博麗になれなかった少女   作:超鯣烏賊(すーぱーするめいか)

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 前半、タグの『独自解釈』要素が強めです。
 ご了承ください。


第二十七話 溶ける氷、尽きる業火

 

 時は少し遡り、紅霧異変解決の当日。

 時刻は昼下がり。

 紅魔館内部にある図書庫では、小さなお茶会が開かれていた。

 

 いつもならばこの時間帯、ベッドの中で深い寝息を立てている筈のレミリア・スカーレット。

 しかし今日は、えっちらおっちらと目蓋を開いて閉じてを繰り返しながらも、彼女はどうにか意識を保たせていた。

 

 湯気立つ血のような紅色をした紅茶を、時折眠気覚ましに傾けながら。レミリアは親友であるパチュリーと談笑に花を咲かせていた。

 

 その会話の内容は、博麗の巫女である霊夢や、幻想郷の賢者の紫について、ではない。

 

 話題の主役になっていたのは、本来ならば特筆する肩書きの無い人里の少女、八十禍津水蛭子についてだった。

 

 仄かに暖かなクッキーを口に運びながら、レミリアは尋ねる。

 

「それでパチェ。彼女を今回の異変に介入させた理由を聞かせて頂戴?」

「別に、ただ興味があっただけよ。博麗の巫女になれる可能性があった、だなんて言う変な存在にね」

 

 素っ気なく返すパチュリーに、苦笑しながらレミリアが頷いた。

 

 彼女は普段の仰々しいモノと異なる、少女の様な口調で話を進める。

 

「なるほどね、良い話は聞けたかしら」

「ええ、それはもう。……沢山ね」

 

 そう答えながら浮かべたパチュリーの笑顔は、姿相応の、柔らかく優しげな少女の様な笑み。

 久しく見ていなかった親友の表情を見て、レミリアは重かった瞼を大きく開かせる。

 

「驚いた・・・・・・アンタのそんな顔、久々に見たわ」

 

 小さな嫉妬心の様なモノが、レミリアの胸の内に泳ぐ。

 それに気付かないまま、あるいは気付かない振りをしながら、パチュリーは小さく笑った。

 

「そう? こっちこそ、貴女があんなに楽しそうにしてる所を見たのは半世紀ぶりよ」

「 それは言い過ぎ。前に異変を起こした時も、中々心が震えたわ」

「あら、そう」

 

 それは、スカーレット家がまだ、夜の帝王の一族と畏れられていた時代。

 

 人妖の隔たりなど関係無く、理性を持った有象無象達が彼女達の前に平伏した時代。

 強大な妖怪や同族との、血を血で洗い流す程の闘争に肩までドップリと浸かり、闘いこそが最高の娯楽だと、笑って、笑って、笑い続けた日々。

 

 しかし、そんな狂気の時代はいつまでも続かなかった。

 争いに疲れた妖怪や、彼女達以外の吸血鬼は、スカーレット家全員が狂乱の吸血鬼である、と蔑称を投げつけ、物陰で息を潜める様に生き始めた。

 

 戦いが無い生活。

 刺激が無く、生きた心地すらしなかった。

 

 そんな時、レミリアと既知の仲であったパチュリーが彼女を誘った。

 

『強大な魑魅魍魎が跋扈する世界に、私と飛び込んでみない?』と。

 

 それからレミリア達が紅魔館を幻想郷に転移させる為に費やした年月。

 そして先代博麗と八雲紫によって、この地に館ごと封印されていた期間を加味すると、パチュリーの言う通り半世紀程度の年月は経っているだろう。

 

 しかしレミリアは、此度の「紅霧異変」より昔に起こした異変、自分達が封印された原因である「吸血鬼異変」での戦いを脳裏に蘇らせていた。

 

 先代博麗の巫女。

 当代の霊夢が巫女を継承すると同時に姿を晦ました彼女は、レミリアにとっては因縁の相手と言える存在であった。

 

 迫る紅白の陰陽玉。宙を流れる純白の大幣。

 自身の紅い双眸を貫く、タイガーアイの様な濃い橙色をした眼。

 かつて外の世界で、夜の帝王と呼ばれたレミリア・スカーレットが、完膚無きまでに叩きのめされた、あの紅月の夜。

 

 幻想郷中の全ての存在が命を削り合い、命を燃やした、狂乱の夜。

 

「・・・・・・あれ程に甘美な夜は、もう二度と訪れないんでしょうね」

「争いがそんなに良い物だとは思わないけど。でも、あれ程大規模な魔法を使える機会が後にも先にもあれきりだと思うと、やるせない気分になるわね」

 

