リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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フェザーン占領

 帝国歴四八九年一二月二四日。それはのちに帝国軍の歴史の栄光の一ページとして記されることになる日付である。すでにロイエンタール上級大将率いる三個艦隊がイゼルローン回廊で同盟軍と交戦していたが、ラインハルト壮大な戦略、ラグナロック作戦が誰から見てもあきらかな形を持って発動したのは、ミッターマイヤー艦隊がフェザーンに到来したこの瞬間であった。フェザーン自治領が成立して以来、自治領主府はなみなみならぬ努力を傾け、あらゆる政略と謀略によって、非武装中立国家としての性質を一世紀近くにわたって守り抜いてきたのだが、そのしたたかさと狡猾さを押しのけて、初めて帝国軍のフェザーン侵入と占領を達成した日であるのだから。

 

 むろん、それは後世の視点によるものであって、当時はそんな帝国軍の栄光とやらをのんきに考えられる暇などどちらの側にもなかった。フェザーンは突然の事態に冷静に対処できずにあらゆる場所で混乱が発生していたし、占領する側の帝国軍の側からしても民間人への被害を避けつつフェザーンの主要機関や同盟の弁務官事務所の制圧を実施に忙殺されねばならなかったので、今までにない任務に携わる高揚感を感じつつも、終わった後の栄光を考えている余裕などなかった。フェザーン駐在高等弁務官補佐であるフリッツ・クラウゼにしても同様である。

 

「帝国軍艦隊襲来! 帝国軍の侵略です! 帝国軍の侵略です!」 

 

 あらゆるフェザーン・メディアが繰り返しその情報を流しているのを見て、クラウゼは驚愕した。秘密組織からの情報で帝国軍のフェザーン占領があることを事前に知っていたのだが、おそらく二七日以降であると教えられていたのである。だからまだ日にちがあると踏んでいたのに、それより数日早く帝国軍が殺到してきたのだから。しかしすぐに帝国軍の別働隊を率いているミッターマイヤー上級大将は“疾風”と称されるほど高速の艦隊運動を得意とする提督であることを思い出し、隠密行動なのに高速移動なんかやるなよと内心で罵倒した。

 

 ともかく早く行動に移さなくてはならないとクラウゼは慌ただしく服装を整えようとした途端、裸の美女に抱きつかれた。弁務官事務所での仕事を終え、クラウゼは女を買ってさっきまでホテルで楽しんでいたのである。女は顔を青くして、震えるような声で問いかけてきた。

 

「ね、ねぇ、帝国軍が侵略してきたってどういうこと? あなたたちはなにを考えてるの……?」

「俺が知るか!」

 

 女としては、クラウゼが帝国の高等弁務官補佐の職にある人間であることを知っていたので、当然、クラウゼも帝国の意図を承知しているものと考えての問いであったのだが、冷静に考えれば今回の一件について事前に帝国軍から弁務官事務所に連絡があったのなら、そもそもクラウゼがフェザーンの女を買って遊んでるわけがないということまでは思考がまわらなかったようである。

 

 くわえてクラウゼはこの混乱中になさなくてはならないことがあったので、自分の行動の邪魔をする女に激しい怒りを抱き、怒鳴りつけて暴力を振るって意識を奪った。気を失ったことを確認すると、さっきまで情事にふけっていた女のことを意識の外に放り出し、携帯TV電話を取り出して番号をダイヤルしたが……。

 

「くそっ! 回線がパンクしてやがる!!」

 

 思わず携帯TV電話を床に叩きつけた。頭の冷静な部分が、こんな騒ぎになれば電話回線がパンクするのも当然だろうと自分の行為を嘲笑い、苛立ちを噛み締めて服をきて、外に飛び出した。こうなったら自分の足で仲間を集め、秘密組織より与えられた任務を遂行するほかない。事前に集合場所は伝えてあるが、早すぎる帝国軍到来に対応できているかどうか……。

 

