「咲夜ー?」
豪奢な椅子に腰を掛けたレミリア・スカーレットが虚空へと呼びかける。
普段であれば間髪入れずに返事が返ってくる筈なのだが、その少女は既に気を失っていた。
レミリアの声が宙へと溶けていく。
「……想定していたより、随分と早いな」
顎を撫でながら感心した声色で言ったレミリアは、突いていた頬杖を解き、背凭れから身体を持たげる。
そして畳まれていたコウモリの様な羽をグイーッと伸ばすと、その紅の双眸を妖しく歪ませた。
「もう一杯だけ、欲しかったんだけど」
愉しそうな声色でレミリアが言うと、彼女が座る椅子から伸びた紅いカーペット。
その向こう側にある大きな扉が、金属の擦れる音を響かせながら開く。
扉の向こうから現れた紅白の少女を確認すると、レミリアは一層笑みを深め、ゆっくりと立ち上がった。
「やぁ、博麗の巫女。よく来たね」
「アンタがこの異変の黒幕?」
「む……まぁ待ちなさい。紅茶でも淹れよう」
真顔のまま問いかけた霊夢にレミリアは一瞬苦笑を浮かべながらも優しく微笑むと、傍らにあったテーブルに置かれていたティーポットを手に取った。
同じくテーブルに置かれていたティーカップに紅茶を淹れる。
そして二つのカップを両手に持つと、コツコツとヒールの踵を鳴らしながら霊夢の方へ歩み寄っていく。
「さ、飲みなさい。あぁ、ミルクは要るかな?」
「……悪いけど、呑気にお茶会を開いてる暇は無いの」
「おやそうなのか? ……ふーむ、それでは折角淹れた紅茶が勿体無いなぁ」
「アンタが二つとも飲めばいいでしょ」
「一つのカップを空にする間に、もう一つが冷めてしまう。それも、至極勿体無い」
「じゃあ冷めない間に二つとも飲めば?」
「あ、それは名案だ」
ニコリと微笑んだレミリアに不機嫌そうに顔を顰める霊夢。
そんな霊夢を見て、レミリアは更に笑みを深めた。
「でも、美しくないなぁ。私が欲しいのは名案では無く、此方がアッと驚く様な妙案であって……」
「……めんどくさ」
「め、めんどくさ!?」
そっぽを向いた霊夢にレミリアは呆然と口を開いた。
暫く霊夢を見てから、開けていた口を窄めて思いっきり吹き出す。
「ぶっ! あっはっは! 面倒臭いと来たか!」
急に大声で笑い始めたレミリアを見て、霊夢は不快感を漂わせる表情を露わにし、靴先を大理石で出来た床へカツカツと叩きつける。
「あのね、私アンタの世間話を聞きに来てるわけじゃないのよ。暇じゃないの」
あからさまに不機嫌な様子の霊夢に、レミリアは笑いを抑えながら霊夢の方へ縦にした平手を向ける。
「ふふ……いや、すまない。気分を害したのなら謝るよ」
「謝らなくても良いわよ」
「……ん?」
目の前の少女が相変わらずの不機嫌顔のまま一歩前進して来たのを見て、思わずレミリアもカップを両手に持ったまま一歩後退する。
「……どうしたのかな?」
「謝らなくたって良いわ。その代わり……」
腕の一本位は、貰っていくつもりだから。
空気が、唸る。
「むぅ!?」
「へぇ、避けるんだ」
燕返しの要領で下から薙がれたお祓い棒を半身に避けたレミリアが、驚愕の表情を浮かべながら霊夢の瞳を見る。
一瞬の驚きの後、レミリアは楽しげに口を歪めた。
「幼くとも、博麗の巫女という訳か!」
「腐っても大妖怪って訳ね」
お祓い棒で肩を叩く霊夢を見ながら、レミリアは両手に持ったカップから溢れそうになっていた紅茶をゴクリゴクリと二口で呑み込んだ。
空のカップが宙を舞ったのを合図に、双方が大きく後ろへ跳躍し、ギラリと光る二つの瞳が暴力的に衝突する。
「良かろう!」
「良いわ 」
紅い月光を横顔に受けた吸血鬼は凶暴に嗤い、紅い闇夜に蝕まれた人間は冷徹に微笑む。
