博麗になれなかった少女   作:超鯣烏賊(すーぱーするめいか)

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第十五話 幻想を追い求める少女

 

 

 目の前の魔法使いに抱く激情は、憎悪。

 自身に覆い被さる感情は、後悔。

 

 ギリギリと歯切りを立て、握り締めた手の内から鮮血がボタリボタリと流れ落ちる。

 踏み舐った鎖は粉々に砕け、ただの金属の欠片と化していた。

 

「殺すことは無かっただろ」

 

 ポツリと、しかしハッキリとした口調で魔理沙が言った。

 何の感情も篭ってないかのように、単調なものだ。

 

 だが、彼女の身体は震えていた。

 

 チルノとはそれ程親しい仲ではなかった。それでも、彼女の純粋な感情や表情、言葉を、心地良く思っていたのだ。

 少しの間ではあったが、魔理沙は彼女に確かな信頼を芽生えさせていた。

 

 魔理沙にとって、親しい知り合いが亡くなったのは初めての経験だった。十年と数年。

 彼女が生きてきた短い時間で、そう言った経験が無かったのは奇跡だった。

 

 死を、目の当たりにしたのは、初めてだった。

 

「なんでだ」

 

 俯かせていた顔を上げ、紫の魔法使いを睨みつける。

 

「なんで殺した」

 

 魔理沙は溢れる涙を拭うこともせず、ただただ平坦で、感情の篭っていない言葉を、パチュリーへ投げ掛ける。

 

 パチュリーは無表情で、簡潔に一言発する。

 

 

「貴女も、死んでいたわ」

 

 

 ゾクリと、全身の毛が逆立った様な錯覚に陥った。

 

 それまで抱いていた怒りも、悲しみも、全てが吹き飛ばされた。

 魔理沙は一瞬にして戦意を喪失させ、一歩ニ歩と後退る。

 

「なん……だと……」

「貴女は運が良かったのよ。貴女もあの鎖に捕まっていれば死んでいたわ。最も、実体を持っている分、もっと残酷な壊れ方が待っていたでしょうけどね」

 

 膝が、指先が、唇が、震える。

 今度は、怒りでも、悲しみでも無く。

 目の前の化け物に対しての、純粋な恐怖で。

 

「ふざ……ふざけんな」

「全身の骨が複雑に砕けて身体を廻る流血が一気に止まれば、どんな感覚に陥るか知ってる?

 何も感じないのよ。特に、痛みに慣れていない貴女の様な小童はね。

 脳が認知しようとしないの。

 それに伴う痛みも感じることが出来ないの。

 だから、苦しいなんて思わなかったでしょうね。

 ただただ、感覚を失った身体に戸惑いながら、貴女は墜ちるの。

 それから上手くいけば首の骨が折れるわね。

 でも安心して。最早それすらも大した痛みに感じないでしょうから。

 もし仮に痛くなったら、沢山叫んで? そうすれば私が脳のシナプスを書き換えて痛みを遮断してあげる。

 あ、そうそう、貴女オチ癖って知ってる? 首を絞められた時に自身の血流をある程度操る事によって、脳へ送る血中酸素を極端に少なくするの。そうすれば苦しまずに、直ぐに気を失えるってわけ。

 死ぬのも同じよ。受け入れれば、直ぐだわ」

 

 そこでパチュリーは穏やかな微笑を浮かべて。

 

「受け入れなさい、有象無象の人間よ。貴女はここに来るべきでは無かった。貴女という存在は、ここで終わるの」

「ーーーッ!!」

 

 反転し、逃げようとして、転ける。

 ゴチンッと、アゴを強く打った魔理沙の視界はチカチカと明暗を繰り返し、彼女の思考をますます焦らせた。

 

「逃げなくても良いわ。苦しいのはほんの一瞬よ」

「ひっ……!」

 

 乾燥した喉は悲鳴すらまともに上げられない。

 クラクラとした思考のまま、がむしゃらに後ろへ後ろへと這っていく。

 

 パチュリーの歩幅は今のところ狭い。立って、走って逃げれば容易に距離を取れるだろう。

 しかし、今の魔理沙にはそういった当たり前の判断もすることが出来なかった。

 

「た、たすけ……」

「うーん、そうねぇ。ついさっきウチの門番が博麗の巫女と戦闘を始めたって伝令があったし、助けてもらうってのは望み薄じゃないかしら?」

 

 非情なパチュリーの言葉に、魔理沙の感情は絶望へと染まっていく。唯一の助けの綱が途切れたのだ。

 もはや絶対絶命。物語であれば、ここでヒーローが登場して、目の前の悪党を懲らしめるのだろう。

 

