博麗になれなかった少女   作:超鯣烏賊(すーぱーするめいか)

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第三話 割と困ったちゃんの賢者

 

 翌日。

 私は日課である玄関先の掃除を終わらせて、お母さんに出かける旨を伝えて家を出る。

 

「うん、良い天気だわ~!」

 

 山から顔を覗かせる太陽の暖かな陽気を全身に浴びて思い切り背伸びをすると、なんとも言えない心地よさを感じた。

 

 さて、今日も今日とて博麗神社に向かうんだけど。

 

「手ぶらで行くのもなんだし、なんか買ってってやろうかな……」

 

 えーと、霊夢の好きなものってなんだったかなぁ。

 お団子……は、今日も一緒に甘味屋に行くから微妙だし。

 

 あ、そうだ。

 

「お昼の材料買って行こうかな」

 

 昨日は食べさせて貰ったから、今日は私がご馳走してあげよう。

 まぁ料理の腕は明らかに霊夢の方が上だけど、こういうのは気持ちが大事だからね。うん大丈夫。多分。

 

 そうと決まれば……うーんと、何を作ろうかな。

 

「とりあえず、お店を見て回りながら決めますか」

 

 そんな感じで里の大通りへと向かう事にした。

 

 

 

 

「紫様知ってます? 人って塩分取らないと体調不良になるんですよ」

「藪から棒に何よ。ていうか藍、アナタ人じゃなくて妖怪じゃない」

 

 幻想郷の何処かにある小さな日本家屋。

 通称「迷い家(マヨヒガ)」と呼ばれる建物の一室で、三人の妖怪が遅めの朝食(ブランチ)を食べていた。

 

 死んだ目を主人に向けて、藍が吐き捨てるように言う。

 

「このお味噌汁、不味いです」

「め、滅茶苦茶ハッキリ言うわね……。大体この私が作った料理が腕によりをかけて作った料理なんだからマズいわけないでしょ。ホント冗談が好きなんだから」

 

 ふふと穏やかに微笑みながら、紫が自分の味噌汁を飲んだ。

 

 さて、ここで把握しておきたい事がある。

 今日の朝食は、この自信満々の様子で味噌汁を飲んでいる八雲紫が作った。

 だからどうしたと思うかもしれないが、まず大前提に、普段彼女は料理をしない。もう全くと言っていいほど。

 

 この家の家事全般を担っているのは、主に従者である藍一人だ。

 その補助で藍の従者である橙が。大主人である紫は皿を運ぶとか洗濯物を極まれに取り入れる程度であり。

 要は主婦力が皆無なのである。

 

 とどのつまり料理なんてものは冗談抜きで百年に一回位の間隔でしかやらず、加えて料理のイロハも知らない彼女が作った味噌汁は──。

 

 

「……あれっ?」

 

 

 紫はぽかんと、呆然とした表情を浮かべて首を傾げる。

 

「味が、しない?」

 

 彼女の口内に広がるのは、圧倒的無味。

 味噌の風味は問題ないのだが、味に至っては味の「あ」の字も感じられない。

 紫は愕然とした顔のまま、もう一度お椀を傾けるが、やはりお茶碗の中の味噌汁は味がしないままだった。

 

 そんな主人を呆れ顔で見ながら、藍は目の前の味噌汁を指さす。

 

「紫様。お湯に具と味噌放り込んだだけじゃ味はしないんですよ」

「え、味噌って最初から味付いてるんじゃないの!?」

「外の世界ではそれが多いかもしれませんが、幻想郷の味噌は基本的に無塩味噌です。塩を追加で入れて味を調えないとちゃんとした味噌汁にならないんですよ」

「えっ! えっ!? だって、ええ!? そうなの……!?」

 

 分かり易く狼狽える己の主人を見て、藍は一つため息。

 今日は珍しく「私がご飯作るわ! 手伝いは不要!!」とか言ってきたので任せてみた。

 その結果、おこげがあり過ぎるご飯に、何をどうしたのか半分レアで半分ウェルダンの焼き鮭。

 極み付けに無味の味噌汁。

 

 まぁ何も教えなかったらこうなるよなぁと軽く後悔しながら、藍は味のしない味噌汁の入った鍋を持って台所へと向かった。

 ご飯と鮭はもう手が付けられないので、せめてこの無味噌汁に味を付ける為に。

 

 そして居間には紫と、人の形に成ったばかりの化け猫、橙が残される。

 

