プロローグ*入学しなさいって…
1991年8月6月。
日本のどこかに存在する幻想郷、その中にある冥界では、8月は暑い暑い夏の季節だ。ましてやこの日はよく晴れて、現在の気温は30度に近い。普通の人間なら外に出るとすぐに暑いと愚痴を漏らすであろう、そんな天気だった。
この天気の中、白玉楼の庭師である魂魄妖夢は、全身から大量の汗を流しながら剣術の練習をしていた。
それを日影の縁側に座って見守るのは、ここ、白玉楼の主、西行寺幽々子だ。団子を食べながらゆっくりと茶を飲み、従者の成長を楽しんでいるようだ。
しばらく妖夢が剣術の修行をしていると、幽々子が口を開いた。
「妖夢~、ご飯の準備~」
妖夢はその声を聞いて、ふう、と一息ついてから刀を仕舞い、予めポケットに入れておいたタオルで顔に付着している汗を拭った。
「もう5時ですか?まだ明るいのに。早いものですね…」
「すっかり夏だものね。妖夢も、この暑い中お疲れ様。」
「ありがとうございます。では、着替えてから厨房に向かいます。」
妖夢は縁側から建物内に入り、自分の部屋のある方向へ歩いていった。
「そろそろ、あっちへ行って貰わないとね…」
妖夢が去るのをじっと見てから、幽々子はそう呟いた。
――これは、とある半人半霊と魔法の世界の話。
白玉楼の夕食は毎晩もの凄いものである。
何が物凄いのかというと、その量だ。
幽々子の食欲と胃の大きさはその体型からは想像できないほど凄まじいものであり、毎日毎食巨大な机に入りきるかどうかの量の食事が出るが、これでは足りない。
この食事達を作っているのは何故か庭師の妖夢であり、妖夢は幽々子が食べている最中も料理を続ける。
5時から幽々子が食事を終えるまで、ずっと料理を続けるのだ。
現在は味噌汁をよそいながら鮭を焼いている火の火加減を見て、それと同時に半霊の方が刺し身に使う大根と魚を切っている途中である。
半人半霊の妖夢は、半人の方と半霊の方で別々の動きができるので、同時に違う作業を行うことも容易いことである。
新しくできた料理を幽々子の元へ運び、食べ終わった皿を回収しまた厨房へ足を向ける。すると、突然幽々子に話し掛けられた。
「妖夢~、話があるの。あなたの夕飯が終わったら、私の部屋に来て。」
幽々子から呼び出されることはしょっちゅうあるが、大抵は肩を揉んでほしいやらおつかいに行ってほしいやら、日常的な呼び出しだった。
しかし、今回は少し違う。
口調こそいつものものであったが、それは幽々子の真剣な目から伺うことができた。
「承知致しました、幽々子様。」
どんな話をされるんだろう、と考えながら、妖夢はまた厨房へと足を進めた。
「幽々子様、只今参りました。」
「はーい、入っていいわよ。」
「失礼します。」
妖夢は襖を開けて幽々子の部屋に入った。
幽々子の部屋は至って普通の和室だ。何か特徴があるとすれば、この部屋の周りには沢山の桜が植えてあるため、障子を開ければ桜の木が目一杯に飛び込んでくることだ。
そして肝心の幽々子はというと、座布団に正座し和机で頬杖をつきながらこちらを見ていた。口は笑ってはいたが、目はやはり真剣な表情だった。
妖夢は幽々子と向かい合う形で座布団に正座した。
「それで、話とは何なのでしょうか。」
少しの間沈黙が流れる。
この空間の空気が緊張で張り詰め、妖夢はごくりと唾を飲み込んだ。
「妖夢………良いニュースと悪いニュース、どちらから聞きたい?」
ニコリと笑って幽々子が訪ねた。
「…いや、いま明らかに重要な話をするムードでしたよね?もう…」
また彼女のペースに乗せられてしまった、と妖夢はため息をついた。
昔からいつもこうだった。妖夢は、普段からずっと幽々子と話をするときは必ず彼女の真意の読めない言動に翻弄されてしまうのだ。
「大事な話があるんですよね?ちゃんと真面目に話してくださいよ…」
「まあまあそう言わずに。それで、良いニュースと悪いニュース、どちらから聞きたいのかしら?」
「……じゃあ悪いニュースからお願いします…。」
