リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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今後の展望

 アルデバラン星系は約五世紀に渡るゴールデンバウム朝銀河帝国の歴史の中で、首都である惑星オーディンを擁するヴァルハラ星系と同じように、アルデバラン星系は皇帝の直轄領とされてきた。というのも、この星系の第二惑星テオリアはルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが皇帝に即位してオーディンに遷都するまで、銀河連邦の首都として全人類社会の中心であったからであり、民主国家の政治家であった頃のルドルフの政治的闘争の主要舞台であったという権威的・歴史的価値があったからである。

 

 ルドルフ本人は遷都した後の旧都テオリアにあまり関心を払わず、なかば放置されていたのだが、ルドルフの没後、ルドルフの長女カタリナの子、ジギスムント一世が帝位に就くと、若い皇帝は自分が正統な統治者であるという権威を強化するためか、潜伏している共和主義者どもを牽制するためか、はたまた純粋に祖父の偉業を尊敬していたのか、テオリアを祖父の闘争の栄光がある場所として持ち上げた。

 

 またルドルフと共に連邦の民主共和体制打倒に貢献した銀河帝国の建国者たちが、老臣として大きな権力を握っていた時代でもあったので、帝国を統治する上で彼らの好意を得る必要があったのもテオリアを持ち上げた理由のひとつだろう。事実、連邦時代のルドルフの闘争を題材にした映画や演劇がジギスムント一世の指示によって多数制作され、それを見た老臣たちはかつての栄光を思い起こし、感涙して自分たちの帝国への貢献をしっかりと認識している若い皇帝に忠誠をあらたに誓ったほどだった。

 

 ジギスムント一世の影響により、有力貴族や政府高官がテオリアに足を運ぶのは一種の慣例となっていた。歴代皇帝も例外ではない。歴代皇帝の中で一生に一度も惑星テオリアの土を踏みしめたことがない皇帝といえば、史上最悪の暴君であった“流血帝”アウグスト二世とアウグスト二世の暴虐から国家を再建して過労死した“止血帝”エーリッヒ二世。皇帝に即位する前は私邸で、即位した後は後宮で性欲を満たすことにのみ熱心だった“強精帝”オトフリート四世。そして後継者候補ではなかったが傀儡として即位させられた子供たち、エルウィン・ヨーゼフ二世とカザリン・ケートヘン一世の計五名のみである。

 

 そういった経緯からテオリアは、首都機能を失って重要度が下がったとはいえ、都会といってよいほど発展を続けていた惑星であった。その惑星の地表にゲオルグは立っていた。ゲオルグは髪の毛を染めるのをやめて金髪に戻し、若干安物の服装で統一したラフな恰好をし、その上から鮮やかな色彩のアロハシャツを羽織っており、どこか軽薄な遊び人という雰囲気を漂わせる変装をしていた。

 

 ゲオルグがテオリアにやってきたのは、四九〇年を迎えてからである。フェザーンが帝国軍によって電撃占領されたのを確認し、ルビンスキーに都合よく利用されないため、秘密組織の司令部と潜伏先をテオリアへと移したのである。新たな拠点としてゲオルグがテオリアを選んだ理由はいくつかあった。

 

 第一に、惑星テオリアを擁する恒星系、アルデバラン星系のあらゆる公的機関に秘密組織が充分以上に浸透していたから、利用しやすかったことがあげられる。その一例としてゲオルグの偽装身分の獲得がある。軍務省からスルト星系の総督府に届けられた大量戦死者通知の中から、ゲオルグと年齢の近い戦死者通知を浸透している秘密組織の構成員が住民記録に登録せず、かわりに「アルデバラン星系テオリアへ移住」と書き込んだ。そしてアルデバラン星系総督府に浸透している別の秘密組織の構成員が、移住してきた人物としてその戦死者の住民番号と名前と生年月日と前住所を、他の部分にはゲオルグの情報を住民記録に登録したのである。

 