「……ね、ねぇ橙」

「?」

 

 紫は恐る恐るといった口調で橙に語り掛けた。

 

「味噌って最初から塩の入ってるものだと思ってたの、私だけじゃないわよね…?」

「……!(コクリ)」

 

 紫の問いかけに橙は少し考えた後、言葉を発さずに頷く。

 本当は橙もたまに料理を手伝うので、味が云々というのは知っていたのだが、紫を気遣って彼女の言葉を肯定した。

 

「そうよね!? 私だけじゃないわよね! あー、良かったぁ」

「……」

 

 胸を撫で下ろす紫を尻目に、橙は沢庵とおこげを上手い具合に除けてよそった白ご飯を交互に口に運び、ポリポリもぐもぐと咀嚼する。

 一方で残されていた味噌汁の椀に手がついた様子はない。

 どうやら食べる前から、妖獣特有の鋭い嗅覚で味噌汁に味がついてないという事を察していたらしい。

 

「……ぁ」

 

 それを見た紫の中で、何かがばきーん!どがしゃーん!と音を立てて崩れた。

 アメジスト如く透きとおった双眸に、じわりと涙が浮かび上がる。

 

 込み上げる熱いものを感じながら、紫は考える。

 目の前の化け猫の少女橙は、己の従者である藍の従者。即ち彼女からすれば紫は主人の主人。大主人だ。

 大だぞ、大。

 それなのに、最近の橙の態度はなんだかすごーく素っ気無くて、もうちょい愛想良くしてくれても良いのになと思っていた。

 

 つまり八雲紫は、寂しかったのだ。

 仮にも同じ屋根の下で暮らす……家族なんだから。

 

 

「うぅ……」

 

 

 齢永遠の17歳と周囲に主張し続けている紫だが、実際は数百年の歳月を生きてきた大妖怪だ。

 人生、否妖生経験も凄く高いはず。だと本人は思っている。

 

 そんな自分が、生まれて百年も経っていない、それも自分より遥かに格下である橙と、まともなコミュニケーション一つ取れない。

 橙の態度が気に入らないのもそうだが、そんな自分が情けなくて仕方ない。

 

 常日頃から積み重ねてきた小さなストレスにより、紫の中で今何かが壊れてしまった。

 

「?」

 

 顔を俯かせている紫に気付いた橙が、不思議そうに紫の顔を覗き込むが。

 

「……もう、橙なんて知らない!」

「!?」

 

 どうしてそうなったのか、突然大声を出した紫は朝食を残したまま部屋から飛び出た。

 

 廊下を駆けて、向かう先は玄関。

 途中鍋を持った藍とすれ違ったが、彼女が言葉をかけるより速く、紫は自分の靴を回収して迷い家を飛び出した。

 

 

「う、わぁぁぁぁん!!!!」

 

 

 手の持つ靴を履かないまま暫く地面を走り、そのままの勢いで宙へと浮く。

 流れる涙を拭おうともせず、彼女はただただ幻想郷の空をもの凄い速度で駆け抜ける。

 

 行くあては無かったが、とにかくこの悶々とした気持ちをぶっ飛ばしたかった。

 

 

 

 

「美味しい!」

「本当?」

 

 お昼時の博麗神社にて。

 霊夢と水蛭子が二人で食卓を囲んでいた。

 

 口にした料理に感嘆の声を上げる霊夢に、水蛭子は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 大皿に盛られている天ぷらが今回のメインディッシュのようだ。

 

「私、こんなに美味しい天ぷら初めて食べたかも」

「えー? 絶対霊夢の方が美味しく作れるでしょ」

「ううん、私が作るのより断然美味しい」

 

 真面目な顔で言う霊夢に、水蛭子は照れくさそうに笑いながら首を振る。

 

「嘘」

「嘘じゃないわ、本当」

「……ホントに本当?」

「もう、嘘つく理由がないじゃない」

「……えへへ」

 

 嬉しそうにする水蛭子を視界端にとらえながら、霊夢はカラリと上手に揚がった天ぷら達をジッと眺めている。

 他人の手料理を食べた経験の少ない霊夢。そんな彼女の顔は一見無表情に見えるが、その実ちょっと興奮していた。

 

 普段母親以外に料理を振る舞う機会が無かった水蛭子も、張り切って作った料理を手放しで美味しいと言ってもらえて、かなり心が踊っていた。

 