 集合場所に向かって走りながら、クラウゼは密かに安堵した。帝国の弁務官事務所の外交官であることを示すバッジをはずしていたが、着替えがなかったのでスーツがないことを除けば外交官の服装のままであったから、それと知っている者が見れば帝国の外交官であることは一目瞭然で、帝国軍の侵攻に怯えるフェザーン人たちの怒りのぶつけどころになるのではないかと心配したのだ。しかしフェザーン人は平和馴れしすぎていたようで、逃げ惑う民衆に他人の服装を確認してる精神的余裕などだれにもなかったのであった。

 

 集合場所は繁華街の路地裏にあって、いつも客がほとんどいない酒場だった。クラウゼがその酒場に到着し、集まっている人数を確認したが三人しかいなかった。本来であれば、ここに二〇人近い秘密組織の構成員が集まっていなくてはならなかった。

 

「三人だけか!?」

「いえ、ベルンハルト殿もおられたのですが、待ってられないと二人連れて先に出て行ってしまいました」

「勝手なことを!!」

 

 クラウゼはそう叫んだが、秘密組織から与えられた任務を思えばベルンハルトの行動もあながち間違っているとは言い難いと思い直した。

 

「全員、ブラスターは持っているな」

 

 全員が頷いたのを確認すると、あとから来るかもしれない構成員に対する書き置きを作成し、仲間の一人から若干薄汚れた上着を借りて羽織ると急いで駆け出した。なんとしても帝国軍が都市部までやって来る前にかたをつけねばならないのである。

 

 秘密組織から与えられた任務は、元警察総局参事官クルト・フォン・シュテンネスの抹殺である。曰く、組織の裏切り者であり、フェザーンに亡命したのも組織の手から逃れるためで、今まで監視を命じていたとのことであった。帝国軍の捕虜になっては組織を窮地に追い込む情報を漏らすかもしれないので、フェザーンの統治機構が大混乱するであろう帝国軍に侵攻の際に抹殺せよ。それが秘密組織の意向であった。

 

 そのシュテンネスが住んでいた集合住宅にクラウゼがついた時はすでにもぬけのカラになっていて、ベルンハルトについていった構成員が一人いるだけであった。ベルンハルトたちはシュテンネスと同じ集合住宅にいた者たちを尋問し、彼がどこに行ったのかという情報を集め、三つの候補地を絞り、連絡役である自分を残してベルンハルトともう一人は候補地のひとつに向かったと残った一人から説明された。

 

「そうか。ではおまえはベルンハルトを追え。シュテンネスが警察時代の仲間と行動を共にしている可能性がある。二人ではきついかもしれん」

「了解しました」

「カニンガム、グレムト。おまえらはシュテンネスと繋がりがあったザウルとかいう独立商人のとこに」

「了解」

「残りは裏街だ、俺についてこい!」

 

 クラウゼの素早い指示で行動は再開された。クラウゼたちの担当はある裏街である。シュテンネスがよく出入りしていた裏街の店のリストを片っ端からあたっているが、かなり数が多く、捜索は難航した。帝国軍は公的機関の占領を優先するであろうから、こんなとこまで兵士がやってくるまでにまだ時間があるだろうが、それがどの程度か推し量る術はなく、焦燥にかられる捜索であった。

 

 やがて目的地にシュテンネスが潜伏していないことを確認しおえたベルンハルトのグループも「裏街は広いから捜索がまだ終わっていないだろう」と考えて合流し、数分たつと秘密組織の焦燥感はますます膨れあがった。ザウルのとこにシュテンネスが潜んでいるのか、それともベルンハルトらの捜索が甘すぎたのか……クラウゼが自分たちの責任ではないと脳内で現実逃避しはじめた時、仲間の大声が響いた。

 

「いた! いたぞ!! シュテンネスだ!!」

 

 その声は待ちわびたものであった。即座に声のしたところに急行すると、そこには肩を撃たれて血を流す仲間が呻き声をあげていた。

 

「シュテンネスはどこだ!?」

 

 血を流す仲間へのクラウゼの問いは非情なものであったかもしれないが、いまは一刻を争うのである。

 

