太陽が昇りきった後、グランバニア王のアベル一行はアベルのルーラの呪文でラインハットを訪れた。
一国の首都であり首城のあるような大きな都市に魔物を引き入れる訳にもいかず、アベルの仲間の魔物たちは今回はグランバニアで留守番ということになってしまったため、メンバーはアベル、テン、ソラ、サンチョ、そして、カデシュの五人である。
かつては魔物が化けた偽大后に牛耳られ、世界征服へと邁進し、そのために住民に重い税などを課していたラインハット王国であるが、その偽大后も討ち取られ、長年行方不明になっていたヘンリー王子が帰還し、弟であるデール国王の補佐をするようになってからは民のことを第一に考えた政治を行っており、ラインハットの城下町は平和な賑わいに満ちていた。
「うわー! ラインハットの国ってすっごく賑わってるね!」
城下町を歩きながら、テンが感動したような声を上げる。「うん」とソラも同意する。
「みんな、すっごく幸せそう。勿論、グランバニアも賑わっているけど、この国もグランバニアに負けてないね」
笑顔満面の息子と娘を前にアベルの表情も綻ぶ。
「そうだね。これもデール国王やヘンリー王子が国民のことを考えているおかげだよ」
アベルたち一行の前に一枚の立て看板があった。そこには「ラインハット王国に栄光あれ! すべては国民のために」と書かれていた。
「すべては国民のために、か」
カデシュが感心したようにボソリと呟く。
「たしかにグランバニア王の言う通り、この国の王族は民草のことを考えているようだな」
「そんなの王族なら当たり前でしょ?」
ソラが純真な目でカデシュを見上げる。
「フ……そうだな、テン」
「う、なんでそこでぼくに振るの?」
「いや、お前も王族の一端だ。ちゃんと民のことを考えているのか」
冗談半分、真剣半分でカデシュは小さな王子を見据える。テンはバツが悪そうにしながらも、「ぼくだって考えてるよ!」と声を返した。
「国民のみんなが幸せに暮らせる国にしないといけないって! そりゃあ、今は政治のこととかまだよくわからないからオジロンさんとかに任せっきりにしちゃってるけど……」
「そうか。それなら安心だ」
カデシュは笑った。本当に、この魔法使いと息子たちは良好な関係を築けているのだな、とアベルは思い、ある意味、父親であるはずの自分より付き合いが長いか、と自嘲するような気分になった。
だが、テンとソラが国民のことを大切に思ってくれているのはよいことだ。王子と王女という立場にも関わらず甘やかしすぎず、厳しすぎず、ちゃんと育ててくれたことの証左だろう。そう思い、アベルはその教育係の筆頭であったであろうサンチョの方を見たが、
「…………?」
サンチョは仏頂面でラインハットの街を見ていた。温和な彼にしては珍しい。「サンチョ」とアベルは声をかける。
「……あ、なんですか、坊っちゃん」
「いや……どうかしたの。なんだか機嫌が悪そうだけど……」
「いえ、そういう訳では……」
とはいうものの、サンチョは明らかに機嫌が悪そうだ。異変を察したのか、テンとソラもサンチョの方に向き直り、どうしたの? と声をかける。サンチョは最初は何でもない、と言っていたのだが、ややあって、純真に自分を見つめるアベルやテン、ソラの瞳に根負けしたように「本音を言いますとね……」と口を開いた。
「私はあまりこの国が好きではありません……」
「え~!? こんないい国なのに?」
「どうしたの、サンチョ?」
テンとソラは驚きの表情を見せ、次にはサンチョを心配したように見上げる。この国が好きじゃない。その言葉にある程度の事情を察して、アベルは口を紡いだ。
「もう昔の話と言えばそれまでですが……この国は、サンタローズを滅ぼしたのですから……」
苦々しく語るサンチョにやはりそうか、とアベルは得心する。
今となっては昔のことだが、自分と父親、パパスがこの国に招かれてヘンリー王子が誘拐された後、この国はパパスこそが犯人だ、とし、報復のため、という名目でパパスの住むサンタローズの村を攻め滅ぼした。サンチョはその時にサンタローズに居た。おそらくは一方的な虐殺を行うラインハット軍から命からがら逃げ延びたはずだ。それを考えればこの国にいい感情を持つことは難しいことだろう。
