博麗になれなかった少女   作:超鯣烏賊(すーぱーするめいか)

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第五話 亡霊嬢は甘い物がお好き

「ふうん。それで、顔合わせるのが怖くて逃げだしてきたと」

「怖いとかじゃ……いや、そうとも言うわね」

 

 亡くなった魂の集う場所、冥界。

 

 そしてその冥界に聳える天を穿たんばかりの大桜「西行妖」、その根元に建造された白玉楼と呼ばれる日本屋敷の縁側で、八雲紫ともう一人の女性が湯飲み片手に話していた。

 女性は心底呆れた顔をして吐き捨てるように言った。

 

「はぁ、アナタって本当にスットコドッコイな妖怪よねぇ」

「スットコドッコイって口に出して言う人初めて見た……」

 

 両者の間には煎餅がてんこ盛りに盛られた木皿が。

 一見すると女性二人ではとても食べ切れない量に感じる煎餅なのだが、ほわほわとした笑みを浮かべている桃色髪の女性にかかれば大した苦ではないので安心してほしい。

 

 女性はその柔らかな雰囲気と打って変わって、尖った口調で紫を責め立てる。

 

「情けない、情けないわ紫。自分でそう思わない?」

「だって、朝あんなことがあったばかりなのに顔を合わせるなんて、気まずかったんだもの」

「……幻想郷の賢者も、従者の扱いは手を焼くわけね」

 

 「どちらかというと従者の方が主人の扱いに手を焼いてる感じだけど」と小声で言って、桃色髪の女性が溜息を吐いた。

 

「霊夢と、八十禍津水蛭子だっけ? 従者の子たちに加えて、その二人にも気を使わせるなんて。ダブル甲斐性無しよね」

「だ、ダブル甲斐性無し……。やっぱり私、あの子たちに気を使わせちゃったわよね……」

「話を聞く限りでは、それはもう盛大にね」

 

 気を使われていたという事実は気付いていたものの、改めて他人に明言されるとそれはそれで落ち込む。

 しょぼんとした顔の紫に追い打ちをかけるように、女性の遠慮無しな言葉責めは続く。

 

「橙ちゃんも可愛そうに。素っ気無い態度が嫌だったって……、あの子もあの子なりの考えがあっての接し方だったんじゃないの? 飛び出して来るくらいなら普段から意思の疎通を頑張ってしてあげてれば良かったのに、無駄に格上ぶっちゃってさ~」

「う。そ、それも反省してます……」

「それに大の大人が子どもを困らせて、悪いのはどっちも同じです! だなんて普通に考えて可笑しいでしょう? 年下の気遣いに気付けずに勝手に気を悪くして出て行くとか、大人気無いにも程があるわよ」

「うぅ……めっちゃ刺すわねアナタ……」

 

 ずけずけと紫を責め立てる女性は、涙目になっている紫を他所に煎餅をバリバリと食べ、ズズッとお茶を飲んだ。

 紫はガックシと顔を俯かせながら、小さく呟くように言う。

 

「……私って、本当にどうしようもない女ね」

「ん、この煎餅美味しいわ~。また妖夢に買ってきてもらわないと」

「その妖夢を送迎するの私なんだけど! っていうか友達が落ち込んでるんだから、励ましの一つくらいしてくれても……」

「だからそれは自業自得じゃない。いつまでも子どもみたいな事言ってないで早く帰りなさいよ。ホントに、いい歳して全く」

「いい、歳……!?」

 

 女性が目を細めて言った言葉に、ガーンという効果音が目に浮かぶような驚きようをする紫。

 わなわなと震えさせた手で女性を指差す紫は、まさにあからさま(・・・・・)である。

 

「失礼な……! 私はピッチピチの17歳」

「も~、いい加減そういうのキツいキツい」

「……そういうあしらい方……やめて欲しいな……」

 

 紫のあからさまな嘘に若干鬱陶しそうに手を振る女性に、紫はしょんぼりと寂しげな表情で呟く。

 そして自身の髪先をくるくると弄ってイジけていると、唐突に「あ、そうだ」と女性に向き直る。

 

「それはそうと、今晩泊めてくれないかしら?」

「だから駄目よ~。帰って橙ちゃんに謝ってきなさい。霊夢にもそうしろって言われたんでしょ?」

「そうだけど……」

「あのねぇ。つまんない意地張ってると、そろそろ本当に愛想尽かされるわよ」

「……そろそろ帰るわね!!」

 

