唐突だが、八十禍津水蛭子という少女はそれなりの運動能力を持っているということを自負している。
普段の移動方法は専ら飛行に頼りっぱなしであるが、現在就いている妖怪退治や護衛などの職と共に、自警団にも所属しているため、運動不足とは程遠い人間であった。
彼女はスタミナの無い人がしんどそうにしているのを見る度、「運動ってやっぱ大事だなぁ」と反面教師気味に再確認していたりする。
そして彼女は現在進行形で、目の前の反面教師を心配そうな眼差しで見ていた。
「はぁ、はぁ……ゲホゲホッ!」
だくだくと流れる汗、絶え間ない呼吸。
そうやって割と本気でしんどそうに肩を上下させるのは、妖怪の賢者八雲紫である。
場所は人里の入り門。
神社から人里までは結構な距離がある。それこそ運動慣れしていない者が徒歩で移動するにはかなり辛い距離かもしれない。
普段飛行と己が異能に頼りっきりの彼女が瀕死の状態に陥っているのは、当然の通りであり、仕方のないことだと水蛭子は考えた。
だがその隣に立つ霊夢は認識が異なるらしく、肩で息をしている八雲紫をまるでゴミを見るかの様な目で眺めている。
「だ、大丈夫ですか?」
「ふ、ふふ。問題無……ゴホッ! ゴホォッ!!」
「モヤシみたいな奴ね。運動しなさ過ぎなのよ。どうせ普段暇なんだから、少しは運動すりゃいいのに」
紫の背中を擦ってあげている水蛭子が霊夢の辛辣な言葉に苦笑する。
心なしか、いやあからさまに自分と紫さんの間に扱いの格差があるな……と口の中で呟いた。
しかしそれを言っても仕方ないので、水蛭子は膝を杖にして辛うじて自立している紫に肩を貸して、その体を道の脇にあった背もたれの無いベンチに座らせた。
「少し休憩しましょう、お水飲みますか?」
「え、えぇ……ありがとう……」
物凄くゲッソリとした表情で水筒を受け取る紫を見ながら、本当に昔とは別人みたいだなと水蛭子はまた苦笑した。
◆
「……さて。結局、何を作ろうかな」
商店街へと到着した藍。
彼女は道中、ついぞ決まらなかった今晩の献立について考え始める。
ちなみに橙は、藍の服の裾をチョイと掴み周囲をキョロキョロと見回している。
彼女は普段里には来ないので、まだ新鮮みを感じるのだろう。初めての街に出てきたお上りさんのような反応である。
さて、八雲紫という女性は食への関心が旺盛である。美味しいものが大好きだ。
しかしそれと反比例する形で、彼女にはコレといった大好物が存在しない。
藍としては、その都度食べたい物のリクエストを聞かなくても、出たものを「おいしいおいしい」と笑顔で平らげる紫のことを、ワンクッション無くて便利だなくらいにか思ってなかったのだが。今日は少し勝手が違う。
機嫌を普段より良くしてあげないといけないからだ。
こういう時、特段好物が無いとさぁ困ってしまう。
取りあえず今まで食卓に出してきて、反応が良かった料理を思い出してみることにした。
「お寿司、唐揚げ、ハンバーグ、カレー、親子丼……ふふ、なんか子どもみたい」
「?」
ブツブツと呪文の様に料理名を呟いていく主人を見て、橙が不思議そうに首を傾げた。
ちなみに、藍が「ハンバーグ」という言葉を口にした時、橙のけもの耳と尻尾がぴくぴく!と動いてたりしていた。
◆
「うん、甘くて美味しい! これなら何本でも食べれちゃうわ」
子どものような無邪気な笑顔の紫を見て、水蛭子は「良かった」と安心したように微笑んだ。
この長年食べ続けた思い出の団子だ。もし何か文句を言われた場合、水蛭子の心が張り裂けてしまうところだったが、杞憂だったらしい。
三色団子を頬張り恍惚な表情を浮かべるこの紫を見て、嘘だね!と言える人は多分居ないだろう。
実際この団子が気に入った紫は、後日持ち帰りで購入していくことになるのだが、それはまた別のお話。
「たまにはこうやって人間の作ったものを食べるのも良いわね。歩くのは金輪際遠慮願いたいけど」
「そのうち病気になるわよアンタ。あと絶対太るわ」
「あ、また霊夢はそんなこと言って!」
「ごめん水蛭子。でもコイツに関してはマジだから」
出不精な発言をする紫に呆れながら霊夢が言う。