 当然、軍務省の記録とスルト星系の記録、アルデバラン星系の記録に食い違いが生じているわけだが、ゲオルグが軍に兵士として志願でもしないかぎり、軍務省が戦死者の記録を必要とすることなどないし、住民管理にあたってアルデバラン星系総督府の役人が前に住んでいた星系総督府の住民記録があるかないか確認することもあるだろうが、官僚的対応がゲオルグのおおきな味方となるのであった。電話で「こういう名前の住民の記録はありますか。生年月日はいついつで、前住所はこれで、住民番号はこういう番号です」と質問すると、スルト星系総督府の役人は住民記録を参照し、言われたことがそのまま書かれていることを確認し、「はい。あります」と答え、アルデバラン星系総督府の役人が「わかりました」と言って電話を切り、何の問題もなく確認がされる。住民記録に貼られている顔写真がまったくべつの人間のものになっているなど、凡庸な役人にとって常識外のことなのである。

 

 第二に、人口が多かったからである。テオリアの人口は実に一億を数え、帝国有数の都市惑星である。木は森に隠せという格言の通り、この人口の多さは、それだけでもよい煙幕となることが期待できたので、偽装身分で暮らすにはもってこいの場所であると判断できたからである。膨大な人口を抱えるだけあって私用宇宙船の出入りも多く、公的機関に浸透している秘密組織の力も借りれば、それに紛れ込んでの惑星の出入りも容易であるという推測ができたというのもある。

 

 第三に、自己の安全をゲオルグが欲したという点があげられる。惑星オデッサに潜伏していた折、フェザーンの工作員が私宅に訪れてくるまでまったく察知できなかったことがあった。その時はフェザーンの事前情報に穴があったことをゲオルグが見抜いて切り抜けらたのだが、それでもフェザーンの黒狐の思惑に載せられる形になってしまい、秘密組織の情報収集力と対処能力の弱さを感じずにはいられなかった。なので公的機関も状況によっては味方にすることができるテオリアは魅力的であった。

 

 主に上記三つの理由により、ゲオルグは新拠点をテオリアに定めたのである。ちなみに旧拠点のオデッサにあった私邸は近所付き合いがあった知人の友人に安値で売り渡し、ズーレンタール社は秘密組織の者たちを引き揚げさせて放置しようかとも考えたが、フェザーンが帝国に占領されたいまとなっては、フェザーンと共同戦線を張ることになるかもしれない可能性を考慮し、フェザーンへの伝手として残すべく信頼できるシュヴァルツァーにズーレンタール社を任せた。社長のグリュックスが「見捨てるのか!」とか色々喚いていたが、ゲオルグが適当にあしらって承知させた。

 

 テオリアに到着してから数日後、秘密組織での仕事がひと段落すると、ゲオルグは有名なテオリアの革命記念博物館へと足を運んだ。革命記念博物館は、もともと博物館ではなく、連邦時代にルドルフが率いた政党である国家革新同盟の党本部であった。帝国歴九年にルドルフが帝国議会を永久解散し、貴族制度を施行して政党政治を終焉させたために国家革新同盟の党施設も不要になったので、ルドルフの腹心であり帝国の初代内務尚書を務めたエルンスト・ファルストロングの提案によって、その施設を利用して自分たちの栄光の記録を公開する博物館へと改装されたのであった。

 

 党首であったルドルフの執務室も、そのままの状態で保存されていて、その執務室に向けてゲオルグは複雑な感情を交えた視線を、もう何百年も役目を果たしていない執務机と椅子にそそいでいた。

 

「意味もなくこんなところにくるなんて、あなたもやっぱり帝国貴族ということかしら」

 

 長い金髪の美女が不思議そうな声で問いかけてきて、ゲオルグは眉をひそめた。

 

「貴様、自分の立場というものがわかっているのか」

「ええ、わかっておりますわ」

「その上でそんな態度がとれるとは、とても女にしておくのはもったいないな」

 

 ベリーニはフェザーンの元工作員である。もともと帝国軍のフェザーン占領に前後してオデッサに入り込んだフェザーンの工作員は一掃する予定であったのだが、想像以上に帝国軍の進駐がはやすぎたのでゲオルグたちの行動が遅れ、その間にベリーニはオデッサ内のフェザーン工作員グループを糾合し、ゲオルグの前に立って安全と引き換えに自分たちを売り物にしたのであった。

 