 魔理沙は半ば諦める。

 そんな都合の良い事、ある訳が無い。

 あるとしたら……。

 

 そう、先代の博麗の巫女が現役だったならば、自分は助かっていただろう。

 しかし、あの人はもう居ない。

 あの人が正義の味方であった時代は終わったのだ。

 

 ここで、終わりなんだ。

 

 魔理沙の頬につうと涙が流れ、そしてポツリと床に収められている本に落ちた。

 

 

 同時に、声が聞こえた。

 魔理沙でもパチュリーのものでもない声が。

 

 

「殺すのは規約違反です。パチュリーさん」

「ぇ……?」

 

 

 背後から聞こえた声に流れていた涙が止まる。

 

 振り返った魔理沙の視界に、先代の博麗の巫女とよく似た灰色がかりの黒髪が宙を流れた。

 

 身の丈より長い棍を肩に担ぎ、淡い水色とうぐいす色の着流しを身に纏った少女は、図書館の闇から悠然と姿を現す。

 

 彼女は腰を抜かしている魔理沙を見ると優しげに、そして悪戯的に笑った。

 

 鯉の様にパクパクと口を開け閉めさせている魔理沙が、こんがらがった思考をどうにか整えようとして、失敗する。

 

 何故?

 

 何故彼女が、ここに居る?

 

 

「超絶可愛い正義の味方、八十禍津水蛭子ちゃんただいま参上仕ったわ。えーと三日ぶりかしら、元気してた魔理沙?」

「……ひる、こ?」

 

 

 山吹色の双眸を煌めかせながら、八十禍津水蛭子はバッチーンとあざとめのウィンクを飛ばした。

 

 

 

 

「あ、あのー?」

「……」

「あの、博麗の巫女さーん?」

 

 霊夢はかつて無い程の焦燥に駆られていた。

 目の前で困った顔をしながらこちらに話しかけている妖怪が、自分の幼馴染と話したと言ったからだ。

 

 まだ、知っている妖怪なら良い。

 しかしコイツは異変首謀者の手下で、良い奴な訳がない。

 一応一度見た妖怪はある程度記憶している脳内妖怪図鑑には該当しない妖怪で、素性も全く分からないのだ。

 しかも何か変な格好をしてるし。

 

 水蛭子をここ三日ほど見なかった理由もこれか。

 

「んん?」

 

 変な格好と言えば、霊夢は美鈴の着ている服装を見て妙な引っ掛かりを感じていた。

 真っ赤な髪。緑の変な服と帽子。高めの身長。

 

 ふむと、少し考える。

 

 確か、霧の湖で人里の子どもを助けた妖怪がそんな特徴だった気がする。

 数日前の事だし、そこまで興味も無かったので良くは覚えていないが、確かにそんな感じだった筈だ。

 

「……ねぇアンタ。ちょっと前に人間の子どもを妖怪から助けなかった?」

「え、助けましたけど……はは、水蛭子さんと同じ事を聞くんですね」

「気安く水蛭子の名前を口にしないでくれる? あの子が穢れちゃうでしょうが」

「えぇ……?」

 

 過剰な返答に美鈴は思わず口の端を引き攣らせる。

 水蛭子から聞いていた人物像と本物が違い過ぎて若干引くレベルだ。

 あの少女には一体何か見えていたんだろうか。

 

「ということは。水蛭子は霧の湖でアンタを無事に見つけた訳ね」

「どっちかって言うと私が彼女を見つけたんですけどね」

「うるっさいわねそんな事誰も聞いてないでしょうがぶっ飛ばすわよ」

「怖ッ、え、えぇー!? 滅茶苦茶気性荒いじゃないですか!! 全然聞いてたのと違うんですけどー!!」

 

 霊夢からの視線を避ける様に後退した美鈴がひぇぇと情けない声をあげる。

 ちょっとヤンチャな高校生に絡まれる中学生の様相に似ているかもしれない。

 

 そんな美鈴に霊夢は表情を少し緩ませた。

 

「で、アンタさ」

「あ、はい。なんでしょう」

 

 霊夢は気の抜けた表情のまま問いかける。

 

「水蛭子をどこにやったの?」

「……なに?」

 

 質問の意味が理解出来なかった美鈴は聞き返す。

 美鈴は例の会議があった日から水蛭子には会っていない。

 何処にやったと言われても普通に知らなかった。

 

「ええっと、何処にやったとは?」

「しらばっくれるんじゃないわよ。水蛭子とはここ三日くらい会えてないの。里の人達に聞いても知らないの一点張りだし、残る可能性としてはアンタらくらいしかないじゃない」