妖夢はご飯は嫌いなものから食べていくタイプなのね、とわけのわからないことを言ってから、幽々子は次の言葉を言うための息を吸った。亡霊の幽々子には息を吸う必要などあるのだろうかと妖夢は少し考えたが、考えるだけ無駄だと判断した。
「妖夢、あなたはしばらくこの白玉楼から離れることになるわ。」
その言葉を聞いた途端、妖夢の頭は疑問符でいっぱいになった。
「ええと、どういうことなのでしょうか!?私が幽々子様の元を離れるなんて…それもしばらく!」
「まあそんなに興奮しないで。落ち着きは大事よ?…それじゃあ良いニュースね。あなたは学校に通うことになるわ。それも全寮制の。」
「それってつまり、学校に通うからここから離れるってことてすよね…?そんなことできません!私にはここと幽々子様を守るという指名がむぐっ!?」
言葉を言い切る前に、妖夢の口が幽々子の手によって遮られた。
「だから、興奮しないでって。これは命令よ。絶対に学校に通いなさい?妖夢。」
妖夢の口がようやく幽々子の手から開放された。
「ぷはぁ…すみません、少し取り乱してしまいました…しかし、白玉楼のことはどうするのですか?第一に庭は私ではないと整えられませんし、その他にも家事がたくさん…」
「ああ、そんなことを気にしていたの?ふふ、その時はその時で大丈夫よ。私は死を操れるのよ?家事くらいならそこらの優秀な亡霊に任せるわ。庭はあなたじゃないといけないけれど、帰ってきたときでいいから。庭が荒れるのは少し私も嫌だけれど、たった数年の辛抱よ。」
「そうですか…ええと、それで私はどの学校に入学するのですか?」
「ホグワーツ魔法魔術学校よ。」
魔法魔術学校と聞いて、また妖夢の頭は疑問符で埋まる。
「魔法って…私、魔力持ってませんし、そもそも何故学校に通わなければならないのでしょうか?」
「話すと長いのだけれど…実は、魔法界っていうところで近々戦争が起こるのよねぇ。死者も爆発的に増えるってことで、戦争をなるべく早めに終わらせて、もしくは起こらないようにしておいて、って何故か閻魔様に頼まれてしまったのよ。あなたなら死を操れるでしょう、ってね。でも私も戦争を収める力は持っていないわ。そこで、頼まれたからにはやるしかない、でも私はできないってことであなたに向こうに行ってほしいの。魔力なら紫がどうにかしてくれるから…」
「それただの押し付けですし、少し無茶すぎるとおもうのですが…まあ、とにかくやってみます。」
無理な願いも、命令らしいのでどうにか遂行するしかない。妖夢は生まれてからずっと幽々子に仕え、そして幽々子に膨大な忠誠心を抱いていた。そのため、幽々子に仕えることが妖夢にとっての幸せであり、幽々子の幸せは妖夢にとっても幸せだった。
「もちろん、あなたの修行も兼ねているのだから、きちんと学んでらっしゃいね。」
「はい。」
「あ、忘れてた。妖夢、質問があるの。」
「ええと、何でしょうか?」
「Do you speak English?」
「…英語が使えるかどうかの確認ですか?まあ、大抵の国の言葉は話せますし、英語ももちろん使えますよ。」
「だったら英語で返しなさいよ。」
幽々子はそう言ってぷくーと頬を膨らませた。
そのまま少しの沈黙が流れ、とうとう幽々子がぶふっと吹き出した。
「ふふ、なんかおっかしい!」
「別に可笑しくなんかないですって。話は終わりましたね?では私はもう行きますね」
「ええ、明日紫が来るからそのときにまた詳しくね!」
「承知しました。」
妖夢はそのまま礼をして、幽々子の部屋から出ていった。
学校とはどんなところなのだろうか。冥界で育てられてきた妖夢にはただ学ぶ場所ということしかわからなかった。
なんだか疲れてしまったので、今日は早く寝ることにした妖夢であった。
この小説での設定など
*魂魄妖夢*
主人公。正義感が強い。剣士より庭師の設定が強め。西行寺幽々子を強く慕っているが、彼女の普段の行動には困っている。家事は何でもできる。半人半霊なので、当然年を取るのが遅い。また、頭が良い。
*西行寺幽々子*
大食い。かなり勘が良い。そして頭も良い。マイペース。外の世界の事も紫を通じて把握している。決して楽観的な考え方ではない。基本的に何を考えているのかわからない。