 女性のジトッとした目線にササッと立ち上がった紫は、少しだけ残っていたお茶を飲み干して縁側から続く枯山水へと素早く数歩、歩いた。

 一応幻想郷の賢者、日本の大妖怪と言われるほどの実力者である紫でも、従者に愛想尽かされるのは心底嫌なのだ。

 

 じゃあ、また来るわね。そうと言おうとして紫は振り返るが。

 それより先に桃色髪の女性が先に口を開いた。

 

「まぁいろいろ言ったけど、藍も橙ちゃんも良い子だし、そんなに怒ってないと思うわ」

「うん」

「大丈夫、ちゃんと謝れば許してくれるわよ」

「う、うん」

「それとアドバイスなんだけど、出かける時は欠かさずお土産持って行ってあげたらポイント高いと思うわ。藍と橙ちゃんの好みとかちゃんと把握してる? ちょっとした物でもプレゼントっていうのは嬉しいものよ。お菓子とか小さめの置き物とか、消え物や邪魔になりにくい物が望まし──」

「ああもうわかった! わかったからもういいわ!!」

「……はいはい」

 

 頬を桃色に染めて大声を出した紫を見て、苦笑した桃色髪の女性が頬に手を置く。

 そして口をへの字にさせた紫が、改めて別れの挨拶を言った。

 

「じゃ、また来るわね」

「今日はもう来なくていいからね」

「わかってるわよ!」

 

 そう言うと紫は空間にスキマを開き、ひょいとその中へ入っていった。

 そしてその裂け目はすぐに消え失せ、後には静寂が残る。

 

 女性はいつの間にか残り一枚になっていた煎餅をボリボリと食べながら、ほわりと微笑んで薄暗い空を見上げた。

 

「……バカ殿様演じるのも、大変ねぇ紫」

 

 スキマに消えて行った友人に向けてそう小さく呟くと、桃色髪の女性は屋敷の方を向いて自身の従者を呼んだ。

 寂しくなった隣の席を、誰かに埋めて欲しかったからだ。

 

 

 

 

 水蛭子は今、物凄く気分が良かった。

 

 藍の誤解を解くのに四苦八苦すること役一刻。

 その間に大勢の人が集まってきたことには度肝を抜いた水蛭子だったが、なんと、その殆どの人達が霊夢と自分という「博麗の二人組」のことを覚えていた。

 

 二人が袂を分かってから再び隣を歩くようになるまで、それなりに長い月日が経ってしまったが、里の殆どの人が自分たちのことを覚えていてくれていたのは、霊夢と水蛭子にとって妙に感慨深いものであった。

 

 

「……そうだ! 折角だし今日の晩御飯うちで食べてかない?」

 

 

 里の外へと続く道を四人で歩いていると、藍が唐突にこんな提案をした。

 

「わー、良いんですか!」

「私はパス。悪いけど、人肉なんて食べないから」

「もう、霊夢ったら釣れないなぁ。……え? 人肉?」

 

 藍の提案に水蛭子は嬉しそうに頷いたが、次に続いた霊夢の言葉に愕然とした表情で固まった。

 

 真顔の霊夢からは冗談の雰囲気なんて一片たりとも感じられない。

 まさか、本当に人肉を……?

 顔を引き攣らせた水蛭子が藍の方をぎこちない動きで見やった。

 

「いや、人肉なんて出さないよ」

 

 苦笑いを浮かべながらそう言った藍に、水蛭子はホッと胸を撫で下ろす。

 

「で、ですよね! はぁ~びっくりした」

「なら、行っても良いけど」

 

 安心する水蛭子は、この幻想郷に「人間牧場」なるものがあるという事を知らない。

 里の人間を害することは幻想郷の規約によって禁じられているが、人間を食べること自体を禁じているわけではないのだ。

 妖怪は人間を食べる。だから、八雲家の食卓にも人肉が出ることはたまにある。

 

 しかし、藍はあえてそれを言わなかった。

 霊夢はそれを知っていたが、「普通の食事であるのなら一食浮くし丁度良いや」くらいに思っただけで特に何の反応も示さなかった。

 