「向こうの通りに。赤い流行りの服を着ていて、青い帽子で顔を隠してる……」

「わかった! おまえはこのままここにいろ。そして帝国軍の兵士に撃たれたとごまかして治療を受けるんだ。いいな!」

「了解……」

 

 仲間頷くのを見て、クラウゼは自分と同じく声を聞いて集まってきていた三人とともにシュテンネスのあとを追った。幸いと言うべきか、シュテンネスは水たまりにでも足を突っ込んだのか、靴がかなり濡れているようで、足跡をくっきりと視認できるほど残していたので姿が見えずとも、足跡を追うことで追跡ができた。

 

 その足跡を追跡し続けた末、ある道筋で四人の人影を確認できた。年若い少年と黒人の大男、そして青い帽子に赤い服をきた中年と思しき人影が二つ。どっちがシュテンネスかとブラスターの照準にクラウゼらが迷っていると、黒人の大男がすごいスピードでこちらに突貫してきた。

 

「っ! ガキと黒人は無視していい! あの二人を殺せ!!」

 

 黒い巨体が迫って来る恐怖心を抑えきれず、クラウゼは絶叫に等しい声で命令した。その命令にしたがって残りの三人がブラスターの引き金を引いたが、少年が対象の二人を押し倒して光線から守った。そして突撃していた黒人の大男が仲間の一人の顎に強力なパンチをお見舞いした。仲間の体が宙に浮いて、建物の壁に激突し、その衝撃で白目をむいて気絶した。

 

 その光景に仲間の一人がなにやら迷信じみた恐怖を抱いた。彼が育った帝国はルドルフの白人種至上主義の価値観に染まっており、有色人種は劣った存在であるされており、白人の正反対の肌の色をしている黒人などはその最たるものであるかのように定義されていた。そんな黒人がこんな怪力を有しているのだから、いわゆる悪魔なのではないかという恐怖を感じ、命令を無視して黒人にブラスターを向け、引き金をひいた。

 

 とっさに黒人は避けたが、完全に避けきることはできなかった。腕がブラスターの光線で貫かれた。とどめを刺せなかった。そう思い、その男は再びブラスターを黒人に向けた。

 

「馬鹿野郎! 右だ!」

 

 クラウゼの大声を聞いて、とっさに右をむいた男の視界に映ったのは、双眸に憤怒の炎を煌めかせた少年の姿であり、腹部に強い衝撃を感じた瞬間、男は口から胃の内容物を吐き出して意識を手放した。

 

(万事休すか……)

 

 クラウゼは現状を認識し、そう心中でつぶいた。三人いた仲間のうち、一人は黒人に、一人は少年によって意識を奪われ、残りの一人は意識が残っているものの、手負いの黒人の一撃を食らって痛みに呻いている。遭遇してからここまで追い詰められるまで一分かかっただろうか。まさかシュテンネスが、これほど手練れの護衛をつけていようとは。絶望という暗くて重い感情が心中に広がっていく。

 

「そこまでだ!!」

 

 唐突に怒声が響き、何事かとまだ完全に意識を保っていた三人が声の方向を向いた。声の主はベルンハルトであった。どうやらさっきの乱闘中に反対側からこの道にきたようだ。残りの二人が、中年二人にブラスターを突きつけ人質としている。それを認識した少年が苦い表情を浮かべた。こちらに突撃して来なかったら守れたのにと悔やんでいるのだとクラウゼはなんとなくわかった。

 

 クラウゼは予想外の大逆転を認識すると少年と黒人の方にブラスター向けつつ、人質になっている中年の片方に近づいた。事態をややこしくしてくれた影武者がどのようなツラをしているのか見てやりたくなったのである。ブラスターを持ってない方の手で帽子をはずすと、明らかになった恐怖と絶望に歪んだ平凡な顔に、クラウゼは見覚えがあった。

 

「ヘンスロー弁務官?」

「そうだ、私は弁務官なのだぞ。きみたちがなにをしているのか、わかっているのか」

 

 だれの目にもあきらかな虚勢を張るヘンスローを、クラウゼは冷ややかな目で見た。

 

