ドラゴンクエスト 天空物語・続 カデシュの帰還   作:山屋

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プロローグ:カデシュの帰還

 男は帰るべき場所を目指していた。

 長い銀髪を持つ色白の端正な美貌の男である。

 おそらくは世の女性の大半は男の容姿を目にした途端、その容姿に魅了されることだろう。

 端正な容姿の持ち主は、しかし、それを台無しにする程の険しい表情をしていた。

 眉をそめ、眉間に皺を寄せた険しい表情だ。

 あるいは一見して、端正な美貌に魅了された女性もその険しい表情に声をかけるのもためらうかもしれない。自分が何か、この男を不快な気分にさせてしまったのかと。錯覚してしまうかもしれない。

 しかし、それは違う。

 男のしかめっ面は男の常態であり、悪癖のようなものでもあった。

 男のことをよく知る人間、たとえば某国の――――グランバニアの王子や王女はそんなしかめっ面を見ても男が決して不機嫌ではないことを察することができるだろう。

 彼らのことを考えると男の胸が安らぐ。彼らと過ごした決して短くない時間は男の中で大事な記憶となり、かけがえのないものとして確固たる存在になっていた。

 男の名はカデシュ・レアルド・ストロス6世。

 魔物に滅ぼされた辺境の小国、ストロスの王子であるが、その立場も捨てた今となってはしがない旅の魔法使いでしかない。

 男は魔物を憎んでいた。

 自分の国を滅ぼした魔物たちを根絶やしにせんと思いを抱いていたこともあった。

 しかし、それらの思いは今では変化している。

 魔物を滅ぼせるという伝承にある伝説の勇者、天空の勇者。それを追い求めてたどり着いたグランバニアの地でその伝説の勇者でもあるグランバニアの王子やその双子の王女、そして、心を通わせた彼女との触れ合い。行方不明であるというグランバニア王が残した仲間の魔物たちを見て、全ての魔物が悪ではない、と知ることが、分かることができた。

 ならば、滅ぼすべきは何か。

 至極明快である。魔物たちを率い悪を成す、魔の帝王。――――すなわち大魔王。

 それを滅ぼすことこそが男の目的である。

 その目的を成すためにも男は帰るべき場所に帰る必要があった。伝説の天空の勇者である王子たちと再び会わなければならない。そして、彼らの旅に同行しなければならない。

 それは男が自分の目的を遂行するための利己的な願いでもあったが、彼らとの触れ合いを通じて忘れていた心――――人の心というものを思い出した男にとっては純粋に彼らの旅を支えたい、力になりたい、という気持ちの方が大きい。

 男にとってもそれは予想外のことで、自分がこんな気持を抱くことになるなど、魔物たちに自国を滅ぼされたあの日にはとても想像だにできぬことでもあったが。

 男と彼らは今生の別れを告げた立場である。

 故国、ストロス国の跡地で男はそれまで共に旅をした彼らに別れを告げた。自分の役目は彼らにストロス国の至宝、ストロスの杖を渡すことだったのだと思っていた。

 彼らにストロスの杖が渡った今、自分の役目はもう何もない、と思っていた。

 そう思ったからこそ天空の勇者である、まだ幼い少年に全てを託す言葉を遺したのだ。

 だが、自らの死を覚悟した男は生き残った。

 運が良かった、と言う他ない。

 世界から断絶された異空間に中にあって、宿敵を打ち倒した男は一人、残された。

 空間は崩れゆき、自分もまたここで命を落とすものと思っていた。

 だが、その時だった。死にたくない、という思いが胸の奥底に芽生えたのは。

 自分は死ぬ訳にはいかない。自分の帰りを待つ彼らのためにも絶対に死ぬ訳にはいかない。

 そうだ。

 自分は天空の勇者に――――テンたちにああ言ったのだ。

 

「私が死ぬ訳がないだろう」

 

