リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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すまぬ。ラング閣下。あなたの容姿設定、おもしろすぎるのが悪いのです。


幸運・不運・非常識・予測不能

 ハイドリッヒ・ラングの赤子をそのまま大きくしたような珍妙な容姿と大地が唸るような低い声は、生まれ持ったものであって別に努力して得たものではなかったが、ラングが秘密政治警察で出世するためには、非常に有用な武器であった。具体的には容疑者への尋問と部下の人心掌握に役に立った。

 

 社会秩序維持局に逮捕された容疑者のほとんどは当然ラングと初対面であるわけで、まったく尋問官らしからぬ容姿の小男が尋問官であることに困惑し、そして容姿に見合わぬ低い声で恐喝まがいの尋問をしてくるものだから、そのおそろしいギャップに激しい精神的打撃を受けずにはいられず、ひたすらラングが話の主導権を握ることができたからである。

 

 そして部下の人心掌握についても、似たような要素によって引き起こされるものであった。初めてあった部下はたいていの場合、ラングの容姿と声のギャップに無反応ではいられず、とても失礼な表情を浮かべてしまったりするのである。そしてその衝動がおさまって上下関係に厳しい銀河帝国の常識にまで思考がまわり、自分がどれだけやばいことをしたのかと青い顔をするのだ。

 

 ラングはまったく不快感も怒りの感情もみせず、それどころか微笑みを浮かべながらよくあることだから気にしなくてよいと肩を叩きながら声をかけると、部下は「この人はなんて寛大なかたなんだ」と幻想を抱いてくれるのである。そしてラングは基本的に穏やかな性格の持ち主なので、その幻想は完璧ではないにしてもだいたいあっているため、人心掌握を容易にしてくれる武器のひとつとなっているのであった。

 

 そんなラングがあらゆる伝手を使って確保した社会秩序維持局調査部フェザーン課長という要職を務めたフリッツ・クラウゼ元保安准将が、ようやく内国安全保障局長のオフィスに訪れたのは二月九日のことである。内国安全保障局の辞令が届いたのが昨年九月初頭のことであるから、じつに五ヶ月もラグナロック作戦秘匿のために足止めをくらっていたのであった。

 

 クラウゼもまた、ラングの初対面時に無礼を働いた一人である。オペラ歌手並みの低い声をラングの声であるということを脳が受け入れられずに思考が停止し、ラングが訝しげに思ってクラウゼの顔を覗き込みだしたところでようやく受け入れることに成功し、あまりのシュールさに思わず吹き出したのである。そして吹き出された唾液はラングの顔面中に降り注いだ。

 

 顔中についた唾液をラングが黙ってハンカチで拭いている間、クラウゼは生きた心地がしなかった。当時のラングはまだ社会秩序維持局の長官ではなかったけれども、有力者といってよい地位にあって、クラウゼの新たなる上官であったのだ。こんなことになってただですむと思えるほど、楽観主義者ではなかったので、よくて辺境の支部に更迭、下手したら思想犯扱いで収容所送りもありえると、クラウゼは顔を蒼白にしたものであった。

 

 だがラングはこういうのには慣れているがここまでのことは初めてだと苦笑しただけで、何事もなかったように仕事の話にはいったのであった。こうしてラングはクラウゼにたいする精神的優位を獲得したのであった。

 

「市中は凄い活気ですね。まだ朝というのにそこら中でビールで乾杯してますよ」

 

 帝都は静謐なものだという認識があるクラウゼは驚きを混ぜた口調だったが、それにたいしてラングはすましたものだった。

 

「昨日、大本営発表があったからな」

 

 ラングのいう大本営発表とは、“ローエングラム公率いる帝国軍本隊はランテマリオ星域にて同盟軍三個艦隊と接敵、交戦を開始せり”というものであった。こんな発表は同盟やフェザーンではありふれたものであっただろうが、旧体制下においては情報統制が徹底されており、終わってから結果のみを報道するという形式がほとんであったのである。しかも戦意高揚のために不都合な事実は捏造されたり、まったく触れられなかったりするのである。一例を出すと四八七年五月一四日にヤン・ウェンリー少将率いる半個艦隊によって“イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり”と帝国政府が豪語していた要塞があっさりと陥落したことについては、リヒテンラーデ・ラインハルト枢軸陣営が帝国政府の全権を掌握するまで公式にはまったく言及されなかったほどだ。むろん、外敵に国境地帯が奪われるなど隠しきれるようなものではなかったから、公式発表される前から噂という形で民衆は知っていたが。