 本当は怖い幻想郷。

 ともあれ、これは妖怪の食事情を鑑みれば当然のことである。

 残酷ではあるが、人間が他の動物を喰らうように、妖怪もまた人を喰らう。

 人と妖怪が共存する上で、これは二進も三進もいかないことであり、致し方無いことなのである。

 

 まだ幻想郷の闇、否、幻想郷の摂理を知りえない水蛭子は、質の悪い冗談を言った幼馴染に「酷いわよ霊夢~」と口を尖らせ、それから笑った。

 

 幻想郷は今日も、至極平穏である。

 

 

「……」

 

 

 賑やかに話す三人の少し後ろ。その背中を何処か寂しそうな表情で眺めている化け猫の少女。

 言葉が喋れない彼女は、当然会話に参加することが出来ずにいた。

 

 その気持ちを表すように、顔を俯かせる。

 

 そんな折、ふと水蛭子が振り返った。

 

 俯く橙を見て、水蛭子は歩調を緩めて隣に並んだ。

 少し頭を下げ視線を合わせつつ橙に話しかける。

 

「橙ちゃんは……えっと、食べるの好き?」

 

 水蛭子はどんな料理が好物なのかを聞こうとしたが、寸前で仕草だけでも答えられる質問に変えなければと思い、少し変な質問をしてしまう。

 

「……(こくこく)」

 

 紫や藍以外から話しかけられることに慣れていない橙だが、それでも少しだけ考えてから、水蛭子を見て頷く。

 水蛭子は優しく微笑んで、着物の袖を軽く捲り、ちからこぶを作るように腕を上げた。

 

「そっかー! じゃあ今晩のご飯楽しみにしてて! 私も作るの手伝うからね!」

「(こくこく)」

 

 少し慣れたのか、今度は間髪置かずに橙が頷く。

 その顔には小さな笑みが浮かんでいた。

 

 後方の二人を見ていた霊夢と藍は、一連のやり取りを見て顔を見合わせる。

 そしてもう一度水蛭子と橙の方へ視線を戻し、微笑ましそうに頬を緩めたのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ニョキリと顔のみをスキマから出す。

 

「……」

 

 玄関から続く廊下には誰も居ないようだ。

 それを確認すると、八雲紫はそっとスキマから出て廊下へ降り立った。

 そして出来る限り物音が鳴らないよう、ソロリソロリと廊下を移動する。

 

 廊下には何処からか漏れ出した、いつもより賑やかな声が聞こえてくる。

 まあ十中八九、居間からの声だろう。

 しかし、藍と橙だけではこんなに賑やかな声は聞こえてこない筈だ。

 なんせ片方は喋ることが難しいのだから。

 

 ということは、誰か来客が来ているということ。

 しかし誰が訪れているのか、皆目見当が付かない紫は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「……誰かしら」

 

 

 居間の前までたどり着いた紫は、ソーッと襖を開け、中を覗きこむ。

 

 すると襖を隔てた直ぐ向こうには一人の少女が。

 

 というか紫の目と鼻の先に、彼女の目と鼻の先があった。

 ドがつく程の至近距離である。

 

 その黒曜石の如き透き通った瞳には、大きな呆れの色が浮かんでいた。

 

 

「なにやってんの?」

「ぎゃあああああああああッ!!!!」

「うるっさ……!」

 

 

 どんがらがっしゃーん!!と、ギャグみたいな音を立てて紫が後ろへぶっ倒れた。

 

 凡そ乙女の物と思えない程に大音量の悲鳴が、霊夢の鼓膜を猛烈に叩き、彼女は思わず顔を顰めて両手で耳を抑えた。

 その悲鳴と物音に驚いた藍と橙、水蛭子が急いで廊下の方まで駆け寄ってくる。

 

 すこぶる不機嫌そうな顔をして、霊夢が目の前でひっくり返っている紫へ話しかけた。

 

「この……! 鼓膜破れたらどう責任とってくれるのよ……!」

「だだだ、だって! そんなすぐそこに人が居るなんて思わないじゃない!」

「外から物音が聞こえて来たから、襖を開けようとしてたのよ。アンタだって知ってたらわざわざ行かなかったわ。……そういえばアンタ、なんで「ただいま」って言わなかったわけ?」

「う。そ、それは」

 