しかしその言葉を聞いても紫自身は大して気分を害した様子も無く、逆に自信有り気なドヤ顔をして豊満な胸を張った。
「残念! 私の力を持ってすれば全ては無に帰します! つまりこのお団子もカロリーゼロ!! 病気もしません!」
「んなわけないでしょ。アンタの能力そこまで万能じゃないし」
「……くっ、先代から聞いたの?」
「は? 先代様は関係無いわよ。何となく分かるから」
「あ……そう」
虚勢をアッサリと見破られた紫は、しょぼくれた顔で横に垂らした髪束をくりくりと弄り始めた。
その様子を見て水蛭子は苦笑いを浮かべ、同時に霊夢の言う「病気になる」という言葉は最もだと思い、紫へ語りかける。
「あの、紫さん」
「なに水蛭子?」
「妖怪でも、体調を崩す事ありますよね?」
「えぇまぁ、極稀にだけど」
どうしてそんなことを聞くのかという顔で紫が水蛭子を見る。
「そんな時、紫さんの周りの人たちはどう思うでしょう?」
「周りの……」
視線を宙へ彷徨わせ、ぼんやりと思考を凝らす。
「(自分の周りの人物と言えば、藍と橙、冥界の姫とその従者、チビ鬼に花妖怪に……あとは霊夢くらい? ……パッと思いついたのはこのくらいかしら)」
という具合に考えて、紫が視線を向け直すと、水蛭子は少し眉を下げながら言う。
「きっと、紫さんが心配で、皆さん悲しむと思います」
「悲しむ……」
悲しむ? 疑問符を頭の中に浮かべさせた紫が小首を傾げるが、水蛭子はそれに気付かず言葉を紡ぐ。
「日頃から運動すれば、その可能性も少なからず減少すると思います! どうですか、明日から私と一緒に早朝の走り込みなど!」
「別に悲しまないと思うけど」
「ですよね! じゃあ明日朝から早速……って、え!? いや絶対悲しみますよ! なんでそこで捻くれちゃうんですか!?」
「や、マジマジ。紫ちゃん嘘つかない」
真顔で「ないない」と手を左右に振る紫に、水蛭子は思わずこめかみを抑えた。
霊夢は「もうその言葉が嘘だけどな」と横目で紫を見ながら草団子を頬張る。
気を取り直した水蛭子が「じゃあ」と紫に再度質問する。
「さっき神社で霊夢が言ってた、藍さんと橙さん、でしたっけ。その人達はどうですか?」
「藍は結構ドライな性格してるから……私が体調崩しても機械的に看病してくれるんじゃないかしら」
「機械的って……じゃあ橙さんはどうです?」
「橙はもう論外。そもそも私の事を道端の石ころ程度にしか思ってないみたいだし」
「同じ家に住んでるって言ってましたよね!?」
複雑なご家庭なのかなと一瞬悲しい気持ちになったが、先程神社で会話した時も不貞腐れた様子だったので、絶対なんかあったんだと考えた水蛭子は、少し躊躇しながらも問いただす。
「えっと、もしかして喧嘩してる、とか?」
「……」
「(あ、当たりっぽい!)」
ぶすーっとした顔でそっぽを向いた紫を見て、内心「かわいい」と思ってしまった水蛭子は少しだけ笑いそうになった。
しかしそれは失礼に当たるぞと自分を律した水蛭子は、身体を紫の方へ向け座り直す。
「一体何があったんですか? お話し聞きたいです」
「……」
「あ、嫌なら大丈夫です! 無理に聞いてしまったら悪いですもんね」
そう言えば、神社で不貞腐れていた紫に、霊夢は深く追求しなかった。
霊夢がそう判断したということは、この話にはあまり深く踏み入らない方が良いのかもしれない。
そう気になって見てみると、霊夢は大通りの方を見ながらのんきに茶を飲んでいた。
良くも悪くもマイペースな幼馴染に水蛭子が苦笑していると、紫は小さなため息を一つ吐き、口を開く。
「……話すわ」
「え?」
霊夢に気を取られていた水蛭子が紫の方へ顔を向け直す。
外を見ていた霊夢も視線だけをそちらに向けた。
「良いんですか?」
「うん……年下のアナタ達に、これ以上呆れられたくないし」
「(あ、分かってたんだ……)」
「(分かってたんかい)」
そして、紫は今朝の事をぽつぽつと話し始めた。
◆
藍は食材の入った手提げ袋を片手に、人里を歩いていた。
その反対の手にはご機嫌に鼻歌を歌っている橙の小さな手が握られている。