もっと言ってしまえばパパスが殺されてしまったこともアベルが十年もの間、奴隷生活を送る羽目になったのも発端はこの国にあるのだが、アベルはそのことでこの国を恨むことはどうしてもできなかった。しかし、人からお前は優しすぎると言われているアベルだ。自分の方が特殊で普通はサンチョのようにこの国を恨むのが当然だろう、という程度の理解はできていた。
「サンタローズって?」
「昔、お父さんやお父さんのお父さん、それにサンチョが住んでいた村のことだよ」
テンの疑問にアベルが答える。
「ええ~っ!? その村をこの国が滅ぼしちゃったの!?」
「そんな……」
テンは驚きの声を上げ、ソラは絶句する。カデシュは複雑な事情があると察したのだろう。無表情を崩すことはなく、無言だった。
「こんな平和そうな国がそんなことを……」
ソラは信じられない、とばかりに呟く。
一行に気まずい雰囲気が流れる。そんな中、サンチョは踵を返した。「どこ行くの、サンチョ?」とテンがその背中に声を投げかける。
「……坊っちゃんがこの国の王族の方とお知り合いなのは知っております。私なんぞが一緒にいて辛気臭い顔をしていては相手の方にも失礼でしょう。私は城下の街で宿を取っておきます。坊っちゃんたちは私のことなど気にせず、この国の王族の方々と親交を深めて下さい」
そう言うとサンチョはスタスタと歩いていってしまう。その背中にかける言葉はアベルにもなかった。「無理もない」とカデシュが口を開いたのはサンチョの背中が見えなくなってからだった。
「私も、私の国を滅ぼした魔物たちを恨んだ。だが、相手が魔物という点で私はまだ救われていたのかもしれない。相手が人の心を持った人間となればそこに抱く思いは複雑なものだろう」
「そうだね……サンチョの反応も仕方がないよ」
カデシュの言葉にアベルも同意する。「サンチョ……」とテンとソラは心配そうにサンチョが去って行った方向を見据えていた。
「それじゃ、ラインハットの城に行こうか」
場を無理矢理にでも明るくしようとアベルはそう言う。ソラはまだ困惑の感情を隠せないようだったが、テンは「うん!」と頷く。カデシュもまた無言でそれに同意の意を示し、一行はラインハット城に向けて再び歩き出した。
「よお! 久しぶりだな~、アベル!」
ラインハットの城でアベルの顔を見たラインハット王子、ヘンリーは見るからに喜びを露わにして、アベルたちを出迎えた。十年の奴隷生活を共にした親友の顔を見て、アベルもまた笑みを浮かべる。かつて旅を共にし、別れた親友は変わらぬ様子にアベルもまた喜びの感情を抱く。
「そうだね、久しぶりだね、ヘンリー」
「お前の結婚式……いや、お前が俺に天空の盾を預けて以来か? 全く、お前って奴は八年も顔を出さないんだからな~」
「あはは……ごめん」
まさか八年もの間、石像になっていた、などとは言えず、アベルは苦笑いを浮かべて見せる。
「お久しぶりです、アベルさん」
「久しぶり。マリアさんも元気そうで何より」
ヘンリー王子の妻であるマリアにアベルは笑顔を向ける。「そちらのお子さんたちはアベルさんの息子さんたちですか?」とマリアが笑みを浮かべたのに対し、アベルは肯定する。
「息子のテンと娘のソラです。ほら、二人共、ご挨拶」
「テンです! ヘンリー王子! よろしくお願いします!」
「初めまして……ソラです」
テンは元気そうに、ソラは遠慮がちに自己紹介をする。「そうか、そうか~。お前にも子供ができたんだな~」とヘンリーは満足そうにそんな二人を見る。
「お前に『も』、ってことはヘンリーにも?」
「ああ。俺とマリアにも子供ができたんだ!」
ヘンリーは自慢げにそう言って笑う。こういう所はいたずら小僧だった昔と変わりがない。ヘンリーは側に控えていた兵士に息子を呼んでくるように、と告げた。
「それで、そちらの美男子は?」
ヘンリーが笑みを崩さず、カデシュの方を見てそう言う。カデシュは無表情ながら、アベルが紹介するまでもなく自己紹介をした。