「弁務官? もしかしておまえの上司か」

「いんや。こいつは同盟のほうだ」

 

 ベルンハルトの問いに、クラウゼは答えた。かつて社会秩序維持局調査部フェザーン課長として内務省の対同盟・フェザーンの情報収集の現地責任者であり、いまは高等弁務官補佐の役職にあるクラウゼは職務上、対立している同盟の弁務官事務所のトップの顔と名前と経歴を知っていた。近年、同盟の高等弁務官職につく者の能力の質は、政権が変わるたびに選挙活動の論功褒賞によって与えられているせいで下落し続けており、ヘンスローもその例外ではなかったので、クラウゼはよく帝国軍の捕虜にならならずに逃げられたなとすこし驚いていた。

 

 クラウゼとベルンハルトのやりとりを聞いたヘンスローは、彼らが帝国の弁務官事務所の役人で、自分を捕まえにきたのだと思い込み、泡を吹いて倒れかけ、ブラスターを向けていた仲間が慌ててその体を支えた。意識はかなり朦朧としているようである。

 

「これがヘンスロー弁務官とすると、そっちの少年はユリアン・ミンツ少尉か」

「……どうしてぼくの名前を知っている?」

「雑誌におまえの特集があったぞ。“稀代の同盟の名将の養子がフェザーンの駐在武官に”ってタイトルで」

 

 予想外の切り返しに栗色の髪の少年――駐在武官ユリアン・ミンツ少尉は赤面した。まさか一般雑誌でそんな特集が組まれていたなど想像の埒外であった。そんな特集がされたのは、間違いなく自分の養父であり尊敬するヤン・ウェンリーが有名だからで、気恥ずかしさと同時にフェザーンでも人気なのか提督は、という感慨が浮かびあがってきたのである。

 

 クラウゼの言葉は嘘ではなかったが、ユリアンの名前と顔を知ったのは、雑誌を読んでいたからではなかった。帝国の弁務官事務所の一員として、同盟側の弁務官事務所に所属している者達の情報を集めるのも仕事の一環だったので、ユリアン・ミンツに限らずほとんどの事務所の人間がデータベース化されている。だからさっき派手に暴れていた黒人も落ち着いて特徴をよく見れば駐在武官補のルイ・マシュンゴ准尉であることがわかった。

 

「しかし解せねぇな。同盟の弁務官事務所の連中がシュテンネスとなんの関係があるんだ?」

 

 クラウゼが気になるのはそこである。シュテンネスと同盟の弁務官に、いったいどのような関係があるというのだろうか。同盟への亡命を申請していたとかだろうかと推測していると、その推測を根本から覆す返答をユリアンがした。

 

「……すいません。シュテンネスってだれですか」

「は?」

 

 あまりにも突拍な返答に、クラウゼは目を点にした。

 

「こいつだよ。こいつがシュテンネス」

 

 ヘンスローではない方の中年の帽子をはずし、呆れた声でベルンハルトはブツブツと何事かを呟いて現実逃避しているシュテンネスを指さした。するとユリアンとマシュンゴが顔を見合わせ、何とも言えない顔をするのでベルンハルトたちは困惑した。

 

 ユリアンはすべて正直に説明した方がよいと判断した。帝国軍に見つからぬよう、自分の素性を隠して潜伏せねばならない身の上であったが、クラウゼたちに正体が見抜かれているので隠す意味がないし、それに彼らはどうも帝国軍とは別の目的で動いているようだと推測できたからであった。

 

 帝国軍の侵攻を知ったユリアンたちは同盟の弁務官事務所の重要データをすべて消去し、ヘンスロー弁務官をともなってしばらく潜伏する為の隠れ家を探すべく裏街へと足を運んだ。その裏街でシュテンネスが「助けてくれ」と走り寄ってきたのである。その時のユリアンたちの心情は、またか、というものであった。マシュンゴの巨体はかなり頼もしいものに見えるらしく、逃げ惑うフェザーン人から「金はいくらでも払うから護衛になってくれ」と何度か懇願されていたのである。