 レミリアの残念そうな声に肩を竦めつつ、淡白な口調でパチュリーが答える。

 

 外界から幻想郷への転移、加えて幻想郷の一角を虚無に押しのけ、紅魔館を顕現させる術式。

 どちらを取っても多大なる犠牲と代償の上に成り立った大魔法は、この幻想郷において二度と発現する事は無い。

 

 その理由は、犠牲となる生命の絶対数が幻想郷の総人口などでは全然足りないから。代償にしなければならない術士自らが差し出せる力や、臓器も、殆ど残っていないから。

 

 極みの魔法使いパチュリー・ノーレッジは、自らが生きてきた四百余年のうちに集めた全ての魔導具、古に愛した一人の人間の遺体、自身の練り上げた魔力を押し込めた全ての賢者の石、彼女の内にあった人の形の名残である生きた臓器、その全てを魔法の媒体に用いる事によって、この幻想郷に降り立ったのだ。

 

「……総ては、神になる為。だったんだけどね」

「ははっ、神になろうとして幻想郷に来たのに、こっちの方がその条件が厳しいって言うんだから、現実は残酷よね」

「本当よ。なのにあんな人間の女の子がその素質を持ってるって言うんだから。興味を持たずになんか居られないでしょう?」

「……ふむ?」

 

 火水木金土日月を操る能力。

 即ち全ての属性魔法を極めた(本人の好みもあって得意不得意はあるが)彼女は、更にその向こう側。

 

 神代の存在となる事を望んだ。

 

 そんな彼女にとって、人とも妖怪とも、精霊とも神とも違う『博麗の巫女』という存在は、あり大抵に言ってしまえば「マジで意味不明」で。

 そしてその博麗の巫女になれたかもしれないという水蛭子を気になって呼び出してみれば、更に驚くべきことに。

 

 彼女の身体には、人間が生来体内に巡らせている『霊力』の他に、神が神たる所以である『神力』を、僅かであるが宿っていたのだ。

 

 たとえどれだけ熱心な信仰者であっても、その信仰の末に得られるのは、あくまで信仰対象である神から借りた神力のみ。

 イメージで言ってしまうと、神力を纏っているだけの状態。

 

 しかし水蛭子の神力はそうではない。

 纏っているのでは無く、自身の中で生まれた、完全に完璧な、純粋無垢の神力。

 本来ならば与えられる筈の神力を、彼女は与える側に立っている。

 

 人は、そのような存在を古来よりこう言う。

 

 現世に存在する人間の神、『現人神』と。

 

 

「これはほぼ確信だけれど、八雲紫は八十禍津水蛭子を博麗の巫女に選ばなかったんじゃない。選べなかったのよ」

「……どういうこと?」

「巫女とは神を奉る役職で、奉られる側のあの子はそもそも巫女にはなれない、ってこと」

 

 

 いつになく真面目な表情をしているパチュリーの言葉に、パチクリと瞬きをしたレミリア。

 カップの中に残る紅茶の、最後の一口をゴクリと飲み干してから、口を開く。

 

「つまり、あの子は神様ってこと? 人間じゃなくて?」

「正確に言えば神に成りかけている人間といった所かしら」

「成りかけている……だけどパチェ、じゃあなんで八雲紫は水蛭子を博麗の巫女の候補に選んだの? 初めから巫女になれないなら、候補としておく意味が無いと思うんだけど」

「成りかけ、というのがミソだと思うわ。多分あの子は元々普通の人間で、後天的に神としての力を宿したのよ。だから初めのうちは本当に博麗の候補だったんでしょうね」

 

 パチュリーの言葉にレミリアは「なるほど」と頷く。

 そして視線を天井の本棚に移し、小さく笑った。

 

「ふふ、どおりで私のグングニルが博麗霊夢に通用して、八十禍津水蛭子には通用しない訳だわ」

「……はぁ、折角私が、北米神話本来の術式を弄って、『保有者が勝つ』ってシンプルで使い易い術式に変えてあげたっていうのにね……」

「な、何その溜め息!? 神に勝てない程度の能力しか付与出来ないお前の実力の無さによるものでしょうが!!」

 

 なんだか嫌味っぽいパチュリーの言葉に、レミリアが思わず噛み付いてしまう。

 しかしどうやらその返しが少々プツリと来たらしく、紫色の魔法使いは目を細めながら、平坦だった声色を怒りの孕んだ低いモノに変えた。

 