 

 そんな報道に慣らされていた帝国の民衆にとって、リアルタイムに近い戦況報道というのは、目新しい娯楽になりえたのであった。ミッターマイヤー上級大将による唐突なフェザーン占領やそれからたいした間もなく苦戦してたはずのロイエンタール上級大将がイゼルローン要塞奪還したことなどもそれが実現してから数時間のうちに報道され、それに感情的高揚を味わっていた民衆は口々にこれからどのように同盟を攻略するのか軍事知識の乏しいくせに立派に議論しあい、それを酒の肴にしているというわけであった。

 

 そして別の側面もあった。今回の帝国軍の遠征の目的は、旧体制を復活させようと目論んでいる帝国正統政府という組織を討伐することであり、それに共感した多くの若者たちが志願して軍服を着て出征したため、その両親や恋人は心配で夜も眠れぬ日々を送っている。だが、順調な帝国軍の快進撃に不安が多少薄まって、息子や恋人が華やかな武勲を飾って帰還するに違いないと前向きな思考ができるようになり、その想像を他の市民に語っているのである。

 

「それで、おまえには内国安全保障局次長を任せたいと思うのだが」

 

 なにげない世間話を続けていると、ラングが唐突にさりげなくそう切り出した。

 

「ええ。……はい?」

 

 あまりにもさりげなかったのでクラウゼは一度頷き、そしてなにかおかしい点があったように思えて首を傾げた。そして次長に、秘密政治警察のナンバー・ツーになれという言葉がなんども脳内で反響し、わなわなと震えだした。

 

「閣下、私は保安准将ですよ。次長職は保安大将以上の職責であると定められていたはずですが」

「そうだったな」

 

 ラングは深く頷き、だが、と続けた。

 

「だが、それは社会秩序維持局での話だ。ローエングラム公爵閣下が開明政策を志向しておられることもあって、組織の規模が全体的に縮小されてしまってな。その影響で最高位の階級が保安中将になってしまった。局長の職責も中将になってしまったから、私も保安上級大将から保安中将に降格してしまった。いや内国安全保障局は形式的には廃止された社会秩序維持局とはまったくの別組織ということになっているから、保安中将に任命されたというほうが正しいのかもしれんが」

 

 それに続いてラングから具体的な数字を告げられて、なんということだとクラウゼは嘆息した。社会秩序維持局は帝政を支える剣と盾として、帝国軍に次ぐ規模の機構を持つ巨大組織であったというのに、随分とささやかな組織になってしまったものである。これでは次長になったからといって秘密組織が期待しているだけの貢献をできるかどうか、あやしいものであった。

 

「そうそう、保安准将という階級も廃止されてるから、おまえは今日から繰り上げで保安少将ということになっている」

「はい?!」

 

 ずいぶんと唐突な昇進に驚愕するクラウゼ。いや社会秩序維持局の保安准将から、内国安全保障局の保安少将になったわけだから、昇進という言葉は適当ではないのかもしれないが。

 

「ただ階級があがっても給料は下がるぞ。昇進というわけではないし、社会秩序維持局の頃と比べて割り当てられる予算が激減したからな」

 

 やはり昇進ではないようであるとクラウゼは納得した。もし昇進すると給料がさがるという奇怪な制度が内国安全保障局に導入されたというのなら、即座に辞表を目の前の禿げ頭に叩きつけてやる。

 

「階級の話はひとまず置くとして、なぜ私を次長に? 私より適任のものが多くおりましょう」

 

 内国安全保障局の階級秩序が、社会秩序維持局時代と比べて微妙な変化が生じていることを脳裏に止めつつ、クラウゼは自分を次長に任じる意図を確認した。社会秩序維持局時代のクラウゼの立場は対外工作・諜報活動の現地責任者という要職にあったとはいえ、数多くいた課長の一人にすぎない。客観的な評価では局全体の運営を行えるだけの能力があるかというと、怪しいところであろう。