斯くして、二人の『紅魔』が邂逅する。
「こんなにも月が紅いんだ」
「こんなにも月が赤いんだから」
夜の帝王は巨大な翼を広げ、ガラスを介して降り注ぐ紅い月光を背に纏いながら。
無欠の人間は、渦巻く闇と眩い紅月の光を瞳に宿らせながら。
「楽しい殺し合いにしようじゃあないか!!」
「精々永いこと、苦しんで頂戴」
永劫にも続きそうな夜を予期して、眼を細めた。
◆
「……あ゛〜」
ブンブンと首を振るいながら、チルノは起き上がる。
"一回休み"となった彼女は霧の湖の畔で目を覚ました。
チルノは酷く不機嫌な表情で周囲を見渡すと、すくと立ち上がる。
「チクショ〜、あのヘンテコ帽子よくもやったわね〜!」
彼女は地団駄を踏んだ後、飛翔し、移動を開始した。
そして深い霧を抜け、湖から少し離れた空中で一度止まると、眼下に広がる森を見回す。
それから一つのギャップ(森の中にある開けた場所)を見つけると、そこへ降り立つ。
降りた所には朽ちた大木が横たわっており、チルノはその大木の洞を覗き見た。
「大ちゃん! おーきーて!」
「……むにゃ……むにゃ、もう食べられないよぉ」
「な、なんてテンケー的な寝言……もう! いいからおきてー!」
「……あ〜、といぷーどるだぁ」
「もぉぉぉ!!」
鮮やかな緑髪に蒼を基調とした服を見に纏った少女は、洞の中で小動物の様に身体を丸めて眠っていた。
呼び掛けに応じてくれない彼女にチルノはまた地団駄を踏む。
「……ぅむう? ……誰ぇ? チルノちゃん……?」
「あ! 起きた!」
チルノの騒がしさに少女は目を擦りながら起床して、シパシパと目を瞬かせた。
「ねぇねぇ大ちゃん! ちょっと手伝って!」
「あ〜やっぱりチルノちゃんだぁ……!」
「わぷ」
緑髪の少女、チルノが大ちゃんと呼ぶ彼女は、目の前に居るのがチルノだと確認すると勢いよく彼女に抱き着いた。
「も〜……」
「えへへ……ひんやりしてきもち〜」
「はやく起きてよ〜」
少し疲れた様な顔をして大ちゃんに抱き着かれているチルノは、しかし彼女を押し戻す事もせず、抱き着く彼女の背中をポンポンと優しく叩いた。
「んふふ〜……チルノちゃん、いいにおいがする〜」
「良い匂い?」
そう言われて自身の腕をすんすんと嗅いでみるが、特段強い匂いは感じられない。
チルノは首を傾げながら大ちゃんへ問いかける。
「どんな匂い?」
「あまいにおい〜……お菓子みたいな〜」
「んん〜?」
まるで心当たりが無いそれにチルノはもう一度首を傾けた。
が、ふと先程までいた本まみれの場所を思い出す。
「そーいえば何か、甘い匂いがしたような」
「どこ〜? 私そこに行きたい!」
「え、あ、うん」
まさか自分が思っていた所に相手から行きたいと申し出られるとは思っていなかったチルノは、少し戸惑いを見せてから頷いた。
「やった〜!」
「……まぁ、いっか」
まさかボコボコにしたい奴が居るから一緒に来て欲しいとは言えず、チルノは気まずさを感じながら頬を掻いた。
◆
一方水蛭子は、本の床に正座をしながらその太ももに魔理沙の頭を乗せて、読書に勤しんでいた。
「ふーん、"妖怪"の魔法使いって人間でもなれるんだ。もしかして元人間って妖怪も結構居るのかしら」
独り言を呟きながら自身の太ももに乗せた魔理沙の顔を見ると、水蛭子は少しの間黙り込んでしまう。
「もしかして、人間と妖怪って近い存在なの……?」
「ふふ、そうね……」
「あ」
声のした方を見ると、先程まで気を失っていた紫の魔女が身体を起こしている所だった。
水蛭子は腰のポーチを魔理沙の頭の下に入れてから、彼女の方へ近付いてその背中を支えた。