 ゲオルグはたいそう驚いたが、ベリーニが主張するところによると表向きな立場を持たない裏方のフェザーン工作員は工作員としての自負と職業意識が強い。なのでフェザーンや自治領主へ忠誠心というものは薄く、傭兵のような感覚で雇い主に仕えているのがほとんどで、いわばフェザーンという国に対してではなく自治領主府が支給する給料に忠誠を誓うものである。よって帝国軍にフェザーンが占領された以上、自治領主府が自分たちに給料を払ってくれるとも思えないので、新しく秘密組織に雇ってほしいとのことであった。

 

 事情は理解したものの、ついさっきまで排除しようとしていた連中であり自分たちを監視していた者達をゲオルグはすぐに活用する気にはなれなかった。優秀なフェザーンの工作員を配下に加えることができるのはありがたいが、彼らが本当にフェザーンに対する忠誠心を捨てているのか否か容易に判断できようはずもない。もし本心でフェザーンに対する忠誠心が残っており、ルビンスキーが彼らと接触しようものならば……。

 

 その不安からゲオルグはフェザーンの工作員集団を解体し、ひとりひとりを秘密組織の影響力が強い場所へと移動させ、現地の責任者には不審な動きがあれば殺せと命じておいた。そしてベリーニのみをテオリアへ同行させた。一番近くにいたベリーニが秘密組織のことをよく知っているし、目の届くところにおいていつでも排除できるようにという心算によるものであった。

 

「前にもここに来たことはあるが、やはりここに来ると寒々しい思いを感じる」

「寒々しい?」

「うむ。寒々しい」

 

 国家革新同盟の私兵集団が他政党の私兵集団と暴力的な街頭闘争に興じている展示写真を、ゲオルグは目を細めながら、眩しいものをみるかのように見ている。銀河連邦末期、ほぼ全ての政党が私兵集団を擁し、自分たちの政党の主張を言論ではなく暴力によって主張した。そして街頭闘争に巻き込まれる形で何の関係もない市民が犠牲になることは日常茶飯事であるという悲惨な時代であった。

 

 そんな腐敗した国家体制を打倒し、秩序ある規律正しい理想の新国家を建設する。そんな使命感に燃え、活力に満ち溢れ、疲れ知らずの多才な超人どもがこの場所に集まり、理想の新国家のあるべき姿を構想し、鋼鉄の巨人ルドルフの指導に従ってそれを達成した。他の勢力を鎧袖一触できるほど自分たちの勢力が絶対的強者となることによって。

 

「なのにだ。その後継者たちはルドルフ大帝の理想を散々踏みにじってきたのだと、見せつけられてる気分になるわけだよ」

「……どういうこと? たしかにローエングラム公の手によってルドルフの遺産を壊しつつあるわけだけど、あなたたちが壊してきたわけではないでしょう」

「いいや、壊してきたとも。もしも墓場からルドルフ大帝が今の世に甦るようなことがあれば、ローエングラム公の行いを是と評されたかもしれぬ。そう思えてしまうほど、われわれゴールデンバウム王朝の王侯貴族は大帝の理想を踏みにじってきた」

 

 ルドルフが望んだのは秩序ある社会と人類の永遠の繁栄であった。ルドルフが権力を握って腐敗を一掃する過程において数十億から数百億の膨大な人命が失われたが、それでもルドルフの豪腕でもって停滞していた人類の歴史を活性化させ、強引にでも人類文明を発展の方向に導いたことは疑いない。ルドルフは破壊者にして創造者であったのだ。

 

 その後の後継者たちもしばらくはルドルフが築いた秩序を守り、人類社会を発展させることには熱心であった。程度の差はあれど国家を発展させねばならないという貴族精神が王侯貴族の精神世界に実質的に根付いていたからであったが、“痴愚帝”ジギスムント二世の御代あたりから、その精神は大きな変質が起きてしまった。貴族がどれだけ臣民に対して非道な行為を実施しようとも、他の王侯貴族を納得させられるだけの“理由”が今までは必要だった。しかし、その頂点に君臨する皇帝が私欲のみで行動してその不文律を明快に破っているのである。

 

 いままでも似たような例はあったが、その時は有力貴族や皇帝がそういった腐敗貴族を断罪していた。しかし今回私欲で特権を振るっているのは神聖にして不可侵なる皇帝陛下自身である。有力貴族たちの中にジギスムント二世を諌めようとする者が皆無ではなかったのだが、自分たちの特権は皇帝の権威を源泉であるということを十二分に承知しているだけに大多数が及び腰であったせいもあってたいした効果があがらず、ジギスムント二世は際限なく暴走を続け、銀河帝国の国家の屋台骨がへし折れようとしていた。

