これといった合図も無く、宴会は始まった。
いや、強いて言えば、霊夢と水蛭子の周りで騒ぎ始めた者たちの空気に当てられ、皆各々に世間話や、持参した酒を飲み比べたりし始めたのが原因なのだろう。
台所から漂い始めた料理の匂いに、宴会場に居る者たちの心が浮き足立っていたのも要因の一つかもしれない。
集まった者たちの顔は様々で、楽しげに談笑する者も居るし、中央で繰り広げられているバカ騒ぎを肴に盃を傾ける者も居る。
何故かメイド服を着て、妖精メイド達に指示を飛ばしつつ酒と料理を運び飛ぶ氷精と大妖精も居るし、それらの魑魅魍魎の数にあんぐりと口を開けている半獣の教師も居た。
まだ真昼間だが、この場は既に百鬼夜行の様相を呈していた。
もう何の為に集まったのか良く分からない感じになってしまっている宴会場だが、笑顔が絶える瞬間は一度も無い。
それは幻想郷という狭い世界故に、各々顔見知りが多いからか、それとも中央で楽しげに笑う少女に『共感』しているからかは定かでは無いが、とにかく皆それなり以上には楽しげであった。
そんな和やかな宴会の中、いつの間にか中央の騒ぎから離れていた二人の妖怪が居た。
一人はちょっぴり不満そうに。
そしてもう一人は他の皆と同じく楽しげな顔をして、鰻の蒲焼きを三匹くらい、塊のままがっつりイッてた。
「は〜あ……始まりの言葉も無く騒ぎ出しちゃって。……全く、これじゃ今日の主役が誰か、皆に伝わらないじゃない」
「ひゃいひょーふよひゅひゃり。あふぇばぁけひゅやきゅのまわふぃがさふぁいでぅんだひゃら、ふぁれごぁふぉのふぇんふぁふぃのひゅひゃひゅひゃふぁふぃへーほひへひょ(大丈夫よ紫。あれだけ主役の周りが騒いでるんだから、誰か宴会の主役かは自明の理でしょ)」
「うん、マジでなんて????」
「せめてお口の中の物を完全に飲み込んでから話して??」と続けた紫に幽々子は頷き、三回くらい咀嚼した後それを腹に落とし込んだ。
とんでもない食べ方をする友人に紫は心配そうな顔で尋ねた。
「それ、小骨で内臓ズタズタになってない? 友達が骨を喉に刺して死亡だなんて思い出、私要らないんだけど」
「大丈夫大丈夫〜。私イガ栗くらいなら問題無く飲み干せるから」
「ああ、イガ栗がいけるくらいなら鰻の小骨程度安心ね。ってなるかーい!!!!」
安堵のため息を吐いた直後、盛大にツッコんだ紫に幽々子が思い切り笑いを噴き出した。
そのまま「あはは!」と笑い転げる友人を何処と無く白い目で見ながら、紫は手に持っていたお猪口に日本酒の瓶を傾けた。
とくとくと注がれる透明な液体が、お猪口の中で微かに泡立つ。
「あ、紫。私も
「はいはい」
笑いを堪えながら幽々子の突き出したお猪口に、呆れた顔をしながら紫が日本酒を注いだ。
「幽々子、貴方って意外に常識人な所もあるけど、そんなのを軽く吹っ飛ばしちゃうくらいにはぶっ飛んでるわよね」
「えっと、なんか飛び過ぎて良く分からないけど、私、常識って人に押し付ける物であって自分を形作るのに絶対必要な要素だとは思ってないから……」
「なんだか深いこと言おうとしてるけど、それって結局人に厳しくて自分に甘いって事じゃないの?」
「いやいや、人にも甘いし自分にも甘いわよ。私マリトッツォ系女子だから。ほぼ生クリームだから」
満面の笑みでちょっと何言ってるか分からない事を宣う幽々子に、紫があれれ?と首を傾けた。
この前従者に関して相談に乗ってくれて、自分の背中をビシッと押してくれた彼女は一体何処に……?