「私はカデシュ。旅の魔法使いだ。グランバニア王たちの旅に同行させてもらっている」
「ほー、魔法使いねえ」
ともすれば無礼と取られかねないカデシュの態度だったが、ヘンリーは気にした様子もなかった。そこに兵士に連れられて一人の少年が入ってくる。その少年を見た時、アベルは思わず口元を綻ばせた。幼少期のヘンリーにそっくりだ。おそらくは彼がヘンリーとマリアの息子に間違いないだろう。
「父上~。オレに用って、何~」
「ああ。待っていたぞ、コリンズ」
コリンズと呼ばれた少年は見るからにいたずら小僧のような生意気そうな笑みを浮かべてアベルたちを見る。
「こいつら、誰?」
「こいつら」呼ばわりをされたら普通は怒るところなのかもしれないが、アベルは特に気にすることはなく、「ああ」と頷いたヘンリーを見た。テンもカデシュも気にした様子はなかったが、ソラだけはそんなコリンズを前に顔をしかめた。
「俺の友達とその家族だ。アベル、こいつはコリンズ、俺とマリアの息子だ」
ヘンリーはコリンズにアベルたちを、アベルたちにコリンズを紹介する。コリンズは「へ~、父上の」と言うとアベルを、否、テンとソラを見た。年頃の近い相手の方が親しみが湧くんだろう。
「ぼく、テン! よろしくね、コリンズくん!」
そんなコリンズにテンは笑顔を浮かべて自己紹介をする。「おう! よろしく!」とコリンズは頷き、次いで、ソラの方を見た。
「お前は?」
「わたしは……ソラ。テンの妹です」
「ふ~ん、そっか~」
そんなソラの控えめな態度を見たコリンズは何かを企んだように笑う。そして、ソラの元まで寄ると、「ほら、握手!」と手を差し出した。「え?」とソラは反応するも、「初対面ならまずは握手だろ?」とコリンズは笑う。
「え、ええ……よろしく、コリンズく――」
手を差し出しかけたソラはそこで固まった。コリンズが手首に忍ばせていたのか一匹のカエルをソラの目の前で飛び出させたからだ。
「きゃ、きゃあーーーーっ!!」
「あはははははは!」
絶叫を上げたソラに対し、コリンズはいたずら大成功! とばかりに楽しげに笑う。「こら、コリンズ!」と注意の声を発したのはヘンリーだ。
「ダメだろ、そんなことしちゃ」
「は~い、父上。ごめんなさ~い」
たいして反省してなさそうな声が響き、きひひ……といたずらっ子の笑みをコリンズは浮かべて見せる。
「全く。誰に似たのやら、いたずらばかりする奴でな……」
ヘンリーはため息をつく。元・いたずら小僧がどの口でそれを言うのか。微笑ましい気分になり、自然とアベルの口元には笑みが浮かんでいた。
「どうした? グランバニア王。何かおかしいことでもあったか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどね。……ホント、誰に似たんだろうね」
怪訝そうに訊ねてきたカデシュに笑みを返す。ヘンリーもまた笑っていた。
「まぁ、子供は子供同士の方がいいだろう。コリンズ、俺はアベルと大人の話があるから、その間、テンくんとソラちゃんと一緒に遊んでやれ」
「え~、なんでオレがこんな奴らと~?」
「コリンズ」
ヘンリーの横でマリアが咎めるような声を出す。「はーい、わかったよ。母上」と頷いたコリンズはテンとソラの方を向き直った。先程のカエル攻撃を喰らいソラは警戒するようにコリンズを見ている。
「ついてこいよ、オレの部屋で一緒に遊ぼうぜ」
そう言われて、テンとソラはアベルの方を向く。アベルは笑顔で「ああ、行っておいで」と二人の子供を促した。
「わかったよ、お父さん! それじゃ、コリンズくんと遊んでくるね!」
「コリンズ、くん……またわたしに変なことするんじゃ……?」
楽しげなテンに対し、ソラは少し憂鬱そうだ。しかし、駆け出したコリンズに続き、二人共、部屋を出ていった。
子供たちの気配が消え去ったことを確認するとヘンリーはさて、と少し真面目そうな表情になるとアベルの方を見た。