 

 もちろん、やってやれないことはないだろうという自負がクラウゼにはあったが、内国安全保障局員として働く上でも、秘密組織の一員として内国安全保障局を利用する上でも、ラングの意図を確かめておいたほうがよいはずであった。

 

「ローエングラム公は権力者の暴力と権力による恐怖によって統治されてきた今までの帝国を全面的に改めつつある。具体的には権力者の意向よりも法律を重んじるように志向している。そのような新体制下では、おまえのような人材を重用すべきだと判断したのだ」

 

 法律が非常に恣意的に運用されていた旧体制下の社会秩序維持局は、法律を逸脱しようとも成果さえあげれば何の問題も発生しないという風潮があった。たとえば、無実の人間を大量に拘束し、死んでしまうほど過酷な尋問・拷問をくわえても、結果として思想犯や政治犯を捕まえることができれば、局員は免罪されたのであった。

 

 当然、法治主義を志向する新体制でそのような人材を秘密政治警察の要職につかせるわけにはいかない。しかし社会秩序維持局での出世は結果主義だったので、手段を選ばずに結果を出せる者ほど高職にいたものだから、使える優秀な人材はとても少ない。しかし調査部フェザーン課だけは別だった。 

 

 フェザーン課の役目はフェザーン及び、その先にある同盟に対する諜報・工作活動である。当たり前のことだが、帝国領内と違って社会秩序維持局の権威と恐怖を誇示して仕事に当たれば現地の治安組織によって拘束されるだけなので、現地の治安組織及び法律に通じ、その裏をかいて行動することが要求される。つまり手段を選ばなくては仕事ができない環境で成果をあげていた者たちなのである。

 

 なので内国安全保障局に登用されたのは、旧社会秩序維持局の中でも調査部、特にフェザーン課に所属していた経歴のもっているものが高い地位を与えられて厚遇される傾向にあった。その傾向を考えれば、最後のフェザーン課長であったクラウゼが内国安全保障局次長に任命されるのはある意味、必然であったといえよう。

 

 自分が次長に任命されたことに納得できたクラウゼはもうひとつ別の質問をした。

 

「保安准将の階級がなくなったということは、軍隊の階級と分離されたということになりますが、よいのですか」

 

 クラウゼの疑問を正確に把握するには、銀河帝国における社会秩序維持局の歴史について知らなくてはならないだろう。社会秩序維持局は警察総局内に存在した公安部を母体として設立された部局であるため、設立初期の社会秩序維持局は警察の階級とほぼ同じの階級制度で運用されていたのである。

 

 しかしながらある問題が発生した。社会秩序維持局が取り扱うのは思想犯・政治犯の類である。そしてそういう不穏分子は帝政に反対して暴動を起こす過激地下組織の一員であることがたいていで、武力による治安維持を目的とする軍部と共同作戦を多々あり、その時、軍人と局員の間で階級によるいざこざが発生したのである。なにせ使用されている階級がまったく異なるため、どっちがより偉いのかという対立が発生し、どちらが指揮権を握るべきかで喧々諤々の論争が巻き起こったのであった。

 

 このいざこざの原因を根本的に解決すべく初代内務尚書兼社会秩序維持局長官エルンスト・フォン・ファルストロングと初代軍務尚書ドルフス・フォン・ロズベルクが解決方法について再三議論を重ねたがどちらも組織のプライドをかけていたために容易に結論がでず、悪しき共和主義を根絶するべきときになにをしょうもないことで議論しているのだと激怒した初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが社会秩序維持局の階級を軍隊式のものに改めるよう命令を下した。

 

 こうして社会秩序維持局は軍隊の階級構造が統一され、階級社会に慣れている両組織の連携がスムーズに行われるようになった。もちろん、社会秩序維持局と軍部の文官と武人の観点の差による対立は残ったが、そのあたりのことは現場レベルの話し合いで解決されることであった。すくなくともルドルフの時代では。

 

 そのような歴史を社会秩序維持局は持っているため、軍隊とまた別の階級構造を用いるようになれば、内国安全保障局は軍隊と連携面で同じ問題が発生するのではないか。それがクラウゼの懸念なのである。