 

 皇帝を諌められるのは皇族しかいない。そう思ったまっとうな貴族たちはジギスムント二世の息子である皇太子オトフリートに期待を寄せた。あのひどい浪費家の父に持ちながら、皇太子オトフリートはかなりまともな性格をしており、父の暴走を苦々しく思っていたが、それでも親子の情を捨てきれずにまっとうな貴族たちの皇帝を止めて欲しいという要望をなかば黙殺していたが、父が金欲しさに豪商三百人を無実の罪で一族郎党皆殺しにして財産を没収した一件でついにオトフリートは激怒し、父を皇帝から廃立して軟禁し、自らがオトフリート二世として皇帝に即位して国家の再建に取り組んだ。

 

 しかしオトフリートが親子の情に囚われていたせいで、あるいは貴族たちが皇族を擁立しなければ動かないという惰弱さを発揮したせいで、ジギスムント二世の時代は一五年間も続いてしまい、帝国を物質的な面でも精神的な面でも疲弊させてしまった。物質的な面においてはオトフリート二世とその次の皇帝であるアウグスト一世の善政によって九割方改善されたが、精神的なものは致命的な打撃を受けていた。

 

 銀河帝国の王侯貴族は特権を有しながらもそれを私的に濫用することを厭う風潮があった。むろん、この私的というのはルドルフの思想的価値観に基づく解釈であって、共和主義者たちの辞典にある私的という単語の意味とはかなりの差があったのだが、それでもそういう風潮があった。しかしジギスムント二世が、特権階級の頂点に位置する皇帝が、率先して私的に特権を濫用して一五年も君臨し続けたことで、貴族たちは自分たちの特権はより強い立場の者から糾弾されないかぎり、どれだけ筋の通らなくても無制限に行使できるものであったことにいまさらながら気づいたのであった。

 

 ある意味、ルドルフ以来六代に渡って専制君主が、あるいは君主を傀儡にしていた有力貴族が、巨大な帝国を統治者として最低限の筋を通していたゆえの効果であった。しかしその効果は幻想に過ぎず、どのような罪を犯そうとも、自分より強い者がいなければ、あるいは取り込んでしまえば、罰など受けずに済むのだというということを貴族たちは知り、ジギスムント二世の御代で多くの貴族が罪の旨味を覚えてしまったのであった。

 

 そうして特権階級が特権を私的に濫用するのはごく当然なことになった。その結果がアルタイル星系の約四〇万人もの奴隷逃亡を軽視し、帝国に敵対する国家を、自由惑星同盟を築く時間をやつらに与えてしまった。だが、それでもまだ帝国と接触した直後ならば圧倒できるほどの国力差があったはずだ。だというのに、帝国の腐敗がおぞましいほどひどくなっていたせいで、帝国軍は数的絶対優位があったにもかかわらず少数の同盟軍に包囲殲滅されるという醜態まで演じる始末! その結果が、一世紀半も続く戦争だ!

 

「マクシミリアン・ヨーゼフ晴眼帝の改革でかなり改善されたが、それでも貴族たちの根底を戻すことは、もうどうしようもなかったのだろうな。なにせ、自分たちへの罰の鉄槌は道理ではなく強者の理屈によってのみ行われるのだから、賢君が在位しているうちは特権乱用を自重できる節度と多少の保身能力さえ持ってれば、なんの問題もないと歴史が証明してしまっているわけであるし」

 

 ゲオルグは暗いため息をついた。

 

「だれもルドルフ大帝を超克しようとはしなかったのが問題なのだろうな。五百年もの長きに渡り、良い意味で大帝の築いた道から逸れようとするものがいなかった。時が流れれば状況が変わり、大帝の時代の最善手がこの時代においても最善手であるとは限らぬ。にもかかわらず、だれもがルドルフ大帝を神聖視するあまり、大帝が定めたことを絶対的なものとした。手段に固執してその理念を忘却しては本末転倒。当たり前のことであるのに、多くの者が気づかなかった」

 