「それで、何の用があって来たんだ? まさか、顔を見せて、息子たちを紹介するためだけ、ってことはないだろ? まぁ、俺はそれでも嬉しいけど……」
「流石に鋭いね、ヘンリー」
アベルも笑みを浮かべ、しかし、それを引っ込めると真面目な表情で言った。
「預けていた物を返してもらおうかと思って」
ヘンリーの眉が動く。「天空の盾、か……」とヘンリーが呟いたのはそのすぐ後だった。
「……ってことはなんだ。見つかったのか? 伝説の、天空の勇者が!?」
「うん」
アベルは頷く。
「そうか。見つかったのか。伝説の勇者が……。一体どこに……まさかその兄さんか?」
ヘンリーはカデシュの方を見る。たしかにカデシュもまた常人とは一線を画した雰囲気を纏っている。そう思っても仕方がないだろう。だが、そうではない。カデシュは首を横に振った。
「生憎と、私は勇者ではない。ただの、魔法使いだ」
「そうか……んじゃ、勇者はどこに?」
「さっきまでここに居たよ」
アベルは笑う。は? とヘンリーとマリアが口をあんぐりと開く。「テンだよ」とアベルは言った。
「僕自身も信じがたいことなんだけど、僕の息子のテンが伝説の天空の勇者だったんだ」
「お前の息子が……!? そいつはマジかよ……?」
「テンくんが……!?」
「マジも大マジだよ」
ヘンリーとマリアは見るからに驚きを露わにする。まぁ、無理もない。あの年頃の子供が勇者と言われても信じられないことだろう。それも他でもない勇者を探し求めていたアベルの息子が勇者その人だったということも。
「テンは天空の剣を装備できたみたいだし、カデシュが言うにはライデインの呪文も唱えて見せたらしい。間違いないよ」
「あの重くてお前には装備できなかった剣か」
サンタローズの洞窟の奥で今は亡きアベルの父、パパスが見つけ遺していた天空の剣をアベルが見つけた時、ヘンリーもまたその側にいた。
「なるほど……。それじゃあ、間違いないんだろうが……しかし、驚きだな。お前やお前の親父さんが探し求めていた天空の勇者はまだ生まれていなかったってことか」
「そうだね。僕も、僕の息子が勇者だなんてビックリだよ」
ヘンリーはいまだに信じられないとばかりに腕を組み、何事かを考え込んでいる。アベルはそんな友人を急かすことなく、その場で友人の様子を伺った。ややあって、腕組みを解き、真剣な表情でアベルを見る。
「わかった。天空の盾を持ってこさせよう」
「ありがとう、ヘンリー」
「いや……元々、お前の物だ。俺は預かっていただけに過ぎないからな」
ニヤリ、と笑う。ともあれ、これでここに来た目的は一応は果たされたことになる。
「まぁ、お前としちゃ一刻も早く次の目的地に旅立ちたいかもしれないが、今晩くらいはこの城でゆっくりしていってくれよ。美味い酒と飯でも出すぜ」
「そうだね。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか」
「おう。久々に一杯やろうぜ」
アベルの返事にヘンリーは見るからに喜びを露わにし、笑う。急ぐ旅ではあるが、一晩くらいは好意に甘えてしまってもいいだろう。ややあって「そういや、気になることがあるんだが……」とヘンリーの表情が曇った。
「光の教団って奴らの話を聞いたことはないか?」
「光の教団……」
初めて聞く単語だった。しかし、字面の良さとは裏腹にその言葉は禍々しい印象をともないアベルの耳に響いた。
「いや、初めて聞くけど……」
「そうか……なんでも最近、光の教団って連中があちこちで信者を増やしているらしい。教団に入れば魔物たちからも救われて神の国に行けるって触れ込みでな」
うさんくさい話だぜ、とヘンリーは吐き捨てるように言う。
「うちの国でも教団に寄付金を出してる奴らや教団の教えが書かれた本……イブールの本とか言ったかな? ……を販売してる連中。果てはその教団の加護を求めて家を捨てて旅立っちまう奴らまでいてな。最近、問題になってるんだ」
「へぇ……」
アベルは眉をひそめた。ヘンリーに言われるまでもなく怪しすぎる話だ。この魔物が溢れる荒れた世の中でそんな都合の良い話があるのだろうか?