「道具に左右されてる様じゃ、グングニルと貴方、どっちが主人が分かりゃしないわね」

「はぁ!? うーわそれ一番言っちゃいけない事だから!!」

 

 幻想郷に来てこのかた、負け戦ばかりのレミリア。

 そこに投げ付けられたパチュリーの一言は、吸血鬼の弱点である山査子(サンザシ)で作られた杭よろしく、レミリアの心臓をふかーく抉った。

 

 今はもう見る影が薄いが、それでも彼女は夜の帝王と呼ばれた吸血鬼。

 それなりの自尊心は持っている。

 それを親友であるパチュリーに直で抉られるというのは、中々に来るものがある様で。

 

 ピクピクと痙攣するこめかみ、ワナワナと震える拳。

 それをどうにか抑えながら、レミリアは拙い笑顔をパチュリーへ向けた。

 

「パチェ。私達って長い付き合いだけど、どうやら根本的な所で反りが合わないみたいね」

「あら、今更気が付いたの? だから最近距離を置いてたのだけれど……、この屋敷の主様は随分と察しの悪い様で」

「はー!! そういうこと言っちゃう!! 言っちゃうんだ!! 無い!! 無いわーーーー!!」

 

 もうどうにでもなれーーー!! とちゃぶ台返しの要領で、空のカップとクッキーを置いていたテーブルを吹っ飛ばし、レミリアはパチュリーを追いかけ始めた。

 

 それが物凄い形相なもんだから、パチュリーも割と焦りながら身体を浮かべて逃走を開始する。

 

 がたーん! ばたーん! どかーん! と漫画の様に豪快な効果音が、普段は静かな図書館に響き渡った。

 

 

「…………」

 

 

 宙を舞った筈のカップとクッキーを両手に持ちながら、咲夜は無言で主人とその親友が去っていった方角を眺めていた。

 床に完全に倒れる前に置き直したテーブルにカップとクッキーを静かに置いて、彼女は呆れの溜め息を一つ、小さく吐く。

 

「本当に、仲のよろしいこと」

 

 親友の前だけで見せる、少女の様な主人の言動。

 咲夜にとってそれは微笑ましくもあり、羨ましくも思う。

 

 羨ましいと言っても、主人の素の顔を知っているパチュリーに対してでは無く、二人の気心知れた関係に対しての事だった。

 

 同僚であり友人である紅美鈴は、同時に母親の様な存在でもあって、あんな風に遠慮無しに物事を言い合える関係では無い。

 勿論普段から相談に乗ってもらったり、小さな愚痴を聞いてもらったりしているが、それとはまた、少し違う事だと咲夜は思っていた。

 

「……私も、あんな友達が出来たらな」

 

 微かな声で呟いた彼女の脳裏に浮かんだのは、自分の淹れた紅茶に、焼いたクッキーの味を褒めてくれ。

 かつて人間から「化け物だ」と罵られた自分に、人として、対等な態度で接してくれた少女。

 

 咲夜がこれまで歩んできた冷たい人生の中で、出会う事のなかった存在。

 

 そんな少女の朗らかな笑顔を思い浮かべ、咲夜は小さく微笑んだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 宴会当日こと。

 魔理沙が霊夢と水蛭子の関係を盛大に勘違いしまくっている時刻より、少しだけ時を遡る。

 

 

「う〜ん……」

 

 

 レミリア・スカーレットは腕組みをしながら悩ましげな声を出していた。

 それは何故かと言うと、一重に彼女が立っている場所に由来している。

 

 隣の従者に差させたお気に入りの洋傘の影の下、その幼い二足が踏み締めているのは、博麗神社の境内であった。

 博麗神社は言わずもがな、博麗霊夢の勤務先兼お家である。

 

 そして博麗霊夢とは、先日レミリアが殺しかけた少女である。

 

 つまり、つまりだ。

 五世紀と余年の時を生きてきたヴァンパイアの少女は、今物凄く。

 

「(……物凄く、博麗霊夢と会い難い!!)」

 

 うつむかせていた顔を勢い良く上げて、博麗神社の社を見る。

 質素な神社ではあるが、良く手入れされている。

 社宅から伸びる垂木には蜘蛛の巣一つ無く、庭には殆ど落ち葉も落ちていない。

 霊夢が意外にマメな性格であると言う事が良く分かる。

 

 そんな感じで感心の色を顔に表したと思えば、レミリアは再びうつむいてしまう。

 

「……あの、お嬢様? まだ宴会場に向かわれないんですか?」

 