「ほ、ほら遠慮せず沢山食べなさい!」

「うん」

 

 えへえへとはにかみながらも、水蛭子は霊夢の取り皿に次々と料理を乗せていく。

 霊夢も嬉しそうに目を細めながら天ぷらを食べ、美味しい美味しいと咀嚼多めに頷いた。

 

 

 

 そんな二人を、少し高い所から眺める女が一人。

 

 

 

 紫色のドレス姿で生暖かい視線を二人に向ける彼女の名は、幻想郷の賢者八雲紫。

 彼女は天井に空いた異様な穴、「スキマ」から上半身を乗り出し、無言のまま二人を観察していた。

 

 そして自分に気付かず談笑する水蛭子と霊夢に、紫はゆったりとした口調で声をかけた。

 

「良いわねぇ、料理が上手だと褒めてもらえて」

「え!?」

 

 唐突に飛んできた声。水蛭子は勢い良く天井を仰ぎ見た。

 そこには見覚えのある女性がにょきりと生えていた。

 異様な光景に水蛭子が「ひえ」と小さな悲鳴を上げる。

 

「はぁ、アンタか……」

 

 声だけで相手が分かった霊夢は、先ほどよりワントーン下がった声色で呟くように言った。

 それぞれの反応をする二人にニコリと微笑んで、紫がぬるりと居間に降り立つ。

 

「はぁい、お二人さん」

「ゆ、紫さん!? え、今天井から生えて……あぁそういう妖怪なんでしたっけ……」

 

 ホラー映画みたいな光景を見たことによってバクバクと鼓動する心臓を右手で抑えながら、そういえば八雲紫という妖怪が空間と空間を繋ぐ「スキマ」を使う能力を持った存在だということを思い出す。

 

 それから安堵の吐息をした水蛭子が、少し気になってチラと紫の足元を見る。ちゃんと靴は脱いでいた。

 何を気にしているんだろうと自分で自分の思考を不思議に思いながら、視線を紫の顔に戻す。

 

 それと同時に、霊夢が不機嫌そうな顔で紫に話しかける。

 

「いきなり何よ」

「あら、私がいきなり以外に登場したことがあって?」

「ないわね。そういう話をしてるんじゃないのよ」

「ふふ、まぁ暇潰しよ、暇つぶし」

「幻想郷の賢者が暇つぶしに他人の食卓覗くってどうなの?」

 

 なんか疲れるなー。

 紫との会話にそんな感想を抱きながら、ぐりぐりとこめかみを揉む霊夢。

 そんな彼女を見て苦笑しながら、今度は水蛭子が紫に話しかける。

 

 博麗の巫女候補だったこともあり、水蛭子は紫のことを知っていた。

 

「あの! えっと……お久しぶりです!」

「ええ、久しぶりね八十禍津。息災でなりより」

 

 久々の対面に緊張した様子の水蛭子に、紫は苦笑しながら言葉を紡ぐ。

 

「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ、取って食べたりしないから」

「あ、あはは……」

 

 優雅に広げた扇子で口元を隠しながら微笑んだ紫に、水蛭子は未だ緊張を孕ませた愛想笑いを浮かべた。

 

「で、ホントに何の用よ。今お昼の途中だから用があるなら早めに済まして欲しいんだけど」

「ホントに暇つぶしだって。貴女達の仲睦まじい様子を見てほんわかさせてもらっていた所ですわ」

「……」

 

 さも当然の様に覗き魔宣言をした紫に、霊夢は眉間に皺を寄せた。

 紫のストーカー行為には慣れていた霊夢だったが、馴染みと仲良く食卓を囲んでいた姿を見られていたと思うと、なんだかいつもと違う照れた感情を抱く。

 

 そんな霊夢を見ながら、水蛭子は折角の料理が冷めちゃうのが心配だなとか思っていた。

 

 そして「あ」と声を洩らし、それから少しだけ考えてから紫対して一つの提案をする。

 

「あの、折角ですしお昼一緒にどうですか?」

「……えっ、いいの?」

 

 ぽかんとした顔で紫が水蛭子を見た。

 水蛭子はニコリと柔らかい笑みを浮かべる。

 

「ちょっと作り過ぎちゃったので二人で食べきれないかもって思ってた所なんですよ。あ、ごめん、霊夢は大丈夫?」

「……あんまり騒がしくしないでよね」

 