 

「当然の心配ではあるが、同時に無用の心配だな。軍事独裁的な現体制において内国安全保障局が軍より上の立場に立てる可能性は当面ない。自由惑星同盟を僭称する叛徒の陰謀や辺境部の散発的な叛乱もあっていまだ体制が完全に安定しているとはいえない状況下で無用な対立構造を作ることは、だれも望まぬことだからな」

 

 それに旧体制の重臣として追放されてもおかしくない立場にあった自分が局長の座にあるのは、ローエングラム公とオーベルシュタイン総参謀長の寛容ゆえのことである。そのことをラングは自覚していたから、二人と対立することは保身の観点からしてもなんとしても避けるべきであった。

 

 だが、クラウゼはラングの言い方から、裏を感じ取っていた。

 

「なるほど。では、将来はどうなのですか」

「……われわれ内国安全保障局の活躍次第だな」

 

 微妙に誤魔化す表現ではあるが、ラングの真意はあきらかであった。実績を積んで立場を強化し、発言権を確保していくことの表明にほかならない。そうでなくては困るとクラウゼは思った。秘密組織が自分に望んでいる役目を果たすためにはラングが今の立場に満足し、地位を守ることのみに固執されたらやりづらいのである。

 

 二、三の事務的な話し合いを終えると、クラウゼは官舎に戻って携帯TV電話でテオリアの孤児院へと繋いだ。秘密組織に内国安全保障局のナンバー・ツーに収まったことと、今後の動向を話しあうためである。

 

 数時間後、そのテオリアの孤児院の一室で秘密組織のボスが憮然顔をしていた。この孤児院こそが秘密組織の頂点に立つ司令部であり、ゲオルグたちがいる部屋は孤児院をテオリアに移転する際に増築された居住性の高い秘密の空間であった。

 

 この孤児院の院長は当然として、ハイデリヒ、ベリーニの他、普段各惑星の司令部に命令を飛ばしている幹部たちがある出来事に関することで話しあうために集まっていたが、彼らの指導者であるゲオルグの不機嫌そうな顔を見て、全員が身を固くして緊張しきっていた。

 

「帝国軍本隊がランテマリオ星域でまで進出しておるのに迎え撃つ同盟軍が三個艦隊のみとはどういうことか。本隊の数がどの程度か公式発表はされておらぬが、いままでにわかっている情報から推測するに、同盟軍の二倍以上の帝国軍と最低でも対峙しているというのに」

 

 ゲオルグたちはどれほど時間的猶予があるのか推測する為、帝国軍の公式発表をもとに現在の戦況を分析していた。彼らの手元には帝国軍将帥がフェザーンの航路局から接収した同盟領内の精密な星図などなかったが、読書家であったゲオルグの脳内にはかつて読んだコルネリアス一世の大親征の記録がハッキリと記憶されていたので、同盟領の大雑把な地理は把握している。そしてランテマリオ星域は同盟にとって、ギリギリ辺境といった場所に存在する星域であったはずである。

 

 先月のロイエンタール上級大将のイゼローン要塞陥の奪還といい、あまりにも帝国軍の侵攻が順調すぎるようにゲオルグは思えた。不逞な共和主義者どもが一方的にやられているのは帝国貴族として喜ばしいことではあるが、ここまで帝国軍が圧倒しているとなると同盟軍の不甲斐なさに文句のひとつでも言ってやりたい気分になる。

 

「いったいどういうことなのか、現状を説明できるものはおらぬか。私はあまり軍事には精通しておらぬから断言はできぬのだが、同盟の全兵力はこれだけしかないように思える。このままでは来月には帝国軍が完全勝利宣言をしてしまうかもしれぬぞ」

 

 このように自分の短所を述べた上で助言を求めるゲオルグは身分制度が徹底されていた帝国社会においては、助言者の心理的プレッシャーを緩和する効果があったのだが、今回はそのようにはならなかった。全員の視線が一人の男に集中したからである。その男は先の内乱において貴族連合軍の元参謀であって、内乱終結後に軍から追放されて路頭に迷っていたところ、軍事に疎いゲオルグにその才能を見出され、その方面の助言役として秘密組織の中枢に置かれた男であった。男は緊張によって流れ出る汗を気にもとめず、不興を買わないかと不安に思いながらも自分の見解を述べる。