「それでここからが本題なんだが……その教団、本拠地はセントベレス山の山頂にある神殿らしい」
「なんだって……!?」
これにはアベルも思わず声を上げてしまった。セントベレス山の山頂、そこはかつてアベルやヘンリーが奴隷として働かされていた場所だ。
そういえば奴隷時代にも教祖様のために働け、というような言葉を聞いた覚えがある。
「それじゃ、その教団は……あの教団……!?」
「まだそうだと決まった訳じゃないが……可能性は高いだろうな。そうだとすればこれは魔物の奴らの陰謀って話になってくる」
少なくともあの教団は自分たちを連れ去った魔物であり、アベルの父の仇であるゲマが手を貸していた。だとすれば、教団全体が魔物たちとグルである可能性も出てくる。
「セントベレス山の神殿か……」
カデシュの声がしてアベルとヘンリーはそちらを振り向いた。カデシュの無表情がそこにはあった。
「私の国が魔物たちに滅ぼされた理由も、セントベレス山に巨大な神殿を作るための人狩りだった……」
「魔物たちに……?」
ヘンリーが険しい表情でカデシュに詰め寄る。
「その神殿を本拠地としているのなら、その教団はやはり魔物の手によるものの可能性が高いだろうな」
カデシュはそう言い切った。その無表情の裏でどんな感情を抱いているのか、アベルには推察するしかないが、おそらくは怒りに震えているのではないだろうか、と思う。「やっぱり怪しいね、その教団」とアベルは言った。
「ああ。国民にはそんな奴らの話を聞くな、ってお触れを出しちゃいるんだがな……それでも信奉する奴らが多くて……」
ヘンリーはため息をついた。そこでハタと気付いたように「と、悪い」と呟く。
「せっかくの再会で出すような話題でもなかったな」
「ううん。有益な情報だったよ。これから先、光の教団って連中には気を付けないと」
「それならいいんだが……」
ヘンリーはバツが悪そうに笑った。
「そうだ。デズモンって学者がうちの国に滞在してるのは知ってるよな?」
「ああ……八年前に会ったことがあるね。進化の秘法とか言うものの研究をしているって話を聞いた覚えがある。まだこの国にいるの?」
「ああ。今もこの国にいる。その学者が進化の秘法とはまた別の伝説のことを調べてるらしくてな。お前の旅の役に立つかと思うんだが……」
ヘンリーの言葉はアベルの旅を気遣ってのことだろう。「わかった」とアベルは笑った。
「デズモンさんに話を聞いてくるよ。どんな些細なことでも僕たちの旅の役には立つだろうからね」
「おう。無駄骨にはならねえと思うぜ」
アベルはそう言うとカデシュをともない、一旦、ヘンリーの元を後にした。
警備の兵士に一礼し、扉を開く。名高い学者の元に特別にあてがわれた部屋にはデズモンが椅子に座り難しそうな本を読んでいた。
デズモンは部屋に入ってきたアベルを見ると、「おや、貴方は」と声を発した。「お久しぶりです」とアベルも挨拶をする。
「八年ぶりですね。アベルです」
「アベル殿。この国を魔物の支配から解き放ってくれた方ですな。勿論、覚えていますとも」
デズモンは年老いた顔に笑みを浮かべ、アベルを歓迎してくれた。そして、アベルの後ろに控えるカデシュを見ると「貴方は……?」と問いかける声を出す。
「私はカデシュ。ただの魔法使いだ。気にしなくていい」
カデシュは素っ気なく、それだけを言う。
「ヘンリー王子からデズモンさんが進化の秘法と異なる別の伝説について調べていると聞いて、よかったらその話を僕にも聞かせてもらいたいと思って」
「おお、そうですか」
アベルの言葉にデズモンは笑う。
「私が今、調べているのは王者のマントという伝説の防具についてです」
「王者のマント……?」
「ええ。古の時代に伝説の英雄が身に纏ったと言われているマントです」
光の教団と同様、これも初めて聞く話だった。興味を示したアベルに満足したようにデズモンは続ける。
「なんでも伝説で語られるにそのマントは生半端な鎧など歯牙にもかけない防御力を誇り、魔物の吐くあらゆるブレスをも弾き返したとか」
「へぇ……、それはすごい、ですね」
伝説になるだけの力は秘めているということか。そう言われてしまえばアベルとしてもそのマントがどこにあるのか気になってしまうものだった。
「そのマントがどこにあるのか、分かりますか?」
「サンタローズ村の北に封印の洞窟という洞窟があり、そこにマントは封じられているという話ですな」