 紫はもごもご言い淀んだと思うと、そっぽを向いて黙り込んだ。

 

 それを見て霊夢はピクリと片眉を動かし、水蛭子は苦笑いする。

 藍はやれやれと呆れたように首を横に振り、橙は所在なさげに手を宙で動かしていた。

 

 霊夢は暫く無言のまま紫を睨むように見た後、肩を脱力させて口を開く。

 

「……さっさと入りなさい。ご飯出来てるわよ」

「え?」

 

 思っても見なかった霊夢の言葉に、紫は弾けるように顔を上げた。

 しかし霊夢は既に背を向けており、居間に入っていく所だった。

 

「おかえりなさい紫さん。みんな紫さんを待ってたんですよ!」

「そ、そうなの? それは……ごめんなさい」

「あ、いや! 料理が出来たのは、ついさっきですから! 実はそんなに待っては無いんですけどね……!」

 

 水蛭子は続けて「冷めないうちに食べましょう?」と言って、いそいそと居間へ戻って行った。

 

「さて、今日は紫様の好きなハンバーグですよ?」

「藍」

 

 戻ってきた主人に、藍は嬉しそうに、しかし少しだけ困ったちゃんの子どもを見るような表情をして、紫に手を差し出す。

 

 その手を掴んだ瞬間、強い力で引っ張られた彼女の体が一気に立たされた。

 

 藍の思っても見なかった力強さに呆気にとられた紫は、少しの間をおいて感嘆のため息を一つ吐いた。

 

「……ありがとう」

「いえ。それと、橙がずっと心配していましたよ」

「橙が?」

 

 そう言われて、橙を見る。

 橙は少し恥ずかしそうに頬を赤らめたが、紫の目をしっかりと見てコクリと頷いた。

 

「そう」

 

 紫は一瞬何かを考えるように俯いたが、すぐに顔を上げた。

 

 そして橙の頭を撫でつつ、優しく微笑んで。

 

「心配してくれて、ありがとう橙」

「……!」

 

 いつもなら気恥しさから素っ気ない謝罪しか出来なかったであろう紫。

 しかしこの時ばかりは、感謝の意がなるべく届くように。丁寧に心を込めた言葉を送った。

 

 これに橙は驚きの表情を浮かべたが、次の瞬間には綻んだ笑みを浮かばせて深く頷いた。

 

「さ、行きましょうか」

「(こくこく)」

 

 紫は橙の小さな手を、おっかなびっくりといった様子でゆっくり取り、居間の中へと入っていった。

 

 そうして、廊下に一人残った藍。

 彼女は部屋の中を眺めて、そこにある賑やかな光景に頬を緩ませた。

 

 

 

 全員が食卓に着く。

 

 さて、この家の居間は奥の方に(とこ)の間もあるしっかりとした和室だ。本来こういった和室では床の間の前が上座となり、家主である紫がそこに座るのが自然である。

 しかし彼女たちはそんなことを気にしない様子で、各々好きな席に腰を落ち着かせていた。

 

 床の間の前に腰を下ろしたのは霊夢で、その隣には水蛭子が座っている。

 ……ちなみに霊夢はこの手のマナーを知っているのだが、それでもその席に座ったのは普段迷惑をかけられている紫への小さな意趣返しの意があった。

 

 しかし当の紫は、霊夢のそんな悪戯に気が付くこと無く、目の前の料理に意識が釘付けになっている。

 

「まぁ、美味しそう!」

 

 ニコニコと屈託のない笑顔で紫が言う。

 

 今晩の献立は、ハンバーグと白ご飯に味噌汁、添え物に沢庵を数切れというものだ。

 ハンバーグの材料には昼間に藍と橙が買って来たものを使っている。

 キノコをふんだんに使ったソースが照り輝き、豊かな香りが鼻腔を刺激する。

 

 間食に煎餅をお腹の中に入れていた紫であったが、美味しそうなそれらを見て胃が活性化し、小さくお腹を鳴らした。

 

「ねぇ紫さん。紫さんのハンバーグ、橙ちゃんが作ったんですよ」

「え?」

 

 水蛭子の言葉に紫は間隔の狭いまばたきをして、今日は珍しく自分の隣に座っていた橙に視線を移した。

 

「そうなの橙?」

「……」

 

