ステイゴールドの建物から、7キロ程はなれた、小さな住宅街。
ひと気はなく、ひっそりと静まり返っている。
それぞれの家は、朽ち果てていたり、草に覆われていたりと、
以前の面影は残っておらず、自然に取り込まれていく途中のようだった。
その街を八雲とミミミが歩いている。
ミミミは、辺りをキョロキョロしながら、落ち着きなく八雲の後をついていく。
八雲は、ある外壁が所々取れてしまっている一階建の建物に入った。
外壁にかかっている表札は、すでに色が抜けてしまっており、ほとんど読めないが、
端の方に「…医院」という字だけが、かろうじて見えていた。
中に入ると、意外と明るい。
南向きの窓が多く、陽の光がよく差し込んでいた。
ミミミは、八雲を追い越し、いくつかあるドアを乱暴に開いていく。
そして、四つ目のドアを開けた。
その部屋には、南側と東側の窓が開いていて、陽の光と弱い風が入ってきていた。
小さなサイドテーブルの横にベッドが置いてあり、
その上に仰向けになり、文庫本を読んでいるネロがいた。
ネロは、ミミミに目を向けた後、半身を起こす。
ミミミは、何も言わずネロに飛びつき、全力で抱きついた。
ネロは、「うっ」と少し声をもらし、倒れそうになった体を手で支える。
ネロの腹に押し付けられたミミミの口からは、
言葉にならない、かすれた音が聞こえていた。
少し遅れて、八雲が部屋に入ってきた。
その姿を見てネロは、持っていた文庫本を、サイドテーブルの上に開いたまま置いた。
ネロは上半身は裸で、その体には、所々包帯が巻かれていて、
見えている顔や指先は傷だらけだった。
ミミミはそんな事は気にせずに、力をゆるめないまま、きつく抱きついていた。
八雲は少しの間、二人見つめた後、部屋の隅に置いてある椅子を持ってきて、
ベッドの近くに置き、腰を下ろし、ミミミの背中を何も言わずに見つめている。
ネロは、少し首をまわし、部屋の東側に開かれた小さな窓から見える空を眺めていた。
心地よい沈黙の後、ミミミが小さく震えながら、消えそうな声でつぶやく。
「……ネロはさぁ…弱いんだからさぁ…戦うなって…言っただろ……」
「……」
「…またぁ…こんなに……ケガしやがって……バカ……」
「……」
ネロの腹に巻いた包帯は、少しずつ濡れていった。
三人は、何も言わないままで、時間は通り過ぎていく。
どこか遠くで聞こえる、鳥の声…
サイドテーブルに置かれた、小さな置き時計の針の音…
たまに吹く風に、開かれたままの文庫本のページが、ゆっくりめくれる音…
その三つの音だけが、この部屋に時間を作っていた。
20分くらい経った頃、
もうひとつの小さな音が、部屋に降ってきた。
「…スゥ…スゥ…」
八雲は、初めて声を出す。
「…ミミミ…眠ったみたいだね」
ネロは、自分の体の一部のようにしっかりと腹にしがみついた、
ミミミの頭を見つめる。
薄い金色で少し桃色がかっている細く柔らかそうな髪が、
小さな呼吸とともに揺れる。
八雲は、座ったまま少し背伸びをしながら、
部屋を見回した。
家具はベッドとサイドテーブルしかなく、
部屋の隅に、ネロの持ち物が入ったカバンが置かれているだけだ。
サイドテーブルには、時計と飲みかけの水、
そして文庫本が一冊。
それしかなかった。
八雲は小さくため息をついて、
「……退屈じゃないか?」
ネロは、少し間を置いて答えた。
「……シュラが?」
八雲は、軽く笑ってしまった。
「フッ……
見た目より…元気そうだ……良かったよ…
……おっと…忘れてた」
八雲は、持ってきていたカバンをさぐり、袋をとりだして、
ネロに差し出す。
ネロは受け取って手を入れ、中身を一つ取り出した。
「…」
ネロの手には、トマトが乗っていた。
八雲は、トマトを見ながら話す。
「キレイだろ?」
「………ああ」
「これ、自家製なんだ。
あ……私達のじゃないよ……
今、世話になってるステイゴールドが作ってるんだ。
私達が住ませてもらってるビルの屋上がさ、菜園になってて…
何種類もの野菜を育ててるんだよ。
今朝、それを見せてもらってね…
少しだけ、もらってきたんだ。
きっと、体に良いと思うから食べてよ」
「…ああ」
「ステイゴールドは、長い間ここに住んでるから、
こういう事もできるんだ。
凄いよ。
定住するのは…本当に色々と大変だろうけど、
その効果は、とても大きい。
……そう思うよ」
「……そう…したいのか…?」
八雲は、スッとネロの目を見てから…
また、ネロの手元にあるトマトに視線を移す。
ネロも少し八雲を見て、トマトを見つめた。
トマトは、艶やかでみずみずしく赤い色を散らせている。
「な?
キレイだろ?」
八雲は、そう言ってトマトを見ながら目を細める。
その目に映るトマトは、ナゼか、より赤く光っていた。
「……ああ…
…こんな世界には……似合わない位に…な」
ネロは、そうつぶやいて、もう片方の手で、
小さな寝息をたてている、ミミミの髪をそっとなでた。