高2
朱雀高校 校門前
「寧々、待っていたのか?」
潮君が去ってすぐ、宮村先輩と比企谷は私の前まで来た。
「あの、山田達から電話とかメールとか来ませんでした?」
「ああ、あいつらから全部聞いたよ。
西園寺に私を連れて来いと言われたのだろう。
それで私を止めようとしているらしいな。
でもいいんだ、西園寺の所まで案内してくれ」
どうやら山田達は宮村先輩に全てを伝えたが、その上で彼女はここに来たらしい。
「…私も、宮村先輩は西園寺先輩と会うべきではないと思います。
だって記憶を消されたくないから、今までずっと来なかったんでしょう?」
そんな事は宮村先輩が一番分かっているはずなのに、私は彼女を止めてしまう。
「…心配してくれてありがとう。
お前の言う通り、私は儀式が成功しなかったらずっと大切な記憶を忘れたまま、……大切な人を忘れたまま生きていくかもしれない」
「なら、どうして…?」
私が聞くと彼女は少し笑みを浮かべ、ずっと静かにしていた比企谷を見た。
「しかし私には、信頼できる自慢の後輩がいるからな。
それなら何も心配することはないだろう?」
……そうか、だから彼女は、
「だから寧々、西園寺の所まで連れて行ってくれ」
こんなにも明るく笑っていられるのか。
*
小田切に連れられて、俺達は理科準備室の前まで来た。
ここからは私一人でいい、と宮村先輩が言ったので、俺と小田切は準備室の外で待機している。
周りは静かで沈黙が少しの間あったが、小田切が口を開いた。
「あなたと話すのも、…何だか久しぶりな気がするわね」
「かもな」
俺も小田切も廊下の壁に背中を付け、向かい側にある教室を眺めている。
そのため、彼女がどんな顔をしているのか分からない。
「私、あなたに聞きたい事や話したいことがたくさんあるわ。
……だから全部終わったら、もう一度二人で話しましょう」
「…ああ、そうだな」
でも彼女は、きっと穏やかな顔をしている。
俺の好きになった、穏やかで優しい表情だ。
*
それから数分後、宮村先輩は理科室から出てきた。
「二人とも待たせたな」
宮村先輩は理科室に入る前と何の変わりもなく、平然としている。
「大丈夫でしたか?精神汚染とか、精神支配とかされませんでしたか?」
「フフ、何を言っているんだ。
大丈夫だよ。今のところ特に問題ない。
西園寺も約束はちゃんと守ると言っていた」
「そうですか」
「まぁこれで私の役目も果たせた事だし、用事を済ませて帰ろうか。
比企谷、途中までついて来てくれないか?」
「ええ、もちろん」
どうやら彼女の最後の用事を済ませるのに、俺が道案内をしていいようだ。
「あの、…用事って何ですか?」
小田切が控えめに質問をする。
もしかしたら宮村先輩は小田切に昔の超研部の事を話していないのかもしれない。
「最後に会っておきたい奴がいてな、悪いが寧々は山田達に連絡を入れてくれ」
「…分かりました」
「それじゃあ行こうか」
そう言って、宮村先輩は歩きだす。
「じゃあまたな、小田切」
「ええ、また」
俺は彼女に挨拶をして、宮村先輩の後を追いかけた。
*
静かな廊下に、俺と宮村先輩の足音がよく響く。
廊下の窓から夕陽が綺麗に差し込む時間帯だ。
「…ついにお前ともお別れだな。
魔女に関する記憶を消されるという事は、やはり超研部の事を忘れ、超研部のおかげで会えた比企谷の事も忘れてしまうだろうからな」
「まぁ、案外覚えていたりするかもしれませんけどね」
「フフ、それならラッキーだな」
制服を着た宮村先輩の隣を歩いていると、あの時の事をよく思い出す。
「明日からは普通に登校していると思う。
だから儀式が終わっても私がお前の所に来なかったら、約束通り比企谷が声をかけてくれ」
「変な奴と思ってハサミを投げないでくださいよ」
「ああ、善処するよ」
彼女との会話はずっと続けるわけにはいかず、もう目的地はすぐそこにあった。
「…それじゃあすぐそこにあるので、俺は先に帰っておきます。
これでも一応、停学中なので」
「そうだったな。
それじゃあここでお別れか」
「ええ、お別れです」
宮村先輩は俺の二歩前を行き、こちらに振り返った。
「比企谷に言いたいことはたくさんあるけれど、今は一つで我慢しておくよ」
「何でしょう?」
「…寧々と上手くやるんだぞ。
あの子はとてもいい子だ。泣かせたら許さんからな」
ニシシと子供っぽく笑って、からかってくる。
いつまでたってもこの手の話は大好きなようだ。
「ええ、宮村先輩も山崎先輩と上手くやって下さいね」
「フフフ、ああ、そうだな」
そう言って彼女は廊下を曲がって行く。
ここを曲がって少し進めば、俺がよく呼び出された生徒会室がある。
「……と、一つで我慢すると言ったがもう一つ話したいことがあったな」
「ん?どうしました?」
彼女はすぐに戻ってきて、俺に言う。
「もし山崎がいなかったらな、
私は間違いなく比企谷の事を好きになっていたよ」
彼女の不意打ちに呆気を取られたが、俺は笑って返事をした。
「俺もあいつがいなかったら、間違いなくあなたの事を好きになっていましたよ」
こうして彼女は笑いながら、あの人の所に向かった。
*
生徒会室前
「はぁ、疲れた。飛鳥君がいないと仕事が多いな。
…ちゃんと鍵も返しておかないと」
今日の仕事を終わらせ、生徒会室の鍵を閉める。
久しぶりの激務で疲れたけれど、あと少しで生徒会長の任期も終わると思ったら少し寂しい気がした。
「山崎」
「ん?」
誰かに呼ばれ、振り返ってみると見知らぬ女子生徒がいた。
「君は……?
僕に何か用かな?」
「……いや、何でもない」
「そうかい?
そろそろ下校時間だから気を付けて帰ってね」
そう言って、カギを返すために職員室に向かう。
一歩一歩立ち止まっている彼女に近づき、
そのまま横切ろうとした時、
彼女は言った。
「いつかまた……、出会えたらいいな」
「……え?」
それから数歩進んで、彼女が何を言ったのか理解した。
しかし振り返ってみても、彼女は歩いて行き、こちらを振り向こうとはしなかった。
「空耳だったのかな?」
あの子は何もなかったかのように去って行くので、自分もまた静かな廊下を歩き始めた。
……。
コツン、コツンと廊下にいい音が響く。
僕はこの時、何を思ったのかは分からない。
「……涙?」
でもなぜか、涙があふれてきた。