 口調に驚きを孕ませた問いかけに、橙は恥ずかしそうにコクリと頷いた。

 

 紫は自身の前に置かれたハンバーグをもう一度しっかり見て、おお……と感嘆の声を漏らした。

 言われてみると他のハンバーグより形が崩れている気がしないでも無いが、そう言われなければ全く分からなかった。それくらい素晴らしい出来である。

 

 紫は胸から湧き上がった感動に目を輝かせて、再び橙の方を見た。

 

「すっごい!! すごいわ橙! 貴女料理人になれるわよ!」

「!?」

「素晴らしい造形美だわ……完全完璧な藍の作り出したハンバーグにも引けを取らないなんて……」

 

 少々飛躍しているかもしれない褒め言葉。橙は目を見開かせて驚愕する。

 しかし褒められたことは単純に嬉しいらしく、照れくさそうな笑みを浮かべた。

 

 紫への干渉を自ら絶ってから、彼女に褒められるなんてことは皆無だったように思う。

 だからこそ、紫の誉め言葉は橙の胸に深く染み渡った。

 内心彼女は小躍りしそうな程であったが、食事の席なのでなんとか気持ちを抑えることになる。

 

 

「ふふ、それじゃあ、いただきます!!」

 

 

 紫が合掌して言うと、それに合わせて他の面々もバラバラと合唱し、「いただきます」と口にする。

 橙は喋れないので手を合わせるだけだったが、すぐに料理に手をつけようとしなかった。

 

 というのも、自分が作ったハンバーグを食べる紫の反応が気になって仕方がなかったのだ。

 不安そうな眼差しで橙が見守る中、紫が白のオペラグローブを纏った両手でフォークとナイフを手に取った。

 

「ハンバーグかぁ、久々に食べるから楽しみだわ~」

 

 そんな口調とは裏腹に、とても丁寧な所作でフォークとナイフを操り、ハンバーグを切り分けていく。

 

 ちなみに紫以外はフォークナイフでは無く、箸を使っている。

 

「あ~」

「……」

 

 紫は大きく口を開き、ハンバーグを口に迎え入れようとして。

 それを橙は緊張した様子でまじまじと見つめていた。

 

「……ん!」

 

 紫がハンバーグを完全に口に入れる。そしてもぐもぐと大きな咀嚼を始めた。

 

 口を動かしていくにつれ、紫の表情はどんどん惚けたものになっていき。

 

 

「う~ん! 美味しい~!!」

「!」

 

 

 恐らくは今日一番であろう満面の笑顔。

 そして心の底からの味への感想。それを聞き橙は表情を目を輝かせ、それと同時に耳と尻尾がピンッと真っ直ぐに立たせた。

 

「良かったね。橙」

「……!!」

 

 母親のような微笑みを浮かべる藍に、橙は激しく頷いた。

 それから「ハッ」とした様子で気を取り戻したあと、照れくさそうな笑顔を浮かべた。

 

 ここで、紫が気分の高揚に任せてか、陽気な口調で言った。

 

 

「いや~、こんな橙がこんなに美味しい料理作れるようになったなら、そろそろ藍もお役目御免かしらねー!」

 

 

 完全に余計な一言だった。

 

 先ほどまで母神の笑みを浮かべていた藍の表情が、すぅっと能面のような真顔に変わる。

 

「……ははは、面白い冗談を言いますね紫様。安心してください、そうなったら橙も連れて出ていかせてもらうので」

「あっ。……じ、冗談よ冗談。そ、そんな怖い顔しなくたっていいじゃない……」

 

 藍が放った極寒の視線に怯えながら、紫が気まずそうに目を逸らした。

 

 その視線の先には、仲睦まじく食事をしている霊夢と水蛭子が。

 

 水蛭子がハンバーグを切り分け、戯れにそれを霊夢の口元へ持っていっている。

 俗に言う「あ~ん」だ。

 

 霊夢は赤らんだ頬をして一度それを拒んだが、良い笑顔をしている水蛭子に「もう……」と一つ溜め息を吐いた。そして、観念した様子でハンバーグを口に迎え入れる。

 数回の咀嚼の後、ぶっきらぼうに一言「美味しい」と霊夢が言うと、水蛭子は嬉しそうに笑って食事を再開した。

 

