博麗になれなかった少女   作:超鯣烏賊(すーぱーするめいか)

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いと、くらきようかい


紅魔郷編
第十一話 いと、冥き妖怪


 

 

 紅い薄雲の張った空を飛び、二人の少女は異変解決に赴く。

 

「めちゃくちゃ眠いわ……」

 

 魔理沙の怒声によって強制的に起こされた霊夢は寝惚けた表情で言う。

 

 巫女服本体から独立した独特な袖で寝ぼけ眼を擦りつつ、ふわぁと大きな欠伸をした。

 そんな彼女を魔理沙はジトッとした目で見る。

 

「お前さぁ、仮にも博麗の巫女なんだからシャンとしろよ」

「別に空が赤くなったからって害があるわけでも無し……」

「いやあるだろ。こんな空じゃお前ん家の薄い布団ですら乾かないぜ」

「我慢すれば良いでしょ。最近の人間には根性が足りてないわ」

「そういう問題じゃないだろ……」

 

 魔理沙は霊夢に聞こえるくらいの大きな溜め息を吐いた。

 当の霊夢は気しない様子で髪をかき上げ、気持ち良さげに目を細め、ふぅと軽く一息をつく。

 

「こんな空でも、夜風は気持ちいいわね」

「のんきかよ」

 

 緊張感の欠片もない霊夢に、魔理沙は思わず苦笑してしまう。

 幼馴染みである水蛭子と一緒にいる時は、背伸びをしてしっかり者気取ってる霊夢なのだが、その性分は基本的にマイペースなのだ。

 

「……でもアレだな。異変が起きてるんだから、てっきり妖怪たちも活発になってるかと思ったけど、逆にいつもより気配が少ない気がするぜ」

「そうね、楽で良いじゃない」

「全くだ。拍子抜けではあるがな」

 

 軽く笑い合うと、二人は暫くの間赤い空の夜間飛行を楽しんだ。

 

 

 ぼちぼち霊夢の眠気が覚めて来た頃。

 

 パッと、月明かりが消えた。

 

 突如として視界を暗闇に支配された二人は、それでも落ち着いた様子で辺りを見回す。

 

「なんだなんだ、月が雲に隠れたか?」

「こんなに暗いんじゃ異変解決も難しいわね。日を改めましょ」

「帰らせないぜ。……そもそも帰れるかどうかも怪しい所だけどな」

「じゃあ今日は野宿ね」

「お前バカだろ」

 

 一寸先どころか、自分の手ですら輪郭を確かめるのがやっとだ。

 魔理沙は怪訝な顔で思考を深める。

 

 幾ら夜中であっても新月の夜以外でこれ程の暗闇は生まれない。加えて、今宵は十六夜の筈である。

 

 ならば何が原因で?

 

 表情を引き締め、魔理沙は周囲への警戒を強めた。

 

「明らかに妖怪の仕業だな」

「頼んだわ」

「……お前、史上最高に博麗の巫女に向いてないぜ」

「あっはは! 史上最高に同感ね」

 

 珍しく霊夢が声を上げて笑った。

 

 軽口を叩きつつも、お互いに背を合わせる。

 忙しなく視線を動かす魔理沙とは対照的に、霊夢は何をするわけでもなくその場に漂っているだけである。

 

「ちっ、気配の誤魔化し方が上手い。思ったより高位な妖怪みたいだな」

「そう? 雑魚のうちでしょ」

「マジかよ……」

 

 明らかに敵陣の最中であるのにも関わらず、余裕を崩さない霊夢の声を聞き、魔理沙は驚きで絶句した。

 

 おそらくこれから対峙する妖怪は、そこらの妖怪とは一線を画す存在だろう。

 それを霊夢は涼しい顔で「雑魚」と言い退ける。

 

 本当にそうなのであれば……いや、実際にそうなのだろう。

 やはり人間という枠の中において、博麗の巫女は規格外の存在だ。

 

 ゴクリと、魔理沙は生唾を飲んだ。

 

 

 そして唐突に、魔理沙の頬を何か生ぬるいモノが撫でた。

 ベロンッ、と。

 

「ぎゃあッ!?」

 

 突然声を上げた魔理沙に、霊夢が鬱陶しそうな視線を向ける。

 

「何よいきなり」

「なんかが頬っぺに……うわなんかベトベトしてる!」

「キチンとお風呂で汗を流してないからでしょ。……あんた最後にお風呂に入ったのいつ? 臭うわよ」

「今日神社に来る前に入ったわ!!」

 