 

 さっきと同じようにやんわりと拒絶しようとユリアンが話しかけた直後、追手の四人がやってきた。全員手にブラスターをこちらに向けていたので、マシュンゴが敵かもしれないと判断して急ぎ足で接近。そしてクラウゼが「中年二人を狙え」と叫んだので、ヘンスロー弁務官の命を狙っていると判断し、攻撃を加えたのである。

 

 要約するとそのような説明をユリアンがした後、あとはあなたたちが知る通りですと付けくわえた。クラウゼたちは運命の悪意というものは、こういうものなのだろうかと思わざるをえなかった。だれとはなしに全員が顔を見合わせ、さきほどユリアンとマシュンゴが浮かべていたようななんとも言えない表情を浮かべる。

 

 つまり、たまたまシュテンネスと一緒にいた連中の状況と自分たちの状況が、まったく噛みあっていないのに入ってくる情報だけ噛みあってしまった結果、二人が意識を失い、一人が激痛に呻いているというわけである。

 

 ユリアンたちにしても、マシュンゴの腕が撃たれるという損害を被っている。医療環境が整っている場所で医者に見せれば数日中に完治する程度の傷であるが、これから帝国軍に拘束されないため、目立たないように潜伏しなければならないことを考えると非常に厄介な事態といえた。どちらも損しかしていない。

 

「……ひとつ提案がある。ヘンスロー弁務官を返すが、俺たちがここでなにをしていたか、帝国軍に捕まってもなにも言わないでもらえるだろうか」

「その人を、シュテンネスさんをどうするつもりだ」

「こいつは俺たちの組織の裏切り者だ。裏切り者をどう遇するかなんて闇の世界では決まっているだろう?」

 

 裏切り者。クラウゼの一言が、シュテンネスを現実逃避から覚醒させた。

 

「なぜだ!」

 

 さっきまで死んだように黙り込んでいたシュテンネスが叫び、全員が驚いてシュテンネスの姿を見た。

 

「なぜですかリヒテンラーデ閣下! 私は、私はあなたに忠実に尽くしてきた! あなたのために働き、あなたに多くを捧げてきた! なのに、なのに! どうしてこんなことをなさるのですか!!」

「なにを言うか、この裏切り者が!」

 

 シュテンネスの言葉の意味をクラウゼは理解できなかったが、自分が忠義者であると主張していることは理解できたので、罵声を浴びせた。

 

「たしかに……たしかに私は逃げました! ですがわたしは国家を敵にまわせるほど、勇気がなかった! ただそれだけなのです!! あなたへの忠義は、揺らいでなどいないッ!!」

「耳障りだ。もういいから撃て」

 

 大声に辟易したベルンハルトが命じた。耳障りだというのもあったが、このまま大声で叫ばれ続けると帝国軍の連中がやってきかねないという現実的な心配もあった。仲間がブラスターの引き金を引き、細い光線がシュテンネスの胴体を貫いた。

 

 激痛を感じながらシュテンネスは倒れ、傷口を中心にして赤い湖を地面に形成していく。急速に力が抜けていく感覚を味わいながらも、口から血を吐き出しながら、弱々しい声で、言葉を続ける。

 

「な……ぜです。なぜ、わかってくれ……ないのか」

 

 自分を信頼してくれた主君の情報を決してよそに売ったりなどしなかった。主君の行動の邪魔にならないよう、日の目の当たらない生活を送るようにした。すべては主君への忠誠心を失っていなかったからである。なのに、主君はそれをわかってくれないというのか。

 

 悲憤に暮れるシュテンネスの頭にクラウゼがブラスターの照準をあわせて引き金を引いた。光線が脳髄を貫通して即死した。任務を完遂したわけであるのだが、その達成感というものを秘密組織の面々はあまり感じられなかった。

 