 

「イゼルローン要塞の奪還については、それほど帝国軍の攻略が早かったとは思えません」

「なぜだ?」

「帝国軍がフェザーン回廊を占領下においている以上、イゼルローン要塞に籠ってロイエンタール上級大将の別働隊の回廊通過を阻み続けても、帝国軍本隊に本国が攻め落とされては元も子もないわけでありまして、要塞を防衛していたヤン・ウェンリーとしては、いっそ要塞を放棄して帝国軍本隊を後背から殴りかかったほうが良いと考え、自ら放棄したのではないかと推測する次第であります」

「しかし、それではローエングラム公の本隊とロイエンタール上級大将の別働隊に挟撃されるだけではないのか」

「帝国軍がフェザーンの航路局から同盟領土の情報を接収したとはいえ、反対側の回廊にいる別働隊とその情報を共有できているとは思えません。今の時点ならある程度の兵力を割いてロイエンタールの部隊にぶつけて足止めすれば、距離を離せると思ったのでは。そして撤退しながら帝国軍の補給拠点になりそうな場所を焦土化していけば、ヤン艦隊がランテマリオに到着するまでに別働隊と数日分の距離は稼げるかと」

「ふむ。なるほどな……」

 

 元参謀の男はそう言ってゲオルグを納得させたが、本人は半信半疑であった。ゲオルグと同じく、難攻不落のイゼルローン要塞を自ら放棄するということ自体、プロの軍人でも考えがたいことなのである。ただ今現在起こっている結果と同盟が誇る不敗の名将という要素から、すべて合理的判断に基づくものであると仮定して推測すると、そのようにしか考えられないというだけであった。

 

 そしてもしそんな考えが浮かんだとしても、もし自分がイゼルローン要塞の防衛司令官だったらと思うと、軍人としての名誉や保身の誘惑を拒絶する剛毅な意志、ロイエンタールの追撃を振り切ってラインハルト軍に一撃を加える能力と自信がないので、そんなとんでもない決断をできそうもないと言い切れるだけに、ヤンという男の規格外な底知れなさに元参謀は恐怖した。

 

「ランテマリオの三個艦隊以外に同盟が出し惜しんでいる兵力があると思うか。仮にあったとして、どのような意図によるものだと思うか」

「同盟にとって今回の侵攻はコルネリアス一世の大親征以来の危機であり、そうとうに民心が動揺していると推測でき、それらが暴発しないよう一個艦隊程度を首都近辺に残している可能性。そしてロイエンタール上級大将の行動に対応するために数個艦隊を呼び兵力にしている可能性。出し惜しんでいる戦力があると仮定した場合、このふたつの可能性が考えられますが、帝国軍との戦力差を考えるとそれらのリスクを覚悟して前線投入すべきだと自分なら思いますので、可能性はごく低いかと」

「……となると、なんだ。同盟の全戦力はこれ以上あると仮定しても正規艦隊五、六個分程度しかないと?」

「はい。おそらく三年前のアムリッツァでの損害が大きすぎたせいではないかと……」

「それを言うなら帝国とて二年前の貴族派と皇帝派の内乱でそうとうに軍事力を消耗したはずであろう! 昨年もイゼルローン要塞の戦闘でケンプ大将以下多数の兵を失っている! なのに、なぜ! これほどまで圧倒的な戦力差がでているのだ?!」

 

 あまりに理解できないことなので、ゲオルグは苛立ちのあまり叫んだ。常識が役立たずになる時代が宇宙規模で到来しつつあると思っていたが、ここまで常識が通じないとなるとさすがに困るのであった。ろくに今後の予定が立てられなくなるからであり、それは復権を目的とする以上、死活問題だからである。

 

 ゲオルグの怒りに元参謀は怯んだが、爛々とする激しい怒りの炎を双眸に煌かせていたが、それでも先を促す無言の圧力があったので、必死で頭を高速回転させて考えを纏める。

 