 その言葉を聞いたからこそテンたちは自分を置いて、去って行ったのだ。

 自分は約束したのだ。

 死なない、と。

 彼ら――テン、ソラ、サンチョ、そして、ドリス。

 その約束を守らなければならない。

 崩壊する異空間の中で男は一つの呪文を唱えた。

 それはこれまで唱えたこともない初めての呪文だった。

 どんな深層のダンジョンの奥地にあっても無事に生還できるという奇跡のような呪文。

 その名は『リレミト』。

 『メラ』や『ギラ』などの低級の呪文であれば詠唱なしに唱えることのできる実力を持つ男であるが、この呪文だけは長い詠唱を必要とした。

 絶対に失敗する訳にはいかないという思いが、詠唱を省略することを許さなかった。

 それが功を奏したのかは定かではない。男は気が付けばそれまでいた異空間を離れ、青空の広がる地上にいた。

 それからは一旦、近くにあった港町に身を寄せた。

 ストロス国が滅ぼされた後、身元を引き受けてくれた神父のいる教会のある港町だった。

 旅に出る男を見送ってくれ、何かあった時には止まり木くらいにはなろう、と言葉をかけてくれた育ての親の神父は健在で、男の姿を見ると何も聞くことはなくかつての言葉通りにやさしく出迎えてくれた。

 それは人の心を思い出した男にとってはあたたかな空間ではあったが、自分はここに長居することはできない、と告げると再び旅支度を始めた。

 そんな男を神父は何も言うことはなくやさしく見守ってくれた。

 男にとっての幸運はその港町に海賊船『スカルアロウ』が停泊していたことである。

 海賊船『スカルアロウ』そして、その船長であるオーゼルクとは見知った仲である。

 共にグランバニアの王子たちの両親探しの旅に同行し、そして、王子たちがストロスの杖の入手するのを境に別れた身である。

 オーゼルクは生還した男を見て、驚きつつも喜びの表情を向けてくれた。

 グランバニアまで送って欲しい。

 男はそう頼み込んだ。

 グランバニアの地を離れここまで航海してきたオーゼルクたちにとってはとんぼ返りを強いられる無茶な提案であることは承知だったが、オーゼルクは二つ返事で承諾してくれた。

 

「早くテン坊やソラ、ドリスの嬢ちゃんに無事な姿を見せてやりな」

 

 そう言ってオーゼルクが快活に笑ったのを強く覚えている。

 グランバニア近郊の港町、シューベリーまで送ってもらい、そこでオーゼルクたちとは別れた。

 そこからは後は徒歩でグランバニアを目指すのみである。

 整備されているとは言い難い獣道を歩きながら、グランバニアを目指す。

 たいした距離ではないのだが、その道中が男にとってはひどく長く感じられた。

 一人旅など慣れているハズなのにどうしてだろう、と思う。すぐに彼らと過ごした時間のせいだ、と思い当たった。

 

(弱くなったな……カデシュ)

 

 自嘲する。

 全く。彼らと過ごした時間がこうまで自分を弱くしてしまった。

 一人の旅路をさみしい、と感じてしまう程に。

 やがてグランバニアの城が見えてくる。

 この城には城下町がない。城下の街をまるごと城の中に取り込んでいるのだ。

 魔物の襲撃に備えたこの政策を提案した王の名は、たしか、パパスといったか。

 城下の街がないとはいえ、警備がない訳ではない。グランバニアの城門には二人の兵士が屹立していた。当然、彼らに身元を訊ねられる。男はグランバニアの王子たちと旅路を共にするにあたり、国王代理のオジロンや城内の侍女や兵士たちにはある程度、顔を覚えられている身であったがこんな末端の兵士には流石に情報が知れてないのだろう。

 旅の魔法使いだ、と名乗ると兵士たちは特に疑うそぶりもなく城内に通してくれた。

 なつかしいな。

 グランバニアの城内に入り、そんな感傷を抱いた自分に少し驚きつつも男は足を進めた。城内に収納された街の姿をやはり奇妙なものだ、と思いながらも歩いていると、そこに地面に横になっている男がいた。「うげー、気持ちわりぃ~」などとぼやく男は二日酔いなのだろう。体中の穴という穴から酒気の匂いを漂わせていた。以前の男なら無視しただろう。しかし、今の男は「大丈夫か?」と声をかける程度の優しさは持ち合わせていた。

 

「ひっく……すまねえな、兄ちゃん」

「こんなところで横になっていては迷惑だ。二日酔いなら自分の家で覚ませ」

「へへへ……二日酔いじゃねえよ、一日酔いだ」

 