獣の耳や尻尾。一目見て妖怪と判断できる二人だからか、彼女らが通る道にいる人々は少しだけ体を脇の方へ寄せた。
しかし藍は、そんな人間たちの態度に気にした様子も無く、ただある事を考えていた。
(……言葉が話せないのは不便だろうな)
藍は、自身と手を繋ぐ少女を見て思考する。
意思の疎通が困難と言う現状は、間違いなく良い事では無い。
日頃のコミュニケーションでも一方的な会話しか出来ないし、言葉を話せた方が本人も勝手は良いだろう。
それに、今回紫が出て行った原因はその辺りにある。
諸々の事情を含めて、前々からなんとかしないといけなかった事なのだ。
だがしかし、橙には言葉を操れる程の知能がまだ無い。
妖獣ではあるのだから、知能指数が上昇する値は人間の幼子と比べれば高く、あと二、三年もすれば自分たちと問題なくコミュニケーションを取れる程になるだろう。
藍自身も、昔はただの狐だったであったから、それは分かっている。
だが早急になんとかするとなると。
「~♪ ~♪」
ご機嫌に鼻歌を口ずさむ橙を見ながら、藍は優しく微笑む。
しかし、その思考は冷たいままだ。
「……」
方法が全く無いということはない。
実際藍の頭の中では、幾つかの対処法が浮かんでいた。
その中で一番手っ取り早い方法が、橙に式神を憑依させるというものだ。
大妖怪である紫か、藍の式を橙に憑かせれば、その知能は格段に上昇する。
妖力だって、並みの妖怪よりは一個上の格に上がるだろう。
しかし間違いなく、本人に悪影響が出る。
橙は大人しく良い子ではあるが、所詮は妖怪。
突然強い力を持ってしまった妖怪は、何をしでかすか分からない。
藍自身は、橙を信用していないわけではない。
しかし橙はまだ幼い。
目先の事をだけを考えて安易に力を与えてしまえば、後悔することになるかもしれない。
「……?」
「ん、なんでもないよ」
気づけば、橙が不思議そうに藍の顔を見上げている。
そんな少し不安の入り混じった顔をしている橙を安心させる為に、藍は微笑みかけた。
「(まだ、そこまで焦る必要も無い。何か、余程のことがあった時、考えよう)」
そうして思考を中断させた藍は、明るい声で橙へ提案する。
「そうだ、団子でも買って帰ろうか?」
「!」
橙はその言葉に耳と尻尾をピンッと立てて目を輝かせた。
何気なく提案したものだったけど、嬉しそうにしている橙の様子を見て、藍は笑みを深くする。
手を繋ぎ直した二人は、甘味屋へと向かい始めた。
◆
「大雑把に説明すると、こんなところかしら」
「「……」」
紫が話し終えると、霊夢と水蛭子は無言のまま互いに目配せをした。
そして両者が紫の方へ視線を戻し、霊夢が口を開く。
「まぁ、どっちも悪いわね」
「そうね、味噌汁の話はちょっと驚いちゃったけど、紫さんだけが悪いわけじゃないと思いますよ」
「あれ……。てっきり私、バチバチに責められるものだと思っていたのだけど」
二人の意外な反応に、紫はパチクリと目を瞬かせる。
自分と橙、批判されるのは年上の自分の方だろうなと考えていた紫だが、目の前の二人はそうではないという。
水蛭子はともかく、霊夢までそんな反応をするのは心底意外だった。
目を丸くする紫に、霊夢は「要するに」と切り出す。
「橙の素っ気ない態度が、アンタからすれば嫌だった訳よね」
「えぇ、まぁ……」
霊夢は口ごもる紫に小さくため息を吐いた。
「アンタが嫌って思ったんなら橙の態度もよろしくなかったんでしょ。全部アンタが悪いだなんて言わないわよ」
霊夢の言葉に水蛭子が強く頷く。
「紫さんだって一人の感情ある人なんです。どれだけ年の離れた子との触れ合いでも、気に入らないことの一つや二つ感じたって何も可笑しい事じゃない。私なんて、もっと我儘で、どうしようもなくて……」
「……もう、自分を卑下するのは止めて。それ癖になるわよ」
「痛い!」
霊夢のことを突き放した過去を思い出して、自嘲気味に笑う水蛭子に、霊夢が強めのデコピンをお見舞いする。
額を抑えて蹲る水蛭子を無視して、紫の方に視線を移し、霊夢は珍しく彼女に向かって微笑んだ。