因みにこの亡霊姫にとって、今のぽっわぽわのおつむをしている時も、たまにしっかり者をしてる時も、どちらも普通に彼女である。
ただテンションの上がり幅が常軌を逸しているだけなのだ。
まあそれは八雲紫という情緒不安定妖怪にもバッチリ当て嵌る事なのだが。
それから、仲良く同タイミングでお猪口を傾けた二人が、同時にふぅと小さな吐息を吐き、小さく笑いあった。
◆ ◆ ◆
「……チルノ?」
魔理沙がすぅと息を飲み、持っていた小さめの盃を落とした。
タイミング良く空になっていたそれは、カサと乾いた音を立て、茣蓙の上に落ち着く。
彼女の視線の先には、目の前で『一回休み』になった氷の妖精が、慌ただしい様子で料理を運んでいた。
何故かメイド服を纏ったその氷精を、魔理沙は暫くの間ぼぅと見つめる。
なんというか、目の前で失われた彼女が元気な様子で飛び回っているのが、魔理沙には何処か現実味に欠ける風景に見えたのだ。
あの日、冷酷非情の魔女に砕かれた体は、一見すると傷の一つも確認できない。
もしかすると、あの時の出来事は全部夢で、あの魔女に抱いた恐怖が見せた幻覚だったのではなかったのかと、自分で自分を疑い始める。
しかし。
あの時抱いた怒りは、悲しみは、心を裂くような痛みは、確かに本物だった。
「…………」
ゆっくりと立ち上がった魔理沙が、少しばかりふらつく足取りでチルノに近付いて行く。
一歩一歩、現実を踏み締める様に。
料理を乗せた大皿を、数人で談笑しているグループの所に置いたチルノが振り返り、パチリと目が合った。
「あっ! まり……」
「……チルノ」
チルノが言葉を発し切る前に、魔理沙は彼女をギュッと抱き締めた。
強く。しかし決して彼女が苦しくない程度の力で。
氷精故か、少しばかり低い体温と、心臓のトクトクという鼓動を肌で感じて、魔理沙はもう一度彼女の声を呼んだ。
「チルノ」
「魔理沙……? どうしたの?」
自分を抱きしめる魔理沙に、チルノは困惑の声を出した。
何故自分が抱きしめられているのか、チルノには理解出来なかったからだ。
戸惑う彼女に、魔理沙は言った。
「ごめん」
「え?」
「あの時助けられなくて、ごめん。アタシがもっと強くて、アイツの魔法を無効化できる力があったら、お前は死ななくて済んだ。痛い思いもさせずに、済んだのに……」
涙声で告げる魔理沙に、それでもチルノは不思議そうな声色で返す。
「なんで魔理沙が謝るの? アタイが負けたのはアタイが弱かったからで、魔理沙のせいじゃないよ」
「でも」
「ていうか、謝らなきゃいけないのはアタイの方だよ」
思い出した様に苦い顔をしたチルノに、魔理沙が首を傾ける。
チルノが自分に謝らなきゃいけない事なんてあっただろうか?
「アタイね、あれから湖で起きて、直ぐに魔理沙を助けに行ったんだけど。結局一緒に連れてきた友達に着いていって、魔理沙の事見捨てちゃったから……だから、私の方こそ、ごめんなさい」
「そうだったのか? ……それこそ謝ることなんて無いぜ。元々あの異変は、私たちだけで対処しようとしてたんだ。それに付き合ってくれたお前に文句なんか言わないし、言えないよ」
自分より幾分か背の低いチルノの頭を、ポンポンと撫でた魔理沙は抱擁を解く。
改めて見るチルノの幼い顔は、魔力の鎖に縛られた時に見せた苦悶の表情とはかけ離れていて、ようやく、一つ安堵のため息を吐けた。
そんな魔理沙の顔を、チルノも見返し、そして小さく笑う。
「あはは、魔理沙、泣いてるじゃん」
「な、泣いてねぇよ!! これは……心の汗か、雨が降って来たか……。とにかく、泣いてねぇ」
気恥しさを感じて、大きな帽子のつばをぐっと下げ、顔を隠すようにした魔理沙に、チルノが更に笑った。
そして話題を逸らす様に魔理沙が改めた口調で話し始めた。
「と、ところで、なんでそんな服着てるんだ?」
「あ、これ? 可愛いでしょ。アタイこれから、偶に咲夜のオシゴトを手伝うって約束したんだ。今日はその初日!」
「咲夜って、あの屋敷のメイドか?」
「そうだよ! また後で魔理沙にも紹介してあげるね!」
満面の笑みを浮かべるチルノを見ながら、魔理沙は首を傾ける。
一体どういう繋がりで彼女と咲夜が知り合いになって、しかも仕事を手伝うだなんて事になったんだ?