 男の冷たい声に酔っ払いの男はニヤリと笑うと手に持った酒瓶を示した。

 呆れた。

 どうやら二日酔いかと思っていたら今も飲酒の真っ最中だったらしい。迎え酒、というヤツか。この国の住民の宴会好きは知っているつもりだった。なにせ、王子と王女が旅から帰還したり、誕生日を迎える度に国中が一丸となって酒だ、酒だ、の大宴会をぶちまけるくらいなのだから。それでも、流石に目の前の酔っぱらいの体たらくに呆れずにいられるかと言うと、それとこれは話が別だった。「呆れたものだな」と冷ややかに呟くと、酔っぱらいはニッと笑い、

 

「へへへ……これが飲まずにいられるかってんだ。あんた、旅人かい? 旅人のあんたにはわからねえだろうが、長いこと行方不明になっていた王様が帰ってきたんだ。そりゃもう嬉しくって……」

「グランバニア王が見つかったのか!?」

 

 酔っ払いの言葉に思わず男は驚きの声を発する。その勢いに虚を突かれたのだろう。酔っ払いは目を丸くしながらも「お、おう……」と首肯した。

 

「つい先日、王子様と王女様が行方不明の王様を見つけてご帰還なされたんだ。それからは国中あげての宴で大騒ぎだよ」

「そうか……見つかったのだな……」

 

 感慨深く男は呟く。酔っ払いからすれば一介の旅人が何をそんなに感慨深そうにしているのか、謎だったであろう。

 

「けど、王様。王子様たちを連れてまた旅に出るって話だったなぁ。いまだ行方不明の王妃様を探すんだって……」

「そうか、また旅に……」

 

 だとすれば自分は絶好のタイミングで帰ってきたことになる。自分もまた彼らの旅に同行しなければならない。自分がグランバニアにやってきたのが彼らが再び旅立った後でなくてよかった、と男はひそかに胸を撫で下ろす。

 

「わかった。ありがとう。では、これで失礼する」

「お、おい、旅人さんよ。そっちは王様たちのところだぜ? いくらこの国がその辺、ゆるいからって旅人のあんたを通してくれるとは……ってか、なんで王様たちの場所とか知ってんだ?」

「ふ……」

 

 酔っ払いの言葉に思わず男の口元が緩む。

 

「ここは私の故国でもあるからな」

 

 男の言葉に酔っ払いは理解できない、とばかりに首を傾げるのだった。

 

 

 

 グランバニアの召使い、サンチョは二日酔いに頭を痛めていた。

 召使いとはいえ、国王直属の召使いである。現国王の父であるパパスの代から側仕えしている彼の立場は並の兵士などは遥かに凌駕する。国家の重鎮の一人であった。その召使い、サンチョは自分の立場も思わせない情けない顔つきで笑う。

 

「年甲斐もなく飲み過ぎてしまいましたかなぁ。こんな姿、テン王子やソラ王女、それに坊っちゃんにはとても見せられません」

 

 とはいえ、長年、行方不明になっていた坊っちゃん――――グランバニア王が見つかったのだ。このくらいの戯れは許されてしかるべきだろう、と自己弁護する。

 が、そんな情けない姿をその王や王子たちに見られていいかと言えばそれはまた話は別だった。

 市街にでも下りて酔いを覚ましてきましょうか。

 そんなことを思いながら平民の住むエリアへの道をサンチョが歩いていると「なんだ、お前は!」と穏やかではない声を聞いた。

 どうやら警備の兵士のようだった。

 誰かが貴族たちのエリアに立ち入ろうとするのを止めているようだ。

 

「テン王子やソラ王女に会わせてくれ。私には彼らに会わなければならない理由がある」

 

 その声を聞いた途端、サンチョは二日酔いの頭痛も吹き飛び、体が凍り付いた。この声は聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあるなんてレベルではない。

 たまらず駆け出していた。サンチョの姿を目にした兵士が「あ、サンチョさん」と声をかけてくる。それにかまっている暇も惜しい、息を切らし、顔を上げると、兵士たちに止められている男の顔は、やはり、見覚えのあるものだった。

 

「カデシュさん!」

 