「お言葉ながら、二年前の内乱のとき、同盟でもクーデターが発生していたではありませんか。それで同盟も帝国同様に兵力を消耗していたのでは」

「それは知っておる。しかし、その内乱による同盟の損害は帝国のそれに比べ、はるかに少ないはずではなかったか。貴族連合軍に所属した艦艇の内、約半分が消滅しておるのだぞ」

「それはたしかですが、もとより帝国のほうが兵力のみならば、常に同盟を圧倒できるだけの数があったのです。ただ国内における対立ゆえにすべての軍事力を同盟にぶつけるということができなかっただけのこと。しかし現在、ローエングラム公はほぼ完全な独裁権を手中に収め、大多数からの民衆の支持もえております。だからケスラー・メックリンガー両大将の艦隊をのぞいて、ほぼ全力を同盟に向けることができているのです。フェザーンの航路局のデータを接収できていることも考慮すると帝国が優勢に進むというのは事前の推測通りだったといえましょう。ただ、同盟軍がこれほど衰弱していたということを除けばですが」

「むぅ……」

 

 元参謀の見解は、同盟は旧体制下の帝国と違って、国内の有力者が固有の軍事力を保持して互いに牽制しあうといったことをする必要がないほど、国内が纏まっているという身もふたもない現実を示唆するものであったのであり、不快な事実ではあるのだが、ゲオルグは不快だからといって事実を受け入れられないような無能ではなかったので、不機嫌そうに短く唸りながらも元参謀の見解に頷いた。

 

 だがそれでも、同盟軍の弱体化ぶりに文句のひとつでも言ってやりたい気持ちになるのであった。同盟が激しく抵抗してくれないと秘密組織の計画も狂うのである。ぶつけようのない憤りを胸に封じ、ゲオルグは必死で建設的な思考を復活させる。

 

「……仮に、ランテマリオの三個艦隊と移動中のヤン艦隊のみが同盟の全航宙戦力であると仮定した場合、卿は同盟の動きをどう見る?」

「そうですねぇ。すでにランテマリオ会戦は戦端を開いてから一八時間以上経過しており、帝国軍と同盟軍の戦力差からして同盟軍が正面からまっとうな戦いをしているならすでに瓦解しているはず。そうなっていないということは、同盟軍が帝国軍に打撃を与えるより自軍の損害を抑える戦術を駆使していると考えるべきであり、単純に解釈すれば同盟軍の目的は時間稼ぎでありましょう」

「時間稼ぎか。その意図は」

「可能性はふたつです。ひとつは徹底抗戦を行う準備のため。ランテマリオ会戦で同盟側の主要戦力はほぼなくなってしまうわけですから、同盟側の軍事施設やそれに近いものを帝国軍に利用されぬよう徹底的に破壊します。また国民に武器を与えてレジスタンス化させ、そして帝国に降伏することや交渉することを主張するものはその場で処刑してよいという空気を醸成します。そして気弱なレジスタンスを警察や軍で統制・督戦すれば、帝国軍を物心双方から疲弊させ、国土が完全征服されることを防ぐというものです。これを用いれば帝国軍は数カ月は泥沼から抜け出せなくなりましょう」

 

 焦土戦と民兵によるゲリラ戦の合わせ技という人道性もへったくれもない戦略であるが、きわめて効果的であることが歴史で証明されている。焦土戦だけでも、三年前に同盟軍が大挙して帝国領に殺到したとき、当時の迎撃司令官であったラインハルトがどれほど有効的な戦略であるかを実証している。

 

 むろん、国民の自国政府への恨みも大いに育む副作用があるので気軽に使えるような戦略ではないが、国家防衛のためにしかたなく実施したことであり、すべての責任は侵略してくる敵国にあると責任転嫁に成功した時、国民はおそろしいほどの熱意を持って救いようがない凄惨な戦いに積極的に参加し、圧倒的に優勢な敵国の軍人を戦意をへし折って撤退やむなきまでに追い込んだりするのである。

 

 ……もっとも、それで勝利をもぎとったとして、ボロボロの国民たちには、焦土と化した国土をどう再建するのかという、これまで以上の難問が発生するわけであるのだが。

 

「もうひとつの可能性は?」

「ヤン提督を首都に戻し、同盟全軍の指揮をとらせるためです」

 