……そもそも、咲夜が働いている場所があの鬼畜魔女の住まいだということを、彼女は分かっているのだろうか?
酷く心配になった魔理沙が至極真面目な表情でチルノに言う。
「チルノ。あそこの手伝いってお前……ヤバい仕事の片棒担がされてるんじゃあ無いだろうな。仕事したいんなら私が紹介してやれるぜ? 金が必要なら、ある程度なら貸せるし……とにかくやるなら堅気の仕事をしよう。あの屋敷の連中は気の良い奴も居るが、あの鬼畜魔女が住んでる所だし裏でどれだけ黒い事してるか分からねぇからな」
「おいおい、人の家と親友に対して随分な良い様だなー」
少し遠い所からレミリアが抗議の声を飛ばすが、魔理沙は気にした様子も無くチルノの肩に手を乗せた。
「そうだ。氷を作れるなら氷室(冷温貯蔵庫のこと)の氷を提供してやれば良い。里の商人なら喉から手が出る程羨ましい能力だぜそれは」
「えっと……」
迫真の提案をしてくる魔理沙に、チルノは困惑した様子だった。
そんな時、先程レミリアが声を掛けてきたのとは別の方向から声が飛んでくる。
声の主は、台所にチルノが戻ってくるのが遅くて様子を見に来た咲夜だった。
「ちょっとごめんなさい魔理沙さ……いや魔理沙。その子は私がお願いして働いてもらってるの。だから引き抜かれたら困るわ」
魔理沙さん、と呼びそうになった咲夜だったが、先程台所で「魔理沙って呼び捨ててくれて構わないぜ」と言われたのを思い出して、言い改める。
そんな彼女は少しだけ困った表情をして魔理沙を見つめていた。
「咲夜……。仕事って何をやらせているんだ? 悪いがチルノとは知らない仲じゃない。変な事やらせるんだったら無理矢理にでも辞めさせるぜ」
「誤解があるようだけど、見てわかるとおりチルノと大ちゃんには純粋にメイドの仕事を手伝って貰ってるだけだわ。掃除洗濯料理配給、それとうちに居る妖精メイド達とのコミュニケーションの潤滑化とアドバイスをしてもらってるの」
異変解決の昼下がり。
魔女とヴァンパイアが、まだ穏やかなお茶会を楽しんでいる時間帯の事。
ひょんな事で知り合った二人の妖精と一人の人間は、フィーリングが合ったのもあって結構仲良くなっていた。
それこそ、「妖精メイドとの接し方が分からない。同じ妖精として何かコツとか分からないだろうか」と割とガチな相談を零してしまう程には。
その解決案としてチルノと大ちゃんが、咲夜と妖精メイド達の間に立って働きながらその都度アドバイスをするという提案をしてきたのだ。
咲夜としても願ったり叶ったりの事だったので、その日のうちにレミリアに二つ返事の許可を貰い、今日を迎えたと言う事だ。
と、いうことを魔理沙に理解してもらうべく、咲夜は暫くの間、懇切丁寧に説明を行なった。
◆ ◆ ◆
幽々子と妖夢が住む冥界には、かの地の天を穿かんばかりに巨大な妖怪桜『西行妖』が聳え立っている。
そしてその大桜を暮らしの端々で見上げる度、冥界の亡霊姫、西行寺幽々子は考えていた。
あの下に埋まっている死体が、「誰」なのか。
地獄の閻魔から冥界の管理を命じられてから、白玉楼での時を過ごす事、幾星霜。
何度も気になったことはあった。
もちろんその度調べようとした事もある。
桜の下を暴こうとした事も、ある。
しかしその度幽々子の前には、友人である八雲紫と、歴代の博麗が立ち塞がった。
片や幽々子自身を守る為。片や幻想郷の平穏を守る為。
いくら冥界の主である幽々子であっても、この二つの強大な存在に対してはついぞ適うことは無かった。
そんなこんなで、桜の下の死体が誰なのかを知る事がどれほど困難であるか、幽々子自身が一番理解しているのだが。
そろそろ諦めてしまおうかと、ぼちぼち割り切ってしまってもいるだが。
しかし。
「あと……あと、もう1回くらい、挑戦しても良いわよね?」