 超絶に渋々といった表情で頷く霊夢を見て、紫はパァッと目を輝かせ、満面の笑みを浮かべて飛び上がる。

 

 

「やったぁ~!」

 

 

(かわいい……)

(年甲斐皆無か)

 

 嬉しそうに声を上げて居間を飛び回る紫を見て、水蛭子はにこにこと笑い、霊夢は微妙そうな表情をする。

 

 紫をあまり知らない水蛭子からすれば「可愛い女の子」。

 紫をある程度知っている霊夢からすれば「数百歳のおばあちゃん」。

 

 真実を知っているか、否か。

 それはそれは、残酷な話ですわ……。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 

 プルンと麗しい桜色の唇が、シソの天ぷらをパリッと一口。

 小気味の良い音と共に、シソ独特の爽やかな風味が鼻腔を駆け巡る。

 口に広がる香ばしい味わいは正に至極。

 

 嗚呼。

 

 紫は目を閉じた状態で天井を仰ぎ、もぐとぐと数回の咀嚼した後、カッと目を見開いた。

 

 

「ん美味しいッ!!」

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 迫真の「美味しい」に苦笑交じりの感謝を告げる水蛭子。

 褒めてもらえるのはやっぱり嬉しい。

 

 しかし次の瞬間に紫の双眸からぶわっと涙が溢れ出した。

 

「うぅ……お、おいしいよう……」

「え? あれっ!? 泣く程ですか!?」

 

 藍の作る、計算し尽された料理は美味しい。

 どれもこれも舌鼓を打つ絶品ばかりなのは、これまで何百年も彼女の料理を食べてきた紫は知っている。

 今更ながらそんな料理を毎日食べれる自分は幸せ者だなと思う。

 

 だかしかし、人の作る料理にはまた別の美味しさがある。

 ぼたぼたと涙を流しながら、紫は味覚に全神経を集中させ始めた。

 

 もぐもぐ。

 この上なく完璧という訳では無い。

 

 もぐもぐ。

 しかし人間という種族は不思議な力を持っているらしい。

 

 もぐもぐもぐ。

 幾度が食べる機会のあった、彼女らが作るどの料理に宿る、名状し難い温かみ。

 

 

「ありがとう、八十禍津水蛭子」

 

 

 何処か懐かしく、故郷の風景に思いを馳せてしまう味。

 人はそれをお袋の味と呼ぶ。

 

 のだが、水蛭子には自覚が無いし、紫もこれがそうだとは知らない。

 ものすごく感激した様子で感謝の言葉を述べた紫に、水蛭子は驚きと、純粋に嬉しいという感情に胸が一杯になった。

 

「ど、どういたしまして」

「貴女に出会えた事、神に感謝するわ」

「神に!? 大袈裟過ぎませんか……?」

 

 胸元で手を組み太陽を仰ぎ見る紫を見て、水蛭子は慌てた様子でいやいやと手を振った。

 流石にそんなので神に感謝されても神様も迷惑だろうと。

 

 しかしそんな水蛭子にはお構いなしに、紫は次々と天ぷらへと箸を伸ばし、ひょいパクひょいパクと爆食いし始める。

 

「本当に美味しいわ……一体どうやったらこんなに美味しく……?」

「ちょっと! アンタ今私の取り皿から取ったでしょ!」

「はぁ~……美味しい~……」

「聞け! あ、海老は本当に駄目!! 海老はうわぁぁぁ!!!!」

「うわもうすっごい! プリップリ! プリップリよ霊夢!」

「おいぶっ飛ばすぞクソバ〇ア!!!!」

 

 大袈裟なリアクションと大煽りを繰り広げる紫の胸ぐらを霊夢ガッシリと掴み上げる。

 一瞬慌てて腰を浮かせた水蛭子だったが、胸倉を掴まれている紫が笑顔だったので再度腰を落とした。

 

 しかし、自分の作った料理でこんなに喜んでもらえている事はかなり嬉しい。

 今まで料理に関して特に自信が無かった彼女は、少しくらいなら自信を持って良いのかもしれないなと自分の料理の腕の認識を改めた。

 

「さ、選ばせてあげるわ、この最後の一匹の海老を私が食べてしまうか、それとも私にあーんしてもらって食べさせてもらうかをね!!」

「いいから寄こせって言ってんのよデコ助野郎……!」

「……ふふ」

 

 そして賑やかに天ぷらを取り合う紫と霊夢を見て、水蛭子は胸はじわりと温かい物で満たされるのを感じた。

 