 サンチョは彼の名を叫ぶ。兵士たちは呆気にとられた様子でそんなサンチョとカデシュと呼ばれた旅の魔法使いを順に見た。

 カデシュはサンチョの姿を目にすると、乏しい表情の変化ながら、笑みを浮かべた。

 

「サンチョか……」

「カデシュさん! ご無事だったんですね! ああ、よかった!」

「すまない。心配をかけた」

 

 側まで駆け寄りカデシュの姿を見る。銀色の長髪に肌白い端正な容姿、身に纏った魔法使いの装飾。間違いなく、あの日、ストロスの地で死に別れたと思っていた魔法使いの姿がそこにはあった。

 

「え、こ、こいつ……いや、この人はサンチョさんのお知り合いですか?」

 

 兵士が驚愕の声をあげる。「ええ、まぁ」とサンチョは自身の内心の動揺も冷めやらぬ様子で答える。

 

「この御方……カデシュさんは我が国グランバニアにとっての大恩人です。勿論、テン王子やソラ王女とも顔見知りです」

「そ、そうなんですか!? も、申し訳ありませんでした!」

 

 兵士は自分たちの行っていた無礼に気付き、慌ててカデシュに頭を下げる。しかし、カデシュは気にした風もなさそうに「気にしなくていい」と呟いた。

 

「しかし……本当に、よくご無事で……」

「なんとかな……。それでテンやソラは?」

 

 サンチョと共に貴族の間を歩きながらカデシュは訊ねる。「ええ、お元気ですよ」とサンチョは笑った。

 

「カデシュさんはご存知ないかもしれませんが、先日、坊っちゃ……グランバニア王がご帰還なされて……」

「ああ、それは知っている。無事、見つかったのだな。よかった」

「カデシュさんのおかげですよ。カデシュさんがいなければ、ストロスの杖がなければ私たちは王の石化を解くこともできませんでした」

 

 石像にされているというグランバニア王。ストロスの杖はちゃんとその仕事を果たしてくれたらしい。故国の宝が誰かの助けになったというのならカデシュとしても嬉しくないはずもなく、フッと、笑みを浮かべる。

 

「テン王子とソラ王女は今は王と共に市街に出ていらしていて……もうすぐお帰りになると思うのですが……」

「構わない。親子水入らずの時間を邪魔する訳にもいかないからな」

「ですが、ドリス様はいらっしゃいますよ」

 

 サンチョがそう言うとカデシュは虚を突かれた、という様に表情を固めた。「ドリス……か」と呟く。そこに込められた感情は余人には伺い知ることの出来ない程、親愛の情が込められた言葉だった。

 

「顔を見せてあげて下さい。きっと、お喜びになりますよ」

「そうだな……そうするか……」

 

 カデシュは頷くと、サンチョと共にグランバニア国王の従姉妹であるドリスの部屋を目指した。サンチョが部屋をノックすると、「は~い」と声が帰ってくる。相変わらずの気楽な声だ、とカデシュは口元を綻ばせた。

 

「ドリス様、サンチョです」

「サンチョ? 何~? 坊っちゃんたちが帰ってきた?」

「いえ、坊っちゃんたちはまだですが、別のお方は帰ってきましたよ」

 

 サンチョが喜びを隠せない、という風に呟く。ドリスがいぶかしげにしている様子が扉越しに伝わってくる。やがて「別のお方って……?」と言いながらドリスが扉を開く、そして、

 

「カ……デシュ……?」

 

 体を震わせ、信じられないものを見るような目でカデシュを見る。カデシュはフッと笑う。

 

「ああ、そうだ、ドリス」

 

 つっけどんながら、感情の込もったその声に硬直していたドリスも目の前にいる銀髪の青年が間違いなくカデシュであることを確信したようだった。「カデシュ!」と叫ぶ。

 

「こ、このバカッ! あんな別れ方して……心配したんだからね! あたしも、テンも、ソラも! あんたのことを……!」

「ああ、すまない、ドリス」

 

 目尻に涙を浮かべて、ほとんど叫ぶようにカデシュに言葉を投げつけてくるドリスに対し、カデシュは静かに、しかし、申し訳なさそうに呟く。

 

「ホントに心配したんだから! ホントに……ホントに……! ……でも、無事でよかった」

 

 相変わらず涙は浮かべたままだったが、やがて、その表情が笑顔に変わる。

 