 そんな光景を見て、紫と藍は先ほどのやり取りの事をすっかり頭の隅に追いやってしまった

 

 

「見てよ、藍。あれが何年も仲違いしてた関係だって言って、誰が信じると思う?」

「確かに、まるで新婚の夫婦の様なやりとりですね。それでいて雰囲気は熟年夫婦みたい」

 

 笑いを噛み殺すように言った紫に、にんまりと目を細めた藍が返した。

 ちなみに二人の会話は囁きあうほどのもので、霊夢と水蛭子には聞こえていない。

 

 そんな顔を寄せ合う二人に気付いた霊夢は「ん?」と首を傾げたが、しかし大して気にした様子もなく食事を再開した。

 

 

 

 

 

 

「そうだ。妖夢、お願いがあるんだけど~」

「なんですか?」

 

 桃色髪の女性が縁側に座りながらのんびりとした口調でそう言うと、話しの相手である銀髪の少女が小さく頭を傾ける。

 

「明日、お煎餅買ってきて?」

「分かりました、お煎餅……えっ?」

 

 主人のお願いに頷きかけた少女が、疑問符を頭の上に浮かべた状態で勢い良く女性を見た。

 物凄く困惑した表情である。

 

「え、え。一昨日買ってきたばかりなんですけど……え?」

「全部食べちゃった」

「大きな風呂敷包二つ分だったんですけど? あの量をもう食べちゃったんですか……!?」

「ふふふ」

 

 お茶目な笑顔を浮かべるばかりの女性に、愕然とした表情で銀髪の少女が小さな悲鳴を漏らした。

 

 彼女はかれこれ数十年程、女性の従者をしているが、未だに彼女の大食い早食いには慣れる事が出来ない。

 胃袋と頭のタガがイカれまくってるのだ。

 

 しかし、この時少女の心の内に大きく浮かんでいたのは、「またあの人(・・・)と一緒に買い物に行かなくちゃいけないのか……」という嫌悪感である。

 

「もう! もっと自重してくださいよ幽々子様! 紫さんと一緒に買い物しにいくの気まずいんですよ!」

「よ、妖夢……! アナタ、なんてことを……!」

「あっ」

 

 口が滑った、と言わんばかりに両手で口元を押さえた銀髪の少女を見て、桃色髪の少女は苦笑いをする。

 

「アナタって、たまに抜けているところがあるわよね~」

「うぅ、失言でした……」

 

 銀髪の少女が気まずそうに顔を俯かせる。

 そんな彼女を見て、桃色髪の女性はニコリと微笑み、口を開いた。

 

「まぁ、苦手なものは無くした方が良いわ。連絡は私がしておくから、明日よろしくね」

「……はい、わかりましたぁ」

 

 銀髪の少女は明確な不満を顔に張り付けながらそう言うと、屋敷の中へトボトボと歩いていった。

 余所行き用の服(普段着と見た目はほぼ変わらない)と、お財布の確認。それから買い物袋の用意。

 

 抜けている所がある彼女だが、その性根は至極真面目である。そんな少女は前日から準備を怠らないのだ。

 

 

「あ、それからね。妖夢」

 

 

 襖の向こうに消えた少女に、桃色髪の少女が何かを思い出し、呼びかけた。

 

「はい?」

 

 銀髪の少女が屋敷の奥から、ひょっこりと顔だけを出す。

 桃色髪の少女は振り返り、とても良い笑顔で言った。

 

「しょっぱいの沢山食べちゃったから、アナタが戸棚に入れてた牡丹餅、食べたいなぁ」

「………………え?」

 

 前のお使いの際、こっそり食べようと思って少女が隠しておいた牡丹餅。

 食べ物に関しては妙に嗅覚が鋭くなる白玉楼の主人には、屋敷内にある食べ物のことなどは全てお見通しだった。

 

 

 静寂が支配する冥界で、銀髪の少女の悲しい悲鳴が木霊する。

 

 ちなみに、彼女が今までオヤツを隠し通せた事は全くない!

 

 




紫サンノ駄ベリヲ聞イテ、橙ニ勉強ヤラ折リ紙ヤラ教エテ、藍サンノ手料理食ベテ褒メチギッテアゲル。
ソンナ生活ヲ私ハ送リタイ。(宮沢賢治風)

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