 元参謀の言葉に、ゲオルグは怪訝な顔をして首を傾げた。

 

「ヤン・ウェンリーが不世出の名将であることは認める。何度かローエングラム公に煮え湯を飲ませておるそうだからな。しかし如何な名将とはいえ、艦隊が湧き出る魔法の壺を持っているわけでもないのだから、この戦力差を覆して勝利できるともおもえぬのだが」

「あくまで勝利を目指すならば、そうでしょう」

「それはどういう意味……ああ、なるほど。そういうことか」

 

 ゲオルグは得心して何度か頷いた。ヤン・ウェンリーという男は、自軍の損害を抑え、敵の隙をつくことに長けた奇術師であると聞き及んでいる。ひたすら遅延作戦を展開し、帝国軍の気力を萎えさせ、同盟の完全征服を諦めさせようとするならば、なるほど当然の人事というべきであろう。

 

 帝国は同盟に何年も大軍を派遣させていられるほど、国内が磐石というわけでもないのだ。ラインハルトの容赦なき改革に対する反動で小規模な叛乱が発生しているし、体制内部にも軍事偏重に反感を抱いている文官も少なからず存在する。すぐに体制を揺るがすような問題ではないが、何年も放置していられるほど軽い問題でもない。帝国が何年も大軍を同盟領に派遣している余裕などないのである。

 

 だからこそ、帝国軍はフェザーン占領から始まる電撃戦を企図したのだろうが、それで同盟軍を打倒しきれぬとなれば、同盟に対する絶対的優位を確保するだけでよしとして、イゼルローン・フェザーン両回廊の同盟側出口の星域周辺を確保して撤退という判断をラインハルトがする可能性は決して低くはないし、同盟側の察しがよければ、そのようなラインハルトの心の動きを見抜いて、そこから休戦・講和に持ちこめる可能性も皆無とはいえない。

 

 なるほど。同盟に残されている選択肢の中で、徹底抗戦と並んで国を守護するための、現実的な方策であるといえるだろう。

 

「しかし、どちらにせよ、帝国軍が連戦連勝の勢いを維持して同盟の術策をものともせずに無条件降伏に追いやってしまう可能性も高し、か。ハイデリヒ」

「はっ。なんでしょうか」

「四月の予定であったが、正直そこまで待っていては国内からいなくなってくれた面倒な奴らが戻ってきかねん。最悪、二月中にマハトエアグライフングの発動もありうると今度ブレーメも交えて話し合う必要がある」

「わかりました。しかし、準備が十分でないまま計画を実施しては、帝国政府に私たちの存在が露見してしまうのでは」

「そうだな、だが、オットーらがブルヴィッツで進めている作戦がそろそろ最終段階に入る。同盟軍があてにできぬ以上、私としては帝国中央の意思がそちらに集中しだしたあたりで発動したいが、これはブレーメらと相談して決めたほうがよかろう」

「そのブルヴィッツの作戦については私も聞いているけど、あなたが想定しているようにうまくいくのかしら」

 

 ベリーニが口を挟む。

 

「軍隊はいささか特殊な性質をおびているとはいえ、立派な官僚機構だ。その悪癖からは自由になれぬよ」

「でもローエングラム公の改革で、無能な官僚は追放されて、事なかれの官僚主義は劇的に改善されてたはずよ。あなたの思っているようにうまくいくかしら」

「……たしか、よしかれあしかれ組織というものは、上の影響が下に向かってでるものであるというのがフェザーンでは一般的な組織論だったな。そしてローエングラム公は清廉で有能な人物。だから組織の腐敗もただされている。そう言いたいのだな」

 

 小さく苦笑するゲオルグ。その苦笑にはあきらかに嘲りの成分があった。

 

「……その組織論が間違っているって言いたいのかしら」

「いや、概ねにおいてその組織論は正しかろうよ。だが、上の清廉さをかつて腐敗していた下の者達はどれほど理解しているのやら」

 