 

 

 

 食事を終えた藍と橙。

 二人は縁側に座り、紫が飛んで行った空の彼方を眺めていた。

 

「……橙、紫様に何かしたのか?」

「!」

 

 藍からの問いかけに、橙はブンブンと首を横に振る。

 その勢いに藍は微笑みながら頷いた。

 

「ふふ、分かってる。橙は良い子だから、人の嫌がる事はしないよね」

「……」

 

 顔を俯かせた橙の頭を、藍が柔らかく撫でる。

 藍が橙に語り掛ける柔らかな口調には、紫と接する時の様な固さは無い。

 まるで我が子を慈しむ母親のように優しいものだった。

 

「大丈夫だよ。きっと夕方になれば帰ってくるさ」

「……」

 

 藍の言葉に、少ししてから頷く橙。

 彼女の頭の中には、紫が出て行く際に放った言葉が悶々と残っていた。

 

 

『……もう、橙なんて知らない!』

 

 

 橙は妖怪になって間もない化け猫である。故に知能はあまり高くない。

 それは彼女自身も自覚していた。

 

 彼女は自分が馬鹿なばかりに紫を傷付けてしまった考えており、自責の念に駆られているのだ。

 

 紫が出て行ったのは橙の対応が一因かもしれない。

 しかし、紫が橙に対して考えていた事はまるきり見当違いのものであり、橙は紫の事を舐めていないし軽視してもない。

 

 ただ、主人の主人である紫と親しくするのは、失礼に値するのではないか。

 そんな考えを持った橙のよそよそしい態度を、紫は不快に態度に感じてしまった。

 事実、橙の態度は紫と接する事を避けるものであり、紫がそう感じるのも無理はなかっただろう。

 

 今回の諍いは、そういった考えの相違が原因だった。

 

 

「……そうだ橙、今日は一緒に人里へ行こうか?」

「?」

 

 

 相変わらず落ち込んだ様子の橙に、藍がそう提案した。

 

「夕飯の材料を買いに行こう。美味しいご飯作ってあげれば、紫様も機嫌をなおすさ」

「!」

 

 橙は強く頷いて立ち上がり、トタトタと可愛らしい足音を立てながら家の中へ入っていった。

 いつも買い物の時に使うお気に入りの手提げ袋を取りに行ったのだろう。

 

 そんな橙の後ろ姿を見て、藍は懐かしむ様に笑みを浮かべ、呟く。

 

「……私も、あんな感じだったな」

 

 これから橙は、紫様に関しての様々な苦労に苛まれるだろう。

 今回の件もその一つだ。

 

 何度も何度もあの人に振り回されて……不思議と次第に慣れてくる。

 紫の子どもじみた言動も、呆れを通り越して可愛らしく感じる時が来る。

 それから主人の凄い所や優しい所を沢山知っていって、本当の意味で主人を慕える様になる時が来る。

 

 だからその時まで

 

 

「頑張れ、橙」

 

 

 藍はそう言うと、腰を上げて橙を追うように家の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 水蛭子の中で、八雲紫に抱いていたイメージが今日、一気に壊れた。

 もちろん良い意味で。

 

 少し子どもっぽい言動と、霊夢によくちょっかいを出すのがすごく可愛らしい。

 

 実を言うと、水蛭子は今まで彼女の事を怖い妖怪として認識していた。

 昔はなんか近寄りがたいオーラを放っていたし、異様に高圧的で胡散臭い笑いをずっと浮かべていた当時の紫には、話しかけるのも若干勇気が必要だった。

 

 でも、実は優しい人だったらしい。

 自分の料理を食べて喜んでくれて、自分と話してコロコロと可笑しそうに笑ってくれるから。

 

「あ~美味し」

 

 温かいお茶を飲んで、紫はすっかりふやけた表情になっている。

 そんな幸福感満載といった彼女に対して、霊夢が目を細めながら言った。

 

「アンタ、何時まで居るのよ」

「うーん……今日は泊まって行こうかしら?」

「はー?」

「だって、家に居てもつまんないんだもーん!」

 

 そう言って、四肢を投げ出し畳に寝転がった紫を見て、霊夢は首を傾げる。

 

「つまんない? アンタん家には藍と橙が居るでしょうが」

「……帰りたくないの」

 