 ゲオルグの嘆きに満ちた見解を、ベリーニは冷ややかに聞いていた。彼の分析はそれなりに的を射たものであるのかもしれないが、やはり帝国貴族の価値観を引きずっているのか、ルドルフに対してあまりに好意的にすぎる評価である。そもそもルドルフを神聖視するあまり、ルドルフのとった手段を絶対的なものとしたというが、そもそもルドルフが神聖視されるようになったのは、彼が皇帝になったあと自己神聖化に邁進したせいではないか。自分のやりかたを批判する者を許さず一人残らず処刑し、時には累積まで根絶やしにするほど自分を否定することを許さなかったからではなかったか。

 

 むろん、そんなことを言って不興を買ったらたまったものではないので口にはださないが、ベリーニはフェザーン人であり、帝国の文化を知識として知っており、それに順応した振る舞いで工作員としての職務を遂行してきたが、それでも内心では帝国の古代風の中世的文化を侮蔑していた。だから、つい、魔がさした。

 

「劣悪遺伝子排除法を筆頭に、五百年前に行われたすべての行為が最善手であったとは思えないのだけど」

「……劣悪な輩を根絶やしにしたかったのであろうが、隔世遺伝や突然変異という概念がある以上、親の資質を子が完全に受け継ぐことはまずありえない。それはあくまで傾向に過ぎぬ。でなくばジギスムント二世やアウグスト二世のような愚物が大帝の末裔に存在していてはおかしいではないか。だが、そういうのを無視してしまいたいほど連邦末期にそのような輩が溢れていたのであろうな。大帝は、いささか今を重視なさりすぎた」

 

 ずいぶんな詭弁だとベリーニは感じたが、どうもゲオルグはルドルフを帝国のプロパガンダが語るような完全無欠の超人であるとは思っていないらしいが、それでも凡俗とは隔絶した優秀な存在であったという絶対的な認識をしているということは理解できた。だから彼はルドルフの行為を批判的に論ずることはあっても、けっして否定はしないのだろう。

 

「しかもフリードリヒ四世陛下におかれては――いささか、喋り過ぎたな」

 

 ゲオルグはそこまで言って言葉を切った。さすがにその続きを他人に軽々と話すのは憚られることであった。いや、その前も軽々とは話してはいけないことであったのだが。どうもかつての栄光を見ていると今の現状と比べてしまい、なんともいえない寒々しさから口が軽くなってしまう性分らしいとゲオルグは自省した。

 

 しかし銀河帝国のことを置くとしても、自分個人の没落ぶりも凄まじい。内務次官兼警察総局局長、リヒテンラーデ家次期当主。建設的な努力と陰惨な暗闘の末に手にいれた地位であったのに、いまや指名手配犯である。そういえば警視総監に昇進したとき、フリードリヒ四世より賜った名誉の長剣は、いまどうなっているのだろうか。ローエングラム体制の傾向から考えて、どこぞの好事家に売り飛ばされてそうだなと想像し、自分がだれかに愚痴を言いたい心境になってても別に不思議ではないかと思いなおした。

 

 それにしても、この革命記念館に来たのは二度目だがずいぶんと警備の数が少なくなったものだ。かつては帝室の歴史的に考えて重要な場所であるということで宮内省の管理下に置かれていたが、ローエングラム公による政治改革で不要とみなされて売りに出され、中央の権力争いに無関心で領地運営に精をだしていたがゆえに生き残った堅実思考の貴族が運営権を帝国政府から買い取ったのだが、やはり国家の支援があった頃と比べて運営予算が減り過ぎていることが妙実に現れており、警備以外にも昔と比べてどこかみすぼらしい印象を受けた。

 

 ゴールデンバウム王朝が倒れようとしている。いやもう事実上は倒れているのか。五世紀にわたる歴史を誇る銀河帝国の歴史の中には、重臣が皇帝を傀儡にして実権を握った前例がいくつかあるが、内心はどうあれ傀儡の操縦者は表面的には皇帝と帝室への敬意を示したものであるが、今現在その立場あるラインハルトにそのような部分が欠片も見られない以上、ゲオルグにはすでにそれは自明のものとしてわかっていた。しかしこうして目に見える形の物証のようなものを見せられると寂寥感を感じるのであった。

 