 警官になって間もない頃、余計なことを独断でやる同僚や部下たちにゲオルグは頭を悩まされたものである。人間というやつは、集団心理と前例主義が働く場においては実に多くの者が厚顔無恥な生き物になれるようで、明文化されている規則に反して私腹を肥やしていても、大多数の同僚が同じことをしていて、何十年も黙認されていると自分たちがしている違反行為が正当なものであると錯覚しだすものらしく、ゲオルグが部下の実質を欠く仕事の無責任さを批判してもまったく反省しないばかりか、逆に説き諭すように自分の“規則違反行為の正しさ”を力説してくるのであった。

 

 ゲオルグは別に規則の信奉者ではなかったし、むしろ叔父の謀略から生命を守るために警官になる前から法律違反を少なからず犯してきていたので、汚職によって私腹を肥やす行為自体に文句を言う気はない。しかしながら、形式的な仕事しかせずに職務をおなざりにし、私服を肥やすのに熱中してるせいで組織そのものが機能しなくなっているなど断じて許容できなかった。よほど悪質なものでもない限り、寄生虫でも宿主が死に至るまで栄養を吸い取ったりなどしない。宿主が死ねば、寄生虫自身も死んでしまうからだ。そんな寄生虫ですら守れる節度を守れないような輩は駆除するかまっとうな寄生虫にしてやるのが、帝政を支える帝国貴族たるものの責務である。

 

 だが、正攻法ではどうにもならない。なのでゲオルグは貴族的な手法で硬直化の極みにあった自分の部署を改善した。影響力のある上官の買収、自分の言う通りに働けばコネで出世させてやると約束する、私腹を肥やすことしか頭にない奴は帝国有数の名門貴族家たるリヒテンラーデの威光を利用した巧みな話術で上層部を説得して逮捕・裁判・処刑のフルコースを味あわせて見せしめにする。こういった活動によってゲオルグの部署は汚職だらけでろくに機能していない状態から、汚職はあれどゲオルグの指示によって仕事が非常に能率的に行われる状態へと変化した。

 

 能率的に仕事が行われる部署になったからといって、部署の全員が勤労意欲に目覚めたわけではない。仕事もちゃんとやっておいたほうが、自分にとって利益になると合理的に判断しただけのことである。仮に部署のトップが仕事に不真面目なやつにかわったら、部下たちは何のためらいもなく仕事は形式的にしかしなくなり、部署はふたたび硬直化したであろうことは疑いない。ラインハルトの改革によって旧体制下の悪癖が劇的に改められつつあるが、はたして同じようなことになっていないだろうか? いや、劇的な速度での改善であることを考慮すれば、考えるまでもないほど答えは明瞭すぎて、疑問系をとるのもばかばかしいとゲオルグは思えた。

 

「……そういえば、クラウゼのことで報告があるんだけど」

 

 ゲオルグとベリーニの官僚機構の性質について意見を交わしあっているのを聞いて思い出した孤児院の院長がクラウゼの内国安全保障局次長になったことを報告した。これは秘密組織にとってかなり重要なことであったが、帝国の同盟領侵攻がかなり早い段階に終結しそうであるという今後の方針を大きく揺らがしかねない大事なだけに、すっかり失念していたのである。

 

 クラウゼが内国安全保障局次長に任じられたことは、中央政府への足掛かりがほしいと切望していたゲオルグにとっては願ってもない幸運であったが、帝国の同盟遠征が早期終結しかねない情勢にある今、秘密組織はマハトエアグライフング計画に全力を傾注する方針に決まったので、さしあたりクラウゼに任せられる任務もなければ、中央政府への謀略を考えている時間的・精神的余裕も秘密組織のだれにもなかったので、とりあえず次長の仕事に慣れるように命じるだけであった。

 

 結果論ではあるが、この判断によってゲオルグの関係者であるという疑いをオーベルシュタインに持たれているクラウゼは監視中になんら怪しい行動をみせず、そのせいで監視を任されていたフェルナーはこの任務の優先度を徐々に下げていき、約一年後にクラウゼが怪しい動きができるだけ監視の隙をつくってしまうことになってしまうわけで、ゲオルグはオーベルシュタインの警戒を欺くことに成功するという幸運に恵まれたといえるのだが、意図していないことだし、そもそもクラウゼがそんな状況におかれていることすら認識していなかったので、ゲオルグがその幸運を実感することはなかった。




ゲオルグは運が良いのか悪いのか。

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