「うーん、そんな事言われましても……彼女を館に置いててもメリットとか無いですし……」

「じゃあアンタ個人が水蛭子を監禁しているんでしょ! 見るからに変態的な格好してるし、絶対そうだわ!」

「変態的!? し、失礼な! この格好の何処が変態か!! そういう貴女だって脇ガッバーって開いた変態ファッションしてるじゃないですか!!」

 

 ふわっふわの推理なのに怒涛の勢いで攻め立ててくる霊夢のお口に、ちょっとキレながら反論する美鈴。

 彼女の主張の方が明らかに正論であり、パワーがあるのだが、トランス状態に陥っている霊夢には全然意味を為していない。

 

 寧ろ意見を突っぱねられるのが嫌いな霊夢はあぁん?とガン飛ばしながら肩で風を斬って美鈴へ近付いていく。

 そして少し身長が高い美鈴を見上げるようにしてその顔を睨み付けると、ピタリと動きを止めた。

 

「な、なんですか」

「……どうやら嘘はついてないみたいね」

「へ?」

 

 いきなり落ち着き出した霊夢に困惑しつつ、美鈴は小首を傾げた。

 コイツ気が触れているんじゃないかと彼女の気を探ってみるが、どうやら単にものすごくマイペースなだけらしい。

 

「なんか戦う気も失せちゃった。今回は特別に見逃してあげるわ」

 

 美鈴に向かってじゃあねと右手を軽く振ると、霊夢は門をピョーンと飛び越え、紅魔館へ軽々と侵入していった。

 

 その後ろ姿を呆然と見ながら、美鈴はゴクリと生唾を呑み込み冷や汗を垂らしながら口を開いた。

 

「博麗の巫女……なんて恐ろしいヤツだ……」

 

 自分も相当にマイペースだと自負していた美鈴が、初めてその分野で負けを認めた瞬間であった。

 

 

 

 

 身体全体に安堵が染み渡っていくその感覚に、恐怖の元凶であるパチュリーがまだそこに居るにも関わらず、硬直していた筋肉が緩んでしまう。

 

 しかし、水蛭子が来たところで状況は変わっていない。

 この魔女の圧倒的な力には、水蛭子では敵わないと目に見えている。

 

 だが、しかし。

 自分のピンチに颯爽と現れ、冷血な魔法使いに向かって歩いていく少女の後ろ姿に魔理沙は。

 

 確かに、先代巫女の面影を見た。

 

 

「水蛭子、ダメじゃない。博麗の巫女が来るまで奥の方で待ってないと」

「いやぁ、そのつもりだったんですけど、こっちの方からなんか鎖が飛んできたんで何があったのかなーって思いまして」

 

 

 水蛭子は笑顔のままそう言ってから首を鳴らす。

 よく見るとその笑顔は歪なモノであり、普段の穏やかなソレとは凡そ違っている。

 それに違和感を感じたパチュリーは、眉を顰め彼女の名前を呼んだ。

 

 

「……水蛭子?」

「妖怪は人間を、人間は妖怪を悪戯に殺めてはいけない。それが、幻想郷の賢者と博麗の巫女が築いたこの地の秩序なんです」

 

 

 細めていた目を開くと極限まで小さくなった真っ黒な瞳孔が露になる。

 その瞳に浮かぶ感情は、怒りだった。

 

 困った様に微笑んだパチュリーが、諭すような口調で水蛭子を窘めた。

 

 

「何を言ってるのよ。この人間を殺そうとした事がそんなに嫌だったの? 大丈夫、冗談よ。私も百余年は生きているんだから、善悪の分別くらいは出来ているつもりだわ」

「嘘ですね」

 

 

 冷え切った声で水蛭子が言った。

 開かれた双眸は瞬きをすることも無く、ただただ紫色の魔法使いを視界に収め続ける。

 

 

「小さな頃からずっと、妖怪は信用はしちゃいけないって母から教わってきました。私はそんな考え方に疑問を持ちながら、人と妖怪、分け隔てなく仲良くする様に努力してきました」

「仲良くできてるじゃない。妖怪の友人も居て、八雲紫とも気軽に話せる仲なんでしょう? 貴女は立派に自分の考えを貫けているわ」

「でも」

 

 

 食い気味に水蛭子が口を開いた。

 

 

「……でも、母は正しかったんです」

 

 

 そう言った水蛭子は、真顔に哀しみを孕ませた。

 

 

「小さな頃、仲良くしてくれる妖怪の女性が居ました。美人で気立てが良くて、妖怪だからと里の人に白い目で見られても気にしていない様に振る舞って、何時も笑顔で。そんな彼女の人柄に惹かれる人も多くて、子どももつくれないのに彼女へ求婚する人間の男性も居ました」