「おかえり、カデシュ。ずっと待ってたよ」

「そうだな……ただいま、ドリス」

 

 そんな二人を微笑ましいものを見るような目でサンチョは見つめていた。

 やがて、何かに気付いたかのようにドリスが「あ、そうだ」と声を発する。そうして自分の首にかけてあるペンダントを取るとカデシュの元に差し出した。ストロス国での戦いの前、お前が持っていろ、とカデシュがドリスに渡したペンダントだった。

 

「これ、返すね……」

 

 カデシュは無表情のまま、目の前のペンダントを見つめると、フッと笑った。ぶっきらぼうに「お前がもってろ」と言う。

 

「私が持っているよりお前が持っている方が似合うからな」

「え、そ、そう……? それじゃ、ありがたく受け取っておくけど……」

「ああ」

 

 戸惑った様子のドリスだったが、穏やかな表情を浮かべているカデシュに後押しされるように再びそのペンダントを自分の首にかけた。

 

「テンやソラにも早く教えてあげなきゃ。もうすぐ帰ってくると思うんだけどね……」

「父親と一緒に家族団らんを楽しんでいるのだろう? それを私が邪魔する訳にもいくまい」

「あ、坊っちゃんが帰ってきたこと知ってるんだ?」

 

 意外そうな顔をドリスはする。ドリスは従兄弟でもあるが一応は目上の立場であるグランバニア王のことを坊っちゃんと呼ぶ。サンチョが王のことをそう呼ぶのを聞いてから彼女もそうするようになったのだが、それを不敬と咎めるような野暮な者はこの城にはいなかった。

 

「ですが本当にテン王子やソラ王女もお喜びになられますよ。カデシュさんがこうして無事に帰ってきたとあっては……」

 

 サンチョが感極まったとばかりにしみじみと呟く。心配、かけてしまったのだな、とカデシュは今更ながら申し訳なく思った。

 その時、「ただいまー!」という気楽な声が響いた。「おや、噂をすれば……」とサンチョは表情を綻ばせる。ドリスも「帰ってきたみたいだね」と笑顔を浮かべる。この声は聞き間違いようもない。グランバニア王子、テンのものに違いなかった。

 カデシュ、ドリス、サンチョはそんな王子たちを出迎えるべくドリスの部屋を後にする。王子と王女、そして、カデシュにとっては見知らぬ男―――おそらくはグランバニア王であろう――が姿を見せたのはそのすぐ後だった。

 

「ただいま、サンチョ、ドリス!」

「ただいま」

 

 グランバニアの王子と王女、テンとソラはそう言う。そして、出迎えに来てくれたサンチョたちの姿を見ると、そこにカデシュの姿を見、目を丸くした。まず「カ……デシュ……?」とソラが声を発する。「カデシュ!」と嬉しそうな声を出したのはテンだ。

 

「ああ、私だ。心配をかけたな。テン、ソラ。今、帰った」

 

 カデシュがぶっきらぼうにそう言って笑うと信じられないと言うような顔をしていたソラもテンも喜色満面。二人は笑顔を浮かべるとカデシュの元に駆け寄り、抱きついた。

 

「カデシュ……! カデシュ……!」

 

 ソラが感極まったとばかりの涙声を発する。テンも笑顔で「帰ってきたんだね!」と喜びの声を発する。

 

「カデシュ! 心配、したんだからね!」

「すまないな、ソラ。だが、言っただろう。帰ってきたら新しい呪文を教えてやると。私がその約束を破るとでも思っていたのか?」

「そんなことない! ……けど、無事に帰ってきてよかった……!」

 

 自分に抱きついてきた王子と王女をカデシュも抱き返す。そのぬくもりを全身で感じ、胸の奥底から湧き上がる幸福感を少し不思議に思いながら。

 

「そうだ、カデシュ! お父さんが見つかったんだよ!」

「ああ、聞いている。よかったな、テン」

「お父さん、すっごく優しいんだよ! これもカデシュがストロスの杖をわたしたちに託してくれたおかげね!」

「そうか。それはよかったな、ソラ」

 