 帝国の藩屏たる貴族階級の一員としては正しい反応であったかもしれない。だがゲオルグもラインハルトほど積極的ではなかったとはいえ、エルウィン・ヨーゼフ二世の意向如何によっては簒奪も考えていた人間であったので、その寂寥感はきわめて一時的なものにすぎず、革命記念館を出たら数分もせぬうちに払拭できてしまったのであった。

 

 後世のある歴史家はゲオルグのこうした気質を評し、ラインハルト・フォン・ローエングラムという天才が歴史上に登場せずとも、このような人間が帝国の将来の中核を担う逸材として政官界で重視されていた時点で、ゴールデンバウム王朝の命運はどのみち長くなかったのかもしれないと語る。しかしながら、ゲオルグにはゴールデンバウム王朝の制度的欠陥をラインハルトほど問題視していなかったから、仮に簒奪は行われたとしても史実の新王朝ほど開明的なものにはならなかったであろう。

 

 革命記念館で先祖の偉業の記録を見物したあと、ゲオルグたちはアルデバラン星系総督府へと向かった。総督府に勤務する下級役人というのが、ゲオルグの表向きの身分であった。総督府の人事部の役人が六割方秘密組織の構成員なのを利用して、正式な手続きで採用されており、役人であることを示す証明書もゲオルグは保持している。そしてゲオルグが配属された部署は、全員が秘密組織の構成員であって、アルデバラン星系に巨大な影響力を秘密裏に行使する組織の重要な部署でもあった。

 

 オフィスに入って来たゲオルグの姿を見て、秘密組織におけるアルデバラン星系の責任者であるブレーメ課長が紙切れを抱えて走って来た。ブレーメは秘密組織の総司令部の一員であるゲオルグに直に仕えていることを名誉と思っていた。そしていまからする報告は、秘密組織の未来を大きく動かすものであると予想して気分が高揚し、ややうわずった声で報告した。

 

「ハイデリヒよりこれが」

 

 ブレーメから差し出された一枚の紙きれを受け取って内容を確認すると、ゲオルグは肉食獣を思わせる笑みを浮かべた。

 

「やはり思った通りだ」

「なにがかしら」

「見ろ。フェザーンに入った帝国中央の官僚リストだ」

 

 ゲオルグから手渡された紙きれは、遠征に同行している官僚達のリストであった。かなり多くの官僚が同行しているようでとりわけ財政・行政の専門家の数が多かった。よく名前を聞いた大物官僚も少なからず名前が載っている。

 

 ゲオルグは帝国軍がフェザーンの奇襲占領を目論んでいると推論したとき、ある可能性に気づいて帝都から官僚たちに関する情報を収集するよう秘密組織に命じていた。そしてその結果がいま届いたというわけであった。

 

「ローエングラム公は門閥貴族と自由惑星同盟にたいして“懲罰”を加えるなどと演説しておったが、懲罰程度で終わらせる気は毛頭ないようだ。どうも本気で同盟を占領して支配するつもりらしいな」

 

 自由惑星同盟との接触以来、帝国は「叛乱軍の邪悪な思想によって洗脳された人民を救出し、不法占領されている自国領土を奪回する」という大義を掲げ、同盟の征服を目的とした戦争状態にあるが、その目的を本気で果たそうとしたことは帝国の歴史上、第二〇代皇帝フリードリヒ三世の時代に皇帝の三男ヘルベルト大公が指揮を執った大遠征と第二四代皇帝コルネリアス一世の時代に行われた大親征の二回だけである。

 

 というのも、苦労に比して割にあわなさすぎたからである。同盟は民主共和政国家であり、当然、国民は全員共和主義者である。そして帝国の価値観において共和主義者とはイコール“思想犯”であり、体制に対する脅威以外のなにものでもなかったからであった。

 

 “敗軍帝”フリードリヒ三世の頃は同盟市民の約半分、主に知識層や軍人を中心に殺戮して同盟市民に恐怖心を植え付けて帝国への反抗心を砕き、残った半分のうち一五歳以上の者は奴隷階級に落とし、残った子どもたちに対して徹底的な思想教育を施せば、億単位の奴隷と数百万の臣民を獲得することが可能であり、腐敗した帝国の無慈悲で未来のことを考えていない圧政により、平民の数が激減したことで発生していた労働力不足問題をある程度解決させることができるという臣民化計画を帝国政府の文官が立案したこともあって、この時点では帝国にとって同盟の征服はそれなりにうまみのある話であった。