 シュテンネスの死体の頭部から赤い円が広がっていくのを確認すると、クラウゼはまだ自由の身にある二人の同盟軍人に向きなおった。慈悲を乞うでもなく、ただ自分の忠誠を叫びながら、味方と思しき者たちに殺された男にたいしてわずかな哀れみを覚えつつ、ユリアンはどうしたら切り抜けられるかと額に冷や汗を流しながら、必死で頭脳を回転させていた。

 

「さて、順序が変わってしまったが……ここで見たことを帝国に黙っていてくれると約束してくれるかな。もしできないというのなら、ここで殺さねばならなくなるわけだが」

 

 頷くしか助かる道はないと悟り、ユリアンは頷いた。それを確認するとクラウゼはマシュンゴに視線をうつし、彼も頷いたのを確認すると部下に命じてヘンスロー弁務官を解放させ、ユリアンたちに託した。完全に腰が抜けている不甲斐ないヘンスロー弁務官に対して苦々しいものをユリアンは感じたが、職務上の上司を見捨てるわけにもいかないので、手負いのマシュンゴと協力して抱えあげた。

 

 三人の姿が消えた後、クラウゼたちは帝国軍に発見されてもいいように、気を失ったり動けないほど重傷の仲間から武器を回収し、位置を移動させたりして一方的な被害者であるかのように偽装した。偽装を済ませた後、ベルンハルトがある疑問をクラウゼに投げかけた。

 

「ミンツ少尉とやらと交わした約束に意味があるのか」

「約束自体に意味はない」

 

 あっさりとクラウゼは答えた。

 

「ただシュテンネスだけでなく、同盟の高等弁務官や駐在武官の死体と一緒にあったとなると、帝国軍は不信感を感じてどういう状況だったのかと徹底的に捜査するだろう。そうなるといささか厄介なことになる。しかしシュテンネスの死体だけなら、占領時の混乱によって死んだだけと認定されるだけだろう」

「なるほど。そういうことか」

「それに、だ。さっきの弁務官どもが帝国軍に捕まって洗いざらい証言し、捜査が実施されたところで問題はない。シュテンネスの命を狙ってた集団がいるということが帝国軍が知ったところで、どうやって襲撃犯を探すというのだ」

 

 クラウゼとベルンハルトは表向きにも友人付き合いをしているが、他の者たちは秘密組織の構成員としてたまに接触しているだけで、深い関係などではないし、互いの表向きの立場もよく知らないから捜査は困難を極める。

 

 それに帝国軍の侵攻で多くのフェザーン人は恐怖心から自宅に籠るか、辺境にむかって逃走していたので、目撃者も極めて少ない。そしてその少ない目撃者は、裏街で怪しい物品を売買してる闇商人だから、帝国軍当局に進んで証言するとも思えない。

 

 その上、現場も偽装してあるのだ。捜査が実施されたところで空回りに終わる可能性は極めて高いのだから、必要以上に思い煩う必要もなかろう。

 

「とりあえず俺は弁務官事務所に戻る。帝国軍が襲来してからもう三時間近く経過してるから、その言い訳を考えながらになるが」

「それは大変だな」

 

 クラウゼはぼろい上着をベルンハルトに託すと、急いで弁務官事務所へと向かった。すでにフェザーンの主要な道路は完全に帝国軍によって占領されていたので、へんに隠れたりせず表通りを進んだ。途中、何度か帝国兵に誰何の声をかけられたりしたが、弁務官事務所所属であることを示す証明書を見せると通してくれた。

 

 弁務官事務所は数百人の装甲擲弾兵によって包囲されていた。いや、装甲擲弾兵の一人に聞くと正確には警護しているらしい。高等弁務官が暴徒によって襲われる危険があるという理由で、やってきたミッターマイヤー艦隊に警備の要請をしたらしい。妙な威圧感に感じながら、弁務官事務所に入り、高等弁務官室の扉を叩いた。

 

「失礼します」

「おお、クラウゼ君。無事だったか。何度電話してもでないので心配したぞ」

 

 高等弁務官が安堵の表情を浮かべて近寄ってきた。部屋の中には高等弁務官のほかに、首席駐在武官と外の装甲擲弾兵部隊の指揮官と思しき男がいた。

 