「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」
「ええ、大丈夫……少し、頭がボーッとするけど」
「まだ無理しないでくださいね」
「……そうね、もう少し、横になってるわ……」
そう言って再び身体を倒そうとするパチュリーの背を水蛭子がゆっくりと支えながら倒す。
横になったパチュリーは優しげな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「いえいえ!」
そんなパチュリーに水蛭子も笑顔で返す。
その笑顔を数秒眺めた後、パチュリーは天井へ視線を向けた。
「……さっきの話だけど」
「さっきの話?」
「人間と妖怪が一緒って話」
「あ、ああ! さっきの話ですね!」
「……ふふ、そう。さっきの話」
独り言の内容をすっかり忘れていた水蛭子は合点がいったように頷くと、パチュリーの言葉の続きを促した。
「貴女の言う通り、人間と妖怪って、とっても近しい存在なの」
「えっと、私適当に言っちゃったんですけど、近しいって具体的に……?」
水蛭子が首を傾げると、パチュリーは視線を右上方へやり、胸の上で祈るように組んだ手の、右人差し指をトントンと動かしてから言葉を紡いだ。
「そうねぇ……まず、さっき貴女が言った通り、人間から妖怪としての魔法使いに成った者は何人も居るわ。霊や鬼、それに神様だってそう。元々人間だった妖怪はそれほど珍しいものじゃない」
「えっと、神様も妖怪って言っていいんでしょうか?」
「人外の存在っていう意味ではどっちも同じよ」
「ああ、まあ言われてみれば」
ある程度の信心がある水蛭子は神様を妖怪として捉える見方に抵抗があったが、パチュリーの言葉に苦笑しつつも頷く。
それから視線を水蛭子に戻したパチュリーが言葉を続ける。
「そもそも、まるっきり別の存在であるのなら、人間が妖怪になる事自体有り得ないことだと思わない?」
「……というと?」
「貴女の推測通り、人間と妖怪という二つの存在は、本質的に見るとそれほど変わりは無いってことよ。クラスが違うってだけで」
「はぁ……その、クラスって?」
「あー、日本的に言ったら格、かしら。まぁ、妖怪を超えてる人間が現にここにいるわけなんだけど……」
「あ、はは」
何かを含んだ様な笑みを浮かべて此方を見るパチュリーに、水蛭子は空笑いする。
そんな水蛭子を見て笑みを砕けたものに変えたパチュリーは、穏やかな口調で言った。
「……これでも褒めてるつもりなのよ?」
「え」
皮肉を言われたと思った水蛭子はポカンと口を開けて間抜けな顔をした。
それを見てパチュリーは一層微笑んだ。
「あんまり自覚が無いようだから言っておくけど、貴女結構凄いのよ? 単純な力もそうだけど、胸の中にある魂が特に」
「たましい?」
「貴女って魅力的なの」
「……ええっと、それはどういう……?」
まさか自分は告られてるのか?と憶測を立てた水蛭子は、恐る恐る聞き返す。
「美味しそうなのよ。凄く」
「あー……っと、ご、ごめんなさい。私そっちの気は無くて……」
「そういう意味じゃなくて、本当の意味で美味しそうって事。私は食欲無いから大丈夫だけど、人食を好む妖怪からしたら垂涎モノよね」
「……え?」
まさかの返答にパチクリと瞬きしてから、水蛭子は首を傾げる。
「まぁレミィや美鈴は特段好んで人を食べる訳じゃないから、ああいうタイプの妖怪からすると貴女は……なんて言うのかしら、人として好き? みたいな感じなんじゃない?」
「いや、それは嬉しいんですけど……」
美味しそうとは一体……?