 

 だが、フリードリヒ三世の通称が“敗軍帝”であることからもわかる通り、ヘルベルト大公率いる遠征軍はリン・パオ総司令官とユーフス・トパロウル参謀長の名将コンビに率いられた同盟軍によってダゴン星域で大敗し、帝国の圧政に恐怖していた者達が大挙して同盟に逃げ込んでしまい、帝国は数的有利を保つこと自体には成功したもの、圧倒的というほどではなくなってしまい、この時点で当初想定していた“叛徒どもの臣民化計画”は実行不可能なものになってしまった。

 

 それでもフリードリヒ三世の三代後の皇帝、“征服帝”コルネリアス一世が人類社会統一の野望を燃やした。先帝にして従兄であり、腐敗しきっていた帝国の改革に成功した“晴眼帝”マクシミリアン・ヨーゼフ二世の開明的思考を受け継いでいたコルネリアス一世は、当初は共和主義者の国である同盟に対してそれほど激しい敵意を持っておらず、帝国が全銀河の支配者であるという思想と矛盾しない形で外交関係を構築させようと、同盟政府に対して一定の自治を認める代わりに臣従を求める使者を送った。

 

 だが、数十年前のタゴン星域の大勝に驕っていた同盟は、帝国など恐るるに足らずという世論が支配的であり、その民意によって市民に選ばれた同盟の代表者たちは当然のごとく皇帝の使者に対して冷笑を浴びせながら過大な要求をした。自由惑星同盟を独立国家として認めること、自由惑星同盟が銀河連邦の正統な後継国家であることを認めること、ルドルフによる銀河連邦簒奪を帝国政府が認めて謝罪すること、数百年に渡って帝国政府が行ってきた人権侵害を謝罪し反省すること、貴族階級を廃止すること、銀河帝国の帝政の否定と徹底的な民主化を実施すること……。その他諸々の条件を帝国が受け入れるのであれば、帝国の存在を認めて外交関係を結んでやってもよいと同盟政府は回答した。

 

 これらの過大な要求は当然のごとくコルネリアス一世を激怒させたが、それでも自分が寛容な君主であることを同盟にアピールしようと三度にわたって使者を派遣したが、これは逆効果であった。「余裕がないからここまで下手にでれる」と解釈した同盟はより厳しい要求を帝国につきつけ、第二四代皇帝の矜持を徹底的に傷つけたのである。

 

 こうなったら自ら遠征軍を率いて力ずくで併合してやると皇帝は激しい怒りとともに決心した。当時の帝国の有力者も先帝やコルネリアス一世が選んだ人材だけあって押し並べて理性的な人間であったが、交渉という概念自体理解できているのかどうか怪しい同盟に対しては軍事侵攻しかとるべき道なしと多くの者が判断し、帝国は同盟征服のための挙国一致体制が築きあげられた。

 

 こうしてかつてヘルベルト大公が率いた遠征軍とは比べるのがバカバカしいほど指揮系統が統一され、有能な将帥を多数擁する強力な遠征軍が組織され、総司令官であるコルネリアス一世の壮大な戦略構想による指揮の下、驕れる同盟軍に対して連戦連勝し、同盟首都ハイネセンの目前にまで迫った。しかし、なんとそのタイミングで、本国で宮廷クーデターが発生してしまったのである。

 

 コルネリアス一世率いる遠征軍は同盟征服に王手をかけてる状態であったが、本国でクーデターが発生している状況を放置するわけにもいかず、悔しさに歯噛みしながら本国へ撤退した。撤退中に少なからぬ犠牲を出したこともあってコルネリアス一世のクーデター派に対する怒りは凄まじく、クーデターを起こした愚か者たちとその一族をまとめて絞首刑にして晒しものにすることによって、鬱憤をいくらか晴らしたのであった。

 

 それ以降、コルネリアス一世ほど柔軟な思考ができる有能で征服欲の強い皇帝がゴールデンバウム王朝から生まれなかったため、同盟を征服して一五〇億もの思想犯を抱え込むなんてまっぴらごめんという意見がだれも明言はしないものの帝国では支配的になった。なので帝国における戦争方針は基本は防衛であり、攻勢は国内の政治闘争と戦術的要因によって実施されるものでしかなくなってしまった。

