破されてあっさりと捕まったのだが、悪びれもせずにヤンに恭順した。だからユリアンはバグダッシュを好ましく思っていない。

 

 いや、はっきりいってかなり嫌っている。特にまだクーデターを鎮圧していないときにヤンがバグダッシュを信用してブラスターを貸したとき、冗談とはいえヤンにブラスターを向けたことが許せない。ヤンが許可さえしてくれれば、その場でバグダッシュを射殺していたにちがいなかった。

 

「ほかに人がいない」

 

 そう言われてはユリアンは引き下がるしかない。事実、情報収集や裏仕事を専門としている軍人はイゼルローンだとバグダッシュしかいない。

 

「それにな、あいつは二年もたいした仕事もせずにいるんだ。そんな素晴らしい環境にいつまでもおいておいてやるほど、私は寛大じゃない」

 

 仕事嫌いな私だってこんなに働いているんだからね。そう不満もあらわにこぼすヤンに、ユリアンは苦笑した。じつに提督らしい愚痴であり、わずかな期間とはいえフェザーンに赴任していたものだから、とても懐かしく思えたのである。

 

 でもその不満はバグダッシュにとっては心外だろう。彼は自分の能力に自信を持っている人物で、二年間も別に情報部出身の人間でなくてもできそうな仕事ばかりさせられて、無為徒食の身に甘んじることに不満を感じていたからだ。ひさしぶりに与えられた意義のある任務にバグダッシュは喜ぶだろうが、銀河にまたたく宗教団体の裏側の調査はそうとうな難事であるにちがいなく、バグダッシュは結果をあげられるだろうかとユリアンは意地の悪い興味を抱いた。

 

 地球教の裏側のことをある程度判明させることができればヤンの役に立つだろうし、もしなんの結果もあげられなければバグダッシュの徒労を思って多少は胸がすく。そんなことを思っている自分に気がついて、ユリアンはフェザーンの狡猾な空気に多少そまってしまったのかなと憮然とした思いを抱いた。




ヘンスロー、地味に活躍(ただし本人に自覚はなし)

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