我ながら、子どもの様な駄々をこねていると思う。
だから、これで無理なら諦めよう。
どうせ一度死んでいる身だ。
何かに縋り付く事も半永久的に出来てしまう。
たった一つの事にそこまで執着するのも、結構馬鹿らしく感じる。
……そうだ、馬鹿らしい。
幽々子は半人半霊の従者を思い浮かべながら、自らにそう言い聞かせた。
宴会のさ中、幽々子は紫に対してこう言う。
「ところで紫。春になったら冥界の方でも宴会を開こうと思ってるの」
「へぇ、良いじゃない。善良な亡霊の方々にもたまにはそういう娯楽が無いといけないものね」
「そうそう」
にこやかに頷く幽々子に、紫は続ける。
「そうだ。外の世界から老舗の名店のお菓子、持ってきてあげるわ。とびきり美味しいやつ」
「ほんと? 嬉しいわ〜。美味しいお菓子があれば、眺める桜もいっそう美しく見えるというものね」
ウキウキした表情を見せる幽々子を暫く無言で見つめながら、紫が一つの疑問を抱く。
「……待って幽々子、その桜って、普通の……?」
「あるでしょう、桜。私もまだ満開のものは見たことが無い、いっとう大きいのが」
妖しい笑みを浮かべた友人に、紫は息を呑んだ。
もう燃え尽きたと思っていた彼女の探索的欲求が、未だ燃え続けていた事に。
「幽々子貴方、まだ諦めてなかったの……?」
「これで最後にするから、我儘聞いてよ。いつも相談乗ってあげてるんだから、ね?」
可愛らしく首を傾けた彼女の言葉に、バツが悪そうにして紫が呟く。
「それを言われると、痛いわね……」
「ふふ、それにどうせ貴方とあの子達が止めてくれるんでしょう? 最近庭師の方が本業になってきちゃってる妖夢にも良い刺激になると思うの」
それらしい“言い訳”を口にする幽々子は、意外とそれらが効果的である様に感じて。
しかし、紡がれる幽々子のうすっぺらな言葉に、紫はついぞ首を縦に振らなかった。
「……ううん、やっぱり駄目。あの桜が満開になってしまえば、やっと安定してきたこの地の平穏は一瞬で崩れ去ってしまう」
「此度の異変は貴方の主導でしょう? 言ってる事とやってる事が裏腹じゃない」
揶揄うような幽々子に、スミレ色の双眸がすぅと細まる。
「私が起こす異変は、最悪私一人で収拾が付けられるものに限るわ。スカーレットを五十年近く封印してたのだって、あれを弱らせる他の目的なんて無い」
「ふーん。……本当に駄目?」
「駄目よ。絶対にダメ」
確固たる意志を見せた紫に、幽々子は「そっかぁ〜」と朗らかに笑った。
そして少しの間を鈴のような笑い声で満たした後。
「────じゃあ、ここから先は私の物語よ。貴方の幻想郷なんて、知ったことじゃあ無いわ」
冷たい、冷たい笑顔。
まるで、彼女に一度訪れた筈の死が舞い戻って来たのかと錯覚する程に、固く、氷の様な笑み。
一度だって見た事の無かった友人の殺気に、思わず紫の喉がひくりと鳴る。
遠くから聞こえる魔理沙の「なんだそういう事だったのか〜」という安堵の声と、なんとか説得を成功させる事の出来た咲夜の安堵の溜め息。
なんだか良く分からないけど仲直り出来た様で良かったと笑う、その他の面々の平和の声が。
何故だか、二人の鼓膜を強く撫でた。
かくして、異変は産声を上げる。
幻想郷中の「春」を奪い去り、凍てさせる異変が。
一方その頃、主人の野望など全く知る由もない妖夢は、美鈴特製の中華まんを口いっぱいに頬張りながら満面の笑みを浮かべていた。
と、言うところで、長々と続いてしまった紅魔郷編は一旦おしまいです。
次のお話から、『妖々夢編』開始します。
もう一つ、いつも感想、評価、お気に入り登録、しおり等してくれまして本当にありがとうございます!
物凄く励みになります!!
これからも少女達の物語を、私と一緒に見守ってくださると幸いです。
よろしくお願いします。