 いつも通りのポーカーフェイスに、少々のゲンナリ風味を混ぜて、隣の咲夜が問いかける。

 かれこれ十分くらい、こうして唸りまくっているレミリアに彼女はそろそろ限界を迎えていた。

 

「いや……なんと言うか、合わせる顔が無いと言うか」

「え、今更そんな事言ってるんですか? もう神社来ちゃってますけど?」

「そう。来ちゃってるんだよな〜……なんで来ちゃったのかな〜……」

 

 珍しく情けない声を出しながら、とうとうその場にしゃがみ込んでしまったレミリアを見て、咲夜が思わず口を抑えた。

 初めて見た主人のこんな姿を見て、彼女は思う。

 

「(どうしよう……ちょっと、おもしろい……)」

 

 ふふ、という小さな笑いを口の中で転がし、いつもより一層小さく感じる主人の背中を咲夜が撫でた。

 

「お嬢様、招待をくれたのは八雲紫の方ですよ? そこまで気を負う事は無いと思いますよ」

「そうなんだけど……でもあの巫女と顔を合わせるのが気まずくて」

「いやいや。霊夢さんも許してくれましたし、水蛭子さんもまた紅魔館に来たいと言ってくれたじゃないですか。何を怖がる必要があるんですか?」

 

 レミリアの心境にあまり共感出来ないと言った風の咲夜は、小さく首を傾けながら問いかける。

 

「……うん、まぁ分かった。咲夜は……そうだな、美鈴が来たら予定通り食事の準備をしなさい。私はその辺で日向ぼっこでもしてるから」

「承知しました(日向ぼっこ……?)」

 

 気恥しさ混じりに飛ばされたレミリアの言葉に、咲夜は思った。ヴァンパイアであるお嬢様が日向ぼっこをしたら自殺行為では?と。

 ご主人様的には華麗なヴァンパイアジョーク(照れ隠し添え)を披露したつもりなのだが、従者的には非常に反応に困る言葉遊びだった様だ。

 

 それでも彼女は従者としての役目を全うするべく、暫く後に大量の荷物を抱えて石階段を上っていた美鈴と共に、博麗神社の台所へと向かうのであった。

 

 その背中に「私は博麗の二人組に直接会うか分からないから、一応よろしく言っておいて」と声を掛け、それに頷いた二人の従者を見送ると、レミリアは肩に掛けるように差した傘をクルリと回す。

 

 

「……さて、折角の機会だから、紅葉でも楽しもうかしら」

 

 

 翼を一度だけ羽ばたかせるだけで、小さな体は空を舞った。

 それにより発生した風に、境内の庭にいる何人かは此方に視線を向けたが、しかし直ぐに興味を失い視線を外す。

 

 物珍しい筈の妖怪であるヴァンパイアに興味を持たないとは、流石魑魅魍魎のデパート『幻想郷』。

 ……それとも自身の力が、一瞥すれば意識から外れる程に弱まってしまっているのか。

 

 レミリアは自虐的な悲しい笑いを零し、神社の屋根にトンと着地した。

 瓦の安定具合を足で確かめた後、ゆっくりと腰を下ろす。

 

「うん。良い景色だ」

 

 この日本という国には四季が存在するが、レミリアはこの秋という季節が一番のお気に入りだった。

 自然豊かな山々を鮮やかな紅葉が彩る様は目に楽しく、空を漂う何処と無く香ばしい空気も彼女の好みだった。

 

 闘争を求めてこの地に降り立ったにも関わらず、長い間謹慎生活を余儀なくされてしまったレミリアだが、それでも。

 

 

「……この景色を見られるというだけで、この郷に来た甲斐があったものだと言うと。またパチェに呆れられるかな」

 

 

 すっかり全盛期の牙が抜け、妖怪としての力も落ち、かつてあったカリスマが薄く薄くなってしまった彼女は、それでも笑っていた。

 寂しさや、悲しさを孕ませたものであったが、しかし慈しみすら感じる程、優しく穏やかに。

 

 秋らしい落ち着いた陽射しを落とす、己の宿敵である筈の太陽を見ても。

 ただただ、夜の帝王は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫くの間、幻想郷の秋を眺めていた彼女の視界に、見知った面々が集まって来ているのを確認して。

 

 割と可憐な性格をしていたヴァンパイアの少女が勇気を振り絞って突撃していくのは、また別のお話。

 

 

 




 
 宴会の話が予想したより長引いてしまったので、この数話を『紅霧宴会編』に変更させていただきます。
 なお、次のお話で宴会編は最終話になります。
 

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