「ま、でもアンタに一切の否が無いって訳じゃないから。とにかく今日帰ったら速攻で橙に謝りなさい。一度関係が拗れちゃったら絶対に後悔するし、取り戻すのに凄く苦労するだろうから」
自らが幼馴染と離れていた期間を思い出したからか、少し困ったように笑う霊夢の笑顔に、思わず紫は見惚れてしまった。
それから、感心の笑みを浮かべて。
「ふふ、なんだか貴女、今のすっごい大人っぽかったわよ」
「そりゃあ、大人の癖して物凄く子どもっぽい奴がずっと近くに居たんだから、嫌でも大人っぽくなっちゃうわよ」
「あら? もしかしてその子どもっぽいヤツって、私のこと?」
「うんそう、大正解」
サラリと流すようにそう言うと、霊夢は懐から巾着財布を取り出した。
そしてお皿の回収に来ていた店主のお婆さんにお金を手渡し、その際彼女に小さな声で何かを囁いた。
霊夢の囁きを聞いて、店主はニコリと笑って頷く。
それから彼女は、渡された硬貨の中から数枚だけを握り、後のお金は霊夢に返す。
どうやら昨日の約束通り、オマケしてくれたようだった。
「ごめんね。ありがとうおばあちゃん」
「かまへんよ」
霊夢はお婆さんに礼を言って立ち上がり、水蛭子と紫に対して「さて」と切り出す。
「あんまり長居しても迷惑だし、そろそろ出ましょうか」
「あ、ちょっと待って霊夢」
さっさと店を出て行ってしまった霊夢に、水蛭子も慌てて店主のお婆さんの元へ向かった。
代金を支払おうと肩からかけたウェストポーチを開けて財布を取り出す。
しかし、店主の一言にピタリと手を止めた。
「代金ならもう霊夢ちゃんから貰ったよ」
「え?」
「そっちの金髪のお嬢さんの分も」
「あら」
どうやら先ほど霊夢が勘定した際、あとの二人の分の代金も支払っていたらしい。
思えば、確かに出していたお金が少し多かったように感じる。
顔を見合わせた水蛭子と紫が、同じような苦笑を浮かべて甘味屋から出た。
甘味屋から出た先、霊夢が誰かと話している。
その会話の相手を見て、水蛭子は思わず感嘆の声を上げた。
そこに居たのが、物凄い美人さんだったから。
お尻から七本の尻尾が生やしている彼女は、恐らく妖怪なのだろう。
「水蛭子、こっち」
甘味屋から出てきた水蛭子に気付いた霊夢が、ちょいちょいと手招きする。
水蛭子はそれに従って歩を進めようとしたが、ある違和感に気付いて首を傾げる。
「……あれ、紫さん?」
先ほどまで隣に居た紫が居ない。
横を見ても、後ろを振り向いても、彼女はいなかった。
前を向く。霊夢とその会話の相手の美人がいるだけだ。
「消えた……?」
それを認識した瞬間、大きな焦りを感じた水蛭子が霊夢に駆け寄った。
そして、勢いそのままに口を開く。
「れ、霊夢!」
「どうしたの?」
「紫さんが消えちゃった!」
「消えた? あー、別に珍しい事じゃないわよ。そういう妖怪だし」
焦る水蛭子を、霊夢は極めて平静な態度で落ち着かせる。
そう言われて水蛭子もようやく気付いた。
八雲紫という特殊な妖怪は、その能力を用いて次元を切り裂き、そして創り出したスキマからスキマへと移動する事が出来る、非常に特異的な力を持っていると。
ということは、外的原因で消えてしまったのではなく、自分から何処かにいってしまったということ。
謎は残るが、彼女の身に何か起きたわけではないということを検討付けた。
「そういえばそうだったね……はぁ~」
安堵の溜息を吐く水蛭子を眺めながら、「でも」と霊夢が手を顎に添えた。
「逃げたのは感心しないわね」
「逃げる? それってどういう──」
霊夢の言葉に首を傾げた水蛭子が、霊夢の指差した先を目線で追う。
「この子から逃げたのよ、あのヘタレは」
「この子」
この子とは何処にいるのだろう。
水蛭子は軽く辺りを見回して、そして気付く。
霊夢が会話していた背の高い女性の後ろに、もう一人小さな女の子がいた。
彼女は女性を盾にするように体を隠しており、そこから顔だけをひょっこりと出していた。
水蛭子の方を不思議そうな目でジッと見つめている。
パッと顔を明るくさせた水蛭子が、その少女に視線をあわせるように膝を折り、元気に話しかけた。
「あら! こんにちは」
「……」
笑顔で挨拶をする水蛭子に、女の子は恥ずかしそうにするだけで、何も言わない。