「しかしその恰好はどうしたことかね」

「……大変申しあげにくいのですが、買った女と寝ている間に、いつの間にか本当に寝てしまったようで、起きたのがさっきです」

 

 恥ずかしくてたまらないという態度でクラウゼがでっちあげた作り話を告げると、三人とも爆笑した。

 

「もったいないな!」

 

 ある程度笑った後、高等弁務官はそう言って、さらに笑いを誘った。

 

「しかし帝国軍がフェザーンを占領することになろうとは。首席武官は御存知だったのですか」

 

 何気ない感じでクラウゼは首席駐在武官に問いかけたが、答えたのは擲弾兵の指揮官だった。

 

「知らなかったはずでしょう。なにせミッターマイヤー艦隊と一緒に来た私たちでさえ、今日まで知らなかったのですから」

「そうやってわれらが帝国軍は狡猾なフェザーンを打破したわけです!」

「考えたのはローエングラム元帥閣下であって、卿ではないぞ首席武官」

 

 そういって笑いあう三人。史上空前の帝国軍の快挙に、事務所全体の空気が高揚しているみたいだが、クラウゼはふと疑問を口にした。

 

「ところでミッターマイヤー閣下にご挨拶はしたのですか」

「なに?」

「いえ、帝国でフェザーンのことを一番よく知っているのは弁務官事務所のわれわれです。フェザーンの占領統治の力になれると愚考するのですが」

 

 高等弁務官は目を見張った。帝国軍が襲来するとフェザーン人が暴徒化して事務所にやってくるのではと恐怖し、占領が一段落すると帝国軍のフェザーン占領に浮かれていたので、現実的思考というものを今の今まで高等弁務官はしていなかったのであった。

 

「そ、それもそうだ。急いで艦隊司令部に連絡をいれよう。クラウゼ君、きみもいそいで正装に着替えて」

 

 気分の高揚が冷めて、自分の職務を思い出した高等弁務官が慌てて命令した。それによって慌ただしく準備を整え、二〇分後に艦隊司令部から「早く来るように」というありがたい返信がきたので、急いで艦隊司令部へと向かった。

 

 艦隊司令部で見たウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将はクラウゼが想像していた姿よりずっと小柄な体形で童顔だったのが意外だった。「警護部隊まで出したのに出迎えが遅すぎるぞ卿ら」と苦笑しながらおっしゃり、高等弁務官の顔を冷や汗だらけになってるのを見て笑っていたので、けっこう鬱憤がたまっていたのかもしれない。

 

 高等弁務官と首席駐在武官はミッターマイヤー上級大将と共にフェザーンの占領統治にかかわるため、約一年ぶりにクラウゼが弁務官事務所の臨時の主となった。もっとも、フェザーンの占領統治を帝国軍がしている今、フェザーン駐在帝国弁務官事務所の存在意義が怪しいものになっているから、このような対処ができているのだろう。

 

 帝国軍によるフェザーン占領から二日後。ミッターマイヤーの副官だというクーリヒ少佐が弁務官事務所を訪ねてきた。逃亡中の指名手配犯クルト・フォン・シュテンネスの死体が発見され、その捜査のためにシュテンネスに関する資料を提供してほしいとのことだった。

 

 クラウゼは二つ返事で請け負った。弁務官事務所が保管しているシュテンネスの情報など、すべて本国に報告したものばかりである。躊躇うべき理由などどこにもない。また、二四日の夜に何をしていたかも問われたが、高等弁務官に対してしたのと同じ作り話をすると、クーリヒ少佐は途中で話を切り上げて相手の女の連絡先だけ聞き取って去っていった。

 

 相手の女は話をあわせるように脅した上で買収済みなので不安はない。こうしてシュテンネス抹殺の一件は少なくともいましばらく帝国では完全に闇に葬られ、帝国歴四八九年は終わりを迎えようとしていた。




ヘンスローェ……。
なんと見せ場作ろうとしたけど原作での人望や能力のなさから、こんな扱いしかできなかったんだ。

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