 カデシュは自分に抱きついてくる王子と王子をやさしい表情で見つめ、そして、次にこの場に現れたもう一人の人物――グランバニア王の方を見た。

 グランバニア王はこの場に現れた見知らぬ人物であるはずのカデシュを、しかし、穏やかな表情で見つめていてくれた。

 頭に青いターバンを巻いた。長い黒髪の男だった。若いな、と思った。若々しいではなく、若いのだ。年の頃は自分とさして変わらないように見える。少なくとも8歳の子供がいるとは思えない。だが、何よりも目を惹くのはその瞳だった。人間がこんな穏やかな目をできるのか、と思ってしまう程に、グランバニア王の瞳は透徹で純粋で、優しいものだった。なるほど。この男ならたしかに邪念にとらわれた魔物たちから邪気を払い、自らの仲間にすることもできるだろう、と納得する。カデシュがグランバニア王とファーストコンタクトをしている隙に「お父さん!」とテンが王に呼びかける。

 

「この人はカデシュ! お父さんを探す旅に同行してくれて、力を貸してくれたんだ!」

「お父さんを石像から元に戻したストロスの杖も、カデシュがわたしたちに託してくれたものなの!」

「それにすっごく強い魔法使いなんだ!」

 

 笑顔で自分に詰め寄り、カデシュのことを紹介する王子と王女をグランバニア王はやはり穏やかで優しげな瞳で見守る。そして、我が子たちの頭をやさしく撫でてやると王はカデシュの元を向いた。

 そこには警戒心や不信感は欠片もない。これが人間のものなのか、と疑ってしまう程、透き通った瞳で王はカデシュを見据えると「初めまして」と口を開いた。

 

「カデシュ、さん……ですよね? どうやら息子たちが世話になったようで……それに僕を探すための旅にも協力してくれたとのことで……ありがとうございます」

「礼を言われる程のことではない。私は私のしたいようにやっただけだ」

「それでも、ありがとうございます」

 

 ペコリ、と王は頭を下げる。一国の王が頭を下げることの重みをこの男はわかっているのだろうか? とカデシュは思った。だが、それも含めてのグランバニア王か、と思い直す。なるほど、たしかに。この男は、たしかにテンとソラの父親だ。

 グランバニア王は顔を上げ、やはり笑みを浮かべると、「僕はアベルと言います」と名乗った。

 

「テンとソラの父親で、不相応ながら、この国の王様をやらしていただいております。どうぞ、よろしく。カデシュさん」

「ああ、私の名はカデシュ。こちらこそよろしく頼む。……それと私にさんはいらない。しがない魔法使いだ。呼び捨てで結構だ。敬語も必要ない」

「そうですか? ……それじゃあ、よろしく、カデシュ」

 

 グランバニア王――アベルは穏やかに微笑む。毒気を抜かれる、優しい笑顔だった。その笑顔を前に自分のことをひねくれ者と自覚しているカデシュはむしろ気まずい思いを味わう羽目になった。

 

「そうだ、カデシュ! ぼくたち、これからお母さんを探すための旅に出るんだ! カデシュも一緒に来てくれるよね!」

 

 期待に満ちたテンの瞳がカデシュを見る。ややあって「ああ」とカデシュは声を返した。

 

「お前が真の伝説の勇者なのか。まだ、見極めが終わった訳ではない。お前たちの旅に同行するのは私の義務だ」

「やった!」

 

 テンは嬉しそうにはしゃぐ。

 

「お父さんも一緒で、カデシュもいるなら、きっとお母さんもすぐ見つかるわ! ありがとう、カデシュ!」

 

 ソラもまた喜色満面の笑顔で言う。カデシュはそんな二人の笑顔を受け止めた後、アベルに向き直った。

 

「……と、言うことらしいが、いいだろうか。グランバニア王。私が旅に同行しても」

「勿論、大歓迎だよ。僕たちの旅はきっと険しいものになる。凄腕の魔法使いが一緒となれば、これ以上、心強いことはない」

 

 アベルは笑う。テンやソラも、それを見守るサンチョやドリスもまた笑顔を浮かべていた。

 

(あたたかい……な)

 

 カデシュの口元も自然と綻ぶ。帰るべき場所。笑顔あふれる中でそれを再確認すれば、自然と胸の中があたたかい気分で満たされる。

 こうして、カデシュはグランバニアに帰還した。

 


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