否、正確には、何も言えなかった。
「……ええっと」
「ごめんね、この子はまだ喋れないんだ」
気まずげに頬を掻く水蛭子に、女性が苦笑混じりに言う。
それを聞いて、水蛭子はホッとした表情を浮かべた。
引かれたわけではないらしい。
「そうだったんですね。……あ、私八十禍津水蛭子って言います」
「私は八雲藍。見ての通り妖怪だよ。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします! ……ん、藍?」
どこか聞き覚えのある名前に水蛭子が首を傾げる。察した霊夢が説明を始めた。
「さっき紫の話に出てた同居人。そのちっこい方が橙」
「あ! へー! それは偶然!!」
「んー、偶然というか、何というか……」
空笑いを漏らした藍が頬を掻く。
それから話題を逸らすように彼女は言葉を続けた。
「そうだ。紫様が一緒だったんだってね。何処かに行ったらしいけど」
「そうなんです……」
「まぁ良くあることだから気にしないで良いよ。あの神出鬼没妖怪は留まることを知らないから」
「神出鬼没妖怪……」
申し訳なさに苛まれていた水蛭子だったが、意外と気にした様子のない藍を見て、少しだけ心が晴れた。
それから、藍の表情がパッと生暖かい笑顔に変わる。
「それより、ごめんね? 折角二人っきりだったのに、紫様が邪魔したみたいで」
「え、別に大丈夫ですよ。 ……なんですかその顔?」
何故だか分からないが、物凄いにやけ顔になった藍を見て、水蛭子は不思議そうに首を傾げた。
二人きりの時間を邪魔されたなどとは露とも思っていなかった水蛭子は、次の藍の台詞を聞いたことにより、更に脳内の疑問符を増やすことになる。
「や、ホントに申し訳ない。あの人空気読んだりするのが苦手なんだ。許してあげてほしい。ああ、こんな事なら、あの時ちゃんと引き止めておけば良かったな」
「あの、ええと、どういうことですか? ちょっと意味が……」
「恥ずかしがらなくて良いよ。長い諍いの時を経て、やっと仲直り出来た恋人……いや友人との時間を邪魔されたら不快に決まってるわよね。ホントごめん、後でキツく言っておくから」
「……!?」
オイなんか勘違いしてるぞこの人!!
水蛭子は先程紫が消えてしまった時よりも強い焦燥感を感じ、こめかみからは大粒の汗がタラりと流れてきた。
そして身振り素振りを駆使し、全力の反論を伝え始める。
「今恋人って言いかけました!? 違いますよ私達ただの友達ですから!!」
「え……ただの?」
「あぁ違うの霊夢! 特別な友達! 大親友だよね私たち!!」
フッと寂しそうな顔する霊夢を見て、更に汗の量を増やしながら言葉を訂正する。
それを聞いて霊夢が薄く微笑み、謎に艶っぽく睫毛を枝垂らせて。
「そう、ね……」
「なんでそこで顔を赤らめる!?」
「うーん、やっぱり若いっていいね」
「さっきから藍さんはどういうスタンスで喋ってるんですか? 知り合いのおばさんにそっくりなんですけど!」
昼下がりの大通り。水蛭子の大きな声が響き渡って行く。
道行く人々は足を止め、野次馬よろしく彼女達の騒がしいやりとりを眺め始めた。
そして人々は気が付く。
「あれ、博麗の二人組だ」
「あいつら喧嘩してるんじゃなかったっけ?」
少し懐かしさを覚える博麗の二人組が、久々に二人揃っている。
「そう言えば上さんが昨日、二人で甘味屋に居るのを見たって言ってたよ」
「つーことは仲直りしたんか」
「みたいだな」
「おー、そりゃめでたいな」
「おう、めでたいめでたい」
野次馬の会話は瞬く間に里中に伝播して行き、その話を聞いた人間が続々と集まってくる。
「水蛭子ちゃんと霊夢ちゃんが一緒にいるらしいぞ」
「マジでか」
「何年ぶりよ」
「とにかく久々だな」
いつの間にか、彼女たちの周囲には大勢の人混みが出来上がっていた。
しかし、藍の認識を正そうと奮闘していた水蛭子がその人々に気付いたのは、それから凡そ一刻ほど後のことである。
藍さんも性格柔らかすぎたかなと思いましたが、この幻想郷の彼女はこういう人ということで一つよろしくお願いします。