「封印の洞窟、ですか……」
それもまた初めて聞く言葉だった。「ですが……」とデズモンは続ける。
「そのマントは選ばれし者しか身に付けることを許されないと伝説には伝わっております。勿論、アベル殿ほどの方なら身に付けられると信じておりますが」
「選ばれし者のみが身につけられる物ですか。まるで天空の勇者の武具のようですね」
そうですな、とデズモンは頷く。サンタローズの北の洞窟、か。今回の旅はラインハットだけを訪れて天空の盾を回収するだけにしようと思っていたが、ラインハットからサンタローズは遠い距離ではない。行って見るのも悪くはないか、とアベルは思った。
「行くのか? グランバニア王」
そんなアベルの思いを見透かしていたようにカデシュが呟く。そうだね、とアベルは頷いた。「ですが、気をつけてください」と警告の声をデズモンが発したのはそのすぐ後だった。
「封印の洞窟には凶悪な魔物が潜んでいると聞きます。くれぐれもお気をつけて」
「わかりました。ありがとうございます、デズモンさん。ですが、僕には力強い仲間たちがいますので、大丈夫です」
カデシュにサンチョ、そして、息子と娘。仲間の魔物たちをグランバニアに残してきているのが気がかりだったが、今のメンバーだけでも充分な戦力になるだろう、と思う。
アベルはデズモンに一礼するとその部屋を後にした。
息子たちはコリンズくんと仲良くやれているだろうか。そのことを気になったアベルはコリンズの部屋を訪れることにした。ヘンリーの話ではヘンリーが幼少期に使っていた部屋がコリンズの部屋になっているという。
コリンズの部屋の前の廊下まで差し掛かったアベルは「お父さ~ん」と困ったように声を発しながら自分の元に駆けてくるテンとソラの姿を見た。
「どうしたんだい、テン、ソラ。コリンズくんと遊んでいたんじゃ?」
「それがね……」
アベルの言葉にソラが事情を語り始める。聞けば、コリンズから隣の部屋にある子分の証を取ってこい、と言われ、隣の部屋に行ったものの、そんなものはどこにもなく、帰ってみればコリンズの姿が消えていたという話だった。
既視感を覚える話にアベルは思わず口元を綻ばせた。全く。本当に父によく似た子供だ、と思う。「どうして笑ってるの? お父さん?」というテンの疑問には「いや」と笑ってはぐらかす。
「お父さんも一緒にコリンズくんを探してあげよう」
そう言って、テンたちと共にコリンズの部屋に入る。たしかに、部屋の中にコリンズの姿はなかった。不思議そうにあちこちを見渡すテンとソラを尻目にアベルは机の側に置かれた椅子に近付くとその椅子をどけた。そこにあったのはかつてヘンリーがアベル相手にいたずらをしたのと同じ隠し階段だった。「わ!」とテンが驚きの声を上げる。
「そんなところに階段があったなんて……」
「流石、お父さん、すご~い」
テンとソラの感心の声を聞きながらアベルは笑う。「それじゃ、コリンズくんに会いに行こうか」と言い、アベルを先頭に一同は階段を降りた。その先のやはり見覚えのある廊下にはコリンズがいて、降りてきたアベルたちを目にすると一瞬、目を丸くし、しかし、何事もなかったようにふん、と向き直る。
「なんだ。もう階段を見つけてしまったのか……ふん! つまらない奴だな」
「コリンズくん。子分の証なんてなかったよ?」
不遜なコリンズの態度にソラは眉をひそめたが、テンが気にした風もなくそう訊ねると、コリンズはニヤリと笑った。
「そうか。それじゃあ、子分にはしてやれないな……ん?」
そこでコリンズは怪訝そうに扉の方を見た。その扉が勢い良く開いたのはそのすぐ後だった。「コリンズ王子!」と怒声が続く。
「わ! 大臣!?」
仰天した様子のコリンズに構わず乱入者はコリンズの元まで駆け寄る。
「全く。せっかくの客人にこんないたずらなんてして……ほら、部屋に戻りますぞ」
「わ、わかっているよ、大臣。そ、それじゃあ、お前ら、またな」
最後まで不遜な態度のまま、コリンズは大臣に連れられ去って行く。その様子を眺めていたアベルは娘の言葉に我に返った。
「どうしたの? お父さん。すごい汗だよ……」
「あ、いや、なんでもない、よ……」
「お父さん?」
「グランバニア王?」
ソラだけでなく、テンもカデシュもそんなアベルを不審そうに見つめる。
「あはは……全く。いたずらっ子ってのは心臓に悪い、なぁ……」
アベルは苦笑いを浮かべたままコリンズが去って行った方を見つめ続けるのだった。