タラりと冷や汗を流した水蛭子が何とも言えない顔になったのを見て、パチュリーは首を傾げた。
「貴女今まで妖怪に食べられそうになったことが何度もあるんでしょう?」
「まぁ……」
「態々知り合いになった振りをされたりしたんでしょう?」
「そうですね」
「普通、そこまでして人間を食べたいとは思わないわよ」
「……そうなんですか?」
全く聞き覚えのない情報に今度は水蛭子が首を傾げる。
「貴女大好物は?」
「……お肉ですかね」
「畜産農家でも無いのに、牛が食べたいからって牛を育る?」
「しませんけど……」
「普通はお店である程度加工された物を買うでしょ」
「そ、そうですね……」
「妖怪も一緒よ。ある程度の知性を持った妖怪は、わざわざ人間を襲って食べたりしないわ」
「……ということは」
嫌な憶測が頭に浮かび、水蛭子の額に再び汗が垂れた。
「あの人達が襲ってきたのは……私のせい?」
「元々人喰い妖怪ではあったんでしょうけど、それくらいの魅力が貴女にもあったと言うことかしらね」
「……そんなぁ 」
受け入れ難い事実に、水蛭子は情けない声を出して膝をつく。
そして泣きそうな声で話し出した。
「私……人を襲う妖怪は、皆愚かな存在だって思ってました」
「違わないでしょ」
「違います! ……本当に愚かだったのは……私だったんだ。あの人達の思いや言葉も聞かずに……殺そうとして来たから悪だと決めつけて、殺しちゃった……」
「……」
パチュリーは身体を起こし、立ち上がる。
そして呆然と床を見る水蛭子の顔を覗き見た。
山吹色の瞳は辺りの蝋燭やランプの光を反射して、潤々とした輝きを放っている。
「泣いてるの?」
パチュリーは優しげに微笑みながら、問いかける。
「可笑しいと思ってたのよ……! 瑞希も、蘭も、人を襲おうとするような子じゃなかったもの……」
「水蛭子」
「私が、私が悪かったんだ……全部、私が!!」
「ちょっと、落ち着きなさいな」
ヒステリックになりかけていた水蛭子を、パチュリーが優しく抱き締める。
「パチュリーさぁん……! わたし、わたし……!!」
「よーし、よし」
胸の中でわんわんと泣きぐしゃる水蛭子の髪を、ゆっくりと撫でる。
これといって効果的と言える言葉が見つからないので、ただ優しく撫でるだけ。
(……ホント、人間っぽい子ね)
少し落ち着いてきた水蛭子を見ながら、パチュリーはそんな感想を抱く。
百年生きた魔法使いを打倒した人物とは凡そ思えない。
(妖怪を殺せるのは、妖怪と神と、妖怪に限りなく近い人間だけ。……でもこの子の魂は酷く純粋で、それでいて強大だ。あまりにも"人間"過ぎる魂なのに何故、あそこまでの力を持っている? やっぱり、この子は……)
「あ、あの、ごめんなさい。取り乱しちゃって」
「……良いのよ、気にしないで」
落ち着きを取り戻した水蛭子が声を掛けて来たことにより、パチュリーは思考を中断する。
そしていつも通りの澄ました表情で返すと、抱擁をゆっくりと解いた。
「……パチュリーさん?」
「なに?」
「いえ、何か考えているようだったので」
「そう見えた?」
「は、はい」
「……ええ、少し、ね」
控えめに頷く水蛭子を見て、パチュリーはまた考えに耽った。
水蛭子が殺めてしまった瑞希と蘭は、人喰い妖怪でした。
水蛭子と出会う前から人を食べていましたが、水蛭子の人柄には友達として惹かれていました。
しかし精神が弱い妖怪である故に本能を抑え込めず、水蛭子を襲ってしまいました。