 袖でゴシゴシと頬の粘膜を拭う魔理沙はこめかみに青筋を浮かべながら怒声を飛ばす。

 言動は少々荒くとも、彼女の心はとても繊細な乙女なので、霊夢のあんまりな言い草に少し傷付く。

 

 しかし臭ってみると、……確かにクサい。

 加えて、割と嗅ぎ覚えのある臭いだ。

 

 魔理沙は脳みそから該当するニオイの情報を引っ張り出し、そして思い出す。

 

「ああそうか、唾液だ。犬の」

 

 犬に顔を舐められた時に襲ってくる臭いと似ている。

 まぁ犬に限らずだが、動物的な臭さだ。

 しかし。

 

「私はどっちかって言うと猫派ね」

「誰もそんな話してないし。……ってかマジでクサい! 何なんだよホントに!!」

 

 ……しかし、この臭いは犬のソレよりも酷い臭いだ。

 例えるなら、それに生物の死体の腐乱臭を足した、まるで人喰いの獣を彷彿とさせるような。

 

 瞬間、魔理沙の耳元で誰かが不服そうに囁いた。

 

 

「失礼だなぁ。臭くないよ」

 

 

 モワッと、生暖かい湿気が魔理沙の横面を襲う。

 

 ゾワゾワッ!!と魔理沙の背筋を猛烈な寒気が襲い、全身の毛を逆立て、両の眼をあらん限りに見開いた。

 

「うわぁぁぁぁッ!!!! ーーッ! ーーッ!!」

 

 魔理沙はその場から文字通り飛んで逃げると、バタバタと悶え声にならない声をあげた。

 

 あまりの嫌悪感から目から涙が溢れ出し、口から出る声もとても情けないものになってしまう。

 

「うぇぇ……! なんだよぉ、もーーーッ!!」

「そんなに驚かれるとちょっと嬉しいな」

 

 先程と同じ、幼い女の子の声が照れくさそうに言った。

 

 魔理沙が声のした方を向くと、そこには女の子が一人、フワフワと浮遊していた。

 

 背は魔理沙と同じくらい。

 金髪のショートボブに赤いリボン。

 リボンと同色の赤い瞳は爛々と輝き、声に合った幼い印象を受ける。

 服は真っ黒だが、明るい髪色とやけに穏やかな表情からそこまで暗い印象は受けない。

 

 魔理沙は少女を睨みつけて大きな声を上げる。

 

「誰だお前!!」

「あー、そう言えばご飯の後に口を(ゆす)ぐの忘れてたなぁ」

 

 あちゃーと可愛らしく舌を出す少女に、魔理沙は苛立ちを隠そうともせず再度怒号を飛ばす。

 

「誰だって聞いてるだろ! 答えろ!」

「人にモノを訪ねる時はまず自分からって、おかーさんに教えて貰わなかった?」

「……ぅ、貰ったな」

 

 金髪の少女の言葉に素直に納得し、魔理沙はいそいそと思考を落ち着かせる。

 

 周囲を見てみると、自身を包んでいた暗闇はいつの間にか消え失せていた。

 しかし、相変わらず空は赤いままだ。

 

 霊夢が自分の方へ飛んでくるのを確認すると、魔理沙は安堵感から溜め息を一つ吐いた。

 

 魔理沙の隣に来た霊夢は訝しげに口を開く。

 

「何よ、アイツ」

「知らん。……いや? やっぱり見覚えはあるな。いつもその辺をふらふらしてる野良妖怪だ。確か名前は……ルーミアとか言ったかな」

 

 魔理沙の言葉に「ふーん」と興味無さげに相づちを打ち、霊夢は左手に持ったお祓い棒で自身の肩をトントンと軽く打った。

 

「まぁ、なんでも良いからやっちゃいましょう」

「だな」

 

 割と血も涙も無い霊夢の言葉に、魔理沙は間髪入れず同意し、それぞれが自身の得物を構える。

 

 霊夢も魔理沙も、元よりこの少女に興味など無いのだ。

 その様子を見ながら、金髪の少女はグリンと首を傾げた。

 

「んー、食べていいのかなぁ。でも、食べちゃダメだったら怒られるしなぁ。怒られるのは嫌だなぁ」

 

 右手の人差し指を軽く咥えながら、少女は何やら物騒な事を呟く。

 

「(とは言ったが、やっぱこういう妖怪の相手をするの、何時になっても慣れないな……)」

 

 苦虫を噛み潰した様な顔をする魔理沙は、内心そんな事を考える。

 