 

 そんな惰性的姿勢で帝国は戦争に取り組んでいたので、いっそ同盟との戦争状態を終結させてはどうかという意見が帝国政府から幾度か出たのだが、そのたびに銀河帝国は人類社会を統治する唯一の国家と主張する原理主義者と戦争が終わって自分たちの立場が弱くなることを恐れる軍人たちの猛反対によって潰されてきたのであった。

 

 だからそれを前提に考えていたので、ラインハルトの正統政府と同盟に対する懲罰とやらもイゼルローン回廊周辺で局地的戦闘を起こすだけだろうとゲオルグは推測していたのだが、よくよく考えてみればいままでの行動から推測するにラインハルトはコルネリアス一世と同じくらい、あるいはそれ以上に柔軟な思考力をもった有能な人物であることは証明済みだし、権威を恐れぬ気質からして征服心が強くてもおかしくない人物である。フェザーンの奇襲占領の一件でそれに気づいたゲオルグはすぐさま秘密組織に帝国政府の官僚の情報を集めるよう命じた。

 

 そして情報収集の結果、ゲオルグの予想は的中した。占領後、旧同盟領を統治するべく、多数の官僚が遠征軍に同行している。つまり文官も武官も大半が本国を留守にしているというわけで、帝国領の管理は平時と比べてかなり杜撰なものになっていることは疑いない。自分にとってはなんともありがたい状態であると言ってよい。正直、成功するかどうか怪しかったブルヴィッツの謀略も、意外と効果をあげることができるかもしれない。

 

「それで……上層部はなんと?」

 

 ゲオルグの問いは奇妙なものであった。ゲオルグが秘密組織のトップなのだから、上層部とはゲオルグの支配下にあるのである。しかしながら、ゲオルグは機密保持の観点から、自分が秘密組織のトップであることを教えておらず、ただ上層部の一員とだけ告げていた。

 

「上層部は、あなたの指揮に従えと」

「そうか」

 

 ブレーメの返答はわかっていたことである。なんとなれば、ゲオルグが上層部にそう命令していたので。

 

 ゲオルグは熟考した。三年前にアムリッツァで大被害を被ったとはいえ、同盟軍はいまだ強力な軍隊である。フェザーン回廊が帝国軍の支配下におかれているという戦略的劣勢な状態にあっても、同盟軍はそう簡単には屈しないだろう。不敗の名将と称されるヤン大将を筆頭に、ビュコック大将、パエッタ中将といった帝国軍になんども煮え湯を飲ませた同盟軍の宿将も健在なのだから、帝国軍の侵攻に対して激しく抵抗するはずだ。

 

 だが、激しく抵抗するといっても、覆しがたい戦略的劣勢状態だから、帝国が同盟領征服を諦めてそれなりの譲歩案を示せば、同盟はすぐさま飛びつきかねない。となるとラインハルトがいつまで征服にこだわっていられるのかが重要なところか。ラインハルトが軍事独裁体制を帝国に敷いてから、まだ一年と少ししかたっていない上、小規模とはいえ旧貴族領や貴族領の叛乱といった不安要素もあるし、遠征軍の補給の問題もあるので、長期間にわたって本国を留守にしているわけにもいかないだろう。

 

 となると一年が限界か? いや、同盟領を完全征服ないしは同盟と一時的休戦を成立させえたとしても、すぐに戻ってこれるわけではない。これほど大規模な作戦行動となると事後処理は重要なものだけでも膨大なものになるのはわかりきっているし、今後の国家戦略にも大きく関わってくる要素であるから、ラインハルトが全体的な方向性を見定めるまで自身で事後処理の指揮をとりたいところであろう。となると、六ヶ月から八ヶ月の間、帝国の重要人物の大半が同盟領にいると考えるべきか。そうなると……。

 

「四月中にマハトエアグライフング計画を実施する! それまでに計画をより完璧なものとするよう努力せよ!」




本作では帝国の領土は星系単位で総督府が置かれて統治されていることになってます。
例外として貴族領は領主の方針によるので、どのような統治機構が存在するのか千差万別。

あとフリードリヒ四世より賜った名誉の長剣ってのは、警察版元帥杖的なものです。

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