「へぇ、随分と人の社会に溶け込めていたのね。人と妖怪の楽園とは良く言ったものだわ」

 

 

 関心したように頷くパチュリーの言葉に反応せず、水蛭子はそのまま話を続ける。

 

 

「ある日、ご飯を作ってあげると言われて彼女のお家にお邪魔したんです。そしたら、背後からいきなり首を絞められたんです」

「へえ」

「その時母が助けに来てくれて事なきを得ましたが、それから私は母に言われた通り、妖怪を信用するのを止めました。同時に、もっと強くならなければいけないと思い、母や自警団の人達に棒術の指南を受けました。

 それから、博麗の巫女に選ばれなかった私は自警団に入り、毎日の様に人里の周辺をパトロールしました。人が襲われていれば助け、明らかに害のある妖怪は退治しました。

 当時親しくしてくれる妖怪は何人か居ました。しかし、その内の半分以上は私を食べようとしてきたので、殺しました」

 

 

 パチュリーから視線を外し、床にヘタったまま黙っていた魔理沙を見る。

 先程浮かべていた恐怖の表情を消し、真剣な顔をしてこちらを見ていた魔理沙を見て、水蛭子は少しだけ微笑んだ。

 

 

「人間は、妖怪達にとって格下の存在なんですよね」

「まぁ、一部例外は居るけれど、基本的にはそうね」

「何時でも殺せるって、そう思っているんですよね」

「出来るか出来ないかと言われれば出来るけど」

「それじゃあ」

 

 

 一度呼吸を置き、再度口を開く。

 

 

「それじゃあ、楽園とは言えないんです。幻想郷とは言えないんです。人と妖怪が手を取り合って、共に生きていくから、理想郷と言えるんです」

「博麗の巫女が居れば不可能ではない筈よ?」

「違う!!!!」

 

 

 パチュリーの言葉を、激しく否定する。

 

 

「博麗の巫女が居なくても、それが当たり前の世界を創らなくてはいけないんです! 人も妖怪もおんなじ立場で、どちらもが心の根底から人妖が平等であると思わないと、結局は何も変わらないんです! 命を、軽視してはいけないんです! それじゃあ、紫さんが目指している幻想郷は何時まで経っても完成しないんです!!」

「……」

 

 

 怒号にも近しいそれが、パチュリーの鼓膜を叩く。

 水蛭子の心の底からの叫びに、魔理沙は両眼から込み上げてくる熱いものを感じた。

 

 水蛭子が棍を構え、鋭い眼光でパチュリーを射抜く。

 

 

「私は、本当の幻想郷を創りたくて、この刃を手に取りました」

「随分と、大層な幻想(ゆめものがたり)ね」

 

 

 強い意志を持った瞳に、クツクツと込み上げる笑いを抑えつつパチュリーが言った。

 

 

「分かったわ。じゃあ、貴女が私に勝てたら、考えを改めてあげる」

「ありがとうございます」

 

 

 頭を下げる水蛭子に、パチュリーはその代わり、と言葉を紡いだ。

 

 

「私が勝ったら、貴女、私の眷属になってもらうわね」

「は、はぁ!? なんだよそれ!!」

「……分かりました」

「おい水蛭子!」

 

 

 抗議の声を上げた魔理沙を制し、水蛭子は深く頷いた。

 それを見て満足そうに微笑むと、パチュリーは背後に浮かんでいた巨大な本を手元へと移動させ、開いた。

 

 本の中からボウッと紫色の光が迸り、部屋中を紫の閃光が駆け抜けていく。パチュリーの周囲に幾つもの本が飛来し、それらを中心にたくさんの魔法陣が宙に浮かび上がった。

 パチュリーは両手を掲げて目を細めると、不敵に口端をニヤけさせつつ口を開いた。

 

 

 

「さぁ、何処からでも掛かってらっしゃい」

「全身全霊で、行かせてもらいますッ!!」

 

 

 

 沢山の魔法陣が一際強烈な光を放つ。

 それを合図に、水蛭子が一歩、踏みしめた。

 

 




水蛭子の名前について。

水蛭子とは。
古事記において伊邪那岐の命と伊邪那美の命の間に生まれた最初の神。
しかし未熟児であった為に、葦で造られた船に乗せられ海へ流された。
二柱の子として認められなかった、不遇な存在である。
蛭子神や蛭子命として祀っている神社は多い。

物語を紡がせて貰っている私が、古事記の冒頭を読んでいた時に出会いました。
どうしてもこの水蛭子という存在を主人公として、物語を紡いであげたいと思い、そうして書き始めたのがこの「博麗になれなかった少女」です。

なれたかもしれない存在になれなかった。
そういった悲しみを重ね、この子を水蛭子と名付けました。

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