 異形の妖怪相手ならば気概無しに攻撃出来るのだが、幻想郷の妖怪は目の前の少女しかり、可愛らしいのが多過ぎる。

 生き物は訳あってその姿をしているとはよく言ったもので、比較的可愛いもの好きな魔理沙には効果的面である。

 

 最も、妖怪を生物に部類して良いのかは定かではないが。

 

「あ、そうだ。本人に聞いたら分かるよね」

「悪いけど、私は食べちゃダメな人間だぜ」

「うー、そっかー……」

 

 間髪入れず答えた魔理沙に、金髪の少女は残念そうに顔を俯かせた。

 

 しかしそれも一瞬のことで、再度顔を上げた彼女は目を輝かせながら霊夢を見た。

 

「じゃああなたは? あなたは食べても良い人類?」

「さぁ? 知らないけど、多分良いんじゃない?」

 

 横髪を弄りつつ、どうでも良さげに言った霊夢の言葉に、金髪の少女は目の輝きを一層強めた。

 

 

「じゃあ、いただきまーす」

 

 

 ガパッと大きな口を開けた少女は、グワリと大振りな動きで霊夢に飛びかかった。

 

 霊夢は涼しい顔をしてそれを避け、少女の背中に向かって符を二枚、ヒョイヒョイっと投擲する。

 

「ほぎゃーーッ!?」

 

 符が生きた様な動きをして少女の背中にベッタリと張り付くと、少女は女の子が(おおよ)そ出してはいけない声を出してビリビリと身体を震わせた。

 

 少女は目に涙を浮かばせながら振り返り、批難めいた表情で霊夢を睨みつけた。

 

「た、食べても良いって言ったじゃない。嘘つき~!」

「別に、食べて欲しいとは言ってないし」

「そんなの屁理屈だ、卑怯だぞー」

「人間って罪な生き物よね」

「いや、それはあなたが捻くれるだけだと思うけど……」

 

 あしらうように言う霊夢に、金髪の少女は何とも言えない感じで苦笑を浮かべる。

 

「あらよく知ってるじゃない」

 

 言いながら、霊夢が素早い動作でなにかを投擲した。

 

 プスリと、軽い音が鳴る。

 

「ぎゃああ!!」

 

 少女が叫び声を上げながら、器用に宙を転がりまわる。

 暫くそうした後、少女は眉間に刺さった針を乱暴に引き抜き、半ギレ気味に腕を振るわせ地上へ投げ捨てた。

 

 ──その際、遠い所から間抜けた悲鳴が聞こえたが、この場の三人がそれを気に留めることは無かった。

 

「怒るよ?」

「最初からそうさせるつもりなんだけど、アンタ随分と大らかね」

「だって、人に怒っても仕方ないもん。あなた牛に唾吐かれて怒る?」

「怒る」

 

 間髪入れず答えた霊夢に、少女は「えっ」と驚きの声をあげつつ固まった。

 

 そして、ため息を吐き、やれやれと首を振る。

 

「……人って、やっぱり憐れな種族ね」

「そんなに褒められると照れるわ」

「褒めてねーし」

 

 全くの真顔で符を構えた霊夢に、金髪の少女も真顔で返した。

 

 

 

 

 昔ながらのブラウン管テレビに映し出される光景を、少女と女性が観ていた。

 一人は噛り付くような前傾姿勢で、もう一人は煎餅をボリボリと咀嚼しつつのんびりと。

 

「なんか想定してない展開になりましたね。なんですかこの女の子」

「ルーミアね。……あ〜、美味し」

「いや名前とかじゃなくて、何故ここに居るのかって言う……っていうか紫さんすっごいのんびりしてますね」

 

 茶を飲み惚けた顔をする紫に、水蛭子は呆れ混じりの苦笑をする。

 

「まぁ今回私たちの出番は無いからね」

「なんか仲間外れにされてる感じがして嫌ですね」

「何言ってるのよ。貴女も黒幕勢の一人なんだから、もっとドッシリ構えてなさいドッシリと」

「く、黒幕……ですか。ふふ……黒幕かぁ」

「あれ? 水蛭子? おーい、水蛭子ちゃーん?」

 

 突然恍惚な表情を浮かべ出した水蛭子に、今度は紫が苦笑した。

 

 水蛭子は案外妄想が好きな少女らしく、そしてその内容は年相応のモノ。

 可愛らしいものだわ、と紫は表情を微笑に変えながら煎餅を食べる。

 