 不貞腐れたように言う紫に、霊夢と水蛭子は顔を見合わせる。

 そして少しの間をおいて、水蛭子が話しかけた。

 

「何かあったのなら聞きますよ?」

「ううん。いいの、私の問題だから」

「そう、ですか」

 

 相変わらず不貞腐れた風の紫に、また二人は顔を見合わせる。

 それから霊夢がため息を一つ吐き、仕方ないなぁといった感じで話し始めた。

 

「何があったか知らないけど、アンタが言いたくないんなら詮索しないわ」

「そうして頂戴」

「でも、アンタがそんなんだったら私調子が狂うから」

「……ごめんなさい」

 

 迷惑をかけているという自覚はあるのか、紫の長い睫毛がしな垂れた。

 が、次の霊夢の言葉が紡がれると同時、アメジストの双眸は見開かれることになる。

 

「だから、今から人里に行くわよ」

「え、なんで?」

 

 霊夢の唐突な発言に、紫は疑問の声を漏らす。

 何故自分の状態と人里に行くことが「だから」で繋がるのか、全く分からない。

 

「少し歩けば気分も晴れるでしょ」

「え? しかも歩くの?」

「良いわね~! 甘味屋のおばあちゃんにも紫さんを紹介したいし」

「えっ? えっ?」

 

 戸惑う紫をよそに、二人は外出の準備をし始める。

 霊夢は箪笥から財布を取り出し、水蛭子は脇に置いていたウェストポーチを肩から斜めに掛けた。

 淡々と外へ出る準備を進める二人に、眉を八の字にした紫が問いかける。

 

「いや、人里に行くのは良いんだけど……あ、歩くの……?」

「当たり前でしょ。さっさと行くわよ」

「今から行くお団子屋、すごく美味しいんですよ! 紫さん食べたことあるかな……」

 

 仏頂面の霊夢と笑顔の水蛭子が廊下への襖を開いてこちらを見る。

 どうやらこの大妖怪は今から、人里へ赴き甘味屋へ行かなければならないらしい。

 

 しかも恐らく徒歩で。ここが大事だ。

 

「……えっと、私の能力で行きましょ? 空間と空間を繋げる能力でね? 原理としては本来三次元から十一次元に繋がるゲートと開けるというだけなんだけど、三次元と十一次元は位置情報が同じでもその間の距離は違うのね? つまり結局中で歩く事になるんだけど、三次元で歩くより十一次元の中を歩いたほうが本来の距離より短くなるし、不思議と体力消費が少ないのよ。こんなに革新的な力があるんだから頼っても良いと思うの。どう?」

「そういうの良いから。普通の歩きで行くから」

「飛ぶのもダメなので」

「えぇ……?」

 

 迫真の勧誘がバッサリと、さも当然かの様に突っぱねられた。

 理解不能。理解不能である。

 

 移動するならスキマを通って行くのが一番早いし、生理的に嫌(スキマの中はグロい(・・・)から)だというのなら飛んでいけば良いのに……。

 なのに何故、目の前の人間二人は自分から徒歩で移動するなどという苦行を……?

 

 人間は楽するのが本望の生き物でしょうが……!

 

 紫は二人に隠した右の拳をふるふると震えさせるが、やがて諦めたように拳を解いた。

 

「水蛭子、お金大丈夫?」

「大丈夫。霊夢は?」

「最近貯金してるから気にしないで」

 

 そんな話をしながら、仲の良い二人はさっさと玄関へと歩いて行く。

 

 博麗の二人組の後ろ姿を見ながら、紫は顔を顰めながら、かつ情けない声で一言。

 

 

「歩きたくなぁい……」

 

 

 




妖怪は人間より精神力が弱いのだとか。

大体の物語では大胆不敵な大妖怪って感じの紫さん。
この物語では妖怪らしく精神的な弱みを見せてほしいなと、思いまして。
原作や別の物語の紫さんより、比較的マイルドな性格をしてると思われます。
うちの紫さんはこういう子です。よろしくお願いいたします。

さて公式の設定では紫さんと藍さんは同じ家に同居しており、一方橙だけ何処かの山にあるマヨヒガに住まわしているらしいです。

でもそれはちょっと橙も寂しいんじゃないかなと思ったので、この物語では三人を同居させています。

最後になりましたが、お気に入りや感想コメントの数々ありがとうございます。
とても嬉しいです。
これからも私と一緒に、彼女たちを見守っていただけると幸いです。
では、失礼します。

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