 テレビに視点を戻すと、霊夢と金髪の少女ことルーミアが戦闘を開始していた。

 魔理沙は少し離れたところで傍観しているようだ。

 

『取り合えず、食うからね?』

『出来るもんならご自由に』

 

 ルーミアの言葉を霊夢が鼻で笑って受け流す。

 

 その瞬間、ルーミアが霊夢の懐に瞬時に接近し、胸を穿つように貫手を振るう。

 

 霊夢はそれを裏拳気味に払い、体制を崩したルーミアの脇腹に符の束を叩きつけ、振り落とされた踵がルーミアを地上へ吹っ飛ばした。

 

『あ゛あ゛ッ!!』

 

 ルーミアは短い悲鳴を上げ、先ほどよりも大きく身体を痙攣させ、勢いのままに落ちていく。

 錐揉みに落下していくルーミアを眺めながら、霊夢はつまらなさそうに欠伸を一つした。

 

『さ、行きましょ』

『……おう』

 

「いやー、圧倒的ね」

「まぁ霊夢ですからね」

 

 案の定な結果に紫と水蛭子感心した声を出した。

 当代の博麗の巫女の実力は人妖共にお墨付きである。

 

 戦いを終えた霊夢と魔理沙が移動を再開したのを確認すると、水蛭子も皿に盛られた煎餅に手を伸ばした。

 

 その時、部屋の襖がスーッと開く。

 

「……こんな夜中にそんなもの食べて」

「ら、藍さん。あ、あはは……」

 

 入室してきた藍が煎餅を食べていた紫と水蛭子を見て呆れた顔をする。

 水蛭子は誤魔化すように空笑いをした。

 

「後でちゃんと歯磨きしなさいよ?」

「はーいお母さん」

「はは、大きな娘を持ったものね」

「それで? なにか報告があるんじゃないの、藍」

「あ、はい。それが……」

 

 子どものような返事をする水蛭子に思わず苦笑する藍だが、紫の言葉に反応して表情を真面目なものに戻した。

 

「紅魔館側が監視を霊夢達につけていたそうなんですが、どうやら今しがたその監視が倒されてしまったみたいなんです」

「監視って、どんなの」

「下級の悪魔らしいです。一応、人の容貌はしているらしいですが」

「へー。で、それがどうかしたのかしら?」

 

 たいして大きな反応もせずにブラウン管テレビをボーッと眺める紫に、藍は苦笑いをしつつ返す。

 

「曰く、頭数が足りなくなってしまったらしくて」

「下級悪魔の代わりなんてテキトーに用意できるんじゃなくって?」

「私もそう思ったんですけど……」

「どうしたのよ? ……あ、なるほど」

 

 言い淀む藍に紫は不思議そうな顔をしたが、次の瞬間にはニヤリと表情を緩ませた。

 

「水蛭子をご所望ってわけね?」

「えっ?」

「みたいです」

 

 自身に関係の無い話だと高を括り、邪魔をしないよう黙ってテレビを観ていた水蛭子だったが、紫の唐突の発言にすっとんきょうな声を上げて視線をやった。

 苦々しく頷く藍を見て、水蛭子の思考はますますこんがらがってくる。

 

「それって、どういう」

「レミリアったら、そういうことなら最初から言ってくれれば良かったのに」

「あくまで致し方無い事だというのを主張したいようですね」

「なるほどね」

 

 半笑いでそう言った紫はどこからか取り出した扇で口元を覆うように隠し、水蛭子の方へ悪戯的な視線を向けた。

 

「というわけよ水蛭子」

「どういうわけですか?」

「出陣」

「え」

 

 その瞬間、水蛭子の身体が重力に囚われた。

 畳の底に空いた穴に落ちたのだ。

 

 唐突過ぎる出来事に水蛭子は表情を固めたまま落下し続け、そしてハッと取り戻した意識で状況の把握を始めた。

 

「な、なんなのよ一体!?」

 

 髪や衣類が巻き上がるのを気にしながら、周囲を見る。

 見覚えのある「手」や「目」が景色として下から上へ高速で流れていた。

 

 これは。

 

「紫さんだな……ッ!」

 

 出陣。とだけ言われて何をすればいいんだ。

 水蛭子のこめかみにピキと血管が張った。元博麗候補は少しばかり怒りっぽいのだ。

 

 しかし行き場の無い怒りにう〜と呻く事しか出来ない。

 

「もうちょっと、あの人に対しての態度変えよう」

 

 水蛭子は心底不機嫌そうに呟いた。

 

 


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